パパの会改め町内会。 平和な世界で艦娘(元艦娘)ときままな日常を送ろう。 らぶいずおーる。
「…はい、わかった。じゃその日で」 通話終了の文字列をタップしてやけに虚しくなるのは、受話器を置く重みか、ボタンを押す手ごたえがないからだろう。スマートフォンが普及してから数えるには少しばかり骨の折れる年月が流れた今も、つい小説内では「がちゃり」なんて使いそうになる。デジタル派で丁寧な仕事のお衣のおかげで何とかなっているけれど、これがアナログ愛好で変わり者の青葉だったら、すぐに登場人物がショルダーフォンを背負うことになる。 そんなことを考えていると、今度こそ本当にがちゃり。今度は扉。 「調子はどう?」 「あ、村雨ちゃん。お茶ありがと」 「はいはい、どういたしまして。…んー?」 「…何かな?」 僕の目をじっと見てくる。続いて、頭、指先? 「な、なに?汚れてる?」 「新しい打ち合わせでも決まった?」 「あれ、電話聞こえてた?」 「いーえ?」 日付をメモした手帳は、すでに閉じてある。その他、手掛かりになりそうなものは走り書きすらない。 「それが妻ってもの、よ」 「なんで」と問うことにすら先手を取って、上機嫌に肩に手を置いてくる彼女の表情は見るまでもなく満面の笑みで、纏う空気はいつも通り……。 「いや、違うな」 「…なに?私が妻じゃ不満?それとも勘のいい女はお嫌いになった?」 「いやいや、滅相もない」 「じゃあ、な・ぁ・に?」 「いつもと雰囲気違うなって」 「あら?そうかしらん?」 軽く返してくれるけど、ちょっと不機嫌そうな、試すような、尋常じゃない雰囲気。こりゃめったなことは言えないな。 「……ん。においが違う。シャンプー変えた?」 「…せーかい。サンプルをもらったの。これしゅき?」 「たまにはこういうのもいいかも。でも、村雨ちゃんが好きなのが一番かにぇあ」 的中されたのが悔しいのか、言い切る前に頬を挟まれる。「にゃにを」と彼女のほうを見れば、僕と同じようにつぶれ饅頭。どうやら、僕の手が先に香りに誘われて果実を捕まえてしまっていたらしい。罪な女性だこと。 「はなひて?」 「やぁら」 「えひひ」 「ふふふ」 離れようとするのは、離そうとしないのは、どちらなんだか。ほどほどにしておこうかな、と思っているとまたもや扉の開く音。今度は遠く、玄関から。 「ただいまーっ!」 「おかえりーっ!」 「手ぇ洗ってなさーい!」 恋人気分はここまで。うなずき合って、僕らのお姫様の待つリビングへ。 紅色の便りを肩に乗せて、曇りない笑顔はまさに秋晴れだ。
「そういえば、どうだったの。打ち合わせ」 「ぶぇ?」 奇しくも数日前と同じように頬を弄られてるタイミングで村雨ちゃんが聞いてくる。今度のお手手の主は朝霜で、ゲームに連勝して上機嫌らしい。運が強く絡むゲームとはいえ、負けは負けである。甘んじておもちゃになろう…といじくられている矢先のこと。 「しょうらな…やっぱり初めてのひとらから、まだひょっとぎほひないかにゃ」 「パパなんて言ってるの?」 「パパ新しいお仕事の人とまだお友達になれてないって」 「え~、頑張ってよぉ」 「かんばう、かぁんばうよ」 頑張る、という決意表明すら頑張ってこれ。いい加減に飽きてくれないかな。それかすべすべの村雨ちゃんかもちもちの睦月のほう行ってくれないか。乗せてる脚もしびれてきた。健康的に育ってるから尊い重さなんだけどさ。ギブアップ、タップタップ。言葉のいらない意思表示。応じて、手を放してくれたけれど、彼女はまだどかない。僕の肩をつかんで一緒に揺れながら、第二ラウンドなんだろうか。風呂で磨かれた髪は、結んでいないこともあっていつもより静かに波を作る。 「にしし、あー面白かった。それで、あたいの出番はどうなった?」 「ん、ちゃんとあったよ」 「うしゃっ!」 「でも、あくまで学校優先だからな。宿題とかいろいろな」 「…はーい」 このころころ変わる表情、どれも魅力的なんだから、わが娘ながら期待が持てる。 「それにしても、初めてとは思えない目の利きようだったな」 「ふ~ん、そんなにすごいのか。どんな人?」 「マイペースな感じで…でもたまに鋭くて…あんまり会ったことないタイプ。ポーラっぽい…?そうだ、睦月の友達の山雲ちゃんだっけ。あの子に似てたな」 「ふぇ?山雲ちゃんみたいな……おじさん?」 「いや、お姉さん。僕や村雨ちゃんくらい」 暗に自分たちがお兄さん、お姉さんで通ることを主張してみる。娘にしてもしょうがないが、何事も練習だ。 「おねえさん!」 「ほー。父ちゃん、浮気すんなよー?」 キョトンとした顔から、一気に明るくなった睦月。意地悪な顔できれいな目と歯をぎらつかせる朝霜。どちらもいい笑顔だけど、朝霜、それはいかんよ。 「何を言ふんだ」「そんなことしないわよね?あなた?」 「パパはママ大好きだもんね!」 髪の手入れを終えた二人が、ソファーへ。朝霜に注意をしようとしたところで、いつの間にか背後を取られて、頬をつつかれ釘を刺される。流行りなのか、これ。 「しないよ。村雨ちゃん大好き」 「知ってますよ。私も大好き」 「ひゅーお熱いお熱い。睦月、逃げるぞー!」 「きゃーっ」 はじけるようにソファーから飛び出していく。行先は子供部屋か、執務室か?寝る前のストレッチ、運動会の序章として、一丁リベンジしてやりますか。 出撃までのカウントダウン、30秒を数えつつ思う。夫婦でべたべたしすぎは、教育にいいのか悪いのか。今度相談してみようかと思ったけど、誰に相談すればいいのかわからなかった。制作陣みんな既婚っぽいし、今度話題にしてみよう。
寝室にて。 「編集さんは本当元気な人。青葉とお衣と同じくらい…いや、二人を足したような」 「あらぁ…そんな人なら大変だったんじゃない?」 「でも、いい人だよ。魔法使いさんも、まだとっつきにくさはあるかなー。けど…」 「けど?」 「たぶん、うまくいく。みんながいるから」 「ふふ。そうね」 口づけののち、消灯。
ピロロロロロ…… 僕の携帯電話からデフォルトの着信音が響く。 お、来た来た。 それを持つと緑色の通話のボタンを押して耳へつけた。 「終わったわ、そこで待ってて」 「分かった、気をつけて」 「ええ」 思ったとおり、電話の主は雲龍からだった。 声のトーンは平坦。 それをどう判断していいのか悩むが、きっと悪い事は無かったんだろうなと僕には思える。 根拠は無い、ただの勘ではあるけれど。 駐車場に止めた自動車の中。 僕は大人しく待つことにした、妻の言う通りに。
「ただいま」 「お疲れさまでした」 電話に出てから5分後くらいだろうか、緊張したからなのか表情が暗い妻がドアを開けて助手席に乗り込んで来る。 席につくとおもむろに日曜夕方のアニメに出てくるであろうかけていたグルグル眼鏡を外した。 「いかがでしたか、ヴォルケ先生?」 「……その呼び方はダメ」 僕なりにリラックスさせるためのジョークで言った名前は恥ずかしいのか一蹴され、少し睨まれた。 僕からしたらとてもかっこいいと思うけどなあ。 親しい人にはそういった芸名では呼ばれたくないのだろうか。 「やっぱり緊張してたみたいだね」 「……分かるの?」 「そりゃそれだけ額に冷や汗を浮かべてればね、ほら拭いてあげるから」 嫁の額には雫が浮かんでおり、相当緊張していた様子が容易に想像できる。 ハンドタオルで額を吹くとフワッと香水の香りがした。普段香水なんて全く付けないのに気合入れたんだなあ。 ほんのり甘い感じのするこの香りはジャスミンだったっけ。僕の好きな香りだ。
さて、某出版社の駐車場から僕の車は天城のパティスリーへと向かう。 まっすぐ家に帰りたかったがお店には山雲がいるからそのお迎えがあるのだ。 以前、妻と二人で話し合いも兼ねて天城のパティスリーに行ったことを山雲に話したら、『ずるいわー』と怒られた。 なのでその穴埋めではないが、天城のお店のケーキを食べて待ってていいよと約束したのだ。 店に着き、たくさんのケーキがところ狭しと並んでいるガラスケースを見つけると山雲は目を輝かせていた。 女の子は老若問わず甘いものが好きなのだと、改めて知ることになるとは。
天城の店に向かう最中、雲龍から今日の話し合いについて僕に教えてくれた。
「飛龍、青葉さんと衣笠さんもお立ち会いとは思わなかったわ」 「へー。 てっきり村雨さんのの旦那さんとサシで話し合いかと思ったけど、お互いの編集さんがいたんだ」 「そうね、青葉さんと衣笠さんとは数回くらいしか話したことがないから……」 「緊張したの?」 「とてもね」
さっきの額の汗はそういう事か。 人見知りな雲龍が面識のあまりない他分野の方と話すだけではなく、作家を纏める立場にある編集さんもいた。 普段から親交のある飛龍ではない編集さん達がいたと考えれば……。 だから尚更緊張してしまったと。
「話し合いはどんな内容だったの?」 「とても有意義だったわよ」 お、緊張したから話し合いが中折れしてしまったかと思ったけれど『有意義』って言葉が出た! 「私が飛龍の話を元にどんな人が出るかイメージして書いたでしょ?」 「さながら事情聴取だったアレか」 「演じる子供たちや役者さんの性格や彼らが何がしたいかって要望や意見を村雨さんの旦那さんが色々と言ってくれたから」 「内容がより具体的になったと」 「そうね。 私の意見について納得してくれるところもあったから、話し合いはとてもやりやすかったわ」 2人共、作品を書くことを生業としている人だ。 きっと共感できる部分があったのだろう。 人見知りしている彼女がそうした意見を聞いて作品を創り上げようとする姿は新鮮。 自分の考えを言えているなら良かった。 「お子さんの写真を見せてもらったわ。 やんちゃそうな朝霜ちゃんに元気そうな睦月ちゃん、美人な奥さんの村雨さん……」 僕も何度か山雲の保護者会等で旦那さんを見かけたことがあるが、優しそうな印象は受けたけど家族が1番の方だったか。 愛妻家で子供たちが好きつてまさしく理想のお父さんじゃないか。 僕も見習わないと!
