「コピー」という身体のあり方は私たち人間にはないので、その独自の身体性に基づいたAIの「体感」は伺い知れないですね。いや、自分が大切にしているもの、たとえば洋服とかが損傷されるときの感情に近いのかとも考えました。いずれにせよ、身体性由来の認知、感情を考えると、種による差異、あるいは人間と非人間の差異に想像を巡らせるのは楽しそうです。 10点差し上げます。
「母国語によるものだろうか」と疑問を呈し、「生まれた場所の文化や考え方によって見方が変わるのだと思う」と主張しています。しかし後者の根拠がない。ただ地域で違うと言っているだけ。どうして違うのでしょうね。また、母国語と文化が区別可能なものかという考察もないです。問題提起はよかったです。また頑張ってみてください。 5点差し上げます。
採点対象となる投稿は締め切りました。体調不良によりフィードバックが遅れています。すみません。
今回の講義では、主にレスポンデント行動とオペラント行動という二つの行動について学び、また、人間の脳と体の関係について昔から多くの研究がされてきたということを知った。レスポンデント行動は、刺激と刺激を時間的に接近させて呈示することによって、その関係を学習させるレスポンデント条件付けにより形成される。そしてオペラント行動は、報酬や罰などの条件によって行動が変化するオペラント条件付けにより形成される。外部からの刺激が与えられるかどうによってどの行動が誘発されるかは異なり、外部からの刺激が与えられ、その刺激によって反射的に起こる反応がレスポンデント行動、刺激が与えられず、自発的に行動が誘発された際はオペラント行動と分けることができる。特にレスポンデント行動は、外部から刺激により行動が誘発されるため、その過程に関して、まるで行動がパターン化されているロボットと本質は似てるとも言えるだろう。しかし、人間がロボットような与えられた刺激にのみ応じる存在と言われれば違う。何故ならば、オペラント行動が存在し、過去の結果等から学び、環境に適応するような行動を学習し、自発的に行動が生じるためである。例えば、他人の本に落書きをして怒られた際に、人の本に落書きをしたら怒られるから落書きをやめる。これは過去の落書きをして怒られたと言う結果から学び、怒られないようにと落書きを行うのをやめるように自発的に行動している。このように、人の行動には頭で考えて行うものもあれば、熱いものを触った際に咄嗟に手を引っ込めるなどの頭で考える前に体が咄嗟に動く場合もある。人は頭と体の二つが交わることによって様々な行動をするようになり、これが今に至るまでに人の行動原理などを研究しようとした研究者たちによって難解なものであったということを知り、納得することができた。
学籍番号つけるの忘れました
今回の講義でレスポンデントとオペラントについて学んだ。それら2つをわかりやすく一言でいうと、「レスポンデント」は、反応による「行動」のことで「オペラント」は、自発的な「行動」のことであるとわかった。「レスポンデント」を日常的な例で表すと熱いものを触ると、手を引っ込めるなど寒いところに行くと、体が震えるといったことが挙げられる。対して「オペラント」は、何かを提示して、その反応によって、無条件で行動するのではなく、自発的に自分から行動する「行動」のことだとわかった。個人的には「レスポンデント」は「レスポンス」に似ていて、「オペラント」は「オペレーション」に似ているので置き換えて解釈するのも大事だと感じた
今回の講義でオペラント行動とレスポンデント行動について学びました。行動がどのように形成されるかがよく理解でき、オペラント行動では、報酬や罰が行動に影響を与えることが身近で分かりやすく、自己のモチベーションや習慣と結びついていると感じました。レスポンデント行動では、無意識の反応が条件付けられるプロセスが興味深く、日常の感情や習慣にも影響していることに気付きました。これらの知識を日常生活にも役立てれると思いました。
今回の講義では、人間の体と脳は思考にリンクしているということが理解できました。私の癖で大勢の前などの発表で喋り始めに無意識に「あっ 」と言ってしまうことがよくあり、自分でも今回の講義を受ける前まではなぜ癖は出てしまうのかわかりませんでした。ですが、講義を聞いて行動自体が思考を助けているということがわかりました。人間の体には思考が含まれており、体自体が私たちの認知の一つであることが理解できました。 また、どういう言語を取得しているかで思考や感情は変わると言うことも理解することができました。私たち、日本人が持つ当たり前は、外国の方には当たり前と思わないこともあります。例えば、虹は何色なのかという質問で、日本は7色だが外国は3色であるそうです。これらのことから、思考や感情は言語によって変わるということが理解できました。
今回の講義を受けて、レスポンデント行動と、オペラント行動について学ぶことができた。。レスポンデント行動とは記憶したことを脳が勝手に機能させるという行動で、例を挙げると、日曜日の夜になると気分が落ちる、例えばサザエさんを視聴することによって日曜日が終わってしまうといったことを自発的に考え、気分が落ち込んでしまうといった行動で、オペラント行動は過去の体験から自分にとって特になる行動をとるようになる行動で、例を挙げると猿がベルを鳴らすと少量のえさが与えられ、その体験からサルはベルを鳴らすことによって餌をもらうことができる思いベルを鳴らすといったような行動である。これからわかることは自分がしたことでいい思いをしたことは何度でもするが、苦い経験をしたことはできるだけ避けてしまうという行動を引き起こすということである。
