堤防とかに関しては見えてますし
いや、だから、それに関して>> 26で 「我々は堤防そのものを目視しているわけではない」と説明してるんスけど・・・
堤防の例ではイメージが沸かないようなので、別の例を持ってきます。
「温かいミルク」とは、温かい状態のミルクだ。 さて、「温かいミルク」は実在すると思いますか?
「目で見て触れることができるものは実在している」 「見えないし触れないものは実在していると言えない」
・・・と言うのであれば「温かいという状態」は実在しないことになってしまうわけだ。
逆に「温かいミルクは実在する!」と言うのであれば 温かいミルクと同じように、災害から守ってくれる存在が目に見えなくて触れることができなかったとしても その実在を否定することはできなくね?という話です。
LINE民のクセしてLINE民バカにする奴ってなんなんw
堤防という見える触れるものを例にしてるのがそもそも頓珍漢
「水際にあるという性質」は見ることも触ることも出来ないだろ・・・
水際に設置されており、水流を制御して洪水から守ってくれるという性質を持った概念の名称が堤防なのであって、設置場所が水際ではなかったり水流を制御する機能が備わっていなかったりしたら、それは堤防ではなくなるだろう。
これを否定するのであれば 「水際にあるという性質」を目視可能かつ触ることができる状態で個別に抽出してみろって話だ。
>> 10喧嘩出来りゃそれで良いんじゃねーの?なんでハンネガーに逃げるん
はい
>> 31さんがわたしが言いたいこと言ってくださった。
>> 28もだわ
>> 29 言葉が足りませんでしたね。 神というものはその例えとは繋がらないかと。
堤防とかに関しては見えてますし。 そのものに名前をつけたということでしょうかね。 でも、それは結局は実際にそのような機能があるものがあるからこそ実在するというのでは?
私の言葉が足らない面が多々あったためにこのようなことになってしまったのですが、神は超越的な存在であり、超常的であると思うんです。 超越的な存在であるからこそ災害とかから守ることができると思われたりしているかなと。
この条件でなら神は実在するわけないんですよね?
まあ、そりゃそうか。 だって、神は超常的であり、超越的な存在なら 堤防とかとは違うからね。
ここの続きを話すね。 先程、上で私は私が思う神についてを話したんだけど私の思う神が存在すると思う神というていで話すね?
と、いうのが私の思う神ね? で、神は目に見えない存在であると思うんだけど、目に見えない存在である時点でそれに繋がるものなどもないと思うんだよね。 実際見たことある? 私の思う神と重なる存在。 まあ、私は当然見たことないんだけどさ笑 まあ、つまり何が言いたいかというと私が思う神の役目を果たせる存在は見たこともないし聞いたこともない。 だから実在はしないかなーって。
実在とは目に見えるものとしてあるもののことを言うのでは? 見えなくて扱えないものを実在として扱うことは流石に無理があるかと。 そういうものは存在というのでは?
無理があるという部分、ここで説明できてると思うんだけどなー。 まあ、もっかい説明するね! 実在とは目に見えるもの、あるもののことを言うと思うんだけど、神は見えなくて扱えないものだよね?だから実在とは言えなく、存在と言うと思うんだよね。
神という名の物質が存在してる必要なんてないのだから。 見えないし触れないようなものでも「実在している」と扱うことは可能だ。
お前は神を「見えないし触れない」とした上で実在と扱えるとしてるんだろ。神=見えない触れないとしてるのに堤防という見える触れるものを例にしてるのがそもそも頓珍漢なの。堤防じゃない盛り土だとしても見えるし触れるだろ。
堤防~は「神とは災害から守ってくれるものである」という前提から始まったんだろ。つまり「堤防は水際じゃなければ盛り土」の理屈では「神は災害がなければ神ではない何か」って事になる。「神ではない何か」だとしても見えないし触れないのには変わらない。よって堤防を例示するのは不適当ですね。はいバカ確。
そうですね。 ありがとうございます。
ハンネが意味不明なグズと喧嘩してもなぁ~
いやだから否定するのであれば説明の部分に指摘してくれ?
