23認知科学概論

23年度「認知科学概論」

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satsugakushinri
作成: 2023/08/27 (日) 23:20:10
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509
Q24078 2025/02/04 (火) 23:19:33 76abf@333a1

課題1 
認知科学の歴史において、「ある考え(学説、人間観)から別の考え(学説、人間観)に変わった」事例を挙げていき、その変化がどういう歴史的意義を持っているのかを述べていく、20世紀前半ではワトソン、スキナーにより行動主義が唱えられた。心理学を科学とするため行動を観察しデータに基づくべきという立場をとっていた。だが行動主義には限界があり、生まれつきの認知機能などを否定していてしまっていたため子供の言語習得を説明できず複雑な思考や言語の習得を説明できないということもあり限界を感じた。そして1950年代以降にチョムスキーらによって認知主義が唱えられ転換していった。、チョムスキーは言語に生得的な要素があると主張をしスキナーの行動主義を大きく否定した。認知主義への転換は歴史的にみても心理学を大きく成長させた。心の研究が進み認知心理学が発展していった。

557
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:00:39 >> 509

14点差し上げます。

510
Q240627 2025/02/04 (火) 23:25:44 49505@d55a8

課題1

認知科学の歴史において、20世紀前半、心理学では観察可能な行動のみを研究対象とする「行動主義」が主流でした。行動主義は、刺激と反応の関係を重視し、内的プロセスを排除することで科学的心理学を確立しました。しかし、1950年代に行動主義では説明できない現象が明らかになり、「認知主義」へと移行する認知革命が起こりました。ノーム・チョムスキーの言語理論は、行動主義が人間の言語獲得を説明できないことを示し、またコンピュータの発展により人間の心を情報処理システムとして捉える枠組みが生まれました。認知主義は、記憶や問題解決といった内的プロセスを科学的に研究対象とし、心理学をより包括的な学問へと進化させました。この変化は、心理学、人工知能、神経科学などを統合する認知科学を生み出し、人間観を「能動的な情報処理者」へと再定義するなど、現代の科学や技術の基盤を築いた重要な転換点となった。
 

558
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:01:37 >> 510

投稿する資格がありません

511
satsugakushinri 2025/02/05 (水) 00:03:00

[課題1]への投稿は締め切りました。

512
Q21169 2025/02/05 (水) 15:48:17 91049@9ea7c

課題2
ヒト対モノの例として、ヒト対水の関係を挙げます。水は私たちに飲むことをアフォードします。水には流動性があるため、容器に注ぎ入れいることをアフォードし、溶解力があるため洗濯や入浴をアフォードします。つまり水はヒトに対して「のどの渇きを癒す」「容器で運搬する」「汚れを落とす」などアフォーダンスの集合であると言えます。しかし魚にとって水とは呼吸をアフォードするものです。このように立場が変わると環境の認識や関係性が変化します。これはヒト対ヒトの関係に当てはめて考えることもできます。例えば、相手によって態度を変える友人Aがいたとして、その友人Aに好かれているBにとっては、いつも上機嫌で楽しく会話できることをアフォードします。しかしそうではないCにとっては楽しく会話できることをアフォードしませんし、むしろAの不機嫌な態度から不快感をアフォードする、というように考えることが出来ます。その存在が自分に何を提供する存在であるのか、モノを常にそのように考えることで、環境を認識しているという概念が存在しています。

575
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:09:18 >> 512

12点差し上げます。

513
Q240627 2025/02/05 (水) 22:05:56 49505@cf65d

課題2
ドアノブを回して扉を開ける行為を、生態心理学的に解説する。生態心理学の中心概念である「アフォーダンス」によれば、ドアノブは人間に対して「回して開ける」という行為を可能にする環境の特性を提供している。このとき、ドアノブの形状や大きさ、位置は人間の手の構造や身体サイズに適合し、具体的な「行為可能性」を示している。
さらに、ドアノブの使用には「直接知覚」が働く。人は目でドアノブを見た瞬間に、それを回すことで扉が開く可能性を直接的に知覚しており、これには記号的な解釈や頭の中でのシミュレーションは必要とされない。また、この行動は環境と身体の相互作用の中で成立するものであり、行動の成否はドアノブの硬さや滑りやすさといった物理的条件に左右される。
ドアノブを回して扉を開ける現象は、人間が環境のアフォーダンスを直接知覚し、それに応答するプロセスとして生態心理学的に説明できる。

577
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:10:17 >> 513

投稿する資格がありません

514
Q24030 2025/02/05 (水) 22:25:16 88a45@57058

課題2
ヒト対モノにかかわる事例として以前の課題でも触れたドアノブについての例を挙げる。私たちは日常的にドアの取っ手を近見、押したり引いたりして開ける。この行為は人が過ごしてきた環境の相互作用として成り立っている。ドアの取っ手は人間に対して何かをつかむ、押す、引くといった行為をアフォード(提供)している。例えば円形の回転式にドアノブは回す、取っ手に手をひっかける式のドアノブは引く」ことを自然ととるべき行為を誘発する。これらの行為はドアノブの形状が人の手の構造と合致することで生じる。ヒトはアフォーダンスを直接知覚し即座に好意へと移る。ヒトはドアノブを見て脳内でこれの使い道はどうであるかを考えるのではなく先ほど挙げた通り、そのドアノブの形状自体が回す、引くという行為を誘発する。環境によってそれが当たり前のこととなったヒトはドアノブの形状が引くタイプであるのにドアの構造は押すタイプであると誤ってドアを押してしまい、ドアが動かないという事例が起こる。こうした事例は環境のアフォーダンスを考慮したデザインの重要性を示している。

578
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:10:36 >> 514

18点差し上げます。

515
F24036 2025/02/05 (水) 22:42:36 709ac@2be20

課題2
 ヒト対モノに関わる現象として、椅子との関係性を挙げる。
 生態心理学の中に、アフォーダンス理論と呼ばれるものが存在する。これは、環境の様々な要素が動物に影響を与え、動物はその環境に適した行動をとるというもの。そして、この理論に言わせてみれば、椅子に座るという行為は、椅子の形状や高さなどのアフォーダンスにより実現されると言える。椅子に座るという行為は、人間が座ろうとするものの大きさや高さ、形などからそれを座れるものとして認知することにより初めて、椅子として認知する。言わせてしまえば、いくら椅子と言われているものであっても、それが人よりも大きな形をしていたり、決して届くことのない高さをしていた場合は、椅子と言われていても人はそれを椅子として認知することはとても難しいのだ。加えて、椅子と呼ばれていないものであっても、それが座ることに適した高さや大きさ、形であれば人は椅子として認知することが可能である。学校の机や公園などに置かれている石や岩などに座ろうとする行為は、前述した内容の通り、その対象物からのアフォーダンスによって椅子となんら変わりのないものであると認知することによって、初めて座るという行為が行われるのである。

579
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:10:58 >> 515

18点差し上げます。

517
Q240236 2025/02/05 (水) 23:01:30 b2f51@e04b3

課題3
 環境内のある対象に対して「・・・することができる」と思えるのはどうしてか、について具体例をだして説明していく。例えば、初めて会う人つまり初対面の人の情報は勿論だが、何もわからないが、コミニュケーションという探索を通して、他人という環境を理解することが出来るだろう。そのことのように、生態心理学の考えでは、環境は意味や価値 を私にとって何であるか、私たちにどういうことをしてくれるのかを可能にすることができる。初対面で何も知らない相手のことをコミュニケーションを通して、相手はどんな人なのかを知覚することができる。私の実体験で説明していく。私のアルバイト先では、一緒に働いている人の情報は何も知らなかった。だか、コミュニケーションを通して、相手のことを知覚して、アルバイトが一緒の人の情報を知ることができたり、自分はこういう人であるということを相手に伝えることが出来る。これは、環境が行為をアフォードダンスしているということがいえるのであろう。
 結論として、自分にとって他人は環境である。そして、環境が私たちの行為の可能性をアフォードしてくれるということが証明できるのである。

591
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:15:30 f5841@5a7e4 >> 517

10点差し上げます。

518
Q24078 2025/02/05 (水) 23:11:36 76abf@333a1

課題2
ヒト対モノ、あるいはヒト対ヒトにかかわる現象として一つ挙げれるのが階段の上り下りだ。生態心理学では人の行動を環境との直接的な相互作用として捉えるためアフォーダンスを用いて説明してく。階段は人に対して上る下るなどをアフォードしている、人の能力によってもアフォーダンスは異なっていき新たなアフォードが出てくる場合もある。つまり階段の作りだけではなく人の能力、環境によってアフォーダンスが決まることがわかる。このことからわかるように階段の上り下りは人のみで情報処理されるのではなく環境との相互作用によってできることがわかる。

581
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:11:29 >> 518

15点差し上げます。

519
Q24149 2025/02/05 (水) 23:21:53

課題2
私はヒト対ヒトに関わる現象として、生態心理学的視点から、協力行動について考えた。協力行動は、二人以上の個体が共通の目標を達成するために行う行動。この行動は、直接的な利益を求めるだけでなく、長期的に生存や繁殖に有利な結果をもたらすことがある。生態心理学的には、協力行動は、相互作用の中での適応的価値を持つと考えられる。例えば、狩猟や食物収集の場面では、複数の人が協力することで個々の効率が高まり、集団として生存確率が向上する。情報の交換や戦略の調整など、相互作用の中で環境に適応するための手段として機能する。生態心理学では、協力行動が環境とのダイナミックな相互作用の中で生じると考えられている。協力行動が生じるのは、個体がその行動が環境にとって有益であると判断した場合に限られる。また、協力は相手との関係性や信頼を基盤にして成立することが多く、この信頼関係の構築も生態的な適応戦略の一環として捉えることができる。協力行動は、ヒトが環境と相互作用し、集団の中で生存を有利に進めるための適応的行動といえる。生態心理学的視点では、協力行動が単なる、社会的規範に基づくものではなく、環境との相互作用を通じて生じた適応的な戦略であることが強調される。このように、協力行動はヒトの生存戦略として重要な役割を果たすと分かった。

583
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:11:48 >> 519

18点差し上げます。

520
Q24049 2025/02/05 (水) 23:47:43 e813e@16ede

ヒト対ヒトに関わる現象として、講義の中で触れていたヒトとヒトの意思疎通について話していく。ヒト同士のコミュニケーションでは、相手の表情、声のトーン、ジェスチャー、身体の動き、アイコンタクトといった非言語的要素がアフォーダンスとして機能している。例えば、笑顔は「親しみやすさ」や「好意的な態度」というアフォーダンスを提供し、険しい表情は「警戒」や「不快感」を伝えます。また、いつも一緒にいるヒトが相手となるとジェスチャーやアイコンタクトを用いて相手がどんなことを求めて、何を伝えたいのかが自ずとわかってくる。これらの情報を知覚し、相手の意図を推測することで意思疎通が成立している。コミュニケーションにおいて、相手の行動を知覚し、それに適応する形で自分の行動を調整したりする。例えば、対話の際に相手が話すスピードに合わせて自分の話し方を変えたり、相手のジェスチャーに共鳴するように自分の動きを変えたりする。これは、相手の意図をリアルタイムで知覚し、それに適した行動を選択するプロセスである。このように、意思疎通は環境と行為の相互作用から生まれる。ヒトとヒトの意思疎通は単なる情報の伝達ではなく、環境の中での行動の必要なプロセスである。アフォーダンスの知覚、身体といった要素が相互に影響し合いながら、コミュニケーションが形成される。

521
Q24049 2025/02/05 (水) 23:49:14 e813e@16ede

上の文は課題2です。

584
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:12:13 >> 521

18点差し上げます。

522
Q24108 2025/02/05 (水) 23:54:34 31fe2@1bd65

課題2
生態心理学は、環境と人間の心理的な相互作用を重視する学問領域で、個体が環境に適応し、環境が個体の心理に与える影響は大きい。例えば例えば、水溜りの上を歩く時のあなたの歩きを想像してみる。晴れた日の綺麗に舗装された道を歩くのと変化はあるのか。まず、水溜りの上を歩く事を想像すると、靴が濡れないようにゆっくりと歩き、水しぶきを想像して肩に力が入ったりすることが考えられる。しかし、頭で考えてゆっくり歩いて、肩に力を入れて構えを作って…と考えながら動いている人はいないとされる。かつてギブソンは「人は動くために知覚するが、知覚するためにはまた、動かねばならない」と述べており、自分の中では人が他動的ではなく能動的に動く事で、外部環境を知覚でき、外部環境からの情報で今の身体状況を知る事が出来るという風に捉えている。例えば、寝返りという能動的な動きを通じ、プラットホームなどの支持面という環境からの情報をピックアップする中で、今の身体でどこが動きにくくて動作の制限となっているのか?が知覚出来るはずである。そして、実際に動くまではこの左右差を知覚する事はないと考えれる。

585
satsugakushinri 2025/02/08 (土) 23:12:28 >> 522

6点差し上げます。

523
Q24078 2025/02/05 (水) 23:58:47 76abf@333a1

課題3
あるドアノブを回す時屈んだり、手を伸ばしたりしなくても良いかという知覚は、ドアノブの形状や取っ手の(位置右左・高さ)と自分自身の身長や手の長さとの関係で生じる。スライドの扉や取っ手が前後に動くタイプの扉では対象のアフォーダンスが変わっていき、ひくおすや横に引くなど変わっていく。自分が今まで体験してきたことで言うと小学1年生のとき取っ手が高く自力で開けることができずアフォーダンスが知覚されなかったものでも今では自力で開けることができアフォーダンスを知覚することができる。このようなことから環境の知覚は物がもつ情報と自分の属性が絡み合いの関係によって決まることがわかる。

592
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:16:07 f5841@5a7e4 >> 523

15点差し上げます。

524
satsugakushinri 2025/02/06 (木) 00:10:00

[課題2]への投稿は締め切りました。

525
Q21169 2025/02/06 (木) 14:30:43 91049@9ea7c

課題3
リンゴを例として挙げる。リンゴは人に食べることをアフォードし、人はそのアフォーダンスを知覚することで、食べるという行為を起こす。一方で、熟していない黄色のリンゴは、過去の経験から黄色に酸味を連想する人は食べることを躊躇する。黄色のリンゴは人に酸味をアフォードしますが、このアフォーダンスを知覚できる人と出来ない人が存在し、知覚できない人はこのリンゴを食べてしまう。ここで、歯列矯正をしてる自分にとって食べられるものと食べられないものの違いを元に説明する。前提として歯列矯正をしている間は口を開けにくい、歯の痛みが強い、矯正器具に食べ物が引っかかるといった、食事中に注意することがいくつかある。小さく切られているもの(または柔らかい肉や魚など箸などの道具を用いることで細かくすることが可能なもの)以外は基本的に食べることが困難である。つまり自分にとって食べられると認識できるものは、小さくて柔らかそうなものにのみ限定される。同じリンゴでも、そのまま食べる場合や、柔らかく煮てコンポートにして食べるなど様々な調理方法がある。自分にとって前者は痛そうだと知覚し、後者であれば食べやすそうだと知覚する。通常であれば、リンゴは硬くて食べられないとは思わない。この感覚が自分の個人的な知覚に「痛そう」という感覚を与える。アフォーダンスの知覚には経験が必要な場合があるといえる。

593
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:17:19 f5841@5a7e4 >> 525

18点差し上げます。

526
Q24108 2025/02/06 (木) 16:06:16 3bd0c@86cb5

課題3
歩く道を例にすると、自分たちは陸地の表面がほぼ水平であり、平坦で、十分な拡がりを持っていて、その材質が固いと判断されたならば、そういう道を選んで歩いている。行動するときには、無意識であるにしろ、環境がどのような行動に向いているのかという情報を環境の中から得ているのであると考えれる。また別の例としてドアの前に立ったとする。押すべきか、引くべきか。取っ手が平板な場合、それは押すことをアフォードする。取っ手がリングになっている場合、それは引くことをアフォードする。したがって、部屋に入る側の取っ手がリングなら、出る側の取っ手は平板状にするのがアフォーダンスの理論に基づいた自然な対応付けとなる。このようにアフォーダンスを上手く利用すると、使いやすいデザインが生まれる可能性がある。しかし、この法則を無視して両方リングにしたりすると、押したり引いたりしている光景に出くわすことになる。

594
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:17:55 修正 f5841@5a7e4 >> 526

15点差し上げます。

527
Q24030 2025/02/06 (木) 16:49:32 88a45@57058

課題3
椅子を例に挙げる。椅子をも見ると人は、この椅子には座れると判断する。これは椅子の座る面積の広さや椅子の足の長さを見ることでこれは自分でも吸われるものであるか、そうでないかを判断する。もしその椅子が自分の足の長さよりも長ければ足が浮いてしまうと感じる。座る面積が広いとゆったりと座れると感じ、背もたれがあるいすなどだと力を抜いて座れると判断する。この知覚は、志うが持つアフォーダンスを人間が直接知覚することで生じる。実際にいろんな椅子に座ってきたが、座る面が狭く足が短い椅子であると体が違和感を感じてしまうため、長時間の集会などには不向きであった。一方で面積が広く足が自分の足と近いサイズであると違和感を感じることなく長時間座っていることができた。これは、知覚とは単なる視覚的な情報処理ではなく、椅子の形状と自分の身体的特性の相互作用によって、座るという行為の可能性が直感的に理解されるものであると言える。

595
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:20:07 f5841@5a7e4 >> 527

18点差し上げます。

528
F24036 2025/02/06 (木) 19:48:29 709ac@2be20

課題3
 公園の石や岩、学校の机などにおいて、それが座れるかどうかの知覚は、座ろうとする人の身長と対象物の高さや形、大きさの関係により生じる。身近な例として、学校の机などが良い例として挙げられる。学校の机は、腰掛けても痛くない平面であり、自立して体を支えることのできる形、そして、足が多少浮く程度の人によってちょうど良い高さであるため、机に対して座るものとしての認識がなくても、机から発せされる情報を知覚することで、机についつい座ろうとしてしまうのだ。しかし、ちょうど良い高さとは人によって異なってくる。身長が低い人の場合、座るに適した高さではなかったとしたら、椅子との間にはアフォーダンスが存在しない。だけども、身長が高い人からすると、身長が低い人が座ると認識できない机であっても、その机を座ることができると認識し、椅子との間にアフォーダンスが存在する場合がある。そのため、無作為に、大きさや形が異なる机を並べた際に、人は自身が座るに適した高さや座る際に負担にならないような形をした机をまるで椅子の如く座れるものだと認識し、座るという行為を行うことができるのである。

596
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:20:42 f5841@5a7e4 >> 528

25点差し上げます。

529
G240990 2025/02/06 (木) 20:41:17 396f1@fcdaa

課題3
ドアを例に挙げる。例えば目の前のドアに棒状の縦長の取っ手がついてあった場合、ドアを引くという行為がアフォードされます。プレート型の押し版がある場合は押す行為がアフォードされる。これらは取っ手に手をかけやすく自然に引くという動作が誘発されることや、握る必要がなく押しやすいデザインであるために起こることである。
ドアの素材についても、軽い素材であれば目の前のドアは軽い力で押したり引いたりすることができると感じ、重厚な金属製のドアであれば力を入れて押す、または引く必要があると示唆します。また、環境の配置もアフォーダンスをもたらす。ドアの前に階段があれば引くよりも押すことのほうが合理的であると感じるためである。

597
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:21:15 f5841@5a7e4 >> 529

15点差し上げます。

530
F24056 2025/02/06 (木) 21:07:46 aab8f@f95d6

課題3
ドアの下をくぐれるかどうかの知覚について自分の身体とドアの大きさの位置関係から説明していく。生態心理学では物を環境と身体を立体の関係によって捉える。ドアの高さと自分の身長だけの関係で「通ることができる」と認知するのではなく、何メートルか前から見たドアの上の高さが自分の認知している自身の身長とどのような関係にあるかということを知覚して判断している。そのため実際の身長とドアの高さがぴったりだとしても、その人が自分の身長とドアの高さをどのように認知するかによって屈むかそのまま進むかの選択が生まれる。身長の高い人がドアにぶつかるという話も、環境と身体の認知によってなされた選択を間違えた結果起こるバグのようなものであると言える。また、ドアも下を通る人を屈ませるまたは、そのまま通らせるという行動を起こさせるはたらきを持っている(アフォーダンス)。ドアを通り抜けるという行動は「ドアの一番上の高さ」と「人間の身体の一番上の高さ」との関係で生じるようだ。

598
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:22:00 f5841@5a7e4 >> 530

15点差し上げます。

531
Q240627 2025/02/06 (木) 22:04:49 49505@b938e

課題3
公園のベンチに座る体験を例に考える。対象であるベンチを「座るためのもの」と特定するには、平らな座面や背もたれといった形状、地面との適切な高さ、素材感などの情報が視覚や触覚を通じて得られる。また、ベンチのアフォーダンスである「座ることができる」は、サイズや構造の安定性から推測される。これを認識する私の属性として、視覚の働きが対象を区別し、過去の経験が「ベンチとは座れるもの」という理解を形成する。さらに、私の身体的能力(立ち座りが可能であること)がアフォーダンスを実現可能にしている。対象から得られる情報と、それを解釈する私自身の属性が組み合わさることで、「座ることができる」と判断し行動することが可能になる。

590
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:14:40 f5841@5a7e4 >> 531

投稿する資格がありません

532
Q24149 2025/02/06 (木) 22:48:39

私は椅子を例に上げて考えた。例えば、ある椅子を見たとき、「この椅子に座れるだろう」と感じることがある。そのとき、私が使う情報は、椅子の形や高さ、座面の広さなどである。これらは視覚的な情報で、椅子が座るために必要な物理的な条件を満たしているかどうかを判断するために重要。椅子を見て、「座れる」と思う理由は、座面が水平で、座るために十分な広さがあり、背もたれもついているからである。
また、この判断には自分の体格や座るための動きの能力も影響している。例えば、私の足の長さや腰の高さによって、椅子が自分に合うかどうかを感じ取る基準が変わる。椅子に座るという行動は、私の身体と椅子の「アフォーダンス」によって成り立っている。アフォーダンスとは、その椅子が「座ることができる機会」を提供していることを私が感じ取る力のことである。
したがって、椅子を見たとき、私の体格や動きの能力といった自分の属性と、椅子の持つ情報が組み合わさって、「座れるかどうか」が自然にわかるということである。

536
Q24149 2025/02/07 (金) 13:24:44 修正 >> 532

すみません課題番号3です。

599
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:22:39 f5841@5a7e4 >> 532

20点差し上げます。

533
Q24049 2025/02/06 (木) 23:38:55 e813e@16ede

課題3
環境内にあるモノを人が自らの目で見た時に、なぜすぐに「これは〜だ!」と認識することができるのか。それは、その人が歩んできた人生の中で経験、学習してきたことによってモノを知覚することができるアフォーダンスである。例えば、目の前にあるオレンジ色で星が書かれている物体を「ドラゴンボールだ!」と瞬時に認識できるのは、過去の経験や学習を通じて、ドラゴンボールという対象の特徴(オレンジ色、球形、デザイン、大きさなど)を記憶しているからである。このとき、対象を特定する情報は「オレンジ色で丸くて星の模様がある」という視覚的特徴であり、それが「ドラゴンボールである」と判断できるのは、これまでにドラゴンボールをアニメや漫画で見たり人から聞いたりした経験があるためである。また、ドラゴンボールを見たときに「7つ揃えると願いを叶えることができる」と思えるのは、ドラゴンボールがアニメや漫画で見ていて、そういうものであるというアフォーダンスを知覚しているからである。これは私の過去の経験(漫画で見ていた)と関連している。このことから、ヒトは環境内のモノを単に見ているのではなく、過去の経験や身体の特性と結びつけながら知覚し、瞬時に意味を与えているのである。

600
satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:23:15 f5841@5a7e4 >> 533

5点差し上げます。

534
satsugakushinri 2025/02/07 (金) 00:03:40

[課題3]への投稿は締め切りました。