「わかったよ。やるよ」
観念して久遠美影の方へ歩いていき、その流れで机の上に大量に積まれた、フェイスと付けるには大きめのタオルを一枚掴む。
あまり目線を下に向けないように意識しながら、彼女の後ろに回り、長い髪にタオルを押し当てるようにして水分を取り除いていく。
かすかに残った潮の臭いを嗅ぎながら、もしこの髪が傷んでしまったらどうしようと考える。本人はああは言っていたが、罪の意識は拭いきれない。今日はこのまま帰って、すぐに風呂に入ってもらったほうがいいだろう。
儚い抵抗として思索を続けるが、目に写った濡れ襦袢の光景が脳から離れない。
濡れた生地から透ける、薄い肌の色。それは、あるいは不健康と捉えられてもおかしくないほどだったが、そこには生気が溢れ出ていて、病弱、虚弱、貧弱、惰弱、脆弱。それら弱さという要素が一切感じられなかった。
ゆったりとした普段の格好では目立たなかった双丘は、ここ最近知り合った女性たちと比べてもかなりの大きさを主張していて、先端にはうっすらと桜色が見えたような気がした。
水の滴る良い男という表現があるが、水で色気が増すのが男だけであろうはずがない。
絶対的で超越的で、人であるかすらわからない異生物。
そう思っていた久遠美影に対して性を感じてしまった。
そもそもなんで水など浴びているんだ。そういうキャラじゃないだろう。あれだけ軽く化物を潰して返り血の一つも浴びていなかったくせに、怪物なら怪物らしく何か超常的な力で避けたらどうなんだ、それじゃあまるで。
まるで普通の少女みたいじゃないか。
「は。はは。ははは。ハ………………」
自嘲の笑いを堪える。被った猫のうちでくぐもるように声を噛み潰す。
だってそうだろう。今わかったんだ。
&ruby(目の前の少女){久遠美影}は&ruby(駒){ミナ}とは違うんだ。彼女の前では僕は、先導者でなければならない。こんな情けない姿など見せられようか。
なるほど、ありがとうミナ。わざわざこんなデートを仕組んだ甲斐があった。
これまで僕にとって久遠美影は怪物だった。だがどうだ、僕は彼女に劣情を抱き、彼女はサメが暴れる程度のアクシデントにも巻き込まれる不完全な生物だった。
これが人間でなくてなんだという。
人間ならば、僕の取るべきスタンスは揺るがない。
「何が面白いのかしら」
「なにもかもだよ。美影さん」
水を吸い取ったタオルを真新しいものに取り替え、今度は服に押し当てる。
女の子の身体に触れていることで顔が赤らむのがわかる。心臓の拍動は外に漏れていないだろうか。&ruby(・・・・){美影さん}相手だと持ち前の感知能力なりでバレてしまうかもしれない。
だけど知ったことか、この興奮こそが美影さんが人である証なんだ。熱を忘れるな、鼓動を胸に刻み込め。
僕にとって守るべき対象であると深く認識しろ。
もはや何に対して盛り上がっているのか自分で自分がわからなくなりながら、美影さんの身体を拭いていく。
腕を、背中を、腹を、胸元を、脚を。丁寧に水を取り除く。
混乱と興奮を味わいながら、一通りの水を取り切った。
「さすがに布に染み込んだ分までは取れてない湿ったままだから、しばらくストーブに当てなきゃ乾かないと思うけど。どうしようか美影さん。乾くまで待つか、それとも、もうこのまま帰っちゃおうか?」
「帰るわ。そろそろ家で食事の時間なの」
「だったら、また車を呼ぶよ」
とはいえ、下着姿の美影さんを放置して電話をかけにいくわけにもいかない。事務机の上に広げられた和服を手に取り(水を吸っていることもあってすごい重い)、彼女が服を着る手伝いをする。
また指があらぬところに当たってしまい、落ち着いてきた心臓が今一度仕事を始めるが、深呼吸をして抑え込む。
細かい部分はさすがに手に負えなかったが、そこは美影さんが自前でやってくれたので、とりあえず破廉恥な格好ではなくならせることができた。
さて。
携帯を開き、以前覚えておいたタクシー会社のダイヤルを打ち込む。
これで今日のデートは終わりだ。後は美影さんを送って、別れるだけ。だからその時言い損ねても良いように、今のうちに言っておかなきゃいけないことがある。
「今日はとても楽しかった。ありがとう美影さん」
「そう」
返事はそっけなかったけれど、その声色は今まで聞いたどの時よりも柔らかく、幸せそうだったのは、気のせいだろうか。