その堤防と「素粒子レベルで物理的に全く同じ構造の物体」が水際ではない場所にあったとしても、それは堤防ではなくただの盛り土ってことになるだろ? 水辺に配置された盛り土は堤防と呼べるが、山の中に配置されていた場合それは堤防じゃねーだろ。
つまり、堤防ってのは「水際にある・水流を制御する」等々の性質を内包する概念に対して付けられた名称ってわけだ。 それともお前は「水際にあるという性質」に触れることができるのか?
堤防ってのは「水際にある」などの非物理的な性質(あるいは条件ともいう)を含む概念に対して付けられた名称なのだから、「堤防は実在する」とするのであれば、同様の理屈で神の実在も肯定することができる。 逆に「神は実在しない、なぜなら目視できないし触れないから」と言うのであれば 同様の理屈で「堤防もその実態は物質ではなく概念に過ぎず、実在しているわけではない」と認める必要が出てくる。
堤防は見えるし触れるものですよ。堤防を例にして「見えないし触れないようなものでも「実在している」と扱うことは可能だ。」?はいー?
スレ主にアンカー振るのどーやんの
↑誰からも共感されないぼっち
「見えなくて触れないものであっても実在していると見なすことは可能です」ってことを 堤防とかの例を用いて>> 26で説明したんだけどな。 無理があるというのであれば説明の部分に指摘してくれなきゃ話進まないぞ?
>> 26 そうですね。超越的というのを忘れていました。
能動的に動かんからやぞクズ
自分から噛みつきに行けばいいのでは? それか自分の気になることをトピックを建てて伝えるなど…噛みつかれるようなこと、返されるようなことをしたらいいと思います。 待つだけでは変わりませんよ。
喧嘩相手募集しても誰も反応ないもん
「神とは災害から守ってくれるものである」とするなら 土砂崩れを防止する鋼鉄ネットや洪水を止めてくれる堤防、火を消してくれるスプリンクラーなんかも神なのか? 話の流れでいつの間にか「超常的である」という条件が付け加えられているけど 実在するか否かを問う前にまずは定義をしっかりさせるべきかと。 前提条件に「超常的である」を加えるなら、そりゃ実在するわけねーよなって話です。
というわけで、「実在」についてだけど そもそも実在しているとはどういうことなのかと。
さっき言った堤防なんてのも、水際ではない場所に設置されてりゃそれはただの盛り土になるわけで。 堤防という名の物質が存在しているわけではなくて 「水の流れを制御する機能が備わった構造物」という概念に対して堤防という名前が付けられているわけだ。
スプリンクラーの機器だけがコロッと置かれていても、ただのガラクタなわけで。 スプリンクラーという名の物質が存在しているわけではなくて 「水道管と接続されており、散水する機能を持った装置」という概念に対してスプリンクラーという名前が付けられているわけだ。
この論調でいくと、神も実在可能だぞ。 神という名の物質が存在してる必要なんてないのだから。 見えないし触れないようなものでも「実在している」と扱うことは可能だ。
つまりはパルスくんは神は実在するということかな?
