仏教のお話

Rの会:譬諭品第三

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https://www.youtube.com/watch?v=9nI0Mlp7xxw&t=358s
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Rの会:妙法蓮華経譬諭品第三
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あらまし:方便品の説法を舎利弗が聞いて「真理と方便」を覚り、これまでの声聞根性を懺悔し、今後の精進を誓うのを見て、釈尊が舎利弗に授記をされました。これは、声聞最初の授記です。そして、釈尊は、「真理と方便」の教えを、より多くの人々に理解できるように「三車火宅の譬え」にして説かれました。
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譬諭とは
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太郎論:譬諭とは、アウパムヤ aupamya の訳で、「類似、比較、類義、類比」という意味です。ある事象を類似するものによって表現することです。たとえば、雪を見たことのない人に、雪とはどういうものかを伝える時に、「綿のように白い」「桜が舞うように空から降る」「氷のように冷たい」などと、何かに喩えるとイメージが伝わりやすくなります。妙法蓮華経というタイトルも、「蓮華のように最高の妙法」というように譬喩になっています。英語のメタファー metaphor のことです。譬諭・譬喩・比喩は、同じ意味です。

譬諭は、相手の知っていることでなければ通用しません。蓮華を知らない人に蓮華で喩えても意味がありません。たとえば、仏のことを「光り輝いており、温かく、まわりに影響のある人」というよりも、「太陽のような人」だと喩えたほうがイメージが伝わりやすいです。智慧を明かりに喩えたり、怒りを毒に喩えるなど、仏教では多くの譬喩が用いられています。

譬喩は、「開譬(かいひ)」と「合譬(がっぴ)」によって成り立っています。開譬とは、譬喩を開くことで、何らかを譬喩で表わすことです。合譬とは、喩えたことと教義とを合わせることです。単純な譬諭であれば、合譬は分かりやすいのですが、複雑な譬喩の場合は、合譬をするときに頭を使います。いきなり合譬はできませんので、法華経では、譬喩品の「三車火宅の譬え」によって開譬と合譬を説き、特に合譬を丁寧に伝えています。ここで、譬喩が、どのようなものなのかを学んでおかないと後で苦労します。というより、内容が分からなくなります。法華経の後半では、合譬が省略されるために、自分で合譬する必要があるからです。譬諭を譬喩として読まない人は、的外れな解釈をすることになります。

法華経は、別名が「譬喩経」というように、非常に多くの譬喩が使われています。よって、合譬する能力は身につけておく必要があります。
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ダルマ太郎
作成: 2024/05/08 (水) 17:53:53
最終更新: 2024/05/08 (水) 21:30:19
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1
ダルマ太郎 2024/05/08 (水) 18:35:29 修正

