仏教のお話

views
0 フォロー
412 件中 161 から 200 までを表示しています。
5
ダルマ太郎 2024/05/05 (日) 00:01:35

:
教一
:
経:十方仏土の中には
ただ 一乗の法のみあり
二なく また三なし
仏の方便の説をば除く
ただ仮の名字を以て
衆生を引導したもう
仏の智慧を説かんが故なり

:
:
R訳:『真実の教え』というものはただ一つしかないのです。2番目の教えや3番目の教えというものは無く、すべては『仏の智慧』を説くために説かれたものです。なぜならば、仏がこの世に出て来た理由は、この『仏の智慧』を説くためであるからです。仏は一切衆生を救い、みんなを『仏の境地』に導こうと、あの手この手を用いて手を尽くします。
:
:
太郎訳:十方の仏の世界には
ただ一乗のみがあります
乗り物はただ一つであり
第二のもの第三のものは存在しません
ただし 人々に応じて説く
仏の方便は除きます
ただ 仮に名前を設けたのは
人々を導くためです
いずれ 仏の智慧を説くための
準備だったのです

:
:
教一
:
:

4
ダルマ太郎 2024/05/04 (土) 23:51:00

:
人一
:
経:仏子の心浄く
柔軟にまた利根にして
無量の諸仏の所にして
深妙の道を行ずるあり
この諸の仏子の為に
この大乗経を説く
我 是の如き人
来世に仏道を成ぜんと記す
深心に仏を念じ 
浄戒を修持するを以ての故に
これ等仏を得べしと聞いて
大喜身に充遍す
仏 彼の心行を知れり
故に為に大乗を説く
声聞 もしは菩薩
我が所説の法を聞くこと
乃至 一偈に於てもせば
皆 成仏せんこと疑なし

:
:
R訳:仏の教えを聞く人たちの中には、『心が清く、教えに対して素直で正直な人』がいます。私はその人のために、これから最高の教えを説くのです。私はその人たちが、未来に於いて必ず仏になるということを保証しましょう。このような人たちは、常に心の奥深くで仏を念じている人ですから、未来で『成仏する』ということを聞けば、言い知れぬ大歓喜を心から覚える人たちです。その人が、たとえ声聞であれ、縁覚であれ、そして菩薩であっても、必ず『仏に成る』ことには疑いがありません。
:
:
太郎訳:心が浄く 執着がなく 機根が高く
数多くの諸仏に従って 深く優れた道を行じた
菩薩たちがここにいます この菩薩たちのために
この大乗の教えを説きます
私は この人々に 未来に成仏することを告げます
深く心に仏を念じ 浄い戒律を持ち続け
修めることによって
この人々は成仏するのだと告げます
この言葉によって人々は大喜びします
仏は その人々の行いを知って
その人々のために大乗を説きます
声聞・菩薩が 私の説く真実の教えを
たとえ一句だけ聴いたとしても
その人々は 皆 成仏するのです
そのことに疑いはありません

:
:
人一
:
:

3
ダルマ太郎 2024/05/04 (土) 20:45:27

:
実を顕す
:
理一
:
経:我 この方便を設けて
仏慧(ぶって)に入ることを得せしむ
未だかつて汝等
当に仏道を成ずることを得べしと説かず
未だかつて説かざる所以は
説時 未だ至らざるが故なり
今 正しくこれその時なり
決定して大乗を説く
我がこの九部の法は
衆生に随順して説く
大乗に入るにこれ本なり
故を以て この経を説く

:
:
太郎訳:私は、この方便によって
人々が仏の智慧を
得られるように導いています
未だかつて
皆さんに成仏を目指すようにとは
説いたことがありません
未だかつて説かなかった理由は
説く時期に至ってなかったからです
今 間違いなく説法の時がきました
心を決めて 大乗の教えを説きます
私の説く九部の教えは
人々に合わせて説いています
大乗の教えに入るためには
本となる教えです
それだからこの教えを説くのです

:
:
理一
:
:

2
ダルマ太郎 2024/05/04 (土) 20:30:16

:
権を開く-2
:
経:或は 修多羅(しゅたら) 
伽陀(かだ) 及び 本事
本生 未曾有を説き
また 因縁 譬諭 ならびに祇夜(ぎや)
優婆提舎(うばだいしゃ)経を説きたもう
鈍根にして小法を楽い
生死に貧著し
諸の無量の仏に於て
深妙の道を行ぜずして
衆苦に悩乱せらる
これが為に涅槃を説きたもう

:
:
太郎訳:あるいは、教義 偈
仏弟子たちの過去の物語
仏の過去の物語 神秘的な物語を説き
または 過去の出来事 譬え話
または 詩にして繰り返して説き
論議を説きました
機根が低く 低い教えを願い
現象の変化にとらわれる者は
無量の諸仏に従っても
深く優れた道を行じることがなく
様々な苦に悩まされ 心を乱されます
その者のために涅槃を説きました

:
:
権を開く-2
:
:

1
ダルマ太郎 2024/05/04 (土) 16:09:28 修正

:
第一諸仏章
:
権を開く
:
経:舎利弗 善く聴け
諸仏所得の法は
無量の方便力をもって
衆生の為に説きたもう
衆生の心の所念
種々の所行の道
若干の諸の欲性
先世の善悪の業
仏悉くこれを知しめしおわって
諸の縁・譬諭・言辞・方便力を以て
一切をして 歓喜せしめたもう

:
:
太郎訳:シャーリプトラ よくお聴き下さい
諸仏が得た真実は
無量の方便によって
人々のために説かれました。
人々の心の想い 様々な修行の道
様々な欲望や性格、過去世の善悪の業
仏はことごとくこれらのことを知っており
様々な体験談・譬え話・言葉つかい
方便によってすべての人を歓喜させるのです

:
:
権を開く
:
:

41
ダルマ太郎 2024/05/04 (土) 13:19:08

:
偽を棟びて信を敦む
:
経:舎利弗。もし我が弟子、自ら阿羅漢・辟支仏なりと謂(おも)わん者、諸仏如来のただ菩薩を教化したもう事を聞かず知らずんば、これ仏弟子に非ず、阿羅漢に非ず、辟支仏に非ず。

また舎利弗。この諸の比丘・比丘尼、自らすでに阿羅漢を得たり、これ最後身なり、究竟の涅槃なりと謂うて、便ちまた阿耨多羅三藐三菩提を志求せざらん。当に知るべし、この輩(ともがら)は皆これ増上慢の人なり。所以は何ん。もし比丘の実に阿羅漢を得たる有って、もしこの法を信ぜずといわば、この処(ことわり)あることなけん。仏の滅度の後、現前に仏なからんをば除く。所以は何ん。仏の滅度の後に、是の如き等の経を受持し読誦し、その義を解せん者、この人得難ければなり。もし余仏に遇わば、この法の中に於て便ち決了することを得ん。

舎利弗。汝等当に一心に信解し、仏語を受持すべし。諸仏如来は言虚妄なし。余乗あることなくただ一仏乗のみなり。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。もし私の弟子の中に、自分で阿羅漢の境地、縁覚果の境地に達していると思っている者があっても、諸仏のただ菩薩を教化するという事を聞かず、知らないならば、この者たちは、仏の弟子ではありません。阿羅漢でもなく、縁覚でもありません。

また、シャーリプトラよ。この男女の出家修行者たちが、自分ですでに阿羅漢の位を得たと思い、この身体は最後の身、完全なる涅槃であると思って、最高最上の悟りを求めないとすれば、よく、知っておいてください。この者たちは、皆、増上慢の人です。なぜならば、もし出家修行者の中に阿羅漢の位に達した者があって、もし、この教えを信じないのであれば、それは、真の阿羅漢ではないのです。仏の滅度の後に、目の前に仏がいない場合は除きます。なぜならば、仏の滅度の後に、この教えを、受けて保ち、読誦し、解説することが難しいからです。もし、他の仏に出会えたならば、この教えを聴いて最上の悟りを得ることができるでしょう。 

シャーリプトラよ。あなたは、私の説いた教えを一心に信じ、深く思惟し、仏の言葉を受持してください。諸仏の教えには、嘘いつわりはありません。他の道などなく、ただ一仏乗があるだけなのです。
:
:
偽を棟びて信を敦む
:
:

