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我々のめざす喧嘩 / 29

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KANAME 2019/12/06 (金) 17:57:46 修正 >> 27

ふーん。

じゃあ

これは話し合いになっとるか?
ケース3もケース4も
罵倒以外に理由があるが?

水掛け論を「喧嘩」と見なすことはできるが…
「なんとなく勝ってる雰囲気」を出したいがために、ずっと同じ主張をお互いに繰り返し続ける状況は、「表現の自由」という名のもとに許されるべきか?
あるいは、意図的にそういった流れを誘発する行為は、「最低限の会話」と呼べるのか?


昔、論コミュではYouTubeのようなgoodボタンとbadボタンというシステムがあって、そこの会員にコメントがbadを押されまくった人は強制排除されることで自家浄化させるという仕組みがあった。
「荒れない議論サイト」を作るためのものだった。

当時を振り返ると、なかなかちゃんと機能していたように思う。
しかしそれは「既存の会員の価値観が一定のレベルを超えていた」からこそなせる技で、仮に喧嘩界で同様の仕組みを取り入れても失敗する可能性が高いだろう。
一部の賢者を除いて、「勝ち」に固執するあまり、まともな判断ができるとは到底思えないからだ。
しかも半会員制かつ村社会なので、隣町から数を集めて不正な判断を後押しする者が現れることが容易に想像できる。

「我々のめざす喧嘩」をコミュニケーションの妨げにならない最低限会話できるもの、かつ面白く、酷くないものだと定義したとき、それには何が必要だと思う?


わたしが「我々のめざす喧嘩」として疑問視しているのは、雰囲気のことです

なので、その質問は、お門違いです

珍妙なことを言うね。
「面白さ」も「酷さ」も雰囲気のひとつとは数えられないのかな。

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