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日本改革宣言

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小学校高学年時代の私は不潔で愚鈍な存在だった。

暴力的で陰湿で、無駄に図体ばかりがデカく、ろくに風呂にも入らず、歯も磨かず、靴下も吐かない汚物であった。

そこまで堕落した理由はあるわけだが、それにはあえて触れない。

結果なのだ。世の中は結果が大事なのだ。プロセスはどうでもいい。最終的な責任はそこまで堕落した自分自身にある。

周囲の大人の誰もが私の将来を不安視したことだろう。

このまま育っていくとこの子はどうなってしまうのか?

きっと誰もがそう思ったに違いない。

当時の私は”人と違ったことをする”ことで、それを自身のアイデンティティとしていた。

それは悪戯だったり、水生昆虫であったりと趣向は様々であったが、当時周囲のクラスメート達が夢中になっていたサッカーやバスケットボールには何ら関心を示さなかった。

小学校では勉強では差がつかず、スポーツでは短距離走が絶対だった。
なぜか足の速い奴がもてる。今考えれば意味のわからない価値観だが、当時はそれが子供達の価値観の絶対的指標であった。

もともとの知能は悪くないという自負はあったが、掛け算九九も危ういレベルの半知的障害者でもない限り、小学校のテストはほぼ全員が満点である。

全員が満点のテストなどテストであってテストではない。そんなものに労力を費やすだけ無意味ということを当時から私は知っていた。

だから、テストの50点満点の裏側は白紙で提出し、100点満点の表側の解答欄は自身の笑いのセンスを試す場所であると認識していた。

音楽のペーパーテストで「●●(音楽教師の名前)しね」と回答したことは当時の自分なりのささやかな反抗であった。

努力しても差がつかない小学校はまさに「小さな共産主義社会」であり、私には馴染まなかった。

そんな暗黒の小学校時代が過ぎ去り、中学になるといよいよ勉強やスポーツで差が明確に開いてくるようになる。

特に勉強面での差の広がりは顕著であり、小学校まで常に100点満点で成績上位だった者達が60点、70点といった俗に言う平均点に簡単に転げ落ち、そして上昇することはなかった。

いわば小学校のテストの点数は真面目に取り組む姿勢を見るものであって、能力差を比較するものではないのだとそこで初めて知った13歳の春。

小学校時代に調子付いてた連中が堕落していく姿を見て笑いが止まらなかった。

ここで頑張れば私は勝ちあがれるだろう。

そして勉強だけじゃない。今まで学内でサッカーがうまいとモテモテだった奴らも他の強豪校に圧倒され市内大会1回戦負けをカマしている。

私は自身の潜在能力を信じ、勉強とスポーツに励み、今まで私を見下していた連中を逆に見下すべく邁進した。

結果、勉強・スポーツにおいても私は奴等を超越することが出来た。勿論、衛生面も改善し、清潔であることを心掛けた。

しかし、小学校時代の汚物のイメージはぬぐいきれず、私以下の能力のかつての優等生の現ザコ共の方が女子ウケが良かったのは事実である。

この時の頑張りがあったから私は進学校へ進学し、それ相応の人種とのコネクションを作ることができたのだと思う。

地元の同窓会で顔をあわせれば、元々身長が高く顔面的に整っていた私はほぼ全てのステータスで地元のザコ共を超越していた。

わけのわからんFラン大学を卒業してフリーターをしている者や、デキ婚×1の小学校時代はモテたビッチなどを見るたびに私の中学時代の努力は間違っていなかったのだと確信した。

中学時代に勉強やスポーツからドロップアウトした者達は暴力・性・飲酒・喫煙をアイデンティティとするようになり、いわゆる不良と呼ばれるようになった。予想に反せずにその後の人生も堕落の一途を辿っていき、終着点はドカタや風俗嬢であった。

万引きや喧嘩などの反社会行為を平然とする俺カッケー!

友達より早くSEXした私ってイカス!

酒・タバコの味しってる俺ってマジ大人♪

5年も待てば堂々と誰もが楽しめる娯楽をこいつらは一生を犠牲にするかわりに手にしてひと時の悦に浸っていただけにすぎない。

その反社会性を成人後も保てるかといえばそうじゃない。それだけの度量は持ち合わせていない輩が大半である。

中途半端なまま社会のルールの外からは逸脱できず、最終的にドカタや風俗嬢として無様な社会人生活をするようになる。それは努力を怠ったツケであり、彼らへの同情の余地はない。自分自身で選択した道なのだ。

暴力をアイデンティティとしても警察という絶対的暴力の前には個人レベルでは太刀打ちすることは出来ない。暴力で我を通せるならば誰もがそうしていることだろう。

歴史が示すように大昔の人間社会は暴力を制したものが社会を支配していたが、二度の世界大戦を経て形式的には文民主導社会となった。最終的にはアメリカという絶対的暴力の持ち主が世界の主導権を握っているから根本は変化していないが、我々庶民レベルでは少なくとも暴力による統治はほとんど見ることはなくなった。

結局、現代では勉強やスポーツを通じて得られる社会的地位も経済力も暴力の代替手段にすぎず、自己実現を果たすための道具なのである。

腕力で得ることの出来るものが限られているということ。今何を頑張れば将来的に自分にプラスになるかを考えることができたなら、反社会行為に自我を見出したりはしない。

高校以降は学力別で振り分けられるために、そこからが本当の階層社会のスタートなる。

偏差値70の秀才から偏差値30の知的障害者レベルまでが一緒くたに混在していた中学とは異なり、一定レベルの集合となり、それまでとは全く異質のコミュニティに属することになる。

偏差値60の集団と偏差値30の集団。

この二つの集団は同じ人間であり、同じ国家に属する集団でありながら、様相を全く異にする。

どちらの集団の価値観が一般社会に馴染んだものかと言えば言うまでもなく偏差値60の集団の価値観である。

その理由は簡単だ。社会・経済の中枢を担い、それらを動かしている人々の多くが偏差値60以上の人間だからである。

そして、偏差値30の集団は”独自の価値観”を構築する動きを活発化する。

中学時代に自分達が出来損ないのゴミだと半ば自覚した彼らは独自の文化を持つことで、その傷を舐めあい、互いの絆の強さを確認しあうようになる。

我々偏差値60以上の人種からしたら到底理解できない奇抜な格好や反社会的行動は彼ら独自の文化の中では至高とされ、それを”反逆心の象徴”だと互いに自己洗脳しあう。そうすることで彼らは安心感を得る。

