皆さん議論ありがとうございます。
ひとまず現状を見ての私の見解を以下に書きます。あと、砂場の方に下記の私の見解を反映させた形の第3のサンプルを作成しています。
皆さん私が気にしてたほどにはこだわりがないようでしょうか……? であれば私の方も強くはこだわらないようにします。
正直に言うと、上記の配慮のこだわりを捨てればどちらでも書きようはあると考えています。
文献に直接書かれていることを優先するか、可能性の高い考察を優先するかはどちらでもありで、言い回しに気を付けるだけの問題と考えています。
ひとまず形式的に人数だけ見ると、統率者と書きつつ青字で天理に言及する折衷案のようなものが多い感じでしょうか?
これは1案ベース・2案ベースのどちらにするかとは別件として受け取ってほしいのですが、この件に関しては>> 293と同意見です。読みさえすれば即わかる情報については出典を明記している時点で配慮としては十分だと思います。
これは正直、解説文を書くにあたっての価値観の違いでしかないとは思いますが、個人的には現状の情報の乏しさでそこまでバッサリいってしまうのは危なっかしさの方を強く感じます。
「心臓」が比喩の可能性が高いこと自体は論を俟たないと思います。ただ、比喩であるからには水龍やエゲリアの持つ性質、担っていた役割に関して「心臓」が想起させる要素と共通点があるということを指しているわけですが、「心臓」の持つ要素のうち何がエゲリアと共通しているのか、していないのかは現状の情報の乏しさではほとんど判別できないので、今からニュアンスを特定したような表現に置き換えていくのは不安を感じます。
ご意見を受けての自分の考えとしては逆に、その前後の「正体は○○である」という書き方のほうに問題があると感じています。この書き方のせいで「書き手は『心臓』が比喩である可能性を考えず、答えそのものだと思い込んでいる」という印象を与えているのではないかと。なので変えるならこちら、というのが現状の私の意見です。
可能であればこの件も他の方からご意見いただけるとありがたいです。