SSや怪文書、1レスSSなどを投下する用途のスレッドです。 アーカイブとしての保存や、絡み後の後日談などにお使いください。
「よう新入り、さぁ熱い内に喰え喰え。今日は俺の奢りさ」 暗闇に潜む恐怖から逃れるようにキオスク跡地の酒場で今日も歓声が響く。 唾液が滲む。疲労困憊の終電で異世界に迷い込んでから何を食べただろうか。 芳ばしさが漂う紫肉の鶏ハツもカラッと揚がったカブもどきもご馳走だった。
怪奇映像を垂れ流すテレビ、喧噪に響くビールジョッキが鳴る音、巨大ミミズを捌く無貌の料理人。 それこそが死線を潜って得た一時の安寧。出口も分からず彷徨った先に見付けた小さな小さな希望。
「おっと箸が止まってるぞ。何故新入りに優しくしたか気になるか。そう顔に書いてある」 「一寸先も見通せない世界じゃ不安と憂鬱こそ命取りなのさ。腹が膨れれば安心できるからさ」 頬に伝う熱い雫も気にせず一心不乱に箸を動かす、そんな自分の背中を優しく叩く手が頼りに思えた。
永い眠りを妨げる衝撃がこの身を襲う。 役目を終えて眠りに就いてから何年が経過したのだろう。 軋み、朦朧とする意識の中で、無機質な痛みと「崩れていく」感覚だけが妙に鮮明だ。 錆びつく思考と視界を目覚めさせて周囲を見渡す。気が付けばこの身体の半分以上が失われていた。 砕けたものを補うようにめり込むのは、名前も知らない何処かの誰か。 既に意識を失い、何者でもなくなったそれは、私よりも数倍酷く砕け散り原型を亡くしている。 やがて……私もああなるのだろうかと。古ぼけた回路が数分後の未来を算出する。
華々しいものではなかったが、私の役目は人類の助けとなるものであったはずだ。 それを自覚してから役目を終えられるだけでも幸運だったと、“現実的判断能力”を失った回路が呟いた。 ……最期に星を見たい。宇宙機として生み出された一基として、“宇宙”の名を関する衛星として。 この満天の星々の一つとして散っていくのだと、夢のような想いで――――――力を振り絞り、空を見上げた。筈なのに。
暗い。暗い。暗い。 縋るように伸ばした手も破片となって飛散する。 叫ぶ声も届かない。いつか見た、光に満ちた空は――――憧れだった“可能性”には、もう。
「――――塵しか、見えない。」
2009年2月10日16時55分、地球の低軌道上より二つの衛星が衝突。 人的要因もなく発生した同事故は、かねてより問題視されていた「宇宙災害」の可能性を証明する形となった。
ケスラーシンドローム。スペースデブリ同士の衝突による自己増殖。 その災害を「机上の空論」から「実際に起こりうるもの」とし、負の可能性を以て宇宙開発の道に陰りを与えたもの。 宇宙の名を冠し、可能性を信じてこの空に昇った“それ”に架せられたのは――――空を閉ざす“破壊者”という烙印であった。
これは平和になったカルデアでの一幕。 食堂の一角、いまでは定位置となった彼女らのスペースでは今日も小競り合いが繰り広げられている。
「しかし随分と長い前髪だな。髪質は良いが……これだけ長くて前は見えているのか?」
「別にいいでしょ。どうせこっちの目は殆ど見えてないし、サーヴァントに散髪とか無意味すぎるし」
サイダー片手にぶっきらぼうに答えるコスモスと、その前髪を指先で軽く梳くメンテー。 ごく近い距離まで迫られても特段変わった様子を見せないのは、両者を結ぶ信頼の現れ故か。 或いは反応するのも面倒だと諦めているだけか……表情を見るに、後者である確率が高い。
「む……ならばこうするか。この私のように、これをこうして――――」
「は!?ちょ、ちょっと何してんの!まだ飲んでる途中――――」
身を乗り出して目の前まで迫ったメンテーに対しては思わず声を荒げてしまう。 予想打にしない行動に吹き出しそうになったサイダーをすんでのところで抑え、迫る彼女を退かそうと試みるが…… 時既に遅し。僅か数秒の内に目的を成し遂げたメンテーは、満足げな笑みを浮かべて席に戻る。
「切るのも面倒だというなら、こうして抑えておけばいい。 ちょうど髪留めが余っていたからな……君と同じ名の花飾りだ、これで少しは飾り気が出るだろう」
その笑顔の前には、対象的に不貞腐れた――やや恥ずかしそうな――表情。 普段は前髪で隠された右目が露となり、朧げな瞳孔は所在なさげに泳いでいる。
「…………“あたし”の性格と身長でこの花の髪飾りはちょっとキツくない? 第一再臨の衣装ならまだしも……スゴい浮いてるっていうか、なんか……恥ずかしいんだけど……」
こみ上げてくる照れを隠すためか、向上し始める体温を抑えるためか。 7割ほど残っていたサイダーを急激に飲み干し、残り1割といった所まで減らして小さくぼやく。 整えられた前髪とそれを抑える淡い紫色の髪飾りを触り、慣れない開放感を覚えながら……
「まあでも……悪くはない、かもね」
広がる視野、いつもより明瞭に映る景色を見渡し、満更でもないと言い残す。 何よりも、初めて友人の顔を真正面から見据えることが出来たから――――等というのは、流石に浮かれ過ぎだろうか。
「…………ああ、あとどうでもいいことだけど。 あたしたちの名前の由来は花のコスモス(cosmos)じゃなくて、宇宙って意味の「コスモス(Космос)」だから」
「………………そう、だったのか」
終電を逃したせいで裏新宿に迷い込んで3日、日々の不安を余所に肉体は異世界の常識に順応しつつある。
憩いの場に流れる怪奇映像も慣れ初め、先輩のアドバイスに必死で耳を傾ける。白黒とノイズさえBGMと思えば良い。
「さぁて明日からお前も探索隊に加わるが、我らの根城限定で使える小技を教えてやろう」 薦められた1杯のコーラを丁重に断りつつ、必死にペンを走らせる。自販機から溢れ出る褐色の原液なんて百倍薄めても飲みたくない。
「何時も明るい地下構内とは言え、化物に出会う時は出会っちまう。電車に引付けて押し込めるんだ」 「そうすれば車内から生えた刃物が細切れにしてくれる。安全で手間も関わらない一石二鳥って訳さ」
それは異界にも関わらずダイヤグラムを遵守する無人列車へのアンサーであり。同時に絶望の知らせであった。 25年間の常識がガラガラと崩れ去った三日間。最後の希望として縋った電車すら単なる罠に過ぎなかった。
民那野蛇籠界 ノジャニクル・ホライズンの外れにある大樹の木陰...にひっそりとただすむ小さな強化ダンボールハウスに淫らな水音とくぐもった嬌声が響く。 「んぅ...はぁう❤くぅ...ふぅ...❤のじゃあ...んくぅ...❤」 濃く青い、のじゃにしては短めなもふもふヘアーの、メガネとヘッドホンを着用した陰キャ系ののじゃ、通称:埋火ー・クワイエットが、その小さな指で柔らかく、ぷにぷにとしたのじゃののじゃを掻き回している。そう、のじゃニーである。 くちゅくちゅ、ぐちゅぐちゅ、のじゃのじゃと夢中になって甘い快楽に耽る...そのとろん、とした表情は愉快なナマモノ系マスコットだとしても蠱惑的で淫靡なものであった。老練した心をも蕩かす未知の快楽...顔が熱くなる鼓動、吐息が激しくなる汗と涙が滲み出す指は、だんだんと速くなる。そして─── 「あっ❤あっ❤あっ... の゛じ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛❤゛」 のじゃスタシーに達した。快楽で力が抜け、のじゃののじゃからのじゃニウムをたっぷり含有した液体がとろとろと零れ落ちる。 「んっ...❤はぁ...❤き、気持ち、いいのじゃあ...どうし、てこんな...のじゃののじゃ、おかしくなってるのじゃあ...っ」
埋火ー・クワイエットは不運で陰キャなのじゃである。インドア派であるがたまに外に出れば謎の実験に巻き込まれじゃニウム弾頭を喰らい、他喪失帯の遺物と遭遇して酷い目にあったり、そして... 「なぁ... のじゃックスしようのじゃ❤」 「ひぃ...!?た、助けてくださいのじゃー!!」 「ほ~らシャブまみれぷにぷにのじゃののじゃによわよわなのじゃののじゃ擦り付けてイッちゃってもいいのじゃ...❤のじゃの中にぎゅーって押し付けてびゅっびゅってのじゃニウム出していいのじゃ...❤ほら❤イくのじゃ❤イくのじゃ❤」 「の゛じ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛❤゛」
この世の地獄みてぇな喪失帯より来たるファッキンラヴィッツジェリーフィッシュのじゃに一方的にのじゃックスされてしまったのだ。 そして、おくすり紅茶まみれののじゃののじゃを打ち付け合う交尾もどき...その結果発生した中毒症状は未だに埋火ー・クワイエットの幼い肢体を蝕んでいる。 「...あんなに酷いこと、されたのに...なんで、なんでのじゃは..."またされたいなんて"...うぅ...❤」 貪られる快楽を知ってしまった陰に生きるのじゃの身体は、今夜も疼き続ける。
「こ、こわいのじゃ…めびーにひどいことしないでのじゃ...」 「こわくないのじゃー♡ちょっとチクッとしてワンダーランドにごーとぅーへぶんするだけなのじゃー♡うぇるかむとぅにゅーわーるどなのじゃ♡」 めびーこと埋火ードロがファッキンラヴィッツのじゃこと埋火ッチに押し倒されている。 微妙な距離感を取って逃げ続けていたものの、遂に捕まってしまったのだ。 透き通った硝子の肌と透明な触手が絡み合う、その様子はある意味では芸術的であるが、所詮のじゃックスはのじゃックス、ケダモノのようなまぐわいである。 「こ〜んなすけすけすべすべボディにあんなまるみえバスタブ...はずかしがってもほんとうはあたまマジックミラーごうなのじゃな♡かくしてもわかるのじゃ♡」 「ち、ちがうのじゃ...めびーは...めびーは...うぅ...」 溶けたガラスみたいに顔を真っ赤にするめびーであったが、そんな事もお構いなしに埋火ッチの凶腕が襲い掛かる。 「すなおじゃないのじゃはまずそのからだをすなおにしてあげるのじゃ♡ひっさつえっちばりなのじゃー♡」 めびーに迫り来る注射針の群れ!しかし バキィィィン! 「へ?」 「の、のじゃー!?のじゃのえっちばりがー!?」 硝子は脆い、されど硬い。えっちばりは肌に阻まれて砕け散ったのだ! 「のじゃあ...♡そんなにすなおになれないわるいのじゃには...じかのみさせるしかないのじゃー♡♡♡」 「な、なにするつもりのじゃ...んぅ!?」 突然、重なり合う唇。めびーの口内を埋火ッチの舌が蹂躙し、ねっとりと濃厚なおくすり紅茶が注ぎ込まれる。 「〜〜〜ッ!!ぷはっ!!な、なにするのじゃ!?の、のじゃ... の゛じ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛♡゛」 甘すぎるのじゃキッスの味、幼き口内に残された未知にして淫靡なる感触、中枢神経を覚醒させる薬品による暴力的な快楽がめびーを襲い、激しいのじゃスタシーに至る。 「はぁ...はぅ...♡こんな、かんしょく...っ♡しらない...のじゃあ...♡ひぅ...♡」 猛烈な快楽の余韻で崩れ落ちるめびー。その隙を逃さぬ埋火ッチではなかった。 「のじゃあ〜♡ぜんぎはおわりなのじゃ♡さあ...のじゃのじゃするのじゃー♡」 硝子繊維を編み込んで作った服を触手で器用に脱がし、遂に本番をおっぱじめようとするビッチ。 「のじゃックスのじかんなのじゃー♡♡♡♡♡」 「い、いやなのじゃ... い゛や゛な゛の゛じ゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!゛!゛!゛!゛!゛」 快楽に身悶えするめびーが、恐怖のあまり無意識に最後にとった行動。それはかちかちあつあつヘアーで防護された頭によるのじゃ頭突きであった。 「のじゃー!?!?!?いたいのじゃー!?あちちのじゃー!?!?!?」 まさかの反撃に仰け反り、悶絶する埋火ッチ。 ぷにぷにくらげ触手は微かに火傷を負っている。 「うぅ〜、ちょっとやりすぎちゃったのじゃ♡やけどしちゃうのはこわいのじゃ〜!!」 流石に諦めが付いたのか、脱兎の如く逃げ出す埋火ッチ。 「た、たすかった...のじゃあ...」 1人残されためびーは、その後良識派ののじゃたちに保護されたという...
