みんなで楽しく語り合いましょう
他を蔑む形での褒め方は禁止です
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🐉
週間フレンズ+月刊けものを統合し、総合ファンスレとしてリニューアル
詳しい事はスレで
変則隔週日曜日 22:00~23:00 けもがたりの場所
11・12月の予定 🐸<もう今年も終わりでありますなぁ
11/3 黄色い生き物の話 モンキチョウ、キビタキ、ウデフリツノザヤウミウシなど
11/17 赤い生き物の話 アカゲザル、タンチョウヅル、ベニザケ(繁殖期)など
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12/1 緑・青色の生き物の話 ミドリムシ、ウグイス色のメジロ、アオツラカツオドリ、マルタタイガーなど
12/15 雪と氷と生き物と ユキヒョウ、ニホンザル、アザラシ、ワカサギなど
12/29 これまでのけもフレとこれからのけもフレ プロジェクト10周年!
けもがたり保管庫
(けもがたり過去ログまとめ)
2024/9/9
久々の日記更新。この前三次コラボに行ってきました。親になると子供目線で施設を見たり色々と気付きが出てきますね。
2024/12/15
熱中症になった
ここまでがあなたのコンテンツ
ここからもあなたのコンテンツ
【制作陣vs視聴者(考察班)】
ユルい性格のキャラとほのぼのストーリーの合間で、不穏な雰囲気を醸していた本作。
ここにきてツチノコが「絶滅」という言葉を発したことで「これは何かある?」「実は奥の深い物語!?」と
視聴者の間で話題になり始めるきっかけとなった4話。
どのアニメにも考察班というものは存在して、
・全体的なストーリーの考察(物語の展開・ラストを予想する)
・シナリオ解析(話の作り方論)←筆者は主にココに属する
・演出に関する考察(映像効果、BGM、声優さんの演技など)
ーなどが感想掲示板・ブログなどで日夜、話題に上っています。
更にマニアックな勢力として映像解析班という方々も居ます。
どれだけ時間を掛けているのか知りませんが、コマ送り・明度調整などを駆使して
スクショ確保に血道を上げているようです。
これらは主に「作画崩壊ネタ」として提供されますが、
アニメーターやイラストレーターの教材にもなっている側面もあります。
Irodoriメンバーも かつて通った道だと思われ、
クリエイターの側になった今、その対象にされることを意識した作りにするというのは、自然の摂理なのかもしれません。
(監督が「ニッチな作品」と自称するのもその辺にあるのでしょう)
なおケムリクサのオーデイオコメンタリーによると
「互いにサプライズとしてネタを仕込む」ことがあるような発言があったようです。
(自主制作時代の思い出話かもしれませんが)
後で完成品を観て、探して、見つけ合って・・・と内輪でも盛り上がっていたかも?
ーと考えると微笑ましいものがあります。
たつき監督は作品に関しては徹底した秘密主義で、商業作品となった「けもフレ」でも
意図を知らせず指示したり、絵(V)コンテにして渡していたようです。
(自分で仕込んだネタのことを忘れるのは、ご愛敬w)
逆に伊佐さんが仕込んだのでは? と筆者が睨んでいるのが「例の顔」
中割りなので気付かなかったと監督は言って(とぼけてる?)いますが、
伊佐さんは、はっきり自分が書いたと証言しています。
果たしてこれはたまたま視聴者に発見されただけの「偶然の産物」なんでしょうか…?
irodoriの良心(?)白水さんは至ってマジメな印象なのですが、
9話サーバルの「海想像図」。その太陽の中に「の」が描かれているという報告が!?
そんな、他にも沢山ある小ネタの一部を紹介・・・
最近はいろんな専門的マニアック知識を持った方がいて、
EDが実存した廃遊園地であることを特定したり、
本編に動物のトリビアがふんだんに取り入れられていることなどを指摘していて、感心することしきりです。
音・声に対してサーバルの耳が真っ先に反応するというモーションはあまりに有名ですが、
他にも見つかっていない細かなネタがあるかもしれないので、
改めて探してみるのも面白いかもしれません。
それにしても、放送から2年以上経った今でも
こうした考察に耐えられる、ネタが発掘される作品は稀有だと思います。
#5話
心配性で一歩を踏み出す勇気の出ないビーバーと、
無計画に猪突猛進して失敗ばかりのプレーリー。
そんな正反対な性格の二人が、主人公たちの仲介を経て、協力して家を作る。
5話は、言ってしまえば こんな「三行あらすじ」で収まるようなシンプルな話です。
それだけなら「物語の王道」と言えますが、特筆すべき点が3つあります。
・初対面の二人が1話内で尊敬し合い、同棲するまでに仲良くなる。
・性格が真逆な両者の間に、一切ギスギスがない。
・それでいて話の流れに無理がなく、ご都合主義とは無縁。
これまでの「よくある話」での対極キャラは互いに嫉妬、もしくは反目・衝突
→主人公が何らかの取りなし
→認め合って協力するようになる、という流れが定番パターンです。
「めでたしめでたし」に持って行くには、一度「試練」とか「落とす部分」が必要と言うのが
これまでの話作りのセオリーだったと思います。
(そういう展開に慣れている人、固定観念に縛られている人からすると、
落差が小さく退屈だ、盛り上がりに欠ける、という評価に繋がるかもしれません)
その点、けもフレは かなり革新的な手法を取っていると思います。
・木材をダメにした(ギャグ)ので、サーバルたちが調達を申し出る。
・落ち込んでいるビーバーを気分転換に、と誘う。
・今回は、家作りに悩むフレンズの話である、という説明台詞はボスガイドに混ぜる。
・プレーリーの登場シーン=家作りの失敗(ギャグ)
・互いの「得意なこと」を披露。
・助けてもらった&教えてもらったお礼に、とプレーリーが手伝いを申し出る。
こはんに戻っって・・・
・プレーリーは、暴走穴掘り。
・一方のビーバーは、一向に作業が進まない。
・かばんが共同作業を提案。
・サーバルも相槌を入れることで話がトントン拍子に進む。
・互いのリクエストが盛り込まれた(同棲が前提w)家が完成する。
※この間も細かい描写を挟んで、キャラの特徴を提示することは欠かしていません。
自分の欠点を相手と比べるという視点ではなく、
しっかり切り分けて考えていて、あくまで自省的に見つめています。
1話から続く「相手の得意を見つけ、素直に褒め、リスペクトする」という
積み重ね描写も、それをアシスト・補強しています。
・サーかば→ビーバーの家作りの知識
・プレーリー→ビーバーの地盤の知識
・サーバル→プレーリーの仕事の飲み込みの早さ
・ビーバー→プレーリーの早さと切り口のキレイさ
こはんに戻って、両者が家作りに失敗した後も
お互い、作った数・手順が見えていることに感心し合っています。
キャラたちは明るいだけでなく、真剣な悩みを抱えていますが、
ギャグとして昇華することで、ストーリーが暗い雰囲気にならないよう気を配られています。
又、その状態をいたずらに引っ張らず、すぐに解決策が示されるというのも、
「話運びがスムーズ」という印象を与え、
多くの情報が詰め込まれているのにも関わらず、
ストレスを感じさせない「脚本・演出の構成の妙」が そこにあります。
今回は「かばんの叡智がスケールダウンしている」という意見も聞きますが、
ビープレは「二人のおかげで立派な家が出来た」「かばんの一言あってこそ」と認めていますし、
「考えるのが得意な動物」「きっといい動物に違いない」 ーと言い、
かばんも「ステキなコンビだった」と評しています。
5話は「足りないものは協力することで補い合うこと」の大切さを説いた話であると同時に、本質 が最も色濃く表現された回だったのです。
「相手をリスペクトすること」の大切さ=けものフレンズの
#こはんコンビ
同人時代のirodori作品には当たり前にあり、本作では封印された時事ネタやパロディ。
ケニア育ちとはいえ関西人ですし、エンタメ重視の作風だったのでギャグはお手の物です。
本作では正統派・独特の感性なギャグと、いろいろなバリエーションが見られました。
子供向けギャグとしては、
2話の一般通過ジャガー、5話のこんにちはであります×2などが挙げられるでしょうか。
(意外なことに「3話のバスに轢かれるサーバル」もウケていたようですが…)
全体的にフレンズの精神年齢が低め設定なので、子供受けは良かったと思います。
(大人フレンズも童心に帰って楽しめたようですがw)
あと特徴的なのはSNSを意識した作り、でしょうか。
提供のGIF素材(7話のゴロゴロサーバル、8話の無限ジャパリまんなど)もそうですが、
ボケっぱなし、投げっぱなし→視聴者にツッコミを入れさせる、というスタイルは
掲示板での実況やニコ動コメントでの視聴者参加を意識してのことでしょう。
そして、その狙いは見事にハマりました。
(TVの放送時間、ニコニコ配信、からすると順当かもしれません)
それにしては実験的すぎる試みです。
(プロジェクトを畳むこと前提で、ある程度好きにやらせてもらえる状況だったから出来た?)
又、相手にされなかったら相当寒いことにもなりかねない賭けでもあります。
実際、当時は気付いてもらえていなかったであろう分かりにくいギャグもあります。
例えば4話。
ツチノコの「見りゃ分かるだろ」はUMA(未確認生物)なのに、誰が見ただけでツチノコだと断定できるんだ?
というツッコミ待ちのギャグ。
物陰に隠れるというミスリードもあって、そっちに引っ張られてしまいました。
あと10話。
タイリクオオカミの話も「オオカミ少年」に引っ張られがちですが、
ウソ=ホラ話→ホラー探偵ギロギロ、というギャグでもあったのでは、と思われます。
そしてもう1つ。
本作の最大の特徴が「動物要素を取り入れたギャグ」です。
5話でいうと「セルフ生き埋め」と「ごあいさつ」
3話の「ペェッ!」なども、それに当たります。
これは他のアニメには真似の出来ない強みだったと思います。
アニメを観ていて、演出がずいぶん凝った回だったなとか、声優さんの演技に熱が込もっていたなとか、
そう思ったことはありませんか?
二次創作でも、推しキャラは出番が優遇されていたり、書き込みに力が入っているのは伝わってきますよね。
そういう意味で5話は、いろんな意味で冴え渡っていたように思います。
特に後半は、ビープレがそれぞれ家作りにちなんだギャグを畳みかけるのですが、
脚本(セリフ)も動画のタイミング(演出の「間」)も抜群で、
監督もニヤニヤしながら作業していたのではないかと筆者は想像しています。
ビープレ=たつき監督自身?
作中の描写を見るに、ビープレの二人を自分に重ねていたのではないかとも思っています。
・Irodoriのリーダーでありアニメの監督(責任者)としての立場=ビーバー
→思い悩むこともある自分を支えてくれるメンバーへのリスペクト。
・500日缶詰だったり、休みの日までアニメ作りに没頭してしまう作業者=プレーリー
→手綱を操り、仕事をしやすい環境を作ってくれる福原Pへのリスペクト。
当時は仕事の歯車が噛み合い、とても充実感に満ちていたのではないか・・・
そして、その喜び・感謝を作品に投影した・・・
僕の目には、そのように映った5話でした。
個人的にプレーリーの「きっといい動物に違いない」というセリフには心を抉られました。
ヒトの傲慢さ、汚さ、どうしようもなさ、を知っているからです。
その後のかばんの「うん!」と併せて、あまりに純粋すぎて・・・
「ヒトは悪い生き物だ」と直截的に言われるよりグッとくるものがあります。
監督も、その効果を十分に理解した上でのセリフ回しだったとは思います。
公式によるキャラ紹介に「レッドリスト」が載っていたり、
絶滅種のハイライトが描かれていないという「毒」を潜ませているのも、
同様の効果を狙ったものと思われます。
それでも やっぱり「素直に受け取れるセリフ通りの意味=たつき監督自身の考え方の基本」
なんだろうな、とも思います。
なんだかんだ言っても「ヒトは素敵な動物だ」と。
(それは「ケムリクサ」で描かれたメッセージにも通じるものがあります)
この回は、かばんが助言だけで叡智らしい叡智を発揮していない、
主役であるサーカバが空気で大して役に立っていない、という意見もあります。
また「紙飛行機・橋作り・地上絵」のような「思いも付かなかった発想」に比べると、
確かにスケールダウンしている感は否めません。
「ビープレが協力する」というのは、さほど難しくないアイデアでしょうし、
感想動画でもAパートから指摘している方がいました。
ーが、この回では敢えて、大それた考えでなくても劇的に状況を変えることが出来る、
ことを示したかったのではないでしょうか?
ここまで かばんは、とかく自信が無い言動で描かれてきました。
なので事態の打開は、必ず「現地フレンズと協力&フレンズがメイン」でした。
そんな中、成功体験を重ねたこと。
フレンズたちに受け入れられている、ということをやっと素直に受け入れられ、自信を深めることになります。
(フレンズ側は最初から受け入れていたのですが)
それは「いい動物に違いない」というセリフに「うん!」と元気よく返事するところ(自己肯定)にも現れています。
これも物語の基本「主人公の成長描写」&「王道」だったのです。
※そして、これは(他の方が指摘されていた考察ですが)
最終話の旅立つシーンでの、5話以前に出会ったフレンズは心配するようなセリフ、
6話以降に出会ったフレンズは前向きなセリフで送り出す、という描写にも繋がります。
プロ(マンガ家だけど)から見たけものフレンズの魅力を語るシリーズ
本職(マンガ家だけど)の人のお墨付きをもらえると安心するよね
確かに「イヌ科でもないのにナーバリを捨てて付いて行く」のは、ちょっとした違和感を覚えていた…
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かばんちゃんの叡智が突拍子もないアイデアのように見えて、ご都合主義には見えない(むしろ感心する)のは
うーむ、何気無いシーンにもしっかりと意味を込めて作ってるって事か、そうやって見ると無駄なシーンは恐らく殆ど無いのかもなぁ…それに気付く考察班もまた凄い
6話本番前のライオン
ライオンが かばんたちをスパイとして送り込んだのは、ヘラジカが勝ちにこだわっていると勘違いしていたから。
城で対峙した時、その過ちに気付かず わざと負けていたら、更にこじれていた可能性もあっただろう。
ーというものでした。
ライオンを「優秀な将」と見ていた僕にとってはメカラウロコでした。
そう言えば血の気の多い腕自慢たちも、いずれケガをさせそうでイヤだと言っています。
実際は、やり過ぎ(首がもげ)たらすぐに謝る優しい子たちだったわけですしね。
相手との競争(勝てばよかろう)というより自己鍛錬・自身向上の意味合いが強いものです。
礼儀を重んじる、敗者は勝者を称える、勝者は驕らない、道具を大切にする、など・・・
武「道」の精神・伝統が根付いているからなのかもしれません。
フレンズたちの「合戦」も言葉こそ野蛮な雰囲気を醸し出していますが、
ライオン軍が やりこめてマウントを取るようなことはしませんし、
ヘラジカ軍も(少しはヒネれ!と視聴者にツッコまれるくらいw)正々堂々と挑戦し続けます。
顕著なのがパンカメVSツキノワグマです。
一本取られたツキノワは「すっごーい!」と素直にリスペクトし、敗れていきます。
そして慢心して残心を怠ったパンカメは自滅してしまいます。
とても教訓的なエピソードだと思います。
ライオンの解説に前者の話が出てきます。
もちろん一般の人にとって馴染みのあるのは後者の意味でしょう。
なので、たつき監督はこれを組み合わせた構成でストーリーを作り上げます。
本編のライオンは「(大将には)頼まれたからなっただけで、乗り気ではなかった」と吐露しています。
一方のヘラジカは城に辿り着いた時、プライド(群れ)への感謝を口にします。
(まず、このネジレが面白い)
それを聞いてライオンは予定を翻し、本気で闘います。
そうでないとプライド(自尊心)を傷付けることになると思ったからでしょう。
結果は引き分けでしたが、恐らくどちらが勝っていても固い絆は結ばれていたことでしょう。
原作のシロサイ(♂)は、メスを追い掛け回し疲れたところで交尾を迫る・・・
つまり本編ではサーバルを襲おう(意味深)としたが、返り討ち(意味深)に遭った、ということなんですねw
7話
当初の目的地であるとしょかんに到着し、かばんがヒトであることが確定します。
ここで博士たちがヒトの特徴を列挙しますが、かばんはピンと来ていません。
(二足歩行、コミュニケーション能力、投擲、学習能力、群れる、長距離移動)
それもそのはず、ここまでにフレンズが(程度の差はあれ)持っていることばかりだからです。
実は、博士たちの言動やかばんにさせようとしている事こそがヒトらしさを示しているのです。
標識を理解する、文字を読む、りょうり(物事の組み立て)、火を作る・扱う、
自称・長であり賢い(霊長)時間を認識(砂時計)、盗む(畑からチョイ)、
目的が1つでなく複数の報酬(モチベ・副賞を付ける)
ウソをつく(ヒト? 何のことやら)、辛いもの(味覚にないもの)を食べる、
文化を持つ(ライブ・アイドル・ギャグ)など・・・
ラストで「美味しいものを食べてこそ」「お代わりを待ってる」と見送る2人ですが、
これも人間らしい(動物はあまり味覚を重視しないし、お代わりできるほど獲物にありつけない)セリフ
なのも深いと思います。
たつき監督は作品として伝えたいことを、
直接的なセリフではなく、流れや演出で説明するのが上手く、
アニメ(映像作品)としてよく出来てるなあ、と改めて感心します。
ワールドでの「生きる意欲を失うと消滅」設定は、
ヒトは絶滅したと聞かされる→ハイライトが消えかける演出、として拾ったのかもしれません。
ハシビロコウに自身がヒトであることを聞かされ、あっさり目標を達成したことによる燃え尽き症候群。
そして自分が最後のヒトかもしれない、という虚無感から「生きる目的」を見失っても不思議ではないからです。
それを両方とも救ったのがサーバルというのがまた、てぇてぇですなぁ・・・
~おまけ~
かばん’sきっちん ハイライト
※僕はirodoriの制作姿勢やけもフレの理念(コンセプト)に感銘を受けた
言わば「党の支持者」ではありますが、たつき信者ではありません。
なので内容がつまらなければ批判もします。
序盤のキャラの描き方は良かったし、
プリンセスがライブに戻ってからはいつもの調子が戻ったように思われますが、
楽屋でのギスギス辺りは明らかに雰囲気がおかしく、
プリンセスの「歌って踊れるだけ、あなた達よりいいわ」というセリフに至っては、
話の文脈から浮いているというか、前後のやりとりと噛み合ってなかったと思います。
irodoriは細やかな動きに定評がある一方、激しい動き が苦手なようです。作用 」も
そのためライブシーンをブラッシュアップするのに手一杯(納期ギリギリまで調整していたと思われる)だったのか、
上で例に挙げたようにセリフ回しの推敲や、ジェーンのキャラ立てに手が回らなかったのかもしれません。
また、これまでの回で描かれてきた
「かばん一行との出会い・フレンズ同士の交流による相互
マーゲイ>>>PPPというバランスになってしまった印象です。(PPP側はプリンセスの負担が減るくらい?)
メインストーリー的にも、ヒトが最後に目撃されたのは港・パークは孤島(無人島?)
という情報を得るくらいで、かばんたちの活躍も少なめでした。
かばんのキノヴォリの成長描写やマーゲイの鳴き真似など、
12話に向けての仕込みとして細かくも重要なシーンがあったので、まったくのムダ回とまでは言いませんが・・・
全体として精彩に欠けた感のある回でした。(ニコ動アンケートでも少し落ちている)
~おまけ~
NGシーン
9話の名シーン
ストーリー的に情報量を詰め込み過ぎな感は否めないものの、おおむね楽しめた
そんな中、僕が唯一 引っ掛かったのはソリ作り。
あの短時間で、釘や加工技術も無しに十分な強度のものを組み立てられるとは思えず、
正直「そうはならんやろ!」と思いました。(事実、そういうツッコミもありました)
当時は、「なっとるやろがい」という返しが成立するほど たつき監督が
脚そ考ならぬ「脚な考(脚本の人のことだからなにか考えがあるに違いない)」と
思ってもらえるだけの信頼をすでに勝ち取っていたので、
上記のような異見は粗探しの部類になってしまうかもしれませんが・・・
<ソリという概念>
・Aパートでボスから「かまくら」の話と一緒に積雪下での移動手段としてのソリの話も聞いていた。
・としょかんで火の熾し方を調べている時に、たまたま そういった情報も仕入れていた。
ソリを使って逃げる、というアイデアに関しては このどちらかでなんとか説明できそうです。
<ソリの組み立て>
・ビーバーたちの家作りを手伝っていたおかげで木材加工もマスターしていた。
こちらに関しては、これくらいしか思いつきません。
うーん、強引w
しかし思えば、この物語では かなりの力技が随所に見受けられます。
1話での紙飛行機や、2話の橋作りからのサーバルジャンプ運搬をどう思い付いたか、
などです。
この回では初めて「ミライさん」の名前が出てきます。
これには重要な意味があると考えられます。
そこで「ヒトだったころの記憶が下りてきた」というのは、どうでしょう?
ミライさんなら紙飛行機を作って飛ばしたことくらいあるでしょうし、
橋やかまくら、ソリなども見たことはあるでしょう。(作り方まで知っているかは定かではありませんが…)
まさに強くて(?)ニューゲームです。
フレンズ化により元動物よりパワーアップすることを考えると、
ヒトの能力を超えた叡智を発揮する、というのはあり得ない話ではありません。
ーということにしておこう・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
他にも、さばんな生まれで肩出しファッションのサーバルが震え、ボスが凍り付くほどの寒さの中、
半袖のかばんが ちょっと寒さを覚える程度、というのはいくらヒトが寒さに強い種だとしても奇異に映ります。
これも「かばんがヒトのフレンズである」ことの小出し情報だったのではないでしょうか。
ーと好き勝手に考察してみましたが、
何が正解かは今となっては分かりませんし、もしかすると「脚本の穴」の可能性もあります。
ーが、こうやって余白を考察で埋めてもらえるのは、監督が作品や視聴者と真摯に向き合い作ったから、
なのでしょうね。
パッと見、ぐうたらなキタキツネ&保護者然としたギンギツネ、と言った感じですが、
実質は、キタキツネがイニシアチブを持ち、ギンギツネも彼女の超感覚に頼っている節があります。
(かまくらに人の気配があること、分離機に違和感があることを予見)
ここでも一方的な依存関係ではなく、互いに補い合っているというのが良いですね。
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キタキツネ「磁場を感じる…」 ギンギツネ「こうやって狩るのよ」
日清コラボ「さくさく」
観たかったなぁ・・・
確かに一期も放送前のコンセプトは「おうち探し」だったのかもしれないと思いました。
3話:カフェ
4話:スナネコの家
5話:ログハウス
6話:ライオン軍の城
7話:としょかん
8話:ライブハウス
9話:温泉旅館
10話:ろっじ
ーと様々な「おうち候補」になりそうな住居・建物が登場します。
※1話・2話のサーバル・ジャガーは「ナーバリ」を持ってはいるが家は持たず、その辺で寝ていると思われる。
(コツメの棲み処に関しては、寸前にサルから変更されたため有耶無耶)
4話のツチノコはUMAなので不明。
11話は特殊で、セルリアンの胎内→生まれ直しを暗示していると思われます。
最終話でサーバルを置いてキョウシュウを旅立ったのは「巣立ち」
ですが、一期を「おうち探し」をメインストーリーとした作品として見ると
物足りないどころか おかしな点が多すぎますし、実際ここまで評価もされなかったでしょう。
ジャパリパークで元気に暮らすサーバルは、ある日、名無しの迷子と遭遇。
「かばん」と名付けられた迷子の“正体”を突き止めるため、張り切って図書館を目指すことに…!
ここにも「おうち探し」の痕跡はあります。(迷子なら家を探すのも自然)
ですが、記憶喪失設定なら自分が何者なのか?という“正体”を突き止めることを旅の動機にする方が説得力があります。
一期は「自分探し・ヒトという動物とは?」を描いている物語と見るべきでしょう。
もしかすると2は、こうした一期の方向転換(?)を受け、
本来描くつもりだった「おうち探し」に軌道修正・原点回帰(?)するのが狙いだったのかもしれません。
タイリク先生のホラ話に出てくる「フレンズ型のセルリアン」とはセーバルのことでしょうし、
「食べられると二度と出て来れない夢」とはユメリアンのことでしょう。
他にもジャパリまんのつまみ食いや、本編の犯人捜しの似ています。
けもフレはメディアミックスなのですから、クロスオーバーしたストーリーを挿し込むことはあり得る話ですが、
サービスがすでに終了している事情もあって上からの要請は無く、監督の発案だったと個人的には思っています。
(監督本人もユーザーだったらしいので)
ともあれ、ネクソン版ユーザーにとってはニヤリとする、
知らない完全初見勢でも破綻なく楽しめるように作れる、というのは稀有な手腕です。
(この、監督の才能は後の作品でも活かされています)
>> 37の
10話ではサーバルが「ビーバーたちみたいに一緒に住まない?」と持ち掛けています。
視聴者は「すわ、プロポーズか!?」と盛り上がっていましたが、僕は少し違う見方です。
1話に遡ります。
カバは「パークの掟は自分の力で生きること。 サーバル任せではいけない」と忠告し、
かばんはサーバルに頼らないよう行動しますが、
サーバルは「手出ししないまでも かばんを庇護すべき存在」とみなして行動しています。
じゃんぐるちほーの手前で一旦別れ、再会したサーバルは「お友だちだから」と言っていますが、
実質は「母が娘を心配して付いてきた」心理だったと思われます。
一方のかばんも同様で、この時点では まだ互いに「甘やかし」「甘え」の関係性だったと言えるでしょう。
その後かばんはみるみる成長を遂げ、
10話でのサーバルのこの発言は「子離れできない母」が無自覚に縛ろうとしたと思われます。
その後のかばんは、その呪縛を解くような言動が目立つようになり、
サーバルもやがてそれを認め、船を贈ります。
そして かばんは「巣立ち」を果たします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もちろん、このまま終わっても100点満点の物語として成立したでしょう。
しかしサーバルは付いて行く、という選択をする。
サーバルは、ここで初めてかばんを対等な友だち(もしくは恋人)として再認識したのだと思います。
それをアラフェネとフレンズたちが後押しした結果が客車ボートだったのでしょう。
かくしてサーかば(+立会人随行?)で新婚旅行に出発。
こうしたサーバルの成長物語にまで昇華させたことで、けもフレ一期は100点を超えた傑作になったのです。
感情のジェットコースターと喩えられた11・12話
そんな中、個人的に引っ掛かっていたセリフが2つあります。
「わーるど」設定が一期の時点ですでに存在した、と考えると・・・?
・これまでにかばんは何度かパークに転生していた。
・そのうちの1人が「困難は・・・」という発言をしていた。
・アライさん(前世代)はそれを人伝に聞いていて、その記憶が残っていた、
ーと考えることが出来ます。
[補強要素?]
・アライさんの「お前がかばんさんのわけないのだ」という発言。
・6話ハシビロコウもヒト(実はかばん?)についての噂を知っていた。
・かばんの「そんなこと言ったっけ?」という、はっきり否定しないセリフも
ミライだった頃というより、先代かばんの記憶を無意識に辿っていたのかもしれません。
A、のちに手袋やタイツが再生していたことから、 かばんはヒトのフレンズで元動物に戻る前に助かった、
ーと思っていましたが、これでは博士の見立てが完全に間違っていたことになります。
B、では、もし博士の言う通りだと考えてみると、
今度は「なぜミライの姿」ではないのか?という疑問にぶつかります。
C、わーるど設定の「ヒトのフレンズ(第二形態)」として生まれ直したとも考えられますが、
サンドスターがどこから来たのか?という疑問が湧きます。
実は元動物に戻ったのではなく、
・わーるど設定のキュルル化(セルリアンの作り出した「ヒト」のコピーとされている)」が起こった。
・ヒトのセルリアン化が起こった(黒セルリアンの体内にはサンドスター・ロウがあるはず)
ーのかもしれません。
今となっては明かされることのない謎ですが・・・
(ニチアサのまとめサイトのコメントから仕入れた情報で恐縮ですが)
版権モノのアニメの場合、雇われた監督(脚本家)が販促を終えた最終回だけは「遊ぶ」ことが許される
ーという慣習があったそうです。
「眼鏡」「らすとおんみょう」などに代表される同人上がりでエンタメ志向なたつき監督も、
けもフレにおいてパロ・時事ネタを封じられたことは、少なからず溜まったモノがあったはずです。
そんな反動から生まれた監督の遊び心、だったのではないでしょうか。
・ボスの残骸?→生きてた!(日常会話なのが芸細)→ぽーい!
・観覧車のゴンドラ落下
ーなどもそうでしたが、ギャグを挟んでおきながら感動(シリアス)シーンに水を差さない、
・・・どころか両立させる監督のセンスは稀有な才能だったと思います。
カバからの注意勧告がアードウルフにまで伝達されていなかった可能性
→ゲートを通ろうとしたらセルリアンが居座っていた
→驚いて悲鳴を上げたものの、捕まらずに逃げれた
ーという可能性はあるかな
>> 38でも触れましたが、監督は観る側の立場が変わっても満足感が変わらないような構成が作れる方なので
ネクソン勢に配慮した可能性はありますね
[5話追記]
プレーリー
「そうであります。 (きっと)いい動物に違いないでありますよ」
一期5話の、そして個人的に「けもフレの名言」として未だに毒のように効き続けているセリフです。
字面だけみれば誉め言葉ですし、中の人の演技も純真そのもので裏やトゲは感じさせないにも関わらず、です。
これが朝や昼の発言なら言葉通り素直に受け取れたでしょうし、
逆に夜や薄暗い部屋などで表情が見えない中での発言なら違和感しかなかったでしょう。
夕方(寂寥感や感傷的な気分を増長)、しかも繊細な色彩・明度設定だったからこそ
揺さぶられるものがあったのではないかと推測しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
サーバル
「私達、あんまり出番ないねー」
カバン
「そうだね。 お掃除、やっとこうか…」
これも本来ならあり得ない(作劇的にあってはいけない)セリフ。
主役2人に「美味しいところ」を用意するのが“監督の仕事”のはずです。
もしかするとですが、ここには
「動物たちの営みにヒトが手出しをしてる暇があるなら、自分たちの手で汚した環境の方をどうにかしろ」
というメッセージが込められていた、というのは冷奴が過ぎるでしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2では「おうち探し」がメインテーマだったと思いますが、
一期5話では、それをこの回だけで終わらせている、と言えるような・・・
(ログハウス作成回でありながら、道中サーバルの「その辺で寝ちゃう」発言や
エナガやツカツクリの巣の解説もありましたし・・・)
言葉選びの妙ですねー
素直でなんてことない言葉に聞こえるようで実は深い
脚本(言葉選び)、作画(キャラの表情や細かい仕草)、美術(色彩感覚や質感)、そして演出。
すべてが上手く噛み合ったirodoriの群れの力ぁですかね…
(もちろん音楽・中の人の演技・内外の関わったスタッフ全員の団結力ぅでもありますが)
考察を考察する・・・?
これを読んで思い付いたけど、EDが初登場したのは2話。
作中で朽ちて落ちた橋とか、それを見てアワワワするガイドロボ、
廃車同然のジャパリバスを描写することで
「打ち捨てられた遊園地」であることのヒントにもなっている・・・とはいえ、
それを特定する視聴者も変態(褒め言葉)なら、仕掛ける製作者側(しかも初監督)も頭おかしいw
12話では作中で「ゆうえんち」が一部復旧したことで廃遊園地→特殊エンディングという・・・
構成も隙が無いよね
かばんちゃんという名前に
姿・形の違うフレンズ同士、そしてフレンズとヒトを繋ぐという意味も込めているとすれば・・・
ヘラジカ監督、やべぇよ…
ほほう…
僕も気にはなっていましたが、こう考えると後の展開的にも辻褄が合いますね。
たった1話でかばんちゃんの誕生(出会い)から親離れ(暫定の別れ)まで描いてしまうのは
駆け足過ぎる気もしますが、これも原作(野生動物)準拠なのかもしれませんね。
>> 28
「橋作りのヒントは事前に示されていた」という考察を以前紹介しましたが、コレもすごい。
ムダが無さすぎでしょ
これは盲点だった…
3から入った方が一期を履修シリーズ
また違った見方をしてて面白いですね
ブームに乗らずに純粋に見る楽しさというのもまた違った楽しさがありそうですね
ジャガーさんが泥水の中を泳いでるのは当時から見てもシュールでした
服着たままでしたしねw
最も「濃い」と名高い回ですからね
ノリと勢いで持ち上げられていただけなんていう人もいますが、今見ても面白いと思います
よく作業用BGM代わりにバックで音声だけ流しています(たいてい作業が滞る)
荒削りな部分もありますが、
丹精を込め、手を掛けて作られてますよね
王道展開でありながら、斬新な手法(アドリブ多用・肉声解説など)を取り入れているのも
特筆すべき点かと・・・
なので作業用や流し見にも向かないというのは分かります
(OPやEDだけでも耳を持ってかれるでしょうねw)
すっごーい熱量の本気考察