本日は経済学者でいらっしゃる篠原三代平(みよへい)氏の誕生日であります。
・1919年10月26日に富山県高岡市末広町にて雑貨商「篠原商店」の長男として
お生まれになり、高岡商業学校卒業後は高岡高等商業学校に進学され、
経済学者の大熊信行氏の講義を、氏の著書「マルクスのロビンソン物語」や
「経済本質論」を読み返されながら熱心に聴講されました。
大熊氏との交流は篠原氏が学者となられた後も続き、夏休みには大熊氏や、
高岡商業と東京商科大の先輩でいらっしゃる板垣與一氏と共に
軽井沢で過ごされるのが恒例となっておりました。
後の1993年6月19日に開催された「大熊信行先生生誕百年記念講演会」では、
板垣氏の主催者代表挨拶に続いて「大熊経済学の印象」の講演を行われました。
高岡高商を卒業後は東京商科大学(現在の一橋大学)にて
経済学者の中山伊知郎氏の門下に入られて経済学を学ばれましたが、
1941年から学徒出陣となったものの不整脈のため幹部候補生試験は不合格となり、
主計伍長として富山や鹿児島で従軍されました。
1942年9月に大学を繰り上げ卒業された後に高等商業学校の教師を目指されて、
卒業2か月前に師事されていた中山氏に相談されたところ「遅すぎる」と言われ、
結局、東京商科大学東亜経済研究所にて無給嘱託となる事が一旦決まり、
面接を受けられましたが「実証研究には向かない」と言われ、
無給嘱託の約束も取り消される結果となってしまいました。
そこで、東京商科大学に特別研究生として残られ、
3年後に論文「雇用理論と資本理論」を完成された後に、
大蔵省の財政経済実勢研究室の研究員に就任されました。
大蔵省にて4年間務められた後に、一橋大学経済研究所の助教授に就任され、
経済学者の大川一司氏の影響を受けられる形で、
理論研究から実証研究へと活動の重点を移されました。
その後、一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授、日本経済学会会長、
景気循環学会会長、財団法人アジア・クラブ理事長、統計研究会会長、
アジア経済研究所会長、財団法人全国統計協会連合会大内賞委員会委員長、
経済企画庁経済研究所所長、経済企画庁参与、
日本銀行参与、中央社会保険医療協議会委員、
経済企画庁景気動向指数研究会座長、経済企画庁景気基準日付検討委員会委員長、
日本道路公団経営改善委員会委員長、1992年物価安定政策会議議長、
総理府統計審議会会長、対外経済問題諮問委員会委員等の要職を歴任されました。
また、経済学者としての数々の功績が評価され、1984年に紫綬褒章を、
1988年に日本学士院賞を、1989年に勲二等瑞宝章を、
1998年に文化功労者を、2006年に文化勲章を授与されております。
また、2007年には武蔵野市名誉市民に選ばれております。
その後の2012年12月7日、東京都内の病院にて93年の生涯を閉じられました。
ジャパリパークはサンドスターやフレンズ、独自に設けられた研究施設など、
動物園としてはかなり異質とも呼べる施設ではありますが、
もちろんその存在は世の中の経済と無縁ではありません。
それどころか、お客様に料金を払っていただく代わりに
可能な限りのサービスを提供するための施設でもありますので、
他の施設と同様に経済と密接な関わりを持つ場所でもあります。
経済は国家の重要なバロメーターの一つであり、
早くから研究を重ねておられた方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。