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satsugakushinri
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今回の講義では、一番アフォーダンスが印象深く気になった。環境や物が持つ特徴によって、自然にその「使い方」や「行動の可能性」を人に示唆する特性を指し、アフォーダンスの概念は心理学者ジェームズ・J・ギブソンが提唱し、私たちが周囲の物や環境とどのように直感的に相互作用するかを説明するために使われることが多い、例えばドア、ボタンを具体例に出すと理解しやすい。エレベーターやリモコンのボタンが出っ張っていると「押す」動作を、スライドバーがあれば「動かす」動作を連想させる、前回に出てきた環境との相互作用もこれに関連してるな〜と思った。
出っぱっているものが「押す」という行為をアフォードするのですか。出っぱっているのに「押すこと」をアフォードしないものはいっぱいあると思います。どういう情報が行為をアフォードしているかをちゃんと考えないと、対人現象の説明でよくある説明もどきと同じになります。直近のコメントを参照してみてください。このことを書きました。
3点差し上げます。
今回の講義で、より詳しくアフォーダンスについて学ぶことができた。今まで生きてきて普段から私はアフォードしていると認識したことがなかったが、この講義を受けて、改めて考えて見ると日常生活の中で多くのアフォーダンスを行っていることに気づきました。例えば、靴を履く時にうまく足が入らない場合、靴べらを使うことで怪我をせずにすぐ靴を履くという行動は、アフォーダンスといえると考えた。このことから私は、普段から無意識のうちにアフォーダンスを行っていることに興味を持ち、無意識ではなく、意識を持ったままアフォーダンスするとどうなるのだろうと疑問に思った。
「アフォーダンスを行っている」とか「アフォーダンスする」という表現はありません。アフォーダンスは知覚するものです。なお、靴べらの使用は遂行的活動だと思いますが、その点には気づきましたか。
3点差し上げます。
今回の授業ではアフォーダンスが特に印象に残った。アフォーダンスは、物体や環境が提供する利用可能な行動の可能性を指す概念であり、心理学者ジェームズ・ギブソンが提唱したもので、物理的な特性がどのように人々にその使い方を示唆するかを示している。アフォーダンスについて調べてみるとドアノブは「回す」という行動を、階段は「登る・降りる」という行動を促すそうだ。アフォーダンスは、物体のデザインが使いやすさや機能を直感的に示すため、ユーザビリティやインタラクションデザインにおいて重要な要素であると感じた。
ドアノブがドアノブであるのは、つまり「回す」ことをアフォードするのはどうしてかを考えないと、単なる説明もどきで終わります。直近の投稿へのコメントでこのことに言及しました。参考にしてください。ユーザビリティやインタラクションデザインにおいて重要な要素であることはその通りですが、それらが何を指しているかわかりますか。
3点差し上げます。
今回の講義では、アフォーダンスという単語が登場し、興味が湧き個人的に調べてみたが、環境が人間や動物に対して提供する意味や価値、知覚や行為を促す影響力などを指す言葉であり、アフォーダンスは英語のAfford(アフォード)という与えるや提供するという意味を持つ言葉から、ジェームズ・ギブソンという人間がが新たに作った造語であると知った。アフォーダンス理論に言わせれば、環境のさまざまな要素が動物に影響を与え、動物はその環境に適合した行動をとると言う。アフォーダンスの考え方では、椅子やドアノブなのが例に挙げられ、椅子に座るという行為は椅子の形状や高さなどのアフォーダンスにより実現されると言うものだ。ドアノブも、丸い形状ならドアノブを回そうとし、平らな形状であれば押し込もうとし、溝であれば左右に動かすなどのアフォーダンスが存在する。椅子が座るに適さない形状や長さであれば、人間はそれを椅子と認知するのは難しい。しかし、逆に言えば決められた形状や長さであれば、我々はそれを椅子と認知し座ることができ、例え椅子ではないものだとしたも、座ろうとするのするのだ。情報というものは環境に常に存在し、我々人間や動物はそこから意味や価値を見出そうとするため、人間や動物は無意識のうちに周りの環境に適応しているのだと、今回の講義で知ることができた。
