>> 26
そうですね。超越的というのを忘れていました。
実在とは目に見えるものとしてあるもののことを言うのでは?
見えなくて扱えないものを実在として扱うことは流石に無理があるかと。
そういうものは存在というのでは?
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>> 26
そうですね。超越的というのを忘れていました。
実在とは目に見えるものとしてあるもののことを言うのでは?
見えなくて扱えないものを実在として扱うことは流石に無理があるかと。
そういうものは存在というのでは?
「見えなくて触れないものであっても実在していると見なすことは可能です」ってことを
堤防とかの例を用いて>> 26で説明したんだけどな。
無理があるというのであれば説明の部分に指摘してくれなきゃ話進まないぞ?
堤防は見えるし触れるものですよ。堤防を例にして「見えないし触れないようなものでも「実在している」と扱うことは可能だ。」?はいー?
いやだから否定するのであれば説明の部分に指摘してくれ?
その堤防と「素粒子レベルで物理的に全く同じ構造の物体」が水際ではない場所にあったとしても、それは堤防ではなくただの盛り土ってことになるだろ?
水辺に配置された盛り土は堤防と呼べるが、山の中に配置されていた場合それは堤防じゃねーだろ。
つまり、堤防ってのは「水際にある・水流を制御する」等々の性質を内包する概念に対して付けられた名称ってわけだ。
それともお前は「水際にあるという性質」に触れることができるのか?
堤防ってのは「水際にある」などの非物理的な性質(あるいは条件ともいう)を含む概念に対して付けられた名称なのだから、「堤防は実在する」とするのであれば、同様の理屈で神の実在も肯定することができる。
逆に「神は実在しない、なぜなら目視できないし触れないから」と言うのであれば
同様の理屈で「堤防もその実態は物質ではなく概念に過ぎず、実在しているわけではない」と認める必要が出てくる。
お前は神を「見えないし触れない」とした上で実在と扱えるとしてるんだろ。神=見えない触れないとしてるのに堤防という見える触れるものを例にしてるのがそもそも頓珍漢なの。堤防じゃない盛り土だとしても見えるし触れるだろ。
堤防~は「神とは災害から守ってくれるものである」という前提から始まったんだろ。つまり「堤防は水際じゃなければ盛り土」の理屈では「神は災害がなければ神ではない何か」って事になる。「神ではない何か」だとしても見えないし触れないのには変わらない。よって堤防を例示するのは不適当ですね。はいバカ確。
>> 31さんがわたしが言いたいこと言ってくださった。
「水際にあるという性質」は見ることも触ることも出来ないだろ・・・
水際に設置されており、水流を制御して洪水から守ってくれるという性質を持った概念の名称が堤防なのであって、設置場所が水際ではなかったり水流を制御する機能が備わっていなかったりしたら、それは堤防ではなくなるだろう。
これを否定するのであれば
「水際にあるという性質」を目視可能かつ触ることができる状態で個別に抽出してみろって話だ。
堤防は名称ではなく物体でしょ。あと水際になかったら盛り土という名称に変化する物体でしょ。神の例にすれば水際は災害に相当するでしょ。はいろんぱ