そもそも現実に対して超越的な存在を神としている以上、実在の概念を現実的な観点から捉えること自体がおかしいので、概ねカナメと迦唯に同意。
ただし、「実在」という概念は、あくまで現実的な側面においてしか成立しない、或いは超越的な部分で成立していても、宗教的妄想の中に収まってしまう、と俺は考える。
というのも、上記の「神は実在する」理論に則れば、現実では有り得ない存在でさえも、脳内で創作すれば、それらはすべて、どんなものであろうと実在するもの、となってしまう。
その点、俺の意見が皆さんと食い違ってるところ、かな。
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つまりはパルスくんは神は実在するということかな?
まあ、そうだね。
脳内で創作をすれば実在と言う人もいると思う。
だけどさ、脳内ということは実際にはないわけで実在とは言えないと思うんだよね。
現実であることによってそれを初めて実在と言うと思う。
これはパルスくんも言っていたね。
じゃあ、やっぱり実在とは違うよね?神は想像上のみでつまりは存在はするかもしれないけど実在はしない。
まあ、神の話は上で話したから、ちょっと思ったことがあったからそれを話そうと思う。
パルスくんの文を読んで思ったんだけど、
結局何を言いたいのかがよくわかんない。
私の理解力がないだけかもしれないけどよくわかんないや。
「実在」という概念が存在するための条件となる、"客観性"が間主観によって定義されるか否かで場合分けをし、定義されない場合は「実在しない」、定義される場合は「実在を否定はできないが、宗教的妄想の一環である」という話なんだけど、逆に何が分からないのか聞きたい。
なるほどね。