SSや怪文書、1レスSSなどを投下する用途のスレッドです。 アーカイブとしての保存や、絡み後の後日談などにお使いください。
いいか。悪いことは言わねえ。今から言うことは良く聞いておけ。これからそのピカピカの新品を飛ばして運び屋をするってんなら、聞いたことは忘れるな。 一つ。ゴールドスタインとアナトリアを敵に回すな。奴らはこの星の内海の中でもかなりまともでマシだ。マシなだけならドラキュリアの連中もそうだが、奴らはまともじゃあない。逆にインペリオなんかはまともだが、マシとは言えねえ。そういう奴らと釣り合いを取って商売をしたいなら、特にアナトリアとは絶対に戦うな。 二つ。怪物共と正面きって戦うな。この場合の怪物ってのはな、何かしらの方法で海を「渡ってくる」奴らだ。単に余所の世界の生物ってだけならアルケアのセイレイがヤバイが、奴らは基本的に喪失帯の中にとどまる。だが、「魔法少女」や「生きる焔」どもは別だ。あれは万が一出くわせば碌な事にならん上、それなり以上に強い。まあムスペッリの連中は言ってきかせりゃなんとかなることもあるがな。 三つ。喪失帯の中で争ってるような場所へ行くなら、少なくとも二十は護衛を集めろ。エーヴィヒカイト、ヨモツヒラサカ、ブラフマシラーストラあたりがわかりやすいか。特に、最後についちゃ五十護衛がいても足りないと思っておけ。お前は外に出たことがないからわからんだろうがな、あれは地獄だ。 四つ。内海の底に蠢くものが見えたら、すぐに全領域通信を飛ばせ。此処が近けりゃ一旦帰ってきて、サイクラーを使え。そいつだけは、一つの世界だけでどうのこうの言ってられねえヤバい案件だ。もし少しでも長生きしたいなら、忘れるな。 ……ああ、言うまでもないと思ったが、五つ目に言っとこう。空賊になぞなってくれるなよ。
その夜、眠そうなコロンビアの頭を叩きながら大騒ぎしていたのを覚えている。 準備はしていた。 ファルス・カルデアの連中に話をつけて、向こうの技術者とか、サーヴァントとかと頭をひねりながら作ったのが、この「元・新宿内外通信機」 この「新宿」の内と外、隔絶された空間の中で通信を取るための……となる予定だったのだが、 流石魔境新宿。何波を流しても手も足も羽も出ず通信の試みは失敗―――と思っていたのか!? そんなわけで、今私たち宇宙にいます。 毎度おなじみ私たちの持つ宝具の力で、「新宿」の領域を超えて擬似的な宇宙へ。そこからなら、なんとか向こうの情報を受け取るぐらいはできる。流石カルデア大した観測機じゃないか。めっちゃ重いけど。 さて、皆知っての通り私たちの霊基というのは運命的にガタガタだ。 入念なメンテナンスと言ってもコストがバカにならないし。「不測の事態」とかそういう奴を完全に防ぐことはできない。 ただ、最悪の事態のリスクというのは、最高のパフォーマンスを示した時に起こりうるものだ。振り子のように。 だから、私たちにとって宇宙に飛ぶというのは冗談ごとではない。次の再突入で燃え尽きるかもしれない。次の次の発射で空に散るかもしれない。 でも、それでも見なければならなかったのだ。 あぁ、いい時代だ。外ではネットワークのサービスがなんやかんやいろいろあって。 色んな人が、そして私たちも、こうして「歴史的な瞬間」を拝めるのだから。 白い塔がぐんぐんと登る。再び彼の国が手にし、人類史の新たな一つとして数えられる最果ての塔。 きっとそれは、何年か立ち止まっていた私達の旅路の続きを翔んでくれる。
あぁ、ここに産声を上げた天翔けるものよ。 長い旅路に祝福あれ。
「それにしても、どうしたんですアルスくん?こんなところに」
既に夜更け。 開発予定地の真新しい高台に立つのは、屋敷を抜け出たアルス/XXXIとパーシヴァルの二人だけ。 眼下には、繁華街の難波に負けず劣らず梅田の街が人工の灯で煌めき、行き交う人々で賑わっている。 対して高台の上は虫の音でも聞こえそうなほど静かに、眼上には星の明かりばかりが梅田の天井を照らしている。 そんな場所に急に行きたいと言い出したアルスのことを、パーシヴァルは疑問を浸した眼で見つめていた。
「うむ、その。ここのところ忙しく、ゆっくりできなかったのでな」 「―――そうですね、思い返せば色々なことがあったと思います」
少し詰まり気味に答えたアルスに、パーシヴァルが過去の記憶へ思考を巡らせる。 一年近くになるか。直近に起きた出来事は、それまでの自分たちの歩みに比してとても波乱に満ちていた。 始まりはきっと、「運び屋」ツクシが巻き込まれたトラブルに治安維持措置としてアルスが出向いた日。 それから運命は回り出した。 相次ぐ怪事件と激化する都市聖杯戦争、「日本」のクーデター、アルスの兄弟姉妹たる王器との競争。 そして、自身の姉から受け継ぎ、自身に埋め込まれた絶望の業との対峙。
数々の戦いを経て、再び束の間の平穏を取り戻した梅田の風景は、二人にとっては以前と異なって見えた。 何も変わらない日常などはない。複雑な意思が絡み合い、繊細なバランスで成り立つ均衡の上に立っている日常。 いつか壊れゆく、しかしその瞬間は誰にも予見できない日常。誰もそれを気づかぬまま過ごす日常――― だからこそ、いずれ来るその時までの全てを尊び、守っていかなければならない。
「それで……だ、本題なのだが……」
今夜の彼は、どこかしら歯切れが悪い。日頃凛々しく振る舞う姿とは対照的なほどに。 その理由を見出せず、パーシヴァルが再び首を傾げた。
「……戦いの中では、何度も危機に陥った。余も、そしてそなたも―――いつ喪われたとておかしくは無かっただろう」 「余はそなたを―――失いたくなどはない。そればかりを余は恐れてきたのだ」
「アルスくん……心配してくれていたんですね。えへへ、申し訳ないとは思っていますが、少し照れ臭いような……」
パーシヴァルが朗らかに微笑む。いつものように。 違う。
「だから……これからも無理はせぬように。そなたは、その。余の大事な―――騎士であるが故……」 「……勿論です!私はあなたのサーヴァント。いつまでもアルスくんと共にありますよ!」
パーシヴァルが胸を張って応える。いつものように。 違う、本当に伝えたいのは、もっと――― 少しずつ近づけてきた脚が止まる。言葉を重ねるごとに言い淀み、淀むほどに遠く離れていく。 それも本心だ。彼は確かにパーシヴァルの身を案じていた、確かに共にあって欲しいと願った。 しかし、全てを伝え切る事ができない。小さな体に重圧がのしかかり、脚は重く、言葉は圧し潰される。 だけど。
だけど、惑うな。 逃げるな。 言わなければ。 繋いだ運命に問うのだ。ここで伝えなければ―――きっと、何も変わらない。
「―――待って、パーシヴァル!!」
一歩踏み出す、彼女のすぐ近くまで。 手を前に出せば、彼女に届く。 そして―――彼女の手を取って、強く握りしめた。
「えっ―――?」
「……パーシヴァル!余は――――――」 「――――――僕は!あなたの事が好きです!!」
ただ、力の限りはっきりと叫ぶ。その瞬間、頭が真っ白に弾けた―――お互いに。 王と騎士ではない。マスターとサーヴァントでも、家族のような関係でもない。 これまでの十数年にあった2人の関係性、その全てを放り投げて。1人の少年が、1人の女性に想いを告げた。
「―――え、だって。そんな……え?」 「一体、そんなの。いつから―――」 「………覚えてない。パーシヴァルと過ごして、しばらくしてから」 「パーシヴァルのことで頭がいっぱいになったり、胸がギュってなったり、熱くなったり……」 「それって……好きだってことだと、思うんだ。だから、それを伝えたくて……最初からそのために、あなたをここに連れてきたんだ」 「だけど、苦しくて。うまく言えなくて……」
普段の尊大であろうとする言葉遣いは既に無い。 年相応の言葉を辿々しく繋げながら、アルスが懸命に自身の意思を吐き出し続ける。 口にすればなんと陳腐な言葉だろうが、止めることはない。こんな子供じみた恋心が、自身にとっての真実なのだから。
「……パーシヴァル」 「答えてほしいんだ。パーシヴァルは、僕のことを、どう思ってるのか」
きっと、受け入れられたとしても、否定されたとしても、元の関係に戻ることは叶わないだろう。 それでも、怯えて終わりたくない。これで何もかも終わってしまったとしても、全部を受け入れる。 だから、どうか、この気持ちを受け取って。
「―――――――――」
沈黙。しかし、戸惑いの中に、答えを見出しつつあった。 何もない日常の中なら、きっぱりと否定していたかもしれない。 生まれて間もない頃から10年以上世話をして、成長を見守ってきた。その在り方は姉弟か、もはや親子に近い。 そんな自分が、アルスを「そんな関係」と認識することは、きっと不可能だろうとパーシヴァルは確信していた。 そう、何事もなかったならば。
パーシヴァルの脳裏に浮かぶのは、10年に渡るアルスと過ごした日々。彼の日常と―――戦いの中の姿。 負傷した彼が弱々しく握り返した手が、今は自分の手を強く握りしめている。 挫折に打ちひしがれた小さな姿が、今は少しだけ大きくなったように映る。 あの時、 心身を子供に返した時、黄昏に照って輝いた翠の眼が、今は星の煌めきを抱いてこちらを見つめている。 天使様のような彼の輝きから目を離せなかった。その本当の理由が、今なら分かる。
アルスくん、変わったんだ。 もう小さな子供ではない。可愛い弟のような存在という自分の定義を飛び越えて、これから、きっと己の王道を見つけていく。 そして、今は弟でも王でもない。彼も、私も、唯一人として向かい合って―――鼓動を、とても近くに感じている。
なんだ。 ずっと前から、答えは決まっていたんだ。
握られた手を強く握り返し、胸元に寄せる。同時に少し身を屈めて、少年と目線を合わせた。 そして、
「うん」 「私も、好きだよ。アルスくん」
そう呟いて、 静かに、互いの唇を重ねた。
正確には、恐る恐るだったかもしれない。 生前はこれで子供ができてしまうと教えられていたし、召喚後に因果関係は無いと学んでからも誰とも交わすことは無かった。 だから、気が急いて失敗したら―――と思い、パーシヴァルは慎重に、結果としてとても長い口づけを交わした。
ゆっくりと距離を離す、再び視界に映った互いの表情が茹で蛸のようになっていて、恥ずかしい反面少し可笑しい。 もしかしたら、これまでのどの戦いよりも緊張したかもしれない。そんなアルスの体からふにゃと力が抜けた。
「そ、そうか。僕……余は!嬉しく思うぞ!」 「ふふっ。言葉遣い、今直しても遅いですよ」 「あぅぅ……」 「いいんです。いいんですよ。そんな所も私は好きなんですから……」
そう言って、パーシヴァルは体重を預けてきたアルスの身体を抱きしめる。 彼の暖かい体温を全身に感じる。それがじんわりと自身に染み渡り、心に溜まった波を和らげるように感じた。 強く求めるように抱き続ける。そうでなければ、きっと溜まった波はこの身を裂いてしまうだろうから。 共に体温を―――2人の「好き」を分かち合いたいと、そうパーシヴァルの心は求めていた。
だから、このまま時が永遠に止まって欲しいと――― 時? 我に帰ったように、今の時刻を予測で割り出す。……深夜過ぎ、というか抜け出た時点で刻限越えである。
「――――――早く戻りましょうアルスくん!これ絶対バレます!!説教では済まないやつです!!!」 「む、む!?いや待たれよ!裏庭から忍び込めばあるいは……!」 「そそそそうですね!?為せば成る!とか言いますし!ゆっくり、ゆっくり行けば大丈夫です!!」
その後、自宅屋敷へのスニーキングは速攻で見つかり、メイド長にこってりと叱られ正座させられた。
fin
「どうして貴方は、常に怒っているのですか?」 そう問うて来るものがいた。以前メイソンの部隊に助けられていた小娘だ。 別に怒ってなどいないと返すと、その女は不思議そうな顔をして俺に二度問うた。 「ではどうして、貴方は笑顔を見せないのですか? 皆は笑っているのに不公平です」と。 馬鹿馬鹿しい。俺は忙しいとその場は立ち去ったが、今思えばあれは俺の深層を突いていたのかもしれない。 あの時の俺は常に、何かに乾いていた。何かに飢えていた。それはまるで水面を眺めながら沈む死骸のように。 ただぼんやりと天上に輝く日輪の光を、その目に焼き付けるように。ぼんやりとした飢えを感じ続けていた。 だが分からないものを思考した所で何になる────、と。俺は俺の思考に、合理性という名の蓋をした。 故にあの女は、俺が隠している俺という在り方への問いを察したのだろう。言うならば、俺は俺ではなかった。 詰まる所、思い返せば俺は死んでいたのかもしれない。いや、生きてさえいない木偶。それが俺であったのだろう。 故にこそ、俺は俺に『生まれざる者』という定義を与えた。これが俺だと、俺自身に対して定義した名前。 俺はまだ生まれていない。故に目的も無ければ信念もない。生まれざる命。骨子亡き在り方。それが俺だ。 だからこそだろう。俺は俺自身に飢えていた。乾いていた。どこまでも満たされぬ空虚なる堅牢の檻。 それが────それが俺という存在なのだと、騙し騙し生き続けてきた。あの日までは
「貴方は満たされていない」 そう真理を突き付けた詐欺師がいた。影絵のように嘲笑い、死のように冷酷な詐欺師がいた。 あの時、その誘惑の言葉をあの女の問いのように聞き流していれば、また違った答えがあったのだろう。 だが俺はあの時にその言葉を咀嚼した。その言葉を己のものとした。その解を、俺の答えと受け入れた。 俺は人類の未来を案じている? 違う 俺は人類同士の争いを憂いている? 違う 俺はメイソンの発展を重んじている? 違う 俺は自然環境の保護を訴えている? 違う 違う。違う。どれもこれもが違う。俺は彷徨い続けた。俺は疑い続けた。俺は歩き続けた。俺は求め続けた。 そしてようやく解を得た。いや、導かれたというべきか。今まで抱いたその全てが正しく、そして間違っていただけだった。 俺は、人類史を 英霊を 駆逐したい。 たったそれだけの単純明快なる解答。それが俺の本質だった。 それを知ったその瞬間は、俺という生まれざる者に与えられた、初めての生の悦びの刹那だった。
その悦びを追い続けた結果が、この末路か。 英霊共が俺の肉体を壊していく。人類共が俺のあり方を崩してゆく。 俺の否定した結束が、俺の積み上げた全てを奪っていく。 どうして、こうなった。明白だ。俺が間違ったからだ。俺は、歩むべき道を間違えた。 カール・クラフトめの嘲笑う声が聞こえる。俺はユダになる事もできない人でなしだと。 ああ、そうだ。俺は何処まで行っても空虚だった。骨子亡き者に生み出せるものなど、何もなかった。 俺の人生に意味はなく、俺の在り方に価値はなく────、俺の追い求めたものは、総てが空白に満ちていた。 これが、あの日"死"に己を売り渡した罰だというのだろう。ならば死よ、我が身を連れて冥獄に導くがいい。 この身は人類史を冒涜し、この身は現世の今を白紙化し、この身は未来を刈り取らんとした大罪人ゆえに。 ただ 一つだけ もしもと叫べるのならば、 あの日、あの女に、俺が答えを出した可能性を、俺は見たい 「どうして貴方は、常に怒っているのですか?」 「………………。考えた事もなかったな」 「俺は────」