「魔力炉心を利用したキルンワークと魔術式によるガラス彩色の親和性は...ぶつぶつ...ぶつぶつ...のじゃのじゃ...めびめび...」 ガラスアーティストのじゃ、めびーこと埋火ードロは、今日も夢中になってきらきら綺麗なガラス細工のことを考えています。 赤熱する溶融ガラス、ぷぅっと膨らんだ吹きガラス、美しい模様がカットされた切子...色鮮やかに煌めくガラスを夢想すると、めびーはついうっとりしてしまうのです。 そして頭がのじゃのじゃして注意力散漫となった次の瞬間!!!! 「風属性の魔力を利用したグラスブローイングと精煉方は...おっとと...あっあっ、の゛じ゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!゛?゛!゛?゛!゛?゛」 前方不注意による転倒!さらにその衝撃により型に流し込まれていた溶融ガラスがめびーに降り注ぐ!! 「のじゃー!?はわわ!!はわわ!!燃えてるのじゃ!!消火装置!消火装置!」 そして、のじゃパニック状態から落ち着き、気が付いたら... 「の、のじゃ...!?め、めびーのおっぱい、な、なんでこんなにおっきくなってるのじゃぁ...!?」 なんと巨乳化してしまっていた。ちっちゃな三頭身ボディには不釣り合いな、豊満すぎるバスト...推定Gカップ。溶けたガラスは偶然にもめびーのツルツルガラスボディを伝って胸部に集まり、そこでフュージングし、胸と一体化してしまったのだ。 「うぅ...こ、こんなおっきなおっぱい...は、恥ずかしいのじゃ...」 顔を赤らめてぷっくりと膨らんだ胸を隠すめびーであったが、その小さなおててではまるで隠し切れず、ただただ零れ落ちるのみであった。
「……で、3姉妹のお姉ちゃん役は誰がやるの?」
ASプロダクション社屋廊下にて。不規則に響く三つの足音に紛れ、言葉を投げかけたのは銀髪ツインテールのアイドル……コスモス。 その内容は、この後撮影が行われる映画にて……彼女らが務める「三姉妹」役で、誰が長女を担うのかという質問である。
「ま、聞くまでもないか。お姉ちゃん役は当然このあたし──── 「私だろう?年齢順で言えば当然のことだ、威厳的にも雰囲気的にも問題はない」
そんなコスモスの言葉を遮るように言い切ったのは、緑髪で最も小柄なアイドル・メンテー。 神代ギリシャを生きた神格としても、冥王星という天体としても「年長者」である彼女は、己の意見に微塵も疑問を抱いていないようである。
「はー!?あんたみたいなちびっ子にお姉ちゃんなんて無理でしょ! それよりも、グラビアを経験して「オトナ」なイメージがあるあたしたちの方が相応しいと思うけど?」
間髪入れずに反論をぶつけるコスモス。 確かに先日、広告案件として文字通り「ひと肌」脱いだ彼女はピンナップ広告のメインを飾っている。 それが「オトナ」なイメージに繋がるのかどうかはさておき、コスモスも自分がお姉ちゃんだと譲らない。
「……見た目の話をするなら、私が一番相応しい。眼鏡に身長、要素としては申し分ない」
その様子を眺めていた物静かな白髪のアイドル、ダイソン・スフィアもまた口を挟む。 確かにユニットの中では最も長身であり、知的な雰囲気を漂わせる彼女にも年長者の風格は漂っている。 三者共に譲る気配を見せず、議論は撮影現場に到着する直前まで続いた。
「大事なのは背丈でなく中身だろう!」「世間のイメージが最優先!あたしたちが一番オトナだから!」「雰囲気を作るにはまず外見が大事では」
治まる気配も無く続く争いに、撮影前だというのに既に疲労感を募らせる一行。 何かちょうどいい着地点は……3人の脳裏に同じく浮かぶ思考。その思考に答えを見つけ出したのは、最も小柄なアイドルであった。
「よし、それならこうしよう────」
…………撮影現場にて。待ちかねた監督の前に現れた“三姉妹”は、皆一様に同じ衣装に身を包みこう告げた。
「監督。言い忘れていたが私達は……実は三つ子だったんだ」 「そ、そうそう。だから年の差とか関係なく同い年って設定でよろしく!」 「恐らく二卵性双生児」
唖然とする現場。ざわつくスタッフ。その中で監督はディレクターと何やら二言三言話した後、目の前の“三つ子”達に告げた。
「……いや、流石に無理があるでしょ」
渾身の三つ子作戦は一瞬にして失敗。 結果、キャスティングは現場側で決められ身長順に姉妹役が割り当てられることとなり 帰りのロケバスにて、メンテーとコスモスは終始膨れっ面を浮かべていたという。
『まさか、音楽が人と魔の境すら越えて繋げるとは思わなかったなぁ』 人と人ならざる者が犇めき合うマンハッタンに存在する喪失帯。青白く輝く魔酒を呷りつつ、潜りの酒場でインターネットは夢想する。 人も魔もジャズの音色を逃さず耳を傾け、違法の魔酒に酔い痴れる。音楽が世界を駆け巡った新時代の当事者でさえ、想像し得なかった幻想の光景。 音で楽しみ、酒で打ち解ける。どうやら異世界のアメリカ合衆国でも酒場の常識は変わらないようだ。何者であれ、何様であれども。
『この世界も音で充ちている…おっと噂の歌姫の登場か』 『そうか彼女か、異世界でも元気にやってるなら嬉しい限りだ』
人魔の坩堝。混沌の雑踏。それらを貫くように聳える摩天楼から零れる音色。 それは私の見知った歌姫であり、煌めく可能性の光に彩られた未来の歌手。
『言葉が有り余れど尚、彼女の夢は続いていく…か』 誰も気にしない呟きが、酒場の場末に掻き消えた。
「魔力資源DE-8466を用いた家畜英霊(スレイヴ・サーヴァント)の召喚を実行」
無機質な機械音声が響き、「熱海」の深奥で悍ましき儀式が開始される。
「触媒:ノウサギとライチョウの継ぎ接ぎ標本、魔力資源DE-8466への薬物投与完了、歪曲詠唱起動、魔力供給途絶、《聖杯》からのバックアップ遮断、予想される現界直後の家畜英霊(スレイヴ・サーヴァント)の魔力保有量〔極低〕...強制陵辱召喚、開始」
触媒を使った召喚対象の偏向...違法召喚。 モザイク市成立以前の聖杯戦争で用いられた召喚詠唱を"歪め、短縮し"、本来"聖杯"単体で成立する英霊召喚を歪曲させる...違法召喚。 契約・魔力供給のパスを意図的に途絶する事による召喚対象の意図的な魔力不足の誘発...違法召喚。 《聖杯》からのサーヴァント召喚に関するバックアップを一時遮断する事によるサーヴァントに対するあらゆる恩恵の途絶...違法召喚。 違法に次ぐ違法により、紡がれた魔力の奔流が人型の実像を結ぶ。 顕れたのはウサギの耳を生やした、八つにも満たぬ程の茶髪の少女であった。
「やぁやぁ!このボクを呼ぶなんてモノ好きなマスターもいたもんだ.....ッ!!ちょ、ちょっとマスター...?ま、魔力なさすぎじゃない...?く、くるしい...魔力供給を...?マスター?」
薬物で脳機能を制限されたマスターに、少女の声は届かない。 ...それはかつての聖杯戦争に於いてはあり得ない、"本来であれば人間に卸し得ない最上位の使い魔を、実像を結ばぬ召喚前に貶め陵辱し弱らせた状態で現世に出力させる"という最低最悪の召喚儀式。
「霊基情報の解析...完了。真名:スクヴェイダー、性機能:メス、霊基改変適性:極高、魔術抵抗力:極低...顧客評価を減少させる恐れがある悪性スキルを検出しました>>【鬱屈の暴声】。直ちにエーテル干渉機による擬似生体組織で構成された声帯の一部切除処理を開始します」
「は...?な、に言ってるの...?ねぇ、マスター!起きて!起きてよ!あ.....ひっ!?やだ...来ないで...来ないでっ!!」
英霊を尊厳を砕く為だけに作られた機械の腕、エーテル干渉機がスクヴェイダーに迫る。 極限まで魔力供給をカットされた彼女に、逃げる余地はない。跳躍するための脚は竦み、飛翔する為の翼は震えている。 そして 「やだっ!やめて!やめてよ!やめ... んぐ!?」
機械の腕がスクヴェイダーを捉えるや否や、グロテスクなロボット・マニュピレータが口内に無遠慮に侵入し、瞬く間に、正確に、残忍に声帯を切除する。暴声を発する部分のみを、美声を発する部分を傷付けることなく...
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛い゛だ゛い゛!゛い゛だ゛い゛!゛」
響き渡る掠れた、甲高い絶叫。喉から滴る血液、切り裂かれた声帯の残骸。英霊が持つ再生機能を封じられ、癒着した傷口。 痛みと恐怖で悶え泣き喚くスクヴェイダーを尻目に、無慈悲な機械音声が彼女の末路を告げる。
「家畜英霊(スレイヴ・サーヴァント)の加工が完了しました。出荷を開始します」
機械の腕で拘束されたまま、スクヴェイダーはベルトコンベアーに乗せられ、"出荷"されていく。
「やだ...やだよ...た、たのしい場所に召喚されるって...思ってたのに...!?んー!んー!」
口を塞がれ、ベルトコンベアーの先の暗がりへと消えて行く。消えて行く。 これが「熱海」の深淵、人間牧場の家畜英霊加工部門の日常。人類史を陵辱し、玩具とする、悪夢の工場である。
「果たして憐れな参加者が手にするのは"自由"か?"死"か!?『殺戮遊戯』の開幕です!!」
死の遊戯の開幕を告げるブザーが鳴り響き、参加者達は血腥き迷宮内へと一斉に駆け出す。 此処はモザイク市『熱海』の地下殺戮遊戯場。表向きは子ども達が紛い物の恐怖体験を楽しむアトラクション。 ...その裏の顔は生命を娯楽として消費する、狂乱の獄。 死の罠に満ちた迷宮を参加者、"商品"、招かれざる来訪者、廃棄寸前の魔力資源どもが突き進む。 屈強な男が奈落へ落ち、10秒間叫び続ける。 青年が頭から濃硫酸のプールに落下する。 女がジャガーが犇く部屋に押し込められ、喰い殺される。 少女が足元から飛び出した槍に串刺しにされ、魅惑的なオブジェと化す。 反響する絶叫、血声、呻吟...多種多様な死に様は監視カメラやドローンにより撮影され、裏社会に流通し死後も娯楽として貶められる運命にある。 また一人首が跳び、心臓が串刺しにされる中、必死に逃げ延びる参加者が一人。
「はぁっ...はぁっ...逃げなきゃ...逃げなきゃ...!!」
家畜英霊(スレイヴ・サーヴァント)に加工され"商品"として尊厳を売り飛ばされた少女、スクヴェイダーが己が身に残された僅かな量の魔力を回転させ、致死の罠を掻い潜って行く。
頭蓋に響く悲鳴、無残に果てた惨死体、脆弱な霊基であれば容易く斬り裂き貫いてしまう刃と棘の群れ...想像を絶する地獄に泣き叫びそうになるのを堪えながら、必死に、跳び、飛び、駆け抜ける。 いじられるのは嫌だ触られるのは嫌だ犯されるのは嫌だ殴られるのは嫌だ見せ物にされるのは嫌だ魔術で心と身体を玩具にされるのは嫌だ。 ...弄ばれるだけ弄ばれて死ぬのは、嫌だ。 その意志が傷だらけで疲弊した、魔力が枯れ果てる寸前の仮初の肉体を突き動かし、前へ進ませる。 そして。
「え...ぁ...出口...?...!?出口!出口だ!!」
辿り着いたのは〔EXIT〕のランプで照らされた、隙間から光が漏れ出す扉。 自由へと続く、扉。
「あぁ...で、でられる!!やっとでられる!!」
幾たびも渇望した地獄からの出口に、縋り付き、扉を開く。 扉の奥で待ち構えていた銃口から放たれる高出力の魔力レーザーがスクヴェイダーの右太腿を、瞬時に綺麗に焼き切る。
「ぎぃ!?あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!脚が!!脚が!!」
脚を失い、地面に倒れ込み激痛に悶え苦しむスクヴェイダー。 傷口は焼き塞がり、焼けた肉の香りが周囲に漂う。 魔力もまともにない、加工され再生能力が弱った霊基では、四肢の復元は不可能である。 ...元から救いなど、自由など、出口など存在しなかったのだ。ただありもしない希望に群がる者を地獄へと再び突き落とす為だけの、顧客の悪趣味な需要に応えたアトラクションの舞台設定。 悲痛な叫び声に反応し、新たなる死の罠が起動する。 魔術的な強化が付与された巨大な斧を持つ殺戮用オートマタが、無慈悲に迫り来る。
「お、おねがい、ころさ、ないで...!!いやだ...いや...たすけて...!」
殺戮用オートマタに参加者の懇願を聞き届ける機能など搭載されていない。泣き噦りながら後退りするスクヴェイダーの胸部に、巨大な斧を振り下ろす。
「がぁっ!!ぐぅっ...あ...かひゅ...」
服ごと胸の中心部が荒々しく引き裂かれ、鮮血が小さな幼い乳房を彩る。必死で何かを言おうとしているが、肺に血が入ったのか意味不明な水気のある苦しげな呼吸音にしか聞こえない。そしてオートマタは間髪入れず腹部にも斧を振り下ろす。
「ぁ.........」
エーテルで編まれた臓物を撒き散らしながら、びくんと大きく跳ね、力無く倒れ込んだきり、少女の身体は動きを停止した。
「残念!脱出者は全滅!!GAMEOVER〜!!」
惨状に似つかわしくない愉快そうな音声と共に、『殺戮遊戯』は閉幕した。
「商品名"矛盾"のライダーの回収完了。宝具に内包された『存在続行』スキルにより消滅の心配は有りませんが、記憶処置と霊基復元を行い修理次第、再出荷レーンに流します」
限られた設備と環境で何が出来るだろうか。適当な地縛霊に後片付けを任せつつ、手頃な椅子に腰掛けて考え込む。 『工場』で召喚された自分に、相応しい職場が与えられたことに感謝しつつも燻る炎は消えずに心の底で燃え続ける。
来客を全員追い出した迷宮は殺風景でしかなく、与えたタスクを忙しなく済ます幽霊も山を賑わす枯れ木にもならない。 利用可能な陣地も設備も魔力も最低限に限られ、追加人員の増加も見込みが薄い現状を鑑みれば仕方の無い話ではある。