40
ダルマ太郎 2024/05/04 (土) 13:05:29 修正

:
五仏章とは
:
太郎論:五仏章とは、諸仏章・過去仏章・未来仏章・現在仏章・釈迦仏章の5章で構成されており、一乗の法が諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈尊によって、同じように説かれたことを言います。「諸仏は、無量無数の方便・種々の因縁・譬諭・言辞を以て、衆生の為に諸法を演説したもう。この法も皆一仏乗の為の故なり。この諸の衆生の仏に従いたてまつりて法を聞けるも、究竟して皆一切種智を得」ということが、それぞれの仏章で繰り返し説かれています。無量の方便によって真理へと導くことが仏法の肝心だということでしょう。一切種智とは、「仏の智慧」のことです。

よく聞くのが、「法華経以前の経典は方便だけど、法華経は真実を顕しているので最高!」というものです。真の真理は、言語道断ですから、言葉によって伝えることはできません。なので、法華経以前の経典では、真の真理のことが明確に説かれることはなかったし、法華経も言葉で説かれていますから、真の真理は説かれていません。
:
:
五濁の悪世とは
:
太郎論:諸仏は、五濁の悪世に世に出ると説かれます。劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁のことです。劫濁(こうじょく)とは、「時代の乱れ。飢饉・疫病・戦争」など。見濁(けんじょく)とは、「思想の乱れ。間違った思想・見解が多くなる」。煩悩濁(ぼんのうじょく)とは、「心の乱れ。人々の煩悩が盛んになる」。衆生濁(しゅじょうじょく)とは、「衆生の乱れ。人々の資質が低下する」。命濁(みょうじょく)とは、「命の乱れ。人々の寿命が次第に短くなる」ということです。

現在の地球は、戦争・飢饉・疫病が流行っているし、誤った思想が多くなっているし、人々の煩悩が盛んになっているし、人々の資質が低くなっています。寿命は延びていますが、それ以外はアウトですね。そういう汚れた時代に諸仏は出現され、人々を救済し、教化します。
:
:
五仏章とは
:
:

8
ダルマ太郎 2024/05/04 (土) 12:08:15

:
法華経という経典について
:
太郎論:法華経は、紀元前一世紀ころから、インド北部のガンダーラあたりで編纂されたという説が有力です。2世紀ころには、ほぼ完成していたようです。主にクシャーン王国の人たちに向けて説かれました。特にカニシカ大王は、仏教を篤く信仰し、仏教を保護していましたので、仏教は広く伝わったようです。
:
インドの法華経の経典は、サンスクリット語で書かれました。釈尊は、サンスクリット語は上位カーストしか理解できないので、平民でも分かるような言葉で布教するようにと指示していましたが、釈尊が亡くなって五百年も経てば、高弟子たちの意見を通し、サンスクリット語が採用されました。インドでは、宗教関係や公文書は、サンスクリット語を使うことが一般的だったため、仏教でもそうしたのでしょう。初期仏教の経典は、釈尊の教えを口伝していますので、由緒正しいとみられます。大乗仏教の経典は、紀元前後から作られたので、伝統がなく、大乗非仏説だといって、上座部の説一切有部などから非難されています。新しい経典を広く伝えるために、大乗のリーダーたちは、仲間に書写を勧め、書写によって布教しました。
:
最初に作られた大乗仏教の経典は、般若波羅蜜多経です。八千頌般若経・二万五千頌般若経・金剛般若経などの大量の般若経典が世に出ました。般若経典は、空の理が説かれています。それに続いて、空の行を説く、法華経が作られました。法華経は、シルクロードを通って中央アジア、中国へと伝わりました。中国では、天才訳経僧の鳩摩羅什が、妙法蓮華経という名で漢訳しました。
:
中国では、自国の文化を重視しますので、訳経が終わるとサンスクリットの経典は破棄されたようです。なので、中国には、サンスクリットの経典は残っていません。天台大師智顗は、サンスクリット経典を読まず、漢訳の妙法蓮華経を読んで学んでいたようです。日本の僧侶たちも漢訳法華経を学び、読誦していました。日蓮上人も漢訳を読んでいたようです。
:
近年になって、サンスクリット本からの現代語訳が、いくつか出版されています。中でも、植木雅俊氏の本が人気があります。私は、植木氏の梵文『法華経』翻訳語彙典 二巻、法華経 梵漢和対照・現代語訳 二巻を持っています。特に翻訳語彙典は、法華経に出てくるサンスクリット語の単語の意味をすべて日本語に訳していますから、非常に役に立ちます。文章と単語の和訳がされています。二巻で十万円を超えますが、法華経を研究している人にとっては必需品です。
:
鳩摩羅什の妙法蓮華経とサンスクリット原典には、色々と異なる点があります。日蓮系の人たちは、方便品第二の十如是を重視しますが、サンスクリット本にはありません。薬草諭品第五の後半は妙法蓮華経にはありません。小さな違いは、けっこう多いです。真に法華経を学びたいのであれば、サンスクリット本を勉強することをお薦めします。
:
:
法華経という経典について
:
:

39
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 23:30:32

:
第五釈迦仏章
:
経:舎利弗。我も今またまた是の如し。諸の衆生に種々の欲・深心の所著あることを知って、その本性に随って、種々の因縁・譬諭・言辞・方便力を以ての故に、しかも為に法を説く。舎利弗。此の如きは皆一仏乗の一切種智を得せしめんが為の故なり。舎利弗。十方世界の中には、なお二乗なし、何に況んや三あらんや。舎利弗。諸仏は五濁(ごじょく)の悪世に出でたもう。いわゆる劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁なり。是の如し、舎利弗。劫の濁乱の時は、衆生垢重く慳貪嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏方便力を以て、一仏乗に於て分別して三と説きたもう。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。私もまた諸仏と同じです。人々の様々な欲望、心に深い執着があることを知り、その者の性質に従って、様々な過去の話、譬え話、語源などの方便によって教えを説きます。シャーリプトラよ。これらの教えは、すべて人々を成仏へと導くためです。シャーリプトラよ。十方世界の中には、二乗を真実としていません。ましてや、三乗というのは真実ではないのです。シャーリプトラ。諸仏は、五つの濁り汚れた世の中の時に出現します。それは、時代が長くたったために起こる濁り、煩悩によって悪がはびこる濁り、人々の資質が低下するという濁り、邪悪な考え方、見方がはびこる濁り、寿命が短くなるという濁りです。シャーリプトラよ。このように濁り、乱れた世になれば人々の煩悩は重く、けちで強欲で、嫉妬の心が強くなり、様々な悪い業を積み重ねることになりますから、諸仏は、方便の力によって一仏乗を分けて三乗として説くのです。
:
:
第五釈迦仏章
:
:

38
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 21:40:26

:
第二過去仏章
:
経:舎利弗。過去の諸仏も、無量無数の方便・種々の因縁・譬諭・言辞を以て、衆生の為に諸法を演説したもう。この法も皆一仏乗の為の故なり。この諸の衆生の諸仏に従いたてまつって法を聞きしも、究竟して皆一切種智を得たり。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。過去の諸仏も、無量の方便、様々な過去の出来事、様々な譬え話、様々な言葉つかいによって、人々のために多くの教えを説いていました。これらの教えも、すべて人々を成仏へと導くためです。この人々は、諸仏に従って教えを受けて実践し、最終的には、皆、最高の智慧を得ることができました。
:
:
第三未来仏章
:
経:舎利弗。未来の諸仏の当に世に出でたもうべきも、また無量無数の方便・種々の因縁・譬諭・言辞を以て、衆生の為に諸法を演説したまわん。この法も皆一仏乗の為の故なり。この諸の衆生の仏に従いたてまつって法を聞かんも、究竟して皆一切種智を得べし。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。未来の諸仏は、世に出現し、無量の方便、様々な過去の出来事、様々な譬え話、様々な言葉つかいによって、人々のために多くの教えを説くことでしょう。これらの教えも、すべて人々を成仏へと導くためです。この人々は、諸仏に従って教えを聞き、最終的には、皆、最高の智慧を得ることができるでしょう。
:
:
第四現在仏章
:
経:舎利弗。現在、十方の無量百千万億の仏土の中の諸仏世尊の、衆生を饒益し安楽ならしめたもう所多き。この諸仏もまた無量無数の方便・種々の因縁・譬諭・言辞を以て、衆生の為に諸法を演説したもう。この法も皆一仏乗の為の故なり。この諸の衆生の仏に従いたてまつりて法を聞けるも、究竟して皆一切種智を得。