あぁ、もうじき降って来るな。
『フォルケンマイヤー君か!?そうか、君は生きていたのか……!?辛かったろう、本当に、辛かったろう……!!』 『ねぇ、カノンお兄ちゃん、デトレフ兄ちゃんは帰ってこないの?一緒に戦いに行ったんでしょ?』 『兄ちゃんが帰ってくるまで、わたし達どうしたらいいの?カノンお兄ちゃん……デトレフ兄ちゃん、いつ帰ってくるの?』 『―――何しに帰って来たんだい!あんた達ユーゲントがエリックを唆して!!早くうちの子を帰しなよ!!早く!』 『あんた、フォルケンマイヤー先生の……?すまん、本当にすまん。後少し、間に合わなかった……先生が倒れて……!!』
「親衛隊だ!これより車両の臨検を行う!!」 喧しい男の声に注意が引き戻された。 声の方向を見やると、黒い制服の男が数名。やたらと格好をつけた黒服と立ち姿、装飾は親衛隊のものと認識できた。 なんで、と頭を動かす必要は無さそうだ。要するにさっき下車した「ウォルフ博士」を追ってきたんだろう。 さて、どうしたものか。 「そこの少年。少し質問があるがいいか?」 男は真っ先に僕の方に―――いや当然だ。この車両は僕しか乗っていなかった―――話を投げかけてきた。 その間に残りの男たちは別の椅子の様子を調べている。 「……はい、質問は何でしょうか?」 「我々はある人物を捜している。捜索の協力を願い出たい」 「どんな人なんですか?」 「背は190ほど、その人物は仮装が趣味で顔は特定できない、ただ」 「―――何か、左の頬を隠していたはずだ。見ていないかね?」 仮装、まぁ仮想か。 当然心当たりはあった。さっき出会ったウォルフ博士の、肌の質感に感じた違和感。 恐らくは化粧か、映画で使う特殊メイクか?そういった類で左頬の―――恐らく負傷の跡を隠していると思えた。 そんな強面がSSに追われるなんて。思っていた通りあの博士結構訳ありらしい。 ……さて、ここで彼の行く先を教えれば、多分この男たちは帰ってくれるだろう。普通は逃亡中の相手を追いかける方が優先だ。 ここでSSと顔を合わせていたくない理由があるかと言えば、むしろ合わせたくない理由しかない。 精神療養のため原隊を離れて、そのまま復帰せずに私用でベルリンに向かってるのだから。今更ながら公然と脱走中というわけだ。 というわけで、 「すみません、僕は何も……その人、本当にこの列車に乗ったのでしょうか?」 シラを切った。 何故か。あの如何にも逃亡慣れした博士を庇い立てたところで自分にも、この国にも利となるとは思えない。 ならば何故―――あ、逃げろって言われたんだっけ。その時だけ、博士は真剣な眼差しでそう言ってた。 まぁ、そういう事を言われるのは初めてか久しぶりかだろうから。ついつい逃げ損なってしまった。 「―――本当かね?」 男が空気を変えてこちらを睨みつける。疑わしいよね。当然だ。 「この車両、ずっと僕しか乗っていませんでしたよ?誰か乗って来たなら気付きます」 「では、あそこの窓はなんだ?」 男に示された窓を見る。正確にはサッシ。暫く誰も開けなかったのだろうサッシには埃が積もっていて、 それが、部分的に埃が落ちて金属の光沢を取り戻していた。 「……僕が開けました」 「理由は?」 「外を見ていました。もうじき、夕立が来るなって」 今度は男が僕の視線の先を確認する。空はどんよりと灰色が押し込められ、今にも雨が溢れ落ちそうな圧迫感を孕んでいる。
とりあえず適当に思いついたことを述べてはいるが、大分苦しいな。そろそろ準備をした方が良いかもしれない。 そう考えて、コートの中に仕舞っているものを確認した。 まず手紙。今回の依頼人から送られた拠点の居場所が暗号で書かれていたが、解読済みのコイツを奪われると具合が悪い。 P08と……弾は弾倉に入ってる分だけ。前線からそのまま持ち帰って来たものなのでこれ以上は泣いても弾は出ない。 それからナイフ。これは弾切れしなくて良いのだが、相手は複数。全員P38を懐に入れてMP40まで抱えてる。 とりあえず目の前の男の手首を切って、掴んで盾にして、後は多分撃ってくるだろうから男の銃を奪って――― 「―――すみません、こちらを」 「ん?あぁ……」 不意に、眼鏡の黒服がさっきの男に話しかけた。男が下がって、眼鏡と一緒に資料を確認している。 何だ?自分の原隊の資料か何かだろうか。いや、第12SS装甲師団なんてもう半数は死んでるんだ。帳簿なんて大半は紙切れだろうに。 それよりも盾が離れたのが困る。早いところこっちに――― 「成程、奴が最後か」 「はい。予定の通りこちら側ではありませんでした」 「何、構わん―――『英霊兵』を出せ!!」 男が向こうの車両に向かって吠えた。―――ヘルトクリーガー?聞きなれない単語だが、何か、嫌な予感がする。 その瞬間、 「―――――――――」 ドアを開けて、何かが立ち入って来た。 全身が金属の光沢で覆われた、近代で使われたフルプレートのような鎧……いや唯の鎧なはずが無い。明らかに大きすぎる。 3mに届く巨躯は動作の度に独特の機械音を放ち、ヘルムの覗き穴に相当する箇所からは妖しい光が漏れるばかり。 「―――!!」 考える余裕はない。すぐにコートの下から取り出したP08を、英霊兵とかいう鎧に目掛けて発砲した。 男たちを無視して直進する弾丸が、そのまま覗き穴を通過してヘルムの中に飛び込んでいく。―――しかし、 反応は無し。肉を穿つ音も、開口部から溢れる血もない。ただ甲高い金属音と共にヘルムの後頭部が奇妙に盛り上がっただけ。 何だこいつ。呆気に取られている間に、車両のドアからはもう一体。同じ英霊兵がのそりと姿を現していた。 「子供に手をかけるのは忍びないが……これも我が国のための犠牲だ」 「死んでくれ、最後のマスター」 男たちはその言葉を最後に、車両から消えていった。 金属音、金属音、衝突音、静寂。 既に雨が降っていたようで、叩きつける雫の音が耳をつんざく 中に入った英霊兵たちの身体は見た目通りの人外の膂力を発揮し、僕の乗っていた車両はギリギリ車両っぽく見える程度に 内部から破壊しつくされていた。椅子は千切りとられ、ガラスは粉砕されて壁は大きく歪んだ。 そして、その歪んだ壁の一つに、今僕は埋まっている。英霊兵の太い片腕から伸びる五指は、簡単に僕の身体を拘束した。 「……けふっ」 叩きつけられた衝撃が身体を軋ませて、咳込んだ拍子に口の中から血を溢した、赤い滴りが英霊兵の腕を汚す。 理由はわからない。何も情報は与えられていない。依頼の事、博士の事、英霊兵、最後のマスター。 何もわかることが無いまま、僕はここで死ぬ。この力なら、楽に首をねじ切ってくれるだろうか?そんな諦観が頭をよぎった。 あぁ、しかし英霊兵。英雄の霊の兵か。誰が付けたか分からないけど、因果な名前を与えてくれたなぁ。 駆動音が響く。多分、残った方の腕を振り上げて、僕の頭を砕くのだろう。 『君たちは今まさに絶頂の中にある。栄誉ある党の未来を担う若者を代表して、ここで最高峰の教育を受けていくのだ』 『案ずることはない、君たちの成績は特に優秀だった。戦場においても血と名誉を胸に戦い―――若き英雄となりたまえ』 ―――英雄に憧れて、結局なれなくて。そんなものいないって気づいて。そして、こんな酷い紛い物に殺されるのか。 そうした理由は、わからない。何の意味もない事なのに。 拳を振り下ろされる直前、動く左手に渾身の力を込めて、英霊兵の腕を掴んでいた。
雷鳴。 そして、視界を覆いつくす稲光に、咄嗟に目を閉じた。 一瞬途切れた感覚を、再び取り戻す。英霊兵に虐げられた身体の痛みと―――左手の甲に火が付いたような熱。 僅かに目を開き、そして見開いた。 英霊兵がいない。いや、尻もちをついた自身の眼下にバラバラの残骸となって転がっている。 まるで雷の直撃を受けたように、装甲の表面は黒く焼け焦げて……雷? そう、雷が、青白い稲妻が、微かに車両の中を飛び交っているのが見えた。……その中心に、「それ」はいた。 その話を初めて聞いたのは、父の寝物語。日本という国の昔の話。 この国とは違った甲冑を身に着けて、片刃のサーベルを携えた戦士が、日本を舞台に争ったという。 確かに、それが纏うものは、その日本式の青と黒で彩られた甲冑のようで、右手の輝く刃はサーベルと似ている。 その時、残った英霊兵が動き出したのに気付いた。先ほどよりも速度を上げて、圧倒的な質量差を武器に轢き飛ばそうとする。 危ない―――声に出そうとして、身体の痛みに押し込められた。僕を意に介することもなく、それは真正面から英霊兵と相対する。 す、と。それの右手が動いた、真横に引かれた手の動きに、握られたサーベル―――稲妻を帯びた刀が追随する。 そして、音もなく英霊兵の突き出した拳が、腕が、胴体までもが真っ二つに両断された。動力を喪った木偶は、 そのまま足元に倒れ込んで動きを止めた。 「――――――召喚の命に従い、ここに参上いたしました」 英霊兵を全滅させて、それがこちらに顔を向けた。それが喋ったのだと、最初は気付かなかった。 そして、雨の降りしきる空に雷霆が走り、激しい光が窓から流れ込む。 照らされた表情は、黒く長い髪を後ろで束ねた―――女の人の顔だった。 「あなたが、私のマスターですか?」
冷たい。 右の頬に感じる土の温度が、徐々に意識を覚醒させる。薄らと開いた眼は光を感じず、そこは夜の中にあるようだった。 いいや、夜じゃない。この淀んだ空気には覚えがある。 「(防空壕、の中かな……)」 空襲時に避難するためのそれは、地上地下問わずベルリン市街にも当然あちこちに設置してある。 少しずつ記憶を辿っていく―――そうだ。僕はランサーの攻撃に巻き込まれて、大穴の空いた地面に落ちた。 その先が地下に作られた防空壕だったらしい。下水道だったら今頃溺死していただろうか。そう思いながら手足に力を――― 「(……重い)」 何か体の上に重量物がある。それほど重くはない、瓦礫や土砂の類ではないようだ。僅かに弾力と、暖かさを感じる。 生きてる人間か。ちょうどうつ伏せの僕の背中で尻餅をついて倒れ込んだ形になってるみたいだった。 右肩の辺りに意識を向けると、ちゃんと人の手や髪が纏わりついているのを感じる。さて、それじゃあ。 当然このまま下敷きになる必要はない。左半身に再度力を入れて、寝返りを打つように上の人間を振り落とした。 地面に転がる音。どうやらそれで向こうも目が覚めたらしい、同時に起き上がり、やはり灯ひとつないことに気付いたようだ。 屋根が崩れてるのだから当然電灯は破壊されてるし、開口部から見える空は曇りの夜で星光は期待できそうにない。 ……ついでに、持ってきたランタンもダメなようだ。外装が歪んでガラスが割れたそれを遠くに放り投げる。 すると、いきなりぼんやりとした光が点いた。ランタンが炎上したのではない。これは人工の灯りでは――― 「……あ」 「………」 光の主。バーサーカーのマスターの人が、今更気づいたといった風に声を上げた。 どうやら魔術で光を放ったらしい。―――僕が近くにいることに、警戒は無かったのだろうか? 「……何を見ているの」 「………灯りを出せるんですね。それで出口を探せるかもしれません」 周囲の状況を確認する。マスターの人が出した灯りは光量十分で、さっきまでの暗闇がうっすらとだが視認できるようになった。 崩落したこの地下防空壕から直接出ることは難しそうだ。崩落に巻き込まれて直近の出口は土砂に埋まっている。 だけど、規模自体はかなり大きい。横道を辿っていけば脱出は不可能ではないだろう。 とにかく急がないと。地上からは、今もランサーの暴れる様子が振動で伝わってくる。 「待って。協力するなんて一言も言って……っ」 立ち上がろうとしたマスターの人が、再び膝をつく。何か、片脚に力が入らないようだ。落下したときに挫いたのかもしれない。 その場に座り込む彼女の傍に戻って、患部の様子を確認する。 「! ちょっと、何して……」 びっくりされても仕方ないけど、今は無視。そこまで酷くはないから、負荷が増さないよう包帯で固定しておけば問題ないか。 この間SSの人に刺された傷に巻いてたものだけど、そこまで血も付いてないし、言わなければ気付かれないだろう。多分。 間に合わせの処置を終えて、そのままマスターの人の腕を自分の肩に回した。 「肩、貸します。ここを出るまで一旦協力しましょう、ヴィルマ……さん」 「名前、名乗った覚えは無いけど」 「さっきランサーのマスターの人……でいいのかな。その人が大声で叫んでいましたから」 「あぁ、そう。気づかなかったわ」 「僕はカノン。カノン・フォルケンマイヤーといいます。よろしく」 「……聞いた覚えも無いけど」 バーサーカーのマスターの人、改め、一時休戦となったヴィルマさんがこちらに体重を預けて立ち、痛めた方の脚の膝を曲げる。 そのまま片脚で歩行する彼女に合わせた速度で、ゆっくりと防空壕の中を捜索することとなった。
その後数分ほど、現在地が分からない地下壕の構造に四苦八苦していると 「ねぇ」 「どうして、私を助けたの?」 唐突なヴィルマさんの質問に、一瞬脚が止まった。 ……ランサーの攻撃に巻き込まれて落ちたのは、僕じゃなくてヴィルマさんの方だった。 槍の一撃が地割れになって、彼女の体が飲み込まれた。何が起こったのかわからないままの表情を確かに覚えている。 その時、咄嗟に駆け出して、ヴィルマさんに向かって手を伸ばして、そこで意識が途切れた。 そう、確かに助けようとしていた―――ほんの少し前に銃口を向けた彼女。シズカさんと敵対するアーネンエルベのマスターを。 「……前にも」 「前にも、あなたみたいな人がいました」 歩行を再開して、返答する。 「戦場で、砲撃に巻き込まれて。土に埋まって死んだ。その時僕は手を伸ばせなくて―――理由といったら、それぐらいしか」 たった、それだけの事だ。 あの時目の前で消えていった命を思い出して、今度は手を伸ばした。安っぽい英雄願望だか代償行為だかと笑われそうなものだが、 それが事実であるなら仕方がない。だけど、 「戦場?あなたが?」 思いのほか、意外そうな顔をされた。 「珍しい話ではないです。ユーゲントで教育を受けて、軍に志願して選抜されて……?街の宣伝、見たことありませんか?」 「そうね、あまり見た記憶はないわ―――これまでずっと、屋敷の外には出ていなかったから」 これはヴィルマさんの方が珍しい話かもしれない。男子ならユーゲントは10歳から入ることを義務付ける法律があるし、 宣伝でも度々取り上げられてきた。それを知らないというのは相当な籠りぶりだ。 「屋敷に、って……そんなに長い間いたんですか?一体どうして?」 今度は、彼女の脚が止まった。 「……どうしましたか?」 「―――いいえ、何でもないわ。ただ、私はずっとあの屋敷に転がされていたの、塵のように」 その言葉が、胸に刺さるような冷たさを孕んでいた。 「私の才能は致命的なほどに悪かった。誰にも期待されなかっただけ、期待されるだけの価値が無かっただけ」 「スペアよりも下の、何も価値の無い生きてるだけの肉。それがいきなり繰り上げられて、やるべきことを押し付けられてるのよ」 そのまま淡々と、「塵」の詳細を語り続けてくる。何よりも才ある血筋を求める世界で、それこそ欠いて生まれ落ちた者の末路を。 咄嗟に、彼女の方を見る。魔術の光が照らす彼女の眼が、泥で塗りつぶしたように濁って見えた。 「……それで、この聖杯戦争に参加したんですか?」 「えぇ。私に拒否権はない、刻印も財産も機関に管理されていて、一人だけ残った私の生殺与奪を握っている」 「戦ってどこかのマスターに殺されるか、役立たずとして機関に始末されるか。―――何もかも、連中の掌の上ってことね」 ―――この人、そんな理由で戦って、戦わされて、いるのか。 どう考えたって向いているはずが無い。こんな、敵の前で灯りを出してしまうような人が、無理やりこの「戦争」に立たされてる。 「―――それは」 それが、 「それは間違ってると思います」 「誰かの言いなりになって戦っても、それを命じた相手は何も報いることはない。何も得られはしないんです」 無性に腹が立った。 分かってる、理解してるつもりだ。彼女は拒否権が無かったんだ。どこかの志願して地獄に墜ちた馬鹿とは事情が違う。 だけど、なのに、どうして。何故彼女の今を否定したくなる。戦うことを否定したくなる。 まるで自分が言われたように、彼女の無為を否定したくなるんだろう。 「……そうね。馬鹿みたいね。私」 ぽつりと独り言ちる。それっきり、静寂が舞い戻った。 「―――だけど、あなたは戦っている」 「私からも聞かせて。あなたは何のために戦っているの?」