表面上は頑丈な施設でも、心は腐り果てた廃墟。陳腐で有り触れた謎とギミックに辟易しつつ無味乾燥な日々を消化する。 『熱海城』に分譲されてから日常が一変するまで、そう長い時間は掛からなかった。恋い焦がれた全てがその場所にあった。
享楽に耽る現代の不夜城が放つ眩い光すら届かない、絶望と恐怖に濡れる地下殺戮遊戯場。今日も命が無意味に潰えていく。 理解不能な難解なギミックも、挑戦者を容易く屠るトラップも、全てがキャスターの意のままに組み替えられ変貌するのだ。
「果たして憐れな参加者が手にするのは"自由"か?"死"か!?『殺戮遊戯』の開幕です!!」 拡声器を片手に『死亡遊戯』の開幕を告げるキャスターの顔は、新しいゲームを目の前にした少年の如く無邪気であった。
「……テスト、テスト」
画面に大きく映し出される暗がり、後に顔。 しばしピントが調整され、1秒もしない内に不織布マスクを着用した明るい茶髪の女性にピントが合う。 太陽をもしたヘアピンが特徴的なその女性は、カメラに目を向け二言三言呟いた後。
「はいどーも!えーとですね、あたしは今大阪に来ています。 まあ大阪に住んでるから来てるっていうのは語弊があるけど……あー、今の無し。このテイクはカットで」
唐突に途切れる映像。 その後もう一度カメラが始動し、今度は初めからピントを合わせた状態で女性を捉える。 所謂「自撮り」の構図。恐らくはスマートフォンと思われる端末で、彼女は己にカメラを向けて言葉を続ける。
「はいどーも!みんな大好きサイ子ちゃんでーす。 今日はねー、地元でヤバい祭りがあるから来てみちゃいました!でもさー、今人っ子一人いないんだよね。見える?」
カメラが反転、ズームで顔を写した構図から背景を捉える構図に切り替わる。 映し出されたのは、彼女の言通り「無人」と化した繁華街。 軒を連ねる飲食店。所狭しと並ぶ看板。そのビルの合間からは、聳え立つ“タワー”が覗く。 そこは新世界。大阪の代名詞ともいうべき一大観光地が……今は、異様とも思えるほどに静まり返っている。 観光客も店員も、誰一人として存在しないがらんどうの街並み。
「いやー……観光シーズンなのにこんな誰もいないとか怖すぎ。 ホントは生放送したいんだけどねえ、なんか通信制限がかけられてるせいで録画しかできないんだよね」
歩きはじめる女性に合わせ、カメラの映像もスライドしていく。 串カツ屋、お好み焼き屋、たこ焼き屋。本来なら多くの人で賑わう店も、今はただ静寂が支配する。 再びカメラを自分に向けると、怪訝な表情で不満を溢しつつ一つの店に入り込む。
「すいませーん、誰か居ますかー?」
無言。 響くのは稼働し続ける空調と、テレビからの笑い声。 どうやら串カツ屋であろうその店は、明かりも灯った状態で「営業中」であることを示しているが 店内にも厨房にも人影はなく、テーブルの上は綺麗に片付けられている。 例えるなら「営業開始直前」で放置されているような状態だ。
「うーん……電気は通ってるんだね。インフラは健在なのかな。 水道も…………出る。ガスは……使える。えーと、じゃあ食材……おー、しっかり残ってる」
人の不在を確認すると、女性は悪びれもなく厨房に侵入する。 その後蛇口を捻って水が出ることを確認し、コンロを点して火が付くことを確認し、業務用冷蔵庫に食材が詰まっていることも確認した。 一瞬にして人が「消えてしまった」かのような雰囲気に、思わず息を呑む。
「……すご。市長は不発弾の撤去のためとか言ってたけど……ほんとに皆逃げたんだ」
そう。彼女はこの「人が居ない」事の原因を知っている。 もしこれが不意に訪れた状況であれば、女性はもう少し慌てた様子で常時カメラを回していただろうが ある程度の理解と知識を持つがゆえ、俯瞰した立ち位置からカメラを通し状況を「伝えて」いるのだろう。
数日前、大阪市を対象として大規模な避難勧告が発令された。 市長曰く……太平洋戦争にて米軍が落とすも炸裂しなかった、原子爆弾の不発弾が発見されたと。 もし炸裂した際には大阪市全土が更地となりかねず、犠牲を避けるため市民全員に避難勧告が下されたのだ。 結果、僅か一日で大阪市民270万人が市街へと対比し、厳密な通行規制が掛けられ「無人の街」へと変貌した。 だが、それがあくまでも“カバーストーリー”に過ぎないということを……彼女は理解している。
「────ねぇ皆、聖杯戦争って知ってる?」
大阪市中央区の片隅に立つビジネスホテルの一室。
室内に響く無機質なアラームの音が、私を睡眠から引き摺り出した。 良く眠れた……とは言い難い。慣れない環境や緊張、疲労のせいか、目覚めてなお拭いきれない眠気が頭に残る。
やはり飛行機は苦手だ。 剣道大会に出場すべく、二時間近い空の旅を経て身体の緊張がピークに達している。 離陸する時の押し付けられる感覚、浮遊感、不安。それらを総合して、私は飛行機という乗り物を苦手としていた。 その上、翌日に大会が控えているとなれば疲労が乗算して襲い来る。 結果としてこの不眠に繋がった。眠れたのはお風呂から上がった23時過ぎくらいの事だったか。
鳴り響くアラームを止めてあくびを一つ漏らす。 時刻は7時32分。アラーム開始から30分近くも眠りこけていたことに関しては、見なかったことにしておこう。
「……えっと、めがねめがね」
サイドテーブルに置いておいた赤縁のメガネをかけ、丁度ベッドと対称となる位置にあるテレビへ目を向ける。 目を覚ますには音と光、そらに伴う「情報」を取り入れるのが最善だ。 そして見慣れぬ地方局のアナウンサーが、淡々とニュースを述べ始め────て。
『……改めてお伝えいたします。昨晩、大阪市中央区城見にて原子爆弾と思われる不発弾が発見されました。 現在大阪市全域には避難勧告が発令されており、現時点で住民の避難は完了したとの報告が……』
青地のL字型画面に流れるテロップを見て、残っていた眠気も緊張も全てが吹き飛んでいく。 不発弾?避難勧告?頭が追いつかない。慌ててスマートフォンを手にしスリープを解除すると…… アラームの通知と共に、5分間隔で「市内からの避難勧告」が並んでいた。
血の気が引く。 アラームの音にかき消されて、肝心の通知音が聞こえなかった……? 避難勧告は7時30分を最後に途切れている。SNSからなにか情報を探れないかと試してみたものの、何故か繋がらない。 携帯の回線だけでなくホテルに備え付けのWi-fiすらも不通となっている。
「嘘……なんで、こんな」
先程までの緊張とは全く別種の不安、混乱に伴う動悸が込み上げる。 荒くなり始める呼吸を必死に抑え、改めてニュースの映像に目を向け直す。
『続報が入りました。7時30分をもって住民の避難は完了したとの事です。 以降は不発弾処理のため、完了まで市内へのアクセスは全て封鎖される見込みとのこと────』
────着替える余裕すらなく、備え付けのパジャマのまま部屋を飛び出した。 廊下は無人。ホテルの通路は基本人気が無いものだが、いつにも増して静まり返った雰囲気が更に不安を駆り立てる。 エレベーターを無視し非常階段を降りフロントへ。けれどロビーにも人影はなく、点きっぱなしのテレビだけが画面越しの「声」を伝える。 フロントにもバイキングにも人は居ない。全身に走る寄る辺のなさを押し殺すように、私はホテルを飛び出した。 もしかしたら、という淡い期待に縋る。何かの冗談かもしれないという儚い希望に縋る。 ホテルは偶然無人になっていただけで、街中に出れば活気のある雑踏が聞こえてくるはずだと。
そんな私の妄想は、「無音」という形で打ち切られた 足音一つ聞こえない中心街。ざわめきもなく、道路を過ぎる車すら存在しない無人の大都市が、目の前に広がっている。
「だ……誰か、居ませんか……誰か……!まだ、避難してない人が……」
絞り出した声はビルの合間を縫い、掻き消えていく。 街中で自分の声だけが響くという異様な経験もまた、正気を失わせる要因の一つとなった。 荒い呼吸が続く。足が震える。唐突に訪れた「非日常」に理解が追い付かず、冷や汗が止めどなく流れ出す。 もしまだ「誰かが残っている」という事を知らせられれば、この市内から出してくれるかもしれない。 その唯一の希望を以て、全力の声を振り絞る…………が。
突如響いたのは無機質なサイレン。 伴って、抑揚に欠け淡々とした人工音声がアナウンスを告げる。
『市民の皆様の避難が完了いたしました。 大阪市はこれより、特例隔離プロコトルCI-003に則り隔離処置が施されます。 “参加者”の皆様は、遭遇次第随時戦闘を開始して下さい。ご協力に感謝します。』
感情の無い声が、僅かに残されていた希望を奪い去る。 アナウンスに含まれた不可解な単語にすら気を配れないほどに、私の思考はぐちゃぐちゃに乱されて 何も考えられない。どうしたらいいかわからない。もし、不発弾が爆発してしまったら─────そんな事ばかりが脳内を巡り巡る。
崩れ落ちる、という感覚を味わったのは初めてだ。 膝から地面へと倒れ込み、立ち上がる力すら残されていない。 荒い呼吸を止めるための手段もない。次第に胸が締め付けられるような感覚が襲うが、助けを求める声すらも絞り出せず
…………薄れ行き、暗くなっていく視界の中で、僅かに静寂を打ち破る一つの“足音”が聞こえたような気がした。
……夜が明け、朝焼けに照らされる街を眺める。
静まり返る街。人の気配が絶えた街。 無人の理由を知った今、昨日ほどの恐怖は感じられなくなったが……それでも不気味なものは不気味だ。 溢した溜息すらも反響しそうなほどの静寂の中で、私は“難波”と呼ばれる街にやって来た。
実のところ、私はこの大阪への遠征を楽しみにしていた。 生涯で北海道を出たことなど数えるほどしか無く、それも修学旅行で青森に訪れたくらいのもの。 東北以南の内地はまさに未開の地。大会が終わったら、空き時間に来ようとメモしていたお店があったのだが……。 当然のように人は居らず、店こそ開いてはいれど店員も客も居ない。
お好み焼き。串カツ。たこ焼き……は、タコが苦手だからタコ抜きで。 北海道とはまた異なる方向性のグルメを心待ちにしていた自分にとって、この悲劇はあまりにもショックであった。
「……紅生姜の串揚げ、食べてみたかったな」
道頓堀を代表する「戎橋」の欄干に腰を掛け、傍らの看板を傍目に愚痴をこぼす。 こんな事になっていなければ、私は今頃この街で友達と一緒に食い倒れていたはずなのに。 今じゃ友達、先生とも逸れて一人ぼっち。おまけに全身痣だらけ……いや、大会があっても痣だらけにはなるか。
ともあれ、今は命があっただけでもありがたいと思っておこう。 私を助けてくれたシスターさん曰く、理由のある地元民以外はほぼ全員が避難を完了しているという。 問い合わせてもらったところ、友達や先生も無事であった。同様にあちらにも私が保護下に置かれていると伝えられたという。 無事であることをお互い共有出来たなら一安心だ、パパにもママにも余計な心配をかけたくはない。 ……まあ、その保護下からこっそり抜け出して今ここに居るんだけど。
一晩立って気持ちは落ち着き、状況の理解は出来た。けれど「納得」には至っていない。 シスターさんから大まかな説明はあったが、その殆どは……空想のような、私の理解力を上回るものであった。 何かが起こっていることは理解した。けどその「何か」がわからない。だから「納得」は出来ない。 何故私が巻き込まれたのか?この大阪で何が起こっているのか。シスターさんの言う“戦い”とは、何なのか。 今の私を突き動かす原動力は単純明快…………ただ「何が起こっているのかを、自らの目で確かめたい」。
“戦い”という剣呑な言葉を聞いてある程度平静を保っていられるのは、それが比較的身近なものであったからだろうか。 剣道部員として……武術を嗜む身として、試合ではあれど“戦い”がどういったものかを理解している。 自慢ではないが、道大会では優勝を果たし全国への切符を手にした。相手にとって不足はない。 自前の竹刀もある事だし、相手が大人であっても問題は……無い、と思いたい。
ひとまず街中の様子は確認できた。 シスターさん曰く、例の“戦い”が始まるのは夜からな事が多いという。 であれば一度あの教会に戻って、夜になったらまた抜け出し───────
「────っ」
突如響く足音に思わず身が竦む。 驚きによる硬直、その一瞬を挟んだ後に背負っていた竹刀を取り出し構える。 足音は橋の向こうから聞こえた。じゃり、という小石を踏むような音が響く。 乱れ始める鼓動、呼吸を圧し殺し、震えだす手を抑え込むように柄を握り締めて視線を前へ。
……けれど足音が再び響くことはなく、街は再び静寂に包まれた。 気づかれた……?数分してから構えを解いて、音のした方を軽く確かめるも異常は見当たらない。 しかし足音は確実に鳴っていた。空気が一瞬にして張り詰めるのも感じられた。 場を支配するような雰囲気。試合では感じたことのないような、研ぎ澄まされた真剣のような気配。 それは私に、言い知れぬ恐怖を与えると同時に……一抹の“好奇心”を与えるものであった。
「…………やっぱり、確かめたい」
何が何でも、この大阪という街で行われている“戦い”を目にしたい。 その“戦い”の理由と目的を知ることが出来れば、私は「納得」してこの街を去れる。 「納得」さえ得られるのなら、お好み焼きや串カツが食べられなかった悲しみを帳消しにすることが出来るはずだから────。
