みんみとは、全て
みんみとは、虚無
あなたももう気づいているでしょう
みんみの素晴らしさに
気づかないふりをするのはもうおやめなさい
皆様に素敵なみんみがありますように
みんみぃ
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🐉
週間フレンズ+月刊けものを統合し、総合ファンスレとしてリニューアル
詳しい事はスレで
変則隔週日曜日 22:00~23:00 けもがたりの場所
11・12月の予定 🐸<もう今年も終わりでありますなぁ
11/3 黄色い生き物の話 モンキチョウ、キビタキ、ウデフリツノザヤウミウシなど
11/17 赤い生き物の話 アカゲザル、タンチョウヅル、ベニザケ(繁殖期)など
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12/1 緑・青色の生き物の話 ミドリムシ、ウグイス色のメジロ、アオツラカツオドリ、マルタタイガーなど
12/15 雪と氷と生き物と ユキヒョウ、ニホンザル、アザラシ、ワカサギなど
12/29 これまでのけもフレとこれからのけもフレ プロジェクト10周年!
けもがたり保管庫
(けもがたり過去ログまとめ)
2024/9/9
久々の日記更新。この前三次コラボに行ってきました。親になると子供目線で施設を見たり色々と気付きが出てきますね。
2024/12/15
熱中症になった
ここまでがあなたのコンテンツ
ここからもあなたのコンテンツ
本日は石油の日であります。
1973年のこの日に発生した第一次オイルショックからの教訓や
「オ(O)イ(1)ル(6)」の語呂合わせを並び替えると「106」になる事などから、
株式会社燃料油脂新聞社によって制定されました。
社会のインフラとして人々の生活に欠かせない石油の重要性や、
石油販売拠点でもあるガソリンスタンド(サービスステーション=SS)の
社会的意義を多くの方々に再認識していただく事を目的としております。
・株式会社燃料油脂新聞社は、1945年12月8日に初代社長の故・吉竹与秀氏が
今後の日本の再建復興における石油エネルギーの重要性を痛感され、
石油および油脂業界専門の新聞社を設立されたのが始まりであります。
当時の厳しい石油統制下で第1号を創刊して以来、現在に至るまで
業界の発展と共に石油業界の報道機関として常に指導的な立場をとり、
業界各層から圧倒的な支持を受ける新聞社であり、
現在でも石油業界専門紙の中で最大の購読部数を誇っております。
全国各地に支局を構えており、石油エネルギー業界における取材活動を通して、
「燃料油脂新聞」(日刊紙/縮刷版/電子版)の発行の他、
エネルギー関連業者へ向けた様々な情報/資料を提供しております。
地球環境に最大限配慮していると思われるジャパリパークにおいても、
石油由来の製品と無縁ではありません。備品や衣服などの原料の他に、
電気を動力とするジャパリバスやジャパリラインにおいても、
車両の製造や機械部分などには石油が使用されているはずであります。
カーボンニュートラルを目標として動きだしている昨今において、
限りある資源である石油に対するアプローチも変わりつつあります。
地球環境の保全を前提とした資源の確保と有効な活用のためにも、
私達の生活の在り方も未来へ向けたものとしていきたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はおなかを大切にする日であります。
夏から秋にかけての季節の変わり目は気温の低下でお腹も冷えやすくなり、
腸の動きにも支障をきたしやすい事に対する注意喚起の意味合いと、
「重(10)要なお(0)な(7)か」の語呂合わせに因んで、
ビオフェルミン製薬株式会社によって制定されました。
この時期に腸活への関心を高めてもらい、お腹の調子を良くして
健康な毎日を送っていただく事を目的としております。
・ビオフェルミン製薬株式会社は兵庫県神戸市中央区に本社を置く
大手製薬会社であります。乳酸菌製剤の老舗であり、
胃腸薬など一般用医薬品を主に取り扱っております。
1917年2月に神戸市中央区北長狭通5丁目に「株式会社神戸衛生実験所」を設立。
乳酸菌整腸薬「ビオフェルミン」を製造、株式会社武田長兵衛商店
(現在の武田薬品工業株式会社)に販売委託。
1919年5月に神戸市長田区二番町2丁目1番地に社屋を移転。
1949年3月に商号を「ビオフェルミン製薬株式会社」に変更。
7月に神戸証券取引所に株式を上場。
1961年10月に大阪証券取引所市場第二部に株式を上場。
1964年4月にビフィズス菌の有用性に着目し、「ビオフェルミン」の乳酸菌と
ビフィズス菌を配合したビフィズス菌整腸剤「ビオスミン」を発売。
1966年4月に従来の「ビオフェルミン」に更に別種の乳酸菌を加えた
乳酸菌整腸薬「新ビオフェルミン」を発売。
1974年5月に抗生物質、化学療法剤服用時に効果を発揮する
耐性乳酸菌整腸剤「ビオフェルミンR」を発売。
1983年6月に生薬・乳酸菌配合のお腹に優しく飲みやすい
細粒の下痢止め「ビオフェルミン止瀉薬」を新発売。
1987年5月に従来の「新ビオフェルミン」に替えて、3種乳酸菌
(フェーカリス菌/アシドフィルス菌/ビフィズス菌)配合の
「新ビオフェルミンS錠・細粒」を発売。
1992年7月に3種の消化酵素、4種の健胃生薬にアカメガシワエキス、
乳酸菌配合の「ビオフェルミン健胃消化薬錠」を発売。
1996年3月に本社を神戸市長田区三番町五丁目5番地に、
工場(神戸工場)を神戸市西区井吹台東町七丁目3番4に新築移転。
1997年7月にピコスルファートナトリウムと乳酸菌配合の
便秘薬「ビオピコ錠」を新発売。
2002年2月に創立85周年を機に、新しいシンボルマークを制定。
2003年5月にシャクヤクエキスとビフィズス菌を配合した
「ビオフェルミン下痢止め」を発売。
9月に大阪証券取引所市場第一部に株式を指定替え上場。
腸内菌叢の正常化に医療用のビフィズス菌整腸剤
「ビオフェルミン錠剤」を発売。
2005年1月に「新ビオフェルミンS錠・細粒」が、
医薬品販売の規制緩和により医薬部外品へ移行。
2006年2月に乳酸菌と3種のビタミン配合の整腸薬「ビオフェルミンVC」を発売。
2007年11月に神戸工場に隣接した新規取得地に研究管理棟を新築。
2008年3月に11歳から飲める便秘薬「ビオフェルミン便秘薬」を発売。
大正製薬株式会社による株式公開買付けにより
同社の連結子会社となる。
2013年7月に大阪証券取引所と東京証券取引所の株式現物市場統合により、
上場取引所が東京証券取引所市場第一部に鞍替え。
武田薬品工業株式会社との日本国内での販売/輸出契約合意を解除。
大正製薬株式会社との独占的販売権許諾契約の締結。
9月に西神事業所内に培養棟を新築。
2014年3月に大正製薬株式会社による現物配当により、
大正製薬ホールディングス株式会社の連結子会社となる。
2017年に2月に創立100周年を迎える。
2018年1月に本社を神戸市中央区三宮町1丁目1番2号の
三宮セントラルビル12階に移転。
10月に乳酸菌と生薬と消泡剤がおなかのハリを改善する
整腸薬「ビオフェルミン ぽっこり整腸チュアブル」を発売。
2019年10月に「ビオフェルミンVC」をパッケージリニューアルして発売。
「ビオフェルミン便秘薬」をパッケージリニューアルして発売。
2020年9月、人生100年の超長寿時代、withコロナ時代におけるお腹の
健康管理の重要性やケア方法の啓発を通じて乳幼児から高齢者まで
様々なライフステージでのおなかの悩みに向き合い、
あらゆる人の健康で前向きな人生をサポートする事を目的とする
「人生100年腸活プロジェクト」を始動。
10月にビフィズス菌/オリゴ糖/食物繊維配合シンバイオティクスサプリ
「ビオフェルミンヨーグルト味かむサプリ」を発売。
2021年4月に「ビオフェルミン ぽっこり整腸チュアブル」にビタミンを追加配合、
「ビオフェルミン ぽっこり整腸チュアブルa」として発売。
7月に大正製薬ホールディングス株式会社との
株式交換により同社の完全子会社となる。
9月に酸化マグネシウムと乳酸菌で自然に近いお通じをサポートする
「ビオフェルミン 酸化マグネシウム便秘薬」を発売。
2022年10月に「ビオフェルミンVC」をパッケージリニューアルして発売。
広大なジャパリパークでは寒暖差の大きい場所も存在しており、
そういった場所では体調に影響が出てくる場面も想定されます。
職員の方々やフレンズ方々にとっても寒暖差対策は重要であり、
もし体調を崩された場合には必要な処置が施されるはずであります。
ここ最近の寒暖差の大きさに加え、今週の火曜日から水曜日にかけての
気温の大幅な低下による体調への影響が懸念されるところであります。
衣服や住環境の調節はもちろん、もし体調を崩された場合には
医療機関や医薬品などの活用で対処していきたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は運動器の健康・骨と関節の日であります。
10月8日を漢数字にした「十月八日」の「十」と「八」が、
「ホネ」の「ホ」の字の組み合わせに見える事と、
10月の第2月曜日に国民の祝日として制定されている体育の日を前に
骨と関節の健康を促す意味も込めて、「運動器の10年・骨と関節の日」の名称で
公益社団法人 日本整形外科学会によって1994年に制定され、
2018年に現在の名称に改称されております。
骨と関節を中心とした体の運動器官が身体の健康維持にいかに大切かを、
より多くの方々に認識していただく事を目的としております。
・公益社団法人 日本整形外科学会は1926年4月3日に設立された学術研究団体で、
1969年に社団法人へ、2011年4月1日に公益社団法人へ移行しております。
「整形外科学に関する研究発表、連絡、提携および研究の促進を図り、
整形外科学の進歩普及に貢献し、もって学術文化の発展に寄与すること」
を目的に設立され、臨床医学を学術研究領域とし、
整形外科学及び運動器学について調査・研究及び診療についての