今回の授業を通して、オペラント行動とラスポンデント行動について学ぶことができた。オペラント行動とは、弁別刺激によって引き起こされる行動のことである。例としては、ゴミを掃除したらお母さんがお小遣いをくれた。それが嬉しかったからもっとゴミ拾いをするようになった。などということである。 ラスポンデント行動とは、反射と呼ばれる行動。行動の原因は時間的に行動の前にあるということ。例としては、梅干しを見る→唾液が出る、目に埃が入る→涙を流す」などである。このことから、オペラント行動は条件付けの前に反応が起こる必要があり、その反応は随意的であるとわかった。ラスポンデント行動は、条件付けの前に反応が起こる必要はなく、対象となる反応は不随意であると学ぶことが出来た。
今回の授業ではレスポンデント行動・オペラント行動について学びました。レスポンデント行動を行動の先立つ環境変化によって誘発される行動、オペラント行動を行動ののちの環境変化によってその生起頻度が変化する行動と学び、簡単に言えば、自分の意思が介入しているのかしていないかなのだと思いました。日常生活においてどのくらいの比率なのか疑問に思い調べてみたところ、レスポンデント行動:オペラント行動=1:20の割合だと推測されており、私たちにとって大切なほとんどはオペラント行動であり、生活に苦痛をもたらしているほとんどはレスポンデント行動によるものだと知りました。ここで疑問に思ったことがあります。高所恐怖症や閉所恐怖症など、特定の状況になると起きてしまうパニック発作がありますが、こういった1人1人個人差のある現象はどちらに含まれるのでしょうか。恐怖に抗えないことからレスポンデント行動のような反射的に起こってしまう行動のように考えられますが、回避行動が形成されるためオペラント行動に含まれるのではないかと考えました。
今回の講義を受けて、レスポンデント行動とオペラント行動という2つの行動について興味を持ちました。 反射的に出る行動がレスポンデント行動で、レスポンデント行動について調べたところ、例えば、梅干しを見たら唾液が出るなどの反射的行動があげられるということが分かりました。 逆にオペラント行動というのは報酬や刺激を求めて、自発的に行動してしまうことだと知り、より我々と身近な存在だと思いました。
今回の授業では、レスポンデント行動とオペラント行動について興味を持ちました。レスポンデント行動は、簡単にいうと反射的行動であり時間的に行動の前に発生する動きであり、良く言えば考える間もなく無意識のうちに反応でき、悪く言えば自分では制御出来ない行動であると考えました。オペラント行動は、自発的に起こす学習性の行動で、時間的に行動の後に発生する動きであり、過去の結果から学習し、その状況に適応するように行動をすることで、自発的に生じた行動であるり、オペラント行動は失敗を繰り返さないようにする為に意識することが出来ると考えました。私たちは、無意識のうちにレスポンデント行動とオペラント行動を使っており、有効的に使っていきたいと思いました。
今回の講義でオペラント行動、レスポンデント行動について学ぶことができた。オペラント行動は報酬や嫌悪刺激に適応して、自発的に行動することであり、条件付けでは行動が報酬によって強化されてしまう場合将来的に行われると思った。レスポンデント行動は古典的条件付けに関連するものであり、刺激に対して自動的に引き起こされる反応であることが分かった。これは心理療法において重要だと思い、不安障害になどの治療にも使えるのではないかと思った。
今回の講義でレスポンデント行動とオペラント行動についてとても面白いと思いました。普段気づかない反応を明らかにすることが面白いと思いました。例えば、特定の音や匂いに対して無意識に反応することがあり、自分の行動の背後にある手助けになること。特にオペラント行動では、行動が強化される過程が面白いと思いました。たとえば、褒められることで良い行動が増えることを実感したり、逆に罰を受けることで行動が減る経験があることが納得しました。
行動にはレスポンデントとオペラントがあることを理解した。この2つは外部からの刺激があるか、ないかでかわり、外部から刺激があればそれによる反射でレスポンデント反応がおこる。刺激なく自発的に行う行動をオペラントということがわかった。
今回の講義で、頭(脳)と体があって初めて様々な思考が始まるということがわかった。様々な環境と自分の身体が出会うことで出てくる行動があるとわかったが、これは視覚から得られる外の情報をもとに動いているのかなと疑問に思った。私は、最初に、真っ暗な中では行動を起こせなくなったり自分の頭の中だけで思考が行われるのかと考えたが、この「真っ暗」という環境も人間の様々な行動を起こす要因なのだという考えに至った。真っ暗だから手を伸ばして空間を把握しようとするし、何も見えないから不安な気持ちが起きたりする。もし人間が生まれてから死ぬまで光や景色を見ることができなかったら、思考は起きないのだろうか。視覚障害者は視覚以外の聴覚や嗅覚、触覚を使って世界を認知しているが、視覚に限らず様々な感覚を使って思考を巡らせている。手や耳や身体があることで、外の世界との接点ができ、触れ合うことで様々な行動が起きる。人間の思考の始まりはコンピュータの入力とはかなり異なるということが分かり、前回の記憶の貯蔵庫モデルのようなコンピュータアナロジーをどのように捉えればよいか自分の中でより鮮明になった。これだけでなく、行動が思考を助けることもある。考える時にあごに手を当てたりする(無意識のうちに)のにも意味があり、人間の身体やその動きが思考を助けている事実を理解することができた。