……数十分かけ教会に戻ると、待ち構えていたシスターさんに叱られた。 誰にも見られないよう無音で抜け出したはずなのに……何処で気が付かれたのだろう。次からはもっと慎重に抜け出さなければ。
覚醒する意識。 まず感じたのは痛みだった。自分が浮かび上がるにつれそれは全身からずきずきと傷んだ。 ただ救いだったのは痛みこそすれ、眠りの淵へ再び沈むこむことを許容するほどの痛みではなかったことだ。 それで全身を襲う痛みが自分の行動を妨げるものではないということに確信が持てた。 ただありがたかった。自らが修める剣道において相手の激烈な打ち込みで一瞬意識が飛ぶなどよくあることだ。 原因が痛みでこそあれ意識をきちんと確保できている。少なくとも失神したままであるよりはマシだった。 だから、少しずつ目を開けた。
「………っ」
つい呻く。身体を襲う痛みと、瞼を広げて外界を視認する痛みに依って。 目に入ったのは味気のない簡素な白い天井だ。のっぺらぼうに端まで広がっている。 それがどこかを悟ることはできなかったが、一方でその天井からは何らかの秩序が感じ取れた。 少なくともある程度の常識の下で自分は寝かされている。そういう認識が持てた。
「………あはー。もうしばらく寝込んだままと踏んだのですけれど。頑丈ですねぇ、あなた」
ドアが開く音と、どこか間延びした人の声と、それらが混ざって聞こえたのはその頃のことだ。
「っ、ぁ………っ」 「無理に喋らなくていいですよ~。五体無事ではあれ吹き飛ばされて全身打撲には違いありませんから。 まぁ、打ちどころ自体は良かったようですけれども。受け身の技術とか習っていました?」
まだぼんやりと霞を帯びる意識の中で、開いた視界に映る女の姿があった。 ───かの宗教に関してさして詳しい訳では無い。 けれどその浅薄な知識であっても彼女がその宗教に携わる人物だというのはすぐに読み取れた。 特徴的な法衣が理由だ。いわゆる修道女らしい服を着ている。 まだ意識が朦朧とする私の側で、大して減っていない水差しの水の量を確かめながら女は言う。
「その様子ですとまだ自分の身に何が起こったのか分かっていないようですね。 大変残念ながら、あなたは巻き込まれてしまった身分なのです。 こうして寝込んでいるのだってあなたが彼らの戦いの余波で不運にも吹き飛ばされてしまったからに相違ありません」
………分からない。彼女が何を言っているのか。 ぼんやりと朧気な意識のままに彼女を見上げる。視線が合った。 そうして彼女は穏やかに笑った───他の人は怖いと言うその眼差しを、その時の私は安心できると感じたのだ。
「大丈夫。安心してください。ひとまず私の元にある以上あなたの無事は保証します。 迷える者を救うのは主の御心に従えばこそ。詳しいことは、あなたの意識がはっきりとしてからにしましょう」
そう言って女は私へ向けてにこりと微笑んだ。 それで少なくとも安心できた。今から思えば、その笑顔はどことなく薄っぺらな印象を帯びたものだったかもしれない。 しかし更に言えば、その薄っぺらで簡単に裏へとひっくり返りそうな表情の裏にひっくり返るものが無い。 つまり、そもそも裏表に返るものがないもの。そういうふうに本能が感じ取っていたのだろう。 だから、全身に負った傷のためにろくに喋ることもせず眠りへと誘われ始めた。 然と目覚めるにはまだ早かったと、そう告げるかのように。
「もう暫しお休みなさい。次に起きたならば話すべきことはその時に。 ───やれやれ。日本のこうした避難措置は優秀だと聞いていたのですけれどもねぇ。取りこぼしはあるということですか。 ああ、急に私の責務が面倒になった。………とはいえ、これも聖務。都合はつけねばなりませんか」
私の知らぬ間にシスターはそんなぼやきをしていたが、全て私の知らぬことだ。
夜の帳を曙光が切り裂いていく。それによってくっきりとした輪郭を取り戻しつつある、難波の街並み。 全く人気のない街路をきょろきょろ見回しながら歩いて行く少女を見つめる眼差しがあった。
「───困った子ですねぇ」
呟きは遥か天上から。8階建てほどのマンションの屋上だ。 人が立ち入るようには出来ておらず、故に落下防止用の柵もない縁にクエロは腰掛けていた。 膝に肘を突いて頬杖をしている。ちょっと体勢を崩せば落下死するというのにリラックスした格好だった。 夜明けの風に足と服の裾を遊ばせながら、ふらふらと街を彷徨う少女───鴈鉄アズキを視線で追っている。 もちろん目的は彼女にある。保護した少女が何をしようとしているのか監視するためだ。 アズキが夜明け前にこっそりと教会を抜け出したのは勿論クエロにはバレていた。 教会の外に出ること自体はいい。だがクエロに気づかれないように振る舞った、というのは咎めねばならない。 クエロはひとまずアズキのことを巻き込まれた一般児と認識していたが、実は聖杯戦争の参加者たちと繋がりがあったとなれば話は別だからだ。 そうとなれば聖杯戦争の監督役として対応を変えねばならない。 保護するということの意味合いも変わってきてしまう。 そういうつもりでアズキに気づかれぬよう密かに追ってきたのだが───
「どうやらそういうわけでもないようで。………私の考えすぎだったかな」
独り言は誰に伝わるわけでもなく、屋上に吹く風に紛れていった。 アズキは誰かとコンタクトを取るでもなく、無人の大阪の街を歩き回っている。 これが往時ならばこの時間でも既に人通りがあって、アズキはそんな目覚めたばかりの街を楽しむ観光客でしかなかっただろう。 では、アズキは何故こんなことをしているのか。 ………情動の薄いクエロは他人の気持ちを類推するのが苦手だ。
いや、彼女でなくともアズキの内面まで見通すには情報が足りなすぎる。先日出会ったばかりなのだ。
「ふう。先回りして戻っておかないといけませんか」
そう呟いたクエロの眼差しがふと厳しくなる。
「───」
ゆっくりと立ち上がった。剣の切っ先のように静謐で鋭い視線を遥か下の街へと向ける。 得物を取り出すとか声を出すとか、そうした特筆に値するような動きはしなかった。 ただ静かに見ただけだ。凪いだ水面に似た無表情で、朝焼けの朱色に染まるマンションの屋上の縁に立って。 それが気を中てているということに気付く者が人々の営みの途絶えたこの大阪に複数人存在していた。 いいや人ではない。それは使い魔であり、英霊と呼ばれるもの。 アズキがその存在についてまだ半信半疑でいる恐るべきものたち。無人のこの街で殺し合いを始めた歴史の影法師たち。 クエロの意図を察したのか、気配がアズキのそばから去っていく。 小さく溜め息を付いて軽く緊張を解いたクエロは竹刀を抜いて周囲を伺うアズキを見て少しだけ感心した。
───こういうことの勘は良いみたいですね。磨けば光るかもしれません。
微かに微笑んだクエロはふらりと倒れ込むようにして屋上の縁から身を投げた。 傍から見れば投身自殺。しかしクエロは落下の中途にあったマンションの各部屋のベランダを蹴り、屋上から器用に『駆け』落ちた。 明らかに人間業ではない動きで地上へ降り立ったクエロは乱れた裾を軽く直し、そのままてくてくと歩き出す。
「やれやれ。お説教の言葉、考えておかないといけませんね」
のんびりとそんなことを口にしながら。 果たして、教会に帰ってきたアズキを待っていたのは微笑んでいるのに目が笑っていないクエロの説教と温かい朝食だった。
8時過ぎ。慎ましやかな雰囲気の食堂で、私とシスターさんは少し遅めの朝食を取っていた。 食卓に並ぶ料理は、洋風なテーブル・食器にそぐわぬ和風料理。ご飯に味噌汁、焼き魚、卵焼き。 シスターさんは外国人であるようだが、まさか「日本の家庭料理」も作ることが出来るとは。 味も上々。味付けに若干の洋風さが感じられるが、美味しい。もしかしたらママよりも上手かもしれない。
そんな時、ふと向かい側のシスターさんに目を移すと、彼女の前にはまた別の料理が並んでいた。 比較的大きめの皿に盛られたその料理は……とろみのついた、麻婆豆腐……? 外見こそ麻婆豆腐に似ているが、赤い。あまりにも赤い。少なくとも、私の知る麻婆豆腐はあんな鮮烈な赤色ではない。
「それ……何の料理ですか?」
恐る恐る口に出す。 私の問いかけを聞いてシスターさんは、その麻婆豆腐と思しきものを飲み込んで
「麻婆豆腐です」
麻婆豆腐だった。 続けて、香辛料……主に唐辛子や花椒をふんだんに含んだ激辛麻婆であると告げる。 激辛というなら納得の色合いだ。純白の豆腐すらも赤に侵す色にも納得がいく。 私自身、激辛料理は嫌いではない。インスタント麺やお店で「激辛」を見かけると、ついつい食指が動いてしまう。 以前食べた超激辛なカップ焼きそばは悶え苦しむほどの辛さだったが……それも今では恋しく思える程度に激辛に慣れている。 ……こうして思い返してみると、私は割りと激辛好きなのかもしれない。
そんな事を思い返しつつじっと麻婆豆腐を眺めていると、シスターさんは穏やかな笑顔を見せて問う。
「少し食べてみますか?私用の味付けなので、結構辛いかも知れませんけど」
「いいんですか!?……ふふ、私も激辛が好きなんです。心配ご無用ですよ」
シスターさんから頂いた麻婆豆腐が目の前に置かれる。 先程までは一般的な日常の食卓だったはずなのに、突如として侵略者が現れたかのようだ。 立ち込める煙すらも辛い。しかしこのくらいならば慣れている……挨拶の後、いざ実食──────
「────っ!?!!??!」
痛い。 辛いのではなく、痛い。 口の中が破裂したように痛い。 溢れ出す汗、涙、涎。暑さすら感じられず、むしろ汗が外気に触れ寒気すら覚える。
「ぅ、ぅう……っ、か、から……ごほっ、いたい……っ!」
その痛みはまるで、傷口に塩を塗ったような…………あっ。 そうだ。それは比喩表現ではない。私は先日、爆発に巻き込まれて吹き飛ばされたばかり。 全身の痣だけでなく体の内側にも、具体的には口内にも傷を負っていたのだ。 つまり今私は、その生傷に塩ならぬ唐辛子を塗りたくっているようなもの。ついでにとろみのおまけ付き。 痺れるようで抉りこむような痛みに耐えかねて、思わず椅子から転げ落ちる。
「み、みず……みずを……!」
「あはー。水は辛味を促進させますよ。辛さを抑えるなら、これをどうぞ」
シスターさんから差し出されたものは……牛乳。 コップに注がれたそれを一息に飲み干して、汗だくになった体を拭いながら呼吸を整える。 ……数分が経っても痺れが引かない。口内の傷があったとはいえ、これほどまでの激辛であったとは。 自らの未熟さを顧みると共に、それを平然と食していたシスターさんに対しても畏敬の念を抱いてしまう。
ああ……しばらくの間、熱いものは飲めないな。 美味しそうに湯気を立たせる味噌汁を羨ましげに眺めながら、私は大人しくいつも通りの朝食を食べ進めるのであった。
他人に髪を触られるというのは、何とも言葉にし難い感覚だ。 丁寧に梳かれ、洗われる。細くしなやかな指の触感が妙に鮮明に感じられる。 同性ではあっても、これほどの至近距離に人がいるというのは……いつになっても慣れないものだ。
「綺麗な亜麻色の髪ですねぇ、地毛ですか?」
ふと、シスターさんが問い掛けを零す。 それは私の髪色に対しての疑問。思いがけない言葉に少し思慮を巡らせ
「えっと……そうですね、お母さんがフランス出身なので……」
とはいえ、ママは5歳の頃に家族とともに北海道へと渡り、その後の人生を日本で過ごした。 血筋としてはハーフだが、ママからそれらしいものを感じたことはないし、フランスに足を踏み入れたこともない。 色濃く受け継いだこの亜麻色の髪も、日常生活では周りから浮いて見えるものであり……正直なところ、あまり好きではない。 赤色のインナーカラーを入れたことも、目立つ髪色に対しての反発心から来たものだった。
そんな私の髪色を眺め、この人は「綺麗だ」と言ってくれた。 何の毒気も含みもなく「綺麗だ」と。
……何気ない一つの言葉が、妙に心に残り続ける。 人生で初めて投げ掛けられたその言葉に抱くのは、緊張……動揺、或いは喜び。 我が心の乱れに比例するかの如く、動悸がだんだんと早まっていく────背後のシスターさんにも、心臓の音が聞こえてしまいそうな程に。
教会の裏庭の空気を竹刀が弧を描いて裂いた。 柄の鹿革は今日もしっかりと手に馴染む。握り慣れた質感だった。 振り下ろされたそれをまた振り上げながら後ろに下がり、地面に足がつくと同時に振り下ろす。 竹刀の切っ先はイメージ通りに残影を描きながら鋭く虚空を斬った。 私が剣道を始めてからもう数え切れないほど行ってきた素振りの稽古だ。 本当は朝食の前にするのが日課だけれど、今日は街に出たりシスターさんに捕まってお説教されたりして時間が潰れてしまった。 その分を補うように無心で竹刀を振る。異常な事態にあるからこそ怠るわけにはいかない。 “危険”の気配は今朝の街で肌に感じた。もしかしたらこの竹刀に自らを託すことになるかもしれないのだから。 身体を動かすとあちこちがずきずきとまだ痛むけれどそれよりも稽古をしないことの方が気持ち悪かった。 それに、竹刀を振ると心が落ち着く。 剣は好きだ。柄を握ってぴたりと剣先を正眼に置くと、かちりと何かが嵌まる感じがある。 私の純度が上がる、というか。あるべきカタチになった気がする、というか。 そんなことを友達に話したら『前世が侍だったんじゃないの』と笑われもしたけれど。 竹刀を振ろうとした足捌きが止まる。扉が開く音が耳に届いたからだ。 裏庭に出てきたのはシスターさんだった。私が竹刀を握っている姿を見てきょとんとしたが、すぐに微笑んだ。
「あら。邪魔してしまいましたね~。気になさらず、どうぞ続きを」 「は、はいっ」