日々の中で、たとえば平で縦に長い石を見た時に椅子だと認知できるのはアフォーダンスによるものであるが、自身の中の椅子の定義を違うものに変えた時に、果たしてこの平で縦に長い石は椅子と認知することができるのかと、とても考察のしがいがある講義だった。
授業内容を適切に振り返り、また自分でも調べてみたことはとてもよかったと思います。おおよそ正しい理解だと思います。
ただ「椅子の定義」については深く考える必要がありますね。生態心理学的に言えば、椅子の定義は「座ることをアフォードするもの」となるので、この定義が変わるとは椅子でなくなるということになり、あなたの立論には意味がなくなります。定義はどこからやってくるのか、と問う必要があると思います。それを試みてくれると、もっと生態心理学の理解が深まると思います。いずれ再考してもらいましょう。そういう機会を課題として作りますので、そのときまた考えてみてください。
8点差し上げます。
今回の講義で扱ったアフォーダンスについてまずギブソンが視覚と知覚を研究し、生態心理学という分野を確立したことがわかった。そしてギブソンのアフォーダンスの概念は、「環境が生物に提供する行動の可能性」を意味していて例えば、石は「投げる」ことや「座る」ことができるといった具合に、生物にとって何が可能であるかを示すものであるとわかった。ギブソンは、知覚を環境との相互作用と捉え、これを「直接知覚」と呼んでおり、ギブソンのアフォーダンスは、物体の物理的特性と生物の能力に依存するもので、対象が持つ「潜在的な行動可能性」として理解されていたことがわかった。そして現在では、アフォーダンスは物理的な対象だけでなく、デジタル環境や仮想空間にも適用されていることがわかった。例えば、ボタンやアイコンのデザインが「クリック可能」であることを示す視覚的な手がかりを持つ場合、それも一種のアフォーダンスと見なされ、また「意味的アフォーダンス」「文化的アフォーダンス」などの概念も生まれていることも調べてわかった。
授業内容の理解としては概ね正しいです。また授業で言わなかった「直接知覚」という用語を、自分で調べて知ったことはとてもよいと思いました。
「物体の物理的特性と生物の能力に依存する」から、アフオーダンスが「対象が持つ「潜在的な行動可能性」として理解されて」いるのではないと思います。「物体の物理的特性と生物の能力に依存する」ことから導かれるのは、個体差があるとか身体が不可避的に関与するということではないでしょうか。「潜在的な行動可能性」というのは、生物が能動的にアフォーダンスを選択しているものだというところからやってくる規定ではないかと思います。
どういう視覚的な手がかりがクリックすることをアフォードするのかをよく考えないと、ここ直近の投稿へのコメントで繰り返し注意している説明もどきになります。対人現象、文化現象を説明しようとする際、よく陥ります。ここについてはいずれ考えてもらおうと思いますので、これはあなたの追加課題として大切に取っておいてください。
「視覚」は「知覚」の一種ですよ。
6点差し上げます。
採点対象となる投稿を締め切りました。今回もありがとうございます。
まず、学習の特殊性について説明していく。
学習の汎用性には制約があり、練習とは異なる状況では、学習された内容が100%発揮されるわけではないことを示す研究が数多くあるが、練習した内容にあまり汎用性がない現象のことを学習の特殊性と呼ぶ。具体例を出して、説明していく。例えば、バドミントンのプロのスマッシュは、最高時速400kmと早いが、プロの選手はそれを返す競技をしている。プロの視覚能力が高いと思うが、例えば時速400kmの野球ボールをバドミントンのプロがキャッチできると言われると出来ないことの方が多いと言えるだろう。これらのことによって、バドミントンの選手は優れた視覚能力を持っているのではなく、バドミントンの場面でのみ発揮される、視覚能力を持っているということがわかるだろう。これらのことは、環境との関係性で成り立っていると言えるだろう。
次に、学習の特殊性は日常生活のどのような場面で役に立てるかについて説明していく。具体例を出して説明すると、例えば、バドミントンの大会に向けての練習を普通の体育館でしているとする。一方で強豪校があるとすると、その学校は設備が実際の大会のある体育館と同じようなものとすると、有利なのは強豪校であると言えるだろう。強豪校は設備に、いわゆる環境にお金をかけている。いかに試合に勝つためには、本番と同じ環境で練習することが重要と言えるだろう。これは、日常生活で役に立てると私は思う。
これらのことから、我々の行動は、環境との関係性で成り立っていると言えるだろう。