舎利弗。この諸仏は、ただ菩薩を教化したもう。仏の知見を以て衆生に示さんと欲するが故に、仏の知見を以て衆生に悟らしめんと欲するが故に、衆生をして仏の知見の道に入らしめんと欲するが故なり。
:
:
太郎訳:シャーリプトラ。現在の十方にある無量の仏土に住む諸仏は、人々に利益を与え、安らかな境地に導いています。この諸仏も、また無量の方便、様々な過去の出来事、様々な譬え話、様々な言葉つかいによって人々のために多くの教えを説いています。これらの教えも、すべて人々を成仏へと導くためです。この人々は、諸仏に従って教えを聞き、最終的には、誰もが最高の智慧を得ることでしょう。

シャーリプトラよ。この諸仏は、ただ菩薩のために教えを説きます。仏の智の見方によって人々に真実を示すために、仏の智の見方によって、人々に真実を悟らしめるために、人々に仏の智の見方によって、成仏に導き入れるためです。
:
:
第二過去仏章
:
:

37
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 18:46:45 >> 35

:
一大事因縁とは
:
太郎論:一大事因縁とは、諸仏世尊がこの世に現れた唯一の大きな目的のことです。それは、開示悟入だと告げられます。諸仏世尊は、人々の仏知見を開かせ、示し、悟らせ、仏知見の道に入れるために、この世に現れたのです。仏知見とは、タターガタ・ジュニャーナ・ダルシャナ tathāgata-jñāna-darśana の訳です。意味は、「如来の智による見方」です。如来は、真の真理を観ることができますので、「真の真理の見方」でしょう。
:
開仏知見
真の真理の門を開くこと。
:
示仏知見
真の真理の門の内側を示すこと。
:
悟仏知見
真の真理の門の内側を記憶させること。
:
入仏知見
真の真理の内側へと導き入れること。
:
サンスクリット本では、開示悟入ではなく、勧・示・入・覚・道になっています。4つではなく、5つです。諸仏・世尊とは、応身仏の釈尊のことであり、法身仏のことでもあります。法身仏は、現象を通して開示悟入をするということでしょう。
:
:
一大事因縁とは
:
:

36
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 17:03:16 修正 >> 35

:
出世の本懐を標す
:
:
経:所以は何ん。諸仏世尊は、ただ一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう。舎利弗、云何なるをか、諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうと名くる。
:
:
R訳:なぜ私が、法を説き分けて『真理』を説くのかと言えば、それはほかでもありません。ただ一つの重要な目的と意義のために、仏はこの世に現われたからにほかなりません。
:
:
太郎訳:なぜならば、諸仏・世尊は、ただ一つの大事な目的のためにこの世界に現われます。シャーリプトラよ。諸仏・世尊は、ただ一つの大事な目的のためにこの世界に現われるとは、どういうことなのかを説明いたしましょう。
:
:
正しく真実を釈す
:
経:諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗。これを諸仏は、ただ一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。
:
:
R訳:舎利弗よ。その『諸仏出生の一大事因縁』が何かと言えば、それは全ての人に仏の『智慧の眼を開かせ』、清らかな心を呼び覚ますために、仏はこの世に出現するのです【開】。この世の一切は、例外なく『因縁の法則』によって成り立っているということを知らなければなりません。しかも、それぞれには『差別(差異)』があるように見ますが、しかしすべては『平等』であり、『仏性』を具えているのです。この、本来はそれぞれが『仏の智慧』を具えているのだということを『示す』ために、仏はこの世に出現したのです 【示】。そして衆生に仏の智慧を自らの体験によって『悟らせる』ために、仏はこの世に出現したのです【悟】。すべての者たちに、仏の智慧を成就する『道に入らせる』ために、仏はこの世に出現したのであります 【入】。舎利弗よ。仏はすべての人に『仏の智慧』を得さしめるため、つまり、この『開・示・悟・入』というはたらきを行うために、この世に生まれ出でたのです。
:
:
太郎訳:諸仏・世尊は、人々を仏の智慧によって様々な執着から心を解放させ、清らかな境地へと導くためにこの世界に現われます。人々を仏の智慧によって、事物・現象に真実が示されていると理解できるように導くためにこの世界に現われます。人々を仏の智慧によって、事物・現象と真実が一体であると悟れるように導くためにこの世界に現われます。人々を仏の智慧によって、真実を悟らせ、真実を悟ることによって最高の智慧を完成させ、成仏に導くためにこの世界に現われます。シャーリプトラよ。これを、諸仏がただ一つの大事な目的のためにこの世界に出現するといいます。
:
:
経:仏、舎利弗に告げたまわく。諸仏如来は、ただ菩薩を教化したもう。諸の所作あるは常に一事の為なり。ただ仏の知見を以て衆生に示悟したまわんとなり。舎利弗。如来は、ただ一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二若しは三あることなし。舎利弗。一切十方の諸仏の法もまた是の如し。
:
:
太郎訳:仏は、シャーリプトラに告げました。諸仏・如来は、ただ菩薩だけを教化します。様々な教えによって説かれる内容は、ただ成仏のためです。この一事のためです。ただ、仏の智慧によって人々に真実を示し、悟らせるためです。シャーリプトラよ。如来は、ただ一仏乗によって、人々のため教えを説いています。一仏乗の他には、二つ目の教えとか、三つ目の教えというものはありません。シャーリプトラよ。このことは、一切の十方の諸仏の教えも同じです。
:
:
出世の本懐を標す
:
:

35
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 15:35:04 修正

:
五仏章
:
第一諸仏章
:
法の希有を歎ず
:
:
経:仏、舎利弗に告げたまわく。是の如き妙法は、諸仏如来、時に乃しこれを説きたもう。優曇鉢華の時に一たび現ずるが如きのみ。
:
:
太郎訳:仏は、シャーリプトラに告げました。これから説く真実の教えは、諸仏・如来が、長い時の中で時を選んで説かれてきた教えです。説かれることは、きわめて稀でありウドゥンバラ樹の花が三千年に一度しか咲かないのと同じように説かれることは少ないのです。
:
:
説に虚妄なし
:
経:舎利弗。汝等当に信ずべし、仏の所説は(みこと)、虚妄ならず。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。あなたは、このことを信じて下さい。仏の説く教えは、真実であって嘘いつわりはありません。
:
:
方便を開く
:
経:舎利弗。諸仏の随宜の説法は意趣解し難し。所以は何ん、我、無数の方便・種々の因縁・譬諭・言辞を以て諸法を演説す。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。人々に応じて説かれる諸仏の教えにおいて、その真意は理解しがたいものです。私も、数多くの方便、様々な体験談、譬え話、語源によって様々に教えを説いてきました。
:
:
真実を顕す
:
経:この法は思量分別のよく解する所に非ず。ただ諸仏のみましまして、乃しよくこれを知しめせり。
:
:
太郎訳:この教えの真意は、思惟しても分析してみても、よく理解できるものではありません。ただ諸仏のみが、この真意を知っているのです。
:
:
法の希有を歎ず
:
:

34
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 13:50:14

:
三止三請とは
:
太郎論:釈尊が、説法を三度止めようと言い、舎利弗が、三度教えを請いました。これを三止三請といいます。一回目の釈尊の止は、方便品の最初の諸法実相を説く前にあります。「止みなん、舎利弗。また説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏といましよく諸法の実相を究尽したまえり」というところです。

なぜ、釈尊は、説法を止めようとしたのでしょう? それは、聞く人が受け入れきれず、驚き怖れ疑うことになるからだと言います。また、増上慢の人は、地獄に堕ちることになるからだとも言います。

譬諭品第三には、「おごり高ぶっている高慢な者たちやすぐに怠けて修行を続けられない者たち、自己中心的な者たちにはこの教えを説かないでください」と釈尊がおっしゃり、もし、そういう人に説けば、受け入れることができず、否定し、反感を持ち、怒りによって、仏道から離れるかも知れないと告げられました。怒りに心を支配される状態を地獄に喩え、相手を地獄に堕としてはいけない、説かないという慈悲もあることを教えてくださいます。そのことがあるから、釈尊は、教えを説くことを躊躇されたのです。このことは、法華経全体を貫くテーマの一つです。

釈尊が、三度も説法を止めようとされたのは、教えを聞いても否定しないように、人々の信を高めるためです。信を高めることによって、求道心が高まり、教えを受け入れやすくなるからです。
:
:
R論:なぜこうして再三「やめておいた方が良かろう」とおおせになったのかといえば、ただ一同の覚悟を固めさせるためにほかなりません。しっかりした心構えをつくらせようという仏陀のお心づかいなのです。舎利弗の求道心と、お釈迦さまの〈真実を教えてやりたい〉というお気持ちとが、打てば響くように触れあって、ついにいよいよその大切な法門の説法が始まることになります。この舎利弗とお釈迦さまの劇的なやりとりを〈三止三請〉といい、法華経の教えがどんなに大切なものであるかを証明するものとして重大視されているわけです。
:
:
五千起去
:
太郎論:仏が『法華経』を説こうとした時、5000人の増上慢の人たちが、聞こうとせずに立ち去りました。これを五千起去といいます。増上慢とは、覚ってもいないのに、覚っていると思いあがっている高慢な人たちのことです。小さな覚りに満足していて、真の真理(妙法)を聞こうとせず、無上の覚りを求めていません。釈尊は、そういう人たちを無理に引き止めることはせず、黙って見ていました。