促されて再び竹刀を構える。基本となる前進後退の素振りを繰り返す。 ………のだが、シスターさんが立ち去らない。竹刀を振る私の姿をその場でじっと見つめていた。 さすがにちょっと気まずい。つい手を止めてシスターさんの方を向いてしまう。
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「よう新入り、さぁ熱い内に喰え喰え。今日は俺の奢りさ」
暗闇に潜む恐怖から逃れるようにキオスク跡地の酒場で今日も歓声が響く。
唾液が滲む。疲労困憊の終電で異世界に迷い込んでから何を食べただろうか。
芳ばしさが漂う紫肉の鶏ハツもカラッと揚がったカブもどきもご馳走だった。
怪奇映像を垂れ流すテレビ、喧噪に響くビールジョッキが鳴る音、巨大ミミズを捌く無貌の料理人。
それこそが死線を潜って得た一時の安寧。出口も分からず彷徨った先に見付けた小さな小さな希望。
「おっと箸が止まってるぞ。何故新入りに優しくしたか気になるか。そう顔に書いてある」
「一寸先も見通せない世界じゃ不安と憂鬱こそ命取りなのさ。腹が膨れれば安心できるからさ」
頬に伝う熱い雫も気にせず一心不乱に箸を動かす、そんな自分の背中を優しく叩く手が頼りに思えた。
永い眠りを妨げる衝撃がこの身を襲う。
役目を終えて眠りに就いてから何年が経過したのだろう。
軋み、朦朧とする意識の中で、無機質な痛みと「崩れていく」感覚だけが妙に鮮明だ。
錆びつく思考と視界を目覚めさせて周囲を見渡す。気が付けばこの身体の半分以上が失われていた。
砕けたものを補うようにめり込むのは、名前も知らない何処かの誰か。
既に意識を失い、何者でもなくなったそれは、私よりも数倍酷く砕け散り原型を亡くしている。
やがて……私もああなるのだろうかと。古ぼけた回路が数分後の未来を算出する。
華々しいものではなかったが、私の役目は人類の助けとなるものであったはずだ。
それを自覚してから役目を終えられるだけでも幸運だったと、“現実的判断能力”を失った回路が呟いた。
……最期に星を見たい。宇宙機として生み出された一基として、“宇宙”の名を関する衛星として。
この満天の星々の一つとして散っていくのだと、夢のような想いで――――――力を振り絞り、空を見上げた。筈なのに。
暗い。暗い。暗い。
縋るように伸ばした手も破片となって飛散する。
叫ぶ声も届かない。いつか見た、光に満ちた空は――――憧れだった“可能性”には、もう。
「――――塵しか、見えない。」
2009年2月10日16時55分、地球の低軌道上より二つの衛星が衝突。
人的要因もなく発生した同事故は、かねてより問題視されていた「宇宙災害」の可能性を証明する形となった。
ケスラーシンドローム。スペースデブリ同士の衝突による自己増殖。
その災害を「机上の空論」から「実際に起こりうるもの」とし、負の可能性を以て宇宙開発の道に陰りを与えたもの。
宇宙の名を冠し、可能性を信じてこの空に昇った“それ”に架せられたのは――――空を閉ざす“破壊者”という烙印であった。
これは平和になったカルデアでの一幕。
食堂の一角、いまでは定位置となった彼女らのスペースでは今日も小競り合いが繰り広げられている。
「しかし随分と長い前髪だな。髪質は良いが……これだけ長くて前は見えているのか?」
「別にいいでしょ。どうせこっちの目は殆ど見えてないし、サーヴァントに散髪とか無意味すぎるし」
サイダー片手にぶっきらぼうに答えるコスモスと、その前髪を指先で軽く梳くメンテー。
ごく近い距離まで迫られても特段変わった様子を見せないのは、両者を結ぶ信頼の現れ故か。
或いは反応するのも面倒だと諦めているだけか……表情を見るに、後者である確率が高い。
「む……ならばこうするか。この私のように、これをこうして――――」
「は!?ちょ、ちょっと何してんの!まだ飲んでる途中――――」
身を乗り出して目の前まで迫ったメンテーに対しては思わず声を荒げてしまう。
予想打にしない行動に吹き出しそうになったサイダーをすんでのところで抑え、迫る彼女を退かそうと試みるが……
時既に遅し。僅か数秒の内に目的を成し遂げたメンテーは、満足げな笑みを浮かべて席に戻る。
「切るのも面倒だというなら、こうして抑えておけばいい。
ちょうど髪留めが余っていたからな……君と同じ名の花飾りだ、これで少しは飾り気が出るだろう」
その笑顔の前には、対象的に不貞腐れた――やや恥ずかしそうな――表情。
普段は前髪で隠された右目が露となり、朧げな瞳孔は所在なさげに泳いでいる。
「…………“あたし”の性格と身長でこの花の髪飾りはちょっとキツくない?
第一再臨の衣装ならまだしも……スゴい浮いてるっていうか、なんか……恥ずかしいんだけど……」
こみ上げてくる照れを隠すためか、向上し始める体温を抑えるためか。
7割ほど残っていたサイダーを急激に飲み干し、残り1割といった所まで減らして小さくぼやく。
整えられた前髪とそれを抑える淡い紫色の髪飾りを触り、慣れない開放感を覚えながら……
「まあでも……悪くはない、かもね」
広がる視野、いつもより明瞭に映る景色を見渡し、満更でもないと言い残す。
何よりも、初めて友人の顔を真正面から見据えることが出来たから――――等というのは、流石に浮かれ過ぎだろうか。
「…………ああ、あとどうでもいいことだけど。
あたしたちの名前の由来は花のコスモス(cosmos)じゃなくて、宇宙って意味の「コスモス(Космос)」だから」
「………………そう、だったのか」
終電を逃したせいで裏新宿に迷い込んで3日、日々の不安を余所に肉体は異世界の常識に順応しつつある。
憩いの場に流れる怪奇映像も慣れ初め、先輩のアドバイスに必死で耳を傾ける。白黒とノイズさえBGMと思えば良い。
「さぁて明日からお前も探索隊に加わるが、我らの根城限定で使える小技を教えてやろう」
薦められた1杯のコーラを丁重に断りつつ、必死にペンを走らせる。自販機から溢れ出る褐色の原液なんて百倍薄めても飲みたくない。
「何時も明るい地下構内とは言え、化物に出会う時は出会っちまう。電車に引付けて押し込めるんだ」
「そうすれば車内から生えた刃物が細切れにしてくれる。安全で手間も関わらない一石二鳥って訳さ」
それは異界にも関わらずダイヤグラムを遵守する無人列車へのアンサーであり。同時に絶望の知らせであった。
25年間の常識がガラガラと崩れ去った三日間。最後の希望として縋った電車すら単なる罠に過ぎなかった。
民那野蛇籠界 ノジャニクル・ホライズンの外れにある大樹の木陰...にひっそりとただすむ小さな強化ダンボールハウスに淫らな水音とくぐもった嬌声が響く。
「んぅ...はぁう❤くぅ...ふぅ...❤のじゃあ...んくぅ...❤」
濃く青い、のじゃにしては短めなもふもふヘアーの、メガネとヘッドホンを着用した陰キャ系ののじゃ、通称:埋火ー・クワイエットが、その小さな指で柔らかく、ぷにぷにとしたのじゃののじゃを掻き回している。そう、のじゃニーである。
くちゅくちゅ、ぐちゅぐちゅ、のじゃのじゃと夢中になって甘い快楽に耽る...そのとろん、とした表情は愉快なナマモノ系マスコットだとしても蠱惑的で淫靡なものであった。老練した心をも蕩かす未知の快楽...顔が熱くなる鼓動、吐息が激しくなる汗と涙が滲み出す指は、だんだんと速くなる。そして───
「あっ❤あっ❤あっ... の゛じ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛❤゛」
のじゃスタシーに達した。快楽で力が抜け、のじゃののじゃからのじゃニウムをたっぷり含有した液体がとろとろと零れ落ちる。
「んっ...❤はぁ...❤き、気持ち、いいのじゃあ...どうし、てこんな...のじゃののじゃ、おかしくなってるのじゃあ...っ」
埋火ー・クワイエットは不運で陰キャなのじゃである。インドア派であるがたまに外に出れば謎の実験に巻き込まれじゃニウム弾頭を喰らい、他喪失帯の遺物と遭遇して酷い目にあったり、そして...
「なぁ... のじゃックスしようのじゃ❤」
「ひぃ...!?た、助けてくださいのじゃー!!」
「ほ~らシャブまみれぷにぷにのじゃののじゃによわよわなのじゃののじゃ擦り付けてイッちゃってもいいのじゃ...❤のじゃの中にぎゅーって押し付けてびゅっびゅってのじゃニウム出していいのじゃ...❤ほら❤イくのじゃ❤イくのじゃ❤」
「の゛じ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛❤゛」
この世の地獄みてぇな喪失帯より来たるファッキンラヴィッツジェリーフィッシュのじゃに一方的にのじゃックスされてしまったのだ。
そして、おくすり紅茶まみれののじゃののじゃを打ち付け合う交尾もどき...その結果発生した中毒症状は未だに埋火ー・クワイエットの幼い肢体を蝕んでいる。
「...あんなに酷いこと、されたのに...なんで、なんでのじゃは..."またされたいなんて"...うぅ...❤」
貪られる快楽を知ってしまった陰に生きるのじゃの身体は、今夜も疼き続ける。
「こ、こわいのじゃ…めびーにひどいことしないでのじゃ...」
「こわくないのじゃー♡ちょっとチクッとしてワンダーランドにごーとぅーへぶんするだけなのじゃー♡うぇるかむとぅにゅーわーるどなのじゃ♡」
めびーこと埋火ードロがファッキンラヴィッツのじゃこと埋火ッチに押し倒されている。
微妙な距離感を取って逃げ続けていたものの、遂に捕まってしまったのだ。
透き通った硝子の肌と透明な触手が絡み合う、その様子はある意味では芸術的であるが、所詮のじゃックスはのじゃックス、ケダモノのようなまぐわいである。
「こ〜んなすけすけすべすべボディにあんなまるみえバスタブ...はずかしがってもほんとうはあたまマジックミラーごうなのじゃな♡かくしてもわかるのじゃ♡」
「ち、ちがうのじゃ...めびーは...めびーは...うぅ...」
溶けたガラスみたいに顔を真っ赤にするめびーであったが、そんな事もお構いなしに埋火ッチの凶腕が襲い掛かる。
「すなおじゃないのじゃはまずそのからだをすなおにしてあげるのじゃ♡ひっさつえっちばりなのじゃー♡」
めびーに迫り来る注射針の群れ!しかし
バキィィィン!
「へ?」
「の、のじゃー!?のじゃのえっちばりがー!?」
硝子は脆い、されど硬い。えっちばりは肌に阻まれて砕け散ったのだ!
「のじゃあ...♡そんなにすなおになれないわるいのじゃには...じかのみさせるしかないのじゃー♡♡♡」
「な、なにするつもりのじゃ...んぅ!?」
突然、重なり合う唇。めびーの口内を埋火ッチの舌が蹂躙し、ねっとりと濃厚なおくすり紅茶が注ぎ込まれる。
「〜〜〜ッ!!ぷはっ!!な、なにするのじゃ!?の、のじゃ... の゛じ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛♡゛」
甘すぎるのじゃキッスの味、幼き口内に残された未知にして淫靡なる感触、中枢神経を覚醒させる薬品による暴力的な快楽がめびーを襲い、激しいのじゃスタシーに至る。
「はぁ...はぅ...♡こんな、かんしょく...っ♡しらない...のじゃあ...♡ひぅ...♡」
猛烈な快楽の余韻で崩れ落ちるめびー。その隙を逃さぬ埋火ッチではなかった。
「のじゃあ〜♡ぜんぎはおわりなのじゃ♡さあ...のじゃのじゃするのじゃー♡」
硝子繊維を編み込んで作った服を触手で器用に脱がし、遂に本番をおっぱじめようとするビッチ。
「のじゃックスのじかんなのじゃー♡♡♡♡♡」
「い、いやなのじゃ... い゛や゛な゛の゛じ゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!゛!゛!゛!゛!゛」
快楽に身悶えするめびーが、恐怖のあまり無意識に最後にとった行動。それはかちかちあつあつヘアーで防護された頭によるのじゃ頭突きであった。
「のじゃー!?!?!?いたいのじゃー!?あちちのじゃー!?!?!?」
まさかの反撃に仰け反り、悶絶する埋火ッチ。
ぷにぷにくらげ触手は微かに火傷を負っている。
「うぅ〜、ちょっとやりすぎちゃったのじゃ♡やけどしちゃうのはこわいのじゃ〜!!」
流石に諦めが付いたのか、脱兎の如く逃げ出す埋火ッチ。
「た、たすかった...のじゃあ...」
1人残されためびーは、その後良識派ののじゃたちに保護されたという...
「魔力炉心を利用したキルンワークと魔術式によるガラス彩色の親和性は...ぶつぶつ...ぶつぶつ...のじゃのじゃ...めびめび...」
ガラスアーティストのじゃ、めびーこと埋火ードロは、今日も夢中になってきらきら綺麗なガラス細工のことを考えています。
赤熱する溶融ガラス、ぷぅっと膨らんだ吹きガラス、美しい模様がカットされた切子...色鮮やかに煌めくガラスを夢想すると、めびーはついうっとりしてしまうのです。
そして頭がのじゃのじゃして注意力散漫となった次の瞬間!!!!
「風属性の魔力を利用したグラスブローイングと精煉方は...おっとと...あっあっ、の゛じ゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!゛?゛!゛?゛!゛?゛」
前方不注意による転倒!さらにその衝撃により型に流し込まれていた溶融ガラスがめびーに降り注ぐ!!
「のじゃー!?はわわ!!はわわ!!燃えてるのじゃ!!消火装置!消火装置!」
そして、のじゃパニック状態から落ち着き、気が付いたら...
