しかし、自由自在な人というのは、二次的な意味です。仏陀とは、ブッダ buddha の音写であり、意味は、「目覚めた者」です。何に目覚めたのかというと最高の真理です。つまり、妙法を覚ったので仏陀と呼ばれます。勝れた人であれば、自由自在の境地の人もいるかも知れませんが、妙法を覚ることはできません。妙法は、あるがままのことなので、肉体の眼では観ることができないのです。それを見ているというのは、眼で光をキャッチし、それを信号にして脳に送り、脳で仮設したものを見ているということです。実在のそれではなく、仮設されたものを見ているのですから、あるがままではありません。
如来寿量品第十六においては、輪廻は否定されます。はっきりとナ・サンサーラ na saṃsāra と書いています。これは、方便としては輪廻は有るけれど、真実としては、輪廻は否定されているのでしょう。ただし、鳩摩羅什はこれを訳していないので、漢訳の法華経だけを学んでいる人は知りません。釈尊は、輪廻を説いたのでしょうか? 縁起については積極的に説かれているけれど、輪廻については、そうでもありません。初期仏教を重視する人たちは、経典に書いているから輪廻は実在すると主張しますが、言葉で説かれることはすべて方便なので、輪廻を事実だと決定することはできません。
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別譬
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火を見る
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経:長者この大火の四面より起るを見て、即ち大に驚怖してこの念を作さく。我はよくこの所焼の門より安穏に出ずることを得たりといえども、しかも諸子等、火宅の内に於て嬉戯に楽著して、覚えず知らず、驚かず、怖じず。火来って身を逼め苦痛己を切むれども心厭患せず、出でんと求むる意なし。
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太郎訳:長者は、この大火が屋敷の四方から起こるのを見て、非常に驚き、恐怖を感じてこのように思いました。私は、火事の屋敷から、安全な場所に逃げ出すことが出来たけれど、私の子供たちは、まだ火宅の中にいて遊ぶことに夢中であり、火のことを知らず、驚かず、恐れていない。もう、そこまで火が迫って熱により熱くなっているのに、苦痛を感じず、遊びを止めることもなく、外に出ようともしない。
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別譬
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総譬 「三車火宅のたとえ」
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経:舎利弗、もし、国邑聚落に大長者あらん。その年衰邁して、財富無量なり。多く田宅、及び諸の僮僕あり。その家広大にして、ただ一門あり。諸の人衆多くして一百・二百乃至五百人其の中に止住せり。堂閣朽ち故り、墻壁頽れ落ち、柱根腐ち敗れ、梁棟傾き危し。周そうして倶時に炊然に火起って舎宅を焚焼す。長者の諸子、もしは十・二十・或は三十に至るまでこの宅の中にあり。
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太郎訳:シャーリプトラよ。たとえば、どこかの国か、街か、村に大長者がいたとしましょう。その長者は、年をとり衰弱していますが、非常に裕福で、財産を大量に持っているとしましょう。多くの田畑や屋敷を持っており、奴隷たちもたくさん持っています。その屋敷は、非常に広く大きいのですが、出入り口は一つしかありません。その屋敷には多くの者が住んでいます。100人、200人、あるいは500人もの生命あるものたちが住所としています。その屋敷は、建築して永く経っており、立派ではありますが、あちこちが朽ちています。垣根や壁はくずれ落ち、柱の根元は腐れ、梁や棟は傾いていて危険な状態です。突然、数カ所で同時に火が起こり、屋敷が燃え始めました。長者には、子供たちがたくさんいます。10人、20人、あるいは30人もの子供たちが、この屋敷の中に居ました。
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総譬 「三車火宅のたとえ」
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如来答説
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開譬
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発起
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経:その時に仏、舎利弗に告げたまわく。我先に諸仏世尊の種々の因縁・譬諭・言辞を以て方便して法を説きたもうは、皆、阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言わずや。この諸の所説は、皆菩薩を化せんが為の故なり。しかも舎利弗。今当にまた譬諭を以て更にこの義を明すべし。諸の智あらん者、譬諭を以て解ることを得ん。
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太郎訳:その時に釈尊は、尊者シャーリプトラに告げました。私は、先ほど、諸仏が様々な因縁、譬え話、語源によって方便の教えを説くことは、すべて無上最高の覚りへと人々を導くためだと説いたではありませんか。様々な教えは、すべて菩薩を教化するためです。では、シャーリプトラよ。今、真実の教えを譬え話にして説き明かしましょう。智慧のある者は、譬え話によって覚ることができるでしょう。
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方便品の要約
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太郎論:「諸仏世尊の種々の因縁・譬諭・言辞を以て方便して法を説きたもうは、皆、阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言わずや。この諸の所説は、皆菩薩を化せんが為の故なり」というのは、方便品の要約です。「諸仏世尊が、様々な体験談、譬え話、語源によって方便の教えを説くのは、人々を無上の覚りへと導くためである」「様々な教えは、すべて菩薩を教化するためである」という二つのことを方便品では繰り返し説かれていました。
因縁とは、仏と弟子との過去の関係、譬え話とは、そのことと類似することによって、そのことを分かりやすくすること、語源とは、その言葉の語源を明かすことです。このような方便を用いて人々を成仏に導くのが諸仏の役目なのです。
因縁と譬諭は分かりやすいのですが、言辞は分かりにくいです。言辞を言葉づかいだと解釈する人もいますが、言辞とは、ニルクティ nirukti の訳なので、言葉づかいという意味ではなく、語源という意味です。サンスクリット原文ならば、ニルクティは見つけやすいのですが、漢訳だと分かりません。説明が困難なので、漢訳の場合は、あえて無視しているようです。よって、方便とは、因縁と譬諭によって説かれると思っておいた方が混乱しないかも知れません。
菩薩を教化するというのは、菩薩が自他の成仏を願っているからです。成仏を目指していなければ、成仏はできません。目的地が分からなければ、たどり着けないのと同じです。自分だけでなく、多くの人々と共に成仏を目指すことも重要です。自他の区別・差別を無くすことによって、成仏が可能になります。
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譬諭