今回の講義を受けて、人間の脳の仕組みや働きを紐解くのに多くの時間や研究があったのだと改めて感じました。昔の人は現代のような技術も前例もない中で、人間の行動や思考の同一性や個人差などの要素を、主観と隔てて考え「説」を提唱した科学者たちは偉大な功績を残したのだと思いました。実際、昔に提唱されていた説や論文もテクノロジーの進歩の中でコンピューターアナロジーが確立し、掘り返されるかのような形で、時を経て脚光を浴びるケースがあり、コンピューターアナロジー以前の時代に行動や記憶の関連性を難しいプログラムのように紐解いたという事例には敬意を表するべきだと考えました。また、認知科学は脳の学問であり、レスポンデント、オペラントのように国や言語が異なっても、全世界共通で起こす行動、所作があるという話を受け、認知科学らしさ、脳の科学らしさを感じました。人間とAIとの決定的な違いとして、講義の中にあった「英語と中国語の翻訳の例」や「爆弾処理の例」でも挙げられたように、人間は当たり前のようにできるような事象でも、ロボットやAIは処理に追われ、その場で立ち尽くしてしまうというものです。AIで人間の脳を再現することができないように、認知科学の下で言葉や図を使用して人間の行動や思考を図解するのはとても難しいように感じました。
今回の授業でレスポンデント行動について興味を持った。レスポンデント行動とは反射とも呼ばれ、特定の誘発刺激によって引き起こされる受動的な行動ということがわかった。レスポンス行動について調べてみると普段コーヒーを愛飲している人に、カフェインレスのコーヒーを飲んでパソコンゲームをしてもらうと、カフェインを摂取していないのに、水を飲んだ場合よりもゲームの効率がアップし、カフェインの覚醒作用が現れた。また反対にアルコールを日常的に飲む人に、ノンアルコールビールを飲んでゲームをしてもらうと間違いが多くなった。これはコーヒーやビールに近い匂いや色、味などが引き金となって、条件反応が起こるため。レスポンデント行動はこのように経験から物が違っても効果があることにびっくりした。レスポンデント行動をしない、抑制する方法はあるのか気になる。
今回の授業ではギブソンの生体心理学と表象主義について興味を持った。人間の知覚は環境との相互作用によって形成されるとギブソンは言っており、環境と体、頭の関係が重要なんだなとわかった。授業の例えでいっていた椅子の例がすごいわかりやすかった。「座れる」と言うのは身体のサイズや高さに関係していると言うことだ。 レスポンデント行動を聞いた時一番初めにパブロフの犬を思い出した。 元々何かでパブロフの犬を知っていたので理解しやすかった。オペラント行動はどのような例があるのか調べたらスキナーの箱が出てきた。二つの実験を比べてみると自動的にしているレスポンデント行動と自発的にしているのがオペラント行動だった。実験や例を通してみると非常にわかりやすかった。
>> 68 この投稿を見て、そういえば蝶と蛾を区別しない言語があると聞いたことがあったなと思い少し調べてみたところ「サピア=ウォーフの仮説」というものが見つかった。 これは言語がそれを母語とする人の思考に影響を与えるという考えで、虹の色の話が取り上げられている説明も複数あった。 この仮説には、その言語で言語化できないものは思考もできないという「強い仮説」とその言語で言語化できないものも思考できるが言語の思考への影響は存在するという「弱い仮説」の2種類があるということだが、強い仮説の方は否定材料が見つかっており正しくないとされていることもあるようだ。 何かを指す語彙がないのは今までそれを別の何かと区別したり指し示したりする必要がなかったから、という言語が思考に影響するだけではない面もあるだろう。
今回の講義の内容を振り返ってみて、『アイの物語』という小説を思い出した。 この作品には自分で考えて行動できるAIロボット達が登場するのだが、彼らは日本語でこそあるが私達には理解できない言葉で会話をしている。これについて、作中であるAIが「自身のコピーが虐待を受けた上で削除されたことに対する感情を表現したいが、人間はもう一人の自分が殺される経験などしたことがないので、適切な表現がない」として新たな言い回しを作る場面がある。これは認知科学について扱ったものではないし、フィクションなので実際にそうであるとは言えないが、身体によって思考が左右されるということは上記の場面に近いところがあるのではないかと考えた。このAI達は自身の感情の程度を表す指標を使って正確な意思疎通を実現している。現実の人間にもそのようなことができたら、その人の考え方というものはどこから来るのかなど、意識や思考についての理解が進むかもしれない。
今回の講義で気になったことがあった。それはどの言語を母国語にするかによって見方が変わるという話である。確かに、教授が説明してくれた通り、各言語圏で虹の見え方が変わるなどの認識の違いがあるだろう。しかし、それは本当に母国語によるものだろうか。私は生まれた場所の文化や考え方によって見方が変わるのだと思う。調べていくと、文化と言語は密接な関係にあり、文化があるから言語があってその逆も然りということだった。また、虹の見え方が異なる理由は色を表現する言語が違うためで、同じものは見えているが捉え方に言語での表し方に差が出るためであった。例えば、アメリカやイギリスは6色、ドイツやフランスは5色、ロシアは4色である。このことから、母国語と文化によって物事の捉え方が変わるということが分かった。もしかしたら、認知科学が主にヨーロッパで発展していったのは物事を表現する言語のレパートリーが少なかったがゆえにみんな捉え方が同じでそれに違和感を覚えた天才が多かったからなのかなと思った。
