───よく食べる人だ。
感心半分呆れ半分、そんな心持ちでステラはパスタを巻き取って口に運んだ。
ヴォーノ。麺のチョイスと茹で加減、ソースの絡み具合。地方都市の小さなイタリア料理店としては十分と言えるだろう。
しかしステラの食欲なんて可愛いもので、目の前の麗人は食卓いっぱいに並べられた大皿をざくざくと片付けている最中だった。
色とりどりの魚介類が並んだ宝石箱みたいだったアクアパッツァもすっかり駆逐されてしまっている。
真っ昼間からボトルで頼んだワインを嬉々としてグラスに注ぐナナにステラは小さく嘆息した。
「よくこんな店知っていましたね。この街で出来のいいパスタを出す店は調べ尽くしたつもりだったんですが」
「アタシね。不味い飯は我慢できないタイプなの。現地についてまず探すのは美味しいレストラン。頼りは勘かな~」
勘、ときた。そんな表現が彼女に限っては何だか納得できる。
人懐こい、大柄な野生の動物。例えるならナナはそんな人間だ。
人懐こいからすぐにこっちへ鼻先を擦り寄せて好意を示してくるが、一方で決して飼い馴らされることはない。
代行者に非ず、規律と全体の調和を尊ぶ聖堂騎士団では確かにこれは異物だろう。
聞けば彼女の育て親たるスミルグラ卿は、もともと聖堂騎士の後ろ盾を務めていたそうだ。………そうでなければ、今頃何処で何をやっていた事だろう。
「別にいいのよ?アタシの注文した品だからって遠慮せず食べちゃって。一皿で足りる?」
「いえ。見ているだけでお腹いっぱいなので」
ごってりと盛られていたはずのニョッキが全てナナの胃袋に収まっていくのを見ながらステラはそう言った。
本当に───変わった人だ。
聖堂教会は魔術師どもの巣窟である時計塔みたいに猜疑心と詐術で凝り固まった場所ではない代わりに、偏見と固定観念に満ちた世界だ。
魔との混血は異端からは外れるもの。だから駆逐されない一方で、ステラへの冷ややかな視線が止むことは無い。
同じ代行者の中でもステラをあからさまに軽蔑する者は何人もいた。だが、当然だ。彼らは間違ってなどいない。
わたしは彼らの言う通り、人間ではないものの血が流れている魔性であることに変わりはないのだから。
わたしは彼らの言う通り、真っ白で輝かしい信仰心に殉じることで代行者となったわけではないのだから。
だからこそステラにはナナがよく分からなかった。
聖堂騎士。代行者とは別の括りで動く聖堂教会の暴力装置。『虹霓騎士』の二つ名を筆頭に、稀代のドラクルアンカーの名を得るもの。
仰々しい肩書とは裏腹に、驚くほど彼女は友好的だった。
いや友好的すぎた。この街には他にも代行者が何人も乗り込んできているが、他には親しげに振る舞いながらもここまで干渉はしてこない。
ところがステラにだけは彼女はやけに懐いてきた。その差くらいは、ステラにだって嫌でも分かる。
だからだろう。ワインを心ゆくまで痛飲しているナナへ、ステラはつい問いかけてしまった。
「何故ですか?」
「ん?」
「何故………あなたはわたしに構うんですか?」
ことり、とワイングラスが机に置かれる。店内を流れるイタリア語で歌われたBGMは陽気だ。
それらがちゃんと耳に入ってくるくらい、ナナの所作は穏やかで、落ち着いていて、緊張を感じさせなかった。
「うーんとね。それは多分なんだけど、ステラちゃんが“普通”だからなんだと思うなぁ」
「普通………?」
意味が分からない。混血でありながら代行者。わたしほど普通から掛け離れたものもそう無いだろうに。
だが、ナナは聞き返したステラの言葉にうんと頷いた。
「聖堂教会………特に代行者だとか、聖堂騎士だとか、魔を討つ役目を主よりお預かりしている立場の人間はね。
ほとんど全員が気狂いよ。アタシも含めてね。まともじゃないんだなぁ、みんなさ。
でもね。ステラちゃんはちょっと違うよね。客観視してるというか、一歩距離を置いてるというか。
我らが主の教えを信じながらもどう自分の中に取り込むか、いつも考えてる気がするの。
アタシ、そういうの素敵だなぁって思うなぁ。アタシはもうそこには戻れないしさ」
───それは、魔との混血故に皆が到れるような清らかなるものにはなり得ない諦観から。
───それは、いつか魔に転じ得るかもしれないが故に自分自身を常に見つめ続ける恐怖から。
ステラにとってそれは誇れるものでは無かった。だから、ナナの言ったことを理解することはできなかった。
「………よく分かりません、あなたの言うことは」
「ん、それでいいと思うよ。それを教えてくれる人にいつか出会えたらいいね。アタシには無理だもん」
あっけらかんとした調子で言い、テナガエビのフリットをフォークで突き出したナナにステラは告げた。
「あなたは変な人です。ナンシーさん」
「ナナでいいよ~。むしろナナって呼んで~」
「………。………ナナさん」
「そうそう、やっぱりそっちの方がいい響きよね」
にっかりと笑ったナナの笑顔は本当に子供みたいに毒気がなくて、ステラはやっぱり変な人と口の中で呟いた。