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身子(舎利弗)の自陳
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経:その時に舎利弗、踊躍(ゆやく)歓喜して即ち起って合掌し、尊顔を瞻仰(せんごう)して仏に白して言さく。今、世尊に従いたてまつりてこの法音を聞いて、心に踊躍を懐き未曾有なることを得たり。所以は何ん。我昔仏に従いたてまつりて是の如き法を聞き、諸の菩薩の受記作仏を見しかども、しかも我等はこの事に預らず。甚だ自ら如来の無量の知見を失えることを感傷しき。世尊。我常に独、山林樹下に処して、もしは坐し、もしは行じて、毎にこの念を作しき。我等も同じく法性に入れり、云何ぞ如来小乗の法を以て済度せられと。これ我等が咎なり、世尊には非ず。所以は何ん、もし我等、所因の阿耨多羅三藐三菩提を成就することを説きたもうを待たば、必ず大乗を以て度脱せらるることを得ん。しかるに我等、方便随宜の所説を解らずして、初め仏法を聞いて(たまたま)便ち信受し、思惟(しゆい)して証を取れり。世尊。我昔より来、終日竟夜(ひねもすよもすがら)毎に自ら剋責(こんしゃく)しき。しかるに今、仏に従いたてまつりて、未だ聞かざる所の未曾有の法を聞いて諸の疑悔を断じ、身意泰然として快く安穏なることを得たり。今日乃ち知んぬ。真に是れ仏子なり。仏口より生じ法化より生じて、仏法の分を得たり。
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R訳:舎利弗は、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)(踊り出したいほど喜ぶ)して立ち上がり、仏さまを仰ぎ見て申し上げました。世尊から『誰でも仏に成ることができる。そのことに疑念を持ってはならない』という強いお言葉を賜り、踊り出したくなるほどの大感激を覚えています。心は大歓喜に満ち、胸にからまっていた疑いの網はすっかりなくなりました。これまで私は世尊にお仕えし、『誰でも修行を積めば仏に成れる』とのお言葉は伺ってはいました。そして、多くの菩薩たちに授記(仏になれるという保証を与える)される場面を目の当たりにしました。しかし、このことは、私ども声聞や縁覚には無縁の、遠く及ばないことだと思っていました。私どものような声聞や縁覚の境地の者は、所詮、どんなに修行をしても絶対に悟りを得ること(仏に成ること)など無理なことだと諦めており、淋しく、悲しく思っていました。世尊よ。私はただ一人、林の中で木の下で座して瞑想し、歩きながら思索を深める時、いつも次のようなことを思い、嘆き、自分を責めていました。『自分たちは菩薩と同じように世尊のみ教えを伺うご縁を頂き、同じく(けが)れのない清浄な境地に至っているのに、なぜ世尊は我々には《大乗の教え》を説かず、《小乗の教え》だけを説かれるのだろうか』と世尊を責める気持ちがありました。しかし、こう思うのは、私たちが至らぬせいであり、少しも世尊の責任ではありません。すべては私たちの(とが)めとするところであります。

なぜならば、そもそも世尊は『仏に成れる大本(因)となる教え』をお説き下さっておられ、私たちは、何の心配も無くお待ちしていれば、いずれは《大乗の教え》をくださり、『誰でもが仏に成れる』教えである『法華経』を必ずお説き下さるはずであったからです。

それなのに私は、世尊からいただく《方便の教え》の真意を理解できず、教えの上辺だけを聞いて、すでに悟りを得ていたと勝手に思い込んでいました。ですから他の多くの菩薩たちだけが成仏の保証を頂くのを見て、『自分は授記を頂けない。自分は至らないダメな人間だ』と嘆き、そして『菩薩が得る素晴らしい境地などに、自分には到底、成就できるはずはない。今、自分が悟りを得ていたと思っていたことは、全くの思い過ごしで、自分で自分を騙していたのだ』と昼夜、自分を責めていました。

しかし、只今『方便品』にて、仏さまから未だかつて伺ったことの無い尊い教えを頂いて、すべての疑いも悔しい気持ちも、すっかりなくなってしまいました。今は心も体も安らかで、安穏な心持ちでございます。世尊は人と時と場合に応じてふさわしい教えを説かれ、すべての衆生を仏の境地にお導きされます。そのことが今こそハッキリと分かりました。
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太郎訳:その時に尊者シャーリプトラは、歓喜し躍るように立ち上がって合掌し、釈尊のお顔を仰ぎながら申し上げました。今、世尊の教えを聴かせて頂き、心に大きな喜びを懐いています。このような感動はめったにありません。なぜならば、私は昔、仏に従って、成仏の教えを聞き、諸々の菩薩たちが成仏の予言を受けるのを見ましたが、私たち声聞には、成仏の予言はありませんでした。私たちは、如来の無量の智慧を得ることはないのだと失望し、心を痛めていました。世尊。私は常に独りで、山林の樹の下で過ごし、坐ったり、または歩きながら、いつもこのようなことを考えていました。私たちも菩薩たちと同じように、真実を覚っています。しかし、なぜ如来は、私たちには小乗の教えばかりを説かれ、小乗の教えで救おうとされるのでしょう? このことは、私たちに問題がありました。世尊の責任ではありません。