発表及び提言を行い、整形外科学及び運動器学の進歩普及に貢献し、
国民の健康/疾病の予防/スポーツ医学等を通じた
国民の心身の健全な発達/障害者の支援/高齢者の福祉の増進及び公衆衛生の向上
並びに学術及び科学技術の振興に寄与する事を目的に活動しております。
主な事業として、研究の奨励及び調査の実施、専門医及び研修施設の認定、
医療保険制度/介護保険制度/障害者(児童)福祉制度に関する
調査/研究及び提言、一般向けの広報、刊行物の出版などとなっております。
また、ホームページにおいても一般の方々に、医学生/研修医の方々に、
マスコミ/行政に向けて様々な情報を発信しております。
ジャパリパークに住む動物はサンドスターの影響によって
フレンズとなられた時点で、ヒトに極めて近い骨格をお持ちでいらっしゃいます。
また、筋肉や腱などの強度などがヒトのそれを大きく上回っていると思われ、
事実、ヒトでは不可能なレベルの重量物を動かす事などが可能となっております。
運動器の健康は健康的な生活のために欠かす事のできない考え方であり、
年齢を重ねるごとにその重要度が増していく要素でもあります。
日々のケアによって先々の健康的な生活を目指していきたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はファミリートークの日であります。
「ファミリート(10)ーク(9)」の語呂合わせに因んで、
声と言葉と話し方の研究やトークスキルラボなどの
講座を開講されておられる梅村みずほ氏によって提唱されました。
言葉を交わすという行為には無限の可能性が秘められている事から、
年に一度、家族や身近にいる大切な人と話をする事で
心を通わせるきっかけの日としていただくのを目的としております。
・梅村みずほ氏は名古屋市生まれ出身のフリーアナウンサーで、
MBS/KBS/FM京都など関西を中心に活躍していらっしゃいます。
その他、大学非常勤講師、トークスクール講師、
高校生のアナウンスコンテストの審査員、就活生/シニア世代の就職応援、
老若男女のおしゃべり指導などにおいて活躍された後、
2017年春から同じ立場の夢ある女性を応援したいという想いで
「働き女性のためのトークスキルラボ」を始動されており、
現在は声と言葉と話し方の研究を通じて数多くの方々にレッスンを行われる
「トークスキルラボ」として京都府京都市で活動されております。
動物からフレンズとなられた際の最も大きな変化の一つが
「言語によるコミュニケーション」であります。
骨格および身体構造の変化に伴う脳および周辺組織の発達によって、
ヒトと変わらないレベルの言語理解度を手に入れており、
会話そのものにおいては問題なく行う事が可能となっております。
なお、言葉の読み書き自体は全くと言っていいほど行えない状態でありますが、
この点においては教育次第で能力を向上させる事が可能と言えるでしょう。
ただし、かばん様だけはフレンズとなられた時点で
ある程度の文字の読解力を備えられております。
話す事はコミュニケーションの基本の一つであると同時に、場合によっては
手足を使わずして世界を大きく変える可能性をも持ち合わせております。
世界を動かす基本の一つはコミュニケーションであり、
それこそが人類ならではの大きな力なのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はいのちに感謝する日であります。
「十月十日」の妊娠期間に因んで、いのちに感謝する事を念頭に
医療関係者/救急救命士協会/教育者などで制定されました。
一般社団法人 日本救急救命士協会の後援によって、
毎年この日に国民式典を開催しております。
・2019年10月10日に、救命団体/医療関係者/教育関係者によって
「10月10日(とつきとおか)いのちに感謝する日」の国民運動や式典が開催され、
当時の少子化担当大臣の衛藤晟一氏から激励のメッセージが寄せられました。
また、「こうのとりの揺りかご」(マスコミ通称「赤ちゃんポスト」)を設立された
熊本の慈恵病院理事長の蓮田太二氏が自身の闘病中に
最後のメッセージを式典に対して送られたと言われております。
2020年には元国務大臣の山谷えり子氏からビデオメッセージが寄せられました。
フレンズとなられる前の動物達は胎生/卵生問わず、
雌雄の遺伝子を受け継いで母体から生まれております。
同じ動物のフレンズ同士であっても個体は全く同じではなく、
性格や仕草など何らかの違いが存在するはずであります。
一つ疑問があるとすれば、ヒトに極めて近い身体構造を有するフレンズは
ヒトと同じような胎生となるのか、といったところでありましょうか。
この世の中、ただの一つとして全く同じ命は存在せず、
命の存在そのものが貴重なのであります。
そして、その命一つ一つによって世界が形成されている事を
同じ世界に生きる者として忘れたくないものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はハンドケアの日であります。
10月は相対気温が一気に10%以上も下がる変化の時期で、
湿度の低下によって皮膚の乾燥が始まる時期である事と、
「て(10)にいい(11)」(手に良い)との語呂合わせに因んで、
Caetus Technology株式会社によっ制定されました。
手肌の乾燥で悩んでおられる方々にハンドケアを意識し、手荒れを予防するために
ハンドクリームを塗り始める日としていただくのを目的としております。
・Caetus Technology株式会社は2016年1月21日に設立された企業で、
ハンドケアなどの様々な分野の研究開発を含めた
予防医療ヘルスケア製品事業などを手がけております。
医学/医工学などの研究実績を礎とする商品開発や、
IoTを活用した独自のセルフケアサポートツール開発など、
商品やサービスを通じて優れた研究成果を消費者の方々に届けております。
医学研究の中で、特に一般的な医学/生理学の知見、
臨床検査技術、民間療法に関する医学研究や諸論文に着目し、
これらの知見を自社の研究のみならず、広く情報収集し、
またそれぞれの専門家と協業する事で、研究者、商品サービス提供者、
サービス受益者3者がwin-win-winとなる商品開発を目指しております。
フレンズの皆様はヒトに極めて近い身体構造を有しておられるので、
ヒトと同じく手を様々な用途に使用する事が可能となっております。
外部環境から受ける影響がどれほどのものであるかは判りかねますが、
どれほど身体の丈夫なフレンズの方々であっても、
私達と同じくハンドケアは欠かせない要素の一つであると考えられます。
手は身体構造の中で最も使用されている部分であるがゆえに、
日々の生活の中で少しずつでもケアを心掛けたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はフンボルトペンギンのグレープ様の命日であります。
あれから早くも五年が経ちました。
もちろん、グレープ様だけが特別という訳ではありませんが、
私達「けものフレンズ」ファンに喜びと癒しを与えて下さった事実は、
五年が経った現在でも忘れられないものであると感じております。
そして、忘れない事が何よりの供養であると考えております。
本日はPRの日であります。
「PR」のそれぞれの文字がアルファベットの順番で
「10」番目と「12」番目で10月12日に見立てる事に因んで、
株式会社ミエ・エファップ・ジャポンによって制定されました。
広報やPRの仕事の重要性を広く知っていただくのを目的としております。
・株式会社ミエ・インスティテュート・オブ・コミュニケーション
(Mie Institute of Communication M.I.C)は、
広報やPRを理論と実践の両面から体系的に教育する
EFAP大学(フランス・パリ本校)の日本校エファップ・ジャポンとして、
日本のファッション業界における広報やPR教育のパイオニアでいらっしゃる
伊藤美恵氏によって2003年に開校されました。
EFAP大学の創立者で、哲学者/社会心理学者のドゥニ・ユイスマン氏による
コミュニケーション理論をベースに、インターンシップや産学連携による
PR実務を組み合わせたカリキュラムが充実しているのが特長であり、
そこで1~2年間学ばれて卒業された数多くの学生の方々は
企業やブランドのPR/編集者/マーケティング担当者など、
コミュニケーションビジネスの分野で活躍されております。
伊藤氏が代表を務められるPRエージェンシー・WAG,inc.が隣接しており、
PRの仕事の現場を間近で感じられる環境も大きな特長となっております。
非常に大規模な動物園および研究施設であるジャパリパークは、
その規模に合わせて広報やPRにも力が入れられているものと想像できます。
その規模ゆえにパークの維持のためにも集客を確かなものとする必要があり、
また、パークの運営にもその規模に応じた多くの人材を要するため、
広報やPRはパークの業務において重要な位置付けであると考えられます。
どれほど魅力的なコンテンツであっても広報やPRが充分でなければ、
その魅力が充分に伝わらないまま埋もれてしまいます。
一方、その魅力を伝える目的は自分達の利益のためではありますが、
一番の目的はお客様に心ゆくまで楽しんでもらい、
充実した時間を共有する事ではないかと私は考えております。
本日もお祈りいたします、みんみー。
🙏
げんじつちほーの動物園もネガティブキャンペーンに負けないよう
その必要性を上手にPRして欲しいものです
(その手助けをけもフレ公式が担ってくれれば・・・)
本日はインフィオラータ記念日であります。
インフィオラータとは、地面の上に花びらを並べて
大きな絵などを描くアートイベントの事で、作品の美しさはもちろん、
アーティストと共に市民が協力して作り上げる過程も魅力となっております。
2001年のこの日に、日本初となるインフィオラータが東京の晴海にて
開催された事に因んで、一般社団法人花絵文化協会によって制定されました。
記念日を通してより多くの方々にインフィオラータを知っていただき、
イベントを楽しんでいただく事を目的としております。