「それで今度、グラーフ・ツェペリン。 彼女を交えてまた話し合いをするみたいだから」 「へ、へえ…」 「宝塚で奥さんと勉強してきたって言っていたから、忌憚のない意見を受ける事になると思うわね」 「宝塚って本格的だな……」 「かなり楽しんでたみたいって飛龍が言ってたわ」 ネット界隈を始め、飛龍ですら魔法使いと言っていたグラーフ・ツェペリン。 彼女がやって来るというのは相当な気合の入れようだなと思った。 ……僕ならプレッシャーに潰されそうだが、妻は楽しみにしているように見える。 さすが作るものへのプライドが強い彼女だ。 評価されたうえで良いものを作ろうと向上心が強い。 僕の背筋がピシッと伸びた。 彼女のいいところを夫として見習わないと……! 「もっと良い物作れるようになりたいから、勉強しないといけないわね」 「僕も応援するよ」 「そう? なら次の話し合いにはあなたにも付いてきてもらおうかしら」 「えっ!?」 「また飛龍に耳打ちで話すのも大変だから」 ……少し人見知りな所は治してあげなきゃいけないな。
心地よい秋晴れのある日。 僕の運転する車は妻を乗せて娘の待つケーキ屋へ向かうのだった。
【飲み会(女子会?)】
『それですごいぎこちなかったんだから! あっちからしたら驚きしかなかったと思うよ!』 「そんなにか?」 『後半は自分で話すようになったけど、最初は殆ど耳打ちした内容を私が答えてたんだよ!』 「おーそうか……」 夜。 蔵から出てきた僕の携帯に電話をかけてきたのは飛龍。 まくし立てるようによどみなく話す様はいつも通り元気なんだなと感心させられる。 『私は報酬を求める!』 「報酬?」 『美味しいご飯とお酒をたくさん用意してもらうからね!』 「は?」 『セッティングに青葉と衣笠にも協力してもらったから、そのお礼がしたいんだよねー』 「いやいやちょっと待て、ウチで飲み会でもするのか?」 『え、そうだけど?』 「飛龍……」 思わずガクッと膝から崩れ落ちた。なぜ、気兼ねなくいきなりそういう事を僕に頼むのか。 天真爛漫は今に始まったことではないが、もはや横暴すら越えるレベル。
『でもね』 「ん?」 『お礼は建前でさ、同じ会社の人なのに私以外の人を知らなすぎるでしょ。 私もいつまでも担当持てるとは思ってないから、親睦を深める機会にもなるんじゃないかなってね』 「うーん」 掌を返す訳ではないがよく考えているなと感心した。 人見知りしている妻を思い、そういう場を設けて慣らせてあげようという考えがあるとは。 しかも将来まで考えて……。 僕は思わず唸ってしまった。 『まー湿っぽい話も似合わないし楽しく飲ませてもらうから! 雲龍には私たちにお酌をしてもらおうかなー!』 「こないだだってしてもらってたじゃないか」 『アレじゃ飛龍さんは満足しないよ? もっとこうセクシーな服を…』 「切るぞ」 『ごめんごめん! とにかく雲龍の事を思って協力してね、予定は追って連絡するから!』ブチッ ……切ろうと思ったら切られた。 好みの話とか色々聞きたいこともあるのだが。
まあ、雲龍が慣れてくれれば僕も嬉しい。 僕も諸肌を脱ぐか。
【おしまい】
「また有楽町にいるの?」 「ああ、今日もだ、すまない。」 「いつものアンテナショップのカレー、頼むよ」 「わかったわかった。」 これが最近の日常。 横浜から電車で30分ほどの有楽町駅。最近伯爵閣下はトートバッグをぶら下げてよく行ってるご様子。趣味の観劇をするために通いつめているようで。 お土産はいつものレンコンカレー。旦那は中辛であんまり好きじゃないけども3人はこれを楽しみにしていたりしている。
劇の打ち合わせの日時が決まった。 娘二人は旦那についていくけども私は自由参加。 もちろんお供しますが。 おめかしの服でも、と思ったが特によそ行きの服装でなくてもいいらしい。むしろ私服が良いのだとか。 ちなみに演劇の衣装は専門家の弥生と一緒に考えて作るみたい。物語の構想、イメージが固まったらすぐにデザインしないと間に合わないらしい。 ちなみにホールはもう借りたらしい。風上ホールという名前の地元の施設がちょうどあったようで。
そういえば彼、あるホールのオーナーだとは聞いたことはあるが……また聞いてみよう。
「なぁ龍驤さんや」 「なんや藪から棒にさん付けなんてしてェ、気色悪い。ほい」 鋭すぎる切り返し。お茶を注いでくれる手の静かさとは真逆だ。 「ありがと。緊張を解すコツとかって知らん?」 「そんなん、キミの専門やろ。舞台とか演台立ってるんやから」 「いや、舞台に立つのもそうだけどさ。もっと日常的な……」 「初対面同士で、ですか?」 「そうそう、そんな感じ」 調理場の奥から、日替り定食(豚のしょうが焼き)を持って現れるのは鳳翔さん。載せられた僕の分でない湯呑みから察するに、このまま僕の相談に付き合ってくれるらしい。昼のピークを外した甲斐があった。 「なんかあったん?」と仕切り直しつつ、自前の湯呑みを傾ける龍驤。鳳翔さんが来る前から向かいに座ってるから流石の貫禄だ。僕も挨拶して、二口三口味わってから応じる。 「最近新しく組む人と打ち合わせすることがあってさ。この前は間に入った人のお陰でなんとかなったけど、どうもまだ打ち解けれてなくて」 「ふーん。青葉やお衣や劇団の人に頼るのは別に悪いことじゃないんやない?」 「今度は飛龍って編集さんもいたね。その人と一緒だったからか、慣れてくれたのかはわかんないけど、まぁ上手くはいったんだけど」 「ならええやん。飛龍もな、ええ子やしな」 「あぁ、知ってるの?」 意外なところで繋がりがあるもので、どうやら編集トリオもいいお客さんらしい。 「えぇ。でも、お忙しそうな方ですし、みなさんいつもいられるとは限らないから、橋渡し役がいないときが不安だ……と?」 「そゆことです。豚さん美味しい」 「うふふ。ありがとうございます」 鳳翔さんにはいつも先にセリフを言われてしまう。本人は何食わぬ顔で、冷茶を一口。この底知れなさは、やはり百戦錬磨の空母の長の経験ゆえか。柔和なお姉さんはそんな奥深さも人気の要因、らしい。
「そんで、その人となんとか仲良くなれればええんやな?」 一方、長と並び立つ軍師は思案しつつ即座に切り込む。ざっくばらんに見えて思慮深く、面倒見もいい彼女もまた人気者。 「せや、キミのお話の男の子、どんなことしてたっけ」 「男同士のノリが通じる感じじゃないんだよね」 「ちゃう、女の子とずいぶんイチャコラしてるやん。そっちや」 「既婚者に既婚者を口説かせようとするな!……それでなくても、あれは学生の話だからね」 「ほな酒!大人の付き合いや!」 「僕が強くないの知ってるだろ」 「あー、せやったね……。ちょっとキミ文句多いんちゃう?」 「まぁまぁ、ゆっくり考えましょ。ご飯も冷めちゃいますよ」 「おっと、ごめん。龍驤もほら、お茶飲んでさ」 此度の応酬に収穫無し。促されてしまったことだし、食事にもう一度向き合おう。少し冷めかけてはいるけれど、それでもおいしいお味噌汁。生姜焼きの味は強く優しく、白米との相性は語るまでもない。さすが、村雨ちゃんの料理を鍛えただけはある。口の中に広がる世界を堪能していると、二人は僕をにこりと一目見て話を再開する。あれ、口の端にお米ついてたかな。 「んー、そやなぁ。昔は艦載機の話しとけば新入りと打ち解けたもんやけど」 「あら、懐かしい。そうですね、その方との共通点というと」 「何より作家やろ。でもぎくしゃくしてんのに商売の核話せるもんかなぁ」 「少し難しいかもしれませんね。趣味のお話……今のご趣味は?」 「んー、ゲームとか?家族と出かけたり。仕事抜きにアニメや本や劇や色々見てるつもりだけど」 「ゲーム盤持ち込んで、は微妙やなぁ……。せや、最近見て面白かった本は?」 「最近ならエッセイかな。雲龍って人のなんだけど、独特な視点や雰囲気と読みやすさのバランスがいいんだ」 いつだったか、えらく速筆のエッセイストがいると聞いて探した一冊だけど、なかなか読み応えがあった。残念ながら素早く書くコツは得られなかったし、シリーズを読み漁るせいで筆が止まったりもしたけれど。 「ほなそういう話すればええやん?お互い本好きやろ?」 「確かに、書き手ではなく読者目線なら自然にお話しできるかもですね」 「そうだな……。海外の本とかよく知らないし、教わってみよう」 「海外の姉ちゃんなん?なんやザラたちみたいな」 「名前からしてドイツ系かな?日本語堪能だったけど。飛龍さんに頼ってたのも言葉のせいなのかな」 「なら異文化交流ということで、うちに招いてもいいかもしれませんね。お待ちしてますよ」 「はは、鳳翔さん商売上手だね」 「ウチよりよっぽど戦略家やからね!あっはは」 「あらあら、そんなつもりじゃなかったんですけれど。うふふ」 ひとしきり笑って、一件落着。お料理もご飯粒一つ残さずに満足。 「ごちそうさまでした」 「「おそまつさまでした」」
「ところで。朝霜ちゃんと睦月ちゃんは学校に行っているとして、村雨さんはどうしたんですか?」 「なんや、家にカミさんおいて一人だけ贅沢か。悪い男やなぁ」 食後のお茶で口を潤してから、反論開始。 「贅沢なのは村雨ちゃんです。ママのランチ会だそうで」 「あら、ランチ会ですか」 「うち来てくれればええのに」 「ねぇ」 「そう言うと思った」 お皿を洗いながら、卓上を整えながら、サラウンドに売り込まれても、決定権は僕にないから仕方ない。今日は如月ちゃんのママの番だったかな。 「せや!村雨ちゃん打ち合わせに連れてきゃええんや!な?」 「……唐突に何を」 「だってぇ、お姉ちゃんなんやろ?キミみたいな奥手な坊やより女同士のほうが話が早いわ!」 「そうですね、授業参観みたいで面白いかもしれませんし」 「せやったらウチらも見に行きたくない?鳳翔ちゃん」 「そうですね、お弁当持っていきましょ!」 「百歩譲って村雨ちゃんはいいけど、なんで二人が来るのさ」 「だって、ねぇ?」 「いくつになっても、あなたは私たちの提督(ぼうや)なんですから」 今回は親睦会でまた来るという条件で丁重にお断りできたけれど、本当に、この二人には敵わない。
ん?山雲どうした。 ……そっか、眠れないか。 お父さんもちょうど眠れなかったんだ。 少しお散歩するか? 今日は特別に肩車だ、二人きりで夜のお散歩しよう。
良かった、雨が止んだみたいだ。 山雲、上着着せたけど寒くないか? ……そうか、もう週末には運動会なのに風邪ひいちゃ困っちゃうからな。 お父さんもお母さんも山雲の活躍する姿が見たいんだ、リレーもダンスも色々な競技でさ。 他のお父さんよりも一生懸命声出して応援しちゃうぞー。 え、それは恥ずかしいから禁止だって? ……寂しいなあ。
山雲は将来どんな人になりたい? ……そっか、まだ分かんなかったかー。 そうだお父さんは山雲に叶えて欲しいことがあるんだ。
『たくさん素敵なものに触れてほしい』
まだ世の中には山雲の知らないもので溢れているんだ。 それは綺麗なものかもしれないし、可愛いものかもしれない。 きっとお父さんやお母さんが見たことの無いものも有るだろうね。 山雲にはそんな素敵なものにたくさん触れて大きくなってほしいんだ。
今はまだこの日になると胸がザワザワしたりお腹が痛くなるかもしれないけど、その時は素敵なものが山雲を守って、支えてくれる。 もちろん、お父さんとお母さんが1番に守るけど!
……だから何も心配しなくていいよ。 もう怖いものはいないから、素敵なものが世界にあふれてるからさ。
さて、明日も学校だ。 帰ったら、お父さんの作った甘酒を一緒に飲んで温まろう。 それで温まったら一緒に寝よう。 ぐっすりぐっすり。
今日は10月25日。 明日はきっと良い日。
素敵な夜ですこと。いいお父様ですねぇ。
子供達には大きすぎる二段ベッド。上で姉が、下で妹が規則的な寝息を立てている。のびのびと伸ばした足のさらに先には、ちょっとした物置スペースが設けられている。 思い思いにシールや絵で飾り立てた元段ボール箱は、外装以上の夢を内側に湛えている。絵本や、おもちゃや、ぬいぐるみ。正義の碇に、魔法のステッキ。ごちゃごちゃと詰め込まれたそれらは、夜も輝きを失わない。
寝息に紛れて、くぐもった声が漏れる。朝霜が寝返りを打ったらしい。すこし首を伸ばして見れば、可愛らしさの残る手に小さな傷がついている。綺麗な肌に不釣り合いな擦り傷。それを隠すように、はじかれた布団を肩までかけなおす。一度の寝返りで出来る乱れじゃないし、どうせいつも通り軽く胸あたりまで潜っただけで寝たんだろう。まだ冬布団は暑く感じてしまうのも、仕方がないところはあるか。
誇らしい練習中の傷。努力の証。一生残る痕じゃあるまいし。いくら語られても、頭で納得したつもりになっても、笑顔の娘たちに笑顔で返してみても、父としていい気分にはなれない。―――提督としても、終ぞ、傷を肯定することはできなかった。
過保護気味の教育も、過剰に慎重な采配も、絶対的な正義ではない。わかっているけれど、それでも、できるならひと時すら苦しむことなく育ってほしいと思っているし、一度の戦闘なく終戦になればと思っていた。 安全主義の看板のもと出撃も訓練も兵装拡張も小規模で、最前線は余所任せの戦時だった。大戦世代のひとりだなんて、全く名前負けも甚だしい。あの頼りない提督は、彼女たちにどう見えていたのだろう。艦娘としての爪牙を振るう機会を、未熟と臆病で失わせた僕をどう思っているのだろう。気にならないと言えば嘘になるが、とはいえもう過去の話。今さら問いただす機会も、理由もないから、ただ胸に秘めるだけ。 二人はどう思っているんだろう。妻にべったりで、娘たちも甘やかし気味で、だけど時々妙に口うるさい。今は良くても、早ければ数年後にも疎まれるかもしれない。考えたくもないが、反抗期って来るものだからなぁ。非行に走らなければいい…くらいで構えておくべきなんだろうか。僕の書いた「父親」たちは、どんな風にしていたっけ。
……あまり思い詰めても仕方ないかな。僕と彼女の子なんだから、まぁ、悪いようにはならないだろう。 幸い、元艦娘たちもいれば親友達も少しはいる。特に山雲ちゃんのお父さんは、貴重な男親仲間だ。穏やかながら芯の強そうな雰囲気は、同年代ながらなかなかに頼りがいを感じさせて、一応は僕の方が父として先輩(らしい)ということを忘れそうになる。奥様を見たことないけれど、どんな人なんだろう。編集チームみたいなキャリアウーマンとか?どんな人でも、幸せな家庭なんだろうな。 僕らも、今以上に幸せな家庭を築いていこう。
起こさないようにそっと撫でる。朝霜も睦月も、いい寝顔だ。常夜灯程度の明るさでも、見紛うことのない愛おしさ。 今は幸せな夢を見て、おやすみ、おやすみ。
昨日の話。 いよいよこの日がやってきた。 なんて大げさに言ってしまうが、今日は山雲の晴れ舞台の運動会。 ところどころ晴れ間はあるものの曇り気味、おまけに少し肌寒い。 ただそんなの関係ないと体操着姿の小学生たちはグラウンドで元気いっぱいだった。 子供は風の子とは言うけど本当にその通り! いやはやたくましい。
「山雲はどこ?」 「ほらあそこ、白組」 「前の方かしら、背中しかみえないわ……」 今日は雲龍も連れてきた。 この間とは違いメガネを外して、僕の隣で背伸びして必死に探す姿は愛らしい。 普段は出不精だが、やはり母として娘の頑張っている姿が見たかったようだ。 この日のためにと、新しいカメラまで首から下げている。 ……って僕の持ってる機種より新しい奴じゃないか。 家電量販店の広告で見かけて僕が密かに買おうと思ったのに。 ま、まあ気合いの入れようが半端ないことは良い事だろう。