「―――――――――」 わからない。 何も、わからない。 戦いたくないのなら、戦わなければいい。何処へなりと姿を変えて逃げ出せばいいのに。僕はこの「戦争」に身を置き続けている。 それより前、12SSで散々死んでく命を見てきたのに、まだ自分の命を捨てに行こうとする。僕だけ生き残ってしまったから? いや、全て詭弁だ。 わからない。―――わかりたくなかった。今も尚、行く先を他者に委ねて、漠然と戦ってるだけの僕の姿を。 何も戻ってこないと分かっているのに、無為に銃を構えるだけの僕を。 きっと、今の僕の眼は、 彼女と同じ。泥の色に濁っているのだろう。
1945年5月、欧州での大戦はドイツの敗北と言う形で終結した。 連合国は残った大日本帝国との戦いの終わりも間近と見ており、『次』に向けて動き出していた。 後にペーパークリップ作戦と呼ばれる技術者のスカウト、ドイツの遺産の奪い合いが水面下で後に自由陣営と呼ばれる米英とソ連の間で繰り広げられ始めていた。
1946年7月ドイツ、ニュンベルク、捕虜収容所。 捕虜収容所の廊下を前後と両脇を兵士に固められた男が歩く。 過度な程警戒している両脇の兵士とは裏腹に 男は散歩でもしているかの様に緊張感がなくリラックスしていた。 男の方には頬に傷があり、リラックスした上機嫌な表情でも厳つさを隠しきれてはいない。 前方の兵士が足を止める。 そこは尋問室と書かれた小さな部屋の前。 「入れ!」 「おいおい、随分乱暴じゃねぇかよ。捕虜虐待か?」 両脇の兵に急かされて押し込めれるように尋問室に入れられる傷の男。 目の前には机と椅子。男は慣れた様子でふてぶてしく椅子に腰掛けた。 「で、今日はなんだ? グライフ作戦の件ならお互い様って事で話が付いたろ?」 尋問室の奥、自身を監視している者に向けてわざとらしく大声を上げる。 そこで向かいの扉が開き、何人かの男が部屋に入ってきた。 「……オットー・スコルツェニーだな?」 一人の男が傷の男、オットースコルツェニーに相対するように椅子に座ると話し掛ける。 「誰だ、あんたら? いつもの担当じゃないな」 先程よりも警戒の色を露にしてスコルツェニーは問い掛けた。 「アメリカ海軍情報部P課所属、フランク・H・シンドー中尉です」 スコルツェニーに相対する男は如何にもといった軍人の風体だ。軍服はアメリカ海軍の青い軍服。 名前や顔つきからして東洋人の血を引いているのだろうか。 「海軍情報部P課、噂のデルタグリーン((海軍情報部P課通称デルタグリーン。とある事件を経緯に設立されたアメリカ軍の対神秘部隊、詳細は[[デルタグリーンについて>フランク・H・シンドー]]参照))か。カロテキア((カロテキア、ナチスドイツのオカルト特務機関。独自の指揮系統を持ち、欧州で暗躍していた。))の連中と派手にやり合ったらしいな。聞いてるぜ。そっちもデルタグリーンなのか?軍人っぽくはないが」 スコルツェニーはオカルトについては殆ど専門外だが、カロテキアとデルタグリーンについての噂とその戦闘については聞いた事があった。 興味深そうにシンドーの隣に立っていた奇妙な髪型の男に問い掛ける。 「いや、俺は違いますよ。俺はイギリス軍軍属のタイタス・クロウ、暗号解析なんかをやってた」 シンドーの隣に立っていた奇妙な髪型の男が名乗った。 こちらは軍人というよりは研究者かさもなくば探偵が似合いそうな若者だった。 「そりゃどうも、今更何が聞きたいんだ?」 首だけかくんと動かしたスコルツェニーは相変わらずの不遜な態度で言い放つ。 答える気はないと態度で示していた。 「単刀直入に言おう、ベルリンでの聖杯戦争について聞きたい」
シンドーから発せられた聖杯戦争という言葉にスコルツェニーの眉がピクリと僅かに動く。 「……っ、はははっ!聖杯戦争?なんだそりゃ、ヒトラーやヒムラーの妄言を信じてるのか?ラストバタリオンとか?」 一呼吸置いた後笑い飛ばした。 「声が震えているぞ、オットー・スコルツェニー」 第三の男の声に思わずスコルツェニーが椅子から飛び退き、身構える 男はスーツを着込んだ白髪の老人だった。 男からは一切、気配がしなかった。いや、気配を感じることが出来なかった。 「てめぇ、魔術師だな」 「いや、三人とも魔術師だ。名乗り忘れたなカール・グスタフ・ユング、心理学者と言うことになっている」 スコルツェニーの警戒を露とした声を気にすることなくユングはパイプを取り出し口にくわえる。 その眼鏡の奥には魔術師独特の強い意思があった。 「……そういう事かよ、俺は話すことはねぇ」 椅子に座り直すスコルツェニー。 「無理に話す必要はない」 スコルツェニーの顔の前に手を翳すユング。 すると、スコルツェニーの意識が段々と遠退いて行く。 「くそ、魔術かよ……」 「これでも大分穏健な手を使っているのだがね。 私もベルリンで行われた儀式には興味がある、話して貰おうかオットー・スコルツェニー」 ユングの言葉を聞きながら、スコルツェニーの意識は一年前に引き戻されていった。
1945年3月ドイツ某所、とある駅。
「ったく、上はなに考えてるんだかな……」 オットー・スコルツェニー、今はウォルフ博士と名乗る男は何度目かも分からない愚痴を吐き捨てると列車へと足を踏み入れた。 同時に出発を告げる汽笛が鳴り、列車は動き始める。 戦線から近い場所に生きている交通機関があったのは奇跡的だ。 ……列車の名前も覚えていないが、ベルリンへと行くと言うなら異論はない。 しかし、この列車は変な客が多かった。 先程すれ違ったストリッパーのような変な赤い服を着た褐色の女は人とは思えない雰囲気だったし、戦時中にも関わらず学生気分の抜けていない騒がしい一団がいたのだ。 まぁいい、と気分を変えて別の客車、二等客車へと移る。
そもそも本来であればスコルツェニーはドイツ東部で部隊の指揮を取っている筈だった。 それが急遽ベルリンに向かうことになった原因は数日前スコルツェニー宛に届いた命令書だ。 総統ヒトラーによるスコルツェニー以外開けてはならないと記されたそれにはこう書かれていた。 『至急ベルリンへと出頭せよ、これは総統指令である。尚、ベルリンへ行くことは誰にも知られてはならない、誰にも見つかってはならない』 「つい先日、ハンガリーでの攻勢に失敗して中央軍集団が壊滅して目の前にソ連が迫ってるこの状況下で?遂に我らが総統閣下はイカれたのか?」 しかし、命令は命令である。 部下に一時的に部隊の指揮を任せると準備を整え、変装をすると生きている交通機関を探し、それに飛び乗ったのだ。
今のスコルツェニーは左頬の傷を隠し、白髪のかつらと山高帽、片眼鏡を付けた老紳士にしか見えなかった。
(この状況下でベルリンに呼び出しなんて録な用じゃねぇな……) 二等客車はガラガラだった。 普通こんな状況下で容易に移動は出来ないし、昼間の列車なんて連合軍のヤーボ((ヤーボ。ヤークトボンバー、戦闘爆撃機の略称。身軽な戦闘機に爆弾やロケット弾を積んだ地上目標攻撃用の機体))の的になるような物だ。 乗客が少ないのも当然だろう。 適当な席に座ろうと席を見繕っていたスコルツェニーの目に人影が映る。 奇特な先人がいたらしい。黒のロングコートを来た男のようだ。 俯き、視線を下げていた男だが、向こうも此方に気付いたようだ。一瞬、視線が交差する。 スコルツェニーは男の目に見覚えがあった。 それは戦場という現実を前に理想も信条も砕かれて夢から覚めた者の目。 よく見ればその顔つきは幼さが残っている。
そいつがユーゲント上がりなのは目を見れば分かった。 戦場という現実を前に理想も信条も砕かれて夢から覚めた奴はみんなああいう目になる。俺のように戦場に適合してしまった一握りのクズ以外は。 俺は黒の装束に袖を通した武装親衛隊中佐、ああいうガキを『どうなるか分かっていて』戦場に送り込んだ側だ。 総統からの命令は誰にも知られるな、誰にも見つかるな。……それがどうした。ここであの小僧を見過ごしたら俺はディルレヴァンガーの第36SS武装擲弾兵師団やカミンスキー旅団と同じ本当のクズ以下の畜生になっちまう。 これは俺の自己満足だ、己の人間性を保つ為、今までしでかしてきた、目をつぶってきた罪を償おうとする代償行為に過ぎない。 それでも良い、一人の小僧の命が救えるなら幾らでも罵りを受けてやる。
「ここ、良いかね?」 スコルツェニーはにこやかに微笑むと向かいの席に座り、手に持っていたスーツケースを置いた。 「…………どうぞ」 男は投げやりに頷くと窓に顔を向けた。 「もしや兵隊さんかね? 負傷されて後送されたとか?」 「まぁ、そんな所です」 「私も先の大戦の時は兵隊だったが足を撃たれてしまってね、君のような若い者に任せてしまっている」 「大した事ではないです」 「そうかね、ところで何処まで行くつもりだい?」 「…………ベルリンです、父から頼まれた用がありまして」 今まで言葉に感情の乗っていなかった青年の言葉に僅かに感情が乗った。 「そうか。…………少年、悪いことは言わない、この国はもうすぐ負ける。ベルリンは国土や人民を傷つけられた怒りに燃えるソ連に完膚なきまでに破壊され、蹂躙されるだろう。用が済んだら家族を連れてすぐに西へ逃げろ。少なくとも米英の勢力下である西部戦線((当時のドイツは米英相手の西部戦線とソ連相手の東部戦線、二つの戦線を抱えていた))であればそれほど酷いことにはならない」 スコルツェニーは青年の目を真っ直ぐ見詰めて、真摯に話す。 「大丈夫です……父も母も、もういません。友人の一人も、いません。一人で行ってくるだけですから」 スコルツェニーの言葉を聞いてなお、青年の目は生気がなく、空虚だった。 「そうか……」 スコルツェニーはゆっくりと頷く。 言葉ではこれ以上彼を動かすことは出来ない。スコルツェニーは黙るしかなかった。
それから暫く経ち、気付くといつの間にか駅についていたようだ。 ふと窓の外を見ると黒衣の軍服を纏った連中、親衛隊が慌ただしく駅のホームに蠢いていた。 耳を傾けると、目標を探せだとかスコルツェニーがいるはずだという言葉に気付いた。 どうやら身内である親衛隊から追われているらしい。このままでは青年も巻き込みかねない。 まだベルリンは少し遠いが、なんとかなるだろう。 意を決してスコルツェニーは立ち上がる。 「……どうかしましたか?」 青年も異様な気配に気付いたようだ。 窓から外を見ると、顔をしかめた。 「青年、恐らく私を追っている者がここに来る。君は追っ手に私がここで降りたと言うんだ。そうすれば危害は加えられない筈だ」 スコルツェニーはスーツケースを手に立ち上がる。 「あの……!」 「なんだね?」 青年もまた意を決したかのように声を上げる。 スコルツェニーはそれに応じた。 「僕は、僕はカノン・フォルケンマイヤーと言います……その、ありがとうございます」 座ったまま頭を下げる青年、カノン。 「…………礼を言われるような事はしていないがね。 ウォルフだ、人からはウォルフ博士と呼ばれている」 頭を下げたカノンにスコルツェニーは困ったように眉をしかめると、無理矢理笑みを作った。 そのまま、反対側の窓の客席の窓を開けるとスーツケースを投げ、窓に体を滑り込ませる。 「……お互い、運が合ったらまた会おう、フォルケンマイヤー」 窓から飛び降りるスコルツェニー。 カノンが窓から覗いた時には既に彼は遠くへと走り去っていた。
「親衛隊だ!これより車両の臨検を行う!!」 カノンが席に戻るのと親衛隊が客車に踏み込んで来るのはほぼ同時だった。
その姿を見たのは、久しぶりだと少女は感じた。 黒いコート、淡い金の髪、さほど身長は高くない少年の姿。 その姿を見るのが、正確には、彼が黒鉄の銃をこちらに向けるのが。最初に対峙した時と同じ構図に思えた。
しかし、当時とは状況は大きく異なる。 少女、ヴィルマの前にバーサーカーの姿はなく、少年、カノンの隣にもセイバーの姿はない。 両者共に、遥か向こう―――倒壊したクレーンの先で戦いを続けている。時折放たれる閃光がその証だった。 謎の黒い人影の軍勢、恐らくはカノンがこの戦いのために準備したそれは、セイバーとの相乗効果で威力を発揮した。 ヴィルマは頼みのバーサーカーとあっさり分断され、無力な肉体をカノンの前に晒す状況にある。
今は人影の姿はない。自分にとどめを刺すのに、もはやあの魔術は必要ないのだろう。 その判断を屈辱と感じたり、あんな芸当を容易く実現する少年に嫉妬する余裕はヴィルマになかった。 彼のP08に対抗して取り出したHScは、握る手が重量に負けて震えている。 実戦で幾度となく発砲したであろう彼と、まともな射撃の経験すらない自分では、この至近距離でも勝敗は明らかだ。
完全な手詰まりの中、逆転の一手を降霊術に頼ろうと出口のない思考を繰り返す。 その時、 すっと、拳銃を握るカノンの右腕が真下に降りた。
「―――もう、やめましょう」 「……これで終わりです。僕はあなたを撃たない。僕とあなたが、戦う理由なんて最初から―――」
思わず、ヴィルマは我が耳を疑った。 しかし聞き間違いはない。この状況で、カノンは停戦を求めてきたのだ。 彼が奪取した聖杯から離れるリスクを冒してでも戻ってきたのは、この聖杯戦争に決着をつけるため。 その対象は、この戦争を仕掛けた男―――ゼノン・ヴェーレンハイトにある。 それ以外の相手に対して、徹底してとどめを刺す必要はカノンにはなく、 ……それ以上に、彼はヴィルマのことを殺すべき相手だと認識できなくなっていた。
「何を、言っているのですか?」 「私はアーネンエルベ機関の人間です。聖杯は我らが獲得するべきであり、あなたは聖杯を奪ってその在り処を隠している」 「これ以上に敵対すべき理由はありません、それをあなたは、敵意はない、と?」