・一般社団法人 花絵文化協会は2016年10月13日に設立された団体で、
代表である花絵師の藤川靖彦氏を中心にインフィオラータを展開しております。
インフィオラータは藤川氏を中心とした創作/プロデュースによって、
現在まで国内外350ヵ所以上にて年間150万人以上のお客様がお集まりになる
アートイベントとなっております。近年は海外にて日本古来の
歌舞伎絵を花で再現する「花歌舞伎」の創作活動が積極的に行われており、
世界各地から創作の依頼が殺到するなど活動の更なる広がりを見せております。
2016年10月に東京都世田谷区に一般社団法人花絵文化協会を設立。
2017年3月に主催事業「東京インフィオラータ」を都内18会場で開催。
4月に朝日新聞の「ひと」が藤川氏が紹介される。
7月にBSジャパン「未来EYES」にて紹介される。
NHK WORLD「Direct Talk」にて世界160ヵ国地域に紹介される。
NHK「日曜美術館」にて藤川氏がゲスト出演、
アルチンボルト氏の作品を花絵で再現。
9月に藤川氏が世界12人のマエストロに選ばれ、
スペインにて世界平和に向けたメッセージ作品を制作。
10月にメキシコよりインフィオラータ国際大会に
日本代表として招待を受け、「花歌舞伎」作品を制作。
Miss International世界代表70名と共に、
世界平和に向けたメッセージ作品「Flower peace」を製作。
2018年3月に主催事業「東京インフィオラータ」を首都圏30会場で開催。
6月にエフェメラル・アート国際連盟より、スペインで開催された
インフィオラータ世界大会に日本代表として招待を受け、
松本零士氏とのコラボレーション作品を制作。
8月に藤川氏が世界8人のマエストロに選ばれ、
ベルギーにてフラワーカーペットを制作。
また、Grand-Place世界文化遺産登録20周年を記念して、
UNESCOをテーマに東大寺の「金剛力士像」作品を制作。
2019年3月から在京FM局InterFM897にてラジオ番組がスタート。
主催事業「東京インフィオラータ」を首都圏40会場で開催。
また、「東京インフィオラータ」で使用した花の再資源化を行い、
花の再生紙による「お花のスケッチブック」5000冊を
東京都の特別支援学校に寄贈。
4月にテレビ朝日「TOKYO応援宣言」にて藤川氏がゲスト出演。
日本経済新聞「NIKKEI STYLE」にて藤川氏が紹介される。
8月にイタリアより日本代表として招待を受け、「花歌舞伎」作品を制作。
10月にメキシコよりインフィオラータ国際大会に
日本代表として招待を受け、「花歌舞伎」作品を制作。
主催事業「大阪インフィオラータ」を大阪4会場で開催。
2020年3月に主催事業「東京インフィオラータ」が
首都圏7会場で開催予定となるが新型ウイルスの影響のため中止。
5月、2年に1度開催されるインフィオラータの世界大会を東京に誘致、
世界30ヵ国地域160名のマエストロの来日が予定されるも、
新型ウイルスの影響のため中止。
6月に「笑顔とぬくもりを取り戻そう!」をテーマに、
全国で「Flower’s YELL」作品を制作。
11月に主催事業「大阪インフィオラータ」を大阪10会場で開催。
2021年3月、主催事業「東京インフィオラータ」が首都圏13会場で開催となるが、
新型ウイルスの影響のため中止
東京タワーキャラクター”のっぽん弟”が
「インフィオラータ」のイメージキャラクターに就任。
4月にテレビ東京「東京交差点」にて紹介される。
ジャパリパークには自然環境ならではの広大な花畑が広がっているエリアがあり、
来園されるお客様やお住まいのフレンズの皆様の目を楽しませております。
パークではその花を用いた絵画表現は行われておりませんが、
けものフレンズにおいて大きな地上絵で思い浮かぶ場面といえば、
アニメ一期の第三話における大きなカップの絵かもしれません。
ジャパリカフェの集客に寄与するべく、かばん様の発案によって
カフェの前に広がる野原にて除草を兼ねてデザインが進められ、
カフェの目印となる大きなカップの絵が作成された場面は有名であります。
野に咲く花はその一つ一つが生命力に満ち溢れており、
花による大規模な絵画表現は地球の生命力を表現するに等しいものであります。
物騒な物事の多い現代社会において、私達に安らぎや癒しを与えてくれる花は
世界の平和への願いが込められた存在でもあると信じております。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は鉄道の日であります。
・明治5年9月12日(新暦の1872年10月14日)に、
新橋駅(後の汐留貨物駅、後に廃止)と横浜駅(現在の根岸線桜木町駅)とを結んだ
日本初の鉄道(現在の東海道本線の一部)が開業した事と、
1921年10月14日に鉄道開業50周年を記念して
東京駅の丸の内北口に鉄道博物館(初代)が開館した事を記念したもので
翌1922年から「鉄道記念日」として鉄道省により制定されました。
1949年には日本国有鉄道の記念日となり、分割民営化後も引き続き
JRグループの記念日としてJRグループ内で祝われておりました。
しかし、1994年に運輸省(現在の国土交通省)から
「「鉄道記念日」のままではJRグループ色が強い」との提案があったから
「鉄道の日」と改称し、全ての鉄道事業者が祝う記念日となりました。
これを記念して鉄道の日の前後に鉄道関連のイベントが行われる場所や、
記念乗車券やプリペイドカードを発行する事業者もあります。
1994年の第1回「鉄道の日」には、当時102歳の長寿双子姉妹の
成田きん氏と蟹江ぎん氏が東京駅の一日駅長を務められ、東北・上越新幹線の
ホームにて新潟行きの「Maxあさひ309号」の出発指示合図を行われました。
その後、東京駅構内の「銀の鈴」の横にその日限り並べられた
「金の鈴コーナー」の除幕式にも出席されました。
また、同年にはシンボルキャラクターが誕生し、
1998年には「テッピー」と命名されました。その後の2013年には
「テッピー」のガールフレンド「テッピーナ」も誕生しております。
東京では1995年以降、東京都千代田区の日比谷公園にて
「鉄道フェスティバル」というイベントを開催しております。
(1994年は秋葉原の神田市場跡地にて、2012年は明治公園にて開催)。
2019年は東日本台風の接近に伴う悪天候が予想されたため、
2020年/2021年は新型ウイルス流行の影響で3年連続で中止となりましたが、
2022年は4年ぶりの開催が発表されております。
また一部の鉄道事業者で前後の休日にリバイバルトレインなどとして、
過去の名列車などの特別な臨時列車の走行が行われる他、
車両基地や工場の一般開放など大掛かりなイベントの開催も増えております。
この他、関東地区ではこのイベントの前(例年10月の第1土・日曜日)に
横浜駅東口の地下街「ポルタ」にて「鉄道の日」のプレイベント
「YOKOHAMAトレインフェスティバル」が行われ、関東の駅百選フォトラリー
(2005年まではスタンプラリー)の景品引き換えが行われております。
・「日本鉄道賞」は「鉄道の日」実行委員会が、「鉄道の日」の創立趣旨に基づいて
日本の鉄道開業から130年にあたる2002年に制定した賞であります。
国土交通省鉄道局鉄道サービス政策室が主管し、「鉄道の日」実行委員会の
事務局のある公益財団法人日本交通文化協会が事務局となっております。
表彰の前年に実施された鉄道事業者の取り組みの中から、
日本鉄道賞表彰選考委員の選考により選定されます。
優れた鉄道車両に贈る賞として「ブルーリボン賞」や「ローレル賞」がありますが、
本賞は鉄道事業者や団体の取り組みに贈る賞である事が特徴となっております。
けものフレンズは鉄道ともコラボレーションしており、
京王電鉄株式会社や南海電気鉄道株式会社とのコラボレーションの他に、
東武動物公園内を走る電車「太陽の恵み鉄道パークライン」の
ジャパリパーク仕様あたりが思い出されるかもしれません。
また、けものフレンズの作品内において鉄道で思い浮かぶものといえば、
アニメ二期に登場したモノレール「ジャパリライン」でありましょう。
これからのカーボンニュートラルの時代にあっても、
鉄道は社会において重要な位置付けであり続けると考えられます。
これからの鉄道の更なる発展が期待されるところであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は人形の日であります。
古くから10月15日には多くの地域において
人形供養が行われていた風習があった事に由来して、
日本人形協会と日本玩具及び人形連盟によって1965年に制定されました。
1972年に「抜本的な検討を加える必要がある」として
積極的な活動を休止しましたが一般には普及する事となり、
この日に因んで全国各地で人形供養や人形感謝祭などが開催されます。
・一般社団法人 日本人形協会は節句人形を始めとする
日本人形類に関連する産業の発展を図ると共に、
日本の伝統工芸産業の振興と国民生活の文化的向上に寄与する事を目的に、
全国の製造業/卸売業/小売業を中心に約400社が加盟する団体であります。
1973年6月、1955年に設立された「日本人形協会」を発展的に解消し、
「社団法人日本ひな人形協会」設立、総会を開催。
10月に「社団法人日本ひな人形協会」発会式を開催。
1974年4月に協会機関紙「にんぎょう日本」第1号季刊にて発行。
1976年3月、3・5月「母と子の写真コンクール」(奨学金付)を実施。
1980年2月、誇大広告や不当表示に対する注意広告を、
3月・5月節句の二度にわたり朝日・読売各新聞の全国版に掲載。
8月に「節句人形工芸士」制度を承認。
1982年4月に協会内の鯉のぼり部会が各官庁にも鯉のぼりを寄贈、
児童福祉週間の行事として東京・永田町の首相宮邸を中心に
官庁街に「鯉のぼり」が揚がり話題となる。
1983年2月、積極的な広報活動の展開、ひな祭り全般の啓蒙活動として
“ひと月早いひな祭り”のイベントを東京/埼玉/静岡/名古屋/
京都/大阪の各地域で開催。特色ある催しをこの年以降も