そうそう、すぐ近くでは村雨さん一家の姿を見かけた。 見かける度に思うが、温和な第一印象を受ける素敵な旦那さん。 あの雲龍が後半からとは言え自分から話しかける人だから、優しさ溢れる方なんだろうなと勝手ながら僕は思う。 隣にいて旦那さんにくっつく村雨さんもポニーテールを揺らして子供たちに声援をかけており、賑やかだ。 睦月ちゃんと朝霜ちゃんは赤組か……。 お母さんの声を聞いて手を振り返す2人を横目で見て、僕らの方に目を向けずクラスメイトと談笑中の山雲に歯がゆさと寂しさを覚えたり。
競技の方だが、徒競走、玉入れ、騎馬戦、綱引きなど僕が子供の頃と変わらない種目が殆どだった。 僕が卒業して暫く経つけれど、流石に突飛な種目には変わっていないか。
さて徒競走。 我が愛娘はと言うと、笑みを絶やさず疾走中。 普段の愛らしさに力強さが追加されて、もう最強。 この一言に尽きる。 僕は声を張り上げて応援し、妻は淡々と連写をしていた。 『艦載機を飛ばして空撮しようかしら』と過激なつぶやきをしていたのであわてて止めたが、普通のデジカメでもなかなかじゃないか。 特にこのゴールテープを切る瞬間の1枚はベストショット確定だな。 よもや年賀状筆頭候補がこんな所で手に入るとは。
他の子供たちも速い速い。 山雲がライバル宣言していた睦月ちゃんも速かった。 パワフルだなぁと舌を巻かざるを得ない。 2人は対戦しなかったが競走したらどっちが勝つのかと考えてしまった。 親バカではあるが山雲が勝つと僕は信じたい。
そしてダンス。 リズミカルな音楽に合わせて、飛んだり跳ねたり、身軽に子供たちが舞う。 ここまで息を揃えて踊るには練習も大変だったろうに。 微笑みを浮かべて踊る山雲の姿に僕の心はグッと掴まれてしまった。
運動会のプログラムをペラペラ捲っていたら借り人競走というのを見つけた。 借り物競走の借り物が人になったものらしい。 「借りた物を返す手間が無くていいじゃない」と雲龍が言っており、僕も同意。 楽しい場所でのトラブルと言うのは避けたいことだろうしね。
この借り人競争には山雲が出場していたが、借り人は【ツインテールの人】。 ツインテールの人なんてそうそう……。 「山雲とー、一緒に来てほしいなーって」 「はいはーい、村雨で良かったらついていってあげる」 「やったあー!」 ……ありがとうございます。 トテトテと歩いてきた山雲のお願いに笑顔で快諾してくれる村雨さんに感謝。 二人で仲良く手を繋いで無事にゴールしてくれた。 ありがとうございました。
さて、僕は借り物にならなかったが雲龍は借り人になった。 【カメラを持っている人】 持っているどころか身につけているから……。 それに背が高いから雲龍は目立つし。 顔を赤くして恥ずかしそうな姿を見るのは僕は大好きだが、村雨さんと比べたらもう少し人懐っこくなってほしいかなと苦笑。
お昼の時間。 唐揚げや卵焼き、いなり寿司を筆頭に山雲のリクエストで作ったお弁当のお昼。 『おいしいおいしい!』と大喜びで頬張ってくれる姿が嬉しい。 早起きして雲龍と作ったかいもあった。 特に雲龍作のいなり寿司がかなり気に入ったようだ。 ぼ、僕の唐揚げだって美味いぞ。 「睦月ちゃんにもーあげてくるからー」 待て!と止める間もなく紙皿にいなり寿司を乗せると村雨さん宅に山雲が輸送作戦へ。 慌てて止めようとしたが時既にお寿司、いや遅し。 睦月ちゃんも朝霜ちゃんもいなり寿司にパクっと食べていた。 頭を抱える僕に気にしなくて良いですよと手を振って答えてくれた寛大な村雨さんと旦那さんには感謝しかないなあ。
お昼を食べ終えて午後の目玉競技はリレー。
朝霜ちゃんも睦月ちゃんも、そしてウチの山雲も選手。 そして何よりトップバッターが山雲と睦月ちゃんの直接対決とは僕も知らずにびっくり。 午前中に考えた対決が実現してしまうとは……、大事なリレーの1番手になる誉れを貰えるのはうらやましいぞ。
『ヨーイドン!』パァンッ! 2人の真剣勝負。 固唾を呑む僕。 「山雲しっかり!」 柄にもなく声を出して応援する雲龍。 カメラのことなんて飛び跳ねるなんて珍しい。 気持ちも昂ぶっているようだった。 結果だが、2人共譲らずに同じタイミングで次の走者にバトンパスへ。 その後は朝霜ちゃんを筆頭に赤組の方がジリジリと差を広げていってしまい、白組の敗北。 いやいや、それでもリレー選手から応援していた子たちまで全員が頑張ったと思う。良い勝負だった。
そして閉会式。 白組はリレーが響いて負けてしまったが、力を出しきった山雲の姿は普段よりも大きく見えた。 きっとこういうイベントを1つずつ乗り越えて階段を昇るんだろうな。 改めて大きな成長を感じた1日でした。
【ご挨拶】 「お疲れ様でした」 帰りの車に向かう道すがら。村雨さんの一家を見かけたので、思わず僕は話しかけてしまった。 あまりに急なことで驚いたはずなのに優しい笑顔でこちらこそと返してくれた旦那さんは良い人だ。 ボキャブラリーが乏しいが、家族を愛する優しい人。 ……話しかけるにも関わらず、僕の影にこっそり隠れようとする妻をわざと旦那さんの方へ出した。 ほら、こういうところで仲良くならなくてどうする。
ペコリと固く頭を下げる妻を見て旦那さんは気がついたようだ。少し驚いたのか目を見開いたのを僕は見逃さなかった。 そうです。 劇の脚本を書いたWolke・Drachenは山雲の母であり、僕の妻、目の前の雲龍。 「小説の方、エッセイの連載前から読んでました」 「家族の愛に対する書き方や、父性のあり方について共感しています」 「その、前に会ったときには言えなかったので……」 雲龍は僕の手を強く握りながら、旦那さんに話す。 ……というかファンだったのか。
すっかり恐縮した様子の妻を見て、同じく恐縮したように頭を下げてくれる旦那さん。 なんだかとても申し訳ない。
「良かったら、ウチのお酒とかいかがですか?」 今思い返すと、とんでもないタイミングで訳分からない言葉を出してしまった。 フォローでもなんでもない。 妻とお仕事するという事でそのお礼がずっとしたかったのだがタイミングが来たと浮かれていたせいだと思う。 『僕はあまりお酒が強くないので……』 やんわり断られた。 お酒小学生や関係のある人が多い人が好む、あるいは必須なものは……。 「それならお米! ウチには田んぼがあるので収穫したのをプレゼントさせてください!」
帰りの車内。 後部座席でぐっすり寝ている山雲と比較して少しドンヨリしている僕ら夫婦。 「あなたお米って…」 「きっと食べ盛りだろうし食べるかなって。 君こそ仕事の話じゃなくて、本の内容について色々話していたじゃないか」 「私は仕事だから……」 「……もっと慌てないようにしないとな」 「そうね……」 僕達も山雲に負けないくらい成長しなくては…。
つい先日行われたお姉ちゃんの学校の文化祭。 私たちももちろん行きました。部活の展示、吹奏楽部の演奏、授業で制作した作品の公開と、中身自体は普通の文化祭。 村雨ちゃんはレクリエーション部の活動として今年釣り上げた魚の魚拓を展示していました。 ざっと測ると30cm。かなり大物を釣り上げたご様子。展示の説明しているお姉ちゃんが活き活きしていて、こちらもエネルギッシュになった気分。 妹は自家製の和紙で作られた扇子を見て自分も作りたい!とぴょんぴょん跳ねて興奮していました。ちょっと調べて来年の自由研究の材料にしてみてはどうかと提案してみよう。
ステージの方はというと、村雨ちゃんはもともと出場予定がなかったみたい。ぼうっと傍目に見ているとステージが暗転。どうしたかとしばらく気になっていたがここで放送が。 「サプライズゲストをお呼びしております。グラーフ・ツェッペリンと加賀!彼らのマジックショーと歌をご鑑賞ください。」 壇上に上がったのはまさかの旦那。 ステージに立つやいなや、早速次々とマジックを披露していく。マジックは話術も重要と聞いたことがあるけれども、無言でBGMだけが流れたままいくつかこなしていた。それだけマジックに自信があるということか、それとも……。 終始無言で通したマジックもド派手に終わり、ここでグラーフと加賀の紹介が入る。というかいつ打ち合わせして練習したんだ二人は。と自分の中だけでツッコんでいた。 自己紹介が終わると二人は舞台袖に引っ込んでいって、着替えて出てきたら時計はヒトヒトゴーゴー。 「Es ist fünf vor zwölf.今は12時の5分前。私たちの本日最後のプログラムとしよう。」 「ミュージカル『エリザベート』より『闇が広がる』。どうぞお聞きください。」 後に旦那から聞いた話であるが、この曲の原語はドイツ語らしい。それにもかかわらず日本語で難しいメロディーパートを歌い上げていた。加賀の低音のハモりも素晴らしいとしか言えないほど整っていた。流石加賀岬を艦娘時代に歌った空母である。 片手を伸ばしてお互い向かい合いながらゆっくり回る演技をしていたのが気になっていた。これもミュージカルならではなのだろう。 曲が終わったあと、加賀が舞台袖に逃げていってすぐに緞帳が降りた。ご清聴ありがとうございましたの挨拶のアナウンスがしてしばらくあとに服装は元通りだがメイクが残っている旦那が戻ってきた。 お昼時だ。3人で近くの店のトルコライスでも食べようかしら。 村雨ちゃんにはお手製弁当渡したけど3人のナイショにしておこう。
来週末には演劇の打ち合わせも始まるのでここから忙しくなりそう。旦那は依然とのんびりだけどどうなるのだろうか?
土曜日。待ちに待った運動会。 海と山が近いこの街では、夏から秋の間が特に忙しい。昔は特に、旅行者相手の商売が書き入れ時であったり農作業の収穫シーズンだったりしたらしい。それもあってか学校行事の類は、よその土地より遅く設定される傾向にある。 少し海から離れた僕らの町の小学校でもそれは同じ。青い空と紅い山がくっきり二色になるころ、運動会の号砲がなる。
運動はそんなに得意じゃなかった僕と違い、娘たちは大活躍だ。 朝霜は普段からのあふれるエネルギーを競技に思い切りぶつけて大活躍。鉢巻もよくお似合いだ。徒競走では最後に出てきて思い切り駆け抜けて、堂々一番。応援が聞こえたのか、見えていたのか、こちらを見て自信満面ににやり。続く競技でも八面六臂で、まさにクラスのエースといったところ。自慢の生意気娘よ。 睦月も全く、よく跳んで走るもので。お姉ちゃんに連れ出されて外遊びする睦月は、確かに強く成長している。ちょっとママっ子なところがあって心配していたんだけど、もう立派に人の輪に入っていけるようになったんだな。あぁ、あぁ、まったく涙もろいのが顕著になってきた気がする。
ほかにも、障害物競走や玉入れなど、いろんな種目が行われた。それを見る僕らもエキサイト。 村雨ちゃんは二人とお揃いのポニーテールで爽やかに、僕は青葉とお衣に習った技を活かして撮影もしながら、楽しく応援、もしくは観戦。 ……してたつもりなんだけど、上級生の二人三脚を見てるときに村雨ちゃんに小突かれてしまった。注意して曰く「一人だけ本物の戦争してるみたい」とのこと。そんなに危険な顔してたか……確かに男女ペアで心中穏やかでなかったのは認めるけど。
ダンスも素晴らしく、よく揃ったものだ。笑顔を振りまいて会場中を温かくしてくれる。 ええと、睦月に山雲ちゃんに、入れ替わり立ち代わりに上級生から朝霜、如月ちゃん、清霜ちゃんもいるし、カメラと声援と自分の目で見るのが追い付かない! 舞風さんらがやってるのとは違うけど、こういうダンスもいいものだよな。喜劇でも使いやすいしな。
続いて、借り人競走。文字通り人を借りる競走だ。お昼を前にしてレクリエーション感の強い種目が続く構成は、子供たちも飽きることがなくていいだろう。プログラム構成というか、章立てというか、色々と勉強になる。 そんなことを考えている隣で、村雨ちゃんが何やらごそごそしている。 「村雨ちゃん、何してんの?ポニーやめちゃうの?」 「んー、ポニーで結ってるお母さんは他にもいるからね。念のため念のため」 「なるほど」 ちょいと思い返してみれば、今さっき交渉をしていた声の端に「ショートカット」とか聞こえた気がする。その上見回せばこの周辺にツインテールの人はいない。確かに理にはかなっている。 「って言ってもねぇ」流石にそんな、ちょうど来るわけ……。 「あのぉ~」 来た。ふわふわの少女が、うっすら汗の粒を光らせて。 「あら、なぁに?」 「山雲とー、一緒に来てほしいなーって」 「はいはーい、村雨で良かったらついていってあげる」 「やったあー!」 「行ってらっしゃい」 流石元・旗艦様は目端の利くことで……。 予想通りに仕込まれていた髪型シリーズを引き当てたのは、睦月の友人の山雲ちゃん。手をつないでゴールする様は微笑ましく、もちろんこれも写真に収めました。 にこにこ笑顔を絶やさないのは、以前から何度か見て知ってはいたけれど、少し気になったのは彼女の方から手を差し出して、やさしく引いて行ったこと。おいおい、まるでエスコートじゃないか……ずいぶん紳士的な技を身につけてることだ。負けてられないな、と思った自分に苦笑する。どんな対抗心なのか。 でもまぁ、あの頼りがいのありそうな旦那さんならそんなに驚くべくもなし、か。睦月のことも手もとって行ってくれてるのかなぁ。ありがたいことだ。
清霜ちゃんが普段から憧れる長身の美人さんを見つけて手を引いて行ったところも、またよかったかな。 目を凝らしてみれば、送り出す旦那さんは山雲ちゃんのお父さん。ということはあの人が山雲ちゃんのお母さんってことで、なるほどどこか似てる気がする。 ……それ以上に、どこかで見たような。後日検証するのと、競技の一環ってことで、取り急ぎ一枚ぱしゃり。
さて、お楽しみのお昼ご飯。 朝霜と睦月が観覧エリアの僕らのところに走ってきて、るんるん。午前いっぱい頑張ったからな。 「あれ、母ちゃんツインテールだ」 「む~、お揃いしようよ~」 「わかったわよぉ。ちょっと待っててね」 「二人とも、おつかれさま」 「へへっ、どーだ!あたいの活躍っ!」 「凄かったなほんと。鼻が高いよ」 「ママ、睦月もがんばったよ!」 「はいはーい、ばっちり!見てたわよ」 村雨ちゃんの手作りのお弁当を囲んで木陰でのひと時。今日のメニューは玉子焼き、おにぎり、ハムカツ、ウィンナーなどなど、見た目もコロコロしているけれど、さりげなく語呂合わせが多いのもかわいい。こんな力作を朝から早起きして作ってくれた村雨ちゃんは本当にすごいなぁ。いつもお世話になってるけれど、改めてありがたく思う。 そんなことを思っていたところに「睦月ちゃん、睦月ちゃん」と呼ぶ声。さっきも耳に覚えた声…振り向いてみればやっぱり山雲ちゃん。と、その手元にはいなり寿司。 「あのねぇ、お母さんの手作りでねぇ。とってもおいしいから睦月ちゃんもお姉ちゃんもどぉぞぉ」 「わぁ、ありがとう!ん~~!」 「うまいなぁこれ!ありがとな!」 来た方を見ればご両親が焦ったご様子。「気にしないで、ありがとう」とジェスチャーでお返ししたけど、伝わっただろうか。 「山雲ちゃん、お返しに私のおにぎり受け取ってくれるかしら?」 「お父さんとお母さんにもありがとうって、伝えてくれる?」 「はぁい。ありがとうございますぅ。あ、そうだ!」 またマイペースに歩いていく去り際、振り返ったその目は、奥の奥で鋭い光を放っていて。 「睦月ちゃん、リレーは負けないからねぇ」 「むっ!こっちのセリフにゃし!」 少女が勝負に向かうこの気配。…鎮守府時代を想起せざるを得ない。 「それじゃあねぇ」 どこからか流れてきた薄雲が日を隠すけれど、未だ月とともに高くあり、熱は尽きることがなさそうだ。
