まだ考えない人
d0070d6c48
2024/06/04 (火) 22:21:26
2024年6月4日、夏。
かつてこの地で戦い、数多くの戦闘に従軍した男は
様変わりした東洋の大都市のど真ん中にいた。
南昌の上空をアエロAe-914が優雅に飛行しており…
彼はその中に押し込められていた。
「畜生、何だって俺がこんなこと…」
眼下に広がる雑多な大都市を見て呟く。
あらゆるところにビルやらマンションやらが立ち上り、
日の光を反射させて真っ白く光っている。
…どこかの都市を「東洋の真珠」と比喩した首相が昔いたらしいが、
たぶん彼か彼女はこういう光景に対する皮肉やら何やらを込めてそう言ったのだろう。
そんなことを無意識に考えていた。
「間もなく、当機は南昌昌北国際空港に到着いたします。
天気は晴れ、気温は約…」
そんな放送が英語、チェコ語、ベトナム語、中国語で流れた。
スピーカーの性能が悪いせいで何を言っていたのかはよく分からなかったし、正直分かりたくもなかった。
…現地の気温なんて、はるか下に広がる真珠もどきを見れば一目瞭然だ。
またそんなことを考えていた。
彼の名はエドゥアルト・ブラーズディル。
チェコクリパニア陸軍の第7騎兵空挺旅団に所属する、
トラスト戦争を戦い抜いた熟練兵だ。
何故、この男はわざわざ戻りたくもない場所に戻ってきたのか?
…話は2か月前に戻る。
通報 ...
2か月前。
ハノイのアパートの1室で、彼はかつての相棒と不毛な議論を交わしていた。
「…向こうを見てこいだって?」
「トラスト地方の治安とか、色々不安なことが多いんですよ。
再び危険な目にあうのは嫌ですし…」
さて、ここでもう2人分の説明をしなければならない。
1人はイェロニーム・ミハルチーク。
トラスト侵攻時代の同僚であり、数多くの視線を潜り抜けてきた相棒だ。
終戦後はとびっきりの美人と結婚し、幸せな結婚生活を送っていた…らしい。
らしいとわざわざ言うのは、終戦後彼と会う機会があまりなかったからだ。
一応名誉のために言っておくと、理由は仲が悪くなったなどではなく、単に結婚準備のせいである。
もう1人はヤロミーラ・ルニェニチュコヴァー。
彼の結婚相手で、長い黒髪、子供っぽい笑顔、綺麗な肌とかなりの美人。
あまり会った事はないが、見た目通りのとびっきり明るい女性らしい。
話を会話に戻す。
「つまり、俺をポイントマン 代わりに使うってことか?」
「…まあ、そうと言えばそうですけど…
あらかじめ下見ってできます…かね…?」
目の前にいるこの同僚兼相棒に背中を見せて帰りたくなったが…
良心がそれを許さなかった。
考え始める前に、なぜか無意識のうちに了承していた。
たぶん戦時中の癖か何かだったんだろうが、もはや知るすべはない。
本人すら知らないのだから…。
再び、話を南昌昌北国際空港に戻す。
彼は日光照り付けるアスファルトの上で、
遠くに運ばれている旅客機を見つめていた。
特に理由はなかったが、視線が自然にその方向へと向いていった。
アエロ Ae-914が2重反転プロペラのけたたましい騒音を響かせながら、
1台の半装機式オートバイにゆっくりと牽引されて行っている。
何故、わざわざジェット全盛期のこの時代に
こんなターボプロップエンジンの大型旅客機を運用しているんだろう?
多分予算とか航続距離の問題だろうが、墜落しない限り何ら問題はない。
幸い、コイツは何の問題もなくここまで来れた。
文句を言う気は全くない。
次の瞬間には背を向けて、空港の出口に向かって歩き出していた。
ひとまず外でタクシーでも捕まえて、どっか適当なホテルでも見つけてくるか…。
何せ、下見と言う名の何の目的もない旅なのだ。 気楽に行こう。
…数分後。
彼は全く気楽ではなくなっていた。
「…なあ、俺はタクシーを頼んだんだが。
本当にコイツはタクシーなんだろうな?」
「お客さん、これは3輪タクシーですよ。知らないんですか?」
「ああ、知ってるが… 何というか、そもそもこれタクシーなのか?」
彼の目の前には、幌をかぶせられた1台の半装機式オートバイと
操縦席にまたがった人のよさそうな中年の中国人がいた。
クーラーはないが、幸いなことに扇風機はある。
乗ってみたいような気もするが…
まあ、時間はある。 ゆっくり考えようじゃないか。
エドゥアルト・ブラーズディル
チェコクリパニア陸軍第7騎兵空挺旅団「ルドヴィーク・スヴォボダ」所属。
イェロニームに頼まれて、トラストへと旅行の下見をされられる羽目になる。
イェロニーム・ミハルチーク
チェコクリパニア陸軍第7騎兵空挺旅団「ルドヴィーク・スヴォボダ」所属。
最近結婚した。
ヤロミーラ・ルニェニチュコヴァー
イェロニームの結婚相手。美人。