今回の講義で学んだ運動学習の転移が日常生活のどの場面でどのように関連ついているか説明する。そもそも、学習の転移とは、過去に学んだ知識や習得した技術や経験などの学習がその後の新たな学習に影響を与える現象のことである。私は大学生になってから自分のパソコンを持つようになり、使う頻度も大幅に増えた。それに伴い、「タイピング」という動作を日常的に使うようになった。また、私は小学生の頃にピアノを習っていた。だから、簡単な曲ならある程度は弾ける。この「ピアノを弾く」という動作が私か日常的に行う「タイピング」に運動学習の転移という点で深く関連ついていると考える。なぜ、私がそう考えるかと言うと、ピアノとタイピングとで指の動かし方、もとい筋肉の使い方が酷似しているからだ。ピアノを引く上で初歩的な技術は5本の指をそれぞれ独立して動かすという動作だ。この初歩的な動作がタイピングの5本の指をそれぞれ独立して動かすという動作にそのまま活きている。以上のことから、運動学習の転移が日常生活に関連ついていると言える。
今回の講義を受け、認知科学における運動学習能力には繰り返し行う反復性と日々行う習慣性が必須だと感じた。よくこの講義の例に挙げられる「この講義室から出るためにそこにあるドアを開けて外に出る」という行為。一連の流れを見ていて私はふと幼少期の出来事を思い出しました。当時6歳の私は旅行先で見たことのないドアを目の当たりにしました。それはガラス張りの筒状の回転する入口「回転扉」でした。小学一年生だった私は引き戸、押し戸、手動横開き、自動ドア、ふすまの5種類しか認知しておらず、回転扉とは初めての対峙でした。経験したことを元に通過する方法を色々と考えてみましたが、結局一人では分かりませんでした。この経験から昔から繰り返してきた動作はより無意識に近い練度で行動に移すことができるが、「未知のモノ」「見たことのない事象」に直面すると脳が新たな「運動学習モード」に入り、転移するのではないかと考えました。私に息子や娘ができた際には様々な経験を積ませ、運動学習能力や見聞を深めさせたいと感じました。
今回の講義を受けて、型にはまらない柔軟性についてバスケの例の話にとても共感した。自分もバスケをずっとしてきたことから、普段と違う体育館でプレーすると全くシュートが決まらなかったり、調子が悪くなったりしていたことを思い出した。普段練習している体育館では慣れていて調子が良いが、初めて行く体育館では調子が悪いことから、型にはまっていることがわかる。型にはまらない柔軟な動きを実現するためには、状況に応じた調整と言う側面が欠かせないということがわかった。感覚情報を手がかりにし、生み出す身体と環境との協調関係が制御の一端を担うと学んだ。また、歩行について路面環境が変わると歩行のバリエーションが増えるということが無意識にしているなと感じた。普段何気なく歩いてるが、実際はその時の状況に応じて歩き方を変え、生活しているのだと実感することができた。変わりゆく外界との条件との相互作用によって現れてくるとわかった。
今回の講義を受けて、型にはまらない柔軟性についてバスケの例の話にとても共感した。自分もバスケをずっとしてきたことから、普段と違う体育館でプレーすると全くシュートが決まらなかったり、調子が悪くなったりしていたことを思い出した。普段練習している体育館では慣れていて調子が良いが、初めて行く体育館では調子が悪いことから、型にはまっていることがわかる。型にはまらない柔軟な動きを実現するためには、状況に応じた調整と言う側面が欠かせないということがわかった。感覚情報を手がかりにし、生み出す身体と環境との協調関係が制御の一端を担うと学んだ。また、歩行について路面環境が変わると歩行のバリエーションが増えるということが無意識にしているなと感じた。普段何気なく歩いてるが、実際はその時の状況に応じて歩き方を変え、生活しているのだと実感することができた。変わりゆく外界との条件との相互作用によって現れてくるとわかった。
今回の講義で出てきた脳の学習でもそうだし認知学における運動学習能力もどちらも反復性の重要性に改めて気付かされた。記憶の定着の精度も全然違う。反復を通じて人間の脳は習慣化する能力を持っている。普段する動きが習慣化しているのも反復が大きく関係しているんだなと思った。歴史的観点から反復性を見ると、多くの分野に認知科学と関連性があった。実際に1950年代に認知科学が登場すると、反復性は記憶や学習モデルの中核となる要素として再解釈されていた。