午後。 血気盛んな男子の騎馬戦が大トリとはいえ、女児とその家族にとってはリレーが一番の大勝負。 学年別の選抜メンバーが紅白の組から数チームずつ。我が家から同チームで出場とは、運動が得意ではなかった僕からすれば信じられない感覚だ。 運動場中に緊張感が走る。先生の掲げた手に制されるように、静寂が訪れる。その一瞬を逃すまいとするかのように、開始の合図が言い放たれた。 一番手、睦月と山雲ちゃんの直接勝負。小さな体を懸命に使って、地を踏みしめて風を斬る。午前の個人戦でも特に速かった二人だけに、ほかの選手を引き離して実質的に一騎打ち。抜きつ抜かれつは大股一歩分にも満たない接戦で、そのままぐんぐんと加速していく。そうしてそのまま、バトンを次の選手に託して二人の勝負は互角に終わった。 ……これはのちに気付いたことだけど、このとき、睦月は負けていた。朝霜と家で綿密に行ったバトンの練習で、睦月は山雲ちゃんよりもバトンの受け渡しが上手くなっていた。巧妙にアドバンテージを得たのは、もちろん褒められこそすれ恥じることではない。技術では勝ったのだ。けれど、「そうして稼いでなおも互角だった」ということで、純粋な速さの勝負では……。 もちろん、観戦の最中はそんなこと気にせずに大声で応援してたんだけれど。
追い付いては抜き去り、おいて行かれては追い付く。シーソーゲームを終わらせるのがうちの娘とは誉れ高いものだ。ほぼ横並びから、腕が振られ、顔を現し、体が飛び出て、また脚が伸びる。数歩分で集団を抜け出て、そのまま差をキープする。絵に描いたようなぶっちぎりとはならなくても、誰の目にも明らかなリードが初めて生まれた。 鉢巻の尾を躍らせて、すらりとした手足を躍動させて。普段は彼女なりの美学で隠す瞳は、今まっすぐに前を見て、ただただ駆け抜けてゆく。髪が、汗が、彼女全てが、雲の切れ間の光を浴びて、そして彼女こそが光になる。目と心を奪われて、声を出すのを忘れてしまう。 小さな三脚で構えたカメラに、村雨ちゃんの声が記録される。 「パパったら、朝霜がカッコよくて泣いちゃってるわ」
閉会式!我が家赤組の勝利である! 睦月も朝霜も、一日大活躍だったので、お祝いをしてあげないと。村雨ちゃんもお疲れだろうし、僕のお小遣いから外食するのもいいかもなぁ。 人生全体では小さな事かもしれないけど、15年も生きてない彼女たちにとってはとても大きな成功体験。盛大にほめて自信にしてあげないとね。
「お疲れさまでした」 「あれ、どうも。そちらこそお疲れ様です」 不意に声をかけられて、振り返れば今日何度目かの山雲ちゃん一家。白組だったから、悔しかったんだろう……けれど、もう子供たちは仲良くしている。うんうん、何よりだ。 それより気になったのは、旦那さんに隠れた奥さんの方。人見知りされるタイプなんだろうか。旦那さんに促されて前に出て、長い髪を揺らしながら一礼して自己紹介。 「もしかして」 「……はい。先日の打ち合わせ、お世話になりました」 「あっ、いえ、こちらこそ」 「あら?二人ともお知り合い?」 「あぁ、前話したでしょ。脚本家の先生。まさかこんなに近くにいるとは」 「なになに?パパと山雲ちゃんのママお友達だったの?」 意外なこともあるものだ。山雲ちゃんのお母さんが、ヴォルケ先生もとい、えぇと、雲龍さんだったとは。 偶然に感心していると、おずおずと、だけどしっかりとした口調で作品の感想を伝えられた。読んでいただけてるだけでも望外だというのに。家族愛、人を見守ることといった、学生をメインにした小説には少し不釣り合いな…けれど、僕の書きたい裏の主題を受け取ってくれている。こんなにうれしいことはない。 「……身に余る光栄です。それに、こちらこそエッセイ楽しく読ませていただきました」 「独特の視点、感性で、読んでるだけで新しい世界が見えるというか……温かくなるというか」 「これから、劇も執筆も、あと親としても、よろしくお願いします」 感極まって、つい深く頭を下げてしまった。 すると隣から「至らぬ夫ですが、私からもよろしくお願いします」と村雨ちゃん。続いて朝霜、睦月も「お、お願いします!」「おねがいしまーす!」と頭を下げる。 「こちらこそ、よろしくお願いします」と、あちらのご一家も声を合わせる。夕日射し込む学校でなにをしているやら。恐縮しあってしまった。 根本的に似た者同士。仲良くなっていけそうだ。
「流石に今日は寝付くの早いわ。……あら、チームカラーね」 「お祝いだからね。じゃ、改めて、二人の勝利に乾杯」 「……ん~」 「……ふぅ、おいし」 「あなた、『お酒弱い』んじゃなかったの?それともお米のお酒苦手だっけ?」 「……村雨ちゃんは飲みたかった?山雲ちゃんちのお酒」 「んー?そりゃ、興味はあったけど……いや、そうじゃなくて。完全にダメじゃないのに、わざわざ断るのもどうなのかなって」 「うん、正直日本酒飲みたいけどねぇ。でももらったお酒で潰れたら悪い気がして……」 「……よくわかんない。加減して飲めばいいじゃない」 「僕もそう思うよ。ちゃんとお客さんとして買いに行こうか」
「村雨ちゃん、ペース早すぎない?大丈夫?」 「もぉちょっとだけ~えへ~」 「はぁ……いいけど。そいえばさ、雲龍さんの話なんだけど」 「なぁに?ほかのおんなのひとのはなし?うわきよー」 「違う違う。ただ、なんか打ち合わせよりも前に見かけた気がしてさ。村雨ちゃんも初対面じゃない感じだったじゃない?」 「んー……そりゃそうれしょ……あのひともとくうぼよ?」 「……え?」 「うんりゅーなんてふつうのおんなのひとのなまえじゃないれしょ。きどうぶたいのりゅうじんさまよ~。ぜんせんやぁ、だいほんえいでぇ、なかよくなってたのー」 「……思い、出した。何度かうちから支援出した作戦記録に映ってたんだ」 「ひさしぶりだったけどぉ、ますますきれいになってたわぁ……いいかぞくなのねぇ」 「村雨ちゃんも」 「んー?」 「村雨ちゃんが、ずうっと僕の一等賞だよ」 「……しってる。ふふ」
一等賞の彼女が、家族が輝き続けるために、あの旦那さんみたいにしっかりしないとな。がんばろう。
魔術師の旦那がまたなんか暖炉をたいて魔法を呟いていた。 話を聞くとハロウィンはケルトの祭が元々のルーツだったらしい。ケルト模様のケープを羽織った旦那にはちょうど相応しい、というわけであった。 旦那の書斎にはお香の匂いが漂っていた。
ちなみに仮装だが、旦那は元からの魔法使い故にしないらしい。それどころか旦那は 「魔法使いの姿で平気で街を歩けるのはこの時期だけだ」 どご機嫌になるようで。
魔法を唱え終わった旦那は姿を消し、一冊の臙脂色の本へと変身していった。 最近はだいたいその姿で眠っている気がする。 今夜もいたずらしようかな。今日は本棚の中に紛れ込ませてやろう。
今日の夕食は缶詰から。 予め旦那がチョイスしたいくつかの缶詰から家族ひとりひとつずつ選んで自分で調理していく形に。 姉がサンマの蒲焼き、妹はサバの味噌煮、私はオイルサーディン、旦那は蟹缶。 それぞれそのまま湯煎したり、焼いたり、サラダに入れたりして仕上げていった。 調理したものは食卓に並べられてみんなでつまんだ。旦那が意外と健康に気にしている派のようだ。寝る必要もないのに。
ちなみに選ばれなかったもののなかには1つ1500円ぐらいの高級缶詰もあるようだ。 さすが伯爵閣下もいったところだ。
……ところで今、甘口のドイツワインと一緒に食べている缶詰はなんだろう? チョウザメの卵の塩漬けみたいな気がする……。
いつもより水道水が冷たい気がする。秋も深まり、フローリングから寒気が這い上がってくる。 昔村雨ちゃんが自慢していた五本指ソックス、あれって男性用もあるんだろうか。ぼうと考えながら、三人分の食器を洗う。彼女がここにいたならば、お湯じゃないと肌に悪いとか、ちゃんと汚れが落ちないとか、お小言をいただくことになるんだろうけれど。いないからいただかない。いただけないのは当たり前。 冷水をよく切って、ラックに掛けておく。食器の自動洗浄乾燥機も、いずれは導入を考えるべきかな。水仕事が大変な老後とか?それでなくても時短ってことで義姉さんの家で検討していた気がする。大家族だからなぁ。あっちが使っていい感じだったら家族会議に諮ろう……って、どのくらい後になるんだろうね。 鳳翔さんやザラは食洗器を使っていた覚えはないけど、カウンターでお仕事してるからかな。雰囲気づくりの意味が大きいんだろう。 雰囲気。空気。空間を作るのに欠かせないもの。人ひとりいなければ、たやすく壊れるもの。 妙に手足が冷たいのは一人だからだと、タオルで水をぬぐい終わってから気付いた。 僕一人には、この家は大きすぎる。
「あ、起きてましたか」 「えぇ、ちょっとはいい具合」 「お昼どうする?食べれそう?」 「うーん、ちょっとなら。野菜の使い残しがあるから適当に使い切っちゃって」 「わかった」 「掃除もお買い物もしなくていいからね。明日まとめてやっちゃうから」 「それくらいはできるし。今は自分のこと心配してて」 「はぁい。お任せしちゃおっかな」 「濡れタオルとお水置いとくからね」 「……拭いてくれないの?」 「うぐ」 「……ねぇ?」 「……お言葉に甘えて」
村雨ちゃんが、朝起きてこなかった。 それだけなら珍しいけど、異常ではなかった。昨夜は夜遅くなってしまっていたし、本当にぐっすり眠っていたようだったから起こすのは悪いかな、と素直に思った。 結局起きてきたのは、娘たちを送り出してから。抜かりなく炊飯の準備はしてあって、流石は良妻と感心していたところ、いつもより間隔を空けた足音とともに一階へと下りてきた。音に聞いてもおかしかったのに、目にも見れば妙に赤くて、無理に笑っているようで、明らかに様子がおかしかった。不安半分確信半分で体温を測れば、案の定風邪をひいていたというわけである。 自覚症状も少なく、病院に行くほど高熱でもない。ひとまずはゼリーだけ食べさせ風邪薬を飲ませて、また寝なおしてもらった。 家事をしていたり、仕事をしていたり、別々の部屋にいることは少なくないのに、今日は食器を洗うだけで寒々しくなる。思案するだけで恐ろしくなる。十数年一緒にいて、体調不良は初めてじゃない。不良と言ってはいけない気がするけど、産前産後はもっと辛そうだった。鎮守府時代なんて、傷を負ったり寝込んだりは日常だった。 けれど、いくらそんな経験があっても、慣れるものじゃない。村雨ちゃんの、心配をかけまいと笑おうとする、その裏側で困って苦しむあの顔は、できれば二度と見たくない。 そんなことを火より鍋より熱く願ったって、人間、倒れるときは倒れる。運動会の準備やら、ハロウィンのお菓子作りとか、対応とか。加えてハロウィン前には雑貨屋の手伝いもしてたっぽいし、とどめに昨日祝日の釣り堀遊び、ってことか。働き者の嫁を持つと誇らしい、とだけ言っている場合じゃない。 支えるって心に決めなおして一週間も経ってない。不甲斐ない夫だ。心も、鍋も、静かにぐつぐつ。
「おかゆだ」 「朝のご飯が残ってたので。定番かなと」 「ありがと。いただきます」 「はいどうぞ」 「……あったかい」 「いつも、ありがとうね」 「…なにそれ」 「ありがとう」 「……ふふ」
風邪薬を飲んだからといってすぐに良くなるわけがなく、村雨ちゃんはまた眠りについた。 口元をマスクで隠していても、すこし覗く頬が紅潮しているのがわかる。ダブルベッドの真ん中で、ゆっくり寝息を立てていて、安らかな感じ。うなされていないのがいくらかの救いだ。うっすらと流れる汗は、拭いていいのか悪いのか。触れて起こしてしまうのは申し訳ない。だけど、ちゃんと拭いてあげないといけない気もするし、それ以上に触れてしまいたい邪な心が僕の中で鎌首をもたげる。そっと閉じられた目元は優美。透き通った肌はただただ静かで、見ることさえも罪に思わせる。だけど、あるいはだからこそ、彼女を見ていたい。触れてしまいたい。 手を伸ばして、こぼれた呻きに咎められた気がして、諦める。先に食器、洗ってこよう。
「……ん……んーっ」 「おはよ。気分はどう?」 「かなり楽よ。今何時?」 「ヒトハチ…ちょっとすぎてる」 「うっそ、そんな時間!?二人は?」 「アニメのお時間。熱も何もないよ」 「そう……よかった。晩御飯、作るね」 「何言ってんの。寝てなさい」 「……むぅ。どうするの、ピザでもとるの?」 「どうしようかなぁ。義姉さんたちは……呼んでも悪いな」 「そうかしら?可愛い姪っこに会いに来ると思うわよ?」 「ふむ、一応連絡しておくね」 「……ところで、もしかしてずっといたの?」 「わかる?」 「マスクもして飲み物持ち込んで、ノートまで広げてたらねぇ」 「病の妻を放っておけるほど薄情な夫じゃないよ」 「あら、殊勝。……本音は?」 「さみしかった」 「よろしい。てことは、掃除やお買い物は」 「……明日やるよ」 「ふふ、明日のあなたに期待しておくわ」
連絡してから一時間と空けず、非番メンバーから白露義姉さん、春雨ちゃんと海風ちゃんが食品とともにやってきた。いつもほど賑やかにならないように注意を払った結果の人選らしい。睦月と朝霜(と白露義姉さん)がお風呂に入っている間に作ってくれたのは村雨ちゃんのお腹にもやさしいおうどん。大きな机を囲んで、7人で味わう。少し咳もあるけれど、みんなと一緒にいられるくらいに元気にはなったみたいで安心した。これで元気をもらえたかな?
お腹も満ちた睦月と朝霜はいつもより早く寝かせよう。そう思ったのに、今夜はテレビで名作アニメ映画。どうやって言いくるめようかね。いっそ見させて勝手に寝落ちさせた方が早いか。 三人はどうするつもりなんだろう。娘たちに泊っていくようにせがまれて断る義姉じゃないし、断れる義妹じゃない。村雨ちゃんに似た、今朝の村雨ちゃんとは似つかない困り笑顔でこちらを見るものだから、「いてくれた方がいい」と夫婦で歓迎するほかなかった。うつしてしまわないかだけが心配だけど、とりあえずマスクで対応してもらおう。
かくして、当初の狙いよりも少し外れて、暖かく夜は更けていく。明日にはよくなっているといいんだけど。心配だから一緒に寝たいんだけど、心配だから出禁だと既に言われてしまっている。仕方がないから、娘たちの「女の城」にお邪魔させていただこうかな。
村雨ちゃんの風邪ひとつ。それだけで、僕の心はかき乱された。空間の雰囲気の話じゃないけど、僕の中身の核、なのかな。流石に核は言い過ぎだけど、大事な存在なのが改めてわかった。大切にしなきゃ、支えていかなきゃ。助け合って、生きていかなきゃ。 彼女の核に、なれるかな。
「はぁ、それにしても、風邪ひいちゃったか~。ちょっとショック」 「いつもお疲れ様です。そうだ、今度は僕がマフラー編むよ」 「今度、って何年越しよ。ふふ、あなたにできるかしらん?」 「んん……頑張ります」 「ふふ。私はあの子たちの作るから、あなたは私たちの作ってくれる?」 「そだ、一本の長ーいの編むわ。二人用の」 「やぁだ、恥ずかしい。なんか古いし」 「やっぱり?」 「……でも、いいかも。うんうん♪」 「えっ、冗談のつもりだったんだけど」 「たまには冗談みたいなこともいいじゃない?ねぇ」 「わかった。編み物したことないから、教えてね」 「いいけど、その前にお仕事よ?」 「はいはーい!その前に、元気になってね」 「ん、わかったわ。おやすみなさい」 「おやすみ」
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「…はい、わかった。じゃその日で」
通話終了の文字列をタップしてやけに虚しくなるのは、受話器を置く重みか、ボタンを押す手ごたえがないからだろう。スマートフォンが普及してから数えるには少しばかり骨の折れる年月が流れた今も、つい小説内では「がちゃり」なんて使いそうになる。デジタル派で丁寧な仕事のお衣のおかげで何とかなっているけれど、これがアナログ愛好で変わり者の青葉だったら、すぐに登場人物がショルダーフォンを背負うことになる。
そんなことを考えていると、今度こそ本当にがちゃり。今度は扉。
「調子はどう?」
「あ、村雨ちゃん。お茶ありがと」
「はいはい、どういたしまして。…んー?」
「…何かな?」
僕の目をじっと見てくる。続いて、頭、指先?