まあ、そうだね。 脳内で創作をすれば実在と言う人もいると思う。 だけどさ、脳内ということは実際にはないわけで実在とは言えないと思うんだよね。 現実であることによってそれを初めて実在と言うと思う。 これはパルスくんも言っていたね。
じゃあ、やっぱり実在とは違うよね?神は想像上のみでつまりは存在はするかもしれないけど実在はしない。
まあ、神の話は上で話したから、ちょっと思ったことがあったからそれを話そうと思う。 パルスくんの文を読んで思ったんだけど、 結局何を言いたいのかがよくわかんない。 私の理解力がないだけかもしれないけどよくわかんないや。
いやイギリスが日本なんだけど
イギリスと海で繋がってる時点で日本もイギリスなんだけど
喧嘩なら長文じゃない方がいい。 議論・論争なら、論理的整合性があるなら長文の方がいい。
それだけ。
割り箸しゃぶっちゃった
しーん
ある人は言った
「同じ相手じゃつまらない」と
また、ある人は言った
「同じ論題じゃつまらない」と────
誰かとおなじでは個性はでません 人と違うというのは、そう簡単には、生み出せないものです
「みんなちがって、みんないい」
と、他人(ひと)はよくいうけれど かり物がなければ、多くのひとは認めてくれません
雲のうえの存在だって、地をはいつくばって生きている 海のむこうの人間だって、空をしんじて生きている
ぼくらはみんな生きている
それイギリス独自のルールやで。
そもそも現実に対して超越的な存在を神としている以上、実在の概念を現実的な観点から捉えること自体がおかしいので、概ねカナメと迦唯に同意。 ただし、「実在」という概念は、あくまで現実的な側面においてしか成立しない、或いは超越的な部分で成立していても、宗教的妄想の中に収まってしまう、と俺は考える。 というのも、上記の「神は実在する」理論に則れば、現実では有り得ない存在でさえも、脳内で創作すれば、それらはすべて、どんなものであろうと実在するもの、となってしまう。 その点、俺の意見が皆さんと食い違ってるところ、かな。
>> 18 そうですね。KANAMEさんが言ってることは正しいとはおもいます。 超越的な存在のことを神といいますね。 でも、人間が識別できる領域が限られてるからこその答えもあるかと。
まあ上で述べたこととは変わりますが、私は神は実在しないと思ってはいますが、でも存在するとも思っています。 それは私が2つの考えを持っているからです。 では2つ目を勝手に話しますね。
神って言葉、皆さん知ってますよね? 国語の授業で漢字習いますよね? 私はここで疑問に思ったことがあります。 なぜ神は存在しないのに童話や、言葉に表されているのでしょうか。
それはなぜか…。 私なりに考えて導かれた答えは神が私達に自分が実在するというのを伝えたいのではないか。 これだと思うんです。
私が思う識別が限られてる中での答えはこれです。
批判されても言い訳ばかりで何ら反省も見えないから「できるかも~」なんてありえませんよ。言うのが専門?ははは。言い訳をするのが?ははは。
その神秘を神が生み出したということですか? まあ、名前に神とついてますもんね!
では、それが今も続いてるのは何故? それも神のおかげ? 私はそれは人間のおかげだと思うんです。 人間が神が用意してくれたものを今も続けた結果、こうなったかなと。 となると、神は実在していたということ。 でも、していたということは今は実在しないのでは?
なぜそのように思うのですか?
なるほど。なら、神はいないんですね!
ニコニコ動画・YouTubeといった動画サイトから、米津玄師やHIKAKINといった人がテレビで見るようになってきているのに、喧嘩師はいつまで経っても闇の中です インターネットですら、今やテレビを超えるコンテンツなのに、喧嘩界はずっとこの調子です
だから、わたしは、一人の物書きとして、作品を書くことにしたんです!
ここで、物語をあげることで、より大勢の批評家に批判される そしたらもっと面白い作品ができるかもしれない
それって、物書きにとっても喧嘩師にとっても、おおきなメリットにつながるはずなんですよ だって、わたし達は言うのが専門じゃないですか
わたしが思うに、喧嘩というのは、もともとは足を引っ張りあうものです いまだって、かき回したりする行為がめだちます
たしかに、直接言い合って、会話のなかで相手を上回るのもアリだと思います でも、詩的な文章・小説的な文章を評価するというのもいいものだと思いませんか?
そうして、よりよくしていく喧嘩界も、わるくないんじゃないですか?
コロナごときに引きこもるビビリだから喧嘩もビビッて出来ないんだろ。ヒッキー前提にすればこれぐらい簡単に導き出されるだろ。
私は学校の課題とツイキャスで喧嘩(といっていいのかわからない喧嘩)をしてます。
喧嘩界以外の場所で喧嘩をしてる方もいるのではないでしょうか。 またこういうときだからこそゲームにガチったり、自分がしたいことをしてる人がいると思いますし…。
いや、だから、それに関して>> 26で
「我々は堤防そのものを目視しているわけではない」と説明してるんスけど・・・
堤防の例ではイメージが沸かないようなので、別の例を持ってきます。
「温かいミルク」とは、温かい状態のミルクだ。
さて、「温かいミルク」は実在すると思いますか?