三止三請によって、人々の信を高めようとしましたが、全員の信が高まらなかったということでしょう。それほどに、増上慢の人は救い難いということでしょう。私たちも、そうならないように気を付ける必要があります。
:
:
三止三請とは
:
:

33
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 12:26:19 修正

:
広く開三顕一を顕す
:
説くことを許す
:
:
経:その時に世尊、舎利弗に告げたまわく。汝、すでに慇懃(おんごん)に三たび請じつ、()に説かざることを得んや。汝今諦かに聴き、善く之を思念せよ。吾当に汝が為に分別し解説すべし。
:
:
太郎訳:その時に世尊は、シャーリプトラに告げました。あなたは、すでに丁寧に三度教えを請いました。説かないわけにはいかないでしょう。あなたは、今、しっかりとお聴きなさい。そして、よくこれを思念してください。私は、あなたのために、分かりやすく解説いたしましょう。
:
:
増上慢の衆を遣去する
:
経:この(みこと)を説きたもう時、会中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、五千人等あり。即ち座より起って仏を礼して退きぬ。所以は何ん。この(ともがら)は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと(おも)い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き(とが)あり、ここを以て住せず。世尊黙然(もくねん)として制止したまわず。

その時に仏、舎利弗に告げたまわく。我が今、この衆はまた枝葉なく、(もっぱ)貞実(じょうじつ)のみあり。舎利弗、是の如き増上慢の人は、退くもまた佳し。汝今善く聴け、当に汝が為に説くべし。

舎利弗の言さく。唯然(ゆいねん)世尊、願わくは聞きたてまつらんと欲す。
:
:
太郎訳:この言葉を説いた時、会座の男女の出家修行者、在家修行の五千人の者たちが、その場を立って世尊に礼をして会座から去っていきました。なぜなら、この者たちは、深く罪を重ねており、まだ智慧を得ていないのに得ていると思い上がり、まだ覚ってもいないのに覚っていると思い上がっています。このような欠点があるために、この場にとどまることができなかったのです。世尊は、ただ黙って退出を止めませんでした。

その時に仏は、シャーリプトラに告げました。今、ここに残っている人々は、枝葉の者はいなくなりました。純粋で心の正しい者のみが残っています。シャーリプトラよ。このような思い上がった者たちは退席することも、またよいことです。あなたは、今、善くお聴きください。あなたの為に真実の教えを説きましょう。

シャーリプトラが申し上げました。はい。世尊。願わくは、どうかお教えください。
:
:
説くことを許す
:
:

32
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 12:02:21

:
第三の請
:
:
経:その時に舎利弗、重ねて仏に白して言さく。世尊。ただ願わくは、これを説きたまえ、ただ願わくは、これを説きたまえ。今この会中の我が如きたぐい百千万億なるは、世世にすでにかつて仏に従いたてまつりて化を受けたり。此の如き人等必ずよく敬信し、長夜安穏にして饒益する所多からん。

その時に舎利弗、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく。

無上両足尊
願わくは 第一の法を説きたまえ
我は これ仏の長子なり 
ただ 分別し説くことを垂れたまえ
この会の無量の衆は
よく この法を敬信せん
仏 すでにかつて世世に 
是の如き等を教化したまえり
皆 一心に合掌して
仏語を聴受せんと欲す
我等千二百
及び 余の仏を求むる者あり
願わくは この衆の為の故に 
ただ 分別し説くことを垂れたまえ
これ等 この法を聞きたてまつらば 
則ち大歓喜を生ずべし

:
:
太郎訳:その時にシャーリプトラは、さらに重ねて仏に申し上げました。世尊。ただ願わくは、この教えをお説きください。ただ願わくは、この教えをお説きください。この会座の多くの人々は、何度、転生しても、その世界において諸仏に従い、教化を受けています。この人々が、この教えを聞けば、必ずやよく敬い信じ、これからの人生は安らかであり、多くの利益を得ることでしょう。

その時にシャーリプトラは、重ねてこのことを詩にして申し上げました。

無上の世尊よ
願わくは 第一真実の教えをお説きください
私は 世尊の長男です
どうぞ 分かりやすく教えをお説きください
この会座の無量の人々は
お聞きすれば敬い信じることでしょう
世尊は すでにかつて多くの時代において
この人々を教化されました
誰もが一心に合掌して
世尊の教えをお聞きしたいと求めています
私たち千二百人の弟子たちと
その他の成仏を求める者たちがここに居ます
願わくは この人々のために
分かりやすく教えをお説きください
私たちは 誰もがこの教えをお聞きして
大歓喜を起こすことでしょう

:
:
第三の請
:
:

31
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 11:42:06

:
第三の止
:
:
経:仏また。止みなん舎利弗。もしこの事を説かば、一切世間の天・人・阿修羅、皆当に驚疑すべし。増上慢の比丘は将に大坑に墜つべし。

その時に世尊、重ねて偈を説いて言わく。

止みなん 止みなん
説くべからず 
我が法は妙にして思い難し
諸の増上慢の者は
聞いて必ず敬信せじ

:
:
太郎訳:仏はまた、シャーリプトラに告げました。止めましょう、シャーリプトラよ。もし、この教えを説けば、一切の世間の天上界の神々、地上界の人々、阿修羅など、誰もが、驚き怖れ疑うことでしょう。増上慢の出家修行者は、地獄に堕ちることになります。

その時に世尊は、重ねてこのことを詩にして説きました。

止めましょう 止めましょう
この教えは 説くべきではありません
私の覚った真理は 優れた内容であり
理解しがたい内容です
多くの増上慢の人々は
聞いても敬い信じることはありません

:
:
第三の止
:
:

30
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 11:17:24

:
第二の請
:
:
経:舎利弗、重ねて仏に白して言さく。世尊。ただ願わくは、これを説きたまえ、ただ願わくは、これを説きたまえ。所以は何ん。この()の無数百千万億阿僧祇の衆生は、かつて諸仏を見たてまつり、諸根猛利にして、智慧明了なり。仏の所説を聞きたてまつらば則ちよく敬信せん。

その時に舎利弗、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく。

法王無上尊
ただ説きたまえ
願わくは
(うらおもい)したもうことなかれ
この会の無量の衆は
よく敬信すべき者あり

:
:
太郎訳:シャーリプトラは、世尊に申し上げました。世尊。ただ願わくは、この教えをお説きください。ただ願わくは、この教えをお説きください。なぜならば、この会座の無数の人々は、かつて諸仏と出会って、諸仏に従って修行していますから、機根が高まっており、明らかな智慧を持っています。仏さまの説かれる教えをお聞きすれば、必ずや、よく敬い信じることでしょう。

その時にシャーリプトラは、重ねてこのことを述べるために、詩にして、釈尊に申し上げました。

法の王であり
無上の尊者である世尊よ
願わくは、思慮することなく
お説きください
この会座の無量の人々は
よく敬い信じることでしょう

:
:
第二の請
:
:

29
ダルマ太郎 2024/05/02 (木) 11:04:46

:
第二の止
:
:
経:その時に仏、舎利弗に告げたまわく。止みなん止みなん、また説くべからず。もし、この事を説かば、一切世間の諸天及び人、皆当に驚疑(きょうぎ)すべし
:
:
太郎訳:その時に釈尊は、シャーリプトラに告げました。止めましょう、止めましょう。この教えは説かない方がいいでしょう。もし、この教えを説けば、一切の世間の天上界の神々や地上界の人々は、誰もが驚き、疑うことになるでしょう。
:
:
第二の止
:
:

28
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 23:35:33

:
第一の請 偈-3
:
:
経:これ究竟の法とやせん 
これ所行の道とやせん
仏口所生の(みこ) 
合掌瞻仰(せんごう)して待ちたてまつる
願わくは微妙の(みこえ)を出して 
時に為に実の如く説きたまえ
諸の天・龍神等
その数恒沙の如し
仏を求むる諸の菩薩
大数八万あり
また諸の万億国の
転輪聖王の至れる
合掌し敬心を以て 
具足の道を聞きたてまつらんと欲す