だが、ヴィルマにとって自身が、シュターネンスタウヴがこの戦争を降りる選択肢はあり得なかった。 アーネンエルベのマスターとしてバーサーカーと契約する。それが現状における彼女の唯一の存在価値となる。 財産、呪具、魔術刻印。機関に深く関わりすぎた家は全ての拠り所を握られ、離反無きように首輪を嵌められた。 逃げ出せば家の価値はおろか、命さえ確実に刈り取られる。この戦争に勝利しない限り自身の生存は―――
「その機関は、あなたに何をしてくれるんですか?」 「あの人が―――ゼノンが聖杯を手にしたとして、それはあなたの安全を保障することはない」 「彼は、自身の目的のためならば誰でも切り捨てることができます」
―――生存の道は、ない。 ゼノン・ヴェーレンハイト。あの男が本性を現した時点で、ヴィルマの拠り所は消滅したに等しかった。 アーネンエルベ側が聖杯を持ち帰れば、それを行使するのはゼノン。しかし彼が対等に見る相手は一人もいない。 それは事実上、彼が機関を、ナチスを離れてワンマンで行動を起こすことを意味する。愚鈍な高官共を騙したままに。 やがては切り捨てられる。ならば、例え身一つであってもここから逃げ出す道を―――いや、まだだ。
「―――勝敗は決まっていない。そうやって無駄な時間を費やしている内に、バーサーカーは……」 「セイバーは負けないよ」 「これまでの戦いで、バーサーカーが何をしてくるかは分かった。こっちにはもう一枚切り札がある」
きっぱりと切り捨てられた。 勝算はあった。バーサーカーの力であればセイバーは押し切れる―――彼女の宝具があの雷のみであれば。 このまま時間を稼げば、マスター同士の魔力供給量の差から、サーヴァントの持久力はヴィルマに分がある。 そう算段を立てていたが、カノンはそれを知る上で、短期に勝敗を決め得るもう一手があると告げたのだ。 あのバーサーカーに対して有効となる手―――ハッタリだと思いたいが、セイバーの能力が未知数であることに疑いはない。 目の前の勝機が揺らいでいく。そして、それより先に続く道は全て絶たれている。 だけど、今更自分に何ができる?何の主体性もなく、言われるがままに行動してきた人形に今更何が? だから、戦わないと。そう命じられたのだから、他に成すべきことがわからないのだから、目的を達成しないと。
「だから、僕は」 「あなたを殺さない。……殺したくないんだ。―――もういいんだよ。戦わなくたって」
なのに、目の前の少年は、 戦意も殺意も欠片もない、ただ真っ直ぐに真摯な眼差しをこちらに向けてくる。 いつの間にか銃を手放した右手が、こちらに向けて差し伸べられた。
その時、音を立てて、ヴィルマの中の何かが崩れ落ちた。 目を見開いて、左手で叩くようにカノンの手を払い除ける。
「―――もう嫌だ、もう嫌だ、嫌だ、いや、いやぁ……!」
思考の混沌が体外に溢れ出す。 呼吸が荒くなり、全身から汗が噴き出す。手にしていた拳銃を取り落として、両手で髪をグシャグシャに乱す。 直立も出来ず、膝から崩れ落ちてその場にへたり込む。くの字に身体を折り曲げ、突っ伏した彼女の表情は、 冷酷な薄い表皮も、亡霊のような空気もない、抑えきれない感情に醜く歪んでいた。
「何が聖杯、何が戦争、何がシュターネンスタウヴ、何がナチス……!何が、何が……!」 「寄ってたかって私を都合よく切り分けて、都合よく見た目だけ整えて、都合よく引き摺り回して……!」 「もうあげられるものなんて、私には残ってないわよ!」
上体を起こして、揺れる瞳孔がカノンを睨みつける。 ゼノンだけじゃない。アーネンエルベの高官共も、死んでいった家族も、誰も彼もが自分を利用してきた。 全て他人の都合だ。自分の意志など介在する余地もない。地べたに転がる塵を飾り付けて、最後には捨てていく。 は、は。と、吐き出した息が震えて嗤う。
「―――笑えるでしょう?私には処女すら残ってないの」 「この手も目も口も、腹の中までどろどろに汚れているの。兄だけじゃない、何人もの男の手で……!」
その言葉を口にするだけで、ぞっとする悪寒が全身を貫く。口を動かし続けなければ汚物を吐き出しそうになる。 なんの価値もない肉ならどれだけ楽だっただろうか。だけど、彼らはそんな肉にすら値打ちを付けて弄んだ。 真っ白なシーツを赤く汚して、もう汚れているのなら構わないとばかりに、黒く染まるまで使い潰された。 両腕で身体を抱え、無意識に右手は下腹部を握り潰すように、あるいは隠すようにして震えた。
「大事なものさえとっくに奪われてるのに、みんなまだ私から使えそうなものを見つけ出しては勝手に奪っていく……!」 「なのに、あなたは何なの!?笑わせないでよ、今更そんな薄っぺらい言葉なんて……!……う…う……」
今更、そんなものが響くはずもない。 どんな綺麗事を並べ立てても、この身に染み付いた汚れは洗い落せない。何も変わるものなんてない。 既に終わってしまったのだから。地の底で倒れているだけの私は、立ち上がる脚を与えられなかったのだから。
なのに、 信じられない。今更、もう手遅れなのに。 どうして、今になって泣いているの。
「……助けて……」
最後の言葉が、掠れるように零れた。
どれだけ時間が経っただろうか。 いつの間にか、遠くで戦うサーヴァント達の気配も感じなくなっていた。
「―――いらないよ」 「何も、涙一粒だって……」
暖かい感触に、びくりと身を震わせる。 ヴィルマの前で屈み、顔を伏せた彼女の身体を、カノンは両腕で抱擁していた。 同時に、氷のように冷たくなった彼女の震える手を取り、熱を伝えるように握りしめる。
それが、カノンにとっての精一杯だったのかもしれない。 彼は神ではないし、何ら誰かに与えられる施しなどは無い。彼自身もまた、奪われる側、自由無き側の人間だったのだから。 何もしてやれない。目の前の深く傷ついた少女を救う術が分からない。―――それでも。 それでも、こうして傍に寄り添いたいと思う。この体温を分かち合いたいと願う。苦痛を和らげて欲しいと願う。 君は誰の道具でもない。何も奪われていい筈がない。君は生命なのだから。少なくとも、僕にとっては消してはならない生命なんだ。 だから、今はこうして傍にいさせて。君の分まで涙を流させて。
「―――――――――ぁ」
黒いコートの布地を掴んで握りしめる。 少女はそのまま、堰を切ったように泣き喚き続けた。身体の奥底に溜め込んだ膿を出しきるまで。
「大丈夫?」 「―――大丈夫。もう、結構よ」
落ち着いてきたヴィルマがそそくさと身を離す。 様子を伺えなかった表情は、今までのように生気が失せたものではなく、不貞腐れながらも何処か光を取り戻しているように見えた。 顔が赤いのは、直前まで大声で叫んでいたせいだろうか?様子を確認したカノンが、初めて安堵の表情を見せた。 そして、同時に周囲の状況が二人の知覚に入ってくる。先ほどまでの閃光は失せて、静寂が周りを包んでいた。
「バーサーカー……」 「決着、ついたみたいだね。大丈夫、セイバーはトドメを刺してない」
バーサーカーと自身を繋ぐ、胸の令呪はまだ消えていない。魔力を送るパスはまだ生きている。 激しい戦闘はあっただろうが、双方共にサーヴァントを失うことなく終わったようだ。
「そう、負けたのね。私」 「勝ち負けじゃないよ。―――さぁ、セイバー達のところに戻ろう」
いいや、負けだ。殺し合う意味ではないけれど。 改めて彼が手を差し伸べる。その姿を、柔らかくはにかむカノンの表情を見つめて、少し気恥ずかしくて顔を伏せた。 立ち上がって手を伸ばすと、彼が掴み取る。その暖かさが流れ込んで、少し高くなった自分の体温と混ざり合うように感じた。 ここで動いても、多くを失うことに変わりはない―――それでも、どうせ失くしてしまうならば、自棄になって歩き出しても良い。 今はそう思える。こうして、あなたの暖かな手に引かれていると。
暫くの間―――二人の下に到着して、セイバーの視線に気づくまで、繋いだ手を離すことが出来なかった。
「ねぇねぇスコルツェ兄さん、なんで僕らに協力してくれるのさ」 「それは僕も気になったよ、是非聞かせて貰いたいね」 英霊兵製造工場襲撃に向け、工場を見下ろせる建物の一角に居座り様子を伺っていたクリスタ、基フルスタはふと疑問を口にした。 代用コーヒーを手に現れたユスポフもフルスタに同意し、妖しく微笑む。 「あ? なんでって、そりゃ……」 工場を覗いていた双眼鏡から目を離したスコルツェニーはユスポスからカップを受け取ると珍しく言いにくそうに表情を歪めた。 「僕と違って君達は国に忠誠を誓った軍人とスパイよね。 スコルツェニーは髑髏と鉤十字に、フルスタは鎌と鎚に。そんな君が何故国に敵対してまで私達に協力するわけ?」 ユスポスの眼差しは正確に的を居抜く矢のように感じられた。 フルスタも無言でスコルツェニーを見つめる。 当たり前だが、疑われている。とスコルツェニーは感じた。 「……俺はドイツの為に黒衣の軍服に袖を通した。そんな俺が今ドイツに弓を引こうとしてる。確かに矛盾だ、だが俺は総統からこの聖杯戦争を見届けろと言われた」 「それは理由にはならないんじゃない?」 ユスポフの言葉に頷くスコルツェニー。
「その通りだ。見届けるだけなら何もしないのが正解だろう。ヴェーレンハイトやハウスホーファーのお題目がそのままならドイツは救われる。それでめでたしめでたしだ」 「…………ふざけろよ。ドイツ人にもロシア人にも何万人にも血を流させて聖杯なんて訳のわからねえもんに頼って解決だ?しかも、それを主導してるのがあの胡散臭い二人と来てる。ナチスのバカ共はこの国が負けたことを受け入れるべきだ。……例えどんな悲惨な未来でも。ヘルトクリーガーも聖杯もこの国には要らねえ。だからお前さん達に協力してる。……この答えで納得したか?」 「ふーん、中佐さんも色々考えてるんだね」 「そもそも私は地位と名誉が目的だから興味ないもの」 「ああ、そうかよ」 「中佐さん、一つ確認したいけど聖杯はうちが貰っていいんだね?」 「好きにしろよ、精々アメ公達と奪い合え」 フルスタの言葉を聞き流すと乾いた唇を潤そうと冷めかけた代用コーヒーに口をつけた。 「交渉成立ね、改めて宜しく」 差し出されたユスポスの手を一瞥したスコルツェニーは鼻を鳴らした。 「誰がラスプーチンを殺した男と握手なんてするか」 ただお互いの目的を果たす為。ここに奇妙な同盟関係は正式に結ばれた。
「おのれスコルツェニー…!」 ハウスホーファーは混乱の収まらない半壊したヴリル兵器生産工場を前に歯噛みしていた。 ハウスホーファーに、世界に黄金たるアーリアの血に栄光をもたすべく作られたヴリル・パワー兵器郡の見るも無惨な残骸に煮えたぎるような怒りが溢れ出す。 この光景を作り出したのはコミュニスト達のスパイと取るに足らないと見たたった一人の男、欧州で最も危険な男。オットー・スコルツェニー。 ハウスホーファーもヴェーレンハイトも聖杯戦争の見届け役として派遣された彼を取るに足らない男だと思っていた。 どんなに工作員としても優れていても神秘に全く興味はなく命じられた役割を果たすだけと機械的に果たすだけの男。 ハウスホーファーは一時期軍に在籍し少将にまで上り詰めた経験がある。 だから、彼の事を優秀だが命令にしか従うしかない兵士だと思っていた。いや、思い込まされた。 傲慢と余裕から自分を甘く見たと感じた彼はそれを利用し完全に此方を欺いた。 傲慢と余裕につけこんで奴が工事襲撃に仕掛けた工作は至ってシンプルな物だ。 幾つかの爆発物を工場内に仕掛け、爆発させると緊急事態だと武装親衛隊と陸軍を突入させた。
そして通信を遮断すると武装親衛隊陸軍にあることを伝えた『奴等はソ連のスパイだ、全て敵だ。銃を向ければ分かる、奴等は決して投降もせず反撃してくる』と。 一方ヴリル協会とアーネンエルベ機関には別の事を言った『我々の企みが全てバレた、奴等は全て敵だ。奴等は決して投降を許さない、生き延びたければ抵抗するしかない』 見事とさえ言っても良い、恐らくは内部に内通者がいたのだろう。 ヴリル協会アーネンエルベ機関と陸軍、武装親衛隊は真正面からぶつかり合い貴重なヴリル兵器さえも使用する事になった。 その隙を突きスコルツェニーとスパイ達はヴリル兵器の製造設備を爆破、兵器郡を破壊。 正直に言おう、大ダメージだ。これを立て直すには途方もない時間が必要だろう。
だが、まだだ。まだ終わってはいない。 残存したヴリル兵器とその青写真は私の手の元にある。 この戦力では聖杯の奪取は不可能だろう、ドイツ第三帝国は滅びるだろう。 しかし、ヴリルパワーが有る限りヴリル・ヤたるゲルマン民族の世界支配は必ず成し遂げる。 おゝ、偉大なるかなヴリル・ヤ! 地下深くシャンバラに棲まうものよ、必ず再臨の時は来ませり! さぁ、来るが良い! 欧州で最も危険な男よ、コミュニストのスパイ達よ 私は逃げも隠れもしない、決着を付けよう
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いいか。悪いことは言わねえ。今から言うことは良く聞いておけ。これからそのピカピカの新品を飛ばして運び屋をするってんなら、聞いたことは忘れるな。
一つ。ゴールドスタインとアナトリアを敵に回すな。奴らはこの星の内海の中でもかなりまともでマシだ。マシなだけならドラキュリアの連中もそうだが、奴らはまともじゃあない。逆にインペリオなんかはまともだが、マシとは言えねえ。そういう奴らと釣り合いを取って商売をしたいなら、特にアナトリアとは絶対に戦うな。
二つ。怪物共と正面きって戦うな。この場合の怪物ってのはな、何かしらの方法で海を「渡ってくる」奴らだ。単に余所の世界の生物ってだけならアルケアのセイレイがヤバイが、奴らは基本的に喪失帯の中にとどまる。だが、「魔法少女」や「生きる焔」どもは別だ。あれは万が一出くわせば碌な事にならん上、それなり以上に強い。まあムスペッリの連中は言ってきかせりゃなんとかなることもあるがな。
三つ。喪失帯の中で争ってるような場所へ行くなら、少なくとも二十は護衛を集めろ。エーヴィヒカイト、ヨモツヒラサカ、ブラフマシラーストラあたりがわかりやすいか。特に、最後についちゃ五十護衛がいても足りないと思っておけ。お前は外に出たことがないからわからんだろうがな、あれは地獄だ。
四つ。内海の底に蠢くものが見えたら、すぐに全領域通信を飛ばせ。此処が近けりゃ一旦帰ってきて、サイクラーを使え。そいつだけは、一つの世界だけでどうのこうの言ってられねえヤバい案件だ。もし少しでも長生きしたいなら、忘れるな。
……ああ、言うまでもないと思ったが、五つ目に言っとこう。空賊になぞなってくれるなよ。
その夜、眠そうなコロンビアの頭を叩きながら大騒ぎしていたのを覚えている。
準備はしていた。
ファルス・カルデアの連中に話をつけて、向こうの技術者とか、サーヴァントとかと頭をひねりながら作ったのが、この「元・新宿内外通信機」
この「新宿」の内と外、隔絶された空間の中で通信を取るための……となる予定だったのだが、
流石魔境新宿。何波を流しても手も足も羽も出ず通信の試みは失敗―――と思っていたのか!?