「な、なに?汚れてる?」
「新しい打ち合わせでも決まった?」
「あれ、電話聞こえてた?」
「いーえ?」
日付をメモした手帳は、すでに閉じてある。その他、手掛かりになりそうなものは走り書きすらない。
「それが妻ってもの、よ」
「なんで」と問うことにすら先手を取って、上機嫌に肩に手を置いてくる彼女の表情は見るまでもなく満面の笑みで、纏う空気はいつも通り……。
「いや、違うな」
「…なに?私が妻じゃ不満?それとも勘のいい女はお嫌いになった?」
「いやいや、滅相もない」
「じゃあ、な・ぁ・に?」
「いつもと雰囲気違うなって」
「あら?そうかしらん?」
軽く返してくれるけど、ちょっと不機嫌そうな、試すような、尋常じゃない雰囲気。こりゃめったなことは言えないな。
「……ん。においが違う。シャンプー変えた?」
「…せーかい。サンプルをもらったの。これしゅき?」
「たまにはこういうのもいいかも。でも、村雨ちゃんが好きなのが一番かにぇあ」
的中されたのが悔しいのか、言い切る前に頬を挟まれる。「にゃにを」と彼女のほうを見れば、僕と同じようにつぶれ饅頭。どうやら、僕の手が先に香りに誘われて果実を捕まえてしまっていたらしい。罪な女性だこと。
「はなひて?」
「やぁら」
「えひひ」
「ふふふ」
離れようとするのは、離そうとしないのは、どちらなんだか。ほどほどにしておこうかな、と思っているとまたもや扉の開く音。今度は遠く、玄関から。
「ただいまーっ!」
「おかえりーっ!」
「手ぇ洗ってなさーい!」
恋人気分はここまで。うなずき合って、僕らのお姫様の待つリビングへ。
紅色の便りを肩に乗せて、曇りない笑顔はまさに秋晴れだ。
「そういえば、どうだったの。打ち合わせ」
「ぶぇ?」
奇しくも数日前と同じように頬を弄られてるタイミングで村雨ちゃんが聞いてくる。今度のお手手の主は朝霜で、ゲームに連勝して上機嫌らしい。運が強く絡むゲームとはいえ、負けは負けである。甘んじておもちゃになろう…といじくられている矢先のこと。
「しょうらな…やっぱり初めてのひとらから、まだひょっとぎほひないかにゃ」
「パパなんて言ってるの?」
「パパ新しいお仕事の人とまだお友達になれてないって」
「え~、頑張ってよぉ」
「かんばう、かぁんばうよ」
頑張る、という決意表明すら頑張ってこれ。いい加減に飽きてくれないかな。それかすべすべの村雨ちゃんかもちもちの睦月のほう行ってくれないか。乗せてる脚もしびれてきた。健康的に育ってるから尊い重さなんだけどさ。ギブアップ、タップタップ。言葉のいらない意思表示。応じて、手を放してくれたけれど、彼女はまだどかない。僕の肩をつかんで一緒に揺れながら、第二ラウンドなんだろうか。風呂で磨かれた髪は、結んでいないこともあっていつもより静かに波を作る。
「にしし、あー面白かった。それで、あたいの出番はどうなった?」
「ん、ちゃんとあったよ」
「うしゃっ!」
「でも、あくまで学校優先だからな。宿題とかいろいろな」
「…はーい」
このころころ変わる表情、どれも魅力的なんだから、わが娘ながら期待が持てる。
「それにしても、初めてとは思えない目の利きようだったな」
「ふ~ん、そんなにすごいのか。どんな人?」
「マイペースな感じで…でもたまに鋭くて…あんまり会ったことないタイプ。ポーラっぽい…?そうだ、睦月の友達の山雲ちゃんだっけ。あの子に似てたな」
「ふぇ?山雲ちゃんみたいな……おじさん?」
「いや、お姉さん。僕や村雨ちゃんくらい」
暗に自分たちがお兄さん、お姉さんで通ることを主張してみる。娘にしてもしょうがないが、何事も練習だ。
「おねえさん!」
「ほー。父ちゃん、浮気すんなよー?」
キョトンとした顔から、一気に明るくなった睦月。意地悪な顔できれいな目と歯をぎらつかせる朝霜。どちらもいい笑顔だけど、朝霜、それはいかんよ。
「何を言ふんだ」「そんなことしないわよね?あなた?」
「パパはママ大好きだもんね!」
髪の手入れを終えた二人が、ソファーへ。朝霜に注意をしようとしたところで、いつの間にか背後を取られて、頬をつつかれ釘を刺される。流行りなのか、これ。
「しないよ。村雨ちゃん大好き」
「知ってますよ。私も大好き」
「ひゅーお熱いお熱い。睦月、逃げるぞー!」
「きゃーっ」
はじけるようにソファーから飛び出していく。行先は子供部屋か、執務室か?寝る前のストレッチ、運動会の序章として、一丁リベンジしてやりますか。
出撃までのカウントダウン、30秒を数えつつ思う。夫婦でべたべたしすぎは、教育にいいのか悪いのか。今度相談してみようかと思ったけど、誰に相談すればいいのかわからなかった。制作陣みんな既婚っぽいし、今度話題にしてみよう。
寝室にて。
「編集さんは本当元気な人。青葉とお衣と同じくらい…いや、二人を足したような」
「あらぁ…そんな人なら大変だったんじゃない?」
「でも、いい人だよ。魔法使いさんも、まだとっつきにくさはあるかなー。けど…」
「けど?」
「たぶん、うまくいく。みんながいるから」
「ふふ。そうね」
口づけののち、消灯。
ピロロロロロ……
僕の携帯電話からデフォルトの着信音が響く。
お、来た来た。
それを持つと緑色の通話のボタンを押して耳へつけた。
「終わったわ、そこで待ってて」
「分かった、気をつけて」
「ええ」
思ったとおり、電話の主は雲龍からだった。
声のトーンは平坦。
それをどう判断していいのか悩むが、きっと悪い事は無かったんだろうなと僕には思える。
根拠は無い、ただの勘ではあるけれど。
駐車場に止めた自動車の中。
僕は大人しく待つことにした、妻の言う通りに。
「ただいま」
「お疲れさまでした」
電話に出てから5分後くらいだろうか、緊張したからなのか表情が暗い妻がドアを開けて助手席に乗り込んで来る。
席につくとおもむろに日曜夕方のアニメに出てくるであろうかけていたグルグル眼鏡を外した。
「いかがでしたか、ヴォルケ先生?」
「……その呼び方はダメ」
僕なりにリラックスさせるためのジョークで言った名前は恥ずかしいのか一蹴され、少し睨まれた。
僕からしたらとてもかっこいいと思うけどなあ。
親しい人にはそういった芸名では呼ばれたくないのだろうか。
「やっぱり緊張してたみたいだね」
「……分かるの?」
「そりゃそれだけ額に冷や汗を浮かべてればね、ほら拭いてあげるから」
嫁の額には雫が浮かんでおり、相当緊張していた様子が容易に想像できる。
ハンドタオルで額を吹くとフワッと香水の香りがした。普段香水なんて全く付けないのに気合入れたんだなあ。
ほんのり甘い感じのするこの香りはジャスミンだったっけ。僕の好きな香りだ。
さて、某出版社の駐車場から僕の車は天城のパティスリーへと向かう。
まっすぐ家に帰りたかったがお店には山雲がいるからそのお迎えがあるのだ。
以前、妻と二人で話し合いも兼ねて天城のパティスリーに行ったことを山雲に話したら、『ずるいわー』と怒られた。
なのでその穴埋めではないが、天城のお店のケーキを食べて待ってていいよと約束したのだ。
店に着き、たくさんのケーキがところ狭しと並んでいるガラスケースを見つけると山雲は目を輝かせていた。
女の子は老若問わず甘いものが好きなのだと、改めて知ることになるとは。
天城の店に向かう最中、雲龍から今日の話し合いについて僕に教えてくれた。
「飛龍、青葉さんと衣笠さんもお立ち会いとは思わなかったわ」
「へー。 てっきり村雨さんのの旦那さんとサシで話し合いかと思ったけど、お互いの編集さんがいたんだ」
「そうね、青葉さんと衣笠さんとは数回くらいしか話したことがないから……」
「緊張したの?」
「とてもね」
さっきの額の汗はそういう事か。
人見知りな雲龍が面識のあまりない他分野の方と話すだけではなく、作家を纏める立場にある編集さんもいた。 普段から親交のある飛龍ではない編集さん達がいたと考えれば……。
だから尚更緊張してしまったと。
「話し合いはどんな内容だったの?」
「とても有意義だったわよ」
お、緊張したから話し合いが中折れしてしまったかと思ったけれど『有意義』って言葉が出た!
「私が飛龍の話を元にどんな人が出るかイメージして書いたでしょ?」
「さながら事情聴取だったアレか」
「演じる子供たちや役者さんの性格や彼らが何がしたいかって要望や意見を村雨さんの旦那さんが色々と言ってくれたから」
「内容がより具体的になったと」
「そうね。 私の意見について納得してくれるところもあったから、話し合いはとてもやりやすかったわ」
2人共、作品を書くことを生業としている人だ。 きっと共感できる部分があったのだろう。
人見知りしている彼女がそうした意見を聞いて作品を創り上げようとする姿は新鮮。 自分の考えを言えているなら良かった。
「お子さんの写真を見せてもらったわ。 やんちゃそうな朝霜ちゃんに元気そうな睦月ちゃん、美人な奥さんの村雨さん……」
僕も何度か山雲の保護者会等で旦那さんを見かけたことがあるが、優しそうな印象は受けたけど家族が1番の方だったか。
愛妻家で子供たちが好きつてまさしく理想のお父さんじゃないか。
僕も見習わないと!
「それで今度、グラーフ・ツェペリン。 彼女を交えてまた話し合いをするみたいだから」
「へ、へえ…」
「宝塚で奥さんと勉強してきたって言っていたから、忌憚のない意見を受ける事になると思うわね」
「宝塚って本格的だな……」
「かなり楽しんでたみたいって飛龍が言ってたわ」
ネット界隈を始め、飛龍ですら魔法使いと言っていたグラーフ・ツェペリン。
彼女がやって来るというのは相当な気合の入れようだなと思った。
……僕ならプレッシャーに潰されそうだが、妻は楽しみにしているように見える。
さすが作るものへのプライドが強い彼女だ。
評価されたうえで良いものを作ろうと向上心が強い。
僕の背筋がピシッと伸びた。 彼女のいいところを夫として見習わないと……!