なぜなら、もし私たちが、完全なる成仏の教えを説かれることをお待ちしていれば、必ずや、世尊は、大乗の道をお教え下さるのです。しかし、私たち声聞は、方便の教えの真意が分からなかったため、釈尊から頂いた最初の教えを信じ、その教えを深く思惟することによって、涅槃を得ることができたと思っていました。修行の目的を達成したと思っていたのです。しかし、菩薩たちとは、修行の目的が違うことに疑問を持っていました。菩薩たちの目的が成仏なのに、なぜ声聞の目的が解脱なのかと考えていました。

世尊。私は、昔からずっと、昼も夜もこのことを考え、自分たち声聞が菩薩たちよりも劣る存在なのかと自分を責め続けていました。しかし、今、仏に従って、これまでに聞いたことのない稀なる教えを聴いて、様々な疑いと悔やむ想いを断じ、身も心も落ちつき、心地よい安穏の境地になることが出来ました。今日、私は分かりました。私たちは、まことに仏の子なのです。仏さまの口から生まれ出て、仏さまの説法によって生まれ変わり、仏法を分けて頂いています。
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身子(舎利弗)の自陳
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2
ダルマ太郎 2024/05/08 (水) 19:57:36

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仏とは
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R論:世の中でいちばん自由自在な人はだれかといえば、もちろん仏です。
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太郎論:自由とは、スヴァ・タントラ svatantra の訳で、「自立・独立」という意味です。束縛から解放された状態のことなので、煩悩からの解放・輪廻からの解脱の意味もあります。自在とは、ヴァシター vaśitā の訳で、「自律・支配・服従」という意味です。自分の思い通りにすることです。よって、仏陀は自由自在な人だと言えるでしょう。

しかし、自由自在な人というのは、二次的な意味です。仏陀とは、ブッダ buddha の音写であり、意味は、「目覚めた者」です。何に目覚めたのかというと最高の真理です。つまり、妙法を覚ったので仏陀と呼ばれます。勝れた人であれば、自由自在の境地の人もいるかも知れませんが、妙法を覚ることはできません。妙法は、あるがままのことなので、肉体の眼では観ることができないのです。それを見ているというのは、眼で光をキャッチし、それを信号にして脳に送り、脳で仮設したものを見ているということです。実在のそれではなく、仮設されたものを見ているのですから、あるがままではありません。

妙法を観るには、智慧が必要です。智慧とは、真理を観る能力のことであり、最高の真理である妙法を完全に観た時、智慧は完成します。それを般若波羅蜜といいます。智慧の完成によって無上の覚りを得ます。その状態を成仏と言います。つまり、覚りを得るためには智慧の活性化が必要なのですが、一般人の智慧は煩悩によって塞がっているために眠った状態です。だから、まず煩悩を滅する必要があるのです。釈尊の成仏のことを「降魔成道」といいますが、ここで悪魔に喩えられているのが煩悩です。煩悩を降ろすことが先決だということです。
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仏とは
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3
ダルマ太郎 2024/05/09 (木) 17:02:57

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偈頌
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経:その時に舎利弗、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく。
:
太郎訳:その時に尊者シャーリプトラは、もう一度詩にして申し上げました。
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法を聞かざることを頌す
:
経)
 我この法音を聞いて 
 未曾有なる所を得て
 心に大歓喜を懐き 
 疑網 皆すでに除こりぬ
 昔より来 仏教を(こうむ)って 
 大乗を失わず
 仏の(みこえ)
 甚だ希有にして
 よく衆生の悩を除きたもう
 我すでに漏尽(ろじん)を得れども
 聞いて また憂悩を除く

:
:
太郎訳)
 私はこの素晴らしい教えを聞いて
 有り難い想いを起こし
 心に大歓喜を懐いて
 疑いの気持ちは
 すっかりなくなりました
 昔からこれまで仏さまの教えを頂いて
 今 最上の教えを得ることができました
 仏さまの教えは
 非常に稀な思想であり
 よく人々の悩みを除かれます
 私は すでに迷いをなくしていましたが
 今は また 教えに関する悩みも
 除くことができました