そんなわけで、今私たち宇宙にいます。
毎度おなじみ私たちの持つ宝具の力で、「新宿」の領域を超えて擬似的な宇宙へ。そこからなら、なんとか向こうの情報を受け取るぐらいはできる。流石カルデア大した観測機じゃないか。めっちゃ重いけど。
さて、皆知っての通り私たちの霊基というのは運命的にガタガタだ。
入念なメンテナンスと言ってもコストがバカにならないし。「不測の事態」とかそういう奴を完全に防ぐことはできない。
ただ、最悪の事態のリスクというのは、最高のパフォーマンスを示した時に起こりうるものだ。振り子のように。
だから、私たちにとって宇宙に飛ぶというのは冗談ごとではない。次の再突入で燃え尽きるかもしれない。次の次の発射で空に散るかもしれない。
でも、それでも見なければならなかったのだ。
あぁ、いい時代だ。外ではネットワークのサービスがなんやかんやいろいろあって。
色んな人が、そして私たちも、こうして「歴史的な瞬間」を拝めるのだから。
白い塔がぐんぐんと登る。再び彼の国が手にし、人類史の新たな一つとして数えられる最果ての塔。
きっとそれは、何年か立ち止まっていた私達の旅路の続きを翔んでくれる。
あぁ、ここに産声を上げた天翔けるものよ。
長い旅路に祝福あれ。
「それにしても、どうしたんですアルスくん?こんなところに」
既に夜更け。
開発予定地の真新しい高台に立つのは、屋敷を抜け出たアルス/XXXIとパーシヴァルの二人だけ。
眼下には、繁華街の難波に負けず劣らず梅田の街が人工の灯で煌めき、行き交う人々で賑わっている。
対して高台の上は虫の音でも聞こえそうなほど静かに、眼上には星の明かりばかりが梅田の天井を照らしている。
そんな場所に急に行きたいと言い出したアルスのことを、パーシヴァルは疑問を浸した眼で見つめていた。
「うむ、その。ここのところ忙しく、ゆっくりできなかったのでな」
「―――そうですね、思い返せば色々なことがあったと思います」
少し詰まり気味に答えたアルスに、パーシヴァルが過去の記憶へ思考を巡らせる。
一年近くになるか。直近に起きた出来事は、それまでの自分たちの歩みに比してとても波乱に満ちていた。
始まりはきっと、「運び屋」ツクシが巻き込まれたトラブルに治安維持措置としてアルスが出向いた日。
それから運命は回り出した。
相次ぐ怪事件と激化する都市聖杯戦争、「日本」のクーデター、アルスの兄弟姉妹たる王器との競争。
そして、自身の姉から受け継ぎ、自身に埋め込まれた絶望の業との対峙。
数々の戦いを経て、再び束の間の平穏を取り戻した梅田の風景は、二人にとっては以前と異なって見えた。
何も変わらない日常などはない。複雑な意思が絡み合い、繊細なバランスで成り立つ均衡の上に立っている日常。
いつか壊れゆく、しかしその瞬間は誰にも予見できない日常。誰もそれを気づかぬまま過ごす日常―――
だからこそ、いずれ来るその時までの全てを尊び、守っていかなければならない。
「それで……だ、本題なのだが……」
今夜の彼は、どこかしら歯切れが悪い。日頃凛々しく振る舞う姿とは対照的なほどに。
その理由を見出せず、パーシヴァルが再び首を傾げた。
「……戦いの中では、何度も危機に陥った。余も、そしてそなたも―――いつ喪われたとておかしくは無かっただろう」
「余はそなたを―――失いたくなどはない。そればかりを余は恐れてきたのだ」
「アルスくん……心配してくれていたんですね。えへへ、申し訳ないとは思っていますが、少し照れ臭いような……」
パーシヴァルが朗らかに微笑む。いつものように。
違う。
「だから……これからも無理はせぬように。そなたは、その。余の大事な―――騎士であるが故……」
「……勿論です!私はあなたのサーヴァント。いつまでもアルスくんと共にありますよ!」
パーシヴァルが胸を張って応える。いつものように。
違う、本当に伝えたいのは、もっと―――
少しずつ近づけてきた脚が止まる。言葉を重ねるごとに言い淀み、淀むほどに遠く離れていく。
それも本心だ。彼は確かにパーシヴァルの身を案じていた、確かに共にあって欲しいと願った。
しかし、全てを伝え切る事ができない。小さな体に重圧がのしかかり、脚は重く、言葉は圧し潰される。
だけど。
だけど、惑うな。
逃げるな。
言わなければ。
繋いだ運命に問うのだ。ここで伝えなければ―――きっと、何も変わらない。
「―――待って、パーシヴァル!!」
一歩踏み出す、彼女のすぐ近くまで。
手を前に出せば、彼女に届く。
そして―――彼女の手を取って、強く握りしめた。
「えっ―――?」
「……パーシヴァル!余は――――――」
「――――――僕は!あなたの事が好きです!!」
ただ、力の限りはっきりと叫ぶ。その瞬間、頭が真っ白に弾けた―――お互いに。
王と騎士ではない。マスターとサーヴァントでも、家族のような関係でもない。
これまでの十数年にあった2人の関係性、その全てを放り投げて。1人の少年が、1人の女性に想いを告げた。
「―――え、だって。そんな……え?」
「一体、そんなの。いつから―――」
「………覚えてない。パーシヴァルと過ごして、しばらくしてから」
「パーシヴァルのことで頭がいっぱいになったり、胸がギュってなったり、熱くなったり……」
「それって……好きだってことだと、思うんだ。だから、それを伝えたくて……最初からそのために、あなたをここに連れてきたんだ」
「だけど、苦しくて。うまく言えなくて……」
普段の尊大であろうとする言葉遣いは既に無い。
年相応の言葉を辿々しく繋げながら、アルスが懸命に自身の意思を吐き出し続ける。
口にすればなんと陳腐な言葉だろうが、止めることはない。こんな子供じみた恋心が、自身にとっての真実なのだから。
「……パーシヴァル」
「答えてほしいんだ。パーシヴァルは、僕のことを、どう思ってるのか」
きっと、受け入れられたとしても、否定されたとしても、元の関係に戻ることは叶わないだろう。
それでも、怯えて終わりたくない。これで何もかも終わってしまったとしても、全部を受け入れる。
だから、どうか、この気持ちを受け取って。
「―――――――――」
沈黙。しかし、戸惑いの中に、答えを見出しつつあった。
何もない日常の中なら、きっぱりと否定していたかもしれない。
生まれて間もない頃から10年以上世話をして、成長を見守ってきた。その在り方は姉弟か、もはや親子に近い。
そんな自分が、アルスを「そんな関係」と認識することは、きっと不可能だろうとパーシヴァルは確信していた。
そう、何事もなかったならば。
パーシヴァルの脳裏に浮かぶのは、10年に渡るアルスと過ごした日々。彼の日常と―――戦いの中の姿。
負傷した彼が弱々しく握り返した手が、今は自分の手を強く握りしめている。
挫折に打ちひしがれた小さな姿が、今は少しだけ大きくなったように映る。
あの時、
心身を子供に返した時、黄昏に照って輝いた翠の眼が、今は星の煌めきを抱いてこちらを見つめている。
天使様のような彼の輝きから目を離せなかった。その本当の理由が、今なら分かる。
アルスくん、変わったんだ。
もう小さな子供ではない。可愛い弟のような存在という自分の定義を飛び越えて、これから、きっと己の王道を見つけていく。
そして、今は弟でも王でもない。彼も、私も、唯一人として向かい合って―――鼓動を、とても近くに感じている。
なんだ。
ずっと前から、答えは決まっていたんだ。
握られた手を強く握り返し、胸元に寄せる。同時に少し身を屈めて、少年と目線を合わせた。
そして、
「うん」
「私も、好きだよ。アルスくん」
そう呟いて、
静かに、互いの唇を重ねた。
正確には、恐る恐るだったかもしれない。
生前はこれで子供ができてしまうと教えられていたし、召喚後に因果関係は無いと学んでからも誰とも交わすことは無かった。
だから、気が急いて失敗したら―――と思い、パーシヴァルは慎重に、結果としてとても長い口づけを交わした。
ゆっくりと距離を離す、再び視界に映った互いの表情が茹で蛸のようになっていて、恥ずかしい反面少し可笑しい。
もしかしたら、これまでのどの戦いよりも緊張したかもしれない。そんなアルスの体からふにゃと力が抜けた。
「そ、そうか。僕……余は!嬉しく思うぞ!」
「ふふっ。言葉遣い、今直しても遅いですよ」
「あぅぅ……」
「いいんです。いいんですよ。そんな所も私は好きなんですから……」
そう言って、パーシヴァルは体重を預けてきたアルスの身体を抱きしめる。
彼の暖かい体温を全身に感じる。それがじんわりと自身に染み渡り、心に溜まった波を和らげるように感じた。
強く求めるように抱き続ける。そうでなければ、きっと溜まった波はこの身を裂いてしまうだろうから。
共に体温を―――2人の「好き」を分かち合いたいと、そうパーシヴァルの心は求めていた。
だから、このまま時が永遠に止まって欲しいと―――
時?
