>> 107
段々とお話にならなくなってきましたね。
別に医学側の意見を否定するならば、医学に立脚しなければならないということはないでしょ。
仮にそうだとしたらあまりにも医学優位でそれこそやりたい放題になるわけですが。
特に精神医学界隈は他の科学分野とは大きく性質を異にすることを前回の投稿で説明しましたよね。
科学は現象の発見によって事実が定義されるが、精神医学は現象に命名することをもって事実としていると。
つまり前者は新たな発見によって事実を覆すことができるわけですが、後者は一度決められたらそれまでです。
君が例に出した天動説・地動説のくだりだってそうじゃないですか。
以前は天動説が正しいとされていたのが地動説へと移り変わったように、科学は新発見によってこれまでの理屈を覆せるわけであり、常に「正しさ」が可変的なものとなっています。
一方で精神医学の場合はどうですか。
「○○という症状を○○病とする」と決められたら最後、それを否定すること自体が論理的に無理な不変的な構造なのです。
なぜなら単に名称を与えているに過ぎず、そこに否定されうる理屈を持たないからです。
「お前の名前はナチュラルだ」→これを否定できないのと同じです。
だから医学的に定義されているものを否定する際は、その定義自体を否定するのではなく、そのように定義することの非妥当性を他の側面から追求していく必要があるのです。
そうでもしなければ好き勝手のやりたい放題。
好きなことをやるときは元気だが、嫌いなことをやるときに元気が出ない症状を新型うつとして病気認定された場合、君の理屈ではそれを否定できなくなりますけど問題ないと考えるんですか?
大問題でしょ。
さてさて。
ナチュラルは「便宜上のうつ」は病気でないという立場でよろしいみたいですね。
そしてうつ病とは自律神経がONでもOFFでもない状態にあることで、便宜上の鬱はどちらかの状態にあるということでいいですね??
そしてそれに関してはしっかり根拠を示さないとだめでしょ。
なにが「必要ありません。」だよw
現実に精神科では面談によってうつ病の診断がくだされている。
自律神経のON・OFFをデータから読み取って診断を下すのではなく、ただ面談によってくだされている。
つまり、"うつ病患者は自律神経がONでもOFFでもない状態にあること"が明確でなくてもうつ病という診断をくだされている。
その中にはもちろん、状態がどちらでもない人もいるでしょうし、どちらかの人だっているわけです。
いずれにしろそれらの人は"医者"によってうつ病と診断されているわけですが、後者についてうつ病ではないと否定しているのがナチュラルくんです。
医学側の主張に対して否定をするのなら医学的根拠を示す必要があるというのはナチュラルくんの言葉ですよね?
「必要ありません」で通るのなら、私にしている指摘は一体なんなんですか。
現象に名称を与えるのは金儲けのためです。
それにつきます。
権威ある精神科教授であるローレン・モシャーや精神科医ステファン・クルシェフスキーは次のように述べています。
DSM第四版は精神医学が、概して医学によって認められるように模造して作ったものです。内部の者は、それが科学的と言うよりも政治的な書物であると知っています。(略)
DSM第四版は、そうした最大の欠陥にも関わらず、権威ある書物となり、金を生み出すベストセラーになりました。
私たちは、あなたに継続的に薬物を与えることができるように、気分や考えの正常な変動に対していくらでも診断上のレッテルを作り出すことができる。(略)
疾患を作り出すことに関しては、精神医学に並ぶものはない。
と。
ヤクザなんですよ。
だいたい「不安に対して薬を飲む」という行為の意味を考えてください。
これはその不安を乗り越えようとするのではなく、薬によってかき消そうとする行為です。
言い方を変えれば成長や克服を先送りしているといってもいい。
その結果、薬を飲んでいる限り永久に対処力は身につかないので、一生薬を飲み続けるしかなくなる。
そういう薬をただでさえ不安が強い患者に安易に飲ませるとどうなるか。
依存に気づこうが気づくまいが止めることに対してさらに不安になっていくのは必然でしょう。
こうして精神科医にとっての"優良顧客"は一人また一人と生産されていくんです。