:
:
太郎訳:これまで私に示されていた教えは
究極のものだったのでしょうか?
これまで私に示された道は
究極のものだったのでしょうか?
世尊の教えの子である私は
合掌して、世尊を仰ぎ見て待っております
願わくは正しく優れた教えをお説きください
天上界の神々、龍神たちが無数におります
成仏を求める菩薩たちも無数におります
そして、各国から参列する転輪聖王たち
これらの多くの人々は
合掌し尊敬の心をもち
最高の道をお聞きしたいと願っています

:
:
第一の請 偈-3
:
:

27
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 23:25:20 修正

:
第一の請 偈-2
:
:
経:仏 何が故ぞこれを説きたもう
その縁覚を求むる者
比丘・比丘尼
諸の天・龍・鬼神 及び 乾闥婆(けんだつば)
相視て猶豫(ゆうよ)を懐き 
両足尊を瞻仰(せんごう)
この事云何なるべき 
願わくは仏 為に解説したまえ 
諸の声聞衆に於て 
仏 我を第一なりと説きたもう
我 今自ら智に於て 
疑惑して(さと)ること能わず

:
:
太郎訳:世尊よ
なぜ この教えを説かれるのでしょうか?
縁覚を求める者
出家している男女の修行者
天上界の神々 龍神 鬼神たち
そして 乾闥婆などの半人半獣の者たちは
顔を見合わせてためらいを懐き
世尊を仰ぎ見ています
このことは どのような意味があるのでしょうか?
願わくは 世尊 このことをお説きください
多くの声聞の中で
世尊は私を第一だとおっしゃいました
しかし その私の智慧でも
このことは理解できず 疑い戸惑っています

:
:
第一の請 偈-2
:
:

26
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 23:15:18 修正

:
第一の請 偈-1
:
:
経:その時に舎利弗、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく。
:
慧日大聖尊 
久しくあって 乃し この法を説きたもう
自ら是の如き 力・無畏(むい)・三昧・禅定・解脱等の 
不可思議の法を得たりと説きたもう
道場所得の法は よく 問を発す者なし
我が(こころ)測るべきこと難し
また よく問う者なし 問うことなけれども
しかも 自ら説いて 所行の道を称歎したもう
智慧甚だ微妙にして 諸仏の得たまえる所なり
無漏の諸の羅漢 及び 涅槃を求むる者
今 皆疑網に堕しぬ
 
:
:
太郎訳:その時にシャーリプトラは、質問内容をもう一度詩にして問いました。
:
慧日大聖尊
世尊は 成道されて久しくして
この教えを説かれました
ご自分から
十力・無畏・三昧・禅定・解脱などの
優れた力を得たことを説かれました
菩提樹下で悟られた真実の内容を
質問する者はありません
私の考えが 及ぶところではありません
また 誰も問う者はありません
問う者はいませんでしたが
世尊はご自分から説き始められ
世尊の説かれた方便の教えを
称歎されました
世尊の智慧は 非常に優れており
諸仏が得た智慧と同一です
煩悩を滅した阿羅漢たち
そして 涅槃を求める者は
今 誰もが疑いの網に墜ちています

:
:
第一の請 偈-1
:
:

25
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 21:34:44

:
正しく請を決す
:
第一の請
:
:
経:その時に舎利弗、四衆の心の疑を知り、自らもまた未だ了らずして、仏に白して言さく。
:
世尊。何の因・何の縁あってか、慇懃(おんごん)に諸仏第一の方便甚深微妙難解の法を称歎したもう。我昔より来、未だかつて仏に従って是の如き説を聞きたてまつらず。いま四衆咸く皆疑あり。ただ願わくは世尊、この事を敷演(ふえん)したまえ。世尊、何が故ぞ慇懃に甚深微妙難解の法を称歎したもう。
:
:
太郎訳:その時にシャーリプトラは、会座の人々の疑いの心を察して、自分自身も釈尊の説法の意味が理解できなかったので、釈尊に質問しました。
:
世尊。どのような因、どのような縁があって、念を入れて丁寧に、諸仏が最も重視している方便の教えと非常に深く正しく勝れた真理を讃えられるのでしょうか? 私は、世尊の弟子になって以来、未だかつてこのような教えを聞いたことがありません。今、会座の人々は、誰もが疑いの心を持っています。ただ願わくは、世尊、このことをお教えください。世尊、何故くりかえし、非常に深く正しく勝れた難解な真理を称歎されるのですか?
:
:
第一の請
:
:

24
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 21:23:52 修正

:
疑いを挙げて願い望む
:
衆の疑いを述べる
:
:
経:その時に大衆の中に、諸の声聞・漏尽の阿羅漢・阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)等の千二百人、及び声聞・辟支仏の心を発せる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷あり。各この念を作さく。
:
いま世尊、何が故ぞ慇懃(おんごん)に方便を称歎(しょうたん)して、この(みこと)を作したもう。仏の得たまえる所の法は、甚深にして解り難く、言説したもう所あるは意趣知り難し。一切の声聞・辟支仏の及ぶこと能わざる所なり。
:
仏、一解脱の義を説きたまいしかば、我等もまたこの法を得て涅槃に到れり。しかるに今この義の所趣を知らず。
:
:
R訳:すると、そのお説法を聞いていた憍陳如(きょうじんにょ)をはじめとする声聞や聖者たち 1200 人。そして声聞や縁覚の境地を求める者たちは、釈尊が今説かれたことの真意を理解できずに、次のような疑問の心を持ちました・・・。なぜ世尊は今、『方便』というものをこのように強調して讃えるのであろうか? しかも『仏の悟った法(真理)は大変奥深く難解であるために、声聞や縁覚の境地の者には理解できず、知ることすらできない』などとおっしゃるのであろうか?
:
:
太郎訳:その時に大衆の中の様々な段階の声聞の弟子たちや、煩悩を滅した阿羅漢の境地の弟子たち、アージュニャータ・カウンディニヤ等の千二百人の弟子たち、そして、声聞や縁覚の境地を求める弟子たち、男女の出家した修行者たち、在家の修行者たちは、各々このように思いました。
:
今、世尊は、何故、念を入れて方便を讃えて、このようにおっしゃるのでしょう? 仏の得られた真実は、非常に深く理解しがたく、言葉で説いた内容は、その意向は知りがたく、一切の声聞や縁覚では、その真意を知ることはできないとおっしゃいました。
:
世尊が、一つの解脱の方法を説かれ、私たちは、その教えに従って修行をし、涅槃の境地に入りました。それなのに、何故、今さら声聞・縁覚では仏さまの教えの真意を知ることは出来ないとおっしゃるのでしょう?
:
:
釈尊の権を開く
:
:

23
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 21:05:08 修正

:
釈尊の権を開く
:
:
経:諸の声聞衆 
及び 縁覚乗を求むる者に告ぐ
我 苦縛(くばく)を脱し
涅槃を逮得せしめたることは
仏 方便力を以て
示すに三乗の教を以てす
衆生処処の著 これを引いて
出ずることを得せしめんとなり

:
:
太郎訳:声聞の人々よ
そして 縁覚の境地を
求める人々に告げます
私が人々を苦しみから救いだし
安らぎの境地に導いたのは
方便によって
三乗の教えを示したことによります
人々は それぞれに異なるものに
執着していますから
まずはその執着から
離れさせるためです

:
:
釈尊の権を開く
:
:

22
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 20:56:56 修正

:
略して開顕し執を動じて疑いを生じる
:
諸仏の実を顕す
:
:
経:舎利弗当に知るべし 
諸仏は(みこと)異ることなし
仏の所説の法に於て 
当に大信力を生ずべし
世尊は 法久しゅうして後 
(かなら)ず 当に真実を説きたもうべし

:
:
太郎訳:シャーリプトラよ
このことを しっかりと知っておいてください
諸仏の教えは真実です。
仏の様々な教えを聞いて
確かに大いなる信の力を起こしてください。
仏は 長い間 教えを説いた後
必ずや 真実の教えを説くのです

:
:
諸仏の実を顕す
:
:

21
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 11:55:33

:
言を絶して権実二智を讚歎する-5
:
:
経:不退の諸の菩薩
その数恒沙の如くにして
一心に共に思求すとも 
またまた知ること能わじ
また舎利弗に告ぐ 
無漏不思議の
甚深微妙の法を 
我 今すでに具え得たり
ただ我この相を知れり
十方の仏もまた然なり