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太郎論:釈尊は、舎利弗からの請問に応じて、方便によって真実を説くことを譬喩で説くことにしました。譬喩によって、まだ理解できていない弟子たちが、覚れる可能性があるからです。また、舎利弗に対して、譬喩の説き方を教えるためです。開譬と合譬を実際に説くことで、舎利弗は譬諭の説き方を学べます。また、法華経を読む人にも譬諭の実際を教えることができます。
この譬喩品によって、開譬と合譬を学んでおかないと法華経の後半が理解できなくなります。後半では、譬喩を開いても、合譬をしないことが多いので自分で読み解く必要があるからです。
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発起
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第二 譬説周 正説段
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舎利弗請問
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経:その時に舎利弗、仏に白して言さく。世尊。我今また疑悔なし。親り仏前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。この諸の千二百の心自在なる者、昔学地に住せしに、仏常に教化して言わく。我が法はよく生・老・病・死を離れて涅槃を究竟す、と。この学・無学の人、また各自ら我見、及び有・無の見等を離れたるを以て、涅槃を得たりと謂えり。しかるに今世尊の前に於て、未だ聞かざる所を聞いて、皆疑惑に堕せり。善哉、世尊。願わくは四衆の為に其の因縁を説いて疑悔を離れしめたまえ。
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太郎訳:その時に尊者シャーリプトラは、釈尊に申し上げました。世尊。私は、今、疑いの心はありません。世尊より、最高の授記を頂きました。この会座に集う千二百の心が自在な者たちに、昔、学びたいという心を起こさしめ、世尊は、いつもこのように教化してくださいました。私の説く教えは、生・老・病・死の苦を超越し、涅槃の境地に導きます、と。この学ぶ者、学び尽くした者たちは、それぞれが自ら、自己にとらわれた見解や「ある」にこだわる見方、「ない」にこだわる見方を離れることによって、涅槃を得たと思い込んでいます。なのに、今、世尊からこれまで説かれていた涅槃は仮の涅槃だということを初めて聞いて、皆が疑惑を感じています。素晴らしき世尊よ。どうぞ、この人々に対して、仮の涅槃と真の涅槃についてお説き頂き、人々の疑いをお晴らしください。
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舎利弗請問
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廻向 とは
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太郎論:廻向とは、パリナーマナー pariṇāmanā の訳です。意味は、「転回・変化・変換」です。仏教では、自分の善根・功徳を自他の成仏へと振り向けることをいいます。化城諭品第七にある「願わくはこの功徳をもって 普く一切に及ぼし 我らと衆生と 皆共に仏道を成ぜん」という廻向文は有名です。日本では、廻向供養といって、読経供養の功徳を死者に廻向しますが、本来の廻向は、生きている者になされます。
廻向の思想は、初期仏教にはなく、大乗仏教において広まりました。初期仏教では、業報輪廻の思想が主に説かれており、自分の業報は自分が受け取るといわれていました。自業自得です。廻向思想では、自分の善業を他者に振り向けますので、業報思想にはなかった考え方です。この考え方によって、他者を救済するという根拠になっていますから、大乗仏教では重要な思想です。
「業報によって輪廻する」というのが業報輪廻です。輪廻するのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という苦の世界です。修行によって成仏しなければ輪廻からは解脱できませんので、ほとんどの生物は、非常に長い間、苦の世界を漂うことになります。この思想は、実に残酷です。日本にも業報輪廻の思想が入ってきて、最近は、ドラマや映画でもテーマになっているため、若い人たちにも輪廻という言葉が一般的になりました。しかし、インドのように悲観的なイメージではなく、死に変わり生まれ変わっても苦の世界にいる、という考えはないようです。よって、輪廻からの解脱という考えもありません。成仏を願って修行しようという人は少ないようです。
よって、日本人には業報輪廻の恐怖が分かりませんが、インド人にとっては、すぐ近くにある恐怖です。この恐怖による苦しみを解決するのが仏教の一つのテーマでした。大乗仏教では、事物・現象は、仮だといいます。事実としてあるのではなく、概念として有るだけです。よって実体は有りません。輪廻もまた概念であり、幻のようなものですから、そのことに気づけば、一瞬で救われます。廻向思想は、そういう幻への執着から離れさせるための、有効な思想だったわけです。
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廻向とは
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:
:廻向 す
偈頌
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経:その時に諸の天子、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく。
:
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太郎訳:その時に、諸々の天上界の神々の子たちは、正しく領解したことをもう一度詩にして述べました。
:
:
経)
昔 波羅奈に於て 四諦の法輪を転じ
分別して諸法 五衆の生滅を説き
今また最妙 無上の大法輪を転じたもう
この法は甚だ深奥にして
よく信ずる者あること少し
我等 昔より来
数世尊の説を聞きたてまつるに
未だ曾て是の如き 深妙の上法を聞かず
世尊 この法を説きたもうに 我等 皆随喜す
大智舎利弗 今尊記を受くることを得たり
我等また是の如く 必ず当に作仏して
一切世間に於て 最尊にして
上あることなきことを得べし
仏道は思議しがたし
方便して宜しきに随って説きたもう
我が所有の福業 今世もしは過世
及び見仏の功徳 尽く仏道に
:
:
太郎訳)
昔、ヴァーラーナシーにおいて
四諦の法門を説かれ 分析して 五蘊の縁起を説き
今はまた 最も優れた無上の大いなる教えを説かれました
この教えは甚だ奥が深く 信じる者の少ない教えです
私たちは昔よりこれまで
多くの諸仏の教えを聞いてまいりましたが
かつてこのような深く優れた最上の教えを聞いたことがありません
世尊よ この教えをお聞きして 私たちは 皆 喜んでいます
聖者シャーリプトラが 今 尊い成仏の予言を受けました
私たちも同様に必ず成仏をして
一切の世間において 最も尊く無上の境地を得たいと思います
仏の道は難解です
よって方便によって 相手に応じて教えを説きましょう
私たちの持つ善業 今世 または過去世において
諸仏に出会えたことの功徳を すべて仏道に廻向します
:
:
偈頌
:
:
:波羅奈 に於て初めて法輪を転じ、今、乃ちまた無上最大の法輪を転じたもう。
正しく領解する
:
経:仏昔、
:
:
太郎訳:世尊は、昔、ヴァーラーナシー(波羅奈)において、最初の教えを説かれ、今、無上最大の教えを説かれました。
:
:
太郎論:波羅奈とは、釈尊が初めて説法を行った鹿野園のある場所です。初めての説法のことを初転法輪といいます。説法の相手は、かつて一緒に苦行をした五比丘です。五比丘は、苦行を止めて乳粥を食べた釈尊を裏切り者として軽蔑し、遠く鹿野園に去りました。覚りを得た釈尊は、最初の説法の相手として五比丘を選んで会いに行きましたが、五比丘は釈尊を見て、相手にしないように示し合わせました。しかし、近づいてきた釈尊の神々しさに尊敬の意を表し、釈尊の説法を聞きました。その時の説法の内容は、中道・四諦だったといいます。この初転法輪によって、仏教が始まったと言いますから、重大な説法だったことが分かります。今ここで、釈尊は、妙法蓮華の教えを説かれました。神々はこの説法を初転法輪と同じく重要な説法だと受け止め、「今、乃ちまた無上最大の法輪を転じたもう」と言って喜んだようです。
このように法華経では、法華経を無上最大最高の教えだと讃えるシーンがよく出てきます。このことから、法華経は釈尊の説かれた教えの中で第一だと言われます。しかし、最高なのは妙法です。鳩摩羅什は妙法と訳しましたが、それまでは通常、正法と訳されました。阿含経にも使われている言葉です。妙法は、サッダルマ Saddharma の訳なので、正しい法という意味です。よって、直訳すると正法なのですが、甚深微妙の法なので、鳩摩羅什は妙法と訳したようです。
般若経では、智慧について説かれています。法華経では、智慧の対象である妙法について説かれています。よって、般若経と法華経はセットです。智慧と妙法を知ってこそ、能詮と所詮の一致が得られます。つまり、説くことと説かれることが一つになりますから、般若経と法華経は合わせて学ぶ必要があります。
龍樹は、二万五千頌般若経の解釈として、大智度論を著しました。百巻もある大作です。しかし、法華経の解釈本は出していません。龍樹は、般若経を学ぶことを勧めていたようです。般若経は、声聞衆に対して説かれましたが、法華経は菩薩に説かれた教えなので、非常に難解だからです。よって、法華経は簡単な教えではありません。大智度論を訳した鳩摩羅什も、法華経よりも般若経を押していたようです。日本では、般若経を学ばずに法華経を学ぶ傾向が強いのですが、法華経を理解するためには、般若経をまず学ぶ必要があります。
般若経を知らなければ、妙法を理解できませんので、妙法がなぜ最高なのかが分からないと思います。法華経を最高だと主張したいのなら、般若波羅蜜について深く学んだほうがいいです。
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:
正しく領解する
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:
:釈提桓因 、梵天王等、無数の天子と、また天の妙衣・天の曼陀羅華 ・摩訶曼陀羅華 等を以て仏に供養す。所散の天衣、虚空の中に住して自ら回転す。諸天の伎楽百千万種、虚空の中に於て一時に倶に作し、衆の天華を雨らして是の言を作さく。
第五四衆の領解段
:
経:その時に四部の衆・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽等の大衆、舎利弗の仏前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心大に歓喜し踊躍すること無量なり。各各に身に著たる所の上衣を脱いで以て仏に供養す。
:
:
太郎訳:その時に、男性の出家修行者、女性の出家修行者、男性の在家修行者、女性の在家修行者、天上界の神々やナーガ、ヤクシャ、ガンバルヴァ、アスラ、ガルダ、キンナラ、マホーラガなどの大衆は、尊者シャーリプトラが授記されるのを見て躍り上がって大喜びしました。人々は、各々が着ている上衣を脱いで仏さまを供養しました。シャクラ天(帝釈天)、ブラフマー神(梵天王)、無数の神々は、天の不思議な衣、天の美しい花々であるマンダーラヴァ(曼陀羅華)、大マンダーラヴァ(摩訶曼陀羅華)をふらせて、仏さまを供養しました。散らされた天衣は、空一面にまかれており、それぞれが、くるくると回転していました。天上界の楽師たちが様々な楽器を空中で奏で、一斉に調和をとって演奏し、多くの天の花をふらしてこのように言いました。
:
:
第五四衆の領解段
:
:
:倫匹 なけん欣慶 すべし
授記-3
:
経)
華光仏世に住する 寿十二小劫
その国の人民衆は 寿命八小劫ならん
仏の滅度の後 正法世に住すること
三十二小劫 広く諸の衆生を度せん
正法滅尽しおわって 像法三十二
舎利広く流布して 天・人普く供養せん
華光仏の所為 その事皆是の如し
その両足聖尊
最勝にして
彼即ちこれ汝が身なり
宜しく応に自ら
:
:
太郎訳)
華光如来が世に住む寿命は
十二小劫です
その国の人々の寿命は
八小劫です
華光如来が入滅した後
三十二小劫の間は
正しく教えが伝わり
広く人々を救います
正しい教えが滅した後は
三十二小劫の間
形だけの教えが残ります
華光如来の遺骨は
細かく砕かれて
国中に配られ
仏塔に納められ
天上界の神々と
地上界の人々から
広く供養を受けます
華光如来の成仏の様子は
以上の通りです
華光如来は
最勝にして諸仏と同じ境地にあります
その仏とは シャーリプトラよ
あなたなのです
大いにお喜びなさい
:
:
授記-3
:
:
:
授記-2
:
経)
彼の国の諸の菩薩
志念 常に堅固にして
神通・波羅蜜
皆すでに悉く具足し
無数の仏の所に於て
善く菩薩の道を学せん
是の如き等の大士
華光仏の所化ならん
仏王子たらん時
国を棄て世の栄を捨てて
最末後の身に於て
出家して仏道を成ぜん
:
:
太郎訳)
その国の菩薩たちの志は固く
神通力と智慧・慈悲の力を
誰もが具えています
他の国で諸仏のもとで
修行をしてきた者たちも
華光如来のところに転生し
その国土に住むことになるでしょう
華光如来が王子として生まれたときに
家を捨て国を捨て
あらゆる愛欲を捨て去って
最後身の後の身体において
出家して成仏を果たします
:
:
授記-2
:
:
:瑕穢 なく
偈頌
:
経:その時に世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく。
:
:
太郎訳:その時に釈尊は、尊者シャーリプトラへの授記の内容を、もう一度、詩にして説かれました。
:
:
授記-1
:
経)
舎利弗来世に 仏普智尊と成って
号を名けて華光といわん
当に無量の衆を度すべし
無数の仏を供養し
菩薩の行 十力等の功徳を具足して
無上道を証せん
無量劫を過ぎおわって
劫を大宝厳と名け 世界を離垢と名けん
清浄にして
瑠璃を以て地となし 金縄其の道を界い
七宝雑色の樹に 常に華果実あらん
:
:
太郎訳)
シャーリプトラよ
あなたは未来世において成仏し
名を華光如来と言われるでしょう
あなたは無量の人々を救います
無数の諸仏を供養し
菩薩行を実践し
十種の力を身に付けた後に
最も優れた最高の悟りを得るでしょう
無量の時が流れた後
時代を大宝厳と名付け
その仏国土を離垢と言います
清浄にして欠点や穢れがなく
大地は瑠璃という宝石でおおわれ
黄金の縄で道路を仕切り
街路樹には常に美しい花と
実がなっています
:
:
授記-1
:
:
:華足安行 ・多陀阿伽度 ・阿羅訶 ・三藐三仏陀 といわん。その仏の国土もまたまた是の如くならんと。舎利弗。この華光仏の滅度の後、正法世に住すること三十二小劫、像法世に住すること亦三十二小劫ならん。
第四如来授記段
:
経:舎利弗。汝、未来世に於て、無量無辺不可思議劫を過ぎて、若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し菩薩所行の道を具足して、当に作仏することを得べし。号を華光如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といい、国を離垢と名けん。その土平正にして清浄厳飾に、安穏豊楽にして天人熾盛ならん。瑠璃を地となして、八つの交道あり。黄金を縄と為して以てその側を界い、その傍に各七宝の行樹あって、常に華果あらん。華光如来また三乗を以て衆生を教化せん。舎利弗。彼の仏出でたまわん時は悪世に非ずといえども、本願を以ての故に三乗の法を説かん。その劫を大宝荘厳と名けん。何が故に名けて大宝荘厳という、その国の中には菩薩を以て大宝と為すが故なり。彼の諸の菩薩、無量無辺不可思議にして、算数譬諭も及ぶこと能わざる所ならん。仏の智力に非ずんばよく知る者なけん。もし行かんと欲する時は宝華足を承く。この諸の菩薩は、初めて意を発せるに非ず。皆久しく徳本を植えて、無量百千万億の仏の所に於て浄く梵行を修し、恒に諸仏に称歎せらるることを為、常に仏慧を修し大神通を具し、善く一切諸法の門を知り、質直無偽にして志念堅固ならん。是の如き菩薩其の国に充満せん。舎利弗。華光仏は寿十二小劫ならん。王子と為て未だ作仏せざる時をば除く。その国の人民は寿八小劫ならん。華光如来十二小劫を過ぎて、堅満菩薩に阿耨多羅三藐三菩提の記を授け、諸の比丘に告げん。この堅満菩薩、次に当に作仏すべし。号を
