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みんみ教徒の集い / 3499

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流浪のみんみ教徒 2022/10/21 (金) 03:33:33 457e0@2072a

本日は1970年に女性解放準備会などによって
日本初のウーマン・リブのデモが行われた日であります。
 ウーマン・リブとは、1960年代後半から1970年代前半にかけて、
 主とヨーロッパ/アメリカ/日本などの国々で起こった女性解放運動であり、
 その呼称は英語表記の女性解放運動の日本における略語で、
 「ウーマンリブ」と表記されたり、単に「リブ」の略称でも呼ばれます。
 「フェミニズム」及び「ジェンダー」の原点ともいわれており、
 19世紀後半から20世紀前半の女性参政権運動を「第一波フェミニズム」、
 ウーマン・リブを「第二波フェミニズム」と呼ぶ事もあります。
 第一次/第二次大戦の最中、若者の男性は兵士として戦場に駆り出され、
 女性は国内の生産現場にて衣服などの生産を担っておりました。
 第二次大戦後の1950年代になると、帰還兵の就職口を作るために
 働いておられた女性は職を手放さなければならない状況となりましたが、
 多くの女性はその後も工場/農場/伝統的な女性職の領域で働き続けられました。
 戦争が引き起こした人手不足は女性の積極的労働参加を促す事となり、
 「女性も男性と同じ仕事ができる」と仕事における自信をもたらす事に繋がり、
 この女性の社会的自立が後のウーマン・リブ運動の気運を高めたといえます。
 そして、ベトナム戦争の反戦運動と共に、男社会に対する不満を抱えた
 女性の方々によるウーマン・リブ運動がアメリカ中を席巻する事となりました。
 このベトナム反戦運動や公民権運動に連動する形で、
 性による役割分担に不満を持っておられた高学歴主婦や女子学生を中心に、
 「男女は社会的には対等・平等であって、生まれつきの肌の色や性別による
  差別や区別の壁を取り払うべきだ」という考えのもとで開始され、
 1979年に国際連合の総会において「女子差別撤廃条約」が採択されるなど、
 その後の男女平等社会の推進に大きく貢献する事となりました。
 伝統的な女性のイメージは根本から否定されて女性の労働が当たり前となり、
 それまで殆ど男子校同然だった大学で女子の入学が認められ、
 男性中心だった学問に女性学が導入される事となりました。
 ウーマン・リブは反キリスト教運動も兼ねている側面も持ち合わせており、
 それまで禁止されていた人工妊娠中絶を認める法律にも繋がっております。
 日本での運動のきっかけは1960年代後半の全共闘運動にありますが、
 最もラジカルに既成秩序の打破を訴えた全共闘運動においてさえ、
 街頭デモに繰り出すのは男子学生で、女子大生はキャンパスの中で
 おにぎり作りという役割に従事させられた事から、
 「女性は男の奴隷ではない」との主張が生まれる事となりました。
 1970年10月20日に女性解放準備会などによってウーマン・リブのデモが、
 同年11月14日には第一回ウーマンリブ大会が東京都渋谷区で開催され、
 これが「男女雇用機会均等法」の制定に大きな役割を果たす事となりました。
 また、学園祭の定番であるミス・コンテストが、男性視点による美醜で
 女性を評価するのは差別に当たるとして、後に中止に追い込まれております。
ジャパリパークにおいて職員の男女比は明らかとなってはおりませんが、
経営などの分野においても女性の活躍の場は多く存在していると考えられ、
ミライ様や菜々様のようにパークガイドで活躍されている方々や、
カコ様のように研究施設にて活躍されている方々のように、
多くの女性が活躍しておられるであろうと考えられます。
現在、国際連合が掲げる開発目標「SDGs」においても
「ジェンダーの平等」が盛り込まれている事から、男女平等の気運は
ウーマン・リブの時代から大きく進んだものとなっております。
しかし、日本は様々な分野において男女の格差が多く存在しており、
世界の潮流から取り残されつつある状況と言っても過言ではありません。
これからの日本のジェンダー状況の改善と共に、
あらゆる方々が活躍できる世の中となる事を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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