:
:
法を聞かざることを頌す
:
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4
ダルマ太郎 2024/05/09 (木) 20:38:30

:
法を聞かざることを頌す-2
:
経)
 我 山谷に処し 
 或は林樹の下に在って
 もしは坐し もしは経行して 
 常にこの事を思惟し
 鳴呼(うこ)して深く自ら責めき
 云何ぞ しかも自ら欺ける
 我等もまた仏子にして 
 同じく無漏の法に入れども
 未来に無上道を演説すること能わず

:
:
太郎訳)
 私は山谷にいて
 あるいは林の中の樹の下にいて
 ある時は坐り ある時は歩きながら
 いつも次のように思惟し
 心に感じ入って深く
 自分を責めていました
 私はまだ目的を達成していないのに
 達成していると自分で自分を欺いている
 私たちも菩薩と同じように仏の子であり
 同じように煩悩をなくす教えを学び
 修行をしてきましたが未来において
 人々に無上の仏道を説法するようには
 私たちは ならないでしょう

:
:
法を聞かざることを頌す-2
:
:

5
ダルマ太郎 2024/05/09 (木) 20:45:56

:
法を聞かざることを頌す-3
:
経)
 金色三十二 十力諸の解脱
 同じく共に一法の中にして 
 この事を得ず
 八十種の妙好 
 十八不共の法
 是の如き等の功徳 
 しかも我皆すでに失えり
 我独経行せし時 
 仏大衆に在して
 名聞十方に満ち 
 広く衆生を
 饒益(にょうやく)したもうを見て
 自ら惟わく この利を失えり 
 我これ自ら欺誑(ごおう)せりと

:
:
太郎訳)
 金色に輝く身体
 三十二の尊い相
 十力や様々な解脱は
 すべて一つの真実から
 発しているのでしょうが
 どれも私たち声聞は
 得ていません
 八十種の美しい相
 十八種の優れた特質
 このような様々な功徳も
 私たちは失っています
 私が独りで歩きながら
 教えを噛みしめていた時
 仏さまが多くの人々の前に現れて
 人々のために教えを説き広め
 広く人々に慈悲の心で
 利益を与えるのを見て
 私は思い知りました
 仏さまのような智慧を
 私はまだ得ていないと
 私は自分で自分を欺き ごまかし
 目的を達成したと
 思い込んでいたのです

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:
法を聞かざることを頌す-3
:
:

6
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 12:12:26

:
法を聞かざることを頌す-4
:
経)
 我常に日夜に 
 毎にこの事を思惟して
 以て世尊に問いたてまつらんと欲す 
 (さだ)めて失えりや
 (さだ)めて失わずや
 我常に世尊を見たてまつるに 
 諸の菩薩を称讃したもう
 是を以て日夜に 
 此の如き事を
 籌量(ちゅうりょう)しき
 今 仏の音声を聞きたてまつるに 
 宜しきに随って法を説きたまえり
 無漏は思議し難し 
 衆をして道場に至らしむ

:
:
太郎訳)
 常日頃 世尊のご様子を拝見いたしますと
 いつも菩薩たちを称賛されていましたので
 このことから日夜このように
 考え量っていたのです
 今 仏さまの素晴らしい教えをお聴きして
 仏さまが相手に応じて教えを説くことを知りました
 煩悩を滅する境地は
 考えの及ぶ所ではないのですが
 仏さまは その境地へと導いてくださいます

:
:
法を聞かざることを頌す-4
:
:

7
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 12:17:58 修正

:
法を聞かざることを頌す-5
:
経)
 我本邪見に著して 
 諸の梵志の師となりき
 世尊 我が心を知しめして 
 邪を抜き 
 涅槃を説きたまいしかば
 我悉く邪見を除いて 
 空法に於て証を得たり
 その時に心自ら(おも)いき 
 滅度に至ることを得たりと