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。あなたは未来世において、無量の時を過ぎて、多くの諸仏を供養し、正しい教えを保ち菩薩行を実践して、遂には成仏するでしょう。名を華光如来といい、人々からの尊敬を受ける聖者となり、智慧と行を完成させた人であり、人格完成を果たした人、世間をよく理解した人、人として最高の人、人々をよく調える人、天上界の神々と地上界の人々の師、そして目覚めた人、世で尊敬される人となるでしょう。国を離垢といいます。その国土は平坦で、すべてが清浄であり、安穏にして、楽しみが満ち溢れ、天の神々も地上の人々もイキイキとしています。青色の美しい宝石を地面に敷きしめ、八方に均された道が通っており、黄金のロープにて道路の両側を縁取り、道路の外側には街路樹があり、その樹には、いつも美しい花と実がついています。華光如来もまた、三乗という方便を説いて人々を教化します。シャーリプトラよ。華光如来が世に出る時代は、悪世ではありませんが、すべての人々を成仏に導くという本願をもって、三乗という方便の教えを説きます。その時代を大宝荘厳といいます。なぜ、この名があるのかというと、この国は菩薩を最高の宝とするからです。華光如来が教主となる離垢という国には、無量の菩薩たちが住んでいて、その数はとても数えられるものではありません。仏の智力でなければ把握できません。その菩薩たちが歩く時、その足元には宝石の紅蓮華が生じて、菩薩たちはその上を歩きます。この菩薩たちは、この国で初めて覚りを求めたのではなく、皆、非常に長い間、善行を行い、無量の仏に従って、浄き身となる修行をし、諸仏に褒め称えられ、常に智慧を修め、不思議な力を身に付けて、あらゆる教えに精通して素直で偽りがなく、成仏を目指す志は堅固です。このような菩薩が、この国には充満しています。シャーリプトラよ。華光如来の寿命は十二小劫です。王子となって成仏するまでの期間は除きます。その国の住人の寿命は八小劫です。華光如来が世に出て、十二小劫が過ぎて弟子の堅満菩薩に成仏の保証を授けました。諸々の出家の修行者たちを前にして華光如来に未来の成仏を予言しました。名前を華足安行如来と言い、その仏の国土もまたこのようになるでしょう。シャーリプトラよ。この華光如来が滅した後、仏の教えは三十二小劫の間、正しく伝わります。その後、教えはあっても、形だけのものであり人々を成仏に導けない期間が三十二小劫続きます。
:
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第四如来授記段
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:
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第三如来の述成段
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結成
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経:その時に仏、舎利弗に告げたまわく。
吾今、天・人・沙門・婆羅門等の大衆の中に於て説く。我、昔かつて二万億の仏の所に於て、無上道の為の故に常に汝を教化す。汝また長夜に我に随って受学しき。我方便を以て汝を引導せしが故に、我が法の中に生ぜり。舎利弗。我、昔汝をして仏道を志願せしめき。汝今悉く忘れて、便ち自らすでに滅度を得たりと謂えり。我、今還って汝をして本願所行の道を憶念せしめんと欲するが故に、諸の声聞の為にこの大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説く。
:
:
太郎訳:その時に釈尊は、尊者シャーリプトラに告げました。私は、今、天上界の神々と地上界の人々、出家修行者、バラモン教の司祭の皆さんの前ではっきりと宣言いたします。私は、はるかな昔から、多くの諸仏の所において、あなたを成仏へと導くために教化してきました。あなたは長期にわたって、私に従い学んできました。方便によってあなたを導いた結果、あなたは仏の教えの中で生きるようになったのです。シャーリプトラよ。私は、昔、あなたに成仏を目指すようにと教えたはずです。あなたは、そのことをすっかり忘れてしまい今世では、方便の教えの段階で、既に涅槃を得たと思い込みました。私は、今、あなたに本来の願いと修行の道を思い出させたいと願い、諸々の声聞たちのために大乗経の妙法蓮華といわれ、菩薩教化の教えといわれ、諸仏が大切にしているこの教えを説くのです。
:
:
結成
:
:
:音
結成
:
経)
仏の柔軟の
深遠に甚だ微妙にして
清浄の法を演暢したもうを聞いて
我が心大に歓喜し
疑悔永くすでに尽き
実智の中に安住す
我定めて当に作仏して
天・人に敬わるることをえ
無上の法輪を転じて
諸の菩薩を教化すべし
:
:
太郎訳)
仏さまの柔軟なお声は
深遠であり非常に不思議です。
清浄の教えをお説きになられたのを聞いて
私の心は大いに歓喜し
疑いの心は晴れ
真実の智慧を得ることが出来ました
私は、心を定めて成仏し
天上界の神々や
地上界の人々から敬われることとなり
無上の教えを説き弘め
諸々の菩薩を教化いたします
:
:
結成
:
:
:
波旬 はこの事無し謂 えり
心に妙解の喜びを得ることを頌す-4
:
経)
いまの世尊の如きも
生じたまいしより 及び出家し
得道し法輪を転じたもうまで
また方便を以て説きたもう
世尊は実道を説きたもう
是を以て我定めて知んぬ
これ魔の仏と作るには非ず
我疑網に堕するが故に
これ魔の所為と
:
:
太郎訳)
今の世尊ご自身も
誕生され出家し
成道して教えを説かれたことを通して
方便によって成仏へと導くことを
明らかにされました
世尊は真実の道を説かれました
これは悪魔のなせることではありません
このことから 私は
はっきりと分かりました
悪魔が化けた仏ではなく
私が疑いを持ったために
妄想によって悪魔の仕業と
思っただけだったのです
:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-4
:
:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-3
:
経)
仏説きたまわく
過去世の無量の滅度の仏も
方便の中に安住して
また皆この法を説きたまえり
現在 未来の仏
その数量あること無きも
また諸の方便を以て
是の如き法を演説したもう
:
:
太郎訳)
世尊は過去世の真の涅槃に入られた
無量の諸仏も
方便の教えを通して
最上の教えを説かれたことを
讃えられました
現在 未来の無量の諸仏も
様々な方便の教えを通して
最上の教えを説かれたことを
讃えられました
:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-3
:
:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-2
:
経)
初め仏の所説を聞いて
心中大に驚疑しき
将に魔の仏と作って
我が心を悩乱するに非ずやと
仏 種々の縁 譬諭を以て
巧みに言説したもう
その心安きこと海の如し
我聞いて疑網断じぬ
:
:
太郎訳)
本日の説法の初め
私は仏さまの教えを聞いて
心の中では大いに驚き疑っていました
仏の悟った智慧は非常に深く