継続的に実施、節句行事の振興・啓蒙を図る。
1985年8月に「節句人形工芸士」126名に認定証を交付。
11月に「適正表示優良店」制度を実施、加盟232社が看板362枚を発行。
消費者の購入に当たっての便宜を図ると共に、
不当表示や過当競争の防止等、健全化を図る事が目的。
1987年2月に北海道支部が札幌雪祭りに参加、「ひな人形の氷像」を初出展。
3月に新しい伝統文化として「流し雛」を東京/大阪/京都をはじめ
全国7ヵ所で統一的に実施。春を告げる伝統行事の定着化を目指す。
1992年11月、3・5月ポスターを新しいデザインで作成配布。
1993年8月に協会創立20周年祝賀会を東京・浅草ビューホテルにて開催。
10月1日付で「社団法人日本人形協会」への名称変更が正式認可。
1995年3月に阪神大地震被災地の神戸市灘区の小学校/幼稚園5ヵ所の
子供達にひな人形を寄贈。大阪支部をはじめJC玩具人形部会/
京人形青年会/二十一世紀人形振興協会などが
「阪神大地震被災地に雛人形を飾る会」を組織、
市内16ヵ所の保育所に寄贈。鯉のぼりや五月人形も寄贈。
1999年11月に伝統文化教育事業を推進。
2000年12月に協会公式ホームページを開設。
2001年2月に東京国立博物館で人形展を開催。
5月にイギリスで開催された「JAPAN2001」にて鯉のぼりを掲揚。
2002年8月に新組織《会員増強委員会、財務委員会、
節句人形工芸士委員会・知的所有権部会、編集委員会、
広報委員会、情報委員会(IT部会・QC部会)》をスタート。
新節句人形工芸士制度を発足。
2003年8月に協会創立30周年祝賀会を開催。
2005年10月に第1回「ゆうパック人形感謝祭」を開催。
2008年10月に第1回節句人形アドバイザー資格認定試験を開催。
2010年に3月・5月の節句啓蒙用小冊子を作成。
「町いちばんのおひめさま」「町いちばんの元気っ子」
2011年1月に第1回「わが家のひな祭り写真コンテスト」を開催。
3月に第1回「わが家の端午の節句写真コンテスト」を開催。
4月に東日本大震災義援金を募集。
「鯉のぼりプロジェクト」「Buy TOHOKUプロジェクト」に協賛。
2012年1月に第1回「わが家のお正月飾り写真コンテスト」を開催。
6月に公益法人改革により、「社団法人日本人形協会」を解散。
7月に「一般社団法人日本人形協会」を発足。
2013年8月に協会創立40周年を記念して、東京會舘にて懇親会を開催。
9月に「重陽の節句 後の雛」キャンペーンを実施。
「新作節句人形」を一般公募。
ホームページに「重陽の節句」サイトを開設。
けものフレンズのグッズにおいて人形は主な商品の一つであります。
アニメ一期の大ヒット以来様々なフィギュアが発売されており、
手に入れられたファンの方々も多くいらっしゃるかと思われます。
また、アニメ二期の劇中においても人形が登場しており、
紙相撲やジャパリホテル内の売店の商品あたりが思い浮かぶかもしれません。
人形および玩具は平和を願う人々の文化の象徴でもあります。
この先の更なる文化の発展を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は国産国消の日であります。
この日が国際連合食糧農業機関(FAO)が制定した「世界食料デー」であり、
世界各国で食糧問題を考える日である事から、
一般社団法人 全国農業協同組合中央会(JA全中)によって制定されました。
「国民が必要とし消費する食料は、できるだけその国で生産する」という
JAグループが提唱する「国消国産」の考え方を広く知っていただき、
国産農産物の消費を通じて日本の農業生産基盤を維持していくのが目的であり、
多くの人に日本農業に関する課題を知っていただき、食料を生み出す農業を
応援して下さる方々を増やしたいとの願いが込められております。
世界食料デーに関しては2019年のこの日に書き込みをさせていただいております。
・一般社団法人 全国農業協同組合中央会は、農業協同組合(JA)グループの
独立的な総合指導機関であり、「JA全中」が略称であります。
組織は1954年に設立され、前身組織の全国指導農業協同組合連合会に代わって
1955年に国際協同組合同盟(ICA)に加盟しております。
2015年まで農業協同組合法第37条の2では、JA全中には信用事業に関する
事業を行う農協及び農協連合会への会計監査権が明記されており、
この権限によって全国の農協へ事実上の指導権を有する構図になっておりました。
2015年の農協法改正により中央会に関する規定は廃止され、
2019年9月30日付で一般社団法人に移行しております。
ただし、移行後も「中央会」の名称は引き続き使用されております。
・本部(JAビル)は、農業・貿易政策において意見を異にする事が多い
日本経済団体連合会事務局(経団連会館、東隣)や、
日本経済新聞東京本社(日経ビル、西隣)に隣接しております。
3棟は大手町地区連鎖型再開発の一環として同時に建設されたものであり、
低層階(大手町カンファレンスセンター)において連結しております。
・活動内容は、各JAや連合会の総合指導、農業政策の取り組みなど、
JAグループを通じて日本の農業の推進を行っております。
自由民主党の支持母体として政府に対する農業政策の立案/協議、
農作物が台風など災害にあった際の対策協議や、JAグループの内部統制整備、
組織整備、経営指導、農産物貿易交渉(WTOやEPA・FTA)に関する対応等、
幅広い活動を行いつつ、農業を総合的にサポートする
JAグループ全体の調整や戦略の策定を実施しております。
JAグループでは、日本人にとってのよい食をみんなで考える
「みんなのよい食プロジェクト」に取り組んでおり、
JA全中では、食や農に関わる情報を発信する多目的スペース
「農業・農村ギャラリー(愛称:ミノーレ)」を運営しております。
また、農業協同組合と都道府県農業協同組合中央会の共催によって
「ごはん・お米とわたし作文・図画コンクールを主催しております。
他にも、食料と農業に関するファクトブックを発行しており、
食料供給の問題や食に関連した情報を提供しております。
「月刊JA」という冊子も発行しており、2013年12月号では
JA支店等を拠点としたJA地域くらし戦略の展開について特集しております。
2019年5月にはベンチャー企業や大学などと連携する拠点
「AgVenture Lab」(アグベンチャーラボ)を開設しております。
ジャパリパークではジャパリまんの材料も含めた農作物が栽培されており、
可能な限り自給率を高める努力がなされているものと考えられます。
その農業に関しては栽培に適した土地選び、材料に適した品種選びなど、
農業の専門家のノウハウが充分に取り入れられているものと考えられ、
それを踏まえた可能な限りの自動化もなされているものと考えられます。
日本は先進国の中でも食料自給率がとりわけ低水準であり、
農業従事者の高齢化や後継者不足、耕作放棄地の拡大など、
農業をとりまく様々な問題が長年の課題となっております。
これは出生率の低下とも関連する難しい問題でありますが、
日本がこれからも国際社会での存在感を発揮するためには、
何としても乗り越えなければならない課題でもあるのです。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はカラオケ文化の日であります。
1994年のこの日に団体が設立された事に因んで、
全国カラオケ事業者協会によって制定されました。
「カラオケは我が国が生んだ最大の娯楽文化」との認識から、カラオケを通じた
文化活動の支援や文化交流を行い、その普及を図る事を目的としております。
・一般社団法人 全国カラオケ事業者協会(略称・JKA)は、
業界初のカラオケ事業者による全国協議機関として
1994年10月17日に設立された団体であります。
カラオケ産業は、この四半世紀の間にめざましい発展を遂げ、
アミューズメント産業の中核として確かな地歩を固めましたが、
その一方で、流通形態の複雑化や、めまぐるしい技術改革、
業界の拡大などに伴って生じる様々な問題が提起されつつあった事もあり、
業界が一致団結して諸問題に取り組む体制づくりが求められておりました。
そこで業界初のカラオケ事業者による全国協議機関として
「全国カラオケ事業者協会」が発足され、事業者の地位向上と
業界の秩序ある発展をめざし活動を開始する事となりました。
協会では各種事業を推進すると共に会員相互のコミュニケーション向上に努め、
それが業界発展の確かな推進力となっております。
協会の会員には会員ステッカーを発行している他、機関紙「JKA-NET」や
「JKAクリッピング情報」の発行、カラオケ産業の市場実態をまとめた
基礎統計資料「カラオケ白書」の発行も行っております。
そして、様々な交流会や講習会なども開催しております。
他にも、カラオケボックス市場の活性化を目的として、
店舗紹介やカラオケ会社各社の新譜情報・ヒットチャートなどをまとめた
携帯電話インターネットサイト「カラオケNAVI」を開設しており、
2017年9月には新規来店のお客様1回に限り
3000円で飲み放題のサービスを提供するお店のみを掲載した
スナック紹介サイト「スナックdeカラオケnavi」を開設しております。
また、酒場市場の活性化を目的として、開催店の来店客を中心に参加者を募り、
賞品をプレゼントするキャンペーン「歌ってラッキーキャンペーン」や、
Twitterでのツイートまたはリツイートによる応募の
「『スナックdeカラオケ』キャンペーン」を毎年開催しております。
けものフレンズはカラオケにおいても大きな人気を博したコンテンツであり、
特にアニメ一期の放送以降の人気は目覚ましいものでありました。
その人気の中心はやはり「ようこそジャパリパークへ」であり、
当時のブームを覚えていらっしゃる方も多いかと思われ、
現在でもお気に入りでいらっしゃる方も多いかと思われます。
カラオケはどなたでも気軽に歌を楽しめる文化であり、
カラオケだけでなく飲食/酒販など様々な要素を含めた