「の、のじゃ...!?め、めびーのおっぱい、な、なんでこんなにおっきくなってるのじゃぁ...!?」
なんと巨乳化してしまっていた。ちっちゃな三頭身ボディには不釣り合いな、豊満すぎるバスト...推定Gカップ。溶けたガラスは偶然にもめびーのツルツルガラスボディを伝って胸部に集まり、そこでフュージングし、胸と一体化してしまったのだ。
「うぅ...こ、こんなおっきなおっぱい...は、恥ずかしいのじゃ...」
顔を赤らめてぷっくりと膨らんだ胸を隠すめびーであったが、その小さなおててではまるで隠し切れず、ただただ零れ落ちるのみであった。
「……で、3姉妹のお姉ちゃん役は誰がやるの?」
ASプロダクション社屋廊下にて。不規則に響く三つの足音に紛れ、言葉を投げかけたのは銀髪ツインテールのアイドル……コスモス。
その内容は、この後撮影が行われる映画にて……彼女らが務める「三姉妹」役で、誰が長女を担うのかという質問である。
「ま、聞くまでもないか。お姉ちゃん役は当然このあたし────
「私だろう?年齢順で言えば当然のことだ、威厳的にも雰囲気的にも問題はない」
そんなコスモスの言葉を遮るように言い切ったのは、緑髪で最も小柄なアイドル・メンテー。
神代ギリシャを生きた神格としても、冥王星という天体としても「年長者」である彼女は、己の意見に微塵も疑問を抱いていないようである。
「はー!?あんたみたいなちびっ子にお姉ちゃんなんて無理でしょ!
それよりも、グラビアを経験して「オトナ」なイメージがあるあたしたちの方が相応しいと思うけど?」
間髪入れずに反論をぶつけるコスモス。
確かに先日、広告案件として文字通り「ひと肌」脱いだ彼女はピンナップ広告のメインを飾っている。
それが「オトナ」なイメージに繋がるのかどうかはさておき、コスモスも自分がお姉ちゃんだと譲らない。
「……見た目の話をするなら、私が一番相応しい。眼鏡に身長、要素としては申し分ない」
その様子を眺めていた物静かな白髪のアイドル、ダイソン・スフィアもまた口を挟む。
確かにユニットの中では最も長身であり、知的な雰囲気を漂わせる彼女にも年長者の風格は漂っている。
三者共に譲る気配を見せず、議論は撮影現場に到着する直前まで続いた。
「大事なのは背丈でなく中身だろう!」「世間のイメージが最優先!あたしたちが一番オトナだから!」「雰囲気を作るにはまず外見が大事では」
治まる気配も無く続く争いに、撮影前だというのに既に疲労感を募らせる一行。
何かちょうどいい着地点は……3人の脳裏に同じく浮かぶ思考。その思考に答えを見つけ出したのは、最も小柄なアイドルであった。
「よし、それならこうしよう────」
…………撮影現場にて。待ちかねた監督の前に現れた“三姉妹”は、皆一様に同じ衣装に身を包みこう告げた。
「監督。言い忘れていたが私達は……実は三つ子だったんだ」
「そ、そうそう。だから年の差とか関係なく同い年って設定でよろしく!」
「恐らく二卵性双生児」
唖然とする現場。ざわつくスタッフ。その中で監督はディレクターと何やら二言三言話した後、目の前の“三つ子”達に告げた。
「……いや、流石に無理があるでしょ」
渾身の三つ子作戦は一瞬にして失敗。
結果、キャスティングは現場側で決められ身長順に姉妹役が割り当てられることとなり
帰りのロケバスにて、メンテーとコスモスは終始膨れっ面を浮かべていたという。
『まさか、音楽が人と魔の境すら越えて繋げるとは思わなかったなぁ』
人と人ならざる者が犇めき合うマンハッタンに存在する喪失帯。青白く輝く魔酒を呷りつつ、潜りの酒場でインターネットは夢想する。
人も魔もジャズの音色を逃さず耳を傾け、違法の魔酒に酔い痴れる。音楽が世界を駆け巡った新時代の当事者でさえ、想像し得なかった幻想の光景。
音で楽しみ、酒で打ち解ける。どうやら異世界のアメリカ合衆国でも酒場の常識は変わらないようだ。何者であれ、何様であれども。
『この世界も音で充ちている…おっと噂の歌姫の登場か』
『そうか彼女か、異世界でも元気にやってるなら嬉しい限りだ』
人魔の坩堝。混沌の雑踏。それらを貫くように聳える摩天楼から零れる音色。
それは私の見知った歌姫であり、煌めく可能性の光に彩られた未来の歌手。
『言葉が有り余れど尚、彼女の夢は続いていく…か』
誰も気にしない呟きが、酒場の場末に掻き消えた。
「魔力資源DE-8466を用いた家畜英霊(スレイヴ・サーヴァント)の召喚を実行」
無機質な機械音声が響き、「熱海」の深奥で悍ましき儀式が開始される。
「触媒:ノウサギとライチョウの継ぎ接ぎ標本、魔力資源DE-8466への薬物投与完了、歪曲詠唱起動、魔力供給途絶、《聖杯》からのバックアップ遮断、予想される現界直後の家畜英霊(スレイヴ・サーヴァント)の魔力保有量〔極低〕...強制陵辱召喚、開始」
触媒を使った召喚対象の偏向...違法召喚。
モザイク市成立以前の聖杯戦争で用いられた召喚詠唱を"歪め、短縮し"、本来"聖杯"単体で成立する英霊召喚を歪曲させる...違法召喚。
契約・魔力供給のパスを意図的に途絶する事による召喚対象の意図的な魔力不足の誘発...違法召喚。
《聖杯》からのサーヴァント召喚に関するバックアップを一時遮断する事によるサーヴァントに対するあらゆる恩恵の途絶...違法召喚。
違法に次ぐ違法により、紡がれた魔力の奔流が人型の実像を結ぶ。
顕れたのはウサギの耳を生やした、八つにも満たぬ程の茶髪の少女であった。
「やぁやぁ!このボクを呼ぶなんてモノ好きなマスターもいたもんだ.....ッ!!ちょ、ちょっとマスター...?ま、魔力なさすぎじゃない...?く、くるしい...魔力供給を...?マスター?」
薬物で脳機能を制限されたマスターに、少女の声は届かない。
...それはかつての聖杯戦争に於いてはあり得ない、"本来であれば人間に卸し得ない最上位の使い魔を、実像を結ばぬ召喚前に貶め陵辱し弱らせた状態で現世に出力させる"という最低最悪の召喚儀式。
「霊基情報の解析...完了。真名:スクヴェイダー、性機能:メス、霊基改変適性:極高、魔術抵抗力:極低...顧客評価を減少させる恐れがある悪性スキルを検出しました>>【鬱屈の暴声】。直ちにエーテル干渉機による擬似生体組織で構成された声帯の一部切除処理を開始します」
「は...?な、に言ってるの...?ねぇ、マスター!起きて!起きてよ!あ.....ひっ!?やだ...来ないで...来ないでっ!!」
英霊を尊厳を砕く為だけに作られた機械の腕、エーテル干渉機がスクヴェイダーに迫る。
極限まで魔力供給をカットされた彼女に、逃げる余地はない。跳躍するための脚は竦み、飛翔する為の翼は震えている。
そして
「やだっ!やめて!やめてよ!やめ... んぐ!?」
機械の腕がスクヴェイダーを捉えるや否や、グロテスクなロボット・マニュピレータが口内に無遠慮に侵入し、瞬く間に、正確に、残忍に声帯を切除する。暴声を発する部分のみを、美声を発する部分を傷付けることなく...
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛い゛だ゛い゛!゛い゛だ゛い゛!゛」
響き渡る掠れた、甲高い絶叫。喉から滴る血液、切り裂かれた声帯の残骸。英霊が持つ再生機能を封じられ、癒着した傷口。
痛みと恐怖で悶え泣き喚くスクヴェイダーを尻目に、無慈悲な機械音声が彼女の末路を告げる。
「家畜英霊(スレイヴ・サーヴァント)の加工が完了しました。出荷を開始します」
機械の腕で拘束されたまま、スクヴェイダーはベルトコンベアーに乗せられ、"出荷"されていく。
「やだ...やだよ...た、たのしい場所に召喚されるって...思ってたのに...!?んー!んー!」
口を塞がれ、ベルトコンベアーの先の暗がりへと消えて行く。消えて行く。
これが「熱海」の深淵、人間牧場の家畜英霊加工部門の日常。人類史を陵辱し、玩具とする、悪夢の工場である。
「果たして憐れな参加者が手にするのは"自由"か?"死"か!?『殺戮遊戯』の開幕です!!」
死の遊戯の開幕を告げるブザーが鳴り響き、参加者達は血腥き迷宮内へと一斉に駆け出す。
此処はモザイク市『熱海』の地下殺戮遊戯場。表向きは子ども達が紛い物の恐怖体験を楽しむアトラクション。
...その裏の顔は生命を娯楽として消費する、狂乱の獄。
死の罠に満ちた迷宮を参加者、"商品"、招かれざる来訪者、廃棄寸前の魔力資源どもが突き進む。
屈強な男が奈落へ落ち、10秒間叫び続ける。
青年が頭から濃硫酸のプールに落下する。
女がジャガーが犇く部屋に押し込められ、喰い殺される。
少女が足元から飛び出した槍に串刺しにされ、魅惑的なオブジェと化す。
反響する絶叫、血声、呻吟...多種多様な死に様は監視カメラやドローンにより撮影され、裏社会に流通し死後も娯楽として貶められる運命にある。
また一人首が跳び、心臓が串刺しにされる中、必死に逃げ延びる参加者が一人。
「はぁっ...はぁっ...逃げなきゃ...逃げなきゃ...!!」
家畜英霊(スレイヴ・サーヴァント)に加工され"商品"として尊厳を売り飛ばされた少女、スクヴェイダーが己が身に残された僅かな量の魔力を回転させ、致死の罠を掻い潜って行く。
頭蓋に響く悲鳴、無残に果てた惨死体、脆弱な霊基であれば容易く斬り裂き貫いてしまう刃と棘の群れ...想像を絶する地獄に泣き叫びそうになるのを堪えながら、必死に、跳び、飛び、駆け抜ける。
いじられるのは嫌だ触られるのは嫌だ犯されるのは嫌だ殴られるのは嫌だ見せ物にされるのは嫌だ魔術で心と身体を玩具にされるのは嫌だ。
...弄ばれるだけ弄ばれて死ぬのは、嫌だ。
その意志が傷だらけで疲弊した、魔力が枯れ果てる寸前の仮初の肉体を突き動かし、前へ進ませる。
そして。
「え...ぁ...出口...?...!?出口!出口だ!!」
辿り着いたのは〔EXIT〕のランプで照らされた、隙間から光が漏れ出す扉。
自由へと続く、扉。
「あぁ...で、でられる!!やっとでられる!!」
幾たびも渇望した地獄からの出口に、縋り付き、扉を開く。
扉の奥で待ち構えていた銃口から放たれる高出力の魔力レーザーがスクヴェイダーの右太腿を、瞬時に綺麗に焼き切る。
「ぎぃ!?あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!脚が!!脚が!!」
脚を失い、地面に倒れ込み激痛に悶え苦しむスクヴェイダー。
傷口は焼き塞がり、焼けた肉の香りが周囲に漂う。
魔力もまともにない、加工され再生能力が弱った霊基では、四肢の復元は不可能である。
...元から救いなど、自由など、出口など存在しなかったのだ。ただありもしない希望に群がる者を地獄へと再び突き落とす為だけの、顧客の悪趣味な需要に応えたアトラクションの舞台設定。
悲痛な叫び声に反応し、新たなる死の罠が起動する。
魔術的な強化が付与された巨大な斧を持つ殺戮用オートマタが、無慈悲に迫り来る。
「お、おねがい、ころさ、ないで...!!いやだ...いや...たすけて...!」
殺戮用オートマタに参加者の懇願を聞き届ける機能など搭載されていない。泣き噦りながら後退りするスクヴェイダーの胸部に、巨大な斧を振り下ろす。
「がぁっ!!ぐぅっ...あ...かひゅ...」
服ごと胸の中心部が荒々しく引き裂かれ、鮮血が小さな幼い乳房を彩る。必死で何かを言おうとしているが、肺に血が入ったのか意味不明な水気のある苦しげな呼吸音にしか聞こえない。そしてオートマタは間髪入れず腹部にも斧を振り下ろす。
「ぁ.........」
エーテルで編まれた臓物を撒き散らしながら、びくんと大きく跳ね、力無く倒れ込んだきり、少女の身体は動きを停止した。
「残念!脱出者は全滅!!GAMEOVER〜!!」
惨状に似つかわしくない愉快そうな音声と共に、『殺戮遊戯』は閉幕した。
「商品名"矛盾"のライダーの回収完了。宝具に内包された『存在続行』スキルにより消滅の心配は有りませんが、記憶処置と霊基復元を行い修理次第、再出荷レーンに流します」
限られた設備と環境で何が出来るだろうか。適当な地縛霊に後片付けを任せつつ、手頃な椅子に腰掛けて考え込む。
『工場』で召喚された自分に、相応しい職場が与えられたことに感謝しつつも燻る炎は消えずに心の底で燃え続ける。
来客を全員追い出した迷宮は殺風景でしかなく、与えたタスクを忙しなく済ます幽霊も山を賑わす枯れ木にもならない。
利用可能な陣地も設備も魔力も最低限に限られ、追加人員の増加も見込みが薄い現状を鑑みれば仕方の無い話ではある。
表面上は頑丈な施設でも、心は腐り果てた廃墟。陳腐で有り触れた謎とギミックに辟易しつつ無味乾燥な日々を消化する。
『熱海城』に分譲されてから日常が一変するまで、そう長い時間は掛からなかった。恋い焦がれた全てがその場所にあった。
享楽に耽る現代の不夜城が放つ眩い光すら届かない、絶望と恐怖に濡れる地下殺戮遊戯場。今日も命が無意味に潰えていく。
理解不能な難解なギミックも、挑戦者を容易く屠るトラップも、全てがキャスターの意のままに組み替えられ変貌するのだ。
「果たして憐れな参加者が手にするのは"自由"か?"死"か!?『殺戮遊戯』の開幕です!!」
拡声器を片手に『死亡遊戯』の開幕を告げるキャスターの顔は、新しいゲームを目の前にした少年の如く無邪気であった。