「もっと良い物作れるようになりたいから、勉強しないといけないわね」
「僕も応援するよ」
「そう? なら次の話し合いにはあなたにも付いてきてもらおうかしら」
「えっ!?」
「また飛龍に耳打ちで話すのも大変だから」
……少し人見知りな所は治してあげなきゃいけないな。
心地よい秋晴れのある日。
僕の運転する車は妻を乗せて娘の待つケーキ屋へ向かうのだった。
【飲み会(女子会?)】
『それですごいぎこちなかったんだから! あっちからしたら驚きしかなかったと思うよ!』
「そんなにか?」
『後半は自分で話すようになったけど、最初は殆ど耳打ちした内容を私が答えてたんだよ!』
「おーそうか……」
夜。
蔵から出てきた僕の携帯に電話をかけてきたのは飛龍。
まくし立てるようによどみなく話す様はいつも通り元気なんだなと感心させられる。
『私は報酬を求める!』
「報酬?」
『美味しいご飯とお酒をたくさん用意してもらうからね!』
「は?」
『セッティングに青葉と衣笠にも協力してもらったから、そのお礼がしたいんだよねー』
「いやいやちょっと待て、ウチで飲み会でもするのか?」
『え、そうだけど?』
「飛龍……」
思わずガクッと膝から崩れ落ちた。なぜ、気兼ねなくいきなりそういう事を僕に頼むのか。
天真爛漫は今に始まったことではないが、もはや横暴すら越えるレベル。
『でもね』
「ん?」
『お礼は建前でさ、同じ会社の人なのに私以外の人を知らなすぎるでしょ。 私もいつまでも担当持てるとは思ってないから、親睦を深める機会にもなるんじゃないかなってね』
「うーん」
掌を返す訳ではないがよく考えているなと感心した。
人見知りしている妻を思い、そういう場を設けて慣らせてあげようという考えがあるとは。
しかも将来まで考えて……。
僕は思わず唸ってしまった。
『まー湿っぽい話も似合わないし楽しく飲ませてもらうから! 雲龍には私たちにお酌をしてもらおうかなー!』
「こないだだってしてもらってたじゃないか」
『アレじゃ飛龍さんは満足しないよ? もっとこうセクシーな服を…』
「切るぞ」
『ごめんごめん! とにかく雲龍の事を思って協力してね、予定は追って連絡するから!』ブチッ
……切ろうと思ったら切られた。
好みの話とか色々聞きたいこともあるのだが。
まあ、雲龍が慣れてくれれば僕も嬉しい。
僕も諸肌を脱ぐか。
【おしまい】
「また有楽町にいるの?」
「ああ、今日もだ、すまない。」
「いつものアンテナショップのカレー、頼むよ」
「わかったわかった。」
これが最近の日常。
横浜から電車で30分ほどの有楽町駅。最近伯爵閣下はトートバッグをぶら下げてよく行ってるご様子。趣味の観劇をするために通いつめているようで。
お土産はいつものレンコンカレー。旦那は中辛であんまり好きじゃないけども3人はこれを楽しみにしていたりしている。
劇の打ち合わせの日時が決まった。
娘二人は旦那についていくけども私は自由参加。
もちろんお供しますが。
おめかしの服でも、と思ったが特によそ行きの服装でなくてもいいらしい。むしろ私服が良いのだとか。
ちなみに演劇の衣装は専門家の弥生と一緒に考えて作るみたい。物語の構想、イメージが固まったらすぐにデザインしないと間に合わないらしい。
ちなみにホールはもう借りたらしい。風上ホールという名前の地元の施設がちょうどあったようで。
そういえば彼、あるホールのオーナーだとは聞いたことはあるが……また聞いてみよう。
「なぁ龍驤さんや」
「なんや藪から棒にさん付けなんてしてェ、気色悪い。ほい」
鋭すぎる切り返し。お茶を注いでくれる手の静かさとは真逆だ。
「ありがと。緊張を解すコツとかって知らん?」
「そんなん、キミの専門やろ。舞台とか演台立ってるんやから」
「いや、舞台に立つのもそうだけどさ。もっと日常的な……」
「初対面同士で、ですか?」
「そうそう、そんな感じ」
調理場の奥から、日替り定食(豚のしょうが焼き)を持って現れるのは鳳翔さん。載せられた僕の分でない湯呑みから察するに、このまま僕の相談に付き合ってくれるらしい。昼のピークを外した甲斐があった。
「なんかあったん?」と仕切り直しつつ、自前の湯呑みを傾ける龍驤。鳳翔さんが来る前から向かいに座ってるから流石の貫禄だ。僕も挨拶して、二口三口味わってから応じる。
「最近新しく組む人と打ち合わせすることがあってさ。この前は間に入った人のお陰でなんとかなったけど、どうもまだ打ち解けれてなくて」
「ふーん。青葉やお衣や劇団の人に頼るのは別に悪いことじゃないんやない?」
「今度は飛龍って編集さんもいたね。その人と一緒だったからか、慣れてくれたのかはわかんないけど、まぁ上手くはいったんだけど」
「ならええやん。飛龍もな、ええ子やしな」
「あぁ、知ってるの?」
意外なところで繋がりがあるもので、どうやら編集トリオもいいお客さんらしい。
「えぇ。でも、お忙しそうな方ですし、みなさんいつもいられるとは限らないから、橋渡し役がいないときが不安だ……と?」
「そゆことです。豚さん美味しい」
「うふふ。ありがとうございます」
鳳翔さんにはいつも先にセリフを言われてしまう。本人は何食わぬ顔で、冷茶を一口。この底知れなさは、やはり百戦錬磨の空母の長の経験ゆえか。柔和なお姉さんはそんな奥深さも人気の要因、らしい。
「そんで、その人となんとか仲良くなれればええんやな?」
一方、長と並び立つ軍師は思案しつつ即座に切り込む。ざっくばらんに見えて思慮深く、面倒見もいい彼女もまた人気者。
「せや、キミのお話の男の子、どんなことしてたっけ」
「男同士のノリが通じる感じじゃないんだよね」
「ちゃう、女の子とずいぶんイチャコラしてるやん。そっちや」
「既婚者に既婚者を口説かせようとするな!……それでなくても、あれは学生の話だからね」
「ほな酒!大人の付き合いや!」
「僕が強くないの知ってるだろ」
「あー、せやったね……。ちょっとキミ文句多いんちゃう?」
「まぁまぁ、ゆっくり考えましょ。ご飯も冷めちゃいますよ」
「おっと、ごめん。龍驤もほら、お茶飲んでさ」
此度の応酬に収穫無し。促されてしまったことだし、食事にもう一度向き合おう。少し冷めかけてはいるけれど、それでもおいしいお味噌汁。生姜焼きの味は強く優しく、白米との相性は語るまでもない。さすが、村雨ちゃんの料理を鍛えただけはある。口の中に広がる世界を堪能していると、二人は僕をにこりと一目見て話を再開する。あれ、口の端にお米ついてたかな。
「んー、そやなぁ。昔は艦載機の話しとけば新入りと打ち解けたもんやけど」
「あら、懐かしい。そうですね、その方との共通点というと」
「何より作家やろ。でもぎくしゃくしてんのに商売の核話せるもんかなぁ」
「少し難しいかもしれませんね。趣味のお話……今のご趣味は?」
「んー、ゲームとか?家族と出かけたり。仕事抜きにアニメや本や劇や色々見てるつもりだけど」
「ゲーム盤持ち込んで、は微妙やなぁ……。せや、最近見て面白かった本は?」
「最近ならエッセイかな。雲龍って人のなんだけど、独特な視点や雰囲気と読みやすさのバランスがいいんだ」
いつだったか、えらく速筆のエッセイストがいると聞いて探した一冊だけど、なかなか読み応えがあった。残念ながら素早く書くコツは得られなかったし、シリーズを読み漁るせいで筆が止まったりもしたけれど。
「ほなそういう話すればええやん?お互い本好きやろ?」
「確かに、書き手ではなく読者目線なら自然にお話しできるかもですね」
「そうだな……。海外の本とかよく知らないし、教わってみよう」
「海外の姉ちゃんなん?なんやザラたちみたいな」
「名前からしてドイツ系かな?日本語堪能だったけど。飛龍さんに頼ってたのも言葉のせいなのかな」
「なら異文化交流ということで、うちに招いてもいいかもしれませんね。お待ちしてますよ」
「はは、鳳翔さん商売上手だね」
「ウチよりよっぽど戦略家やからね!あっはは」
「あらあら、そんなつもりじゃなかったんですけれど。うふふ」
ひとしきり笑って、一件落着。お料理もご飯粒一つ残さずに満足。
「ごちそうさまでした」
「「おそまつさまでした」」
「ところで。朝霜ちゃんと睦月ちゃんは学校に行っているとして、村雨さんはどうしたんですか?」提督 なんですから」
「なんや、家にカミさんおいて一人だけ贅沢か。悪い男やなぁ」
食後のお茶で口を潤してから、反論開始。
「贅沢なのは村雨ちゃんです。ママのランチ会だそうで」
「あら、ランチ会ですか」
「うち来てくれればええのに」
「ねぇ」
「そう言うと思った」
お皿を洗いながら、卓上を整えながら、サラウンドに売り込まれても、決定権は僕にないから仕方ない。今日は如月ちゃんのママの番だったかな。
「せや!村雨ちゃん打ち合わせに連れてきゃええんや!な?」
「……唐突に何を」
「だってぇ、お姉ちゃんなんやろ?キミみたいな奥手な坊やより女同士のほうが話が早いわ!」
「そうですね、授業参観みたいで面白いかもしれませんし」
「せやったらウチらも見に行きたくない?鳳翔ちゃん」
「そうですね、お弁当持っていきましょ!」
「百歩譲って村雨ちゃんはいいけど、なんで二人が来るのさ」
「だって、ねぇ?」
「いくつになっても、あなたは私たちの
今回は親睦会でまた来るという条件で丁重にお断りできたけれど、本当に、この二人には敵わない。
ん?山雲どうした。
……そっか、眠れないか。
お父さんもちょうど眠れなかったんだ。
少しお散歩するか?
今日は特別に肩車だ、二人きりで夜のお散歩しよう。
良かった、雨が止んだみたいだ。
山雲、上着着せたけど寒くないか?
……そうか、もう週末には運動会なのに風邪ひいちゃ困っちゃうからな。
お父さんもお母さんも山雲の活躍する姿が見たいんだ、リレーもダンスも色々な競技でさ。
他のお父さんよりも一生懸命声出して応援しちゃうぞー。
え、それは恥ずかしいから禁止だって?
……寂しいなあ。
山雲は将来どんな人になりたい?
……そっか、まだ分かんなかったかー。
そうだお父さんは山雲に叶えて欲しいことがあるんだ。
『たくさん素敵なものに触れてほしい』
まだ世の中には山雲の知らないもので溢れているんだ。
それは綺麗なものかもしれないし、可愛いものかもしれない。 きっとお父さんやお母さんが見たことの無いものも有るだろうね。
山雲にはそんな素敵なものにたくさん触れて大きくなってほしいんだ。
今はまだこの日になると胸がザワザワしたりお腹が痛くなるかもしれないけど、その時は素敵なものが山雲を守って、支えてくれる。
もちろん、お父さんとお母さんが1番に守るけど!
……だから何も心配しなくていいよ。
もう怖いものはいないから、素敵なものが世界にあふれてるからさ。
さて、明日も学校だ。
帰ったら、お父さんの作った甘酒を一緒に飲んで温まろう。
それで温まったら一緒に寝よう。
ぐっすりぐっすり。
今日は10月25日。
明日はきっと良い日。
素敵な夜ですこと。いいお父様ですねぇ。
子供達には大きすぎる二段ベッド。上で姉が、下で妹が規則的な寝息を立てている。のびのびと伸ばした足のさらに先には、ちょっとした物置スペースが設けられている。
思い思いにシールや絵で飾り立てた元段ボール箱は、外装以上の夢を内側に湛えている。絵本や、おもちゃや、ぬいぐるみ。正義の碇に、魔法のステッキ。ごちゃごちゃと詰め込まれたそれらは、夜も輝きを失わない。
寝息に紛れて、くぐもった声が漏れる。朝霜が寝返りを打ったらしい。すこし首を伸ばして見れば、可愛らしさの残る手に小さな傷がついている。綺麗な肌に不釣り合いな擦り傷。それを隠すように、はじかれた布団を肩までかけなおす。一度の寝返りで出来る乱れじゃないし、どうせいつも通り軽く胸あたりまで潜っただけで寝たんだろう。まだ冬布団は暑く感じてしまうのも、仕方がないところはあるか。
誇らしい練習中の傷。努力の証。一生残る痕じゃあるまいし。いくら語られても、頭で納得したつもりになっても、笑顔の娘たちに笑顔で返してみても、父としていい気分にはなれない。―――提督としても、終ぞ、傷を肯定することはできなかった。
過保護気味の教育も、過剰に慎重な采配も、絶対的な正義ではない。わかっているけれど、それでも、できるならひと時すら苦しむことなく育ってほしいと思っているし、一度の戦闘なく終戦になればと思っていた。
安全主義の看板のもと出撃も訓練も兵装拡張も小規模で、最前線は余所任せの戦時だった。大戦世代のひとりだなんて、全く名前負けも甚だしい。あの頼りない提督は、彼女たちにどう見えていたのだろう。艦娘としての爪牙を振るう機会を、未熟と臆病で失わせた僕をどう思っているのだろう。気にならないと言えば嘘になるが、とはいえもう過去の話。今さら問いただす機会も、理由もないから、ただ胸に秘めるだけ。
二人はどう思っているんだろう。妻にべったりで、娘たちも甘やかし気味で、だけど時々妙に口うるさい。今は良くても、早ければ数年後にも疎まれるかもしれない。考えたくもないが、反抗期って来るものだからなぁ。非行に走らなければいい…くらいで構えておくべきなんだろうか。僕の書いた「父親」たちは、どんな風にしていたっけ。
……あまり思い詰めても仕方ないかな。僕と彼女の子なんだから、まぁ、悪いようにはならないだろう。
幸い、元艦娘たちもいれば親友達も少しはいる。特に山雲ちゃんのお父さんは、貴重な男親仲間だ。穏やかながら芯の強そうな雰囲気は、同年代ながらなかなかに頼りがいを感じさせて、一応は僕の方が父として先輩(らしい)ということを忘れそうになる。奥様を見たことないけれど、どんな人なんだろう。編集チームみたいなキャリアウーマンとか?どんな人でも、幸せな家庭なんだろうな。
僕らも、今以上に幸せな家庭を築いていこう。
起こさないようにそっと撫でる。朝霜も睦月も、いい寝顔だ。常夜灯程度の明るさでも、見紛うことのない愛おしさ。
今は幸せな夢を見て、おやすみ、おやすみ。
昨日の話。
いよいよこの日がやってきた。
なんて大げさに言ってしまうが、今日は山雲の晴れ舞台の運動会。
ところどころ晴れ間はあるものの曇り気味、おまけに少し肌寒い。
ただそんなの関係ないと体操着姿の小学生たちはグラウンドで元気いっぱいだった。
子供は風の子とは言うけど本当にその通り!
いやはやたくましい。
「山雲はどこ?」
「ほらあそこ、白組」
「前の方かしら、背中しかみえないわ……」
今日は雲龍も連れてきた。
この間とは違いメガネを外して、僕の隣で背伸びして必死に探す姿は愛らしい。
普段は出不精だが、やはり母として娘の頑張っている姿が見たかったようだ。
この日のためにと、新しいカメラまで首から下げている。
……って僕の持ってる機種より新しい奴じゃないか。
家電量販店の広告で見かけて僕が密かに買おうと思ったのに。
ま、まあ気合いの入れようが半端ないことは良い事だろう。
そうそう、すぐ近くでは村雨さん一家の姿を見かけた。
見かける度に思うが、温和な第一印象を受ける素敵な旦那さん。 あの雲龍が後半からとは言え自分から話しかける人だから、優しさ溢れる方なんだろうなと勝手ながら僕は思う。 隣にいて旦那さんにくっつく村雨さんもポニーテールを揺らして子供たちに声援をかけており、賑やかだ。
睦月ちゃんと朝霜ちゃんは赤組か……。
お母さんの声を聞いて手を振り返す2人を横目で見て、僕らの方に目を向けずクラスメイトと談笑中の山雲に歯がゆさと寂しさを覚えたり。
競技の方だが、徒競走、玉入れ、騎馬戦、綱引きなど僕が子供の頃と変わらない種目が殆どだった。
僕が卒業して暫く経つけれど、流石に突飛な種目には変わっていないか。
さて徒競走。
我が愛娘はと言うと、笑みを絶やさず疾走中。
普段の愛らしさに力強さが追加されて、もう最強。 この一言に尽きる。
僕は声を張り上げて応援し、妻は淡々と連写をしていた。
『艦載機を飛ばして空撮しようかしら』と過激なつぶやきをしていたのであわてて止めたが、普通のデジカメでもなかなかじゃないか。
特にこのゴールテープを切る瞬間の1枚はベストショット確定だな。 よもや年賀状筆頭候補がこんな所で手に入るとは。
他の子供たちも速い速い。 山雲がライバル宣言していた睦月ちゃんも速かった。
パワフルだなぁと舌を巻かざるを得ない。
2人は対戦しなかったが競走したらどっちが勝つのかと考えてしまった。
親バカではあるが山雲が勝つと僕は信じたい。
そしてダンス。
リズミカルな音楽に合わせて、飛んだり跳ねたり、身軽に子供たちが舞う。
ここまで息を揃えて踊るには練習も大変だったろうに。 微笑みを浮かべて踊る山雲の姿に僕の心はグッと掴まれてしまった。
運動会のプログラムをペラペラ捲っていたら借り人競走というのを見つけた。
借り物競走の借り物が人になったものらしい。
「借りた物を返す手間が無くていいじゃない」と雲龍が言っており、僕も同意。
楽しい場所でのトラブルと言うのは避けたいことだろうしね。
この借り人競争には山雲が出場していたが、借り人は【ツインテールの人】。
ツインテールの人なんてそうそう……。
「山雲とー、一緒に来てほしいなーって」
「はいはーい、村雨で良かったらついていってあげる」
「やったあー!」
……ありがとうございます。
トテトテと歩いてきた山雲のお願いに笑顔で快諾してくれる村雨さんに感謝。
二人で仲良く手を繋いで無事にゴールしてくれた。
ありがとうございました。
さて、僕は借り物にならなかったが雲龍は借り人になった。
【カメラを持っている人】
持っているどころか身につけているから……。
それに背が高いから雲龍は目立つし。
顔を赤くして恥ずかしそうな姿を見るのは僕は大好きだが、村雨さんと比べたらもう少し人懐っこくなってほしいかなと苦笑。
お昼の時間。
唐揚げや卵焼き、いなり寿司を筆頭に山雲のリクエストで作ったお弁当のお昼。
『おいしいおいしい!』と大喜びで頬張ってくれる姿が嬉しい。
早起きして雲龍と作ったかいもあった。
特に雲龍作のいなり寿司がかなり気に入ったようだ。
ぼ、僕の唐揚げだって美味いぞ。
「睦月ちゃんにもーあげてくるからー」
待て!と止める間もなく紙皿にいなり寿司を乗せると村雨さん宅に山雲が輸送作戦へ。
慌てて止めようとしたが時既にお寿司、いや遅し。
睦月ちゃんも朝霜ちゃんもいなり寿司にパクっと食べていた。
頭を抱える僕に気にしなくて良いですよと手を振って答えてくれた寛大な村雨さんと旦那さんには感謝しかないなあ。
お昼を食べ終えて午後の目玉競技はリレー。
朝霜ちゃんも睦月ちゃんも、そしてウチの山雲も選手。
そして何よりトップバッターが山雲と睦月ちゃんの直接対決とは僕も知らずにびっくり。
午前中に考えた対決が実現してしまうとは……、大事なリレーの1番手になる誉れを貰えるのはうらやましいぞ。
『ヨーイドン!』パァンッ!