学説を体験に当てはめてみることは、学説の理解に繋がりとてもいいことだと思います。その一方で、体験に当てはまらない部分はありまんせんか。そこに学説の不十分さがあり、学説が発展する余地があります。またあらゆる学説は歴史的産物なので、ある学説の発想がどういう時代の産物なのかを考えてみるのも面白いですね。 4点差し上げます。
学説を自分の体験に当てはめたり、学説によって自分の体験を説明してみたりすることはよい訓練になります。また興味が湧いた場合は、どうしてそれを面白いとか不思議に思うのかを併せて考えるといいですよ。 4点差し上げます。
特定の学説を解説しているようですが、それが歴史的な背景を持って成立しているのだということをいることが最も知ってほしいことです。学説を鵜呑みにするのでなく、どういうところが私たちの経験と食い違っているのかという視点で吟味しても面白いですよ。 4点差し上げます。
「環境から刺激を受ける」という考え方は、生態心理学的にみた場合、間違いです。それはワトソン流の行動主義の考え方で、人間は受動機械である見解です。人間をコンピュータになぞらえる認知科学の一派の思想も基本的にこれです。スキナーやギブソンは能動的な生体というのを根本に置いています。生体は刺激を選択しているのであって、受動しているわけではないという考え方です。また「刺激」というと物質とエネルギーによる作用を連想するので、ギブソンは使用しません。「情報」を使います。このへんについては、今のところ微妙な差異しか感じられないかもしれませんが、まったく違います。引き続き学習を継続してくださいね。世界の見方が変わりますよ。 どんな天才でも、時代や歴史から独立には存在できないようです。よってどんな天才の発想も、いずれは古くなります。天才たちの業績のどういうところが時代の産物なのかを考えてみても面白そうですね。 8点差し上げます。
紹介した学説は特定の歴史的背景で有力になったものなので、普遍的な真実とは思わないでくださいね。どういうところに弱点があるかを考えてみるといいと思いました。 3点差し上げます。
その学説はある歴史的背景で有効なものかもしれません。自分の体験とずれているところを探して、学説の弱点を見つけることも楽しいですよ。 3点差しけあげます。
記憶の学説を紹介しましたが、それは歴史的な流れと特定の背景において、有力な学説であるという見方ができるとなおいいと思いました。 3点差し上げます。
勉強して知識を得ましたね。いいことです。しかしそれは「とりあえずの真」であり、説明できないことも多々あると思います。批判的(建設的)に学説を吟味することにも挑戦してみてください。 3点差し上げます。
勉強してくださってありがとうございます。ここまでの投稿とそれらへのコメントも参考にしてください。ある学説を盲信してはいけません。私たちの経験とずれるところを発見できると、学説の弱点がわかります。そういう思考のトレーニングもするといいですよ。 3点差し上げます。
よく勉強できました。この学説もまた歴史的産物で、「とりあえずの真」であることはこれまでの方の投稿とそれへのコメントに現れています。参考にしてください。 3点差し上げます。
自分の体験と結びつけて考えようとす態度は大切です。ただしあなたの日常体験と響くところがあると思っても、勘違いということがあります。断片的に知識らしきものをつまみ食いするにとどまらず、深掘りして考えると楽しいですよ。結論だけを知っても、どうしてそう言えるのかを説明できると、本当の意味で学んでことになります。スキナーの主張は意外だと思いませんか。「心があるのは、人間には言語があるから」というのはスキナーの主張ではなかったかと思います。「行動理論への招待」を読みましょう。 5点差し上げます。
よく勉強してくれました。直近の方の投稿とそれらへのコメントも参照してください。 3点差し上げます。
よく勉強してくれました。この学説もまた歴史的産物であります。直近の方のコメントにも書きました。参考にしてください。 4点差し上げます。
いろいろ考えてくれました。どこが革命的に感じたのか、その理由は何だったのかを知りたいと思いました。 5点差し上げます。
よく勉強してくれました。貯蔵庫モデルは有名な学説ですが、これもまた歴史的産物です。特にコンピュータに人間をなぞらえる「コンピュータアナロジー」の産物です。こういう視点からも眺めてみてくださいね。 5点差し上げます。
採点対象となる投稿は締め切りました。
今回の講義を受けて、記憶には種類があり、それぞれ役割があるとわかった。まず、視覚や聴覚といったそれぞれの感覚器官から入力された情報を保存する感覚記憶。次に一時的に数個程度の情報を保存する短期記憶。そして半永久的に大量の情報を保存する長期記憶の3つが主にあるとわかった。それぞれさらに調べてみると感覚記憶は例として教科書を開いて文字を目に入れてはいるものの、内容を理解しているわけではないという状態が挙げられ自分もこのような状態になることもよくあったのでとても共感した。そして感覚記憶のうち、覚えようと意図された情報が、短期記憶に入り、例えば授業の小テストの前に集中して英単語を覚えて、その日の終わりにはすっかり忘れているといった事例は短期記憶に該当しているとわかった。また長期記憶は長期にわたって情報を保持することができ、容量も大きい点が特徴であるとわかった。個人的に気になったのは感覚記憶から短期記憶に移り変わることができるのか、そしてそのメカニズムはどうなっているのか気になった。その他にもかなり昔の記憶で自分にとってはどうでもいいような会話を今でも覚えてることがあり、これはどういった仕組みで起こっていることだろうと気になった。
