感情のジェットコースターと喩えられた11・12話
そんな中、個人的に引っ掛かっていたセリフが2つあります。
「わーるど」設定が一期の時点ですでに存在した、と考えると・・・?
・これまでにかばんは何度かパークに転生していた。
・そのうちの1人が「困難は・・・」という発言をしていた。
・アライさん(前世代)はそれを人伝に聞いていて、その記憶が残っていた、
ーと考えることが出来ます。
[補強要素?]
・アライさんの「お前がかばんさんのわけないのだ」という発言。
・6話ハシビロコウもヒト(実はかばん?)についての噂を知っていた。
・かばんの「そんなこと言ったっけ?」という、はっきり否定しないセリフも
ミライだった頃というより、先代かばんの記憶を無意識に辿っていたのかもしれません。
A、のちに手袋やタイツが再生していたことから、 かばんはヒトのフレンズで元動物に戻る前に助かった、
ーと思っていましたが、これでは博士の見立てが完全に間違っていたことになります。
B、では、もし博士の言う通りだと考えてみると、
今度は「なぜミライの姿」ではないのか?という疑問にぶつかります。
C、わーるど設定の「ヒトのフレンズ(第二形態)」として生まれ直したとも考えられますが、
サンドスターがどこから来たのか?という疑問が湧きます。
実は元動物に戻ったのではなく、
・わーるど設定のキュルル化(セルリアンの作り出した「ヒト」のコピーとされている)」が起こった。
・ヒトのセルリアン化が起こった(黒セルリアンの体内にはサンドスター・ロウがあるはず)
ーのかもしれません。
今となっては明かされることのない謎ですが・・・
(ニチアサのまとめサイトのコメントから仕入れた情報で恐縮ですが)
版権モノのアニメの場合、雇われた監督(脚本家)が販促を終えた最終回だけは「遊ぶ」ことが許される
ーという慣習があったそうです。
「眼鏡」「らすとおんみょう」などに代表される同人上がりでエンタメ志向なたつき監督も、
けもフレにおいてパロ・時事ネタを封じられたことは、少なからず溜まったモノがあったはずです。
そんな反動から生まれた監督の遊び心、だったのではないでしょうか。
・ボスの残骸?→生きてた!(日常会話なのが芸細)→ぽーい!
・観覧車のゴンドラ落下
ーなどもそうでしたが、ギャグを挟んでおきながら感動(シリアス)シーンに水を差さない、
・・・どころか両立させる監督のセンスは稀有な才能だったと思います。