2人の真剣勝負。
固唾を呑む僕。
「山雲しっかり!」
柄にもなく声を出して応援する雲龍。
カメラのことなんて飛び跳ねるなんて珍しい。 気持ちも昂ぶっているようだった。
結果だが、2人共譲らずに同じタイミングで次の走者にバトンパスへ。
その後は朝霜ちゃんを筆頭に赤組の方がジリジリと差を広げていってしまい、白組の敗北。
いやいや、それでもリレー選手から応援していた子たちまで全員が頑張ったと思う。良い勝負だった。
そして閉会式。
白組はリレーが響いて負けてしまったが、力を出しきった山雲の姿は普段よりも大きく見えた。
きっとこういうイベントを1つずつ乗り越えて階段を昇るんだろうな。
改めて大きな成長を感じた1日でした。
【ご挨拶】
「お疲れ様でした」
帰りの車に向かう道すがら。村雨さんの一家を見かけたので、思わず僕は話しかけてしまった。
あまりに急なことで驚いたはずなのに優しい笑顔でこちらこそと返してくれた旦那さんは良い人だ。 ボキャブラリーが乏しいが、家族を愛する優しい人。
……話しかけるにも関わらず、僕の影にこっそり隠れようとする妻をわざと旦那さんの方へ出した。
ほら、こういうところで仲良くならなくてどうする。
ペコリと固く頭を下げる妻を見て旦那さんは気がついたようだ。少し驚いたのか目を見開いたのを僕は見逃さなかった。
そうです。
劇の脚本を書いたWolke・Drachenは山雲の母であり、僕の妻、目の前の雲龍。
「小説の方、エッセイの連載前から読んでました」
「家族の愛に対する書き方や、父性のあり方について共感しています」
「その、前に会ったときには言えなかったので……」
雲龍は僕の手を強く握りながら、旦那さんに話す。
……というかファンだったのか。
すっかり恐縮した様子の妻を見て、同じく恐縮したように頭を下げてくれる旦那さん。
なんだかとても申し訳ない。
「良かったら、ウチのお酒とかいかがですか?」
今思い返すと、とんでもないタイミングで訳分からない言葉を出してしまった。
フォローでもなんでもない。 妻とお仕事するという事でそのお礼がずっとしたかったのだがタイミングが来たと浮かれていたせいだと思う。
『僕はあまりお酒が強くないので……』
やんわり断られた。
お酒小学生や関係のある人が多い人が好む、あるいは必須なものは……。
「それならお米! ウチには田んぼがあるので収穫したのをプレゼントさせてください!」
帰りの車内。
後部座席でぐっすり寝ている山雲と比較して少しドンヨリしている僕ら夫婦。
「あなたお米って…」
「きっと食べ盛りだろうし食べるかなって。 君こそ仕事の話じゃなくて、本の内容について色々話していたじゃないか」
「私は仕事だから……」
「……もっと慌てないようにしないとな」
「そうね……」
僕達も山雲に負けないくらい成長しなくては…。
【おしまい】
つい先日行われたお姉ちゃんの学校の文化祭。
私たちももちろん行きました。部活の展示、吹奏楽部の演奏、授業で制作した作品の公開と、中身自体は普通の文化祭。
村雨ちゃんはレクリエーション部の活動として今年釣り上げた魚の魚拓を展示していました。
ざっと測ると30cm。かなり大物を釣り上げたご様子。展示の説明しているお姉ちゃんが活き活きしていて、こちらもエネルギッシュになった気分。
妹は自家製の和紙で作られた扇子を見て自分も作りたい!とぴょんぴょん跳ねて興奮していました。ちょっと調べて来年の自由研究の材料にしてみてはどうかと提案してみよう。
ステージの方はというと、村雨ちゃんはもともと出場予定がなかったみたい。ぼうっと傍目に見ているとステージが暗転。どうしたかとしばらく気になっていたがここで放送が。
「サプライズゲストをお呼びしております。グラーフ・ツェッペリンと加賀!彼らのマジックショーと歌をご鑑賞ください。」
壇上に上がったのはまさかの旦那。
ステージに立つやいなや、早速次々とマジックを披露していく。マジックは話術も重要と聞いたことがあるけれども、無言でBGMだけが流れたままいくつかこなしていた。それだけマジックに自信があるということか、それとも……。
終始無言で通したマジックもド派手に終わり、ここでグラーフと加賀の紹介が入る。というかいつ打ち合わせして練習したんだ二人は。と自分の中だけでツッコんでいた。
自己紹介が終わると二人は舞台袖に引っ込んでいって、着替えて出てきたら時計はヒトヒトゴーゴー。
「Es ist fünf vor zwölf.今は12時の5分前。私たちの本日最後のプログラムとしよう。」
「ミュージカル『エリザベート』より『闇が広がる』。どうぞお聞きください。」
後に旦那から聞いた話であるが、この曲の原語はドイツ語らしい。それにもかかわらず日本語で難しいメロディーパートを歌い上げていた。加賀の低音のハモりも素晴らしいとしか言えないほど整っていた。流石加賀岬を艦娘時代に歌った空母である。
片手を伸ばしてお互い向かい合いながらゆっくり回る演技をしていたのが気になっていた。これもミュージカルならではなのだろう。
曲が終わったあと、加賀が舞台袖に逃げていってすぐに緞帳が降りた。ご清聴ありがとうございましたの挨拶のアナウンスがしてしばらくあとに服装は元通りだがメイクが残っている旦那が戻ってきた。
お昼時だ。3人で近くの店のトルコライスでも食べようかしら。
村雨ちゃんにはお手製弁当渡したけど3人のナイショにしておこう。
来週末には演劇の打ち合わせも始まるのでここから忙しくなりそう。旦那は依然とのんびりだけどどうなるのだろうか?
土曜日。待ちに待った運動会。
海と山が近いこの街では、夏から秋の間が特に忙しい。昔は特に、旅行者相手の商売が書き入れ時であったり農作業の収穫シーズンだったりしたらしい。それもあってか学校行事の類は、よその土地より遅く設定される傾向にある。
少し海から離れた僕らの町の小学校でもそれは同じ。青い空と紅い山がくっきり二色になるころ、運動会の号砲がなる。
運動はそんなに得意じゃなかった僕と違い、娘たちは大活躍だ。
朝霜は普段からのあふれるエネルギーを競技に思い切りぶつけて大活躍。鉢巻もよくお似合いだ。徒競走では最後に出てきて思い切り駆け抜けて、堂々一番。応援が聞こえたのか、見えていたのか、こちらを見て自信満面ににやり。続く競技でも八面六臂で、まさにクラスのエースといったところ。自慢の生意気娘よ。
睦月も全く、よく跳んで走るもので。お姉ちゃんに連れ出されて外遊びする睦月は、確かに強く成長している。ちょっとママっ子なところがあって心配していたんだけど、もう立派に人の輪に入っていけるようになったんだな。あぁ、あぁ、まったく涙もろいのが顕著になってきた気がする。
ほかにも、障害物競走や玉入れなど、いろんな種目が行われた。それを見る僕らもエキサイト。
村雨ちゃんは二人とお揃いのポニーテールで爽やかに、僕は青葉とお衣に習った技を活かして撮影もしながら、楽しく応援、もしくは観戦。
……してたつもりなんだけど、上級生の二人三脚を見てるときに村雨ちゃんに小突かれてしまった。注意して曰く「一人だけ本物の戦争してるみたい」とのこと。そんなに危険な顔してたか……確かに男女ペアで心中穏やかでなかったのは認めるけど。
ダンスも素晴らしく、よく揃ったものだ。笑顔を振りまいて会場中を温かくしてくれる。
ええと、睦月に山雲ちゃんに、入れ替わり立ち代わりに上級生から朝霜、如月ちゃん、清霜ちゃんもいるし、カメラと声援と自分の目で見るのが追い付かない!
舞風さんらがやってるのとは違うけど、こういうダンスもいいものだよな。喜劇でも使いやすいしな。
続いて、借り人競走。文字通り人を借りる競走だ。お昼を前にしてレクリエーション感の強い種目が続く構成は、子供たちも飽きることがなくていいだろう。プログラム構成というか、章立てというか、色々と勉強になる。
そんなことを考えている隣で、村雨ちゃんが何やらごそごそしている。
「村雨ちゃん、何してんの?ポニーやめちゃうの?」
「んー、ポニーで結ってるお母さんは他にもいるからね。念のため念のため」
「なるほど」
ちょいと思い返してみれば、今さっき交渉をしていた声の端に「ショートカット」とか聞こえた気がする。その上見回せばこの周辺にツインテールの人はいない。確かに理にはかなっている。
「って言ってもねぇ」流石にそんな、ちょうど来るわけ……。
「あのぉ~」
来た。ふわふわの少女が、うっすら汗の粒を光らせて。
「あら、なぁに?」
「山雲とー、一緒に来てほしいなーって」
「はいはーい、村雨で良かったらついていってあげる」
「やったあー!」
「行ってらっしゃい」
流石元・旗艦様は目端の利くことで……。
予想通りに仕込まれていた髪型シリーズを引き当てたのは、睦月の友人の山雲ちゃん。手をつないでゴールする様は微笑ましく、もちろんこれも写真に収めました。
にこにこ笑顔を絶やさないのは、以前から何度か見て知ってはいたけれど、少し気になったのは彼女の方から手を差し出して、やさしく引いて行ったこと。おいおい、まるでエスコートじゃないか……ずいぶん紳士的な技を身につけてることだ。負けてられないな、と思った自分に苦笑する。どんな対抗心なのか。
でもまぁ、あの頼りがいのありそうな旦那さんならそんなに驚くべくもなし、か。睦月のことも手もとって行ってくれてるのかなぁ。ありがたいことだ。
清霜ちゃんが普段から憧れる長身の美人さんを見つけて手を引いて行ったところも、またよかったかな。
目を凝らしてみれば、送り出す旦那さんは山雲ちゃんのお父さん。ということはあの人が山雲ちゃんのお母さんってことで、なるほどどこか似てる気がする。
……それ以上に、どこかで見たような。後日検証するのと、競技の一環ってことで、取り急ぎ一枚ぱしゃり。
さて、お楽しみのお昼ご飯。
朝霜と睦月が観覧エリアの僕らのところに走ってきて、るんるん。午前いっぱい頑張ったからな。
「あれ、母ちゃんツインテールだ」
「む~、お揃いしようよ~」
「わかったわよぉ。ちょっと待っててね」
「二人とも、おつかれさま」
「へへっ、どーだ!あたいの活躍っ!」
「凄かったなほんと。鼻が高いよ」
「ママ、睦月もがんばったよ!」
「はいはーい、ばっちり!見てたわよ」
村雨ちゃんの手作りのお弁当を囲んで木陰でのひと時。今日のメニューは玉子焼き、おにぎり、ハムカツ、ウィンナーなどなど、見た目もコロコロしているけれど、さりげなく語呂合わせが多いのもかわいい。こんな力作を朝から早起きして作ってくれた村雨ちゃんは本当にすごいなぁ。いつもお世話になってるけれど、改めてありがたく思う。
そんなことを思っていたところに「睦月ちゃん、睦月ちゃん」と呼ぶ声。さっきも耳に覚えた声…振り向いてみればやっぱり山雲ちゃん。と、その手元にはいなり寿司。
「あのねぇ、お母さんの手作りでねぇ。とってもおいしいから睦月ちゃんもお姉ちゃんもどぉぞぉ」
「わぁ、ありがとう!ん~~!」
「うまいなぁこれ!ありがとな!」
来た方を見ればご両親が焦ったご様子。「気にしないで、ありがとう」とジェスチャーでお返ししたけど、伝わっただろうか。
「山雲ちゃん、お返しに私のおにぎり受け取ってくれるかしら?」
「お父さんとお母さんにもありがとうって、伝えてくれる?」
「はぁい。ありがとうございますぅ。あ、そうだ!」
またマイペースに歩いていく去り際、振り返ったその目は、奥の奥で鋭い光を放っていて。
「睦月ちゃん、リレーは負けないからねぇ」
「むっ!こっちのセリフにゃし!」
少女が勝負に向かうこの気配。…鎮守府時代を想起せざるを得ない。
「それじゃあねぇ」
どこからか流れてきた薄雲が日を隠すけれど、未だ月とともに高くあり、熱は尽きることがなさそうだ。
午後。
血気盛んな男子の騎馬戦が大トリとはいえ、女児とその家族にとってはリレーが一番の大勝負。
学年別の選抜メンバーが紅白の組から数チームずつ。我が家から同チームで出場とは、運動が得意ではなかった僕からすれば信じられない感覚だ。
運動場中に緊張感が走る。先生の掲げた手に制されるように、静寂が訪れる。その一瞬を逃すまいとするかのように、開始の合図が言い放たれた。
一番手、睦月と山雲ちゃんの直接勝負。小さな体を懸命に使って、地を踏みしめて風を斬る。午前の個人戦でも特に速かった二人だけに、ほかの選手を引き離して実質的に一騎打ち。抜きつ抜かれつは大股一歩分にも満たない接戦で、そのままぐんぐんと加速していく。そうしてそのまま、バトンを次の選手に託して二人の勝負は互角に終わった。
……これはのちに気付いたことだけど、このとき、睦月は負けていた。朝霜と家で綿密に行ったバトンの練習で、睦月は山雲ちゃんよりもバトンの受け渡しが上手くなっていた。巧妙にアドバンテージを得たのは、もちろん褒められこそすれ恥じることではない。技術では勝ったのだ。けれど、「そうして稼いでなおも互角だった」ということで、純粋な速さの勝負では……。
もちろん、観戦の最中はそんなこと気にせずに大声で応援してたんだけれど。
追い付いては抜き去り、おいて行かれては追い付く。シーソーゲームを終わらせるのがうちの娘とは誉れ高いものだ。ほぼ横並びから、腕が振られ、顔を現し、体が飛び出て、また脚が伸びる。数歩分で集団を抜け出て、そのまま差をキープする。絵に描いたようなぶっちぎりとはならなくても、誰の目にも明らかなリードが初めて生まれた。
鉢巻の尾を躍らせて、すらりとした手足を躍動させて。普段は彼女なりの美学で隠す瞳は、今まっすぐに前を見て、ただただ駆け抜けてゆく。髪が、汗が、彼女全てが、雲の切れ間の光を浴びて、そして彼女こそが光になる。目と心を奪われて、声を出すのを忘れてしまう。
小さな三脚で構えたカメラに、村雨ちゃんの声が記録される。
「パパったら、朝霜がカッコよくて泣いちゃってるわ」
閉会式!我が家赤組の勝利である!