:
:
太郎訳)
 私は仏教を知る前は 誤った思想に執着し
 多くのバラモンたちの師となっていました
 仏教教団に入ってからは
 世尊は私の心をよく見とおされ
 誤った考え方を正し
 涅槃の道を説いて下さり
 私は誤った思想を捨て去って
 空の悟りを得ることが出来ました
 私はこの時 覚りの境地に入ったと
 思い込んだのです

:
:
法を聞かざることを頌す-5
:
:

8
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 12:25:10

:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-1
:
経)
 しかるに今乃ち自ら覚りぬ 
 これ実の滅度に非ず
 もし作仏することを得ん時は 
 三十二相を具し
 天・人・夜叉衆 
 龍神等恭敬せん
 この時 乃ち謂うべし 
 永く尽滅して余なし と
 仏 大衆の中に於て 
 我当に作仏すべしと説きたもう
 是の如き法音を聞きたてまつりて 
 疑悔悉くすでに除こりぬ

:
:
太郎訳)
 しかし 今 私は
 はっきりと分かりました
 私は真の涅槃に入ったのでは
 なかったのです
 もし本当に成仏したのであれば
 世尊のように身体は金色に輝き
 三十二の徳のある姿となり
 天の神々や地上の人々や鬼神たち
 龍神たちから尊敬されるようになるはずです
 そのようになった時
 初めて真の涅槃に入ったと言えるのでしょう

:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-1
:
:

9
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 20:05:15

:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-2
:
経)
 初め仏の所説を聞いて 
 心中大に驚疑しき
 将に魔の仏と作って 
 我が心を悩乱するに非ずやと
 仏 種々の縁 譬諭を以て
 巧みに言説したもう
 その心安きこと海の如し 
 我聞いて疑網断じぬ

:
:
太郎訳)
 本日の説法の初め
 私は仏さまの教えを聞いて
 心の中では大いに驚き疑っていました
 仏の悟った智慧は非常に深く
 声聞には理解できないとおっしゃいましたが
 私には その意味がよく分かりませんでした
 私は すでに智慧を得ているのに
 どういうことなのかと驚きました
 悪魔が仏の姿に変身して
 私の心を悩まし
 乱しているのかと疑いました
 しかし仏さまが様々な過去の因縁や
 譬え話を交えて巧みにこの教えをお説きくださり
 私は心に安らぎを得て
 疑いの想いはなくなりました

:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-2
:
:

10
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 20:09:53

:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-3
:
経)
 仏説きたまわく
 過去世の無量の滅度の仏も
 方便の中に安住して 
 また皆この法を説きたまえり
 現在 未来の仏 
 その数量あること無きも
 また諸の方便を以て 
 是の如き法を演説したもう

:
:
太郎訳)
 世尊は過去世の真の涅槃に入られた
 無量の諸仏も
 方便の教えを通して
 最上の教えを説かれたことを
 讃えられました
 現在 未来の無量の諸仏も
 様々な方便の教えを通して
 最上の教えを説かれたことを
 讃えられました

:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-3
:
:

11
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 20:16:42

:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-4
:
経)
 いまの世尊の如きも 
 生じたまいしより 及び出家し
 得道し法輪を転じたもうまで 
 また方便を以て説きたもう
 世尊は実道を説きたもう 
 波旬(はじゅん)はこの事無し
 是を以て我定めて知んぬ 
 これ魔の仏と作るには非ず
 我疑網に堕するが故に 
 これ魔の所為と(おの)えり

:
:
太郎訳)
 今の世尊ご自身も
 誕生され出家し
 成道して教えを説かれたことを通して
 方便によって成仏へと導くことを
 明らかにされました
 世尊は真実の道を説かれました
 これは悪魔のなせることではありません
 このことから 私は
 はっきりと分かりました
 悪魔が化けた仏ではなく
 私が疑いを持ったために
 妄想によって悪魔の仕業と
 思っただけだったのです

:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-4
:
:

12
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 21:26:58

:
結成
:
経)
 仏の柔軟の(みこえ)
 深遠に甚だ微妙にして
 清浄の法を演暢したもうを聞いて 
 我が心大に歓喜し
 疑悔永くすでに尽き 
 実智の中に安住す
 我定めて当に作仏して 
 天・人に敬わるることをえ
 無上の法輪を転じて 
 諸の菩薩を教化すべし

:
:
太郎訳)
 仏さまの柔軟なお声は
 深遠であり非常に不思議です。
 清浄の教えをお説きになられたのを聞いて
 私の心は大いに歓喜し
 疑いの心は晴れ
 真実の智慧を得ることが出来ました
 私は、心を定めて成仏し
 天上界の神々や
 地上界の人々から敬われることとなり 
 無上の教えを説き弘め
 諸々の菩薩を教化いたします

:
:
結成
:
:

13
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 21:34:37 修正

:
第三如来の述成段
:
結成
:
経:その時に仏、舎利弗に告げたまわく。
吾今、天・人・沙門・婆羅門等の大衆の中に於て説く。我、昔かつて二万億の仏の所に於て、無上道の為の故に常に汝を教化す。汝また長夜に我に随って受学しき。我方便を以て汝を引導せしが故に、我が法の中に生ぜり。舎利弗。我、昔汝をして仏道を志願せしめき。汝今悉く忘れて、便ち自らすでに滅度を得たりと謂えり。我、今還って汝をして本願所行の道を憶念せしめんと欲するが故に、諸の声聞の為にこの大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説く。

:
:
太郎訳:その時に釈尊は、尊者シャーリプトラに告げました。私は、今、天上界の神々と地上界の人々、出家修行者、バラモン教の司祭の皆さんの前ではっきりと宣言いたします。私は、はるかな昔から、多くの諸仏の所において、あなたを成仏へと導くために教化してきました。あなたは長期にわたって、私に従い学んできました。方便によってあなたを導いた結果、あなたは仏の教えの中で生きるようになったのです。シャーリプトラよ。私は、昔、あなたに成仏を目指すようにと教えたはずです。あなたは、そのことをすっかり忘れてしまい今世では、方便の教えの段階で、既に涅槃を得たと思い込みました。私は、今、あなたに本来の願いと修行の道を思い出させたいと願い、諸々の声聞たちのために大乗経の妙法蓮華といわれ、菩薩教化の教えといわれ、諸仏が大切にしているこの教えを説くのです。
:
:
結成
:
:

