いや、彼女でなくともアズキの内面まで見通すには情報が足りなすぎる。先日出会ったばかりなのだ。
「ふう。先回りして戻っておかないといけませんか」
そう呟いたクエロの眼差しがふと厳しくなる。
「───」
ゆっくりと立ち上がった。剣の切っ先のように静謐で鋭い視線を遥か下の街へと向ける。
得物を取り出すとか声を出すとか、そうした特筆に値するような動きはしなかった。
ただ静かに見ただけだ。凪いだ水面に似た無表情で、朝焼けの朱色に染まるマンションの屋上の縁に立って。
それが気を中てているということに気付く者が人々の営みの途絶えたこの大阪に複数人存在していた。
いいや人ではない。それは使い魔であり、英霊と呼ばれるもの。
アズキがその存在についてまだ半信半疑でいる恐るべきものたち。無人のこの街で殺し合いを始めた歴史の影法師たち。
クエロの意図を察したのか、気配がアズキのそばから去っていく。
小さく溜め息を付いて軽く緊張を解いたクエロは竹刀を抜いて周囲を伺うアズキを見て少しだけ感心した。
───こういうことの勘は良いみたいですね。磨けば光るかもしれません。
微かに微笑んだクエロはふらりと倒れ込むようにして屋上の縁から身を投げた。
傍から見れば投身自殺。しかしクエロは落下の中途にあったマンションの各部屋のベランダを蹴り、屋上から器用に『駆け』落ちた。
明らかに人間業ではない動きで地上へ降り立ったクエロは乱れた裾を軽く直し、そのままてくてくと歩き出す。
「やれやれ。お説教の言葉、考えておかないといけませんね」
のんびりとそんなことを口にしながら。
果たして、教会に帰ってきたアズキを待っていたのは微笑んでいるのに目が笑っていないクエロの説教と温かい朝食だった。
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