複合アミューズメントとして様々な地域にて親しまれております。
これからのカラオケ文化の更なる発展を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は世界ウェーブストレッチリングの日/ZENRING DAYであります。
日付は2005年のこの日に木製(欅)のストレッチ器具
「ウェーブストレッチリング」が日本で発売された事から、
NPO法人日本ウェーブストレッチ協会によって制定されました。
身体を「ほぐす」「伸ばす」「鍛える」が同時に行える
ウェーブストレッチが体感できる「ウェーブストレッチリング」(ZENRING)が
同法人の理事長の牧直弘氏によって開発された事を知っていただくと共に、
活用する事でより多くの方々に健康になっていただく事が目的であります。
・NPO法人日本ウェーブストレッチ協会は2008年に設立された団体で、
ストレッチ器具「ウェーブストレッチリング」を活用した
セルフチェック&ケアの普及や啓蒙を行っており、
各地での講習会、トレーナーの育成などの他、
学校教育/病院・介護施設/アスリート/産後の親子への活用など、
心と体の健康と幸福を世界に広げるべく活動を行っております。
ジャパリパークでは職員の方々に対する様々なケアが行われており、
心身の健康を考えた福利厚生が充実しているものと考えられます。
他方、お住まいのフレンズの方々に関しては、日頃からパーク内を
動いておられる事がストレッチの代わりになっているとも考えられます。
忙しい現代社会において運動の時間を確保する事は思いのほか難しく、
それが身体に思わぬ弊害をもたらす事も充分に考えられます。
運動不足を解消するためには日々の生活時間を有効に活用して、
計画的かつ効果的なメニューで運動を行う必要があります。
そのためにはなるべく手軽に行える事が重要であり、
ウェーブストレッチリングなどの器具は特に有効と言えます。
効果的な運動によって楽しく健康的な生活を送りたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は伊勢の神棚の日であります。
1994年のこの日に、伊勢神宮の建築様式「唯一神明造」を模した
「伊勢の神殿」が三重県指定伝統工芸品の認定を受けた事に因んで、
株式会社宮忠によって2016年に制定されました。
伊勢の神棚製造技術を知っていただく事で伊勢の伝統工芸品の認知度を高め、
伊勢の活性化を図る事を目的としております。
・株式会社宮忠は三重県伊勢市にて神棚や神具などを製造販売するメーカーで、
神棚やお供え用の道具、神社や神事などに必要な設備、
御霊舎/注連縄/盛り塩/火打ち石/天然石などの調度品、
上記の商品を含めたオーダーメイド制作、屋外社殿の建設など、
神様を祀るための様々な商品やサービスを手掛けております。
様々な情報はホームページの他にブログやメールマガジン、
FacebookやInstagramでも公開されております。
みんみ教はインターネットでの祈りの場でありますので
神棚などの道具といった概念は考えられておりませんが、
御尊顔の写しなどを神棚に掲げられるといった事は可能かもしれません。
他方、ジャパリパークにおいては職員の方々が利用される
事務所などの施設に神棚が設置されている場合が考えられます。
近場にない場合において神社に度々通う事は難しく、
そういった場合のために神棚は重要な祈りの場となります。
そして、日々の健康と安全は時代を問わない大切な願いなのであります。
世界にみんみ様の御加護のあらん事を……。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は世界骨粗鬆症デーであります。
・世界骨粗鬆症デーは、骨粗鬆症および骨代謝障害による病気の予防について、
国際的に認識/診断して専門研究を促す事を目的とした国際デーで、
国際骨粗鬆症財団(IOF)によって毎年10月20日に実施されております。
1996年10月20日に欧州委員会から支援を受ける形で
イギリスの全国骨粗鬆症協会によって始められ、1997年以来、
この日の行事は国際骨粗鬆症財団により行われております。1998年と1999年に
世界保健機関(WHO)は世界骨粗鬆症デーの共同スポンサーとなっております。
また、この日は骨粗鬆症および骨代謝障害の自覚を喚起するための
1年間のキャンペーンの開始日でもあります。
1999年以来、具体的なテーマを定めてキャンペーンが実施されております。
骨粗鬆症に取り組む社会の実現のために90を超える国が参加しており、
各年ごとに定められたスローガンのもと、世界各地で骨粗鬆に関する
予防/改善/認知などを目的としたキャンペーン活動が行われております。
・骨粗鬆症とは、後天的に発生した骨密度の低下または骨質の劣化により
骨強度が低下して脆弱性骨折が発生し易くなる疾患、
あるいはそのような骨の状態を指しております。
骨粗鬆症には、老化に伴って発生した原発性骨粗鬆症と、
何らかの明白な原因の存在する続発性骨粗鬆症とがあります。
その症例の殆どは前者の原発性骨粗鬆症でありますが、
後者の続発性骨粗鬆症の明白な原因としては、慢性腎不全などの疾患の存在、
ステロイド系抗炎症薬を始めとする医薬品など薬物の長期連用、
骨の形成に不可欠な栄養分の摂取不足などが挙げられます。
ジャパリパークでは職員やフレンズの皆様に対して、
身体の健康に向けた様々な対策が施されているものと想像できます。
定期的な健康診断はもちろん、設置されていれば社員食堂における
メニューの考案やフレンズの皆様へのジャパリまんの配布など、
食事を含めたサポートが行われているものと考えられます。
骨は身体の基本的構造の一つで、行動を司る基本の一つでもあります。
日々を健康に過ごすためにも骨格の大切さを意識していきたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は1970年に女性解放準備会などによって
日本初のウーマン・リブのデモが行われた日であります。
ウーマン・リブとは、1960年代後半から1970年代前半にかけて、
主とヨーロッパ/アメリカ/日本などの国々で起こった女性解放運動であり、
その呼称は英語表記の女性解放運動の日本における略語で、
「ウーマンリブ」と表記されたり、単に「リブ」の略称でも呼ばれます。
「フェミニズム」及び「ジェンダー」の原点ともいわれており、
19世紀後半から20世紀前半の女性参政権運動を「第一波フェミニズム」、
ウーマン・リブを「第二波フェミニズム」と呼ぶ事もあります。
第一次/第二次大戦の最中、若者の男性は兵士として戦場に駆り出され、
女性は国内の生産現場にて衣服などの生産を担っておりました。
第二次大戦後の1950年代になると、帰還兵の就職口を作るために
働いておられた女性は職を手放さなければならない状況となりましたが、
多くの女性はその後も工場/農場/伝統的な女性職の領域で働き続けられました。
戦争が引き起こした人手不足は女性の積極的労働参加を促す事となり、
「女性も男性と同じ仕事ができる」と仕事における自信をもたらす事に繋がり、
この女性の社会的自立が後のウーマン・リブ運動の気運を高めたといえます。
そして、ベトナム戦争の反戦運動と共に、男社会に対する不満を抱えた
女性の方々によるウーマン・リブ運動がアメリカ中を席巻する事となりました。
このベトナム反戦運動や公民権運動に連動する形で、
性による役割分担に不満を持っておられた高学歴主婦や女子学生を中心に、
「男女は社会的には対等・平等であって、生まれつきの肌の色や性別による
差別や区別の壁を取り払うべきだ」という考えのもとで開始され、
1979年に国際連合の総会において「女子差別撤廃条約」が採択されるなど、
その後の男女平等社会の推進に大きく貢献する事となりました。
伝統的な女性のイメージは根本から否定されて女性の労働が当たり前となり、
それまで殆ど男子校同然だった大学で女子の入学が認められ、
男性中心だった学問に女性学が導入される事となりました。
ウーマン・リブは反キリスト教運動も兼ねている側面も持ち合わせており、
それまで禁止されていた人工妊娠中絶を認める法律にも繋がっております。
日本での運動のきっかけは1960年代後半の全共闘運動にありますが、
最もラジカルに既成秩序の打破を訴えた全共闘運動においてさえ、
街頭デモに繰り出すのは男子学生で、女子大生はキャンパスの中で
おにぎり作りという役割に従事させられた事から、
「女性は男の奴隷ではない」との主張が生まれる事となりました。
1970年10月20日に女性解放準備会などによってウーマン・リブのデモが、
同年11月14日には第一回ウーマンリブ大会が東京都渋谷区で開催され、
これが「男女雇用機会均等法」の制定に大きな役割を果たす事となりました。
また、学園祭の定番であるミス・コンテストが、男性視点による美醜で
女性を評価するのは差別に当たるとして、後に中止に追い込まれております。
ジャパリパークにおいて職員の男女比は明らかとなってはおりませんが、
経営などの分野においても女性の活躍の場は多く存在していると考えられ、
ミライ様や菜々様のようにパークガイドで活躍されている方々や、
カコ様のように研究施設にて活躍されている方々のように、
多くの女性が活躍しておられるであろうと考えられます。
現在、国際連合が掲げる開発目標「SDGs」においても
「ジェンダーの平等」が盛り込まれている事から、男女平等の気運は
ウーマン・リブの時代から大きく進んだものとなっております。
しかし、日本は様々な分野において男女の格差が多く存在しており、
世界の潮流から取り残されつつある状況と言っても過言ではありません。
これからの日本のジェンダー状況の改善と共に、
あらゆる方々が活躍できる世の中となる事を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はキャットリボン(猫のピンクリボン)の日であります。
10月は「アウェアネス・リボン運動」の一つである
「乳がん啓発月間(ピンクリボン月間)」となっている事と、