偏差値30の人種は人間社会において、個体として非常に脆弱な生命である。人間社会というジャングルで生き抜くための牙を持ち合わせていない生命だと言える。

だから彼らは群れ、独自の文化を築き上げ、自分達の狭い価値観の中で生きていこうとする。社会の底辺が過剰に排他的であるのはそのためだ。

彼らがしきりに「友情」や「絆」を過剰に主張するのは自分達が脆弱であるがゆえであり、群れることでお互いを守りあう原始の本能のなす術なのだ。

自然界においても肉食獣の多くは大きな群れは作らない。

逆に被食存在である草食獣は群れることでその生命危険を少なくしている。

社会の底辺達にも同様のメカニズムが作用しているのだ。

また、社会の底辺には繁殖力の高さにおいてもそのメカニズムが通用する。

魚類や昆虫などは淘汰圧が高く、成体になれる確率が低いために多くの子を産むことで種の保存を図っていく。同様に社会の底辺も多くの子を産み増やすことで種の保存を図る。

彼らの本能がそうさせているのだ。それは彼らが意図して行っていることではなく、生命が持つ神秘とも言える。

不妊に悩む夫婦が数多くいる一方で、不摂生極まりない生活を送っている社会の底辺の受精率の高さには驚愕する。

「個」として脆弱な存在であることを彼らは思考では知らずとも本能で知っていて、それが圧倒的受精率の高さを実現せしめるのだ。

受精率と底辺率の相互関係はおそらく科学的には証明できないことだが、これは真理であると断言できる。

ここで問題になるのが、福祉である。

本来淘汰されることで人間社会の秩序が保たれていたわけだが、福祉という概念の登場によって社会は一変した。

自然と数が減るはずの社会の底辺を福祉によってフォローすることで、社会の底辺の数が激増し社会のパワーバランスが崩壊した。

逆に健全な国民(以下:健常者)は福祉によって血税を搾取され、子を育てるための環境が満足に得られないことを悲観視し、子を産み増やさなくなった。

そんなことは考えもしない本能のままに子を産み増やす社会の底辺の子が増える一方で社会を支える健常者の子が産まれないという悪循環に陥っている。

福祉が台頭してきた理由はなにか?

それは傍目からは「助け合い」や「弱者擁護」といった美徳にマッチすることに加え、そこに大きな金脈が隠されていたからである。

そして福祉は人権屋の商売道具とされ、その概念は本来死ぬべきはずの老人達を無理矢理生かすことまでが福祉とされるに至った。

底辺達が子供を産み増やせば増やすほど、思考停止した半植物状態の老人達が呼吸をし続けるほどに人権屋の懐は膨らんでいく図式が形成された。

また本来”一過性の精神状態”であるはずの欝を"病"と定義しなおすことで、福祉は更に巨大産業へと成長を遂げた。

いわゆる「鬱病キャンペーン」というものだ。貴方は異常だと思わないか?

駅前の掲示板に「あなたその症状うつではありませんか?」などという広告が掲示されていることを。意図的に鬱病へと誘いこむ思惟がそこにはあった。

誰もが一度は陥るつらい時。人はそれを乗り越えることで成長し、優しくなれる。

しかし、そこへ鬱病という逃げ道が意図的に用意され、健康な人々が向精神剤の犠牲となっていった。彼らはいわば製薬会社と精神科医達へ公金を流し込む媒体として薬漬けにされたのである。

もはや福祉は助け合いという概念を超越し、いまや人権屋すなわち”福祉テロリスト”共の商売道具に成り下がった。

福祉テロに蝕まれているこの国を救済するためには3つの政策が必要なのだ。

・生活保護の廃止
・鬱病の保険適用廃止
・育児免許制度

生活保護という狂ったシステムは即刻廃止せねばならない。いまや国防費にも匹敵する公金が生活保護者共によって食い尽くされている。自業自得のゴミにかける情もカネも不要なのだ。

この日本という豊かな国で生活保護に頼らねば生きていけないゴミは早急に死ぬべきであり、それこそが公共の福祉に適う。

生活保護者ができる唯一の社会貢献は死ぬことである。勿論社会に迷惑をかける自殺以外の手法でだ。存在悪である生活保護者達はその存在をこの世から抹消することで社会貢献をする。生活保護者や鬱業者達が安心して自死できるように自殺支援制度を策定し、社会に迷惑をかけず自死するシステムを構築する。各地に自殺支援センター及び公衆自殺所を設置する。

鬱病は甘えであり、保険適用の必要などない。成長の機会を自ら逃している可哀想な奴等だ。だから鬱病を保険適用外にして彼らに”成長の機会”を与えてやるのだ。これ以上の慈悲はない。本当に死にたいのならば自殺支援制度で死なせてやる。自らの意志で死を選択するのだから、尊厳死である。

最後に育児免許制度については幼児虐待の増加からやむを得ないと感じる。

幼児虐待を行うのはいわゆる偏差値・収入共に低い社会の底辺が大半だ。

一定以上の学力と収入がなければ子を産むことはできないシステムにしないと虐待はなくならないだろう。子を育てるには教養と倫理観、そして何よりも経済力が必須なのだ。

それらを持ち合わせていない生殖機能だけが成熟した俗物に親になる資格などない。

不幸な出自の子供を減らすためにも育児免許制度は必要なのだ。

また更に革新的な手法として「劣等種駆除法」なるものがある。

低偏差値・低収入かつ反社会的思想の持ち主を劣等種認定し、軍事力・警察力をもって成敗する。

そして彼らは粛清され来世には健常者として生まれ変わるチャンスを与えられるのである。存在悪として生れ落ちた哀れなる生命を国家権力を以て浄化し、土へと還す。これ以上の慈悲はないだろう。

小賢しい福祉テロリスト共も餌となる劣等種がいなくなれば、動きようがない。

しかし、働きアリの法則が示すように劣等種はなくならないだろう。

その二次的措置として育児免許制度があるのだ。クズの子供はクズという真理に基づいて、生まれながらの遺伝子レベルでの劣等種の増殖に歯止めをかける。社会制度を以てしてだ。

突発的に発生した劣等種の繁殖もそうすることで抑止できる。

劣等種駆除法による能動的淘汰と育児免許制度による受動的淘汰により、国家レベルでの遺伝子浄化が図られることだろう。

狂い始めた社会の歯車を正常に戻すためには強行策はもはや回避できない。

福祉テロは現在進行形で進んでいるのだから・・・。

このように一歩間違えば”福祉テロリストの餌”に堕落していたかもしれない私なりの持論を展開させてもらったが、これは濁りなき真理だと断言できる。

一見豊かに見えるこの国の水面下では福祉テロリズムによる腐敗が進行しているのだ。

本当の福祉とは義務を果たす健全たる国民のために存在するもので、権利ばかりを主張するゴミのためにあるものではない。

今、日本社会に渦巻いている福祉はテロリズムに等しい。

天使
作成: 2020/05/05 (火) 18:23:33
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82
KANAME 2020/05/07 (木) 11:42:13 修正

