「検証」「解説」に追求のニュアンスが出るのは理解できますが、それであれば「誤訳」や「妙訳」のワードを残すことの方が、素人目線から「これは粗である」と(ある種上から目線で)断定しているように思えます。個人的に言えば、このページのコンテンツは、単なる好みの押し付けや荒探しのレベルに留まらない、文脈や語義に即して論拠をきっちり示した批判・批評がほとんどであると見受けられるので、遊ばせてもらっているプレイヤーだからといってその辺りは過度にへりくだる必要はないと思います。が、執筆に携わっている方々がそれでも忍びない、身に余るというならばその意思を尊重したいです。その場合は単に「翻訳全般」や「海外版との差異」のみにするのが良いでしょう。どっちみち考察欄に置いてある以上、なんらかの考察・検証を行っているのはこのタイトルでもメニュー欄から察せられると思いますし。
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朝で時間がなく>> 112では十分な言葉選び、作文ができず他の方に語弊を与えてしまったようで申し訳ないです。
粗探し、上から目線といったニュアンスを含める意図はありませんでしたが、今読み返すとどう考えても含まれているので本当にすみません。
検証という単語が翻訳に対する指摘においては必ずしも適当でないのではないかということを言いたかったのです。
検めて証しする、つまり調べ確認して証明する、ということですが、例えばダメージ式であったり聖遺物のドロップ率であったり単純な数値データなどであれば「証明する」ことはほとんど確信を持って行なえます。
しかし文章やその翻訳についてとなると(明らかな誤りを除いて)上の例よりかは確信の度合いが下がるように思われます。例えば「誤訳ではないがニュアンスが反映されていない」翻訳は、これを証明することはmihoyoに問い合わせ無い限り不可能であり、基本的には「~と思われる」という形でしか記載できません。こういったものまで検証と括ってしまうのは少し無理があるのではないか、ということを言いたかったのです。
そのため調べ確認して「証明する」のではなく読み解いて「(編集者の考えを)説明する」というところで「解説」を提案した次第です。
なお#112での言い回しがあのようになったのは、恐らく時間が無い中で急いで理由付けをしようとしたために「証明は難しいのに証明であるとするのは行き過ぎた表現である」→「追及するぞ!/尖っている」というおかしな変換が行われたからと思います。