猫の鳴き声「ニャン(2)ニャン(2)」の語呂合わせに因んで、
日本獣医がん臨床研究グループによって2019年9月1日に制定されました。
人と同様に猫においても癌は発症例が多く、
中でも発生率が高い乳癌によって多くの猫が命を落としている事から、
人とは異なる猫の乳がんの早期発見/早期治療を普及させる事で、
乳癌で苦しむ猫を0(ゼロ)にする事を目的としております。
・一般社団法人 日本獣医がん臨床研究グループ(JVCOG)は
埼玉県所沢市に拠点に活動している研究グループで、
獣医臨床腫瘍学の発展を目指す有志で構成されており、
2019年3月12日に一般社団法人として法人化しております。
獣医臨床腫瘍学に関連した新薬承認試験の実施や、
多施設間臨床試験によって有効性の高い治療法を開発し、
癌に罹患した動物の診療の質と治療成績の向上を図る事を目的としております。
主に獣医腫瘍学に関する臨床研究の支援および助成/情報交換/相互交流の推進/
調査研究の実施、臨床研究の受託および研究情報の提供を行っている他、
獣医腫瘍学の臨床研究に関する専門性を有する
獣医師の養成や、学術集会/講演会等を開催しております。
ジャパリパーク内の研究施設ではフレンズの皆様の
疾病に関しても研究が行われているものと考えられます。
ヒトに近い身体構造となられたフレンズという存在がどのような影響によって、
どのような疾病に罹患するリスクを抱えられているかについての他、
疾病に罹患した場合はどのような治療が有効なのかといった研究を
外部の研究機関等と協力して進めている可能性も考えられます。
今回取り上げた猫に限らず、動物は様々な疾病のリスクを抱えており、
ともすればヒト以上にデリケートな対応が求められる場合もあります。
まして、ペットは大切な家族であり、医療体制の充実は必須であります。
動物に対する医療の更なる発展を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はおいもほりの日であります。
この日は二十四節気の一つ「霜降」の時季であり、
全国の幼稚園や保育園などで「おいもほり」行事のピークを迎える事から、
東洋アルミエコープロダクツ株式会社によって制定されました。
多くの幼稚園や保育園の秋の行事となっている「おいもほり」は
自然とのふれあいや食育などの教育的な意義があり、
帰宅後も家族での会話が弾むイベントとして楽しまれている事から、
記念日を通した「おいもほり」の教育的意義の再確認と、
更なる普及を目的に制定されております。
包んで焼くだけで美味しい石焼いもができる「石焼きいも黒サンホイル」
・東洋アルミエコープロダクツ株式会社は1969年11月1日に創業した、
食品容器や包装資材の製造/販売を行っているメーカーであります。
主な商品は定番商品「サンホイル」や「石焼きいも黒サンホイル」などの
アルミホイル類やクッキングシート/ラップなどといった家庭用商品の他、
業務用のホイル類/ケース類/各種容器などの製造販売を行っております。
その他、レシピや暮らしのアイデアなど様々な情報はホームページの他、
LINE/Twitter/Instagramでも公開されております。
ジャパリパークではジャパリまんの材料も含めた農作物が栽培されており、
その中には様々な芋類も栽培されているものと考えられます。
サツマイモは豊富な食物繊維やビタミンCなどの栄養価の高さから、
ジャパリまんの材料としても栽培されているものと考えられます。
季節が進んで寒さが顔を出し始める時期になると、
焼き芋などの暖かい食べ物が欲しくなるものであります。
しっかりと食べてこれからの寒い季節を乗りきりたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はペットインフルエンサーの猫「もちまる」の誕生日であります。
・「もちまる」は2019年10月24日生まれの雄のスコティッシュフォールドで、
同年12月13日よりYouTubeチャンネル「もち様の部屋」にて活動を開始し、
2020年5月6日にはチャンネル登録者数10万人達成と
生後半年をお祝いするライブストリーミングを実施しております。
2021年は5月14日にチャンネル登録者数100万人を達成し、
7月にフォトブック「もちまる日記」が刊行され、
8月12日付けで「YouTubeで最も視聴された猫」として、
9月5日にギネス世界記録に認定されております。
けものフレンズは社会現象と呼べる人気を呼んだコンテンツでありますが、
当時その中心におられたのは、やはりみんみ様でありましょう。
特にアニメ一期放送当時からSNSなどにて大きな話題となり、
後に大ブームとなったのを覚えておられる方も多いかと思われます。
今や、動画共有サイトにおいて動物の動画は定番の一つであります。
それは競走馬など特殊な環境下にある動物達の例もありますが、
やはり思い思いにのびのびと過ごす事が前提であり、
人気を得たいがために無理をさせる事などは論外であります。
ゆったりと過ごす動物達と、彼らの姿に癒される私達。
程よい距離感を保った関係が望ましいのかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はクロアチアの地質学/古生物学/考古学者でいらっしゃる、
ドラグティン・ゴルヤノヴィッチ=クランベルガー氏の誕生日であります。
・1856年10月25日、ザグレブにて靴屋兼旅籠屋を営まれていた
マティーヤ・クランベルガー氏とテレジヤ・ドゥシェック氏の一人息子として
お生まれになり、年少期には隣にお住まいの国立博物館の薬剤師/剥製師の
スラヴォ・ウォルマスティーニ氏が所有される書籍「博物館」を読まれていた他、
郵便局員のゲンナー氏が趣味で収集しておられた
魚の化石を調べられるなど博物学に没頭されておりました。
学校に通われ始めると当時としては高度な学校である師範学校へ進学され、
そこからチューリッヒ大学へと進学された後にミュンヘン大学へと移られ、
カール・チッテル氏の元で古生物学の研究を始められました。
1879年、カルパティア山脈における魚類化石の研究により、
テュービンゲン大学より自然科学博士号を授与されました。
その後にクロアチアへ帰国され、政府の教育資金を獲得された上で
ウィーンにて地質学や古生物学を更に深められました。
1880年に帰国されるとザグレブの国立博物館に就職され、
鉱物学や地質学部門の主事として務められました。
1881年、民族意識がクロアチア内で高まりを見せ始めると自身のドイツ系の姓
「クランベルガー」にクロアチア系の姓「ゴルヤノヴィッチ」を追加されました。
博物館ではフィールドワークなどの精力的な活動を行われると共に、
化石魚類に関する科学論文の発表や、時にはクロアチア地質調査局の設立や
ザグレブ市内の水道管整備計画にも参加されました。他にクロアチア博物学会や
山岳会を設立された後にザグレブ大学の教授に就任され、
1892年には芸術・科学アカデミーの準会員となられ、
その翌年には博物館の部長に就任されました。
これらの功績から1890年代末にはゴルヤノヴィッチ氏はクロアチアのみならず
ヨーロッパ各地でも古生物学者/解剖学者として知られる事となりました。
1899年にはサイなどの化石が発見されたクラピナへ向かわれ、
建築用砂採集場として使用されていた洞穴が貴重な遺跡だと気づかれ、
同年9月、ゴルヤノヴィッチ氏は助手で学生のステパン・オステルマン氏と共に
その洞穴にて綿密で計画的な発掘を行なわれました。
発掘開始から33日目、絶滅した哺乳類/石器/炉の他に人間の化石が発見され、
ゴルヤノヴィッチ氏は当初これをホモ・サピエンスと判断されましたが、
後の調査でネアンデルタール人のものである事が解明されております。
ゴルヤノヴィッチ氏はここで出土した小さな破片に至るまで確認されていたため、
脊椎/肋骨/手足の骨などの細かい破片が集められました。
後にゴルヤノヴィッチ氏はこれを元にムスティエ文化に関わる
人間の化石を発見した事を発表され、同年12月16日にはこれらの成果から
クロアチア芸術・科学アカデミーにて講演を行われ、
ラ=ノレットやシプカにおいて発見された人類の化石について発表されました。
その後、研究に専念できる状況を得られると、ウィーンやブダペストにあった
現人種類の骨格を徹底的に調査され、フッ素年代決定法や
当時発見されたばかりのX線を用いた調査まで行われました。
1900年には再度発掘を行われましたが、翌年は結核のため休まざるを得ず、
1902年にオステルマン氏によって発掘が再開されました。
ゴルヤノヴィッチ氏は1903年後半から参加され、1905年まで続けられました。
1900年、これまでの研究が「ドイツ人類学 -民俗学- 先史学会通信」や、
ウィーンで発行される雑誌にも掲載される事となり、
多くの人類学者や解剖学者の方々から質問の手紙を受けられる事となりました。
1906年、「クロアチア、クラピナ出土の洪積期人」をドイツ語で出版されました。
この論文にはネアンデルタール人の化石についての記述だけではなく、
地質学的/層位学的資料、考古学の扱う遺物、動物の骨に関する論考が記載され、
これらのものがムスティエ文化期間のものであるという考えを発表されました。
1907年、オーストリア=ハンガリー帝国の宮廷顧問に任命されると
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世により金鎖賞を授与され、
その後もヨーロッパ各地にて研究発表や講演などを精力的に行われました。
1936年12月24日にゴルヤノヴィッチ氏は80年の生涯を閉じられましたが、
その後、アメリカの学者フレッド・スミス氏はユーゴスラビアを訪れた後に、
ザグレブ博物館にてネアンデルタール人の骨を拝見されました。
後にゴルヤノヴィッチ氏の出版物の翻訳を行われて世界に紹介されました。
海底火山の噴火によって出現した島をそのまま活用しているジャパリパークは、
その土地の地層に様々な化石などが含まれている可能性があります。
自然環境への影響を考えると無闇な発掘はもちろん厳禁でありますが、
