同人時代のirodori作品には当たり前にあり、本作では封印された時事ネタやパロディ。
ケニア育ちとはいえ関西人ですし、エンタメ重視の作風だったのでギャグはお手の物です。
本作では正統派・独特の感性なギャグと、いろいろなバリエーションが見られました。
子供向けギャグとしては、
2話の一般通過ジャガー、5話のこんにちはであります×2などが挙げられるでしょうか。
(意外なことに「3話のバスに轢かれるサーバル」もウケていたようですが…)
全体的にフレンズの精神年齢が低め設定なので、子供受けは良かったと思います。
(大人フレンズも童心に帰って楽しめたようですがw)
あと特徴的なのはSNSを意識した作り、でしょうか。
提供のGIF素材(7話のゴロゴロサーバル、8話の無限ジャパリまんなど)もそうですが、
ボケっぱなし、投げっぱなし→視聴者にツッコミを入れさせる、というスタイルは
掲示板での実況やニコ動コメントでの視聴者参加を意識してのことでしょう。
そして、その狙いは見事にハマりました。
(TVの放送時間、ニコニコ配信、からすると順当かもしれません)
それにしては実験的すぎる試みです。
(プロジェクトを畳むこと前提で、ある程度好きにやらせてもらえる状況だったから出来た?)
又、相手にされなかったら相当寒いことにもなりかねない賭けでもあります。
実際、当時は気付いてもらえていなかったであろう分かりにくいギャグもあります。
例えば4話。
ツチノコの「見りゃ分かるだろ」はUMA(未確認生物)なのに、誰が見ただけでツチノコだと断定できるんだ?
というツッコミ待ちのギャグ。
物陰に隠れるというミスリードもあって、そっちに引っ張られてしまいました。
あと10話。
タイリクオオカミの話も「オオカミ少年」に引っ張られがちですが、
ウソ=ホラ話→ホラー探偵ギロギロ、というギャグでもあったのでは、と思われます。
そしてもう1つ。
本作の最大の特徴が「動物要素を取り入れたギャグ」です。
5話でいうと「セルフ生き埋め」と「ごあいさつ」
3話の「ペェッ!」なども、それに当たります。
これは他のアニメには真似の出来ない強みだったと思います。
アニメを観ていて、演出がずいぶん凝った回だったなとか、声優さんの演技に熱が込もっていたなとか、
そう思ったことはありませんか?
二次創作でも、推しキャラは出番が優遇されていたり、書き込みに力が入っているのは伝わってきますよね。
そういう意味で5話は、いろんな意味で冴え渡っていたように思います。
特に後半は、ビープレがそれぞれ家作りにちなんだギャグを畳みかけるのですが、
脚本(セリフ)も動画のタイミング(演出の「間」)も抜群で、
監督もニヤニヤしながら作業していたのではないかと筆者は想像しています。
ビープレ=たつき監督自身?
作中の描写を見るに、ビープレの二人を自分に重ねていたのではないかとも思っています。
・Irodoriのリーダーでありアニメの監督(責任者)としての立場=ビーバー
→思い悩むこともある自分を支えてくれるメンバーへのリスペクト。
・500日缶詰だったり、休みの日までアニメ作りに没頭してしまう作業者=プレーリー
→手綱を操り、仕事をしやすい環境を作ってくれる福原Pへのリスペクト。
当時は仕事の歯車が噛み合い、とても充実感に満ちていたのではないか・・・
そして、その喜び・感謝を作品に投影した・・・
僕の目には、そのように映った5話でした。
個人的にプレーリーの「きっといい動物に違いない」というセリフには心を抉られました。
ヒトの傲慢さ、汚さ、どうしようもなさ、を知っているからです。
その後のかばんの「うん!」と併せて、あまりに純粋すぎて・・・
「ヒトは悪い生き物だ」と直截的に言われるよりグッとくるものがあります。
監督も、その効果を十分に理解した上でのセリフ回しだったとは思います。
公式によるキャラ紹介に「レッドリスト」が載っていたり、
絶滅種のハイライトが描かれていないという「毒」を潜ませているのも、
同様の効果を狙ったものと思われます。
それでも やっぱり「素直に受け取れるセリフ通りの意味=たつき監督自身の考え方の基本」
なんだろうな、とも思います。
なんだかんだ言っても「ヒトは素敵な動物だ」と。
(それは「ケムリクサ」で描かれたメッセージにも通じるものがあります)
この回は、かばんが助言だけで叡智らしい叡智を発揮していない、
主役であるサーカバが空気で大して役に立っていない、という意見もあります。
また「紙飛行機・橋作り・地上絵」のような「思いも付かなかった発想」に比べると、
確かにスケールダウンしている感は否めません。
「ビープレが協力する」というのは、さほど難しくないアイデアでしょうし、
感想動画でもAパートから指摘している方がいました。
ーが、この回では敢えて、大それた考えでなくても劇的に状況を変えることが出来る、
ことを示したかったのではないでしょうか?
ここまで かばんは、とかく自信が無い言動で描かれてきました。
なので事態の打開は、必ず「現地フレンズと協力&フレンズがメイン」でした。
そんな中、成功体験を重ねたこと。
フレンズたちに受け入れられている、ということをやっと素直に受け入れられ、自信を深めることになります。
(フレンズ側は最初から受け入れていたのですが)
それは「いい動物に違いない」というセリフに「うん!」と元気よく返事するところ(自己肯定)にも現れています。
これも物語の基本「主人公の成長描写」&「王道」だったのです。
※そして、これは(他の方が指摘されていた考察ですが)
最終話の旅立つシーンでの、5話以前に出会ったフレンズは心配するようなセリフ、
6話以降に出会ったフレンズは前向きなセリフで送り出す、という描写にも繋がります。