「コピー」という身体のあり方は私たち人間にはないので、その独自の身体性に基づいたAIの「体感」は伺い知れないですね。いや、自分が大切にしているもの、たとえば洋服とかが損傷されるときの感情に近いのかとも考えました。いずれにせよ、身体性由来の認知、感情を考えると、種による差異、あるいは人間と非人間の差異に想像を巡らせるのは楽しそうです。
10点差し上げます。
「母国語によるものだろうか」と疑問を呈し、「生まれた場所の文化や考え方によって見方が変わるのだと思う」と主張しています。しかし後者の根拠がない。ただ地域で違うと言っているだけ。どうして違うのでしょうね。また、母国語と文化が区別可能なものかという考察もないです。問題提起はよかったです。また頑張ってみてください。
5点差し上げます。
採点対象となる投稿は締め切りました。体調不良によりフィードバックが遅れています。すみません。
今回の講義では、主にレスポンデント行動とオペラント行動という二つの行動について学び、また、人間の脳と体の関係について昔から多くの研究がされてきたということを知った。レスポンデント行動は、刺激と刺激を時間的に接近させて呈示することによって、その関係を学習させるレスポンデント条件付けにより形成される。そしてオペラント行動は、報酬や罰などの条件によって行動が変化するオペラント条件付けにより形成される。外部からの刺激が与えられるかどうによってどの行動が誘発されるかは異なり、外部からの刺激が与えられ、その刺激によって反射的に起こる反応がレスポンデント行動、刺激が与えられず、自発的に行動が誘発された際はオペラント行動と分けることができる。特にレスポンデント行動は、外部から刺激により行動が誘発されるため、その過程に関して、まるで行動がパターン化されているロボットと本質は似てるとも言えるだろう。しかし、人間がロボットような与えられた刺激にのみ応じる存在と言われれば違う。何故ならば、オペラント行動が存在し、過去の結果等から学び、環境に適応するような行動を学習し、自発的に行動が生じるためである。例えば、他人の本に落書きをして怒られた際に、人の本に落書きをしたら怒られるから落書きをやめる。これは過去の落書きをして怒られたと言う結果から学び、怒られないようにと落書きを行うのをやめるように自発的に行動している。このように、人の行動には頭で考えて行うものもあれば、熱いものを触った際に咄嗟に手を引っ込めるなどの頭で考える前に体が咄嗟に動く場合もある。人は頭と体の二つが交わることによって様々な行動をするようになり、これが今に至るまでに人の行動原理などを研究しようとした研究者たちによって難解なものであったということを知り、納得することができた。
学籍番号つけるの忘れました
今回の講義でレスポンデントとオペラントについて学んだ。それら2つをわかりやすく一言でいうと、「レスポンデント」は、反応による「行動」のことで「オペラント」は、自発的な「行動」のことであるとわかった。「レスポンデント」を日常的な例で表すと熱いものを触ると、手を引っ込めるなど寒いところに行くと、体が震えるといったことが挙げられる。対して「オペラント」は、何かを提示して、その反応によって、無条件で行動するのではなく、自発的に自分から行動する「行動」のことだとわかった。個人的には「レスポンデント」は「レスポンス」に似ていて、「オペラント」は「オペレーション」に似ているので置き換えて解釈するのも大事だと感じた
今回の講義でオペラント行動とレスポンデント行動について学びました。行動がどのように形成されるかがよく理解でき、オペラント行動では、報酬や罰が行動に影響を与えることが身近で分かりやすく、自己のモチベーションや習慣と結びついていると感じました。レスポンデント行動では、無意識の反応が条件付けられるプロセスが興味深く、日常の感情や習慣にも影響していることに気付きました。これらの知識を日常生活にも役立てれると思いました。
今回の講義では、人間の体と脳は思考にリンクしているということが理解できました。私の癖で大勢の前などの発表で喋り始めに無意識に「あっ 」と言ってしまうことがよくあり、自分でも今回の講義を受ける前まではなぜ癖は出てしまうのかわかりませんでした。ですが、講義を聞いて行動自体が思考を助けているということがわかりました。人間の体には思考が含まれており、体自体が私たちの認知の一つであることが理解できました。
また、どういう言語を取得しているかで思考や感情は変わると言うことも理解することができました。私たち、日本人が持つ当たり前は、外国の方には当たり前と思わないこともあります。例えば、虹は何色なのかという質問で、日本は7色だが外国は3色であるそうです。これらのことから、思考や感情は言語によって変わるということが理解できました。
今回の講義を受けて、レスポンデント行動と、オペラント行動について学ぶことができた。。レスポンデント行動とは記憶したことを脳が勝手に機能させるという行動で、例を挙げると、日曜日の夜になると気分が落ちる、例えばサザエさんを視聴することによって日曜日が終わってしまうといったことを自発的に考え、気分が落ち込んでしまうといった行動で、オペラント行動は過去の体験から自分にとって特になる行動をとるようになる行動で、例を挙げると猿がベルを鳴らすと少量のえさが与えられ、その体験からサルはベルを鳴らすことによって餌をもらうことができる思いベルを鳴らすといったような行動である。これからわかることは自分がしたことでいい思いをしたことは何度でもするが、苦い経験をしたことはできるだけ避けてしまうという行動を引き起こすということである。
