ぽりぽり、これもどこから書けばいいかよくわからんけど、とりあえず、国民への福祉ってのは日本憲法にあるから日本政府はそれを履行する義務があるわけで、個人の感覚やよく練られた思想であっても、それ(福祉)を撤廃するには憲法から変えないといけないわけよね。
しかしそうなると民主主義ってのは成り立たなくなると思うのよ。
なんでかって福祉と一言で書いてるけれども、これには広義において、国民の生存権や、幸福追及権も含まれているから、それらを国が担保しない、保障しないってなるなら、国民各自、選挙以前に生活が成り立たなくなると思うのね。
今、スレの流れである鬱にしても、それが病気の定義に当てはまろうが、当てはまらなくても、その症状が現実生活において支障を出すようであり、なおかつ、国や自治体からの補助、福祉がないのなら、その人の生活そのものが経済的に困窮することが容易に想像できると思うのよね。
で、そうなると、その人は選挙どころじゃないわけじゃん。
そうなると、その人の声は政治に届かなくなるわけだ。
弱者を見捨てるってのは自然界においては当たり前のことなんだけど、でも、それって人間の社会って言えるのかな?
ってのは横に飛ぶからまぁ、いいんだけど。
弱者救済というのは民主主義を行うなら、当然しなければならないのよね。
して、この鬱なんだけど、誰にでもそうなる可能性はあるわけよ。
病気に限らず、事故だってそうだし、そしてそういうのは、当人の才覚もあるけれど、大概の要因は当人を取り巻く環境にあるわけだ。
例えば、スレ主さんの唾棄すべき対象としての、勉強嫌いの子どもにしても、原因を辿れば、当人の親が甘やかしたとか、担当教師が勉強の楽しさを教えなかったとか、あるいは、勉強嫌いにしてしまうような教育をしてしまったとかも十二分に考えられるわけで、それを当人1人だけの自己責任だけで片付けられるとは私は思えないんですよね。
で、こうした環境は選べないわけですよ。
親は選べないし、教師も選べない。
お金持ちの家に産まれ子どもと、そうでない家に産まれた子どもが受ける教育レベルの違いもありますしね。
で、もし、福祉はいらないというのなら、親からの援助、相続というのもいらないと思うんですよ。
「健全な循環をする」という意味で自然界を見てみましょう。
親が死ぬまで子どもの面倒を見るというのは非常に稀なことですね。
大概の親は、独り立ちするのに必要な技術を教え、後は自然界に任せます。
魚類なんかもっと酷い。
卵のまま自然界に放置ですから(笑)
人間はこれができますかね?
つまりは教育は義務教育までで、高校、大学はその子どもが自力で学費や生活費を稼ぎ、親は一切の援助をしない、あるいは禁止する。
これができるなら、福祉も撤廃して、自己責任という言葉だけで全てを片付けるのもありだと思いますよ。