>> 80

仮説を立てて意見を述べることは別に悪いことだとは思わんが…。
天使が「うつ病」の人相手に粗末な扱いをする危険思想の持ち主だと判断することのほうがこの場合議論と現実世界の区別がついてない危険な見方だと俺は思うかな。
実際に困ってる妊婦やお年寄りを前にして手を差し伸べないほど薄情ものではないでしょう。
それに天使自身、なかなか踏み込んだ意見を展開していることへの自覚は見て取れる。

それにナチュラルもその様子じゃ本物と偽物の区別つかないだろ。
大した知識がないと語っちゃいけないなんてことはないでしょ。
その批判の仕方は自らの首を絞めることになるぞ。


>> 81

ここで言う「普通に生きてる人たち」ってのは天使が言うような単なる自堕落で福祉制度に甘んじてる人以外のことだよ。
止むを得ない理由で生活保護を受けたりしてる人と楽したいだけで生活保護を受けてる人じゃ全然違うからな。

83
ナチュラル 2020/05/07 (木) 11:54:19 1ef54@151c2

>> 82

実際に困ってる妊婦やお年寄りを前にして手を差し伸べないほど薄情ものではないでしょう。
それに天使自身、なかなか踏み込んだ意見を展開していることへの自覚は見て取れる。

まぁ、それは俺も思う。
議論を引き起こすためのパフォーマンスっぽい感じはあるよね。
というか天使って普段からそういうやり方だし。
>> 7で「ポエマー」と言っているのは俺はちゃんとそれを理解できているよということの表しなので、本当に天使がそう思っていると認識しているわけではないことは把握してもらえればと思います。

大した知識がないと語っちゃいけないなんてことはないでしょ。

はい、すみません。それはちょっと言いすぎました....。
ただいくらなんでも「病気じゃない!甘えだ!」はないかなって思いました。

84
KANAME 2020/05/07 (木) 12:04:01 修正

>> 83

まあ身内にうつ病で苦しんでる人がいるとか、自分がうつ病になった経験あったら「何言ってんだこいつ」ってなる気持ちはわからなくはないけどな。
あるいはそういうシーンを想定するとか。
それ含めての>> 74です。

言い方に気を取られすぎて人格批判に偏るとテーマが腐るってのが持論なんだけど、天使の態度を見て明らかに煙たがってたので横から口挟んだけど悪気はない。

86
KANAME 2020/05/07 (木) 12:27:10 修正

>> 85

うつ病になって傷病手当金受け取れなかったり医療費自己負担になったら本当に苦しんでる人が困るだろ。
悪知恵働かせて制度悪用する人は自堕落な行為だと思うけど。
天使が問題にしてるのは「うつ病患者」だけど俺が問題にしてるのは「似非うつ病患者」だよ。
ただし甘えてるだけの後者が目につくからと言ってすべて保険適用外にしちゃったら前者が困る。
そういう意味で反対って言ってるんだがそんなにわかりづらかったか。

87
KANAME 2020/05/07 (木) 12:32:15 修正

それとも甘えちゃう人、悪用する人なんかも含めてそういう人のための福祉って考え方なのか。
だとしたら俺とは思想が違うな。
俺はこう見えて天使寄りだし、「普通に生きてる人たち(ちゃんとした理由で福祉制度を使う人たち)」のために、たとえば診断のやり方にしてもザルはまずいんじゃね?とか思うわけだ。
ただそうなるとそれで飯食ってる奴が困るかもしれんけど、ヤブ医者がなくなればいいのかなと思うよ。

89
KANAME 2020/05/07 (木) 12:57:14 修正

マジで何言ってんだ?と思って読み返したら俺が何言ってんだ?っていう表現の問題だったわ…。

×保険適用反対ってのは俺も同意。
◯保険適用廃止反対ってのは俺も同意。

脱字というか誤記でした。
サーセン。

95
天使 2020/05/08 (金) 04:00:52

>> 68
「根拠はないんだよね」って得意そうに言ってるけど、そもそもそこに根拠は不必要でしょ。

「うつ病が病気に定義されるかどうかの話」をしているらしいが、>> 1の本文には「欝を"病"と定義しなおすことで」と書いているわけであり、病気と定義されているという認識を持っていることは聞くまでもなく分かるでしょう。

また、鬱が病気と定義されている点についてはナチュラルも承知しており、互いが共通認識を抱いている点において、なぜ私からの根拠の提示が必要なのでしょうか。

そもそも、「読んでるし分かってるよ」というのなら、なぜこの話を持ち出したのか意味が分かりません。

分かっていることを聞く必要がありましたか?
分からなかったから聞いたんじゃないんですか?

医学的に病気であるうつ病を「病気でない」とする根拠、ないしは理屈については説明したはずです。
ざっくり言うと、定義するから病気なのであって、定義しなければ病気ではないという簡単なロジックです。

現に昭和のある時代までは「鬱」は病気ではなかった。
精神医学界によって病気と定められて以降、鬱は病気になったのであり、それまでは単に"精神状態"に過ぎなかった。
その精神状態に鬱病という名称を与えただけに過ぎず、本来病気ではない。
これが私の基本的な立場です。

最近では「新型うつ」なるものもあるがあり、特徴として"好きなことをやる時は元気だが、嫌なことをやる時だと元気がでない"という症状が挙げられています。

まだ正式に病気とされてこそないが、精神医学界は"疾患"だと声をあげています。
「そんなもの鬱でも何でもない」と声を上げている精神科医を私は誰一人知らない。
検索をかければ、医療側からの声は「新型鬱は疾患!甘えだと誤解しないで!」という内容ばかりで、病気という認知を広げようという意図が透けて見えます。

金になるから当然でしょう。

"今は病気ではないけれど、明日には病気になるかもしれない"

こうした現況を目の当たりにすれば、「病気は作り出せる」という事は真理であると思われ、作られた病気に対して「病気でない」と言うこと自体には、一定の理解が得られるのではないでしょうか。

「定義されているから病気なんだ」という事は簡単に言えます。
ですがそれは「うつ病と診断されているからうつ病だ」と言うのと同じで、思考停止に陥っています。

うつ病とは脳や自律神経系の一種のエラーのことで、肉体的異常がデータとしてはっきり読み取られるれっきとした病気だバカ。

それは違います。
データとしてはっきり読み取られるなら、基本的に診断は確実なものであるはずです。
データの見落とし、あるいは間違いによって誤った診断を下すケースはあるにしても、そうでない場合はどの医者も一致した見解に辿りつかなければなりません。
ですが、うつ病はそうではありません。
極端にいえば、演技でもうつ病の診断を得ることもできます。
また、演技で診断を得ることができるという事は、肉体的異常がデータとしてはっきり読み取れる病気ではないことの何よりの証拠かと思います。

実態があいまいではっきりとした基準がなく、自称することでなれる病。それがうつ病です。

最後に保険適用の話ですが、全部の療法を保険適用にしてしまえば、うつ病の金脈としての美味しさはいよいよピークに達するでしょう。
もともとこの記事では、うつ病を金脈として儲ける構図を批判しているわけであるから、全部を保険適用するという考えは趣旨に反します。