14
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 22:01:12

:
第四如来授記段
:
経:舎利弗。汝、未来世に於て、無量無辺不可思議劫を過ぎて、若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し菩薩所行の道を具足して、当に作仏することを得べし。号を華光如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といい、国を離垢と名けん。その土平正にして清浄厳飾に、安穏豊楽にして天人熾盛ならん。瑠璃を地となして、八つの交道あり。黄金を縄と為して以てその側を界い、その傍に各七宝の行樹あって、常に華果あらん。華光如来また三乗を以て衆生を教化せん。舎利弗。彼の仏出でたまわん時は悪世に非ずといえども、本願を以ての故に三乗の法を説かん。その劫を大宝荘厳と名けん。何が故に名けて大宝荘厳という、その国の中には菩薩を以て大宝と為すが故なり。彼の諸の菩薩、無量無辺不可思議にして、算数譬諭も及ぶこと能わざる所ならん。仏の智力に非ずんばよく知る者なけん。もし行かんと欲する時は宝華足を承く。この諸の菩薩は、初めて意を発せるに非ず。皆久しく徳本を植えて、無量百千万億の仏の所に於て浄く梵行を修し、恒に諸仏に称歎せらるることを為、常に仏慧を修し大神通を具し、善く一切諸法の門を知り、質直無偽にして志念堅固ならん。是の如き菩薩其の国に充満せん。舎利弗。華光仏は寿十二小劫ならん。王子と為て未だ作仏せざる時をば除く。その国の人民は寿八小劫ならん。華光如来十二小劫を過ぎて、堅満菩薩に阿耨多羅三藐三菩提の記を授け、諸の比丘に告げん。この堅満菩薩、次に当に作仏すべし。号を華足安行(けそくあんぎょう)多陀阿伽度(ただあかど)阿羅訶(あらか)三藐三仏陀(さんみゃくさんぶっだ)といわん。その仏の国土もまたまた是の如くならんと。舎利弗。この華光仏の滅度の後、正法世に住すること三十二小劫、像法世に住すること亦三十二小劫ならん。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。あなたは未来世において、無量の時を過ぎて、多くの諸仏を供養し、正しい教えを保ち菩薩行を実践して、遂には成仏するでしょう。名を華光如来といい、人々からの尊敬を受ける聖者となり、智慧と行を完成させた人であり、人格完成を果たした人、世間をよく理解した人、人として最高の人、人々をよく調える人、天上界の神々と地上界の人々の師、そして目覚めた人、世で尊敬される人となるでしょう。国を離垢といいます。その国土は平坦で、すべてが清浄であり、安穏にして、楽しみが満ち溢れ、天の神々も地上の人々もイキイキとしています。青色の美しい宝石を地面に敷きしめ、八方に均された道が通っており、黄金のロープにて道路の両側を縁取り、道路の外側には街路樹があり、その樹には、いつも美しい花と実がついています。華光如来もまた、三乗という方便を説いて人々を教化します。シャーリプトラよ。華光如来が世に出る時代は、悪世ではありませんが、すべての人々を成仏に導くという本願をもって、三乗という方便の教えを説きます。その時代を大宝荘厳といいます。なぜ、この名があるのかというと、この国は菩薩を最高の宝とするからです。華光如来が教主となる離垢という国には、無量の菩薩たちが住んでいて、その数はとても数えられるものではありません。仏の智力でなければ把握できません。その菩薩たちが歩く時、その足元には宝石の紅蓮華が生じて、菩薩たちはその上を歩きます。この菩薩たちは、この国で初めて覚りを求めたのではなく、皆、非常に長い間、善行を行い、無量の仏に従って、浄き身となる修行をし、諸仏に褒め称えられ、常に智慧を修め、不思議な力を身に付けて、あらゆる教えに精通して素直で偽りがなく、成仏を目指す志は堅固です。このような菩薩が、この国には充満しています。シャーリプトラよ。華光如来の寿命は十二小劫です。王子となって成仏するまでの期間は除きます。その国の住人の寿命は八小劫です。華光如来が世に出て、十二小劫が過ぎて弟子の堅満菩薩に成仏の保証を授けました。諸々の出家の修行者たちを前にして華光如来に未来の成仏を予言しました。名前を華足安行如来と言い、その仏の国土もまたこのようになるでしょう。シャーリプトラよ。この華光如来が滅した後、仏の教えは三十二小劫の間、正しく伝わります。その後、教えはあっても、形だけのものであり人々を成仏に導けない期間が三十二小劫続きます。
:
:
第四如来授記段
:
:

15
ダルマ太郎 2024/05/10 (金) 23:05:29

:
偈頌
:
経:その時に世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく。
:
:
太郎訳:その時に釈尊は、尊者シャーリプトラへの授記の内容を、もう一度、詩にして説かれました。
:
:
授記-1
:
経)
 舎利弗来世に 仏普智尊と成って
 号を名けて華光といわん 
 当に無量の衆を度すべし
 無数の仏を供養し 
 菩薩の行 十力等の功徳を具足して 
 無上道を証せん
 無量劫を過ぎおわって 
 劫を大宝厳と名け 世界を離垢と名けん 
 清浄にして瑕穢(けえ)なく
 瑠璃を以て地となし 金縄其の道を界い
 七宝雑色の樹に 常に華果実あらん

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太郎訳)
 シャーリプトラよ
 あなたは未来世において成仏し
 名を華光如来と言われるでしょう
 あなたは無量の人々を救います
 無数の諸仏を供養し
 菩薩行を実践し
 十種の力を身に付けた後に
 最も優れた最高の悟りを得るでしょう
 無量の時が流れた後
 時代を大宝厳と名付け
 その仏国土を離垢と言います
 清浄にして欠点や穢れがなく
 大地は瑠璃という宝石でおおわれ
 黄金の縄で道路を仕切り
 街路樹には常に美しい花と
 実がなっています