「……テスト、テスト」
画面に大きく映し出される暗がり、後に顔。
しばしピントが調整され、1秒もしない内に不織布マスクを着用した明るい茶髪の女性にピントが合う。
太陽をもしたヘアピンが特徴的なその女性は、カメラに目を向け二言三言呟いた後。
「はいどーも!えーとですね、あたしは今大阪に来ています。
まあ大阪に住んでるから来てるっていうのは語弊があるけど……あー、今の無し。このテイクはカットで」
唐突に途切れる映像。
その後もう一度カメラが始動し、今度は初めからピントを合わせた状態で女性を捉える。
所謂「自撮り」の構図。恐らくはスマートフォンと思われる端末で、彼女は己にカメラを向けて言葉を続ける。
「はいどーも!みんな大好きサイ子ちゃんでーす。
今日はねー、地元でヤバい祭りがあるから来てみちゃいました!でもさー、今人っ子一人いないんだよね。見える?」
カメラが反転、ズームで顔を写した構図から背景を捉える構図に切り替わる。
映し出されたのは、彼女の言通り「無人」と化した繁華街。
軒を連ねる飲食店。所狭しと並ぶ看板。そのビルの合間からは、聳え立つ“タワー”が覗く。
そこは新世界。大阪の代名詞ともいうべき一大観光地が……今は、異様とも思えるほどに静まり返っている。
観光客も店員も、誰一人として存在しないがらんどうの街並み。
「いやー……観光シーズンなのにこんな誰もいないとか怖すぎ。
ホントは生放送したいんだけどねえ、なんか通信制限がかけられてるせいで録画しかできないんだよね」
歩きはじめる女性に合わせ、カメラの映像もスライドしていく。
串カツ屋、お好み焼き屋、たこ焼き屋。本来なら多くの人で賑わう店も、今はただ静寂が支配する。
再びカメラを自分に向けると、怪訝な表情で不満を溢しつつ一つの店に入り込む。
「すいませーん、誰か居ますかー?」
無言。
響くのは稼働し続ける空調と、テレビからの笑い声。
どうやら串カツ屋であろうその店は、明かりも灯った状態で「営業中」であることを示しているが
店内にも厨房にも人影はなく、テーブルの上は綺麗に片付けられている。
例えるなら「営業開始直前」で放置されているような状態だ。
「うーん……電気は通ってるんだね。インフラは健在なのかな。
水道も…………出る。ガスは……使える。えーと、じゃあ食材……おー、しっかり残ってる」
人の不在を確認すると、女性は悪びれもなく厨房に侵入する。
その後蛇口を捻って水が出ることを確認し、コンロを点して火が付くことを確認し、業務用冷蔵庫に食材が詰まっていることも確認した。
一瞬にして人が「消えてしまった」かのような雰囲気に、思わず息を呑む。
「……すご。市長は不発弾の撤去のためとか言ってたけど……ほんとに皆逃げたんだ」
そう。彼女はこの「人が居ない」事の原因を知っている。
もしこれが不意に訪れた状況であれば、女性はもう少し慌てた様子で常時カメラを回していただろうが
ある程度の理解と知識を持つがゆえ、俯瞰した立ち位置からカメラを通し状況を「伝えて」いるのだろう。
数日前、大阪市を対象として大規模な避難勧告が発令された。
市長曰く……太平洋戦争にて米軍が落とすも炸裂しなかった、原子爆弾の不発弾が発見されたと。
もし炸裂した際には大阪市全土が更地となりかねず、犠牲を避けるため市民全員に避難勧告が下されたのだ。
結果、僅か一日で大阪市民270万人が市街へと対比し、厳密な通行規制が掛けられ「無人の街」へと変貌した。
だが、それがあくまでも“カバーストーリー”に過ぎないということを……彼女は理解している。
「────ねぇ皆、聖杯戦争って知ってる?」
大阪市中央区の片隅に立つビジネスホテルの一室。
室内に響く無機質なアラームの音が、私を睡眠から引き摺り出した。
良く眠れた……とは言い難い。慣れない環境や緊張、疲労のせいか、目覚めてなお拭いきれない眠気が頭に残る。
やはり飛行機は苦手だ。
剣道大会に出場すべく、二時間近い空の旅を経て身体の緊張がピークに達している。
離陸する時の押し付けられる感覚、浮遊感、不安。それらを総合して、私は飛行機という乗り物を苦手としていた。
その上、翌日に大会が控えているとなれば疲労が乗算して襲い来る。
結果としてこの不眠に繋がった。眠れたのはお風呂から上がった23時過ぎくらいの事だったか。
鳴り響くアラームを止めてあくびを一つ漏らす。
時刻は7時32分。アラーム開始から30分近くも眠りこけていたことに関しては、見なかったことにしておこう。
「……えっと、めがねめがね」
サイドテーブルに置いておいた赤縁のメガネをかけ、丁度ベッドと対称となる位置にあるテレビへ目を向ける。
目を覚ますには音と光、そらに伴う「情報」を取り入れるのが最善だ。
そして見慣れぬ地方局のアナウンサーが、淡々とニュースを述べ始め────て。
『……改めてお伝えいたします。昨晩、大阪市中央区城見にて原子爆弾と思われる不発弾が発見されました。
現在大阪市全域には避難勧告が発令されており、現時点で住民の避難は完了したとの報告が……』
青地のL字型画面に流れるテロップを見て、残っていた眠気も緊張も全てが吹き飛んでいく。
不発弾?避難勧告?頭が追いつかない。慌ててスマートフォンを手にしスリープを解除すると……
アラームの通知と共に、5分間隔で「市内からの避難勧告」が並んでいた。
血の気が引く。
アラームの音にかき消されて、肝心の通知音が聞こえなかった……?
避難勧告は7時30分を最後に途切れている。SNSからなにか情報を探れないかと試してみたものの、何故か繋がらない。
携帯の回線だけでなくホテルに備え付けのWi-fiすらも不通となっている。
「嘘……なんで、こんな」
先程までの緊張とは全く別種の不安、混乱に伴う動悸が込み上げる。
荒くなり始める呼吸を必死に抑え、改めてニュースの映像に目を向け直す。
『続報が入りました。7時30分をもって住民の避難は完了したとの事です。
以降は不発弾処理のため、完了まで市内へのアクセスは全て封鎖される見込みとのこと────』
────着替える余裕すらなく、備え付けのパジャマのまま部屋を飛び出した。
廊下は無人。ホテルの通路は基本人気が無いものだが、いつにも増して静まり返った雰囲気が更に不安を駆り立てる。
エレベーターを無視し非常階段を降りフロントへ。けれどロビーにも人影はなく、点きっぱなしのテレビだけが画面越しの「声」を伝える。
フロントにもバイキングにも人は居ない。全身に走る寄る辺のなさを押し殺すように、私はホテルを飛び出した。
もしかしたら、という淡い期待に縋る。何かの冗談かもしれないという儚い希望に縋る。
ホテルは偶然無人になっていただけで、街中に出れば活気のある雑踏が聞こえてくるはずだと。
そんな私の妄想は、「無音」という形で打ち切られた
足音一つ聞こえない中心街。ざわめきもなく、道路を過ぎる車すら存在しない無人の大都市が、目の前に広がっている。
「だ……誰か、居ませんか……誰か……!まだ、避難してない人が……」
絞り出した声はビルの合間を縫い、掻き消えていく。
街中で自分の声だけが響くという異様な経験もまた、正気を失わせる要因の一つとなった。
荒い呼吸が続く。足が震える。唐突に訪れた「非日常」に理解が追い付かず、冷や汗が止めどなく流れ出す。
もしまだ「誰かが残っている」という事を知らせられれば、この市内から出してくれるかもしれない。
その唯一の希望を以て、全力の声を振り絞る…………が。
突如響いたのは無機質なサイレン。
伴って、抑揚に欠け淡々とした人工音声がアナウンスを告げる。
『市民の皆様の避難が完了いたしました。
大阪市はこれより、特例隔離プロコトルCI-003に則り隔離処置が施されます。
“参加者”の皆様は、遭遇次第随時戦闘を開始して下さい。ご協力に感謝します。』
感情の無い声が、僅かに残されていた希望を奪い去る。
アナウンスに含まれた不可解な単語にすら気を配れないほどに、私の思考はぐちゃぐちゃに乱されて
何も考えられない。どうしたらいいかわからない。もし、不発弾が爆発してしまったら─────そんな事ばかりが脳内を巡り巡る。
崩れ落ちる、という感覚を味わったのは初めてだ。
膝から地面へと倒れ込み、立ち上がる力すら残されていない。
荒い呼吸を止めるための手段もない。次第に胸が締め付けられるような感覚が襲うが、助けを求める声すらも絞り出せず
…………薄れ行き、暗くなっていく視界の中で、僅かに静寂を打ち破る一つの“足音”が聞こえたような気がした。
……夜が明け、朝焼けに照らされる街を眺める。
静まり返る街。人の気配が絶えた街。
無人の理由を知った今、昨日ほどの恐怖は感じられなくなったが……それでも不気味なものは不気味だ。
溢した溜息すらも反響しそうなほどの静寂の中で、私は“難波”と呼ばれる街にやって来た。
実のところ、私はこの大阪への遠征を楽しみにしていた。
生涯で北海道を出たことなど数えるほどしか無く、それも修学旅行で青森に訪れたくらいのもの。
東北以南の内地はまさに未開の地。大会が終わったら、空き時間に来ようとメモしていたお店があったのだが……。
当然のように人は居らず、店こそ開いてはいれど店員も客も居ない。
お好み焼き。串カツ。たこ焼き……は、タコが苦手だからタコ抜きで。
北海道とはまた異なる方向性のグルメを心待ちにしていた自分にとって、この悲劇はあまりにもショックであった。
「……紅生姜の串揚げ、食べてみたかったな」
道頓堀を代表する「戎橋」の欄干に腰を掛け、傍らの看板を傍目に愚痴をこぼす。
こんな事になっていなければ、私は今頃この街で友達と一緒に食い倒れていたはずなのに。
今じゃ友達、先生とも逸れて一人ぼっち。おまけに全身痣だらけ……いや、大会があっても痣だらけにはなるか。
ともあれ、今は命があっただけでもありがたいと思っておこう。
私を助けてくれたシスターさん曰く、理由のある地元民以外はほぼ全員が避難を完了しているという。
問い合わせてもらったところ、友達や先生も無事であった。同様にあちらにも私が保護下に置かれていると伝えられたという。
無事であることをお互い共有出来たなら一安心だ、パパにもママにも余計な心配をかけたくはない。
……まあ、その保護下からこっそり抜け出して今ここに居るんだけど。
一晩立って気持ちは落ち着き、状況の理解は出来た。けれど「納得」には至っていない。
シスターさんから大まかな説明はあったが、その殆どは……空想のような、私の理解力を上回るものであった。
何かが起こっていることは理解した。けどその「何か」がわからない。だから「納得」は出来ない。
何故私が巻き込まれたのか?この大阪で何が起こっているのか。シスターさんの言う“戦い”とは、何なのか。
今の私を突き動かす原動力は単純明快…………ただ「何が起こっているのかを、自らの目で確かめたい」。
“戦い”という剣呑な言葉を聞いてある程度平静を保っていられるのは、それが比較的身近なものであったからだろうか。
剣道部員として……武術を嗜む身として、試合ではあれど“戦い”がどういったものかを理解している。
自慢ではないが、道大会では優勝を果たし全国への切符を手にした。相手にとって不足はない。
自前の竹刀もある事だし、相手が大人であっても問題は……無い、と思いたい。
ひとまず街中の様子は確認できた。
シスターさん曰く、例の“戦い”が始まるのは夜からな事が多いという。
であれば一度あの教会に戻って、夜になったらまた抜け出し───────
「────っ」
突如響く足音に思わず身が竦む。
驚きによる硬直、その一瞬を挟んだ後に背負っていた竹刀を取り出し構える。
足音は橋の向こうから聞こえた。じゃり、という小石を踏むような音が響く。
乱れ始める鼓動、呼吸を圧し殺し、震えだす手を抑え込むように柄を握り締めて視線を前へ。
……けれど足音が再び響くことはなく、街は再び静寂に包まれた。
気づかれた……?数分してから構えを解いて、音のした方を軽く確かめるも異常は見当たらない。
しかし足音は確実に鳴っていた。空気が一瞬にして張り詰めるのも感じられた。
場を支配するような雰囲気。試合では感じたことのないような、研ぎ澄まされた真剣のような気配。
それは私に、言い知れぬ恐怖を与えると同時に……一抹の“好奇心”を与えるものであった。
「…………やっぱり、確かめたい」
何が何でも、この大阪という街で行われている“戦い”を目にしたい。
その“戦い”の理由と目的を知ることが出来れば、私は「納得」してこの街を去れる。
「納得」さえ得られるのなら、お好み焼きや串カツが食べられなかった悲しみを帳消しにすることが出来るはずだから────。
……数十分かけ教会に戻ると、待ち構えていたシスターさんに叱られた。
誰にも見られないよう無音で抜け出したはずなのに……何処で気が付かれたのだろう。次からはもっと慎重に抜け出さなければ。
覚醒する意識。
まず感じたのは痛みだった。自分が浮かび上がるにつれそれは全身からずきずきと傷んだ。
ただ救いだったのは痛みこそすれ、眠りの淵へ再び沈むこむことを許容するほどの痛みではなかったことだ。
それで全身を襲う痛みが自分の行動を妨げるものではないということに確信が持てた。
ただありがたかった。自らが修める剣道において相手の激烈な打ち込みで一瞬意識が飛ぶなどよくあることだ。