「薬物療法」を最後の砦と言っていますが、最後の砦でも何でもありません。
4つの療法から適切なものを取り入れることで、鬱状態は解消に向かうのであって、薬物療法一辺倒では解消するどころか人間としてはむしろ退化します。詳しくは過失川先生に聞いてください。
現状、薬物療法にのみ保険が適用されているために一辺倒な治療になるのならば、いっその事なくしてしまった方がいい。
そもそも薬だけでは治らないのだから、この際薬があろうがなかろうが同じことです。
それならば薬を与えず、公金を節約するのが賢いといえるでしょう。

それと私の知識が古くなければ、生活保護受給者は負担無しで薬を購入できます。
それが悪用され、ナマポハングレ野郎が薬を無料で購入し、売りさばいていたというケースもありました。

保険適用なんてやめてしまえと思います。

104
おちない福嗣 2020/05/08 (金) 20:24:36 42602@e77a2 >> 95

現状、薬物療法にのみ保険が適用されているために一辺倒な治療になるのならば、いっその事なくしてしまった方がいい。

うつ病に対する認知行動療法は保険適用対象です。

96
天使 2020/05/08 (金) 04:08:17

PS
私の役職名は「求道者」にしてください

97
天使 2020/05/08 (金) 04:22:02

喧嘩王には後日返信します。

98
天使 2020/05/08 (金) 04:22:21

それと今回のテーマを話しているうちに思ったことだが、今日本には「人格障害」「愛着障害」「発達障害」などなどなどなど様々な障害があり、もはや誰しもが何かしらの障害にカテゴライズされるのではないかと考えた。
このことをよく調べて、後日今回のような挑発的文面で求道者の宣言をしたためるつもりでいるから楽しみにしていてほしい

99
ねこぱんち 2020/05/08 (金) 05:49:14

こんにちは天使さん
「依存症」についての宣言もいつかはお願いします。
今、日本は何かしらの依存症に陥ってる人が多いと思います。
タバコ、酒、ギャンブル、セックス、スマホ(ネット)、薬物・・・などなど。
「~障害」についての宣言も楽しみにしています😃

100
ナチュラル 2020/05/08 (金) 09:05:56 efa02@151c2

鬱が病気と定義されている点についてはナチュラルも承知しており、互いが共通認識を抱いている点において、なぜ私からの根拠の提示が必要なのでしょうか。

何の話してんの?

お前はうつ病が病気であるのはおかしいって言ってるんだよな?
だから俺はそれについて医学的根拠を出すなりして妥当性を示せって言ってるんだが?
お前がうつ病を病気と認識してないなんて話はしてないし、認識してるからこそ「病気ではない(病気とされるのはおかしい)」と>> 4などで論理展開しているのは分かってるけど?

だって俺初めてこのトピックに書き込んだときからずっとこの論調でお前に話しかけてんだけど?

例えば>> 12とか>> 80見てみろよ。俺「天使はうつ病が一般的に病気に部類されているとは認識できていない」って論理展開になってるか?なってないよなぁ?
「うつ病は病気とされるのが妥当だ」って論理展開なの見てわからねぇの?
これ>> 60でも言ってるんだけど、お前会話すんの下手だろ?ww
>> 68でも

医学的に見て病気なのに病気と言うことがおかしいのだと言うなら医学的根拠を出すべきだってこの単純なロジックがなんで分かんねえんだよw

ってはっきりその論調なのは分かるだろ。どこでつまずいてんだよwww
うつ病が病気とされるのが妥当なのかの話っつってんじゃんwwwまじでバカすぎるwwwww
そんなとこでつまずくとは思いもしなかったわwww
だって普通の日本人なら読み取れて当然だと思ってるもんwww

根拠を示せないからってそうやって障碍者のふりして時間稼ぐのやめようぜww
根拠がないならないって素直にゴメンナサイしとこうな?www

データとしてはっきり読み取られるなら、基本的に診断は確実なものであるはずです。
データの見落とし、あるいは間違いによって誤った診断を下すケースはあるにしても、そうでない場合はどの医者も一致した見解に辿りつかなければなりません。

いいえ違いません。お前が言ってるのは「便宜上のうつ病」の話です。

例えばうつ病患者は自律神経がONでもなくOFFでもない状態にあります。
普通人間は交感神経か副交感神経かのどちらのみが昨日することで緊張かリラックスのどちらかのみの状態でいるんです。
「自律神経の乱れが~」とサプリメントの通販番組などで言われるこのフレーズですが、それはあくまでONとOFFの切り替えが不規則であるだけで、常にONかOFFかのどちらか一方のみなので一応はちゃんと機能しています。
しかしうつ病患者はONでもなくOFFでもない異常な状態にあるんです。これは生活習慣の乱れ程度では起こるはずないんです。

第一「話を聞いても診断しても何も見つからないけど、本人がそう言ってるんだしとりあえず処置してみるか....」っていうのは心療内科に限らずどこでもやってることだよ。

例えば整形外科で腰痛を訴えてもレントゲンに何も写らなかったら、とりあえず幹部を温めたて血流を促進したり体幹トレーニングなどのリハビリはやってくれる。腰痛自体メカニズムが解明されてないから、むしろ原因が見つかることの方が少ないけどね。
例えば内科で風邪を訴えても喉が炎症してるわけでも熱があるわけでも血液検査でも何もないのに、悪寒や倦怠感があると言えば薬は出してくれるよ。だって悪寒とか倦怠感って確かめようがないもの。

をよく読んでほしいのだけど、病院というのは「怪我や病気を治す場所」ではなくて「身体の不調による日常生活への影響を取り除く場所」です。
その「身体の不調」がはっきりと怪我や病気と言えるほどの規模でなければならない理由はありません。
精神科医ではその「怪我や病気とは言えない程度の身体の不調」のうちの1つが「便宜上のうつ病」だったりするだけの話で「便宜上のうつ病」とは別にマジの「うつ病」もありますから^^;

それについては詠み人知らずが>> 78

内因性による抑うつ状態は本来ならば>> 1が言うように一過性のもので、いわば思春期はちょっと太りやすいよね、みたいなものにすぎない。
なんせ、内因性の抑うつ状態なんて日本人の大半が経験することだからな。
「うつ病キャンペーン」に言わせれば思春期の児童は大半が要治療の病人ということになってしまう。
そんなバカな話はあるまい。
片思いの相手と良い関係を築けず悩んでいる少年少女に対して、駅前の看板は「今きみは自殺する人と似たような心理状態にあるんだよ」と教唆しているわけだ。けしからん。
そんな少年少女に対して、悩みを感じづらい状態に精神を変容させるため投薬する必要なんて皆無だろう。