声聞には理解できないとおっしゃいましたが
私には その意味がよく分かりませんでした
私は すでに智慧を得ているのに
どういうことなのかと驚きました
悪魔が仏の姿に変身して
私の心を悩まし
乱しているのかと疑いました
しかし仏さまが様々な過去の因縁や
譬え話を交えて巧みにこの教えをお説きくださり
私は心に安らぎを得て
疑いの想いはなくなりました
:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-2
:
:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-1
:
経)
しかるに今乃ち自ら覚りぬ
これ実の滅度に非ず
もし作仏することを得ん時は
三十二相を具し
天・人・夜叉衆
龍神等恭敬せん
この時 乃ち謂うべし
永く尽滅して余なし と
仏 大衆の中に於て
我当に作仏すべしと説きたもう
是の如き法音を聞きたてまつりて
疑悔悉くすでに除こりぬ
:
:
太郎訳)
しかし 今 私は
はっきりと分かりました
私は真の涅槃に入ったのでは
なかったのです
もし本当に成仏したのであれば
世尊のように身体は金色に輝き
三十二の徳のある姿となり
天の神々や地上の人々や鬼神たち
龍神たちから尊敬されるようになるはずです
そのようになった時
初めて真の涅槃に入ったと言えるのでしょう
:
:
心に妙解の喜びを得ることを頌す-1
:
:
:謂 いき
法を聞かざることを頌す-5
:
経)
我本邪見に著して
諸の梵志の師となりき
世尊 我が心を知しめして
邪を抜き
涅槃を説きたまいしかば
我悉く邪見を除いて
空法に於て証を得たり
その時に心自ら
滅度に至ることを得たりと
:
:
太郎訳)
私は仏教を知る前は 誤った思想に執着し
多くのバラモンたちの師となっていました
仏教教団に入ってからは
世尊は私の心をよく見とおされ
誤った考え方を正し
涅槃の道を説いて下さり
私は誤った思想を捨て去って
空の悟りを得ることが出来ました
私はこの時 覚りの境地に入ったと
思い込んだのです
:
:
法を聞かざることを頌す-5
:
:
:
為 めて失えりや
為 めて失わずや
籌量 しき
法を聞かざることを頌す-4
:
経)
我常に日夜に
毎にこの事を思惟して
以て世尊に問いたてまつらんと欲す
我常に世尊を見たてまつるに
諸の菩薩を称讃したもう
是を以て日夜に
此の如き事を
今 仏の音声を聞きたてまつるに
宜しきに随って法を説きたまえり
無漏は思議し難し
衆をして道場に至らしむ
:
:
太郎訳)
常日頃 世尊のご様子を拝見いたしますと
いつも菩薩たちを称賛されていましたので
このことから日夜このように
考え量っていたのです
今 仏さまの素晴らしい教えをお聴きして
仏さまが相手に応じて教えを説くことを知りました
煩悩を滅する境地は
考えの及ぶ所ではないのですが
仏さまは その境地へと導いてくださいます
:
:
法を聞かざることを頌す-4
:
:
:
饒益 したもうを見て欺誑 せりと
法を聞かざることを頌す-3
:
経)
金色三十二 十力諸の解脱
同じく共に一法の中にして
この事を得ず
八十種の妙好
十八不共の法
是の如き等の功徳
しかも我皆すでに失えり
我独経行せし時
仏大衆に在して
名聞十方に満ち
広く衆生を
自ら惟わく この利を失えり
我これ自ら
:
:
太郎訳)
金色に輝く身体
三十二の尊い相
十力や様々な解脱は
すべて一つの真実から
発しているのでしょうが
どれも私たち声聞は
得ていません
八十種の美しい相
十八種の優れた特質
このような様々な功徳も
私たちは失っています
私が独りで歩きながら
教えを噛みしめていた時
仏さまが多くの人々の前に現れて
人々のために教えを説き広め
広く人々に慈悲の心で
利益を与えるのを見て
私は思い知りました
仏さまのような智慧を
私はまだ得ていないと
私は自分で自分を欺き ごまかし
目的を達成したと
思い込んでいたのです
:
:
法を聞かざることを頌す-3
:
:
:
鳴呼 して深く自ら責めき
法を聞かざることを頌す-2
:
経)
我 山谷に処し
或は林樹の下に在って
もしは坐し もしは経行して
常にこの事を思惟し
云何ぞ しかも自ら欺ける
我等もまた仏子にして
同じく無漏の法に入れども
未来に無上道を演説すること能わず
:
:
太郎訳)
私は山谷にいて
あるいは林の中の樹の下にいて
ある時は坐り ある時は歩きながら
いつも次のように思惟し
心に感じ入って深く
自分を責めていました
私はまだ目的を達成していないのに
達成していると自分で自分を欺いている
私たちも菩薩と同じように仏の子であり
同じように煩悩をなくす教えを学び
修行をしてきましたが未来において
人々に無上の仏道を説法するようには
私たちは ならないでしょう
:
:
法を聞かざることを頌す-2
:
:
:蒙 って 音 は漏尽 を得れども
偈頌
:
経:その時に舎利弗、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく。
:
太郎訳:その時に尊者シャーリプトラは、もう一度詩にして申し上げました。
:
:
法を聞かざることを頌す
:
経)
我この法音を聞いて
未曾有なる所を得て
心に大歓喜を懐き
疑網 皆すでに除こりぬ
昔より来 仏教を
大乗を失わず
仏の
甚だ希有にして
よく衆生の悩を除きたもう
我すでに
聞いて また憂悩を除く
:
:
太郎訳)
私はこの素晴らしい教えを聞いて
有り難い想いを起こし
心に大歓喜を懐いて
疑いの気持ちは
すっかりなくなりました
昔からこれまで仏さまの教えを頂いて
今 最上の教えを得ることができました
仏さまの教えは
非常に稀な思想であり
よく人々の悩みを除かれます
私は すでに迷いをなくしていましたが
今は また 教えに関する悩みも
除くことができました
:
:
法を聞かざることを頌す
:
:
:
仏とは
:
R論:世の中でいちばん自由自在な人はだれかといえば、もちろん仏です。
:
:
太郎論:自由とは、スヴァ・タントラ svatantra の訳で、「自立・独立」という意味です。束縛から解放された状態のことなので、煩悩からの解放・輪廻からの解脱の意味もあります。自在とは、ヴァシター vaśitā の訳で、「自律・支配・服従」という意味です。自分の思い通りにすることです。よって、仏陀は自由自在な人だと言えるでしょう。
しかし、自由自在な人というのは、二次的な意味です。仏陀とは、ブッダ buddha の音写であり、意味は、「目覚めた者」です。何に目覚めたのかというと最高の真理です。つまり、妙法を覚ったので仏陀と呼ばれます。勝れた人であれば、自由自在の境地の人もいるかも知れませんが、妙法を覚ることはできません。妙法は、あるがままのことなので、肉体の眼では観ることができないのです。それを見ているというのは、眼で光をキャッチし、それを信号にして脳に送り、脳で仮設したものを見ているということです。実在のそれではなく、仮設されたものを見ているのですから、あるがままではありません。
妙法を観るには、智慧が必要です。智慧とは、真理を観る能力のことであり、最高の真理である妙法を完全に観た時、智慧は完成します。それを般若波羅蜜といいます。智慧の完成によって無上の覚りを得ます。その状態を成仏と言います。つまり、覚りを得るためには智慧の活性化が必要なのですが、一般人の智慧は煩悩によって塞がっているために眠った状態です。だから、まず煩悩を滅する必要があるのです。釈尊の成仏のことを「降魔成道」といいますが、ここで悪魔に喩えられているのが煩悩です。煩悩を降ろすことが先決だということです。
:
:
仏とは
:
:
:踊躍 歓喜して即ち起って合掌し、尊顔を瞻仰 して仏に白して言さく。今、世尊に従いたてまつりてこの法音を聞いて、心に踊躍を懐き未曾有なることを得たり。所以は何ん。我昔仏に従いたてまつりて是の如き法を聞き、諸の菩薩の受記作仏を見しかども、しかも我等はこの事に預らず。甚だ自ら如来の無量の知見を失えることを感傷しき。世尊。我常に独、山林樹下に処して、もしは坐し、もしは行じて、毎にこの念を作しき。我等も同じく法性に入れり、云何ぞ如来小乗の法を以て済度せられと。これ我等が咎なり、世尊には非ず。所以は何ん、もし我等、所因の阿耨多羅三藐三菩提を成就することを説きたもうを待たば、必ず大乗を以て度脱せらるることを得ん。しかるに我等、方便随宜の所説を解らずして、初め仏法を聞いて遇 便ち信受し、思惟 して証を取れり。世尊。我昔より来、終日竟夜 毎に自ら剋責 しき。しかるに今、仏に従いたてまつりて、未だ聞かざる所の未曾有の法を聞いて諸の疑悔を断じ、身意泰然として快く安穏なることを得たり。今日乃ち知んぬ。真に是れ仏子なり。仏口より生じ法化より生じて、仏法の分を得たり。踊躍歓喜 (踊り出したいほど喜ぶ)して立ち上がり、仏さまを仰ぎ見て申し上げました。世尊から『誰でも仏に成ることができる。そのことに疑念を持ってはならない』という強いお言葉を賜り、踊り出したくなるほどの大感激を覚えています。心は大歓喜に満ち、胸にからまっていた疑いの網はすっかりなくなりました。これまで私は世尊にお仕えし、『誰でも修行を積めば仏に成れる』とのお言葉は伺ってはいました。そして、多くの菩薩たちに授記(仏になれるという保証を与える)される場面を目の当たりにしました。しかし、このことは、私ども声聞や縁覚には無縁の、遠く及ばないことだと思っていました。私どものような声聞や縁覚の境地の者は、所詮、どんなに修行をしても絶対に悟りを得ること(仏に成ること)など無理なことだと諦めており、淋しく、悲しく思っていました。世尊よ。私はただ一人、林の中で木の下で座して瞑想し、歩きながら思索を深める時、いつも次のようなことを思い、嘆き、自分を責めていました。『自分たちは菩薩と同じように世尊のみ教えを伺うご縁を頂き、同じく汚 れのない清浄な境地に至っているのに、なぜ世尊は我々には《大乗の教え》を説かず、《小乗の教え》だけを説かれるのだろうか』と世尊を責める気持ちがありました。しかし、こう思うのは、私たちが至らぬせいであり、少しも世尊の責任ではありません。すべては私たちの咎 めとするところであります。
身子(舎利弗)の自陳
:
経:その時に舎利弗、
:
:
R訳:舎利弗は、
なぜならば、そもそも世尊は『仏に成れる大本(因)となる教え』をお説き下さっておられ、私たちは、何の心配も無くお待ちしていれば、いずれは《大乗の教え》をくださり、『誰でもが仏に成れる』教えである『法華経』を必ずお説き下さるはずであったからです。
それなのに私は、世尊からいただく《方便の教え》の真意を理解できず、教えの上辺だけを聞いて、すでに悟りを得ていたと勝手に思い込んでいました。ですから他の多くの菩薩たちだけが成仏の保証を頂くのを見て、『自分は授記を頂けない。自分は至らないダメな人間だ』と嘆き、そして『菩薩が得る素晴らしい境地などに、自分には到底、成就できるはずはない。今、自分が悟りを得ていたと思っていたことは、全くの思い過ごしで、自分で自分を騙していたのだ』と昼夜、自分を責めていました。
しかし、只今『方便品』にて、仏さまから未だかつて伺ったことの無い尊い教えを頂いて、すべての疑いも悔しい気持ちも、すっかりなくなってしまいました。今は心も体も安らかで、安穏な心持ちでございます。世尊は人と時と場合に応じてふさわしい教えを説かれ、すべての衆生を仏の境地にお導きされます。そのことが今こそハッキリと分かりました。
:
:
太郎訳:その時に尊者シャーリプトラは、歓喜し躍るように立ち上がって合掌し、釈尊のお顔を仰ぎながら申し上げました。今、世尊の教えを聴かせて頂き、心に大きな喜びを懐いています。このような感動はめったにありません。なぜならば、私は昔、仏に従って、成仏の教えを聞き、諸々の菩薩たちが成仏の予言を受けるのを見ましたが、私たち声聞には、成仏の予言はありませんでした。私たちは、如来の無量の智慧を得ることはないのだと失望し、心を痛めていました。世尊。私は常に独りで、山林の樹の下で過ごし、坐ったり、または歩きながら、いつもこのようなことを考えていました。私たちも菩薩たちと同じように、真実を覚っています。しかし、なぜ如来は、私たちには小乗の教えばかりを説かれ、小乗の教えで救おうとされるのでしょう? このことは、私たちに問題がありました。世尊の責任ではありません。
なぜなら、もし私たちが、完全なる成仏の教えを説かれることをお待ちしていれば、必ずや、世尊は、大乗の道をお教え下さるのです。しかし、私たち声聞は、方便の教えの真意が分からなかったため、釈尊から頂いた最初の教えを信じ、その教えを深く思惟することによって、涅槃を得ることができたと思っていました。修行の目的を達成したと思っていたのです。しかし、菩薩たちとは、修行の目的が違うことに疑問を持っていました。菩薩たちの目的が成仏なのに、なぜ声聞の目的が解脱なのかと考えていました。
世尊。私は、昔からずっと、昼も夜もこのことを考え、自分たち声聞が菩薩たちよりも劣る存在なのかと自分を責め続けていました。しかし、今、仏に従って、これまでに聞いたことのない稀なる教えを聴いて、様々な疑いと悔やむ想いを断じ、身も心も落ちつき、心地よい安穏の境地になることが出来ました。今日、私は分かりました。私たちは、まことに仏の子なのです。仏さまの口から生まれ出て、仏さまの説法によって生まれ変わり、仏法を分けて頂いています。
:
:
身子(舎利弗)の自陳
:
:
:
輪廻説の正しい受け止め方
:
R論:この輪廻説を、まちがって受け取ると非常に消極的なものになってしまいます。〈私が現在苦しんでいるのは、過去の業があまりに悪いからで、今、何をしてもダメなのだ。あきらめるしかないのだ〉というふうに、この世における努力を一切放棄してしまう生き方です。さらに悪いのは、輪廻説で他人を裁いてしまうことです。〈お前が、現在そういった苦しい目にあうのは過去世になしたお前の業のせいなのだから、あきらめて、現在の生活に甘んじていろ〉などという発言や、発想は、仏教徒として、否、仏教徒であるかないかということより、人間として、してはならないことなのです。
:
:
太郎論:現世の苦しみの原因が、過去世における自分の悪業の結果だとすると、今の苦しみを解決する手段がありません。この人生をあきらめて、ひたすらに善業につとめ、来世に期待するしかありません。閻魔大王の鏡のように、過去を見ることができるのなら納得もいきますが、客観的な証拠もないのに、業報輪廻を信じることは難しいです。しかし、多くの人たちが輪廻を信じています。もともと日本にはない、インドの思想なのに、信じる人が多いことに驚きます。不思議ですね。
如来寿量品第十六においては、輪廻は否定されます。はっきりとナ・サンサーラ na saṃsāra と書いています。これは、方便としては輪廻は有るけれど、真実としては、輪廻は否定されているのでしょう。ただし、鳩摩羅什はこれを訳していないので、漢訳の法華経だけを学んでいる人は知りません。釈尊は、輪廻を説いたのでしょうか? 縁起については積極的に説かれているけれど、輪廻については、そうでもありません。初期仏教を重視する人たちは、経典に書いているから輪廻は実在すると主張しますが、言葉で説かれることはすべて方便なので、輪廻を事実だと決定することはできません。
インドでは、業報輪廻は広く受け入れられた思想です。輪廻する世界とは、苦の世界であり、迷いの世界ですので、輪廻している限り安楽の境地にはなれません。束の間の楽ならばあるのでしょうが、すぐに憂悲苦悩におちいります。輪廻を信じている限り、この世は苦なのですから、輪廻を信じなければいいのに、なぜか、輪廻を知らなかった日本人までもが輪廻を信じるようになっています。事実として無くても、概念として有るのなら、それは人を苦しめます。もし裏山に怪物がいたとしても、人がそれを知らず、信じていなければ、概念上はいないのと同じです。しかし、信じてしまうと記憶に刻み込まれるので、実在することと同様に恐怖を感じるようになります。輪廻は、存在しない怪物を怖がるようなものでしょう。
幸いにも、日本人の場合は、輪廻を信じていても、それを苦の原因だと思っていないようです。信じることに何のメリットがあるのかが分かりません。デメリットばかりのように思えます。過去や未来に生きるよりも、今を生きたほうがいいのではないでしょうか?