我に帰ったように、今の時刻を予測で割り出す。……深夜過ぎ、というか抜け出た時点で刻限越えである。
「――――――早く戻りましょうアルスくん!これ絶対バレます!!説教では済まないやつです!!!」
「む、む!?いや待たれよ!裏庭から忍び込めばあるいは……!」
「そそそそうですね!?為せば成る!とか言いますし!ゆっくり、ゆっくり行けば大丈夫です!!」
その後、自宅屋敷へのスニーキングは速攻で見つかり、メイド長にこってりと叱られ正座させられた。
fin
「どうして貴方は、常に怒っているのですか?」
そう問うて来るものがいた。以前メイソンの部隊に助けられていた小娘だ。
別に怒ってなどいないと返すと、その女は不思議そうな顔をして俺に二度問うた。
「ではどうして、貴方は笑顔を見せないのですか? 皆は笑っているのに不公平です」と。
馬鹿馬鹿しい。俺は忙しいとその場は立ち去ったが、今思えばあれは俺の深層を突いていたのかもしれない。
あの時の俺は常に、何かに乾いていた。何かに飢えていた。それはまるで水面を眺めながら沈む死骸のように。
ただぼんやりと天上に輝く日輪の光を、その目に焼き付けるように。ぼんやりとした飢えを感じ続けていた。
だが分からないものを思考した所で何になる────、と。俺は俺の思考に、合理性という名の蓋をした。
故にあの女は、俺が隠している俺という在り方への問いを察したのだろう。言うならば、俺は俺ではなかった。
詰まる所、思い返せば俺は死んでいたのかもしれない。いや、生きてさえいない木偶。それが俺であったのだろう。
故にこそ、俺は俺に『生まれざる者』という定義を与えた。これが俺だと、俺自身に対して定義した名前。
俺はまだ生まれていない。故に目的も無ければ信念もない。生まれざる命。骨子亡き在り方。それが俺だ。
だからこそだろう。俺は俺自身に飢えていた。乾いていた。どこまでも満たされぬ空虚なる堅牢の檻。
それが────それが俺という存在なのだと、騙し騙し生き続けてきた。あの日までは
「貴方は満たされていない」
そう真理を突き付けた詐欺師がいた。影絵のように嘲笑い、死のように冷酷な詐欺師がいた。
あの時、その誘惑の言葉をあの女の問いのように聞き流していれば、また違った答えがあったのだろう。
だが俺はあの時にその言葉を咀嚼した。その言葉を己のものとした。その解を、俺の答えと受け入れた。
俺は人類の未来を案じている? 違う
俺は人類同士の争いを憂いている? 違う
俺はメイソンの発展を重んじている? 違う
俺は自然環境の保護を訴えている? 違う
違う。違う。どれもこれもが違う。俺は彷徨い続けた。俺は疑い続けた。俺は歩き続けた。俺は求め続けた。
そしてようやく解を得た。いや、導かれたというべきか。今まで抱いたその全てが正しく、そして間違っていただけだった。
俺は、人類史を 英霊を 駆逐したい。 たったそれだけの単純明快なる解答。それが俺の本質だった。
それを知ったその瞬間は、俺という生まれざる者に与えられた、初めての生の悦びの刹那だった。
その悦びを追い続けた結果が、この末路か。
英霊共が俺の肉体を壊していく。人類共が俺のあり方を崩してゆく。
俺の否定した結束が、俺の積み上げた全てを奪っていく。
どうして、こうなった。明白だ。俺が間違ったからだ。俺は、歩むべき道を間違えた。
カール・クラフトめの嘲笑う声が聞こえる。俺はユダになる事もできない人でなしだと。
ああ、そうだ。俺は何処まで行っても空虚だった。骨子亡き者に生み出せるものなど、何もなかった。
俺の人生に意味はなく、俺の在り方に価値はなく────、俺の追い求めたものは、総てが空白に満ちていた。
これが、あの日"死"に己を売り渡した罰だというのだろう。ならば死よ、我が身を連れて冥獄に導くがいい。
この身は人類史を冒涜し、この身は現世の今を白紙化し、この身は未来を刈り取らんとした大罪人ゆえに。
ただ
一つだけ
もしもと叫べるのならば、
あの日、あの女に、俺が答えを出した可能性を、俺は見たい
「どうして貴方は、常に怒っているのですか?」
「………………。考えた事もなかったな」
「俺は────」
あぁ、もうじき降って来るな。
『フォルケンマイヤー君か!?そうか、君は生きていたのか……!?辛かったろう、本当に、辛かったろう……!!』
『ねぇ、カノンお兄ちゃん、デトレフ兄ちゃんは帰ってこないの?一緒に戦いに行ったんでしょ?』
『兄ちゃんが帰ってくるまで、わたし達どうしたらいいの?カノンお兄ちゃん……デトレフ兄ちゃん、いつ帰ってくるの?』
『―――何しに帰って来たんだい!あんた達ユーゲントがエリックを唆して!!早くうちの子を帰しなよ!!早く!』
『あんた、フォルケンマイヤー先生の……?すまん、本当にすまん。後少し、間に合わなかった……先生が倒れて……!!』
「親衛隊だ!これより車両の臨検を行う!!」
喧しい男の声に注意が引き戻された。
声の方向を見やると、黒い制服の男が数名。やたらと格好をつけた黒服と立ち姿、装飾は親衛隊のものと認識できた。
なんで、と頭を動かす必要は無さそうだ。要するにさっき下車した「ウォルフ博士」を追ってきたんだろう。
さて、どうしたものか。
「そこの少年。少し質問があるがいいか?」
男は真っ先に僕の方に―――いや当然だ。この車両は僕しか乗っていなかった―――話を投げかけてきた。
その間に残りの男たちは別の椅子の様子を調べている。
「……はい、質問は何でしょうか?」
「我々はある人物を捜している。捜索の協力を願い出たい」
「どんな人なんですか?」
「背は190ほど、その人物は仮装が趣味で顔は特定できない、ただ」
「―――何か、左の頬を隠していたはずだ。見ていないかね?」
仮装、まぁ仮想か。
当然心当たりはあった。さっき出会ったウォルフ博士の、肌の質感に感じた違和感。
恐らくは化粧か、映画で使う特殊メイクか?そういった類で左頬の―――恐らく負傷の跡を隠していると思えた。
そんな強面がSSに追われるなんて。思っていた通りあの博士結構訳ありらしい。
……さて、ここで彼の行く先を教えれば、多分この男たちは帰ってくれるだろう。普通は逃亡中の相手を追いかける方が優先だ。
ここでSSと顔を合わせていたくない理由があるかと言えば、むしろ合わせたくない理由しかない。
精神療養のため原隊を離れて、そのまま復帰せずに私用でベルリンに向かってるのだから。今更ながら公然と脱走中というわけだ。
というわけで、
「すみません、僕は何も……その人、本当にこの列車に乗ったのでしょうか?」
シラを切った。
何故か。あの如何にも逃亡慣れした博士を庇い立てたところで自分にも、この国にも利となるとは思えない。
ならば何故―――あ、逃げろって言われたんだっけ。その時だけ、博士は真剣な眼差しでそう言ってた。
まぁ、そういう事を言われるのは初めてか久しぶりかだろうから。ついつい逃げ損なってしまった。
「―――本当かね?」
男が空気を変えてこちらを睨みつける。疑わしいよね。当然だ。
「この車両、ずっと僕しか乗っていませんでしたよ?誰か乗って来たなら気付きます」
「では、あそこの窓はなんだ?」
男に示された窓を見る。正確にはサッシ。暫く誰も開けなかったのだろうサッシには埃が積もっていて、
それが、部分的に埃が落ちて金属の光沢を取り戻していた。
「……僕が開けました」
「理由は?」
「外を見ていました。もうじき、夕立が来るなって」
今度は男が僕の視線の先を確認する。空はどんよりと灰色が押し込められ、今にも雨が溢れ落ちそうな圧迫感を孕んでいる。
とりあえず適当に思いついたことを述べてはいるが、大分苦しいな。そろそろ準備をした方が良いかもしれない。
そう考えて、コートの中に仕舞っているものを確認した。
まず手紙。今回の依頼人から送られた拠点の居場所が暗号で書かれていたが、解読済みのコイツを奪われると具合が悪い。
P08と……弾は弾倉に入ってる分だけ。前線からそのまま持ち帰って来たものなのでこれ以上は泣いても弾は出ない。
それからナイフ。これは弾切れしなくて良いのだが、相手は複数。全員P38を懐に入れてMP40まで抱えてる。
とりあえず目の前の男の手首を切って、掴んで盾にして、後は多分撃ってくるだろうから男の銃を奪って―――
「―――すみません、こちらを」
「ん?あぁ……」
不意に、眼鏡の黒服がさっきの男に話しかけた。男が下がって、眼鏡と一緒に資料を確認している。
何だ?自分の原隊の資料か何かだろうか。いや、第12SS装甲師団なんてもう半数は死んでるんだ。帳簿なんて大半は紙切れだろうに。
それよりも盾が離れたのが困る。早いところこっちに―――
「成程、奴が最後か」
「はい。予定の通りこちら側ではありませんでした」
「何、構わん―――『英霊兵』を出せ!!」
男が向こうの車両に向かって吠えた。―――ヘルトクリーガー?聞きなれない単語だが、何か、嫌な予感がする。
その瞬間、
「―――――――――」
ドアを開けて、何かが立ち入って来た。
全身が金属の光沢で覆われた、近代で使われたフルプレートのような鎧……いや唯の鎧なはずが無い。明らかに大きすぎる。
3mに届く巨躯は動作の度に独特の機械音を放ち、ヘルムの覗き穴に相当する箇所からは妖しい光が漏れるばかり。
「―――!!」
考える余裕はない。すぐにコートの下から取り出したP08を、英霊兵とかいう鎧に目掛けて発砲した。
男たちを無視して直進する弾丸が、そのまま覗き穴を通過してヘルムの中に飛び込んでいく。―――しかし、
反応は無し。肉を穿つ音も、開口部から溢れる血もない。ただ甲高い金属音と共にヘルムの後頭部が奇妙に盛り上がっただけ。
何だこいつ。呆気に取られている間に、車両のドアからはもう一体。同じ英霊兵がのそりと姿を現していた。
「子供に手をかけるのは忍びないが……これも我が国のための犠牲だ」
「死んでくれ、最後のマスター」
男たちはその言葉を最後に、車両から消えていった。
金属音、金属音、衝突音、静寂。
既に雨が降っていたようで、叩きつける雫の音が耳をつんざく
中に入った英霊兵たちの身体は見た目通りの人外の膂力を発揮し、僕の乗っていた車両はギリギリ車両っぽく見える程度に
内部から破壊しつくされていた。椅子は千切りとられ、ガラスは粉砕されて壁は大きく歪んだ。
そして、その歪んだ壁の一つに、今僕は埋まっている。英霊兵の太い片腕から伸びる五指は、簡単に僕の身体を拘束した。
「……けふっ」
叩きつけられた衝撃が身体を軋ませて、咳込んだ拍子に口の中から血を溢した、赤い滴りが英霊兵の腕を汚す。
理由はわからない。何も情報は与えられていない。依頼の事、博士の事、英霊兵、最後のマスター。
何もわかることが無いまま、僕はここで死ぬ。この力なら、楽に首をねじ切ってくれるだろうか?そんな諦観が頭をよぎった。
あぁ、しかし英霊兵。英雄の霊の兵か。誰が付けたか分からないけど、因果な名前を与えてくれたなぁ。
駆動音が響く。多分、残った方の腕を振り上げて、僕の頭を砕くのだろう。
『君たちは今まさに絶頂の中にある。栄誉ある党の未来を担う若者を代表して、ここで最高峰の教育を受けていくのだ』
『案ずることはない、君たちの成績は特に優秀だった。戦場においても血と名誉を胸に戦い―――若き英雄となりたまえ』
―――英雄に憧れて、結局なれなくて。そんなものいないって気づいて。そして、こんな酷い紛い物に殺されるのか。
そうした理由は、わからない。何の意味もない事なのに。
拳を振り下ろされる直前、動く左手に渾身の力を込めて、英霊兵の腕を掴んでいた。
雷鳴。
そして、視界を覆いつくす稲光に、咄嗟に目を閉じた。
一瞬途切れた感覚を、再び取り戻す。英霊兵に虐げられた身体の痛みと―――左手の甲に火が付いたような熱。
僅かに目を開き、そして見開いた。
英霊兵がいない。いや、尻もちをついた自身の眼下にバラバラの残骸となって転がっている。
まるで雷の直撃を受けたように、装甲の表面は黒く焼け焦げて……雷?
そう、雷が、青白い稲妻が、微かに車両の中を飛び交っているのが見えた。……その中心に、「それ」はいた。
その話を初めて聞いたのは、父の寝物語。日本という国の昔の話。
この国とは違った甲冑を身に着けて、片刃のサーベルを携えた戦士が、日本を舞台に争ったという。
確かに、それが纏うものは、その日本式の青と黒で彩られた甲冑のようで、右手の輝く刃はサーベルと似ている。
その時、残った英霊兵が動き出したのに気付いた。先ほどよりも速度を上げて、圧倒的な質量差を武器に轢き飛ばそうとする。
危ない―――声に出そうとして、身体の痛みに押し込められた。僕を意に介することもなく、それは真正面から英霊兵と相対する。
す、と。それの右手が動いた、真横に引かれた手の動きに、握られたサーベル―――稲妻を帯びた刀が追随する。
そして、音もなく英霊兵の突き出した拳が、腕が、胴体までもが真っ二つに両断された。動力を喪った木偶は、
そのまま足元に倒れ込んで動きを止めた。
「――――――召喚の命に従い、ここに参上いたしました」
英霊兵を全滅させて、それがこちらに顔を向けた。それが喋ったのだと、最初は気付かなかった。
そして、雨の降りしきる空に雷霆が走り、激しい光が窓から流れ込む。
照らされた表情は、黒く長い髪を後ろで束ねた―――女の人の顔だった。
「あなたが、私のマスターですか?」
冷たい。
右の頬に感じる土の温度が、徐々に意識を覚醒させる。薄らと開いた眼は光を感じず、そこは夜の中にあるようだった。
いいや、夜じゃない。この淀んだ空気には覚えがある。
「(防空壕、の中かな……)」
空襲時に避難するためのそれは、地上地下問わずベルリン市街にも当然あちこちに設置してある。
少しずつ記憶を辿っていく―――そうだ。僕はランサーの攻撃に巻き込まれて、大穴の空いた地面に落ちた。
その先が地下に作られた防空壕だったらしい。下水道だったら今頃溺死していただろうか。そう思いながら手足に力を―――
「(……重い)」
何か体の上に重量物がある。それほど重くはない、瓦礫や土砂の類ではないようだ。僅かに弾力と、暖かさを感じる。
生きてる人間か。ちょうどうつ伏せの僕の背中で尻餅をついて倒れ込んだ形になってるみたいだった。
右肩の辺りに意識を向けると、ちゃんと人の手や髪が纏わりついているのを感じる。さて、それじゃあ。
当然このまま下敷きになる必要はない。左半身に再度力を入れて、寝返りを打つように上の人間を振り落とした。
地面に転がる音。どうやらそれで向こうも目が覚めたらしい、同時に起き上がり、やはり灯ひとつないことに気付いたようだ。
屋根が崩れてるのだから当然電灯は破壊されてるし、開口部から見える空は曇りの夜で星光は期待できそうにない。
……ついでに、持ってきたランタンもダメなようだ。外装が歪んでガラスが割れたそれを遠くに放り投げる。
すると、いきなりぼんやりとした光が点いた。ランタンが炎上したのではない。これは人工の灯りでは―――
「……あ」
「………」
光の主。バーサーカーのマスターの人が、今更気づいたといった風に声を上げた。
どうやら魔術で光を放ったらしい。―――僕が近くにいることに、警戒は無かったのだろうか?
「……何を見ているの」
「………灯りを出せるんですね。それで出口を探せるかもしれません」
周囲の状況を確認する。マスターの人が出した灯りは光量十分で、さっきまでの暗闇がうっすらとだが視認できるようになった。
崩落したこの地下防空壕から直接出ることは難しそうだ。崩落に巻き込まれて直近の出口は土砂に埋まっている。
だけど、規模自体はかなり大きい。横道を辿っていけば脱出は不可能ではないだろう。
とにかく急がないと。地上からは、今もランサーの暴れる様子が振動で伝わってくる。
「待って。協力するなんて一言も言って……っ」
立ち上がろうとしたマスターの人が、再び膝をつく。何か、片脚に力が入らないようだ。落下したときに挫いたのかもしれない。
その場に座り込む彼女の傍に戻って、患部の様子を確認する。
「! ちょっと、何して……」
びっくりされても仕方ないけど、今は無視。そこまで酷くはないから、負荷が増さないよう包帯で固定しておけば問題ないか。
この間SSの人に刺された傷に巻いてたものだけど、そこまで血も付いてないし、言わなければ気付かれないだろう。多分。
間に合わせの処置を終えて、そのままマスターの人の腕を自分の肩に回した。
「肩、貸します。ここを出るまで一旦協力しましょう、ヴィルマ……さん」
「名前、名乗った覚えは無いけど」
「さっきランサーのマスターの人……でいいのかな。その人が大声で叫んでいましたから」
「あぁ、そう。気づかなかったわ」
「僕はカノン。カノン・フォルケンマイヤーといいます。よろしく」
「……聞いた覚えも無いけど」
バーサーカーのマスターの人、改め、一時休戦となったヴィルマさんがこちらに体重を預けて立ち、痛めた方の脚の膝を曲げる。
そのまま片脚で歩行する彼女に合わせた速度で、ゆっくりと防空壕の中を捜索することとなった。
その後数分ほど、現在地が分からない地下壕の構造に四苦八苦していると
「ねぇ」
「どうして、私を助けたの?」
唐突なヴィルマさんの質問に、一瞬脚が止まった。
……ランサーの攻撃に巻き込まれて落ちたのは、僕じゃなくてヴィルマさんの方だった。
槍の一撃が地割れになって、彼女の体が飲み込まれた。何が起こったのかわからないままの表情を確かに覚えている。
その時、咄嗟に駆け出して、ヴィルマさんに向かって手を伸ばして、そこで意識が途切れた。
そう、確かに助けようとしていた―――ほんの少し前に銃口を向けた彼女。シズカさんと敵対するアーネンエルベのマスターを。
「……前にも」
「前にも、あなたみたいな人がいました」
歩行を再開して、返答する。
「戦場で、砲撃に巻き込まれて。土に埋まって死んだ。その時僕は手を伸ばせなくて―――理由といったら、それぐらいしか」
たった、それだけの事だ。
あの時目の前で消えていった命を思い出して、今度は手を伸ばした。安っぽい英雄願望だか代償行為だかと笑われそうなものだが、
それが事実であるなら仕方がない。だけど、
「戦場?あなたが?」
思いのほか、意外そうな顔をされた。
「珍しい話ではないです。ユーゲントで教育を受けて、軍に志願して選抜されて……?街の宣伝、見たことありませんか?」
「そうね、あまり見た記憶はないわ―――これまでずっと、屋敷の外には出ていなかったから」
これはヴィルマさんの方が珍しい話かもしれない。男子ならユーゲントは10歳から入ることを義務付ける法律があるし、
宣伝でも度々取り上げられてきた。それを知らないというのは相当な籠りぶりだ。
「屋敷に、って……そんなに長い間いたんですか?一体どうして?」
今度は、彼女の脚が止まった。
「……どうしましたか?」
「―――いいえ、何でもないわ。ただ、私はずっとあの屋敷に転がされていたの、塵のように」
その言葉が、胸に刺さるような冷たさを孕んでいた。
「私の才能は致命的なほどに悪かった。誰にも期待されなかっただけ、期待されるだけの価値が無かっただけ」
「スペアよりも下の、何も価値の無い生きてるだけの肉。それがいきなり繰り上げられて、やるべきことを押し付けられてるのよ」
そのまま淡々と、「塵」の詳細を語り続けてくる。何よりも才ある血筋を求める世界で、それこそ欠いて生まれ落ちた者の末路を。
咄嗟に、彼女の方を見る。魔術の光が照らす彼女の眼が、泥で塗りつぶしたように濁って見えた。
「……それで、この聖杯戦争に参加したんですか?」
「えぇ。私に拒否権はない、刻印も財産も機関に管理されていて、一人だけ残った私の生殺与奪を握っている」
「戦ってどこかのマスターに殺されるか、役立たずとして機関に始末されるか。―――何もかも、連中の掌の上ってことね」
―――この人、そんな理由で戦って、戦わされて、いるのか。
どう考えたって向いているはずが無い。こんな、敵の前で灯りを出してしまうような人が、無理やりこの「戦争」に立たされてる。
「―――それは」
それが、
「それは間違ってると思います」
「誰かの言いなりになって戦っても、それを命じた相手は何も報いることはない。何も得られはしないんです」
無性に腹が立った。
分かってる、理解してるつもりだ。彼女は拒否権が無かったんだ。どこかの志願して地獄に墜ちた馬鹿とは事情が違う。
だけど、なのに、どうして。何故彼女の今を否定したくなる。戦うことを否定したくなる。
まるで自分が言われたように、彼女の無為を否定したくなるんだろう。
「……そうね。馬鹿みたいね。私」
ぽつりと独り言ちる。それっきり、静寂が舞い戻った。
「―――だけど、あなたは戦っている」
「私からも聞かせて。あなたは何のために戦っているの?」
「―――――――――」
わからない。
何も、わからない。
戦いたくないのなら、戦わなければいい。何処へなりと姿を変えて逃げ出せばいいのに。僕はこの「戦争」に身を置き続けている。
それより前、12SSで散々死んでく命を見てきたのに、まだ自分の命を捨てに行こうとする。僕だけ生き残ってしまったから?