それに対し、外因性による抑うつ状態は内因性の原因(悩みごとなど)とは違い自力で解決することがきわめて困難なため
投薬によりうつ症状を緩和する選択もやむを得ないと思う。
先天的・後天的を問わずそういう体質の人ってのは存在しているし
別の病気を治すためにステロイドとかインターフェロンを投与したら副作用でうつになったりもするわけで
「乗り越えて成長しろ」とかそういう次元じゃないよな。

と言っている通りです。
「便宜上のうつ病」がまかり通るから天使の言うカモにする・されるが横行していて、それが問題だという点については別に何とも思いません。
が、だからと言って「うつ病」がただの甘えだと言うにはあまりにも飛躍しすぎていると思います。

もともとこの記事では、うつ病を金脈として儲ける構図を批判しているわけであるから、全部を保険適用するという考えは趣旨に反します。

しかしそれだと今度はマジで病気で苦しんでいる人たちがもっと苦しむことになりませんか。
真面目がバカを見る世の中にしたくないからバカな人だけを駆除したいはずなのに、真面目な人も一緒に駆除しちゃっててダブルバインドじゃないんですか?

ちなみにですが、「便宜上の病気」であっても「日常生活に影響を及ぼす」ものなら便宜上でも全然良いと思っています。
病気や怪我をしてから治すのではなく、そうなる前に手を施しておくことは寧ろ良いことかと。
高齢化が問題になっている昨今の世の中ですが、健康寿命がそれほど高くないということはなぜかあまり問題視されていないように思います。
便宜上病気を謳うことでカモにする・される惨状は見過ごせませんが、そうでない人たちも一緒にされてしまうのはそれはそれでいかがなものかと。

101
ナチュラル 2020/05/08 (金) 09:23:33 efa02@151c2

精神医学界によって病気と定められて以降、鬱は病気になったのであり、それまでは単に"精神状態"に過ぎなかった。
その精神状態に鬱病という名称を与えただけに過ぎず、本来病気ではない。
これが私の基本的な立場です。

.....新発見によって科学理論が塗り替えられたのは今に始まったことではないが?
むしろ科学史を振り返れば「あ、ごめんwやっぱ間違えてたわw」と二転三転させてばかりなんだけど文句ある?
じゃあお前だけ天動説唱えてれば?
じゃあお前だけ地平説唱えてれば?

専門的な知識を蓄えた上で「お前騙されてるよ?」って言われるのと、
な~んにも知らないくせに「お前騙されてるよ?」って言われるのと、お前ならどっちを信じる?

想像してみ?
お前道端で十字架持ったロン毛の男が「皆さん!あなたたちは騙されています!地球は平らであり、かつ、不動なのです!」って必死に叫んでるやついたらどう思う?

....気の毒だな。って思わね?
勉強してこいよ。って思わね?

俺今そんな気分wwwwwwwwwwwwwww

102
KANAME 2020/05/08 (金) 10:21:55 修正

人間は自我が芽生える過程で強迫性の精神病みたいなもんだって誰か言ってた。
役職名は今回は一応俺のほうで変えてやってるけど気に入らないなら今度から自分で変えろよな。
権限持ってんだから霧雨みたいに言わなくても融通利かせて勝手にやってくれよ。

103
三週まわって新月 2020/05/08 (金) 19:28:54 40118@e26e8

ぽりぽり、これもどこから書けばいいかよくわからんけど、とりあえず、国民への福祉ってのは日本憲法にあるから日本政府はそれを履行する義務があるわけで、個人の感覚やよく練られた思想であっても、それ(福祉)を撤廃するには憲法から変えないといけないわけよね。
しかしそうなると民主主義ってのは成り立たなくなると思うのよ。

なんでかって福祉と一言で書いてるけれども、これには広義において、国民の生存権や、幸福追及権も含まれているから、それらを国が担保しない、保障しないってなるなら、国民各自、選挙以前に生活が成り立たなくなると思うのね。

今、スレの流れである鬱にしても、それが病気の定義に当てはまろうが、当てはまらなくても、その症状が現実生活において支障を出すようであり、なおかつ、国や自治体からの補助、福祉がないのなら、その人の生活そのものが経済的に困窮することが容易に想像できると思うのよね。

で、そうなると、その人は選挙どころじゃないわけじゃん。
そうなると、その人の声は政治に届かなくなるわけだ。
弱者を見捨てるってのは自然界においては当たり前のことなんだけど、でも、それって人間の社会って言えるのかな?

ってのは横に飛ぶからまぁ、いいんだけど。
弱者救済というのは民主主義を行うなら、当然しなければならないのよね。
して、この鬱なんだけど、誰にでもそうなる可能性はあるわけよ。
病気に限らず、事故だってそうだし、そしてそういうのは、当人の才覚もあるけれど、大概の要因は当人を取り巻く環境にあるわけだ。

例えば、スレ主さんの唾棄すべき対象としての、勉強嫌いの子どもにしても、原因を辿れば、当人の親が甘やかしたとか、担当教師が勉強の楽しさを教えなかったとか、あるいは、勉強嫌いにしてしまうような教育をしてしまったとかも十二分に考えられるわけで、それを当人1人だけの自己責任だけで片付けられるとは私は思えないんですよね。

で、こうした環境は選べないわけですよ。
親は選べないし、教師も選べない。
お金持ちの家に産まれ子どもと、そうでない家に産まれた子どもが受ける教育レベルの違いもありますしね。

で、もし、福祉はいらないというのなら、親からの援助、相続というのもいらないと思うんですよ。
「健全な循環をする」という意味で自然界を見てみましょう。
親が死ぬまで子どもの面倒を見るというのは非常に稀なことですね。
大概の親は、独り立ちするのに必要な技術を教え、後は自然界に任せます。
魚類なんかもっと酷い。
卵のまま自然界に放置ですから(笑)

人間はこれができますかね?
つまりは教育は義務教育までで、高校、大学はその子どもが自力で学費や生活費を稼ぎ、親は一切の援助をしない、あるいは禁止する。
これができるなら、福祉も撤廃して、自己責任という言葉だけで全てを片付けるのもありだと思いますよ。

105
天使 2020/05/10 (日) 17:59:55 修正

>> 100
遅くなりましたね。
寝ずに返事を考えていたら3日くらい経過していましたすみません。

さっそくですが何度同じことを説明すれば分かるんですか。

確かに「鬱が病気であることはおかしい」という旨の発言をしておりますが、それは医学的側面からの主張ではないと再三言っているはずです。

医学的に鬱が病気だと定義されていることは認めているし、その定義について異存があるわけではないと言っている人間に、なぜ医学的に否定される根拠を求めているのか理解しがたい。

私が医学的立場から鬱が病気でないと主張しているのならば、そこに医学的根拠を求められることは必然ですが、私はそういう立場にいません。

括目してください。

私は医学的に鬱が病気であることを否定する人間ではない。
故に、鬱が病気でないとする医学的根拠を提示する立場にいない。
根拠がないのではない。根拠を示す必要が無い。
そもそもそこに根拠を求めんとすることこそが、話を理解できていない事実を端的に表しています。

こまりますよ。
ほんと、なんのはなしをしているのかわかってないじゃないですか。

いいえ違いません。お前が言ってるのは「便宜上のうつ病」の話です。

えっと、まず「便宜上のうつ病」とは何のことですか?
文章から推測するに、うつ病とは自律神経がONでもOFFでもない状態にあるものであるが、そうでないものを「便宜上のうつ病」だと理解してよろしいでしょうか?