「目で見て触れることができるものは実在している」
「見えないし触れないものは実在していると言えない」
・・・と言うのであれば「温かいという状態」は実在しないことになってしまうわけだ。
逆に「温かいミルクは実在する!」と言うのであれば
温かいミルクと同じように、災害から守ってくれる存在が目に見えなくて触れることができなかったとしても
その実在を否定することはできなくね?という話です。
LINE民のクセしてLINE民バカにする奴ってなんなんw
「水際にあるという性質」は見ることも触ることも出来ないだろ・・・
水際に設置されており、水流を制御して洪水から守ってくれるという性質を持った概念の名称が堤防なのであって、設置場所が水際ではなかったり水流を制御する機能が備わっていなかったりしたら、それは堤防ではなくなるだろう。
これを否定するのであれば
「水際にあるという性質」を目視可能かつ触ることができる状態で個別に抽出してみろって話だ。
>> 10喧嘩出来りゃそれで良いんじゃねーの?なんでハンネガーに逃げるん
はい
>> 31さんがわたしが言いたいこと言ってくださった。
>> 28もだわ
>> 29
言葉が足りませんでしたね。
神というものはその例えとは繋がらないかと。
堤防とかに関しては見えてますし。
そのものに名前をつけたということでしょうかね。
でも、それは結局は実際にそのような機能があるものがあるからこそ実在するというのでは?
私の言葉が足らない面が多々あったためにこのようなことになってしまったのですが、神は超越的な存在であり、超常的であると思うんです。
超越的な存在であるからこそ災害とかから守ることができると思われたりしているかなと。
この条件でなら神は実在するわけないんですよね?
まあ、そりゃそうか。
だって、神は超常的であり、超越的な存在なら
堤防とかとは違うからね。
ここの続きを話すね。
先程、上で私は私が思う神についてを話したんだけど私の思う神が存在すると思う神というていで話すね?
と、いうのが私の思う神ね?
で、神は目に見えない存在であると思うんだけど、目に見えない存在である時点でそれに繋がるものなどもないと思うんだよね。
実際見たことある?
私の思う神と重なる存在。
まあ、私は当然見たことないんだけどさ笑
まあ、つまり何が言いたいかというと私が思う神の役目を果たせる存在は見たこともないし聞いたこともない。
だから実在はしないかなーって。
無理があるという部分、ここで説明できてると思うんだけどなー。
まあ、もっかい説明するね!
実在とは目に見えるもの、あるもののことを言うと思うんだけど、神は見えなくて扱えないものだよね?だから実在とは言えなく、存在と言うと思うんだよね。
お前は神を「見えないし触れない」とした上で実在と扱えるとしてるんだろ。神=見えない触れないとしてるのに堤防という見える触れるものを例にしてるのがそもそも頓珍漢なの。堤防じゃない盛り土だとしても見えるし触れるだろ。
堤防~は「神とは災害から守ってくれるものである」という前提から始まったんだろ。つまり「堤防は水際じゃなければ盛り土」の理屈では「神は災害がなければ神ではない何か」って事になる。「神ではない何か」だとしても見えないし触れないのには変わらない。よって堤防を例示するのは不適当ですね。はいバカ確。
そうですね。
ありがとうございます。
ハンネが意味不明なグズと喧嘩してもなぁ~
いやだから否定するのであれば説明の部分に指摘してくれ?
その堤防と「素粒子レベルで物理的に全く同じ構造の物体」が水際ではない場所にあったとしても、それは堤防ではなくただの盛り土ってことになるだろ?