その広大な土地には歴史的価値の高いものが含まれている可能性が考えられます。
人類の起源や歴史にはまだまだ不明な部分も多く、
その解明にはこれからも多くの人材や時間を要するのは間違いありません。
また、時代を遡るほど情報やツールの少なさ故に調査や解明がより難しい事から、
これまで解明に携わってこられた方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は経済学者でいらっしゃる篠原三代平(みよへい)氏の誕生日であります。
・1919年10月26日に富山県高岡市末広町にて雑貨商「篠原商店」の長男として
お生まれになり、高岡商業学校卒業後は高岡高等商業学校に進学され、
経済学者の大熊信行氏の講義を、氏の著書「マルクスのロビンソン物語」や
「経済本質論」を読み返されながら熱心に聴講されました。
大熊氏との交流は篠原氏が学者となられた後も続き、夏休みには大熊氏や、
高岡商業と東京商科大の先輩でいらっしゃる板垣與一氏と共に
軽井沢で過ごされるのが恒例となっておりました。
後の1993年6月19日に開催された「大熊信行先生生誕百年記念講演会」では、
板垣氏の主催者代表挨拶に続いて「大熊経済学の印象」の講演を行われました。
高岡高商を卒業後は東京商科大学(現在の一橋大学)にて
経済学者の中山伊知郎氏の門下に入られて経済学を学ばれましたが、
1941年から学徒出陣となったものの不整脈のため幹部候補生試験は不合格となり、
主計伍長として富山や鹿児島で従軍されました。
1942年9月に大学を繰り上げ卒業された後に高等商業学校の教師を目指されて、
卒業2か月前に師事されていた中山氏に相談されたところ「遅すぎる」と言われ、
結局、東京商科大学東亜経済研究所にて無給嘱託となる事が一旦決まり、
面接を受けられましたが「実証研究には向かない」と言われ、
無給嘱託の約束も取り消される結果となってしまいました。
そこで、東京商科大学に特別研究生として残られ、
3年後に論文「雇用理論と資本理論」を完成された後に、
大蔵省の財政経済実勢研究室の研究員に就任されました。
大蔵省にて4年間務められた後に、一橋大学経済研究所の助教授に就任され、
経済学者の大川一司氏の影響を受けられる形で、
理論研究から実証研究へと活動の重点を移されました。
その後、一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授、日本経済学会会長、
景気循環学会会長、財団法人アジア・クラブ理事長、統計研究会会長、
アジア経済研究所会長、財団法人全国統計協会連合会大内賞委員会委員長、
経済企画庁経済研究所所長、経済企画庁参与、
日本銀行参与、中央社会保険医療協議会委員、
経済企画庁景気動向指数研究会座長、経済企画庁景気基準日付検討委員会委員長、
日本道路公団経営改善委員会委員長、1992年物価安定政策会議議長、
総理府統計審議会会長、対外経済問題諮問委員会委員等の要職を歴任されました。
また、経済学者としての数々の功績が評価され、1984年に紫綬褒章を、
1988年に日本学士院賞を、1989年に勲二等瑞宝章を、
1998年に文化功労者を、2006年に文化勲章を授与されております。
また、2007年には武蔵野市名誉市民に選ばれております。
その後の2012年12月7日、東京都内の病院にて93年の生涯を閉じられました。
ジャパリパークはサンドスターやフレンズ、独自に設けられた研究施設など、
動物園としてはかなり異質とも呼べる施設ではありますが、
もちろんその存在は世の中の経済と無縁ではありません。
それどころか、お客様に料金を払っていただく代わりに
可能な限りのサービスを提供するための施設でもありますので、
他の施設と同様に経済と密接な関わりを持つ場所でもあります。
経済は国家の重要なバロメーターの一つであり、
早くから研究を重ねておられた方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は文字・活字文化の日であります。
この日が「読書週間」(「文化の日」を中心とした2週間)の第1日目である事と、
「文字・活字文化振興法」の第十一条により10月27日を
「文字・活字文化の日」とする事によって定められた記念日であります。
近年、電子機器等の普及で活字離れが問題視される中、
知識や知恵ひいては健全な民主主義の発達にも欠かす事の出来ない
文字や活字を正確に知る事が提唱されております。
また、文字・活字の使用は知的で心豊かな国民生活の実現に繋がるとして、
各地の図書館/出版社/書店などにて様々なイベントが開催される他、
出版活動への支援なども実施されております。
・文字・活字文化振興法は、文字・活字文化の振興を総合的に推進するための
国や自治体の基本的責務を定めた法律であります。
日本における文字・活字文化の振興に関する施策の推進を図り、知的で心豊かな
国民生活および活力のある社会の実現に寄与する事を目的としております。
活字文化という言葉から活版印刷の事と考えられがちでありますが、
要は出版そのものの事を指しているものであります。
超党派の国会議員286名から成る「活字文化議員連盟」において
法案が纏められ、2005年7月29日から施行されました。
骨子案には版面権(著作隣接権の一種)の創設も盛り込まれておりましたが、
当時はレコード輸入権創設への反対が叫ばれていた時代であり、
知的財産法制強化への反感が強まっていた時期だった事もあって、
最終的な法案には盛り込まれませんでした。
活字文化議員連盟は「文字・活字文化振興法の施行に基づく施策の展開」として、
地域における文字・活字文化の振興、学校教育に関する施策の他、
出版活動への支援も推進するよう求めており、その具体的な内容として、
「文字・活字にかかわる著作物再販制度の維持」や
「著作者及び出版者の権利保護の充実」を挙げております。
ジャパリパークでも他の施設と同様に活字が用いられ、
様々な情報の伝達や周知に欠かせないものとなっております。
また、パークには独自に図書館が設けられており、
楽しみながら活字に触れられる事が可能となっております。
高度な電子機器が広く普及して久しい昨今の世の中でありますが、
活字そのものへの理解が大きく衰退したとは考えづらいかと思われます。
しかし、学校教育の段階からそうであるように、筆記具を用いた読み書きを通じて
活字に触れる事こそ言語文化の常道であるという考えも当然の話であります。
この日を機に、活字文化が大きく広がる事を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は1888年に日本初の軽便鉄道となる、伊予鉄道(現在の伊予鉄グループ)の
松山(現在の松山市)~三津の路線が開業した日であります。
・軽便鉄道とは、一般的な鉄道よりも規格が簡便で、
安価に建設された鉄道の事であります。
建設費や維持費の抑制のため低規格で建設され、
軽量なレールの使用/地形的制約克服のための急カーブや急勾配/
一般的な鉄道よりも狭い軌間が採用される事が多いのも特徴である一方、
運行時は最高速度が低い上に輸送力も小さく、
軌間が異なる場合は積み替えや乗り換えの不便が生じてしまう事から、
産業の未成熟で多くの輸送力を必要としない地域で建設されております。
日本では法規的には「軽便鉄道法」に基づいて建設された鉄道を指しますが、
一般的には国鉄線や軌道法に基づいた軌道線を含めて、軌間1067mm
(狭軌・3フィート6インチ)未満の営業鉄軌道を軽便鉄道しております。
広義には軌間1067mm未満の森林鉄道/殖民軌道/鉱山鉄道など、
鉄道法規の規定によらない低規格の鉄道も含まれます。
なお、軽便鉄道法には軌間の規定が存在しなかったため、
建設された路線には1067mmや1435mm(標準軌)の路線も存在しておりました。
・日本で最初に1067mm未満の軌間を採用した鉄道は、1880年にイギリスからの
資材輸入で建設された工部省釜石鉱山鉄道で、イギリスの一部で見られた
838mmの軌間を採用した鉱石輸送用鉄道でありました。
この路線は開業から僅か2年で廃線され、車両や資材の一部三池炭鉱と、
1885年に開業した民間資本による阪堺鉄道に転用される事となり、
阪堺鉄道は1067mm未満の軌間を採用した日本初の私鉄となりましたが、
南海鉄道との直通の必要性から1897年12月には1067mmに改軌しております。
その後、「私設鉄道条例」や「私設鉄道法」の制定により、
鉄道の軌間は原則として国鉄と同じ1067mmとする事が政府方針となったため、
1888年10月28日に開業した伊予鉄道などを除いて、簡易規格の鉄道は
「軌道条例」に基づいた路線を除いて殆ど開業されませんでした。
1906年の「鉄道国有法」公布後は資本家が鉄道事業から撤退し、
「私設鉄道法」の開業条件の厳しさから私設鉄道の新規開業が殆ど無くなった中、
大日本軌道が創設されて「軌道条例」による蒸気軌道が建設される動きが起こり、
従来の「軌道条例」のまま全国に普及する事を好ましく思わなかった政府は、
1909年に条件を大幅に緩和した「軽便鉄道法」を、次いで国鉄線収益を財源とした
補助を規定する「軽便鉄道補助法」を制定する事となりました。
その結果、北海道を除く全国に軽便鉄道が爆発的に普及する事となり、
国も地方路線建設のために同法を利用し、「鉄道敷設法」に規定されていない
小規模路線を「軽便線」として多数計画/建設する事となりました。
その後、軽便鉄道ゆえのデメリットに加えて、路線バスの普及などによって
縮小傾向を迎えた事により1930年代からの新規開業例はほぼ途絶え、
1930年代末期までに多くの零細軽便鉄軌道が淘汰される事となり、
戦後の燃料不足に陥っていた1940年代後半こそ輸送量が増大したものの、
1950年代以降はモータリゼーションの進展によって経営が悪化し、
1970年代までにほぼ全ての路線が廃止される事となりました。
現在、軽便鉄道規格の営業鉄道は、四日市あすなろう鉄道内部・八王子線、
三岐鉄道北勢線、黒部峡谷鉄道が残るのみであります。
