仏教のお話

Rの会:譬諭品第三 / 33

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ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 17:52:10

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捨几
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経:舎利弗。如来またこの念を作さく。もし、我但神力及び智慧力を以て方便を捨てて、諸の衆生の為に如来の知見・力・無所畏を讃めば、衆生これを以て得度すること能わじ。所以は何ん。この諸の衆生未だ生・老・病・死・憂悲苦悩を免れずして、三界の火宅に焼かる。何に由ってかよく仏の智慧を解らん。舎利弗。彼の長者のまた身手に力ありといえども、しかも之を用いず。但慇懃(おんごん)の方便を以て諸子の火宅の難を勉済して、しこうして後に各珍宝の大車を与うるが如く、如来もまたまた是の如し。力・無所畏ありといえどもしかも之を用いず。
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太郎訳:シャーリプトラよ。如来は、またこのようにも思うのです。もし、私が、ただ神通力と智慧力だけを用い、方便を捨てて、如来の智慧・力を示し、恐れを取り除いたとしても、人々は、この教えによって悟ることができません。なぜならば、この人々は、まだ、生老病死の苦、憂い、悲しみ、苦悩から離れられず、世間の現象に振り回され、あたかも火宅で炎に焼かれているかのようです。どのようにすれば、仏の智慧を得ることが出来るのでしょう? シャーリプトラよ。話の中の長者は、肉体が立派であり、力持ちですが、力によって子供たちを救おうとはしませんでした。真心を込めた方便によって、子供たちを火宅から救いだし、無事に救出した後に、珍しい最高の大車を与えました。如来もまた同じように、人々を救う智力や人々の恐れを取り除く力があっても、それを用いません。
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捨几
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