以下、その前提で話を進めますが、まず便宜上のうつ病は"病気"に該当するのでしょうか?
まずその点をはっきりさせてほしいです。
加えて各ケースについて先に書いておきますので、同時に返答もお願いします。

ケース1:「病気に該当する場合」
便宜上のうつ病というものが病気であるのなら、「データとしてはっきり読み取れる」と矛盾をきたします。

ケース2:「病気に該当しない場合」
便宜上のうつ病というものが病気でないのなら、医者という医学側がうつ病と診断している状況で、病気ではないとする医学的根拠の提示をお願いします。
つまりは、自律神経がONでもOFFでもない状況にある場合以外はうつ病ではないという根拠の提示です。
また、このケース2である場合、「うつ病は病気ではない」を完全には否定できなってしまう、それどころか限定的に肯定することに繋がることもお忘れなくですよ。

そもそも自律神経のくだりについて調べてみたんですが、自律神経の働きへの障害は「自律神経失調症」と言い、うつ病とは区別されるようです。併発することが多いらしいですが。
うつ病の診断基準は自律神経うんぬんではなく、あくまで精神的な症状。
精神的な症状であるならば、やはり明瞭なデータに基づくことはないと思います。

私はもともと劣等種は駆除すべきだと主張しているわけで、そこに人間の"心の清冽さ"は区別しません。
真面目だろうが不真面目だろうが、うつ病という用意された逃避場に隠れこみ、公金をむさぼることで生にしがみつく人間は死ぬべきと考えています。
どうしても救いたいのなら税金を使うのではなく、同じ考えの人同士がお金を出し合いそれを財源する制度にしたらいいのです。
彼らを生かす必要があるのならこの制度でも回るでしょうし、逆に回らないことは彼らを生かす必要はないと人々が考えているということですから。

うつ病と科学の発展は違います。

化学には何らかの発見があるが、うつ病にはその発見が無い。
化学は現象の原因を究明することであるが、うつ病は現象に名称を与えているに過ぎない。

今はやりの

反社会性パーソナリティ障害、
回避性パーソナリティ障害、
境界性パーソナリティ障害、
依存性パーソナリティ障害、
演技性パーソナリティ障害、
自己愛性パーソナリティ障害、
強迫性パーソナリティ障害、

といったパーソナリティ障害は単に現象に名称を与えているにすぎず、これによってそれまでは障害とは区分されなかったことが、たちまち障害と区分されるような社会となった。

うつ病も同じである。
定義する必要のないものに名称を与えてうまれた病、それがうつ病なのである。

106
KANAME 2020/05/10 (日) 18:19:37 修正

「日本では最低限の安全と生活が保障されている」というのはまさに神話。
底辺校の生徒たちをご覧ください。
グレて、ひきこもり、自殺し、学校をリタイアする生徒たちの家庭環境がどのようなものであるか。
ヨーロッパの国々と比較すると、いかに日本が福祉の面で遅れているかがわかると思う。
天使が言うようにこの事態を個人の努力不足って問題で片付けるのは乱暴すぎじゃない?


なんでかって福祉と一言で書いてるけれども、これには広義において、国民の生存権や、幸福追及権も含まれているから、それらを国が担保しない、保障しないってなるなら、国民各自、選挙以前に生活が成り立たなくなると思うのね。

アリストテレスの『ニコマコス倫理学』で、「人生の最高目的は《幸福》であり、みなそれに向かって生きるはずだ」という考え方がある。
ラカンが「主人の倫理」(éthique du maître)と呼んでいるもの。

ラカンははっきりと「精神分析は、諸々の善のサービス(service des biens)では決してない」(Lacan, Séminaire VII)と言っている。
言い換えれば、不惑の、恒久的な快適さを当人が享受するための理論でも実践でもない。
むしろ、そういう立場をとる思想は「現世御利益宗教」(この教理で世界とあなた自身をみれば、あなたは幸せになりますよ)とか、サラリーマン向けの「処世術指南書」(「武田信玄の哲学に学ぶ!」なんてサブタイトルがついてる似たような類の量産されている本)に該当するものでしかないと。

結局、現代では勉強やスポーツを通じて得られる社会的地位も経済力も暴力の代替手段にすぎず、自己実現を果たすための道具なのである。

「自己実現」という考え方は、いわゆる「自分探し」と同じで、暗黙のうちに「理想自我」の探求に終始するだけで、自足的なことに終始してしまう。
いや、自分ひとりでそれをやっている限りはいいのだが、教育者がそれをすると、当の教育者にとっての「理想自我」あるいはそこへ近づくためにのみ有効な手段を、生徒たちに押し付けることになりかねない。

フランスでは、そういう宗教的なあまりにもおかしな心理療法家が出てくるので、心理療法家の資格を国家統一しようとして(アコワイエ法案)、精神分析家たちの猛反対を食らい国が法案を撤回した、という経緯があるらしいけど、日本ではまったく反対に、すでに指摘されてるような「搾取」が横行してるみたいだから、心の問題を取り扱う人たちの基準をもっと引き上げるべきじゃないかとは思うよ。
医学部医学科に入る人たちに課す基準は、世界でも有数なほど高いのに、心の問題を扱う人たちの基準があまりにも低すぎて、いいかげんなカウンセリング、いいかげんな「励まし」でダメになっていく子供は少なくないんじゃないかな。

107
ナチュラル 2020/05/10 (日) 21:10:05 修正 ea284@151c2

確かに「鬱が病気であることはおかしい」という旨の発言をしておりますが、それは医学的側面からの主張ではないと再三言っているはずです。

医学的に鬱が病気だと定義されていることは認めているし、その定義について異存があるわけではないと言っている人間に、なぜ医学的に否定される根拠を求めているのか理解しがたい。

私が医学的立場から鬱が病気でないと主張しているのならば、そこに医学的根拠を求められることは必然ですが、私はそういう立場にいません。

いやww
そもそも「病気」ってのは「医」ってもののカテゴリーだろうがよwww
なのに医学とは別の観点から「病気ではない(病気であるのはおかしい)」ってそもそも日本語として破綻してんじゃねえかwwww
「医学的には病気だけど病気じゃないもの、これな~んだ?」ってなぞなぞかよwwwwwwwwwwwwwwww