一方、施設規模や車両の小ささを活かして、
各地で動態保存の活動が活発に行われております。
また、遊園地などでは軽便鉄道規格の鉄道形遊戯施設が運行されております。
アニメ二期のジャパリパークにて運行されているジャパリラインは、
広大な園内周遊するために建設された専用のモノレール路線であります。
作中の描写から軽便鉄道のような小規模な車両とは考えづらく、
おそらく標準的なモノレール路線と同様のものであろうと考えられます。
日本の鉄道の歴史で思い浮かびやすいのは国鉄およびJRかもしれませんが、
国内には私鉄や第三セクターなど多くの鉄道が存在しており、
軽便鉄道も日本の鉄道の歴史に名を残す存在に間違いはありません。
この日を機に、様々な鉄道に目を向けられるのも良いかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日はワンオーガニックデイであります。
「ワン(1)オー(0)ガニ(2)ック(9)」の語呂合わせに因んで、
総純寺学園 清流みずほ認定こども園によって制定されました。
ワンオーガニックデイとは、1年のうち1日だけでも身につける物や
口にする食べ物などすべての安全安心を意識しようという取り組みで、
様々な化学物質や多様な薬の飛散が一因で引き起こされる子供達の健康管理や、
アレルギー体質への対策を図る事が目的となっております。
この日をきっかけに出来る事から始めると共に周りの方々に伝え、
自然との共生や持続可能な社会を目指せるようにとの願いが込められております。
・公認学校法人 総純寺学園は、岐阜県にて幼稚園/保育園/認定こども園を
運営している学校法人で、ドイツのシュタイナー博士の理論に基づいて、
日本の伝統文化に相応しく練り上げた独自の教育方式
「リーベリースタイル」を採用しているのが大きな特徴となっております。
大切な幼児期を”愛と温もりそして本物の環境”を主題として、
子供達を安心/安全な愛に包まれた環境の中で育てる事を目的としております。
1967年10月に学校法人総純寺学園若草幼稚園を認可。
1968年4月に学校法人総純寺学園若草幼稚園を開園。
ピアジェの教育理論に基づき教育を開始。
1971年に若草幼稚園遊戯室が完成。
1972年1月に学校法人総純寺学園若草第二幼稚園を認可。
1973年4月に学校法人総純寺学園若草第二幼稚園を開園。
1982年8月に加納美智子理事長がドイツ・ハノーヴァの
国際幼児教育学会にてシュタイナー幼稚園を視察。
1983年にリトミック音楽教育を導入。
1984年に「シュタイナー教育」の導入/実践に伴って年間行事を見直し。
1985年に若草幼稚園新園が完成。
1986年にクレヨン画/水彩画/蜜ろう粘土を導入。
1987年に教諭がドイツ・シュタイナー幼稚園視察研修会へ参加。
年間を通じたメルヘン計画を立案。
1991年9月~1993年9月に加納精一副園長がシュタイナー幼稚園にて実習、
ヴァルドルフ幼稚園教員養成所にて受講。
1999年にサポートペアレンツシステム(子育て支援預かり保育)を導入。
2003年に学校法人総純寺学園清流みずほ幼稚園を認可。
2004年に学校法人総純寺学園清流みずほ幼稚園を開園。
2005年に平成16年度岐阜県私立学校教育振興費助金(学校ブランド化振興事業)で
若草幼稚園/子育て支援センター/モアマームを開設。
2006年に加納美智子氏の著書「今日からできる7歳までのシュタイナー教育」発刊。
社会福祉法人清流会 清流みずほ保育園を開園。
2007年に学校法人総純寺学園創立40周年記念式典を開催。40周年記念誌を発刊。
2008年12月に平成20年私立大学等経営費補助金
[私立高等学校等経営費補助(教育改革推進モデル事業)]により
文部科学省指定校として選出。
研究課題「食育・農育・環境教育=連鎖教育から培う力」を発表。
2009年4月に認定こども園 なのん保育園を開園。
若草第二幼稚園を若草幼稚園に合併。
10月に「子どもの生活習慣づくりフォーラムin中部」にて事例を発表。
テーマ「楽しく安全な食事から生れる生活リズム」
2010年10月にドイツ・シュタイナー幼稚園視察研修会に参加。
平成22年度岐阜県幼児教育緊急環境整備事業費補助金で遊具設置。
2011年4月に認定こども園 おひさま保育園を開園。
認可外保育施設 ままん保育園を開設。
12月に「全国学校・園庭ビオトープコンクール2011」にて
日本生態系協会賞を受賞。
2012年11月に学校法人総純寺学園 創立46周年・清流みずほ幼稚園記念式典
「子どもと大人のためのオイリュトミー公演」を開催。
2013年2月に清流みずほ幼稚園が「若者が選ぶ魅力的な会社100選」に認定。
2014年8月にスイス・ドイツ・シュタイナー幼稚園の視察研修会に参加。
2015年4月に子ども・子育て支援新制度がスタート。
(清流認定こども園/わかくさ幼稚園/なのん保育園)
2016年4月に「清流みずほ認定こども園」として岐阜県知事より認可。
学校法人立の幼保連携型認定こども園として新たにスタート。
2017年11月に学校法人総純寺学園創立50周年記念式典を開催。
2018年3月に清流認定こども園保育園棟を新築、みんなのホールが完成。
清流みずほ認定こども園乳児棟を増設、リーベリーホールが完成。
ジャパリパークではお客様/フレンズ/職員など園内の皆様が
安心安全な飲食を行えるように様々な取り組みが行われており、
農薬などの様々な化学物質やアレルギー体質などに向けた様々な対策は、
栽培から加工製造を経て提供に至るまで万全を期しているものと考えられます。
食の安心安全が世代を問わず強く意識される昨今において、
ワンオーガニックデイなどの取り組みは更に重要視されるものであり、
これから先の世代のための更なる発展が期待されるところであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。
本日は1973年に、ボスポラス海峡に架かるボスポラス橋が完成した日であります。
・「7月15日殉教者の橋」はトルコのイスタンブールにて、
ヨーロッパ部分(オクシデント)とアジア部分(オリエント)を隔てる海峡である
ボスポラス海峡に架かる吊橋であります。
かつては「ボスポラス橋」もしくは「ボスポラス大橋」と呼ばれ、
1988年に海峡に建設されたもう一つのボスポラス橋
(「ファーティフ・スルタン・メフメト橋」・通称「第二ボスポラス大橋」)と
区別するため、「第一ボスポラス大橋」と呼ばれる事もありました。
・ボスポラス海峡を繋ぐために橋を架ける計画は、1957年に当時の首相の
アドナン・メンデレス氏により決定されました。竣工した1973年10月30日は、
トルコ共和国建国50周年記念日の翌日にあたります。
2016年7月15日に軍の一部が起こしたクーデター未遂事件では兵士が橋を封鎖し、
これに抵抗した市民が犠牲になるなど象徴的な場所となった事から、
同年7月25日にビナリ・ユルドゥルム首相により
現在の名称に改称される事が発表されました。
その後、建設から30年以上経過した上に想定交通量を大きく上回る交通量から、
大型貨物車両の通行制限を行わざるを得ないほど劣化が進んでいた事を受けて、
2013年12月から2019年3月にかけて、株式会社IHIインフラシステムなどの
共同企業体によって大規模修繕工事が実施されました。
この工事では、従来斜めに張られていた240本のハンガーロープを
鉛直に張り直す作業を交通開放した状態で実施するという、
世界初の試みが行われるなど「質の高いインフラ」の輸出に貢献したとして、
2021年6月18日に「第4回JAPANコンストラクション国際賞」の
建設プロジェクト部門において国土交通大臣表彰が授与されました。
・全長1510m/中央支間長1074m/幅員39m(6車線)/高さ64m/主塔の高さ105mで、
全体の負荷がかかる橋梁中央部では90cm程度たわんでおります。
交通量は建設当時の大きく上回る、1日あたり約180000台であります。
平日は時間帯により中央線の位置が変わり、平日朝の通勤時間帯は
交通の多くがヨーロッパ側へ向かう西行きのため、6車線のうち4車線が
西行き交通に割り当てられております。一方、平日夕方は4車線が
アジア側へ向かう東行き交通に割かれ、西行きは2車線のみとなります。
開通後4年間は塔内エレベーターを用いて橋を徒歩で渡る事ができましたが、
現在では歩行者や商用車の通行は禁止されております。
料金所は橋の東側に設置されており、ヨーロッパ側から
アジア側へと向かう車両に限り通行料が課されます。
支払いは、OGSと呼ばれる料金自動収受システムもしくは
KGSと呼ばれるプリペイドカードシステムに完全移行しており、
2006年より現金による支払いはできなくなっております。
2009年12月14日、間寛平氏がアースマラソンの走破横断手段として、
通常歩行者の通行ができない第一ボスポラス大橋を通行され、
その際には車道から橋に入られて走破横断されました。
ジャパリパークは幾つもの島によって構成されている動物園施設であり、
それぞれの島は近隣の島と橋によって結ばれております。
また、アニメ一期の第二話「じゃんぐるちほー」においては、
ちほー内の河川を渡るための橋が複数架けられているものと考えられます。
じゃんぐるちほーは雨が降ればスコールのように激しい場合が考えられ、
大幅に増える水量によって「川の形が変わる」状態となる事も珍しくありません。
劇中の「あんいんばし」の崩壊が水量の増加によるものなのか、
それともセルリアンの襲来の影響によるものなのかは判然としておりません。
「7月15日殉教者の橋」のように、竣工からの年月の経過によって老朽化が進行し、
大規模な改修が必要なインフラの増加は多くの国にとって大きな課題であり、
日本においてもインフラは高度成長期に竣工されたものが特に多く、
整備や維持には多くの費用/年月/人材などの確保が目下の課題であります。
そのような状況の中において、私達が安心して暮らすための
インフラの整備に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。