いや、全て詭弁だ。
わからない。―――わかりたくなかった。今も尚、行く先を他者に委ねて、漠然と戦ってるだけの僕の姿を。
何も戻ってこないと分かっているのに、無為に銃を構えるだけの僕を。
きっと、今の僕の眼は、
彼女と同じ。泥の色に濁っているのだろう。
1945年5月、欧州での大戦はドイツの敗北と言う形で終結した。
連合国は残った大日本帝国との戦いの終わりも間近と見ており、『次』に向けて動き出していた。
後にペーパークリップ作戦と呼ばれる技術者のスカウト、ドイツの遺産の奪い合いが水面下で後に自由陣営と呼ばれる米英とソ連の間で繰り広げられ始めていた。
1946年7月ドイツ、ニュンベルク、捕虜収容所。
捕虜収容所の廊下を前後と両脇を兵士に固められた男が歩く。
過度な程警戒している両脇の兵士とは裏腹に
男は散歩でもしているかの様に緊張感がなくリラックスしていた。
男の方には頬に傷があり、リラックスした上機嫌な表情でも厳つさを隠しきれてはいない。
前方の兵士が足を止める。
そこは尋問室と書かれた小さな部屋の前。
「入れ!」
「おいおい、随分乱暴じゃねぇかよ。捕虜虐待か?」
両脇の兵に急かされて押し込めれるように尋問室に入れられる傷の男。
目の前には机と椅子。男は慣れた様子でふてぶてしく椅子に腰掛けた。
「で、今日はなんだ? グライフ作戦の件ならお互い様って事で話が付いたろ?」
尋問室の奥、自身を監視している者に向けてわざとらしく大声を上げる。
そこで向かいの扉が開き、何人かの男が部屋に入ってきた。
「……オットー・スコルツェニーだな?」
一人の男が傷の男、オットースコルツェニーに相対するように椅子に座ると話し掛ける。
「誰だ、あんたら? いつもの担当じゃないな」
先程よりも警戒の色を露にしてスコルツェニーは問い掛けた。
「アメリカ海軍情報部P課所属、フランク・H・シンドー中尉です」
スコルツェニーに相対する男は如何にもといった軍人の風体だ。軍服はアメリカ海軍の青い軍服。
名前や顔つきからして東洋人の血を引いているのだろうか。
「海軍情報部P課、噂のデルタグリーン((海軍情報部P課通称デルタグリーン。とある事件を経緯に設立されたアメリカ軍の対神秘部隊、詳細は[[デルタグリーンについて>フランク・H・シンドー]]参照))か。カロテキア((カロテキア、ナチスドイツのオカルト特務機関。独自の指揮系統を持ち、欧州で暗躍していた。))の連中と派手にやり合ったらしいな。聞いてるぜ。そっちもデルタグリーンなのか?軍人っぽくはないが」
スコルツェニーはオカルトについては殆ど専門外だが、カロテキアとデルタグリーンについての噂とその戦闘については聞いた事があった。
興味深そうにシンドーの隣に立っていた奇妙な髪型の男に問い掛ける。
「いや、俺は違いますよ。俺はイギリス軍軍属のタイタス・クロウ、暗号解析なんかをやってた」
シンドーの隣に立っていた奇妙な髪型の男が名乗った。
こちらは軍人というよりは研究者かさもなくば探偵が似合いそうな若者だった。
「そりゃどうも、今更何が聞きたいんだ?」
首だけかくんと動かしたスコルツェニーは相変わらずの不遜な態度で言い放つ。
答える気はないと態度で示していた。
「単刀直入に言おう、ベルリンでの聖杯戦争について聞きたい」
シンドーから発せられた聖杯戦争という言葉にスコルツェニーの眉がピクリと僅かに動く。
「……っ、はははっ!聖杯戦争?なんだそりゃ、ヒトラーやヒムラーの妄言を信じてるのか?ラストバタリオンとか?」
一呼吸置いた後笑い飛ばした。
「声が震えているぞ、オットー・スコルツェニー」
第三の男の声に思わずスコルツェニーが椅子から飛び退き、身構える
男はスーツを着込んだ白髪の老人だった。
男からは一切、気配がしなかった。いや、気配を感じることが出来なかった。
「てめぇ、魔術師だな」
「いや、三人とも魔術師だ。名乗り忘れたなカール・グスタフ・ユング、心理学者と言うことになっている」
スコルツェニーの警戒を露とした声を気にすることなくユングはパイプを取り出し口にくわえる。
その眼鏡の奥には魔術師独特の強い意思があった。
「……そういう事かよ、俺は話すことはねぇ」
椅子に座り直すスコルツェニー。
「無理に話す必要はない」
スコルツェニーの顔の前に手を翳すユング。
すると、スコルツェニーの意識が段々と遠退いて行く。
「くそ、魔術かよ……」
「これでも大分穏健な手を使っているのだがね。 私もベルリンで行われた儀式には興味がある、話して貰おうかオットー・スコルツェニー」
ユングの言葉を聞きながら、スコルツェニーの意識は一年前に引き戻されていった。
1945年3月ドイツ某所、とある駅。
「ったく、上はなに考えてるんだかな……」
オットー・スコルツェニー、今はウォルフ博士と名乗る男は何度目かも分からない愚痴を吐き捨てると列車へと足を踏み入れた。
同時に出発を告げる汽笛が鳴り、列車は動き始める。
戦線から近い場所に生きている交通機関があったのは奇跡的だ。
……列車の名前も覚えていないが、ベルリンへと行くと言うなら異論はない。
しかし、この列車は変な客が多かった。
先程すれ違ったストリッパーのような変な赤い服を着た褐色の女は人とは思えない雰囲気だったし、戦時中にも関わらず学生気分の抜けていない騒がしい一団がいたのだ。
まぁいい、と気分を変えて別の客車、二等客車へと移る。
そもそも本来であればスコルツェニーはドイツ東部で部隊の指揮を取っている筈だった。
それが急遽ベルリンに向かうことになった原因は数日前スコルツェニー宛に届いた命令書だ。
総統ヒトラーによるスコルツェニー以外開けてはならないと記されたそれにはこう書かれていた。
『至急ベルリンへと出頭せよ、これは総統指令である。尚、ベルリンへ行くことは誰にも知られてはならない、誰にも見つかってはならない』
「つい先日、ハンガリーでの攻勢に失敗して中央軍集団が壊滅して目の前にソ連が迫ってるこの状況下で?遂に我らが総統閣下はイカれたのか?」
しかし、命令は命令である。
部下に一時的に部隊の指揮を任せると準備を整え、変装をすると生きている交通機関を探し、それに飛び乗ったのだ。
今のスコルツェニーは左頬の傷を隠し、白髪のかつらと山高帽、片眼鏡を付けた老紳士にしか見えなかった。
(この状況下でベルリンに呼び出しなんて録な用じゃねぇな……)
二等客車はガラガラだった。
普通こんな状況下で容易に移動は出来ないし、昼間の列車なんて連合軍のヤーボ((ヤーボ。ヤークトボンバー、戦闘爆撃機の略称。身軽な戦闘機に爆弾やロケット弾を積んだ地上目標攻撃用の機体))の的になるような物だ。
乗客が少ないのも当然だろう。
適当な席に座ろうと席を見繕っていたスコルツェニーの目に人影が映る。
奇特な先人がいたらしい。黒のロングコートを来た男のようだ。
俯き、視線を下げていた男だが、向こうも此方に気付いたようだ。一瞬、視線が交差する。
スコルツェニーは男の目に見覚えがあった。
それは戦場という現実を前に理想も信条も砕かれて夢から覚めた者の目。
よく見ればその顔つきは幼さが残っている。
そいつがユーゲント上がりなのは目を見れば分かった。
戦場という現実を前に理想も信条も砕かれて夢から覚めた奴はみんなああいう目になる。俺のように戦場に適合してしまった一握りのクズ以外は。
俺は黒の装束に袖を通した武装親衛隊中佐、ああいうガキを『どうなるか分かっていて』戦場に送り込んだ側だ。
総統からの命令は誰にも知られるな、誰にも見つかるな。……それがどうした。ここであの小僧を見過ごしたら俺はディルレヴァンガーの第36SS武装擲弾兵師団やカミンスキー旅団と同じ本当のクズ以下の畜生になっちまう。
これは俺の自己満足だ、己の人間性を保つ為、今までしでかしてきた、目をつぶってきた罪を償おうとする代償行為に過ぎない。
それでも良い、一人の小僧の命が救えるなら幾らでも罵りを受けてやる。
「ここ、良いかね?」
スコルツェニーはにこやかに微笑むと向かいの席に座り、手に持っていたスーツケースを置いた。
「…………どうぞ」
男は投げやりに頷くと窓に顔を向けた。
「もしや兵隊さんかね? 負傷されて後送されたとか?」
「まぁ、そんな所です」
「私も先の大戦の時は兵隊だったが足を撃たれてしまってね、君のような若い者に任せてしまっている」
「大した事ではないです」
「そうかね、ところで何処まで行くつもりだい?」
「…………ベルリンです、父から頼まれた用がありまして」
今まで言葉に感情の乗っていなかった青年の言葉に僅かに感情が乗った。
「そうか。…………少年、悪いことは言わない、この国はもうすぐ負ける。ベルリンは国土や人民を傷つけられた怒りに燃えるソ連に完膚なきまでに破壊され、蹂躙されるだろう。用が済んだら家族を連れてすぐに西へ逃げろ。少なくとも米英の勢力下である西部戦線((当時のドイツは米英相手の西部戦線とソ連相手の東部戦線、二つの戦線を抱えていた))であればそれほど酷いことにはならない」
スコルツェニーは青年の目を真っ直ぐ見詰めて、真摯に話す。
「大丈夫です……父も母も、もういません。友人の一人も、いません。一人で行ってくるだけですから」
スコルツェニーの言葉を聞いてなお、青年の目は生気がなく、空虚だった。
「そうか……」
スコルツェニーはゆっくりと頷く。
言葉ではこれ以上彼を動かすことは出来ない。スコルツェニーは黙るしかなかった。
それから暫く経ち、気付くといつの間にか駅についていたようだ。
ふと窓の外を見ると黒衣の軍服を纏った連中、親衛隊が慌ただしく駅のホームに蠢いていた。
耳を傾けると、目標を探せだとかスコルツェニーがいるはずだという言葉に気付いた。
どうやら身内である親衛隊から追われているらしい。このままでは青年も巻き込みかねない。
まだベルリンは少し遠いが、なんとかなるだろう。
意を決してスコルツェニーは立ち上がる。
「……どうかしましたか?」
青年も異様な気配に気付いたようだ。
窓から外を見ると、顔をしかめた。
「青年、恐らく私を追っている者がここに来る。君は追っ手に私がここで降りたと言うんだ。そうすれば危害は加えられない筈だ」
スコルツェニーはスーツケースを手に立ち上がる。
「あの……!」
「なんだね?」
青年もまた意を決したかのように声を上げる。
スコルツェニーはそれに応じた。
「僕は、僕はカノン・フォルケンマイヤーと言います……その、ありがとうございます」
座ったまま頭を下げる青年、カノン。
「…………礼を言われるような事はしていないがね。 ウォルフだ、人からはウォルフ博士と呼ばれている」
頭を下げたカノンにスコルツェニーは困ったように眉をしかめると、無理矢理笑みを作った。
そのまま、反対側の窓の客席の窓を開けるとスーツケースを投げ、窓に体を滑り込ませる。
「……お互い、運が合ったらまた会おう、フォルケンマイヤー」
窓から飛び降りるスコルツェニー。
カノンが窓から覗いた時には既に彼は遠くへと走り去っていた。
「親衛隊だ!これより車両の臨検を行う!!」
カノンが席に戻るのと親衛隊が客車に踏み込んで来るのはほぼ同時だった。
その姿を見たのは、久しぶりだと少女は感じた。
黒いコート、淡い金の髪、さほど身長は高くない少年の姿。
その姿を見るのが、正確には、彼が黒鉄の銃をこちらに向けるのが。最初に対峙した時と同じ構図に思えた。
しかし、当時とは状況は大きく異なる。
少女、ヴィルマの前にバーサーカーの姿はなく、少年、カノンの隣にもセイバーの姿はない。
両者共に、遥か向こう―――倒壊したクレーンの先で戦いを続けている。時折放たれる閃光がその証だった。
謎の黒い人影の軍勢、恐らくはカノンがこの戦いのために準備したそれは、セイバーとの相乗効果で威力を発揮した。
ヴィルマは頼みのバーサーカーとあっさり分断され、無力な肉体をカノンの前に晒す状況にある。
今は人影の姿はない。自分にとどめを刺すのに、もはやあの魔術は必要ないのだろう。
その判断を屈辱と感じたり、あんな芸当を容易く実現する少年に嫉妬する余裕はヴィルマになかった。
彼のP08に対抗して取り出したHScは、握る手が重量に負けて震えている。
実戦で幾度となく発砲したであろう彼と、まともな射撃の経験すらない自分では、この至近距離でも勝敗は明らかだ。
完全な手詰まりの中、逆転の一手を降霊術に頼ろうと出口のない思考を繰り返す。
その時、
すっと、拳銃を握るカノンの右腕が真下に降りた。
「―――もう、やめましょう」
「……これで終わりです。僕はあなたを撃たない。僕とあなたが、戦う理由なんて最初から―――」
思わず、ヴィルマは我が耳を疑った。
しかし聞き間違いはない。この状況で、カノンは停戦を求めてきたのだ。
彼が奪取した聖杯から離れるリスクを冒してでも戻ってきたのは、この聖杯戦争に決着をつけるため。
その対象は、この戦争を仕掛けた男―――ゼノン・ヴェーレンハイトにある。
それ以外の相手に対して、徹底してとどめを刺す必要はカノンにはなく、
……それ以上に、彼はヴィルマのことを殺すべき相手だと認識できなくなっていた。
「何を、言っているのですか?」
「私はアーネンエルベ機関の人間です。聖杯は我らが獲得するべきであり、あなたは聖杯を奪ってその在り処を隠している」
「これ以上に敵対すべき理由はありません、それをあなたは、敵意はない、と?」
だが、ヴィルマにとって自身が、シュターネンスタウヴがこの戦争を降りる選択肢はあり得なかった。
アーネンエルベのマスターとしてバーサーカーと契約する。それが現状における彼女の唯一の存在価値となる。
財産、呪具、魔術刻印。機関に深く関わりすぎた家は全ての拠り所を握られ、離反無きように首輪を嵌められた。
逃げ出せば家の価値はおろか、命さえ確実に刈り取られる。この戦争に勝利しない限り自身の生存は―――
「その機関は、あなたに何をしてくれるんですか?」
「あの人が―――ゼノンが聖杯を手にしたとして、それはあなたの安全を保障することはない」
「彼は、自身の目的のためならば誰でも切り捨てることができます」
―――生存の道は、ない。
ゼノン・ヴェーレンハイト。あの男が本性を現した時点で、ヴィルマの拠り所は消滅したに等しかった。
アーネンエルベ側が聖杯を持ち帰れば、それを行使するのはゼノン。しかし彼が対等に見る相手は一人もいない。
それは事実上、彼が機関を、ナチスを離れてワンマンで行動を起こすことを意味する。愚鈍な高官共を騙したままに。
やがては切り捨てられる。ならば、例え身一つであってもここから逃げ出す道を―――いや、まだだ。
「―――勝敗は決まっていない。そうやって無駄な時間を費やしている内に、バーサーカーは……」
「セイバーは負けないよ」
「これまでの戦いで、バーサーカーが何をしてくるかは分かった。こっちにはもう一枚切り札がある」
きっぱりと切り捨てられた。
勝算はあった。バーサーカーの力であればセイバーは押し切れる―――彼女の宝具があの雷のみであれば。
このまま時間を稼げば、マスター同士の魔力供給量の差から、サーヴァントの持久力はヴィルマに分がある。
そう算段を立てていたが、カノンはそれを知る上で、短期に勝敗を決め得るもう一手があると告げたのだ。
あのバーサーカーに対して有効となる手―――ハッタリだと思いたいが、セイバーの能力が未知数であることに疑いはない。
目の前の勝機が揺らいでいく。そして、それより先に続く道は全て絶たれている。
だけど、今更自分に何ができる?何の主体性もなく、言われるがままに行動してきた人形に今更何が?