:
:
太郎訳:二度と仏道から
離れることのない菩薩たちが
多く集い 一心に皆で思惟したとしても
仏の智慧を知ることは出来ません
また シャーリプトラに告げます
煩悩がなく不思議な
非常に奥深く
正しくて優れた真実の教えを
私は今すでに具えています
ただ、私だけが真実を覚っています
十方の諸仏も同様に覚っています

:
:
言を絶して権実二智を讚歎する-5
:
:

20
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 11:48:27

:
言を絶して権実二智を讚歎する-4
:
:
経:新発意の菩薩の
無数の仏を供養し
諸の義趣を了達し
また よく法を説かんもの
稲麻竹葦(とうまちくい)の如くにして 
十方の刹に充満せん
一心に妙智を以て
恒河沙劫に於て
咸く 皆 共に思量すとも
仏智を知ること能わじ

:
:
太郎訳:新しく志を持った菩薩たちが
無数の仏を供養し
様々な教えを理解して
また 人々にも教えを説き弘める者が
多くの植物が生い茂るように
十方世界に満ちていて
それらの菩薩が集い
一心に正しい智によって
長い時間をかけて皆で思惟したとしても
仏の智慧を知ることは出来ません

:
:
言を絶して権実二智を讚歎する-4
:
:

19
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 11:42:58

:
言を絶して権実二智を讚歎する-3
:
:
経:辟支仏の利智にして
無漏の最後身なる
また 十方界に満ちて 
その数竹林の如くならん
これ等 共に一心に
億無量劫に於て
仏の実智を思わんと欲すとも 
よく少分をも知ることなけん

:
:
太郎訳:縁覚の中で 智を得ており
最高の聖者としての境地に達した者が
十方世界に竹林の竹のように無数にいて
それらの縁覚が集い
一心に長い時間をかけて
仏の真実の智慧を思惟しても
その幾分の一も知ることはできません

:
:
言を絶して権実二智を讚歎する-3
:
:

18
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 11:19:42

:
言を絶して権実二智を讚歎する-2
:
:
経:諸仏の弟子衆の
かつて諸仏を供養し
一切の漏すでに尽くして 
この最後身に住せる
是の如き諸人等
その力 堪えざる所なり
仮使(たとい)世間に満てらん 
皆 舎利弗の如くにして
(おもい)を尽くして共に度量すとも 
仏智測ること能わじ
正使(たとい)十方に満てらん 
皆 舎利弗の如く
及び 余の諸の弟子 
また 十方の(くに)に満てらん
思を尽くして 共に度量すとも 
またまた知ること能わじ

:
:
太郎訳:諸仏の弟子たちの
かつて諸仏を供養し
一切の煩悩を滅し尽くして
人間として最高の境地に達した者でも
真実の教えを知ることはできません
仮に 世間の人々が
誰もがシャーリプトラのように
知識があって知恵があり
それらの人々が集い
懸命に思惟したとしても
仏の智慧を知ることは出来ません。
仮に 十方世界の人々が
誰もがシャーリプトラのように
知識があって知恵があったとして
また その他の多くの弟子たち
また 十方の国のすべての人を集めて
それらの人々が集い
懸命に思惟したとしても
仏の智慧を知ることは出来ません

:
:
言を絶して権実二智を讚歎する-2
:
:

17
ダルマ太郎 2024/05/01 (水) 00:59:01 修正

:
性相の義
:
太郎論:サンスクリット原文では、ラクシャナ lakṣaṇa です。主に「特徴・属性・マーク」という意味で使われます。漢訳だと「相」です。無量義経以来、よく出てくる言葉なのでおなじみですね。
:
鳩摩羅什の訳だと「覚りの大果報 真理と現象について 仏はよく知っている」というように訳すと思いますが、サンスクリット原文からだと、「覚りの大果報とその特徴を仏はよく知っている」というような意味になります。大部、イメージが違いますね。これは、鳩摩羅什の誤訳ではなく、鳩摩羅什の用いたサンスクリット経典の底本と、私の持っているサンスクリット経典とが異なるからだと思います。
:
:
言辞とは
:
太郎論:この場合の言辞は、ヴィヤーハーラ vyāhāra の訳です。意味は、「言葉・言語・会話」です。漢訳で同じく言辞と訳されるニルクティ nirukti は、語源の意味です。法華経には、ニルクティの方がよく出てきます。
:
:
経:na taddarśayituṃ śakyaṃ vyāhāro’sya na vidyate|
nāpyasau tādṛśaḥ kaścit sattvo lokasmi vidyate||6||

:
:
言辞の相寂滅せり
:
太郎論:「言辞の相寂滅せり」とは、「言葉に依る特徴は無い」という意味です。つまり、「言葉によって示すことはできない」ということです。この文の前に、「この法は示すべからず」とありますから、言葉によって示すことができないのは、「真理」だということが分かります。それも、最高の真理である真諦・第一義諦でしょう。最高の真理とは、妙法のことです。
:
真理には、二種があります。俗諦と真諦です。俗諦とは、世俗の真理であり、言葉によって表現されます。真諦とは、真の真理のことであり、世俗の言葉では表現できません。言葉では伝えることのできない真諦を伝えるために、諸仏は、世俗の言葉を駆使し、譬喩・因縁・言辞などの方便にしています。
:
真の真理は、言葉では明示できないため、人々はこの真理を理解できません。ただし、信力の固い菩薩を除きます。
:
:
諸の菩薩衆の信力堅固なる者をば除く
:
太郎論:ここに出てくる「信力」は、アディムクティ adhimukti の訳です。意味は、「確信・決心・不動」です。そのことを確信し、それを成就することを決心し、その心が不動だということです。法華経の場合は、「誰もが成仏できることの確信」「自他の成仏を決心」「自他の成仏を求める心が不動」という意味で使われます。漢訳では、「信解」といいます。
:
幾つかのサンスクリットの単語が「信」と訳されます。シュラッダー śraddhā、バクティ bhakti、プラサーダ prasada、アディムクティ adhimuktiなどです。法華経では、バクティはあまり使われません。バクティとは、熱烈な信仰のことで、ヒンドゥー教の人々による神々に対する思いがバクティです。信解はバクティのことではありませんが、日本人はバクティの意味だと思い込んでいる人が多いようです。
:
よって、「諸の菩薩衆の信力堅固なる者をば除く」というのは、成仏できることを確信し、自他の成仏を決心し、自他の成仏を求める心が不動な菩薩ならば、真の真理を知ることができる、ということです。信仰心の強い菩薩という意味ではありません。
:
:
性相の義
:
:

16
ダルマ太郎 2024/04/30 (火) 22:24:13 修正

:
言を絶して権実二智を讚歎する-1
:
経:是の如き大果報
種々の性相の義
我 及び十方の仏 
乃しよくこの事を知しめせり
この法は示すべからず
言辞の相寂滅せり
諸余の衆生類は 
よく得解することあることなし
諸の菩薩衆の
信力堅固なる者をば除く

:
:
R訳:私が悟った真理の内容は、文字にも言葉にもあらわすことが出来ません。ですから、仏以外の者が知り得ることは出来ません。しかし、信ずる力が堅固で、実践の決意が強い菩薩たちだけは、この真理を理解することが出来るでしょう。
:
:
太郎訳:覚りを開くことによって得る
大きな果報とその果報の特徴を
私と十方の諸仏は
よく知っています
この真理は 明示することができません
明示するための言葉もありません
よって人々はこの真理を
理解し 得ることは出来ません
ただし 菩薩たちの中の
信力のかたい者は除きます

:
:
言を絶して権実二智を讚歎する-1
:
:

7
ダルマ太郎 2024/04/30 (火) 21:24:58

:
輪廻は幻
:
太郎論:輪廻が事実として有ると主張する人に、その根拠を質問したら、経典に書いてあるからだと答えました。確かに初期仏教の経典には、輪廻のことが書かれています。大乗仏教の経典にも書かれています。経典に書いてあるのなら、それを信じるのが仏教徒だろう? と、輪廻を信じないことを責める口調です。
:
経典とは、釈尊の説法の記録ではありません。人々を救済・教化するための教本です。なので、人々を覚りに導くために、数々の方便を用います。業・輪廻・解脱は方便なので、そういうことが事実として有るわけではありません。しかし、輪廻を信じる人は、輪廻が有ると思い込み、その思い込みによって概念化しています。よって、事実としては無いけれど、概念としては有るという幻をつくってしまいます。輪廻を信じない人は輪廻に対する恐怖感はありませんが、輪廻を信じる人は、幻に悩み苦しみます。
:
:
輪廻は幻
:
:

15
ダルマ太郎 2024/04/30 (火) 08:59:39

:
偈頌
:
経:その時に世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく。
:
:
言に寄せて権実二智を讚歎する
:
経:世雄は量るべからず 諸天及び世人
一切衆生の類 能く仏を知る者なし
仏の力無所畏 解脱諸の三昧
及び仏の諸余の法は 能く測量する者なし
本無数の仏に従って 具足して諸道を行じたまえり
甚深微妙の法は 見難く了すべきこと難し
無量億劫に於て 此の諸道を行じ已って
道場にして果を成ずることを得て 我已に悉く知見す

:
:
R訳:世尊は以上のことを重ねて強調するために『偈』をお説きになりました。宇宙のあらゆる者が、仏の『真の存在・はたらき』を理解しようと思っても、それは計り知れなく大きいために、正しく理解をすることはできません。仏の存在とは極めて深淵なもので、その仏に私が成れたのは、遠い過去世で無数の仏に従い、説かれる教えを完全に実践し尽くしたからです。気の遠くなるような長い年月をかけて精進し、そしてその後、ブッタガヤーの菩提樹下にて、『真理』を悟ることが出来たのです。
:
:
太郎訳:仏の存在を量ることはできません
天上界の神々や地上界の人々
一切衆生の類で
仏を知り得る者は誰もいません。
仏の十力 四無畏 解脱 様々な瞑想
そして仏の様々な教えを
明らかに知る者はいません
仏は 本 無数の諸仏に従って
諸仏の教えをしっかりと受持し
成仏への道を歩みました
非常に奥が深く
正しく優れている真実の教えは
出会うことが難しく
理解しにくい内容です
無量の時において
様々な修行を行じ終わって
私は この世界において成仏し
この世界の真実をすべて覚りました

:
:
言に寄せて権実二智を讚歎する
:
:

14
ダルマ太郎 2024/04/30 (火) 08:37:18 修正

:
十如是について
:
太郎論:天台教学では、読経の時、十如是を三回読みます。これは、三諦(空・仮・中)の義に配したものです。
:
是相如(是の相も如なり)=空 この相も真理である
如是相(是の如きの相)=仮 このような相
相如是(相も是の如し)=中 相もこのようである

:
事象の真理は空であり、このような事象は仮であり、事象は縁起によって有るので、実体は有りません。龍樹の場合、中とは「非有非無の中道」なのですが、天台では、「有空の中道」で解釈しています。私たちが、相性体力作因縁果報と観ているのは、仮であって実体は有りません。特徴は空だし、自性は空だし、体は空です。力作因縁果報も同様に空です。すべてが空なので、「本末究竟等」だと説きます。
:
事象を観察し、真理を覚るのです。諸法の実相を知ることによって、すべての事象が、一つの真理から生じていることを知見します。逆に言えば、「一つの真理から、無量の事象が生じる」ということです。応身仏である釈尊は、言葉によって人々を真理へと導きましたが、法身仏は、現象によって人々を真理へと導きます。現象を方便と観ることが鍵です。
:
説法の初めに、法身仏のことが出てくるので、聞いている人たちは、皆、意味が分かりませんでした。智慧第一の舎利弗でさえも、この時点では、理解していません。この後の説法で、徐々に法身仏のことが明らかになっていきます。
:
:
十如是について
:
:

13
ダルマ太郎 2024/04/28 (日) 23:41:25 修正

:
相性体力作因縁果報について 2
:
:
6.(いん) ヘーツ hetu
:
因とは、ヘーツ hetu の訳です。原因・理由・動機のことです。花が香る時、その主体は花ですから、因とは花のことです。花が香ることが結果です。花は香りという力を発動して、風や温度などの環境を縁とし、さらに香りをかぐ縁を得て、はじめて花が香ります。
:
:
7. (えん) プラトヤヤ pratyaya
:
縁とは、プラトヤヤ pratyaya の訳です。プラトヤヤも原因という意味なのですが、仏教では、結果に至る原因は一つではなく多数であると観ますので、主原因を因といい、主原因を助ける原因・条件を縁といいます。合わせて因縁です。よって、因は一つですが、縁は多数あります。深く観察すれば、縁は因以外のすべてのことです。
:
十如是の場合、一つの現象を観察します。「花が咲く」という現象を観て、そのことの相性体力作因縁果報を観ます。よって、「花が咲くことの縁」を観ます。花が咲いたことによって、他にどのような縁となるかを観るのです。花が咲けば、人はそれを見るし、蜂や蝶は蜜を吸いに来ます。そのように、それがどのような縁になっているのかを観察するのですから、「花が咲くことの縁は、水・光・温度・空気・養分・堆肥だ」というような見方ではありません。
:
:
8.() パラ phala
:
果とは、パラ phala の訳です。結果という意味です。今、この瞬間を切り取れば、すべての物事は、因としても、縁としても、果としても観ることができます。しかし、普通、私たちが見ているのは結果です。
:
:
9.(ほう) ヴィパーカ vipāka
:
報とは、ヴィパーカ vipāka の訳です。通常、果報といいます。結果とは、花が咲く、花が香るというような状態のことですが、果報とは境界のことをいいます。境界とは、苦楽、もっと分ければ、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上という境界です。花が咲いているということは、きちんと育った成果でしょうから、楽の境地、天上界にあるといえます。もし、成長の段階で枯れている草があれば、それは苦の境地、地獄界にあるといえるかも知れません。
:
よく報を時間経過として観る方がいますが、この十如是は、瞬間的にそのものを十の視点で観察しているのですから、時間という概念は必要ありません。相性体力作因縁果報等は、時空の一点についての観察です。もちろん、他との関わりはありますが、観る対象は一つです。
:
:
10.本末究竟等(ほんまつくきょうとう) サマ sama
:
等というのは、等しい、平等のことでしょうから、サマ sama の訳だと思います。相性体力作因縁果報は、それぞれに違って見えるけれど、究めれば平等だということでしょう。すべては空ですから、仮に相性体力作因縁果報と分けて観察しても、究めれば平等だということです。
:
:
相性体力作因縁果報について 2
:

12
ダルマ太郎 2024/04/28 (日) 23:39:05 修正

:
相性体力作因縁果報について
:
:
1.(そう) ラクシャナー lakṣaṇa
:
相とは、ラクシャナー lakṣaṇa の訳です。特徴・特質・名称の意味です。外形・姿かたちという意味もあります。それを他と区別する時は、そのものと他との違いを観ます。他との違いを特徴といい、特徴があれば他と分けられます。他との区別ができたものには、名称をつけていますから、相とは名称のことだという見方もあります。赤い花、大きな犬、美しい宝石などのように、それらは言葉によって表されます。真理としての相(如是相)は、無相です。他と比べなければ特徴はありませんから、それ自体に何らかの特徴はありません。そのものの相の有無は否定されます。
:
:
2.(しょう) スヴァバーヴァ svabhāva
:
性というのは、スヴァバーヴァ svabhāva の訳です。自性・本性・本来のありかたという意味です。赤い花なら、赤を赤とする性、花を花とする性があり、全体として赤い花としての性があります。インド人は、表面的な相とそれを成り立たせる性の二方向から観察しました。相があるところには、性がありますので、相性は一体です。真理としての性(如是性)は、無自性です。諸法の実体は欠如していますので、自性もありません。また、そのもの以外によって特徴があるように、そのものを成り立たせるのは他(縁)です。つまり、因縁に依って、諸法は仮に有りますから自性の有無は否定されます。空です。
:
:
3.(たい) ダーツ dhātu
:
体とは、ダーツ dhātu の訳です。「花が香る」という場合、香りの主は花です。このような何らかのはたらきを持つ主のことを体といいます。体は、相によって認識され、相は性と一体ですから、相性を持つ主体のことでもあります。相性体を総じて体ともいいます。真理としての体(如是体)は、無体です。無相であり、無自性であるならば、その主体の有無も否定されます。
:
:
4.(りき) バラ bala
:
力とは、バラ bala の訳です。内に秘めた力、力用、潜在能力のことです。花が香るのは、その花に香りを出す力があるからです。真理としての力(如是力)は、無力です。力の有無は否定されます。
:
:
5.() カーラカ kāraka
:
作とは、カーラカ kāraka の訳です。作用・はたらき・力の発動のことです。花が香る時、香るということが作です。ものごとは、体と用(ゆう)によって観察されます。「花が香る」「水が流れる」「風が吹く」というように、主語と述語、名詞と動詞によって言葉にされます。私たちが、そのものを認識するのは、体用に依ります。そのものが何らかの働きをしなければ、主体を観ることはありません。見せる・聞かせる・嗅がせる・味あわせる・触れさせるなどの働きを発っしています。真理としての作(如是作)は、無作です。作の有無は否定されます。
:
:

