タイリク先生のホラ話に出てくる「フレンズ型のセルリアン」とはセーバルのことでしょうし、
「食べられると二度と出て来れない夢」とはユメリアンのことでしょう。
他にもジャパリまんのつまみ食いや、本編の犯人捜しの似ています。
けもフレはメディアミックスなのですから、クロスオーバーしたストーリーを挿し込むことはあり得る話ですが、
サービスがすでに終了している事情もあって上からの要請は無く、監督の発案だったと個人的には思っています。
(監督本人もユーザーだったらしいので)
ともあれ、ネクソン版ユーザーにとってはニヤリとする、
知らない完全初見勢でも破綻なく楽しめるように作れる、というのは稀有な手腕です。
(この、監督の才能は後の作品でも活かされています)
10話ではサーバルが「ビーバーたちみたいに一緒に住まない?」と持ち掛けています。
視聴者は「すわ、プロポーズか!?」と盛り上がっていましたが、僕は少し違う見方です。
1話に遡ります。
カバは「パークの掟は自分の力で生きること。 サーバル任せではいけない」と忠告し、
かばんはサーバルに頼らないよう行動しますが、
サーバルは「手出ししないまでも かばんを庇護すべき存在」とみなして行動しています。
じゃんぐるちほーの手前で一旦別れ、再会したサーバルは「お友だちだから」と言っていますが、
実質は「母が娘を心配して付いてきた」心理だったと思われます。
一方のかばんも同様で、この時点では まだ互いに「甘やかし」「甘え」の関係性だったと言えるでしょう。
その後かばんはみるみる成長を遂げ、
10話でのサーバルのこの発言は「子離れできない母」が無自覚に縛ろうとしたと思われます。
その後のかばんは、その呪縛を解くような言動が目立つようになり、
サーバルもやがてそれを認め、船を贈ります。
そして かばんは「巣立ち」を果たします。
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もちろん、このまま終わっても100点満点の物語として成立したでしょう。
しかしサーバルは付いて行く、という選択をする。
サーバルは、ここで初めてかばんを対等な友だち(もしくは恋人)として再認識したのだと思います。
それをアラフェネとフレンズたちが後押しした結果が客車ボートだったのでしょう。
かくしてサーかば(+立会人随行?)で新婚旅行に出発。
こうしたサーバルの成長物語にまで昇華させたことで、けもフレ一期は100点を超えた傑作になったのです。