水辺に配置された盛り土は堤防と呼べるが、山の中に配置されていた場合それは堤防じゃねーだろ。
つまり、堤防ってのは「水際にある・水流を制御する」等々の性質を内包する概念に対して付けられた名称ってわけだ。
それともお前は「水際にあるという性質」に触れることができるのか?
堤防ってのは「水際にある」などの非物理的な性質(あるいは条件ともいう)を含む概念に対して付けられた名称なのだから、「堤防は実在する」とするのであれば、同様の理屈で神の実在も肯定することができる。
逆に「神は実在しない、なぜなら目視できないし触れないから」と言うのであれば
同様の理屈で「堤防もその実態は物質ではなく概念に過ぎず、実在しているわけではない」と認める必要が出てくる。
堤防は見えるし触れるものですよ。堤防を例にして「見えないし触れないようなものでも「実在している」と扱うことは可能だ。」?はいー?
スレ主にアンカー振るのどーやんの
↑誰からも共感されないぼっち
「見えなくて触れないものであっても実在していると見なすことは可能です」ってことを
堤防とかの例を用いて>> 26で説明したんだけどな。
無理があるというのであれば説明の部分に指摘してくれなきゃ話進まないぞ?
>> 26
そうですね。超越的というのを忘れていました。
実在とは目に見えるものとしてあるもののことを言うのでは?
見えなくて扱えないものを実在として扱うことは流石に無理があるかと。
そういうものは存在というのでは?
能動的に動かんからやぞクズ
自分から噛みつきに行けばいいのでは?
それか自分の気になることをトピックを建てて伝えるなど…噛みつかれるようなこと、返されるようなことをしたらいいと思います。
待つだけでは変わりませんよ。
喧嘩相手募集しても誰も反応ないもん
喧嘩相手募集しても誰も反応ないもん
「神とは災害から守ってくれるものである」とするなら
土砂崩れを防止する鋼鉄ネットや洪水を止めてくれる堤防、火を消してくれるスプリンクラーなんかも神なのか?
話の流れでいつの間にか「超常的である」という条件が付け加えられているけど
実在するか否かを問う前にまずは定義をしっかりさせるべきかと。
前提条件に「超常的である」を加えるなら、そりゃ実在するわけねーよなって話です。
というわけで、「実在」についてだけど
そもそも実在しているとはどういうことなのかと。
さっき言った堤防なんてのも、水際ではない場所に設置されてりゃそれはただの盛り土になるわけで。
堤防という名の物質が存在しているわけではなくて
「水の流れを制御する機能が備わった構造物」という概念に対して堤防という名前が付けられているわけだ。
スプリンクラーの機器だけがコロッと置かれていても、ただのガラクタなわけで。
スプリンクラーという名の物質が存在しているわけではなくて
「水道管と接続されており、散水する機能を持った装置」という概念に対してスプリンクラーという名前が付けられているわけだ。
この論調でいくと、神も実在可能だぞ。
神という名の物質が存在してる必要なんてないのだから。
見えないし触れないようなものでも「実在している」と扱うことは可能だ。
つまりはパルスくんは神は実在するということかな?
