無量義経について
shumi
ダルマ太郎
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:妙法蓮華経 』を主にして、その開経としての『無量義経 』、結経としての『仏説観普賢菩薩行法経 』を合わせて学んでいきます。この三経を法華三部経といい、妙法蓮華経並開結 とも称されます。ただし、このことは、インドの法華経で言われていたことではなく、中国において、天台大師智顗 が言い出したことです。なので、法華三部経というものが「有る」のではなく、仮にそういう風に言っています。
はじめに
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ここでは、『
私が法華経の解釈をする場合は、サンスクリット原典のサッダルマ・プンダリーカ・スートラ、鳩摩羅什 が訳した妙法蓮華経を参照にします。分からない言葉については、仏教大辞典を開いて意味を調べながら進めていきます。できるだけ、自分勝手な解釈はつつしむつもりです。しかし、開経としての『無量義経』、結経としての『仏説観普賢菩薩行法経』には、サンスクリット原典がありませんから、中国語訳の経典を参照にします。
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はじめに
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無量義経とは
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無量義とは、数多くの教義のことです。キリスト教の聖書やイスラーム教のコーランに比べると、仏教の経典は、非常にたくさんあります。それぞれの経典には、それぞれに教義がありますから、教義の数は無量です。無量とは、量ることができない、ということです。なぜ、大量の教義が説かれたのか、その理由が、この無量義経で説かれています。
無量義経は、三章から成ります。徳行品第一・説法品第二・十功徳品第三です。徳行品が序分、説法品が正宗分、十功徳品が流通分 です。序分は、その経典のプロローグで、正宗分は、その経典の中心となる章です。テーマとなる教えが説かれます。流通分は、説かれた教えを流布するようにと勧める章です。
徳行品では、菩薩・声聞・仏陀の徳と行が讃嘆されます。法華経でも、「供養 ・恭敬 ・尊重 ・讃歎 」という言葉が何度も出てきますが、他者を讃嘆することは、重要なことだとされています。
説法品では、無量の教義のことが説かれています。仏陀は、人に合わせて教えを説いたので無量の教義になったのだといいます。しかし、無量の教義は一つの真実から生じています。その真実は何かというと無相です。このことは、説法品に詳しく説かれています。
十功徳品では、無量義経を学び、実践した者の功徳が説かれています。功徳を説くことによって、人々に流布を勧めています。
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無量義経とは
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