睦月も朝霜も、一日大活躍だったので、お祝いをしてあげないと。村雨ちゃんもお疲れだろうし、僕のお小遣いから外食するのもいいかもなぁ。
人生全体では小さな事かもしれないけど、15年も生きてない彼女たちにとってはとても大きな成功体験。盛大にほめて自信にしてあげないとね。
「お疲れさまでした」
「あれ、どうも。そちらこそお疲れ様です」
不意に声をかけられて、振り返れば今日何度目かの山雲ちゃん一家。白組だったから、悔しかったんだろう……けれど、もう子供たちは仲良くしている。うんうん、何よりだ。
それより気になったのは、旦那さんに隠れた奥さんの方。人見知りされるタイプなんだろうか。旦那さんに促されて前に出て、長い髪を揺らしながら一礼して自己紹介。
「もしかして」
「……はい。先日の打ち合わせ、お世話になりました」
「あっ、いえ、こちらこそ」
「あら?二人ともお知り合い?」
「あぁ、前話したでしょ。脚本家の先生。まさかこんなに近くにいるとは」
「なになに?パパと山雲ちゃんのママお友達だったの?」
意外なこともあるものだ。山雲ちゃんのお母さんが、ヴォルケ先生もとい、えぇと、雲龍さんだったとは。
偶然に感心していると、おずおずと、だけどしっかりとした口調で作品の感想を伝えられた。読んでいただけてるだけでも望外だというのに。家族愛、人を見守ることといった、学生をメインにした小説には少し不釣り合いな…けれど、僕の書きたい裏の主題を受け取ってくれている。こんなにうれしいことはない。
「……身に余る光栄です。それに、こちらこそエッセイ楽しく読ませていただきました」
「独特の視点、感性で、読んでるだけで新しい世界が見えるというか……温かくなるというか」
「これから、劇も執筆も、あと親としても、よろしくお願いします」
感極まって、つい深く頭を下げてしまった。
すると隣から「至らぬ夫ですが、私からもよろしくお願いします」と村雨ちゃん。続いて朝霜、睦月も「お、お願いします!」「おねがいしまーす!」と頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」と、あちらのご一家も声を合わせる。夕日射し込む学校でなにをしているやら。恐縮しあってしまった。
根本的に似た者同士。仲良くなっていけそうだ。
「流石に今日は寝付くの早いわ。……あら、チームカラーね」
「お祝いだからね。じゃ、改めて、二人の勝利に乾杯」
「……ん~」
「……ふぅ、おいし」
「あなた、『お酒弱い』んじゃなかったの?それともお米のお酒苦手だっけ?」
「……村雨ちゃんは飲みたかった?山雲ちゃんちのお酒」
「んー?そりゃ、興味はあったけど……いや、そうじゃなくて。完全にダメじゃないのに、わざわざ断るのもどうなのかなって」
「うん、正直日本酒飲みたいけどねぇ。でももらったお酒で潰れたら悪い気がして……」
「……よくわかんない。加減して飲めばいいじゃない」
「僕もそう思うよ。ちゃんとお客さんとして買いに行こうか」
「村雨ちゃん、ペース早すぎない?大丈夫?」
「もぉちょっとだけ~えへ~」
「はぁ……いいけど。そいえばさ、雲龍さんの話なんだけど」
「なぁに?ほかのおんなのひとのはなし?うわきよー」
「違う違う。ただ、なんか打ち合わせよりも前に見かけた気がしてさ。村雨ちゃんも初対面じゃない感じだったじゃない?」
「んー……そりゃそうれしょ……あのひともとくうぼよ?」
「……え?」
「うんりゅーなんてふつうのおんなのひとのなまえじゃないれしょ。きどうぶたいのりゅうじんさまよ~。ぜんせんやぁ、だいほんえいでぇ、なかよくなってたのー」
「……思い、出した。何度かうちから支援出した作戦記録に映ってたんだ」
「ひさしぶりだったけどぉ、ますますきれいになってたわぁ……いいかぞくなのねぇ」
「村雨ちゃんも」
「んー?」
「村雨ちゃんが、ずうっと僕の一等賞だよ」
「……しってる。ふふ」
一等賞の彼女が、家族が輝き続けるために、あの旦那さんみたいにしっかりしないとな。がんばろう。
魔術師の旦那がまたなんか暖炉をたいて魔法を呟いていた。
話を聞くとハロウィンはケルトの祭が元々のルーツだったらしい。ケルト模様のケープを羽織った旦那にはちょうど相応しい、というわけであった。
旦那の書斎にはお香の匂いが漂っていた。
ちなみに仮装だが、旦那は元からの魔法使い故にしないらしい。それどころか旦那は
「魔法使いの姿で平気で街を歩けるのはこの時期だけだ」
どご機嫌になるようで。
魔法を唱え終わった旦那は姿を消し、一冊の臙脂色の本へと変身していった。
最近はだいたいその姿で眠っている気がする。
今夜もいたずらしようかな。今日は本棚の中に紛れ込ませてやろう。
今日の夕食は缶詰から。
予め旦那がチョイスしたいくつかの缶詰から家族ひとりひとつずつ選んで自分で調理していく形に。
姉がサンマの蒲焼き、妹はサバの味噌煮、私はオイルサーディン、旦那は蟹缶。
それぞれそのまま湯煎したり、焼いたり、サラダに入れたりして仕上げていった。
調理したものは食卓に並べられてみんなでつまんだ。旦那が意外と健康に気にしている派のようだ。寝る必要もないのに。
ちなみに選ばれなかったもののなかには1つ1500円ぐらいの高級缶詰もあるようだ。
さすが伯爵閣下もいったところだ。
……ところで今、甘口のドイツワインと一緒に食べている缶詰はなんだろう?
チョウザメの卵の塩漬けみたいな気がする……。
いつもより水道水が冷たい気がする。秋も深まり、フローリングから寒気が這い上がってくる。
昔村雨ちゃんが自慢していた五本指ソックス、あれって男性用もあるんだろうか。ぼうと考えながら、三人分の食器を洗う。彼女がここにいたならば、お湯じゃないと肌に悪いとか、ちゃんと汚れが落ちないとか、お小言をいただくことになるんだろうけれど。いないからいただかない。いただけないのは当たり前。
冷水をよく切って、ラックに掛けておく。食器の自動洗浄乾燥機も、いずれは導入を考えるべきかな。水仕事が大変な老後とか?それでなくても時短ってことで義姉さんの家で検討していた気がする。大家族だからなぁ。あっちが使っていい感じだったら家族会議に諮ろう……って、どのくらい後になるんだろうね。
鳳翔さんやザラは食洗器を使っていた覚えはないけど、カウンターでお仕事してるからかな。雰囲気づくりの意味が大きいんだろう。
雰囲気。空気。空間を作るのに欠かせないもの。人ひとりいなければ、たやすく壊れるもの。
妙に手足が冷たいのは一人だからだと、タオルで水をぬぐい終わってから気付いた。
僕一人には、この家は大きすぎる。
「あ、起きてましたか」
「えぇ、ちょっとはいい具合」
「お昼どうする?食べれそう?」
「うーん、ちょっとなら。野菜の使い残しがあるから適当に使い切っちゃって」
「わかった」
「掃除もお買い物もしなくていいからね。明日まとめてやっちゃうから」
「それくらいはできるし。今は自分のこと心配してて」
「はぁい。お任せしちゃおっかな」
「濡れタオルとお水置いとくからね」
「……拭いてくれないの?」
「うぐ」
「……ねぇ?」
「……お言葉に甘えて」
村雨ちゃんが、朝起きてこなかった。
それだけなら珍しいけど、異常ではなかった。昨夜は夜遅くなってしまっていたし、本当にぐっすり眠っていたようだったから起こすのは悪いかな、と素直に思った。
結局起きてきたのは、娘たちを送り出してから。抜かりなく炊飯の準備はしてあって、流石は良妻と感心していたところ、いつもより間隔を空けた足音とともに一階へと下りてきた。音に聞いてもおかしかったのに、目にも見れば妙に赤くて、無理に笑っているようで、明らかに様子がおかしかった。不安半分確信半分で体温を測れば、案の定風邪をひいていたというわけである。
自覚症状も少なく、病院に行くほど高熱でもない。ひとまずはゼリーだけ食べさせ風邪薬を飲ませて、また寝なおしてもらった。
家事をしていたり、仕事をしていたり、別々の部屋にいることは少なくないのに、今日は食器を洗うだけで寒々しくなる。思案するだけで恐ろしくなる。十数年一緒にいて、体調不良は初めてじゃない。不良と言ってはいけない気がするけど、産前産後はもっと辛そうだった。鎮守府時代なんて、傷を負ったり寝込んだりは日常だった。
けれど、いくらそんな経験があっても、慣れるものじゃない。村雨ちゃんの、心配をかけまいと笑おうとする、その裏側で困って苦しむあの顔は、できれば二度と見たくない。
そんなことを火より鍋より熱く願ったって、人間、倒れるときは倒れる。運動会の準備やら、ハロウィンのお菓子作りとか、対応とか。加えてハロウィン前には雑貨屋の手伝いもしてたっぽいし、とどめに昨日祝日の釣り堀遊び、ってことか。働き者の嫁を持つと誇らしい、とだけ言っている場合じゃない。
支えるって心に決めなおして一週間も経ってない。不甲斐ない夫だ。心も、鍋も、静かにぐつぐつ。
「おかゆだ」
「朝のご飯が残ってたので。定番かなと」
「ありがと。いただきます」
「はいどうぞ」
「……あったかい」
「いつも、ありがとうね」
「…なにそれ」
「ありがとう」
「……ふふ」
風邪薬を飲んだからといってすぐに良くなるわけがなく、村雨ちゃんはまた眠りについた。
口元をマスクで隠していても、すこし覗く頬が紅潮しているのがわかる。ダブルベッドの真ん中で、ゆっくり寝息を立てていて、安らかな感じ。うなされていないのがいくらかの救いだ。うっすらと流れる汗は、拭いていいのか悪いのか。触れて起こしてしまうのは申し訳ない。だけど、ちゃんと拭いてあげないといけない気もするし、それ以上に触れてしまいたい邪な心が僕の中で鎌首をもたげる。そっと閉じられた目元は優美。透き通った肌はただただ静かで、見ることさえも罪に思わせる。だけど、あるいはだからこそ、彼女を見ていたい。触れてしまいたい。
手を伸ばして、こぼれた呻きに咎められた気がして、諦める。先に食器、洗ってこよう。
「……ん……んーっ」
「おはよ。気分はどう?」
「かなり楽よ。今何時?」
「ヒトハチ…ちょっとすぎてる」
「うっそ、そんな時間!?二人は?」
「アニメのお時間。熱も何もないよ」
「そう……よかった。晩御飯、作るね」
「何言ってんの。寝てなさい」
「……むぅ。どうするの、ピザでもとるの?」
「どうしようかなぁ。義姉さんたちは……呼んでも悪いな」
「そうかしら?可愛い姪っこに会いに来ると思うわよ?」
「ふむ、一応連絡しておくね」
「……ところで、もしかしてずっといたの?」
「わかる?」
「マスクもして飲み物持ち込んで、ノートまで広げてたらねぇ」
「病の妻を放っておけるほど薄情な夫じゃないよ」
「あら、殊勝。……本音は?」
「さみしかった」
「よろしい。てことは、掃除やお買い物は」
「……明日やるよ」
「ふふ、明日のあなたに期待しておくわ」
連絡してから一時間と空けず、非番メンバーから白露義姉さん、春雨ちゃんと海風ちゃんが食品とともにやってきた。いつもほど賑やかにならないように注意を払った結果の人選らしい。睦月と朝霜(と白露義姉さん)がお風呂に入っている間に作ってくれたのは村雨ちゃんのお腹にもやさしいおうどん。大きな机を囲んで、7人で味わう。少し咳もあるけれど、みんなと一緒にいられるくらいに元気にはなったみたいで安心した。これで元気をもらえたかな?
お腹も満ちた睦月と朝霜はいつもより早く寝かせよう。そう思ったのに、今夜はテレビで名作アニメ映画。どうやって言いくるめようかね。いっそ見させて勝手に寝落ちさせた方が早いか。
三人はどうするつもりなんだろう。娘たちに泊っていくようにせがまれて断る義姉じゃないし、断れる義妹じゃない。村雨ちゃんに似た、今朝の村雨ちゃんとは似つかない困り笑顔でこちらを見るものだから、「いてくれた方がいい」と夫婦で歓迎するほかなかった。うつしてしまわないかだけが心配だけど、とりあえずマスクで対応してもらおう。
かくして、当初の狙いよりも少し外れて、暖かく夜は更けていく。明日にはよくなっているといいんだけど。心配だから一緒に寝たいんだけど、心配だから出禁だと既に言われてしまっている。仕方がないから、娘たちの「女の城」にお邪魔させていただこうかな。
村雨ちゃんの風邪ひとつ。それだけで、僕の心はかき乱された。空間の雰囲気の話じゃないけど、僕の中身の核、なのかな。流石に核は言い過ぎだけど、大事な存在なのが改めてわかった。大切にしなきゃ、支えていかなきゃ。助け合って、生きていかなきゃ。
彼女の核に、なれるかな。
「はぁ、それにしても、風邪ひいちゃったか~。ちょっとショック」
「いつもお疲れ様です。そうだ、今度は僕がマフラー編むよ」
「今度、って何年越しよ。ふふ、あなたにできるかしらん?」
「んん……頑張ります」
「ふふ。私はあの子たちの作るから、あなたは私たちの作ってくれる?」
「そだ、一本の長ーいの編むわ。二人用の」
「やぁだ、恥ずかしい。なんか古いし」
「やっぱり?」
「……でも、いいかも。うんうん♪」
「えっ、冗談のつもりだったんだけど」
「たまには冗談みたいなこともいいじゃない?ねぇ」
「わかった。編み物したことないから、教えてね」
「いいけど、その前にお仕事よ?」
「はいはーい!その前に、元気になってね」
「ん、わかったわ。おやすみなさい」
「おやすみ」