:
:
輪廻説の正しい受け止め方
:
:
:
衆を棟びて信を敦む-2
:
経)
舎利弗
当に知るべし
諸仏の法 是の如く
万億の方便を以て
宜しきに随って法を説きたもう
その習学せざる者は
これを暁了すること能わじ
汝等すでに 諸仏世の師の
随宜方便の事を知りぬ
また諸の疑惑なく
心に大歓喜を生じて
自ら当に作仏すべしと知れ
:
:
太郎訳)
シャーリプトラよ
よくお聞きなさい
諸仏は このように多くの方便によって
相手に相応しい教えを説くのです
そのことを学んだことのない者は
この真意を覚ることが出来ません
皆さんは すでに諸仏の相手に応じた
方便の教えのことを知っています
様々な疑惑を持つことなく
心に大歓喜を生じて
自らまさに成仏すると知りなさい
:
:
衆を棟びて信を敦む-2
:
:
:
慙愧 清浄にして
衆を棟びて信を敦む-1
:
経)
五濁の悪世には
ただ諸欲に楽著せるを以て
是の如き等の衆生は
終に仏道を求めず
当来世の悪人は
仏説の一乗を聞いて
迷惑して信受せず
法を破して悪道に堕せん
仏道を志求する者あらば
当に是の如き等の為に
広く一乗の道を讃むべし
:
:
太郎訳)
五濁の悪世には
人々は様々な欲に
執着することによって
ついに仏道を求めません
これからの世界の悪人は
仏の説く一仏乗を聞いても
迷惑を感じ信受することなく
教えを罵って悪道に墜ちます
自分の過ちを反省して
清浄にして仏道を求める者があれば
この人々のために広く一乗の道を
讃えてください
:
:
衆を棟びて信を敦む-1
:
:
:
不虚
:
経)
汝等 疑あることなかれ
我は為れ諸法の王
普く諸の大衆に告ぐ
ただ一乗の道を以て
諸の菩薩を教化して
声聞の弟子なし
汝等 舎利弗
声聞 及び 菩薩
当に知るべし
この妙法は
諸仏の秘要なり
:
:
太郎訳)
皆さんは疑いを持たないでください
私は様々な教えの王なのです
広く人々に告げます
私は ただ 一仏乗の道によって
諸々の菩薩を教化します
声聞の弟子はいません
シャーリプトラよ
声聞 及び菩薩たち
よく理解してください
この正しく優れた教えは
諸仏の教えの奥義なのです
:
:
不虚
:
:
:興出 したもうこと
懸遠 にして値遇すること難し
正使 世に出でたもうとも
時時 に乃し一たび出ずるが如し
法の希有を讃歎する
:
経)
三世諸仏の 説法の儀式の如く
我も今また是の如く 無分別の法を説く
諸仏 世に
この法を説きたもうこと また難し
無量無数劫にも この法を聞くこと また難し
よくこの法を聴く者 この人 またまた難し
譬えば優曇華の 一切皆愛楽し
天人の希有にする所として
法を聞いて歓喜し讃めて 乃至 一言をも発せば
則ち為れすでに 一切三世の仏を供養するなり
この人甚だ希有なること 優曇華に過ぎたり
:
:
太郎訳)
過去・現在・未来の諸仏と同様に
私も今このような無分別の教えを説きます
諸仏が世に出ることは稀であり
出会うことは非常に難しいものです
たとえ世に出られたとしても
真実の教えを説かれることは
めったにないのです
無量の時間の中に於いても
この教えを聴くことは
非常に稀なのです
こうして この教えを聴く者は
聴くことの難しい教えを
聴いているのです
譬えば 優曇華の花は
誰からも愛されていて
天上界の神々も地上界の人々も
珍しい花だと知っているのですが
三千年に一度だけ咲く様なものです
教えを聴いて歓喜し
たとえ一言でも讃えれば
そのことは 過去・現在・未来の諸仏を
供養することと同じです
この人は優曇華の花が咲くよりも
稀有な体験をしているのです
:
:
法の希有を讃歎する
:
:
:
正直捨方便 但説無上道
:
太郎論:「正直に方便を捨てて ただ無上道を説く」というこの文は、日蓮系では有名です。無量義経の「四十余年未顕真実」と「正直捨方便但説無上道」を合わせて、「釈尊は、説法を始めてから四十余年、方便の教えしか説いておらず、真実を顕していない。今、この法華経の説法においては、正直に方便を捨てて無上の道を説く」というように解釈しています。つまり、法華経以前の教えは方便であって、真実は説いていなかった。しかし、今、この法華経において真実を説きましょう、というように解釈をしています。このように解釈をし、自分のところの宗派や教団内で噛み締めるのは問題はありませんが、この解釈を他宗・他教団にぶつけて、「法華経以外は方便である」とマウントをとるのはやめたほうがいいでしょう。
方便品を最初からきちんと読めば分かりますが、釈尊がこれまで妙法について説かなかったのは、人々の機根が高まっていなかったからです。「舎利弗 当に知るべし 鈍根小智の人 著相憍慢の者は この法を信ずること能わず」とあるように、機根が鈍い人、智慧が小さい人、執着の強い人、驕り高ぶり、思いあがっている人は、この教えを説いても信じることができないだろうと言います。それだから、機根を高め、智慧を深め、執着から離れさせ、おごり高ぶりを無くすことが先決です。そのために、分かりやすい教えから順に説いてきました。小学生にいきなり相対性理論を説いても分かりません。最初は、数字を覚え、足し算・引き算を覚えて、徐々にレベルを上げていかないとついてこれません。仏教もそれと同じです。
方便品の最初で、釈尊は説法をためらいました。それは、聞く人が受け入れきれず、驚き怖れ疑うことになるからだと言います。また、増上慢の人は、地獄に堕ちることになるからだとも言います。譬諭品第三には、「おごり高ぶっている高慢な者たちやすぐに怠けて修行を続けられない者たち、自己中心的な者たちにはこの教えを説かないでください」と告げます。教えを拒否する人に説いてもいいことがありませんから、慈悲があるのなら説かないようにしなさいと告げています。今、この会には、教えを受けるのに相応しい者たちが集まっていますから、釈尊は、「如来出でたる所以は 仏慧を説かんが為の故なり 今正しく これその時なり」とおっしゃり、ついに機が熟したことを悦んで無上道を説かれるのです。
:
サンスクリット本では、次のように書いています。
:
viśāradaś cāhu tadā prahṛṣṭaḥ
saṃlīyanāṃ sarva vivarjayitvā|
bhāṣāmi madhye sugat'ātmajānāṃ
tāṃś caiva bodhāya samādapemi ||132||
:
また その時
すべての臆する心から離れ
躊躇せず 愉快であり
仏子の中で説き
彼らを覚りへと教化します
:
このように、サンスクリット本には、方便と訳される言葉はありません。捨てるのは、「臆する心」です。人々の鈍根・小智・執着・慢心の状態を観て、妙法を話しても大丈夫だと思ったから、躊躇せず、悦んで説法をするのです。
:
:
説法はすべて方便
:
「法華経以前の教えは方便であり、法華経において初めて真実が明かされる」という解釈がよく為されています。仏教用語の真実とは、「絶対の真理」のことです。よって、真実とは、真諦・第一義諦・勝義諦・妙法と同義です。真諦は、言葉では表現できない絶対の真理ですから、言葉によって説かれている経典には、真実は書いていません。法華経も言葉ですので、真実は書かれていません。方便品を読めば分かりますが、真実を覚った釈尊は、言葉では伝えることのできない真実をあえて言葉で説こうとしました。それが方便です。方便とは、「近づける」という意味であり、仏教の場合は、「真実に近づける方法」という意味で使われます。釈尊は、真実そのものを説こうとしたのではなく、方便によって、人々を真実に近づけさせようとしたのです。それは、釈尊が真実を覚っているからできることです。
:
:
正直捨方便 但説無上道
:
:
:
行一
:
経)
今 我喜んで畏なし
諸の菩薩の中に於て
正直に方便を捨てて
ただ無上道を説く
菩薩この法を聞いて
疑網皆すでに除く
千二百の羅漢
悉くまた当に作仏すべし
:
:
太郎訳)
今 私は喜んでおり
畏れはありません
諸々の菩薩たちの中において
正直に方便の教えを捨てて
ただ成仏の道を説きます
菩薩たちは この教えを聞いて
疑惑の心は除かれたことでしょう
千二百人の阿羅漢の皆さん
全員が まさに成仏してください