まあ、そうだね。
脳内で創作をすれば実在と言う人もいると思う。
だけどさ、脳内ということは実際にはないわけで実在とは言えないと思うんだよね。
現実であることによってそれを初めて実在と言うと思う。
これはパルスくんも言っていたね。
じゃあ、やっぱり実在とは違うよね?神は想像上のみでつまりは存在はするかもしれないけど実在はしない。
まあ、神の話は上で話したから、ちょっと思ったことがあったからそれを話そうと思う。
パルスくんの文を読んで思ったんだけど、
結局何を言いたいのかがよくわかんない。
私の理解力がないだけかもしれないけどよくわかんないや。
いやイギリスが日本なんだけど
イギリスと海で繋がってる時点で日本もイギリスなんだけど
喧嘩なら長文じゃない方がいい。
議論・論争なら、論理的整合性があるなら長文の方がいい。
それだけ。
割り箸しゃぶっちゃった
しーん
ある人は言った
「同じ相手じゃつまらない」と
また、ある人は言った
「同じ論題じゃつまらない」と────
誰かとおなじでは個性はでません
人と違うというのは、そう簡単には、生み出せないものです
「みんなちがって、みんないい」
と、
かり物がなければ、多くのひとは認めてくれません
雲のうえの存在だって、地をはいつくばって生きている
海のむこうの人間だって、空をしんじて生きている
ぼくらはみんな生きている
それイギリス独自のルールやで。
そもそも現実に対して超越的な存在を神としている以上、実在の概念を現実的な観点から捉えること自体がおかしいので、概ねカナメと迦唯に同意。
ただし、「実在」という概念は、あくまで現実的な側面においてしか成立しない、或いは超越的な部分で成立していても、宗教的妄想の中に収まってしまう、と俺は考える。
というのも、上記の「神は実在する」理論に則れば、現実では有り得ない存在でさえも、脳内で創作すれば、それらはすべて、どんなものであろうと実在するもの、となってしまう。
その点、俺の意見が皆さんと食い違ってるところ、かな。
>> 18
そうですね。KANAMEさんが言ってることは正しいとはおもいます。
超越的な存在のことを神といいますね。
でも、人間が識別できる領域が限られてるからこその答えもあるかと。
まあ上で述べたこととは変わりますが、私は神は実在しないと思ってはいますが、でも存在するとも思っています。
それは私が2つの考えを持っているからです。
では2つ目を勝手に話しますね。
神って言葉、皆さん知ってますよね?
国語の授業で漢字習いますよね?
私はここで疑問に思ったことがあります。
なぜ神は存在しないのに童話や、言葉に表されているのでしょうか。
それはなぜか…。
私なりに考えて導かれた答えは神が私達に自分が実在するというのを伝えたいのではないか。
これだと思うんです。
私が思う識別が限られてる中での答えはこれです。
批判されても言い訳ばかりで何ら反省も見えないから「できるかも~」なんてありえませんよ。言うのが専門?ははは。言い訳をするのが?ははは。
その神秘を神が生み出したということですか?
まあ、名前に神とついてますもんね!
では、それが今も続いてるのは何故?
それも神のおかげ?
私はそれは人間のおかげだと思うんです。
人間が神が用意してくれたものを今も続けた結果、こうなったかなと。
となると、神は実在していたということ。
でも、していたということは今は実在しないのでは?
なぜそのように思うのですか?
なるほど。なら、神はいないんですね!
ニコニコ動画・YouTubeといった動画サイトから、米津玄師やHIKAKINといった人がテレビで見るようになってきているのに、喧嘩師はいつまで経っても闇の中です
インターネットですら、今やテレビを超えるコンテンツなのに、喧嘩界はずっとこの調子です
だから、わたしは、一人の物書きとして、作品を書くことにしたんです!
ここで、物語をあげることで、より大勢の批評家に批判される
そしたらもっと面白い作品ができるかもしれない
それって、物書きにとっても喧嘩師にとっても、おおきなメリットにつながるはずなんですよ
だって、わたし達は言うのが専門じゃないですか
わたしが思うに、喧嘩というのは、もともとは足を引っ張りあうものです
いまだって、かき回したりする行為がめだちます
たしかに、直接言い合って、会話のなかで相手を上回るのもアリだと思います
でも、詩的な文章・小説的な文章を評価するというのもいいものだと思いませんか?
そうして、よりよくしていく喧嘩界も、わるくないんじゃないですか?
コロナごときに引きこもるビビリだから喧嘩もビビッて出来ないんだろ。ヒッキー前提にすればこれぐらい簡単に導き出されるだろ。
私は学校の課題とツイキャスで喧嘩(といっていいのかわからない喧嘩)をしてます。
喧嘩界以外の場所で喧嘩をしてる方もいるのではないでしょうか。
またこういうときだからこそゲームにガチったり、自分がしたいことをしてる人がいると思いますし…。
コロナごときに引きこもるビビリだから喧嘩もビビッて出来ないんだろ。ヒッキー前提にすればこれぐらい簡単に導き出されるだろ。