今回の授業を通して、オペラント行動とラスポンデント行動について学ぶことができた。オペラント行動とは、弁別刺激によって引き起こされる行動のことである。例としては、ゴミを掃除したらお母さんがお小遣いをくれた。それが嬉しかったからもっとゴミ拾いをするようになった。などということである。
ラスポンデント行動とは、反射と呼ばれる行動。行動の原因は時間的に行動の前にあるということ。例としては、梅干しを見る→唾液が出る、目に埃が入る→涙を流す」などである。このことから、オペラント行動は条件付けの前に反応が起こる必要があり、その反応は随意的であるとわかった。ラスポンデント行動は、条件付けの前に反応が起こる必要はなく、対象となる反応は不随意であると学ぶことが出来た。
今回の授業ではレスポンデント行動・オペラント行動について学びました。レスポンデント行動を行動の先立つ環境変化によって誘発される行動、オペラント行動を行動ののちの環境変化によってその生起頻度が変化する行動と学び、簡単に言えば、自分の意思が介入しているのかしていないかなのだと思いました。日常生活においてどのくらいの比率なのか疑問に思い調べてみたところ、レスポンデント行動:オペラント行動=1:20の割合だと推測されており、私たちにとって大切なほとんどはオペラント行動であり、生活に苦痛をもたらしているほとんどはレスポンデント行動によるものだと知りました。ここで疑問に思ったことがあります。高所恐怖症や閉所恐怖症など、特定の状況になると起きてしまうパニック発作がありますが、こういった1人1人個人差のある現象はどちらに含まれるのでしょうか。恐怖に抗えないことからレスポンデント行動のような反射的に起こってしまう行動のように考えられますが、回避行動が形成されるためオペラント行動に含まれるのではないかと考えました。
今回の講義を受けて、レスポンデント行動とオペラント行動という2つの行動について興味を持ちました。
反射的に出る行動がレスポンデント行動で、レスポンデント行動について調べたところ、例えば、梅干しを見たら唾液が出るなどの反射的行動があげられるということが分かりました。
逆にオペラント行動というのは報酬や刺激を求めて、自発的に行動してしまうことだと知り、より我々と身近な存在だと思いました。
今回の授業では、レスポンデント行動とオペラント行動について興味を持ちました。レスポンデント行動は、簡単にいうと反射的行動であり時間的に行動の前に発生する動きであり、良く言えば考える間もなく無意識のうちに反応でき、悪く言えば自分では制御出来ない行動であると考えました。オペラント行動は、自発的に起こす学習性の行動で、時間的に行動の後に発生する動きであり、過去の結果から学習し、その状況に適応するように行動をすることで、自発的に生じた行動であるり、オペラント行動は失敗を繰り返さないようにする為に意識することが出来ると考えました。私たちは、無意識のうちにレスポンデント行動とオペラント行動を使っており、有効的に使っていきたいと思いました。
今回の講義でオペラント行動、レスポンデント行動について学ぶことができた。オペラント行動は報酬や嫌悪刺激に適応して、自発的に行動することであり、条件付けでは行動が報酬によって強化されてしまう場合将来的に行われると思った。レスポンデント行動は古典的条件付けに関連するものであり、刺激に対して自動的に引き起こされる反応であることが分かった。これは心理療法において重要だと思い、不安障害になどの治療にも使えるのではないかと思った。
今回の講義でレスポンデント行動とオペラント行動についてとても面白いと思いました。普段気づかない反応を明らかにすることが面白いと思いました。例えば、特定の音や匂いに対して無意識に反応することがあり、自分の行動の背後にある手助けになること。特にオペラント行動では、行動が強化される過程が面白いと思いました。たとえば、褒められることで良い行動が増えることを実感したり、逆に罰を受けることで行動が減る経験があることが納得しました。
行動にはレスポンデントとオペラントがあることを理解した。この2つは外部からの刺激があるか、ないかでかわり、外部から刺激があればそれによる反射でレスポンデント反応がおこる。刺激なく自発的に行う行動をオペラントということがわかった。
今回の講義で、頭(脳)と体があって初めて様々な思考が始まるということがわかった。様々な環境と自分の身体が出会うことで出てくる行動があるとわかったが、これは視覚から得られる外の情報をもとに動いているのかなと疑問に思った。私は、最初に、真っ暗な中では行動を起こせなくなったり自分の頭の中だけで思考が行われるのかと考えたが、この「真っ暗」という環境も人間の様々な行動を起こす要因なのだという考えに至った。真っ暗だから手を伸ばして空間を把握しようとするし、何も見えないから不安な気持ちが起きたりする。もし人間が生まれてから死ぬまで光や景色を見ることができなかったら、思考は起きないのだろうか。視覚障害者は視覚以外の聴覚や嗅覚、触覚を使って世界を認知しているが、視覚に限らず様々な感覚を使って思考を巡らせている。手や耳や身体があることで、外の世界との接点ができ、触れ合うことで様々な行動が起きる。人間の思考の始まりはコンピュータの入力とはかなり異なるということが分かり、前回の記憶の貯蔵庫モデルのようなコンピュータアナロジーをどのように捉えればよいか自分の中でより鮮明になった。これだけでなく、行動が思考を助けることもある。考える時にあごに手を当てたりする(無意識のうちに)のにも意味があり、人間の身体やその動きが思考を助けている事実を理解することができた。
今回の講義を受けて、人間の脳の仕組みや働きを紐解くのに多くの時間や研究があったのだと改めて感じました。昔の人は現代のような技術も前例もない中で、人間の行動や思考の同一性や個人差などの要素を、主観と隔てて考え「説」を提唱した科学者たちは偉大な功績を残したのだと思いました。実際、昔に提唱されていた説や論文もテクノロジーの進歩の中でコンピューターアナロジーが確立し、掘り返されるかのような形で、時を経て脚光を浴びるケースがあり、コンピューターアナロジー以前の時代に行動や記憶の関連性を難しいプログラムのように紐解いたという事例には敬意を表するべきだと考えました。また、認知科学は脳の学問であり、レスポンデント、オペラントのように国や言語が異なっても、全世界共通で起こす行動、所作があるという話を受け、認知科学らしさ、脳の科学らしさを感じました。人間とAIとの決定的な違いとして、講義の中にあった「英語と中国語の翻訳の例」や「爆弾処理の例」でも挙げられたように、人間は当たり前のようにできるような事象でも、ロボットやAIは処理に追われ、その場で立ち尽くしてしまうというものです。AIで人間の脳を再現することができないように、認知科学の下で言葉や図を使用して人間の行動や思考を図解するのはとても難しいように感じました。
今回の授業でレスポンデント行動について興味を持った。レスポンデント行動とは反射とも呼ばれ、特定の誘発刺激によって引き起こされる受動的な行動ということがわかった。レスポンス行動について調べてみると普段コーヒーを愛飲している人に、カフェインレスのコーヒーを飲んでパソコンゲームをしてもらうと、カフェインを摂取していないのに、水を飲んだ場合よりもゲームの効率がアップし、カフェインの覚醒作用が現れた。また反対にアルコールを日常的に飲む人に、ノンアルコールビールを飲んでゲームをしてもらうと間違いが多くなった。これはコーヒーやビールに近い匂いや色、味などが引き金となって、条件反応が起こるため。レスポンデント行動はこのように経験から物が違っても効果があることにびっくりした。レスポンデント行動をしない、抑制する方法はあるのか気になる。
今回の授業ではギブソンの生体心理学と表象主義について興味を持った。人間の知覚は環境との相互作用によって形成されるとギブソンは言っており、環境と体、頭の関係が重要なんだなとわかった。授業の例えでいっていた椅子の例がすごいわかりやすかった。「座れる」と言うのは身体のサイズや高さに関係していると言うことだ。
レスポンデント行動を聞いた時一番初めにパブロフの犬を思い出した。
元々何かでパブロフの犬を知っていたので理解しやすかった。オペラント行動はどのような例があるのか調べたらスキナーの箱が出てきた。二つの実験を比べてみると自動的にしているレスポンデント行動と自発的にしているのがオペラント行動だった。実験や例を通してみると非常にわかりやすかった。
>> 68
この投稿を見て、そういえば蝶と蛾を区別しない言語があると聞いたことがあったなと思い少し調べてみたところ「サピア=ウォーフの仮説」というものが見つかった。
これは言語がそれを母語とする人の思考に影響を与えるという考えで、虹の色の話が取り上げられている説明も複数あった。
この仮説には、その言語で言語化できないものは思考もできないという「強い仮説」とその言語で言語化できないものも思考できるが言語の思考への影響は存在するという「弱い仮説」の2種類があるということだが、強い仮説の方は否定材料が見つかっており正しくないとされていることもあるようだ。
何かを指す語彙がないのは今までそれを別の何かと区別したり指し示したりする必要がなかったから、という言語が思考に影響するだけではない面もあるだろう。
今回の講義の内容を振り返ってみて、『アイの物語』という小説を思い出した。
この作品には自分で考えて行動できるAIロボット達が登場するのだが、彼らは日本語でこそあるが私達には理解できない言葉で会話をしている。これについて、作中であるAIが「自身のコピーが虐待を受けた上で削除されたことに対する感情を表現したいが、人間はもう一人の自分が殺される経験などしたことがないので、適切な表現がない」として新たな言い回しを作る場面がある。これは認知科学について扱ったものではないし、フィクションなので実際にそうであるとは言えないが、身体によって思考が左右されるということは上記の場面に近いところがあるのではないかと考えた。このAI達は自身の感情の程度を表す指標を使って正確な意思疎通を実現している。現実の人間にもそのようなことができたら、その人の考え方というものはどこから来るのかなど、意識や思考についての理解が進むかもしれない。
今回の講義で気になったことがあった。それはどの言語を母国語にするかによって見方が変わるという話である。確かに、教授が説明してくれた通り、各言語圏で虹の見え方が変わるなどの認識の違いがあるだろう。しかし、それは本当に母国語によるものだろうか。私は生まれた場所の文化や考え方によって見方が変わるのだと思う。調べていくと、文化と言語は密接な関係にあり、文化があるから言語があってその逆も然りということだった。また、虹の見え方が異なる理由は色を表現する言語が違うためで、同じものは見えているが捉え方に言語での表し方に差が出るためであった。例えば、アメリカやイギリスは6色、ドイツやフランスは5色、ロシアは4色である。このことから、母国語と文化によって物事の捉え方が変わるということが分かった。もしかしたら、認知科学が主にヨーロッパで発展していったのは物事を表現する言語のレパートリーが少なかったがゆえにみんな捉え方が同じでそれに違和感を覚えた天才が多かったからなのかなと思った。
学説を体験に当てはめてみることは、学説の理解に繋がりとてもいいことだと思います。その一方で、体験に当てはまらない部分はありまんせんか。そこに学説の不十分さがあり、学説が発展する余地があります。またあらゆる学説は歴史的産物なので、ある学説の発想がどういう時代の産物なのかを考えてみるのも面白いですね。
4点差し上げます。
学説を自分の体験に当てはめたり、学説によって自分の体験を説明してみたりすることはよい訓練になります。また興味が湧いた場合は、どうしてそれを面白いとか不思議に思うのかを併せて考えるといいですよ。
4点差し上げます。
特定の学説を解説しているようですが、それが歴史的な背景を持って成立しているのだということをいることが最も知ってほしいことです。学説を鵜呑みにするのでなく、どういうところが私たちの経験と食い違っているのかという視点で吟味しても面白いですよ。
4点差し上げます。
「環境から刺激を受ける」という考え方は、生態心理学的にみた場合、間違いです。それはワトソン流の行動主義の考え方で、人間は受動機械である見解です。人間をコンピュータになぞらえる認知科学の一派の思想も基本的にこれです。スキナーやギブソンは能動的な生体というのを根本に置いています。生体は刺激を選択しているのであって、受動しているわけではないという考え方です。また「刺激」というと物質とエネルギーによる作用を連想するので、ギブソンは使用しません。「情報」を使います。このへんについては、今のところ微妙な差異しか感じられないかもしれませんが、まったく違います。引き続き学習を継続してくださいね。世界の見方が変わりますよ。
どんな天才でも、時代や歴史から独立には存在できないようです。よってどんな天才の発想も、いずれは古くなります。天才たちの業績のどういうところが時代の産物なのかを考えてみても面白そうですね。
8点差し上げます。
紹介した学説は特定の歴史的背景で有力になったものなので、普遍的な真実とは思わないでくださいね。どういうところに弱点があるかを考えてみるといいと思いました。
3点差し上げます。
その学説はある歴史的背景で有効なものかもしれません。自分の体験とずれているところを探して、学説の弱点を見つけることも楽しいですよ。
3点差しけあげます。
記憶の学説を紹介しましたが、それは歴史的な流れと特定の背景において、有力な学説であるという見方ができるとなおいいと思いました。
3点差し上げます。
勉強して知識を得ましたね。いいことです。しかしそれは「とりあえずの真」であり、説明できないことも多々あると思います。批判的(建設的)に学説を吟味することにも挑戦してみてください。
3点差し上げます。
勉強してくださってありがとうございます。ここまでの投稿とそれらへのコメントも参考にしてください。ある学説を盲信してはいけません。私たちの経験とずれるところを発見できると、学説の弱点がわかります。そういう思考のトレーニングもするといいですよ。
3点差し上げます。
よく勉強できました。この学説もまた歴史的産物で、「とりあえずの真」であることはこれまでの方の投稿とそれへのコメントに現れています。参考にしてください。
3点差し上げます。
自分の体験と結びつけて考えようとす態度は大切です。ただしあなたの日常体験と響くところがあると思っても、勘違いということがあります。断片的に知識らしきものをつまみ食いするにとどまらず、深掘りして考えると楽しいですよ。結論だけを知っても、どうしてそう言えるのかを説明できると、本当の意味で学んでことになります。スキナーの主張は意外だと思いませんか。「心があるのは、人間には言語があるから」というのはスキナーの主張ではなかったかと思います。「行動理論への招待」を読みましょう。
5点差し上げます。
よく勉強してくれました。直近の方の投稿とそれらへのコメントも参照してください。
3点差し上げます。
よく勉強してくれました。この学説もまた歴史的産物であります。直近の方のコメントにも書きました。参考にしてください。
4点差し上げます。
いろいろ考えてくれました。どこが革命的に感じたのか、その理由は何だったのかを知りたいと思いました。
5点差し上げます。
よく勉強してくれました。貯蔵庫モデルは有名な学説ですが、これもまた歴史的産物です。特にコンピュータに人間をなぞらえる「コンピュータアナロジー」の産物です。こういう視点からも眺めてみてくださいね。
5点差し上げます。
採点対象となる投稿は締め切りました。
今回の講義を受けて、記憶には種類があり、それぞれ役割があるとわかった。まず、視覚や聴覚といったそれぞれの感覚器官から入力された情報を保存する感覚記憶。次に一時的に数個程度の情報を保存する短期記憶。そして半永久的に大量の情報を保存する長期記憶の3つが主にあるとわかった。それぞれさらに調べてみると感覚記憶は例として教科書を開いて文字を目に入れてはいるものの、内容を理解しているわけではないという状態が挙げられ自分もこのような状態になることもよくあったのでとても共感した。そして感覚記憶のうち、覚えようと意図された情報が、短期記憶に入り、例えば授業の小テストの前に集中して英単語を覚えて、その日の終わりにはすっかり忘れているといった事例は短期記憶に該当しているとわかった。また長期記憶は長期にわたって情報を保持することができ、容量も大きい点が特徴であるとわかった。個人的に気になったのは感覚記憶から短期記憶に移り変わることができるのか、そしてそのメカニズムはどうなっているのか気になった。その他にもかなり昔の記憶で自分にとってはどうでもいいような会話を今でも覚えてることがあり、これはどういった仕組みで起こっていることだろうと気になった。