もう1回言うけど、医学が病気と判断したものを「病気として扱うのがおかしい」って言いたいなら医学的根拠でなくちゃ通用しない理屈が何で分からねえの?
医学ってのはつまり科学だ。科学の意味分かるか?
科学ってのはあらゆる物事について観測データ等を集めることで法則性を導き出して解明しようとする試みのことだ。
「神は死んだ」のセリフから始まり今日に至るまでに著しく発展してきた理由はそこにある。
つまり医学(科学)ってだけで「病気扱いする妥当性」は保証されてんだよ。

108
ナチュラル 2020/05/10 (日) 21:12:45 修正 ea284@151c2

構文の都合で返す順番が上下するけど返すべき点にはちゃんと返すから気にしないでくれな。
それと「本物のうつ病」と「便宜上のうつ病」と分けて書いてるのにケース1が出てくるのマジで意味不明です。

自律神経のくだりについて調べてみたんですが、自律神経の働きへの障害は「自律神経失調症」と言い、うつ病とは区別されるようです。併発することが多いらしいですが。

自律神経云々についてだけど、うつ病の合併症として起こるものとそれに起因しないものとでは性質は異なるよ。

うつ病ってのは主にストレスによって脳がダメージを負いすぎてこの修復機能が完全にぶっ壊れた状態なんだ。
ぶっ壊れてるからストレスはずっと溜め込んだままだし、そのストレスによってまたさらにストレスが溜まる。
だからもしストレスの元凶を解決できても、修復機能は壊れたまんまだから脳内に溜まった大量のストレスもそのままだから、そのほったらかしにされたストレスが新たなストレッサーとなって悪循環が起こってしまう。

この「ほったらかしにされたストレスによって更にストレスを感じてしまう」っていうのは麻薬を打った途端わけもわからず興奮や高揚を感じたりするのと同様に、自分は何に不安を感じていて何をどうしたいのかも分からないのになぜかすごくしんどい状況にあるってことなんだ。
この内側だけの作用が、つまりはONともOFFともならない異常を引き起こしているんだよ。
何かしらの思い出が脳内でちらついているわけでもないから明確な緊張や不安を覚えているわけでもないけど、ずっと落ち着いているわけでもない。

ONでもOFFでもないというのはこういうことなんだ。
生活習慣の乱れだとかでは単にONとOFFの切り替えがあまりにも無秩序だから起こる身体の不調でしかなくて、前にも言った通り切り替え自体はできている。

なので、

うつ病の診断基準は自律神経うんぬんではなく、あくまで精神的な症状。

というのは間違いなので、

「うつ病は病気ではない」を完全には否定できなってしまう

こともないんですね。
これを踏まえた上で、

自律神経がONでもOFFでもない状況にある場合以外はうつ病ではないという根拠の提示

は必要ありません。
単純に自律神経のエラーという表面的な部分ではなくその原因であるだとか、そういうメカニズムの観点も見ているからです。

109
ナチュラル 2020/05/10 (日) 21:13:47 修正 ea284@151c2

「うつ病は病気ではない」を完全には否定できなってしまう、

さっきでも言ったんだけど、「本物のうつ病」と「便宜上のうつ病」を分けて考えてるから、うつ病と言われているもの全てについて言っているわけではないよ。
なので、それらを分けて考えないのであれば

それどころか限定的に肯定することに繋がることもお忘れなくですよ。

については俺も同じ意見を言っているんだけど、天使本当に読んでる?

110
ナチュラル 2020/05/10 (日) 21:14:52 修正 ea284@151c2

現象に名称を与えているにすぎず、これによってそれまでは障害とは区分されなかったことが、たちまち障害と区分されるような社会となった。

何でその現象に名称をつけて一般人とは区別するようになったかって、どう考えても一般人とは区別しないと社会活動を維持できないと判断するに足る科学的現象の性質があるからじゃねえの。

P.S.その区切るときの長い横線みたいなのどうやるんですか?

111
詠み人知らず 2020/05/10 (日) 21:17:49 修正

十分な状態で選挙に参加できるかどうかを福祉制度の適応基準にするって発想は中々にグレイト。

勉強嫌いの子どもにしても、原因を辿れば、当人の親が甘やかしたとか、担当教師が勉強の楽しさを教えなかったとか、あるいは、勉強嫌いにしてしまうような教育をしてしまったとかも十二分に考えられる

こうした様々な責任の所在を「国民」という抽象的なゴーストに背負わせるのは
なるほど独裁制よりも心の安寧は得やすいだろうな。

112
詠み人知らず 2020/05/10 (日) 21:27:58 修正

区切るときの長い横線みたいなの

その人の投稿の日付をクリックして「ソース表示」にチェックを入れると
使われているMarkdown記法の原文をそのまま確認できるのじゃよ

113
天使 2020/05/12 (火) 02:31:25 修正

>> 107
段々とお話にならなくなってきましたね。
別に医学側の意見を否定するならば、医学に立脚しなければならないということはないでしょ。
仮にそうだとしたらあまりにも医学優位でそれこそやりたい放題になるわけですが。

特に精神医学界隈は他の科学分野とは大きく性質を異にすることを前回の投稿で説明しましたよね。
科学は現象の発見によって事実が定義されるが、精神医学は現象に命名することをもって事実としていると。

つまり前者は新たな発見によって事実を覆すことができるわけですが、後者は一度決められたらそれまでです。

君が例に出した天動説・地動説のくだりだってそうじゃないですか。
以前は天動説が正しいとされていたのが地動説へと移り変わったように、科学は新発見によってこれまでの理屈を覆せるわけであり、常に「正しさ」が可変的なものとなっています。

一方で精神医学の場合はどうですか。
「○○という症状を○○病とする」と決められたら最後、それを否定すること自体が論理的に無理な不変的な構造なのです。
なぜなら単に名称を与えているに過ぎず、そこに否定されうる理屈を持たないからです。

「お前の名前はナチュラルだ」→これを否定できないのと同じです。

だから医学的に定義されているものを否定する際は、その定義自体を否定するのではなく、そのように定義することの非妥当性を他の側面から追求していく必要があるのです。

そうでもしなければ好き勝手のやりたい放題。

好きなことをやるときは元気だが、嫌いなことをやるときに元気が出ない症状を新型うつとして病気認定された場合、君の理屈ではそれを否定できなくなりますけど問題ないと考えるんですか?

大問題でしょ。

さてさて。
ナチュラルは「便宜上のうつ」は病気でないという立場でよろしいみたいですね。

そしてうつ病とは自律神経がONでもOFFでもない状態にあることで、便宜上の鬱はどちらかの状態にあるということでいいですね??