型にはまらない柔軟性というのがすごく印象に残った。自分は何年間もテニスをしていたが、どれだけ練習して自分に自信があっても、いざ試合会場でみんなに見られながら試合をするときには環境が違い全く腕が振ることができず、負けてしまった経験がある。いつもと同じプレーをすると負けてしまうのだ。この授業を聞いて型にはまっていたのかなと感じた。その日の風の強さ、日光の感じ、気温など身体と環境との協調関係が制御の一端を担うと今回の授業で学んだ。また、身体と環境の協調で出てきた、野球のバッターとテニス選手の比較がすごく納得できた。テニスはサーブを返してしまうと試合が始まってしまうし、確定にサーブが入っている時にしか打たない。日常的な訓練の違いが関係しているのは面白いなと思った。
今回の講義の話で、バスケを例にした話に共感した。高校の部活でバドミントンをやってきたが、自分がいつも練習してる体育館と初めて使う試合会場とでは環境が違いすぎて、納得のいくプレーができなかった経験があったのでその時は型にはまっていたと思った。型にはまらない柔軟性をもつためには、慣れ親しんだ環境からでて新しい経験をつみ、オープンマインドを持つことが大事だと思った。
今回の講義で、型にはまらない柔軟性について興味を持った。どれだけ準備万端に用意していても本番になると、緊張や状況の変化、本番にしかないイレギュラーなどが起こる事により、本領を発揮できないことがある。このような経験は、中学生の時サッカー部だった自分にもあって練習では凄く上手な人が、本番になると実力を発揮できない。このような状態は、型にはまってしまっている。プロのサッカーを見ていて、ホームでしか点を決めれない選手と、ホームとアウェイの両方で点を決めれる選手がいる。ホーム、アウェイの両方で点を決めれる選手は型にはまらない柔軟性を持ってるのだと思った。
今回の講義で、型にはまらない柔軟性に興味がわいた。野球選手などが普段プレーしている球場によって打率や防御率が変動するというのは、いつも通りの練習でこなしているプレーなどがグラウンドの違う球場になりエラーをしてしまったり、照明の見方が変わったりとしてしまうため普段通りにいかず調子を落としてしまうということに陥るがこのような事態に陥らないための対策で他球場の芝生のはね方の想定をしたり、ホーム球場とは違う何かを見つけ出していつも通りではしないであろう戦い方に切り替えることによって型にはまらない戦い方ができるようになるのではないかと思った。日頃当たり前の行動だと思って習慣化しているものを長い間続けている状態を型にはまっている状態だと思うので、いつも聞いている曲とは違う曲を聞いてみることや、毎週行っているランチのお店を少し遠出して全く知らないお店に行ってみるといった何気ない色どりを入れることが自部を型から飛び出させるチャンスだと思った。
型にはまらない柔軟性について、いつもの練習ではできることが本番になると緊張や、練習の時との環境の違いなどによって万全のパフォーマンスを発揮できないことがある。このような状況に陥らずに型にはまらない戦い方をするには、本番に慣れるというのもあるが、硬い考え方にとらわれずに、状況やその日の調子に応じて自分の培ってきた感覚をコントロールするべきなのだと思った。
今回の講義で学んだ、環境と身体の関わりによって行為が可能になるという考え方は日常の様々な場面で役立っている。例えば、勉強をしたり、パソコンで作業をするときには、自分と身体のサイズに合った椅子と平らで幅と高さのある机を用いることによってその行為が可能になる。なぜなら、地面に座ってものを書いたり、パソコンを打ったりするのは、人間の身体のつくりでは不都合であり、身長や腕の長さなどと椅子や机が持つ行為の可能性の発見によって行為が達成されるからだ。さらに、いつも家で使っている机と学校で使う机とでは高さや幅に違いがあるので、勉強することが得意(集中して物を書いたり本を読めたりする)な人でも、場所や使う道具が違えば、パフォーマンスの質に違いが出るだろう。そのように考えると、試験で十分なパフォーマンスを発揮するためには、色々な場所や机・椅子を使って勉強することが、良い点数をとる一つの方法となり得ると私は考えた。
今回講義は体調不良のため欠席したため、型にはまらない柔軟性という言葉について詳しく調べました。
型にはまらない柔軟性とは、例えば、サッカー選手がポジションを変更する際、これまでのスキルを応用しつつ新しい役割に適応する姿勢は、柔軟性の象徴であります。柔軟性は、環境の変化に伴い求められるスキルです。自身の考え方や行動を見直し、常にアップデートする意識を持つことが鍵になります。
今回の授業は体調不良でお休みしたので、型にはまらない柔軟性について調べてみました。日常生活や仕事の中で、つい固定観念や既存のルールに縛られがちで、柔軟な思考や対応力は、特に予測不能な状況や新しい課題に直面した際に大きな力を発揮します。問題を解決するためには、視点を変えることや既成概念を超えることが必要であると実感しました。今後は、自分の考え方や行動が固定化していないか意識しながら、柔軟性を持って物事に取り組んでいきたいと思います。
今回の講義では学習の特殊性に見る身体と環境の協調として、体得した運動を忠実に再現するには、その運動を学習した場面に近い環境が設定されている必要があることを学びました。以前習っていた新体操でも、練習では難なくクリアできた技でも、大会になると上手く出来ずに失敗してしまい、満足できないという経験を何度もしたことがあります。練習に必要なのはノンストレスで発揮できる技術であり、練習と本番の決定的な違いはストレスの有無であることを改めて思いました。いつもとは違う環境、相手、審判の表情、それに伴う自信のコンディション、メンタルの変化。本番はストレスになり得る要素で溢れています。身体と環境の結びつきが、特に運動では結果に直結することを学びました。
今回の講義で、1番最初に話した「人はなぜ歩くのか」について自分の考えは足があるから、生きていくために必要だからでしたが、足があっても水の上では歩けない、地面があるなど色々な条件があって初めて歩けるという話にとても納得しました。私は試合で緊張し自分の納得するプレーや練習したことができないなどに型にはまったんだと思った。もっと努力、往復練習、柔軟性が大切だと感じました。
今回の課題「講義で学んだことは、私の日常生活のどのような場面でどのように関連付いているか」について、根拠と具体例を挙げながら説明していく。
今回の講義では、スポーツにおける人間の学習を例に学習の転移について共に学んだ。学習の転移は文字通り、学んだ一つのことが他の学習や状況に影響を与えるというものである。よく言われているのが、バドミントンのスマッシュと野球の送球の関係についてである。これは、バドミントンのスマッシュの動作が野球の送球の動作と似ているためである。バドミントンと野球は、腕を頭よりも高い位置に挙げるオーバーヘッド動作と呼ばれるものが多く、バドミントンでは、地に足をつけた状態で下半身から上半身へと力とを伝える連鎖運動によって力強いスマッシュを打つ。野球でも同じように、下半身から上半身へと力をうまく伝達させてボームまで力を連鎖させていく。この類似性から、バドミントンのスマッシュと野球の送球には学習の転移が期待できる。私は中学から高校かけて、バドミントン部に所属をしていだが、体育で野球の授業、体育大会でのソフトボール、友人と野球をする際などに、野球の経験が殆どないのにも関わらず、ボールを狙った場所に送球するという行為と、その際の力のコントロールは自分でもここまで上手くいくものかと思うほど良くできていた。これはきっと、私自身がバドミントンで習い経験してきたものを、野球の送球に対して学習の転移を行っているのだと考えられる。
このように学習の転移は、スポーツの特定の場面においては役立つ場合もあると言うことができる。
今回の講義を受けて型にはまらない柔軟性がとても印象に残っており、ランニングで普段と変わらないコンディションでランニングしたり、またはどこから怪我をしたりして普段と違う走り方をするのは型に入っていると考える。だが、その中でも普段とは違う走り方をしていけば、型にはまらない走り方ができると考える。
今回の講義で運動学習の転移について興味を持った。運動学習の転移とは、ある運動技能を学んだ後、その技能が異なる状況や新しい課題にどれだけ適用できるか、他の運動技能にどれほど影響を与えるかという現象を指していることがわかった。転移には2種類あって正の転移と負の転移の2つがあることが調べてわかった。正の転移はある運動技能が別の技能を習得する上で助けになる場合。例えば、サッカーのキックの動作が、ラグビーのキックに役立つことがあるように、既に学んだ技能が新しい課題を習得しやすくする場合だとわかった。負の転移はある運動技能が別の技能の習得を妨げる場合。例えば、テニスのラケットの握り方がバドミントンのラケットの握り方に不利に働くことがあるように、以前に学んだ動作が新しい技能に対して逆効果を生むことだとわかった。転移の度合いは、運動技能がどれだけ似ているか、学習者がどれほど異なる状況での経験を活かせるかによって異なるのではないかと思った。