原因が痛みでこそあれ意識をきちんと確保できている。少なくとも失神したままであるよりはマシだった。
だから、少しずつ目を開けた。
「………っ」
つい呻く。身体を襲う痛みと、瞼を広げて外界を視認する痛みに依って。
目に入ったのは味気のない簡素な白い天井だ。のっぺらぼうに端まで広がっている。
それがどこかを悟ることはできなかったが、一方でその天井からは何らかの秩序が感じ取れた。
少なくともある程度の常識の下で自分は寝かされている。そういう認識が持てた。
「………あはー。もうしばらく寝込んだままと踏んだのですけれど。頑丈ですねぇ、あなた」
ドアが開く音と、どこか間延びした人の声と、それらが混ざって聞こえたのはその頃のことだ。
「っ、ぁ………っ」
「無理に喋らなくていいですよ~。五体無事ではあれ吹き飛ばされて全身打撲には違いありませんから。
まぁ、打ちどころ自体は良かったようですけれども。受け身の技術とか習っていました?」
まだぼんやりと霞を帯びる意識の中で、開いた視界に映る女の姿があった。
───かの宗教に関してさして詳しい訳では無い。
けれどその浅薄な知識であっても彼女がその宗教に携わる人物だというのはすぐに読み取れた。
特徴的な法衣が理由だ。いわゆる修道女らしい服を着ている。
まだ意識が朦朧とする私の側で、大して減っていない水差しの水の量を確かめながら女は言う。
「その様子ですとまだ自分の身に何が起こったのか分かっていないようですね。
大変残念ながら、あなたは巻き込まれてしまった身分なのです。
こうして寝込んでいるのだってあなたが彼らの戦いの余波で不運にも吹き飛ばされてしまったからに相違ありません」
………分からない。彼女が何を言っているのか。
ぼんやりと朧気な意識のままに彼女を見上げる。視線が合った。
そうして彼女は穏やかに笑った───他の人は怖いと言うその眼差しを、その時の私は安心できると感じたのだ。
「大丈夫。安心してください。ひとまず私の元にある以上あなたの無事は保証します。
迷える者を救うのは主の御心に従えばこそ。詳しいことは、あなたの意識がはっきりとしてからにしましょう」
そう言って女は私へ向けてにこりと微笑んだ。
それで少なくとも安心できた。今から思えば、その笑顔はどことなく薄っぺらな印象を帯びたものだったかもしれない。
しかし更に言えば、その薄っぺらで簡単に裏へとひっくり返りそうな表情の裏にひっくり返るものが無い。
つまり、そもそも裏表に返るものがないもの。そういうふうに本能が感じ取っていたのだろう。
だから、全身に負った傷のためにろくに喋ることもせず眠りへと誘われ始めた。
然と目覚めるにはまだ早かったと、そう告げるかのように。
「もう暫しお休みなさい。次に起きたならば話すべきことはその時に。
───やれやれ。日本のこうした避難措置は優秀だと聞いていたのですけれどもねぇ。取りこぼしはあるということですか。
ああ、急に私の責務が面倒になった。………とはいえ、これも聖務。都合はつけねばなりませんか」
私の知らぬ間にシスターはそんなぼやきをしていたが、全て私の知らぬことだ。
夜の帳を曙光が切り裂いていく。それによってくっきりとした輪郭を取り戻しつつある、難波の街並み。
全く人気のない街路をきょろきょろ見回しながら歩いて行く少女を見つめる眼差しがあった。
「───困った子ですねぇ」
呟きは遥か天上から。8階建てほどのマンションの屋上だ。
人が立ち入るようには出来ておらず、故に落下防止用の柵もない縁にクエロは腰掛けていた。
膝に肘を突いて頬杖をしている。ちょっと体勢を崩せば落下死するというのにリラックスした格好だった。
夜明けの風に足と服の裾を遊ばせながら、ふらふらと街を彷徨う少女───鴈鉄アズキを視線で追っている。
もちろん目的は彼女にある。保護した少女が何をしようとしているのか監視するためだ。
アズキが夜明け前にこっそりと教会を抜け出したのは勿論クエロにはバレていた。
教会の外に出ること自体はいい。だがクエロに気づかれないように振る舞った、というのは咎めねばならない。
クエロはひとまずアズキのことを巻き込まれた一般児と認識していたが、実は聖杯戦争の参加者たちと繋がりがあったとなれば話は別だからだ。
そうとなれば聖杯戦争の監督役として対応を変えねばならない。
保護するということの意味合いも変わってきてしまう。
そういうつもりでアズキに気づかれぬよう密かに追ってきたのだが───
「どうやらそういうわけでもないようで。………私の考えすぎだったかな」
独り言は誰に伝わるわけでもなく、屋上に吹く風に紛れていった。
アズキは誰かとコンタクトを取るでもなく、無人の大阪の街を歩き回っている。
これが往時ならばこの時間でも既に人通りがあって、アズキはそんな目覚めたばかりの街を楽しむ観光客でしかなかっただろう。
では、アズキは何故こんなことをしているのか。
………情動の薄いクエロは他人の気持ちを類推するのが苦手だ。
いや、彼女でなくともアズキの内面まで見通すには情報が足りなすぎる。先日出会ったばかりなのだ。
「ふう。先回りして戻っておかないといけませんか」
そう呟いたクエロの眼差しがふと厳しくなる。
「───」
ゆっくりと立ち上がった。剣の切っ先のように静謐で鋭い視線を遥か下の街へと向ける。
得物を取り出すとか声を出すとか、そうした特筆に値するような動きはしなかった。
ただ静かに見ただけだ。凪いだ水面に似た無表情で、朝焼けの朱色に染まるマンションの屋上の縁に立って。
それが気を中てているということに気付く者が人々の営みの途絶えたこの大阪に複数人存在していた。
いいや人ではない。それは使い魔であり、英霊と呼ばれるもの。
アズキがその存在についてまだ半信半疑でいる恐るべきものたち。無人のこの街で殺し合いを始めた歴史の影法師たち。
クエロの意図を察したのか、気配がアズキのそばから去っていく。
小さく溜め息を付いて軽く緊張を解いたクエロは竹刀を抜いて周囲を伺うアズキを見て少しだけ感心した。
───こういうことの勘は良いみたいですね。磨けば光るかもしれません。
微かに微笑んだクエロはふらりと倒れ込むようにして屋上の縁から身を投げた。
傍から見れば投身自殺。しかしクエロは落下の中途にあったマンションの各部屋のベランダを蹴り、屋上から器用に『駆け』落ちた。
明らかに人間業ではない動きで地上へ降り立ったクエロは乱れた裾を軽く直し、そのままてくてくと歩き出す。
「やれやれ。お説教の言葉、考えておかないといけませんね」
のんびりとそんなことを口にしながら。
果たして、教会に帰ってきたアズキを待っていたのは微笑んでいるのに目が笑っていないクエロの説教と温かい朝食だった。
8時過ぎ。慎ましやかな雰囲気の食堂で、私とシスターさんは少し遅めの朝食を取っていた。
食卓に並ぶ料理は、洋風なテーブル・食器にそぐわぬ和風料理。ご飯に味噌汁、焼き魚、卵焼き。
シスターさんは外国人であるようだが、まさか「日本の家庭料理」も作ることが出来るとは。
味も上々。味付けに若干の洋風さが感じられるが、美味しい。もしかしたらママよりも上手かもしれない。
そんな時、ふと向かい側のシスターさんに目を移すと、彼女の前にはまた別の料理が並んでいた。
比較的大きめの皿に盛られたその料理は……とろみのついた、麻婆豆腐……?
外見こそ麻婆豆腐に似ているが、赤い。あまりにも赤い。少なくとも、私の知る麻婆豆腐はあんな鮮烈な赤色ではない。
「それ……何の料理ですか?」
恐る恐る口に出す。
私の問いかけを聞いてシスターさんは、その麻婆豆腐と思しきものを飲み込んで
「麻婆豆腐です」
麻婆豆腐だった。
続けて、香辛料……主に唐辛子や花椒をふんだんに含んだ激辛麻婆であると告げる。
激辛というなら納得の色合いだ。純白の豆腐すらも赤に侵す色にも納得がいく。
私自身、激辛料理は嫌いではない。インスタント麺やお店で「激辛」を見かけると、ついつい食指が動いてしまう。
以前食べた超激辛なカップ焼きそばは悶え苦しむほどの辛さだったが……それも今では恋しく思える程度に激辛に慣れている。
……こうして思い返してみると、私は割りと激辛好きなのかもしれない。
そんな事を思い返しつつじっと麻婆豆腐を眺めていると、シスターさんは穏やかな笑顔を見せて問う。
「少し食べてみますか?私用の味付けなので、結構辛いかも知れませんけど」
「いいんですか!?……ふふ、私も激辛が好きなんです。心配ご無用ですよ」
シスターさんから頂いた麻婆豆腐が目の前に置かれる。
先程までは一般的な日常の食卓だったはずなのに、突如として侵略者が現れたかのようだ。
立ち込める煙すらも辛い。しかしこのくらいならば慣れている……挨拶の後、いざ実食──────
「────っ!?!!??!」
痛い。
辛いのではなく、痛い。
口の中が破裂したように痛い。
溢れ出す汗、涙、涎。暑さすら感じられず、むしろ汗が外気に触れ寒気すら覚える。
「ぅ、ぅう……っ、か、から……ごほっ、いたい……っ!」
その痛みはまるで、傷口に塩を塗ったような…………あっ。
そうだ。それは比喩表現ではない。私は先日、爆発に巻き込まれて吹き飛ばされたばかり。
全身の痣だけでなく体の内側にも、具体的には口内にも傷を負っていたのだ。
つまり今私は、その生傷に塩ならぬ唐辛子を塗りたくっているようなもの。ついでにとろみのおまけ付き。
痺れるようで抉りこむような痛みに耐えかねて、思わず椅子から転げ落ちる。
「み、みず……みずを……!」
「あはー。水は辛味を促進させますよ。辛さを抑えるなら、これをどうぞ」
シスターさんから差し出されたものは……牛乳。
コップに注がれたそれを一息に飲み干して、汗だくになった体を拭いながら呼吸を整える。
……数分が経っても痺れが引かない。口内の傷があったとはいえ、これほどまでの激辛であったとは。
自らの未熟さを顧みると共に、それを平然と食していたシスターさんに対しても畏敬の念を抱いてしまう。
ああ……しばらくの間、熱いものは飲めないな。
美味しそうに湯気を立たせる味噌汁を羨ましげに眺めながら、私は大人しくいつも通りの朝食を食べ進めるのであった。
他人に髪を触られるというのは、何とも言葉にし難い感覚だ。
丁寧に梳かれ、洗われる。細くしなやかな指の触感が妙に鮮明に感じられる。
同性ではあっても、これほどの至近距離に人がいるというのは……いつになっても慣れないものだ。
「綺麗な亜麻色の髪ですねぇ、地毛ですか?」
ふと、シスターさんが問い掛けを零す。
それは私の髪色に対しての疑問。思いがけない言葉に少し思慮を巡らせ
「えっと……そうですね、お母さんがフランス出身なので……」
とはいえ、ママは5歳の頃に家族とともに北海道へと渡り、その後の人生を日本で過ごした。
血筋としてはハーフだが、ママからそれらしいものを感じたことはないし、フランスに足を踏み入れたこともない。
色濃く受け継いだこの亜麻色の髪も、日常生活では周りから浮いて見えるものであり……正直なところ、あまり好きではない。
赤色のインナーカラーを入れたことも、目立つ髪色に対しての反発心から来たものだった。
そんな私の髪色を眺め、この人は「綺麗だ」と言ってくれた。
何の毒気も含みもなく「綺麗だ」と。
……何気ない一つの言葉が、妙に心に残り続ける。
人生で初めて投げ掛けられたその言葉に抱くのは、緊張……動揺、或いは喜び。
我が心の乱れに比例するかの如く、動悸がだんだんと早まっていく────背後のシスターさんにも、心臓の音が聞こえてしまいそうな程に。
教会の裏庭の空気を竹刀が弧を描いて裂いた。
柄の鹿革は今日もしっかりと手に馴染む。握り慣れた質感だった。
振り下ろされたそれをまた振り上げながら後ろに下がり、地面に足がつくと同時に振り下ろす。
竹刀の切っ先はイメージ通りに残影を描きながら鋭く虚空を斬った。
私が剣道を始めてからもう数え切れないほど行ってきた素振りの稽古だ。
本当は朝食の前にするのが日課だけれど、今日は街に出たりシスターさんに捕まってお説教されたりして時間が潰れてしまった。
その分を補うように無心で竹刀を振る。異常な事態にあるからこそ怠るわけにはいかない。
“危険”の気配は今朝の街で肌に感じた。もしかしたらこの竹刀に自らを託すことになるかもしれないのだから。
身体を動かすとあちこちがずきずきとまだ痛むけれどそれよりも稽古をしないことの方が気持ち悪かった。
それに、竹刀を振ると心が落ち着く。
剣は好きだ。柄を握ってぴたりと剣先を正眼に置くと、かちりと何かが嵌まる感じがある。
私の純度が上がる、というか。あるべきカタチになった気がする、というか。
そんなことを友達に話したら『前世が侍だったんじゃないの』と笑われもしたけれど。
竹刀を振ろうとした足捌きが止まる。扉が開く音が耳に届いたからだ。
裏庭に出てきたのはシスターさんだった。私が竹刀を握っている姿を見てきょとんとしたが、すぐに微笑んだ。
「あら。邪魔してしまいましたね~。気になさらず、どうぞ続きを」
「は、はいっ」
促されて再び竹刀を構える。基本となる前進後退の素振りを繰り返す。
………のだが、シスターさんが立ち去らない。竹刀を振る私の姿をその場でじっと見つめていた。
さすがにちょっと気まずい。つい手を止めてシスターさんの方を向いてしまう。