そしてそれに関してはしっかり根拠を示さないとだめでしょ。
なにが「必要ありません。」だよw

現実に精神科では面談によってうつ病の診断がくだされている。
自律神経のON・OFFをデータから読み取って診断を下すのではなく、ただ面談によってくだされている。
つまり、"うつ病患者は自律神経がONでもOFFでもない状態にあること"が明確でなくてもうつ病という診断をくだされている。
その中にはもちろん、状態がどちらでもない人もいるでしょうし、どちらかの人だっているわけです。

いずれにしろそれらの人は"医者"によってうつ病と診断されているわけですが、後者についてうつ病ではないと否定しているのがナチュラルくんです。

医学側の主張に対して否定をするのなら医学的根拠を示す必要があるというのはナチュラルくんの言葉ですよね?

「必要ありません」で通るのなら、私にしている指摘は一体なんなんですか。

現象に名称を与えるのは金儲けのためです。
それにつきます。

権威ある精神科教授であるローレン・モシャーや精神科医ステファン・クルシェフスキーは次のように述べています。

DSM第四版は精神医学が、概して医学によって認められるように模造して作ったものです。内部の者は、それが科学的と言うよりも政治的な書物であると知っています。(略)
DSM第四版は、そうした最大の欠陥にも関わらず、権威ある書物となり、金を生み出すベストセラーになりました。
私たちは、あなたに継続的に薬物を与えることができるように、気分や考えの正常な変動に対していくらでも診断上のレッテルを作り出すことができる。(略)
疾患を作り出すことに関しては、精神医学に並ぶものはない。

と。

ヤクザなんですよ。

だいたい「不安に対して薬を飲む」という行為の意味を考えてください。
これはその不安を乗り越えようとするのではなく、薬によってかき消そうとする行為です。
言い方を変えれば成長や克服を先送りしているといってもいい。
その結果、薬を飲んでいる限り永久に対処力は身につかないので、一生薬を飲み続けるしかなくなる。

そういう薬をただでさえ不安が強い患者に安易に飲ませるとどうなるか。
依存に気づこうが気づくまいが止めることに対してさらに不安になっていくのは必然でしょう。

こうして精神科医にとっての"優良顧客"は一人また一人と生産されていくんです。

114
ナチュラル 2020/05/12 (火) 11:07:33 修正 64c7e@151c2

別に医学側の意見を否定するならば、医学に立脚しなければならないということはないでしょ。

うん。何で?
科学が如何にまともらしいかは説明した通りだが?

仮にそうだとしたらあまりにも医学優位でそれこそやりたい放題になるわけですが。

もっともまともらしい科学が舵切ってくれるなんて、いいじゃん。もっとやれって感じだよ。

科学は現象の発見によって事実が定義されるが、精神医学は現象に命名することをもって事実としていると。
つまり前者は新たな発見によって事実を覆すことができるわけですが、後者は一度決められたらそれまでです。

言わんとしていることは分かるし、そういう感覚になってしまうのも理解できる。が残念ながらどちらも「A→B」という現象に命名してるだけなのに変わりはない。
ビバ科学と謳っておいてなんだが、科学ってのは見つけた現象に名前をつけたものを集めただけの図鑑でしかないからな。
その現象がその現象たる理由を説明できた試しはないし、つーかそんなこと不可能だろ。
AがあったときBになることを説明するとき、このAとBの間にCがあることを言っているだけで、じゃあ何でCがあったらAとBの関係性が成り立つのか結局説明できてないからな。
これは論理そのものが孕む問題であり、いつか科学がこの世の全てを解明するだろうなんていうのは夢物語にすぎないんだよ。

結局のところ俺らにできるのはその現象があるという事実を認識する程度のことしかないんだな。

問題はその事実を踏まえた上でこれから先どう行動していくのか、だろ?

精神医学だろうがなんだろうが医学というものはそれを実行しようとしていて、それらはこれからの意思選択をしていく上でとても参考になることをしてくれる。
分かるか?
医学はただその現象があって終わりじゃないんだ。その現象を踏まえた上でどうすれば合理的に効率的に生きていけるかヒントをくれる。科学を役に立てようとしてるんだ。

>> 110でも言ったが、役に立てようのない現象に、人の役に立とうとしている医学がわざわざ命名するわけないだろ?
その現象に命名し医学として取り扱うのには確固たる理由と目的があるからに決まってんだろ。

だからな?

その定義自体を否定するのではなく、そのように定義することの非妥当性を他の側面から追求していく必要があるのです。

と定義することの妥当性を問うことは構わねえけど、それならばせめてその現象についてよく知り加味した上で「いや、この現象は医学として取り扱うに足らないものだ」と論理づけて証明する必要があるんだよ。
その現象についても無知で、あまつさえそれが精神医学として立派な病気として取り扱われるようになった理由や背景を想像することもせず、何となくのイメージだけで病気とするのはおかしいだなんて滅茶苦茶すぎるわ。

というわけで、否定したいのならその現象について科学的な観点から解明したのち、それの具体的にどこが無意味なものなのか説明してくださいね☆

そしてそれに関してはしっかり根拠を示さないとだめでしょ。
なにが「必要ありません。」だよw

いずれにしろそれらの人は"医者"によってうつ病と診断されているわけですが、後者についてうつ病ではないと否定しているのがナチュラルくんです。
医学側の主張に対して否定をするのなら医学的根拠を示す必要があるというのはナチュラルくんの言葉ですよね?

「便宜上のうつ病」って言ってんじゃん。
つまり医者もうつ病じゃないのは分かってるけど、治療するために「うつ病」かあるいはそれの「予備軍のような何か」という大義名分が欲しいんだよ。
それについては>> 80で既に述べてますので。

「必要ありません」で通るのなら、私にしている指摘は一体なんなんですか。

いやいや^^;
お前は診断がどうこう以前にまず医学の中で「うつ病」という病気が確立されていることについて違和感を訴えてるんだよな?
あの偏差値の高い人たちが頭フル回転させた末に病気だっつったんなら、それなりの背景なり事情なりがあるんだろうよ。
それらを検証するためには少なくとも予備知識としてうつ病のメカニズムだとか科学的な情報が必要不可欠だろ。
それがあって初めて「このXという現象はそういうものであり、そういうものは医学として扱う必要のないαという性質しかない」みたいなことが言えるんだからな?

対して俺は医学的な情報を踏まえて指摘しようのない完璧なロジックを構築している。
少なくとも何の知識もないお前が付け入る隙はねえよ。はいやり直し^^

権威ある精神科教授であるローレン・モシャーや精神科医ステファン・クルシェフスキーは次のように述べています。

DSMを作ったのはアメリカ精神医学会であり使われているのもアメリカ合衆国のみなので、精神医学そのものへの批判にはなってないですね。ハイ。
心療内科やメンタルヘルスが科学に基づいていないのかについて色んなワードで検索を試みてみたけど、どのDSMについてへの批判しか出てこなかったですね。ハイ。