本日は1973年に、ボスポラス海峡に架かるボスポラス橋が完成した日であります。
・「7月15日殉教者の橋」はトルコのイスタンブールにて、
ヨーロッパ部分(オクシデント)とアジア部分(オリエント)を隔てる海峡である
ボスポラス海峡に架かる吊橋であります。
かつては「ボスポラス橋」もしくは「ボスポラス大橋」と呼ばれ、
1988年に海峡に建設されたもう一つのボスポラス橋
(「ファーティフ・スルタン・メフメト橋」・通称「第二ボスポラス大橋」)と
区別するため、「第一ボスポラス大橋」と呼ばれる事もありました。
・ボスポラス海峡を繋ぐために橋を架ける計画は、1957年に当時の首相の
アドナン・メンデレス氏により決定されました。竣工した1973年10月30日は、
トルコ共和国建国50周年記念日の翌日にあたります。
2016年7月15日に軍の一部が起こしたクーデター未遂事件では兵士が橋を封鎖し、
これに抵抗した市民が犠牲になるなど象徴的な場所となった事から、
同年7月25日にビナリ・ユルドゥルム首相により
現在の名称に改称される事が発表されました。
その後、建設から30年以上経過した上に想定交通量を大きく上回る交通量から、
大型貨物車両の通行制限を行わざるを得ないほど劣化が進んでいた事を受けて、
2013年12月から2019年3月にかけて、株式会社IHIインフラシステムなどの
共同企業体によって大規模修繕工事が実施されました。
この工事では、従来斜めに張られていた240本のハンガーロープを
鉛直に張り直す作業を交通開放した状態で実施するという、
世界初の試みが行われるなど「質の高いインフラ」の輸出に貢献したとして、
2021年6月18日に「第4回JAPANコンストラクション国際賞」の
建設プロジェクト部門において国土交通大臣表彰が授与されました。
・全長1510m/中央支間長1074m/幅員39m(6車線)/高さ64m/主塔の高さ105mで、
全体の負荷がかかる橋梁中央部では90cm程度たわんでおります。
交通量は建設当時の大きく上回る、1日あたり約180000台であります。
平日は時間帯により中央線の位置が変わり、平日朝の通勤時間帯は
交通の多くがヨーロッパ側へ向かう西行きのため、6車線のうち4車線が
西行き交通に割り当てられております。一方、平日夕方は4車線が
アジア側へ向かう東行き交通に割かれ、西行きは2車線のみとなります。
開通後4年間は塔内エレベーターを用いて橋を徒歩で渡る事ができましたが、
現在では歩行者や商用車の通行は禁止されております。
料金所は橋の東側に設置されており、ヨーロッパ側から
アジア側へと向かう車両に限り通行料が課されます。
支払いは、OGSと呼ばれる料金自動収受システムもしくは
KGSと呼ばれるプリペイドカードシステムに完全移行しており、
2006年より現金による支払いはできなくなっております。
2009年12月14日、間寛平氏がアースマラソンの走破横断手段として、
通常歩行者の通行ができない第一ボスポラス大橋を通行され、
その際には車道から橋に入られて走破横断されました。
ジャパリパークは幾つもの島によって構成されている動物園施設であり、
それぞれの島は近隣の島と橋によって結ばれております。
また、アニメ一期の第二話「じゃんぐるちほー」においては、
ちほー内の河川を渡るための橋が複数架けられているものと考えられます。
じゃんぐるちほーは雨が降ればスコールのように激しい場合が考えられ、
大幅に増える水量によって「川の形が変わる」状態となる事も珍しくありません。
劇中の「あんいんばし」の崩壊が水量の増加によるものなのか、
それともセルリアンの襲来の影響によるものなのかは判然としておりません。
「7月15日殉教者の橋」のように、竣工からの年月の経過によって老朽化が進行し、
大規模な改修が必要なインフラの増加は多くの国にとって大きな課題であり、
日本においてもインフラは高度成長期に竣工されたものが特に多く、
整備や維持には多くの費用/年月/人材などの確保が目下の課題であります。
そのような状況の中において、私達が安心して暮らすための
インフラの整備に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。