仏教のお話

Rの会:譬諭品第三 / 23

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ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 17:43:37

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如来答説
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開譬
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発起
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経:その時に仏、舎利弗に告げたまわく。我先に諸仏世尊の種々の因縁・譬諭・言辞を以て方便して法を説きたもうは、皆、阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言わずや。この諸の所説は、皆菩薩を化せんが為の故なり。しかも舎利弗。今当にまた譬諭を以て更にこの義を明すべし。諸の智あらん者、譬諭を以て解ることを得ん。
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太郎訳:その時に釈尊は、尊者シャーリプトラに告げました。私は、先ほど、諸仏が様々な因縁、譬え話、語源によって方便の教えを説くことは、すべて無上最高の覚りへと人々を導くためだと説いたではありませんか。様々な教えは、すべて菩薩を教化するためです。では、シャーリプトラよ。今、真実の教えを譬え話にして説き明かしましょう。智慧のある者は、譬え話によって覚ることができるでしょう。
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方便品の要約
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太郎論:「諸仏世尊の種々の因縁・譬諭・言辞を以て方便して法を説きたもうは、皆、阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言わずや。この諸の所説は、皆菩薩を化せんが為の故なり」というのは、方便品の要約です。「諸仏世尊が、様々な体験談、譬え話、語源によって方便の教えを説くのは、人々を無上の覚りへと導くためである」「様々な教えは、すべて菩薩を教化するためである」という二つのことを方便品では繰り返し説かれていました。

因縁とは、仏と弟子との過去の関係、譬え話とは、そのことと類似することによって、そのことを分かりやすくすること、語源とは、その言葉の語源を明かすことです。このような方便を用いて人々を成仏に導くのが諸仏の役目なのです。

因縁と譬諭は分かりやすいのですが、言辞は分かりにくいです。言辞を言葉づかいだと解釈する人もいますが、言辞とは、ニルクティ nirukti の訳なので、言葉づかいという意味ではなく、語源という意味です。サンスクリット原文ならば、ニルクティは見つけやすいのですが、漢訳だと分かりません。説明が困難なので、漢訳の場合は、あえて無視しているようです。よって、方便とは、因縁と譬諭によって説かれると思っておいた方が混乱しないかも知れません。

菩薩を教化するというのは、菩薩が自他の成仏を願っているからです。成仏を目指していなければ、成仏はできません。目的地が分からなければ、たどり着けないのと同じです。自分だけでなく、多くの人々と共に成仏を目指すことも重要です。自他の区別・差別を無くすことによって、成仏が可能になります。
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譬諭
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太郎論:釈尊は、舎利弗からの請問に応じて、方便によって真実を説くことを譬喩で説くことにしました。譬喩によって、まだ理解できていない弟子たちが、覚れる可能性があるからです。また、舎利弗に対して、譬喩の説き方を教えるためです。開譬と合譬を実際に説くことで、舎利弗は譬諭の説き方を学べます。また、法華経を読む人にも譬諭の実際を教えることができます。

この譬喩品によって、開譬と合譬を学んでおかないと法華経の後半が理解できなくなります。後半では、譬喩を開いても、合譬をしないことが多いので自分で読み解く必要があるからです。
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発起
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