その姿を見たのは、久しぶりだと少女は感じた。
黒いコート、淡い金の髪、さほど身長は高くない少年の姿。
その姿を見るのが、正確には、彼が黒鉄の銃をこちらに向けるのが。最初に対峙した時と同じ構図に思えた。
しかし、当時とは状況は大きく異なる。
少女、ヴィルマの前にバーサーカーの姿はなく、少年、カノンの隣にもセイバーの姿はない。
両者共に、遥か向こう―――倒壊したクレーンの先で戦いを続けている。時折放たれる閃光がその証だった。
謎の黒い人影の軍勢、恐らくはカノンがこの戦いのために準備したそれは、セイバーとの相乗効果で威力を発揮した。
ヴィルマは頼みのバーサーカーとあっさり分断され、無力な肉体をカノンの前に晒す状況にある。
今は人影の姿はない。自分にとどめを刺すのに、もはやあの魔術は必要ないのだろう。
その判断を屈辱と感じたり、あんな芸当を容易く実現する少年に嫉妬する余裕はヴィルマになかった。
彼のP08に対抗して取り出したHScは、握る手が重量に負けて震えている。
実戦で幾度となく発砲したであろう彼と、まともな射撃の経験すらない自分では、この至近距離でも勝敗は明らかだ。
完全な手詰まりの中、逆転の一手を降霊術に頼ろうと出口のない思考を繰り返す。
その時、
すっと、拳銃を握るカノンの右腕が真下に降りた。
「―――もう、やめましょう」
「……これで終わりです。僕はあなたを撃たない。僕とあなたが、戦う理由なんて最初から―――」
思わず、ヴィルマは我が耳を疑った。
しかし聞き間違いはない。この状況で、カノンは停戦を求めてきたのだ。
彼が奪取した聖杯から離れるリスクを冒してでも戻ってきたのは、この聖杯戦争に決着をつけるため。
その対象は、この戦争を仕掛けた男―――ゼノン・ヴェーレンハイトにある。
それ以外の相手に対して、徹底してとどめを刺す必要はカノンにはなく、
……それ以上に、彼はヴィルマのことを殺すべき相手だと認識できなくなっていた。
「何を、言っているのですか?」
「私はアーネンエルベ機関の人間です。聖杯は我らが獲得するべきであり、あなたは聖杯を奪ってその在り処を隠している」
「これ以上に敵対すべき理由はありません、それをあなたは、敵意はない、と?」
だが、ヴィルマにとって自身が、シュターネンスタウヴがこの戦争を降りる選択肢はあり得なかった。
アーネンエルベのマスターとしてバーサーカーと契約する。それが現状における彼女の唯一の存在価値となる。
財産、呪具、魔術刻印。機関に深く関わりすぎた家は全ての拠り所を握られ、離反無きように首輪を嵌められた。
逃げ出せば家の価値はおろか、命さえ確実に刈り取られる。この戦争に勝利しない限り自身の生存は―――
「その機関は、あなたに何をしてくれるんですか?」
「あの人が―――ゼノンが聖杯を手にしたとして、それはあなたの安全を保障することはない」
「彼は、自身の目的のためならば誰でも切り捨てることができます」
―――生存の道は、ない。
ゼノン・ヴェーレンハイト。あの男が本性を現した時点で、ヴィルマの拠り所は消滅したに等しかった。
アーネンエルベ側が聖杯を持ち帰れば、それを行使するのはゼノン。しかし彼が対等に見る相手は一人もいない。
それは事実上、彼が機関を、ナチスを離れてワンマンで行動を起こすことを意味する。愚鈍な高官共を騙したままに。
やがては切り捨てられる。ならば、例え身一つであってもここから逃げ出す道を―――いや、まだだ。
「―――勝敗は決まっていない。そうやって無駄な時間を費やしている内に、バーサーカーは……」
「セイバーは負けないよ」
「これまでの戦いで、バーサーカーが何をしてくるかは分かった。こっちにはもう一枚切り札がある」
きっぱりと切り捨てられた。
勝算はあった。バーサーカーの力であればセイバーは押し切れる―――彼女の宝具があの雷のみであれば。
このまま時間を稼げば、マスター同士の魔力供給量の差から、サーヴァントの持久力はヴィルマに分がある。
そう算段を立てていたが、カノンはそれを知る上で、短期に勝敗を決め得るもう一手があると告げたのだ。
あのバーサーカーに対して有効となる手―――ハッタリだと思いたいが、セイバーの能力が未知数であることに疑いはない。
目の前の勝機が揺らいでいく。そして、それより先に続く道は全て絶たれている。
だけど、今更自分に何ができる?何の主体性もなく、言われるがままに行動してきた人形に今更何が?
だから、戦わないと。そう命じられたのだから、他に成すべきことがわからないのだから、目的を達成しないと。