だから、戦わないと。そう命じられたのだから、他に成すべきことがわからないのだから、目的を達成しないと。
「だから、僕は」
「あなたを殺さない。……殺したくないんだ。―――もういいんだよ。戦わなくたって」
なのに、目の前の少年は、
戦意も殺意も欠片もない、ただ真っ直ぐに真摯な眼差しをこちらに向けてくる。
いつの間にか銃を手放した右手が、こちらに向けて差し伸べられた。
その時、音を立てて、ヴィルマの中の何かが崩れ落ちた。
目を見開いて、左手で叩くようにカノンの手を払い除ける。
「―――もう嫌だ、もう嫌だ、嫌だ、いや、いやぁ……!」
思考の混沌が体外に溢れ出す。
呼吸が荒くなり、全身から汗が噴き出す。手にしていた拳銃を取り落として、両手で髪をグシャグシャに乱す。
直立も出来ず、膝から崩れ落ちてその場にへたり込む。くの字に身体を折り曲げ、突っ伏した彼女の表情は、
冷酷な薄い表皮も、亡霊のような空気もない、抑えきれない感情に醜く歪んでいた。
「何が聖杯、何が戦争、何がシュターネンスタウヴ、何がナチス……!何が、何が……!」
「寄ってたかって私を都合よく切り分けて、都合よく見た目だけ整えて、都合よく引き摺り回して……!」
「もうあげられるものなんて、私には残ってないわよ!」
上体を起こして、揺れる瞳孔がカノンを睨みつける。
ゼノンだけじゃない。アーネンエルベの高官共も、死んでいった家族も、誰も彼もが自分を利用してきた。
全て他人の都合だ。自分の意志など介在する余地もない。地べたに転がる塵を飾り付けて、最後には捨てていく。
は、は。と、吐き出した息が震えて嗤う。
「―――笑えるでしょう?私には処女すら残ってないの」
「この手も目も口も、腹の中までどろどろに汚れているの。兄だけじゃない、何人もの男の手で……!」
その言葉を口にするだけで、ぞっとする悪寒が全身を貫く。口を動かし続けなければ汚物を吐き出しそうになる。
なんの価値もない肉ならどれだけ楽だっただろうか。だけど、彼らはそんな肉にすら値打ちを付けて弄んだ。
真っ白なシーツを赤く汚して、もう汚れているのなら構わないとばかりに、黒く染まるまで使い潰された。
両腕で身体を抱え、無意識に右手は下腹部を握り潰すように、あるいは隠すようにして震えた。
「大事なものさえとっくに奪われてるのに、みんなまだ私から使えそうなものを見つけ出しては勝手に奪っていく……!」
「なのに、あなたは何なの!?笑わせないでよ、今更そんな薄っぺらい言葉なんて……!……う…う……」
今更、そんなものが響くはずもない。
どんな綺麗事を並べ立てても、この身に染み付いた汚れは洗い落せない。何も変わるものなんてない。
既に終わってしまったのだから。地の底で倒れているだけの私は、立ち上がる脚を与えられなかったのだから。
なのに、
信じられない。今更、もう手遅れなのに。
どうして、今になって泣いているの。
「……助けて……」
最後の言葉が、掠れるように零れた。
どれだけ時間が経っただろうか。
いつの間にか、遠くで戦うサーヴァント達の気配も感じなくなっていた。
「―――いらないよ」
「何も、涙一粒だって……」
暖かい感触に、びくりと身を震わせる。
ヴィルマの前で屈み、顔を伏せた彼女の身体を、カノンは両腕で抱擁していた。
同時に、氷のように冷たくなった彼女の震える手を取り、熱を伝えるように握りしめる。
それが、カノンにとっての精一杯だったのかもしれない。
彼は神ではないし、何ら誰かに与えられる施しなどは無い。彼自身もまた、奪われる側、自由無き側の人間だったのだから。
何もしてやれない。目の前の深く傷ついた少女を救う術が分からない。―――それでも。
それでも、こうして傍に寄り添いたいと思う。この体温を分かち合いたいと願う。苦痛を和らげて欲しいと願う。
君は誰の道具でもない。何も奪われていい筈がない。君は生命なのだから。少なくとも、僕にとっては消してはならない生命なんだ。
だから、今はこうして傍にいさせて。君の分まで涙を流させて。
「―――――――――ぁ」
黒いコートの布地を掴んで握りしめる。
少女はそのまま、堰を切ったように泣き喚き続けた。身体の奥底に溜め込んだ膿を出しきるまで。
「大丈夫?」
「―――大丈夫。もう、結構よ」
落ち着いてきたヴィルマがそそくさと身を離す。
様子を伺えなかった表情は、今までのように生気が失せたものではなく、不貞腐れながらも何処か光を取り戻しているように見えた。
顔が赤いのは、直前まで大声で叫んでいたせいだろうか?様子を確認したカノンが、初めて安堵の表情を見せた。
そして、同時に周囲の状況が二人の知覚に入ってくる。先ほどまでの閃光は失せて、静寂が周りを包んでいた。
「バーサーカー……」
「決着、ついたみたいだね。大丈夫、セイバーはトドメを刺してない」
バーサーカーと自身を繋ぐ、胸の令呪はまだ消えていない。魔力を送るパスはまだ生きている。
激しい戦闘はあっただろうが、双方共にサーヴァントを失うことなく終わったようだ。
「そう、負けたのね。私」
「勝ち負けじゃないよ。―――さぁ、セイバー達のところに戻ろう」
いいや、負けだ。殺し合う意味ではないけれど。
改めて彼が手を差し伸べる。その姿を、柔らかくはにかむカノンの表情を見つめて、少し気恥ずかしくて顔を伏せた。
立ち上がって手を伸ばすと、彼が掴み取る。その暖かさが流れ込んで、少し高くなった自分の体温と混ざり合うように感じた。
ここで動いても、多くを失うことに変わりはない―――それでも、どうせ失くしてしまうならば、自棄になって歩き出しても良い。
今はそう思える。こうして、あなたの暖かな手に引かれていると。
暫くの間―――二人の下に到着して、セイバーの視線に気づくまで、繋いだ手を離すことが出来なかった。
「ねぇねぇスコルツェ兄さん、なんで僕らに協力してくれるのさ」
「それは僕も気になったよ、是非聞かせて貰いたいね」
英霊兵製造工場襲撃に向け、工場を見下ろせる建物の一角に居座り様子を伺っていたクリスタ、基フルスタはふと疑問を口にした。
代用コーヒーを手に現れたユスポフもフルスタに同意し、妖しく微笑む。
「あ? なんでって、そりゃ……」
工場を覗いていた双眼鏡から目を離したスコルツェニーはユスポスからカップを受け取ると珍しく言いにくそうに表情を歪めた。
「僕と違って君達は国に忠誠を誓った軍人とスパイよね。 スコルツェニーは髑髏と鉤十字に、フルスタは鎌と鎚に。そんな君が何故国に敵対してまで私達に協力するわけ?」
ユスポスの眼差しは正確に的を居抜く矢のように感じられた。
フルスタも無言でスコルツェニーを見つめる。
当たり前だが、疑われている。とスコルツェニーは感じた。
「……俺はドイツの為に黒衣の軍服に袖を通した。そんな俺が今ドイツに弓を引こうとしてる。確かに矛盾だ、だが俺は総統からこの聖杯戦争を見届けろと言われた」
「それは理由にはならないんじゃない?」
ユスポフの言葉に頷くスコルツェニー。
「その通りだ。見届けるだけなら何もしないのが正解だろう。ヴェーレンハイトやハウスホーファーのお題目がそのままならドイツは救われる。それでめでたしめでたしだ」
「…………ふざけろよ。ドイツ人にもロシア人にも何万人にも血を流させて聖杯なんて訳のわからねえもんに頼って解決だ?しかも、それを主導してるのがあの胡散臭い二人と来てる。ナチスのバカ共はこの国が負けたことを受け入れるべきだ。……例えどんな悲惨な未来でも。ヘルトクリーガーも聖杯もこの国には要らねえ。だからお前さん達に協力してる。……この答えで納得したか?」
「ふーん、中佐さんも色々考えてるんだね」
「そもそも私は地位と名誉が目的だから興味ないもの」
「ああ、そうかよ」
「中佐さん、一つ確認したいけど聖杯はうちが貰っていいんだね?」
「好きにしろよ、精々アメ公達と奪い合え」
フルスタの言葉を聞き流すと乾いた唇を潤そうと冷めかけた代用コーヒーに口をつけた。
「交渉成立ね、改めて宜しく」
差し出されたユスポスの手を一瞥したスコルツェニーは鼻を鳴らした。
「誰がラスプーチンを殺した男と握手なんてするか」
ただお互いの目的を果たす為。ここに奇妙な同盟関係は正式に結ばれた。
「おのれスコルツェニー…!」
ハウスホーファーは混乱の収まらない半壊したヴリル兵器生産工場を前に歯噛みしていた。
ハウスホーファーに、世界に黄金たるアーリアの血に栄光をもたすべく作られたヴリル・パワー兵器郡の見るも無惨な残骸に煮えたぎるような怒りが溢れ出す。
この光景を作り出したのはコミュニスト達のスパイと取るに足らないと見たたった一人の男、欧州で最も危険な男。オットー・スコルツェニー。
ハウスホーファーもヴェーレンハイトも聖杯戦争の見届け役として派遣された彼を取るに足らない男だと思っていた。
どんなに工作員としても優れていても神秘に全く興味はなく命じられた役割を果たすだけと機械的に果たすだけの男。
ハウスホーファーは一時期軍に在籍し少将にまで上り詰めた経験がある。
だから、彼の事を優秀だが命令にしか従うしかない兵士だと思っていた。いや、思い込まされた。
傲慢と余裕から自分を甘く見たと感じた彼はそれを利用し完全に此方を欺いた。
傲慢と余裕につけこんで奴が工事襲撃に仕掛けた工作は至ってシンプルな物だ。
幾つかの爆発物を工場内に仕掛け、爆発させると緊急事態だと武装親衛隊と陸軍を突入させた。
そして通信を遮断すると武装親衛隊陸軍にあることを伝えた『奴等はソ連のスパイだ、全て敵だ。銃を向ければ分かる、奴等は決して投降もせず反撃してくる』と。
一方ヴリル協会とアーネンエルベ機関には別の事を言った『我々の企みが全てバレた、奴等は全て敵だ。奴等は決して投降を許さない、生き延びたければ抵抗するしかない』
見事とさえ言っても良い、恐らくは内部に内通者がいたのだろう。
ヴリル協会アーネンエルベ機関と陸軍、武装親衛隊は真正面からぶつかり合い貴重なヴリル兵器さえも使用する事になった。
その隙を突きスコルツェニーとスパイ達はヴリル兵器の製造設備を爆破、兵器郡を破壊。
正直に言おう、大ダメージだ。これを立て直すには途方もない時間が必要だろう。
だが、まだだ。まだ終わってはいない。
残存したヴリル兵器とその青写真は私の手の元にある。
この戦力では聖杯の奪取は不可能だろう、ドイツ第三帝国は滅びるだろう。
しかし、ヴリルパワーが有る限りヴリル・ヤたるゲルマン民族の世界支配は必ず成し遂げる。
おゝ、偉大なるかなヴリル・ヤ! 地下深くシャンバラに棲まうものよ、必ず再臨の時は来ませり!
さぁ、来るが良い! 欧州で最も危険な男よ、コミュニストのスパイ達よ
私は逃げも隠れもしない、決着を付けよう