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授記-1
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16
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 11:01:21

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授記-2
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経)
 彼の国の諸の菩薩 
 志念 常に堅固にして
 神通・波羅蜜 
 皆すでに悉く具足し
 無数の仏の所に於て 
 善く菩薩の道を学せん
 是の如き等の大士 
 華光仏の所化ならん
 仏王子たらん時 
 国を棄て世の栄を捨てて
 最末後の身に於て 
 出家して仏道を成ぜん

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太郎訳)
 その国の菩薩たちの志は固く
 神通力と智慧・慈悲の力を
 誰もが具えています
 他の国で諸仏のもとで
 修行をしてきた者たちも
 華光如来のところに転生し
 その国土に住むことになるでしょう
 華光如来が王子として生まれたときに
 家を捨て国を捨て
 あらゆる愛欲を捨て去って
 最後身の後の身体において
 出家して成仏を果たします

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授記-2
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17
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 11:08:41

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授記-3
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経)
 華光仏世に住する 寿十二小劫
 その国の人民衆は 寿命八小劫ならん
 仏の滅度の後 正法世に住すること
 三十二小劫 広く諸の衆生を度せん
 正法滅尽しおわって 像法三十二
 舎利広く流布して 天・人普く供養せん
 華光仏の所為 その事皆是の如し
 その両足聖尊 
 最勝にして倫匹(りんぴつ)なけん
 彼即ちこれ汝が身なり 
 宜しく応に自ら欣慶(ごんきょう)すべし

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太郎訳)
 華光如来が世に住む寿命は
 十二小劫です
 その国の人々の寿命は
 八小劫です
 華光如来が入滅した後
 三十二小劫の間は
 正しく教えが伝わり
 広く人々を救います
 正しい教えが滅した後は
 三十二小劫の間
 形だけの教えが残ります
 華光如来の遺骨は
 細かく砕かれて
 国中に配られ
 仏塔に納められ
 天上界の神々と
 地上界の人々から
 広く供養を受けます
 華光如来の成仏の様子は
 以上の通りです
 華光如来は
 最勝にして諸仏と同じ境地にあります
 その仏とは シャーリプトラよ
 あなたなのです
 大いにお喜びなさい

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授記-3
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18
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 11:17:55

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第五四衆の領解段
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経:その時に四部の衆・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽等の大衆、舎利弗の仏前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心大に歓喜し踊躍すること無量なり。各各に身に著たる所の上衣を脱いで以て仏に供養す。釈提桓因(しゃくだいかんにん)、梵天王等、無数の天子と、また天の妙衣・天の曼陀羅華(まんだらけ)摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)等を以て仏に供養す。所散の天衣、虚空の中に住して自ら回転す。諸天の伎楽百千万種、虚空の中に於て一時に倶に作し、衆の天華を雨らして是の言を作さく。
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太郎訳:その時に、男性の出家修行者、女性の出家修行者、男性の在家修行者、女性の在家修行者、天上界の神々やナーガ、ヤクシャ、ガンバルヴァ、アスラ、ガルダ、キンナラ、マホーラガなどの大衆は、尊者シャーリプトラが授記されるのを見て躍り上がって大喜びしました。人々は、各々が着ている上衣を脱いで仏さまを供養しました。シャクラ天(帝釈天)、ブラフマー神(梵天王)、無数の神々は、天の不思議な衣、天の美しい花々であるマンダーラヴァ(曼陀羅華)、大マンダーラヴァ(摩訶曼陀羅華)をふらせて、仏さまを供養しました。散らされた天衣は、空一面にまかれており、それぞれが、くるくると回転していました。天上界の楽師たちが様々な楽器を空中で奏で、一斉に調和をとって演奏し、多くの天の花をふらしてこのように言いました。
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第五四衆の領解段
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