11
ダルマ太郎 2024/04/28 (日) 19:22:57 修正

:
諸法実相 サンスクリット原典
:
経:tathāgata eva śāriputra tathāgatasya dharmān deśayed yān dharmāṃs tathāgato jānāti | sarva-dharmān api śāriputra tathāgata eva deśayati | sarva-dharmān api tathāgata eva jānāti | ye ca te dharmāḥ yathā ca te dharmā yādṛśāś ca te dharmā yal-lakṣaṇāś ca te dharmā yat-svabhāvāś ca te dharmāḥ | ye ca yathā ca yādṛśāś ca yal-lakṣaṇāś ca yat-svabhāvāś ca te dharmā iti | teṣu dharmeṣu tathāgata eva pratyakṣo 'parokṣaḥ ||
:
:
訳:シャーリプトラよ。実に如来は、如来が知っているところの諸法を如来のために示されるだろう。シャーリプトラよ。すべての法についてもまた、如来が示される。すべての法についてもまた、如来こそが知っている。諸法とは何か? 諸法とはどのようにあるか? 諸法とはどのようなものか? 諸法とはどのような特徴を持つか? 諸法とはどのような性を持つか? 諸法とは何か? どのようにあるか? どのようなものか? どのような特徴を持つか? どのような自性を持つか? ということを。それらの法について、如来だけが明瞭にし、明らかに見ている。
:
サンスクリット原文からの現代語訳は、植木雅俊先生の『法華経』を参考にしました。
:
:
太郎論:このように、「それらのものごとが、何であり、どのようにあり、どのようなものであり、どのような特徴を持ち、どのような自性を持っているのかを如来だけが知り得ている」と説かれています。サンスクリット原典には五つの項目しかありませんが、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経には十の項目があります。このことで、天台智顗の一念三千の根拠を失うという方もいますが、三千とは諸法の事なので、数にはこだわらなくていいように思えます。
:
五つの項目とは、①諸法とは何か? ②諸法とはどのようにあるか? ③諸法とはどのようなものか? ④諸法とはどのような特徴を持つか? ⑤諸法とはどのような性を持つか? です。
:
:
諸法実相 サンスクリット原典
:
:

10
ダルマ太郎 2024/04/28 (日) 02:35:52 修正

:
諸法実相
:
R論:宇宙のすべてのもののありのままの真実の相(すがた)。これを大きく分ければ、➊『すべてのものごとの、現象として現れている相(すがた)をありのままに観る』。➋『すべてのものごとの本質の相(すがた)を観る』の二つになります。
:
『すべてのものごとの、本質の相(すがた)をみながら、現象として現われている相(すがた)をも、ありのままにみる』ことになります。~ 仏の立場からすると、すべては「大調和の世界(涅槃)」なのです。仏はそれを見極めて、われわれに示して下さいました。凡夫であるわれわれがそのように見ることができずに大調和しないのは、人間たちが小さな「我」をもってものごとを見、考え、行動するからであって、全ての人が「我」に執着する心を捨てて、ありのまま(如是)の心をもってすべてを見、考え、行動すれば、この世はこのまま涅槃の相になるのだと教えられているのです。
:
:
太郎論:実相とは、真実無相の略だと解説されています。よって、諸法実相とは、事物・現象が真実としては、特徴が無い、ということです。これまでは、「無量の教えは一つの真理から生じる」「一つの真理を無量の方便にして教える」、というように、教え(方便)と真理のことを説いていましたが、ここでは、「無量の現象は一つの真理から生じる」「一つの真理を無量の現象(方便)にして教える」、というように、現象(方便)と真理のことを説いています。このことは、如来寿量品で詳しく説かれますが、方便品の最初にこのことが説かれていることが興味深いです。
:
:
縁起観
:
R論:全ての存在やそのはたらきは、因縁所生(因と縁があって生ずる所)のものであり、縁起(因が縁にあって起こる)であるということができます。これがお釈迦さまのさとりの一大根本であり、すべての教えはここからでているといっても過言ではありますまい。これを「縁起観」といいますが、《諸法実相》の教えもこの「縁起観」が根本になっていることは、言うまでもありません。
:
:
太郎論:縁起とは、プラティーティヤ・サムトパーダ pratītya-samutpāda の訳です。プラティーティヤが「縁」、サムトパーダが「生起」なので、「縁って起こる」という意味です。縁起は、仏教の根本教義であり、初期仏教の経典から密教の経典まで、すべての教えの土台になっています。一切を苦と観るのは、ものごとが縁起によるからです。自力だけでなく、他との関係によってものごとは起こりますから、自分の力ではコントロールはできません。老いるのも、病も、死も、医療によって少しは抵抗できますが、いずれは老化し、病気が悪化し、死んでいきます。自分の思い通りにならないことを、思い通りにしようとするから苦なのです。無常は、縁が変わるから、因も変わります。縁起は、因+縁という単純なものではなく、無数の事象との関係によって起こりますので、縁によって生じるものは無常です。無我は、縁によって起こるものは、仮の存在であって実体は有りませんから、無我といいます。このように教義のベースには、必ず縁起という教義があります。
:
諸法実相の教義も「因縁果報」という言葉が出てきますので、縁起がベースにあります。しかし、十如是の場合は、あるものの因縁果報を見るわけですから、因はこれ、縁はあれというように分けるのではなく、因としてのこれ、縁としてのこれ、というように観ます。このことは、後に十如是の解釈をするときに、詳しく説明いたします。
:
:
一念三千
:
R論:すべての人間は「平等な存在」であることは、『無量義経 説法品』でのべました。ところが、現実の相として現われているものは、賢い人・愚かな人・心美しい人・心いやしい人等々、じつに千差万別であり~ はなはだしい上下の相違があります。そこで、「人間本来平等」であるということも真実ではあるけれども、現実のあらわれにおいて『不平等』であるということも真実であります。したがって人間をみるときには、この『平等』・『不平等』の両面からみなければ、その本質はつかめないわけです。ところが、もっと深く考えてゆきますと、その『不平等』というのは決して固定したものではなく、つねに流動しているものだということがわかってきます。~ある条件(縁)にあえば、心いやしい人も心美しい人に変わることができ、逆に、不善の心や行為という因が、ある縁にあえば、幸福に満ちた人がたちまち苦悩のどん底に落ち込むこともありえます。~ 心の持ち方さえ変えれば、どの世界へも行くことができるのです。そういう可能性を、人間は平等に持っているのです。ですから、目の前に見る『不平等』は、決して固定した『不平等』ではなく、自由に流動させることのできる『不平等』です。つまり、〈『不平等』をどうにでもつくることのできる可能性を、みんなが等しく持っているところに『人間の平等さがある』〉と言うこともできるわけです。
:
:
太郎論:一念三千は、天台大師智顗が提案した止観の一つです。止観とは、精神を統一させ、観察することです。一つの心に三千の世間(諸法)が具わっていることをいいます。刹那の一心に十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)があり、その十界のそれぞれに十界が具わって百界となり、さらに十如是が具わって千如是となり、それに三世間(衆生・五陰・国土)が具わって三千世間となります。ほんの刹那の一心に、三千世間が具わっていることを観察します。
:
:
諸法実相
:
:

9
ダルマ太郎 2024/04/28 (日) 01:23:14

:
正しく言を絶する
:
経:止みなん、舎利弗。また説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏といましよく諸法の実相を究尽(くじん)したまえり。いわゆる諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
:
:
R訳:ところがここまでお説きになると、世尊は突然、黙りこまれました・・・。「やめよう舎利弗。真理を説いても誰も解るものではない。だから説くのはやめよう。なぜならば『真理』は稀有で最高の教えであり、それは仏と仏との間でしか理解できないものです。ふつうの人間では到底理解できるものではありません。『真理』とは、この世の実相を説き示したものであり、それは『相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等』という作用と関係で成り立っていることを示しています。これを『十如是』と言います。仏はこの『真理』を悟ったのであります。
:
:
太郎訳:止めましょう、シャーリプトラ。このことは、説かないほうがいいでしょう。なぜなら、仏の覚った真理は、最高であり、稀であり、非常に難解です。ただ、仏と仏だけが、よく諸法の実相を見極めているのです。諸法の実相とは、諸法の相の真実、諸法の性の真実、諸法の体の真実、諸法の力の真実、諸法の作の真実、諸法の因の真実、諸法の縁の真実、諸法の果の真実、諸法の報の真実、諸法の相から報までが等しいという真実ということです。
:
:
正しく言を絶する
:
: