仏教のお話

無量義経:徳行品第一 / 21

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ダルマ太郎 2024/05/31 (金) 10:04:02

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法身仏
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徳行品では、仏を讃嘆するとき、まず法身仏としての仏を讃えています。法華経の時代は、法身仏と応身仏という二身仏が説かれていました。法身仏とは、真理(法)を体とする仏のことです。応身仏とは、人々に応じて現れる仏のことです。化身仏ともいいます。肉体を持って生まれた釈尊のことですが、事物・現象のことでもあります。つまり、法身仏と応身仏とは、真理と現象のことです。現象は真理によってあり、真理は現象によってありますから、その二つはコインの裏表のように一体です。真理が事象として現れたものが応身です。

法華経では、法身仏と応身仏のことが説かれており、無量義経においても法身仏と応身仏のことが説かれていますので、法身仏について学ぶことは必要です。避けて通れば法華経・無量義経から離れてしまいます。法華経の後、唯識の時代に、仏の三身が説かれるようになりました。法身仏と応身仏に報身仏が加えられたのです。報身仏とは、修行の果報として成仏した仏のことです。法華経には、報身仏のことは説かれていませんが、中国・日本では法華経を三身仏として読む傾向が強いようです。

さて、経文にある「其の身は有に非ず亦無に非ず~」とはどういう意味なのでしょうか? 「その身は有るのではなく、無いのではない」というのは、非有非無の中道のことです。凡夫は、物事を有る、無いで判断しますが、真理においては、有るのではなく、無いのではありません。因縁によって生起し、滅しますから、個々の存在は、仮に存在し、仮に滅しています。あらゆる存在には実体はありません。これを「空」(シューニャ śūnya)といいます。大乗仏教の重要な教義です。

個の存在は空ですので、個そのものには特徴はありません。特徴とは、他と比べることによって認識されるのですから、個自体だけでは特徴は見出すことはできません。特徴とは、サンスクリットのラクシャナ lakṣaṇa の訳であり、中国語では、「相」と訳されました。特徴・形・しるし・記号などの意味があります。特徴が無いことを「無相」(アラクシャナ alakṣaṇa)といい、空と並んで大乗仏教では重視されます。

「因に非ず縁に非ず自他に非ず」という文以降は、無相について述べられています。凡夫は、言葉によって、そのものの特徴を知ろうとしますが、そもそも、真理においては特徴はありません。無相です。

真理は、固定してとらえることができませんので、真理を表すときは否定形を使います。肯定をすれば、何らかの概念にこだわる結果になりますので、無我・無常・無相・無作のように否定して表します。空とは、「無自性」のことですので、これも否定形です。ただし、これらの表現がそのまま真理のことをいうのではなく、真理へと導く方便であると知っておく必要があります。
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法身仏
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