:
:
行一
:
:
:
理一
:
経)
我 即ちこの念を作さく
如来出でたる所以は
仏慧を説かんが為の故なり
今正しく これその時なり
舎利弗 当に知るべし
鈍根小智の人 著相憍慢の者は
この法を信ずること能わず
:
:
太郎訳)
私は このように想っています
如来が世に出現した理由は
仏の智慧を人々に説き明かすためである
今は、まさしくその時である
シャーリプトラよ
よくお聞きなさい
機根の低い人 智慧のない人
現象に執着する人 憍慢の者は
この教えを信じることが出来ません
:
:
理一
:
:
:
実を顕す
:
人一
:
経)
舎利弗
当に知るべし
我 仏子等を見るに
仏道を志求する者
無量千万億 咸く恭敬の心を以て
皆 仏所に来至せり
かつて諸仏に従いたてまつって
方便所説の法を聞けり
:
:
太郎訳)
シャーリプトラよ
よくお聞きなさい
私が仏子である菩薩達を見るとき
仏道を求める無量の者は
恭敬の心によって 皆 仏のところに参りました
このことは かつて諸仏に従って
方便の教えを聞いた因縁によります
:
:
人一
:
:
:音
化を方便で施す-6
:
経)
この事を思惟しおわって
即ち波羅奈に趣く
諸法寂滅の相は
言を以て宣ぶ可からず
方便力を以ての故に
五比丘の為に説きぬ
これを転法輪と名づく
便ち 涅槃の
および 阿羅漢
法僧差別の名あり
久遠劫より来
涅槃の法を讃示して
生死の苦 永く尽くすと
我 常に是の如く説きき
:
:
太郎訳)
このことを思惟した後
ヴァーラーナシーに向かいました
すべての事物・現象が
既に涅槃の境地にあるということは
言葉で説明できません
方便力によって
五比丘のために教えを説きました
この時に教えが
車輪のように転じ始めました
涅槃の境地に至る道を説き
その道を究めた者を阿羅漢であると説きました
こうして 涅槃という名前 阿羅漢という名前
そして 仏・法・僧という名前が生まれました
私は 長い間
涅槃の教えを讃え示して
涅槃こそが 輪廻の苦を滅した境地であると
常にこのように説いてきました
:
:
化を方便で施す-6
:
:
:
化を方便で施す-5
:
経)
舎利弗
当に知るべし
我 聖師子の 深浄微妙の音を聞いて
喜んで南無仏と称す
また 是の如き念を作す
我 濁悪世に出でたり
諸仏の所説の如く
我もまた 随順して行ぜん と
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太郎訳)
シャーリプトラよ
よくお聞き下さい
私は 諸仏の深く浄い優れた声を聞いて
南無仏と称えました
また このように想いました
私は この濁った悪世に出現しました
この恐ろしい時代の中での私の役割は
苦に満ちた人々を救うことなのです
諸仏が説いたように私も諸仏に倣って
方便の教えを説きましょう と
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化を方便で施す-5
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:慰諭 したもう
化を方便で施す-4
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経)
この思惟を作す時
十方の仏皆現じて
梵音をもって我を
善哉 釈迦文 第一の導師
この無上の法を得たまえども
諸の一切の仏に随って
方便力を用いたもう
我等もまた皆
最妙第一の法を得れども
諸の衆生類の為に
分別して三乗と説く
少智は小法を楽って
自ら作仏せんことを信ぜず
この故に方便を以て
分別して諸果を説く
また三乗を説くと雖も
ただ菩薩を教んが為なり と
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太郎訳)
このように決意をした時
十方の諸仏が私のまわりに現われて
清らかな声で私に告げました
素晴らしいことです
この世界で第一の導師である釈迦牟尼仏は
無上の智慧を得ましたが
一切の諸仏に倣って
方便力を使われようとしています
私たちも皆 最も優れた第一の真理を得ましたが
人々のために分別して三乗を説きます
智慧が少なければ 小さな教えしか求めず
自分が成仏できることを信じません
このために方便によって分別し
それぞれの修行の結果を説きます
また 三乗を説くと言っても
ただ菩薩を教化しようとしているのです と
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化を方便で施す-4
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化を方便で施す-3
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経)
我 即ち自ら思惟すらく
もし ただ仏乗を讃めば
衆生苦に没在し
この法を信ずること能わじ
法を破して信ぜざるが故に
三悪道に墜ちなん
我 寧ろ法を説かずとも
疾く涅槃にや入りなん
尋いで過去の仏の
所行の方便力を念うに
我が今得る所の道も
また 三乗と説くべし
:
:
太郎訳)
私は深く考えました。
もし ただ成仏の教えを讃えても
人々は苦の中にあるために
この教えを信じることが出来ません
愚かな者たちは 私の説いた教えに対して
罵りの言葉を吐きかけ 信じることがないため
地獄・餓鬼・畜生という悪い境遇に墜ちるでしょう
私は むしろ教えを説かない方がいいのであり
すぐにでも涅槃に入るべきかも知れません
過去の諸仏が
方便力を使って導いたことを想い
私が今得ることの出来た仏道も
過去の諸仏に倣って
仮に三つの道として
説き示すことにしましょう
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化を方便で施す-3
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化を方便で施す-2
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経)
その時に諸の梵王
及び 諸の天帝釈 護世四天王
及び 大自在天
ならびに余の諸の天衆
眷属百千万
恭敬 合掌し礼して
我に転法輪を請す
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太郎訳)
その時に梵天王が現われ
また 帝釈天が現われました
世界を守護する四天王と大自在天と
さらに多くの天上界の神々が現われました
集った神々は合掌をし
尊敬を持って礼拝し
私に教えを説くようにと請いました
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化を方便で施す-2
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化を方便で施す-1
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経)
我 始め道場に坐し
樹を観じ また経行して
三七日の中に於て
是の如き事を思惟しき
我が所得の智慧は
微妙にして最も第一なり
衆生の諸根鈍にして
楽に著し 痴に盲いられたり
斯の如きの等類
云何して度すべきと
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太郎訳)
私は 菩提樹の下で悟りを開いた後
しばらく悟りの座に坐っていました
菩提樹の樹を仰ぎ見て
またはゆっくりと歩いて
二十一日の間
このようなことを思い考えました
私が得た智慧は
正しく優れていて
最も第一です
人々の機根は鈍っていて
快楽に執着し 無知によって真実が見えていません
このような人々を
どうやって救ったらいいのでしょう?
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化を方便で施す
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