本日はクロアチアの地質学/古生物学/考古学者でいらっしゃる、
ドラグティン・ゴルヤノヴィッチ=クランベルガー氏の誕生日であります。
・1856年10月25日、ザグレブにて靴屋兼旅籠屋を営まれていた
マティーヤ・クランベルガー氏とテレジヤ・ドゥシェック氏の一人息子として
お生まれになり、年少期には隣にお住まいの国立博物館の薬剤師/剥製師の
スラヴォ・ウォルマスティーニ氏が所有される書籍「博物館」を読まれていた他、
郵便局員のゲンナー氏が趣味で収集しておられた
魚の化石を調べられるなど博物学に没頭されておりました。
学校に通われ始めると当時としては高度な学校である師範学校へ進学され、
そこからチューリッヒ大学へと進学された後にミュンヘン大学へと移られ、
カール・チッテル氏の元で古生物学の研究を始められました。
1879年、カルパティア山脈における魚類化石の研究により、
テュービンゲン大学より自然科学博士号を授与されました。
その後にクロアチアへ帰国され、政府の教育資金を獲得された上で
ウィーンにて地質学や古生物学を更に深められました。
1880年に帰国されるとザグレブの国立博物館に就職され、
鉱物学や地質学部門の主事として務められました。
1881年、民族意識がクロアチア内で高まりを見せ始めると自身のドイツ系の姓
「クランベルガー」にクロアチア系の姓「ゴルヤノヴィッチ」を追加されました。
博物館ではフィールドワークなどの精力的な活動を行われると共に、
化石魚類に関する科学論文の発表や、時にはクロアチア地質調査局の設立や
ザグレブ市内の水道管整備計画にも参加されました。他にクロアチア博物学会や
山岳会を設立された後にザグレブ大学の教授に就任され、
1892年には芸術・科学アカデミーの準会員となられ、
その翌年には博物館の部長に就任されました。
これらの功績から1890年代末にはゴルヤノヴィッチ氏はクロアチアのみならず
ヨーロッパ各地でも古生物学者/解剖学者として知られる事となりました。
1899年にはサイなどの化石が発見されたクラピナへ向かわれ、
建築用砂採集場として使用されていた洞穴が貴重な遺跡だと気づかれ、
同年9月、ゴルヤノヴィッチ氏は助手で学生のステパン・オステルマン氏と共に
その洞穴にて綿密で計画的な発掘を行なわれました。
発掘開始から33日目、絶滅した哺乳類/石器/炉の他に人間の化石が発見され、
ゴルヤノヴィッチ氏は当初これをホモ・サピエンスと判断されましたが、
後の調査でネアンデルタール人のものである事が解明されております。
ゴルヤノヴィッチ氏はここで出土した小さな破片に至るまで確認されていたため、
脊椎/肋骨/手足の骨などの細かい破片が集められました。
後にゴルヤノヴィッチ氏はこれを元にムスティエ文化に関わる
人間の化石を発見した事を発表され、同年12月16日にはこれらの成果から
クロアチア芸術・科学アカデミーにて講演を行われ、
ラ=ノレットやシプカにおいて発見された人類の化石について発表されました。
その後、研究に専念できる状況を得られると、ウィーンやブダペストにあった
現人種類の骨格を徹底的に調査され、フッ素年代決定法や
当時発見されたばかりのX線を用いた調査まで行われました。
1900年には再度発掘を行われましたが、翌年は結核のため休まざるを得ず、
1902年にオステルマン氏によって発掘が再開されました。
ゴルヤノヴィッチ氏は1903年後半から参加され、1905年まで続けられました。
1900年、これまでの研究が「ドイツ人類学 -民俗学- 先史学会通信」や、
ウィーンで発行される雑誌にも掲載される事となり、
多くの人類学者や解剖学者の方々から質問の手紙を受けられる事となりました。
1906年、「クロアチア、クラピナ出土の洪積期人」をドイツ語で出版されました。
この論文にはネアンデルタール人の化石についての記述だけではなく、
地質学的/層位学的資料、考古学の扱う遺物、動物の骨に関する論考が記載され、
これらのものがムスティエ文化期間のものであるという考えを発表されました。
1907年、オーストリア=ハンガリー帝国の宮廷顧問に任命されると
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世により金鎖賞を授与され、
その後もヨーロッパ各地にて研究発表や講演などを精力的に行われました。
1936年12月24日にゴルヤノヴィッチ氏は80年の生涯を閉じられましたが、
その後、アメリカの学者フレッド・スミス氏はユーゴスラビアを訪れた後に、
ザグレブ博物館にてネアンデルタール人の骨を拝見されました。
後にゴルヤノヴィッチ氏の出版物の翻訳を行われて世界に紹介されました。
海底火山の噴火によって出現した島をそのまま活用しているジャパリパークは、
その土地の地層に様々な化石などが含まれている可能性があります。
自然環境への影響を考えると無闇な発掘はもちろん厳禁でありますが、
その広大な土地には歴史的価値の高いものが含まれている可能性が考えられます。
人類の起源や歴史にはまだまだ不明な部分も多く、
その解明にはこれからも多くの人材や時間を要するのは間違いありません。
また、時代を遡るほど情報やツールの少なさ故に調査や解明がより難しい事から、
これまで解明に携わってこられた方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。