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今回の講義で何度も同じ質問をされて事実とは異なる供述をしてしまった事件の話を知り興味を持った。被告人は最初の内は犯してもいない罪をかぶるのが嫌で真実を言っていたが何度も高圧的な態度で尋問をされるうちに早くこの場から解放されたいと思い犯してもいない罪をかぶることになってしまった。このような出来事は同じような状況でなくとも起こりうることだと思っている。例えばグループワークなどで立てた計画をメンバーにこの企画で本当に大丈夫ですかと聞かれると次第に自分も本当に大丈夫なのかと不安になってしまうことがあったり、友達に勉強を教えているときに何度も同じ質問を繰り返されるとなぜこんなにも伝わらないんだと苛立ちを覚えてしまうことがある。これは反復質問といい何度も同じ質問を繰り返すことを指すが、それによって相手の心情には不安、怒りを覚えてしまうこともある。なので相手に質問を投げかける際は自分のわからない点をすべて空いて任せにするのではなく自分である程度紐解いたうえで質問しようと思えた。
事態を記述しているだけになっているようです。生態心理学と関連づけるとどういうことになる事例なのでしょうか。そこを語らないとこの授業への投稿としては不足があります。 3点差し上げます。
今回の講義で甲山事件での話が印象的でした。甲山事件で取り上げられた反復質問は、何度も同じ質問を繰り返すことが、相手に「正解を答えなければならない」という印象を与える可能性があることに注目し、子どもや認知的に未成熟な人々に対しては、反復質問が記憶を改変したり、誤った供述を誘発したりするリスクがあることを学び、コミュニケーションは捜査において慎重であるべきだと考えました。反復質問が持つ冤罪を引き起こした可能性について考えると、捜査や裁判の場では、事実に基づいた客観的な証拠が必要である一方で、証言者の心理的な影響も考慮する必要があります。司法制度における人間心理への理解を深め、真実の追求においてどのような配慮が求められるのかを考えるきっかけとなりました。
司法にかかわる心理学の授業ではなく生態心理学の授業ですので、その観点からの考察があるとよかったですね。 3点差し上げます。
今回の講義では、甲山事件の冤罪について印象に残った。その事件の取り調べの際、容疑者は最初は自分はやっていないと否定していたが、検察は容疑者へ何度も高圧的に同じ質問をすることで、容疑者はこの状況を一刻も早く抜け出したいという心理状態になってしまい、噓の自白をし逮捕、冤罪が成立してしまった。これは、連日の長時間による取り調べが肉体的にも精神的にも容疑者を疲弊させ、さらに検察による反復質問による圧が重なりこのような冤罪が起こってしまった。このように、心理状態や相手の圧などの条件が重なれば、事実とは異なる発言をしてしまうことは恐ろしいと感じた。相手に事実を聞き出したい際は、反復質問を繰り返すと間違った答えに誘導してしまう可能性があるため、同じ質問を繰り返さず冷静に聞き出す必要があることが分かった。
今回の授業で反復質問に興味を持ち調べてみると、同じ質問を繰り返し受けることで答えを思いつくために必要な認知的な努力が増加する。このような認知的負荷の増加が、最終的に精神的なストレスや混乱を引き起こす可能性がある。同じ質問を繰り返し聞かれることにより、答えを考える過程で自己分析や再評価が促進されることがあり、質問者の意図が明確でない場合、答え手は無意識的に自分の考えを強化するか、疑問に思い始めることがあり、これが認知的不協和を生み出すこともあるそうだ。反復質問は相手にストレスを与えるため、真実に導いてくれるときもあれば間違った答えに導くときもあるため注意するべきだと感じた。
今回の講義では、前回学んだ相手の行為が後で決まることであれば、決まらないことについてより前回の講義より深く理解することができた。今回の講義でも出た、先生と生徒との会話の中で、先生が「 今日の講義は人が多くて嬉しい 」と皮肉で行ったにも関わらず、生徒は皮肉とは捉えず、「先生の講義は面白いですからね 」と先生が言った言葉を皮肉とは捉えず、本心で捉えて返答した。この話で理解が深まった点は、会話は相手に自分の言っていることを知覚させているのだと言うことが改めて理解できた。これは、前回までの講義で学んだ、生態心理学の環境が行為をアフォードしてくれるとことに繋がると言うことに気づきました。相手がいるという環境がで会話という行為をアフォード、すなわち自分の言っていることを相手に理解させるということを可能にしているということが理解が深まりました。
「会話は相手に自分の言っていることを知覚させているのだ」で終わるのでなく、他者の知覚の知覚は難しいこと」や、その理由は「他者の知覚は他者の行為を通じてしか伺えないこと」などにまで考えが及ぶとよかったです。また「理解」を積極的に達成されるものと考えている節がありますが、そうではないというのが授業の結論だったように思います。もっとも、この先の議論もあるのですが。そこまで考えて書いてくれているかどうか、この文章では判断がつきません。対モノと違う対ヒトの知覚と、相互行為調整に着目できた点はよかったと思います。 6点差し上げます。
今回の講義では隣接対と選好について学んだ。隣接対は質問に対してその質問に適した返答がされるとこで、検事と証人のやり取りで検事は証人から特定の回答を引き出そうし質問するが、証人は選好しようとする。その回答次第で検事の質問と噛み合わないことが起き、コミュニケーションとして成り立たないことがあると分かった。この例として先生が言ったカツアゲの話が印象的だった。カツアゲする側がされる側に「ごめんなさい」と言われると向こうはなぜ謝っているのかと困惑するという。このズレが検事との取り調べ中にも起こったのだと思った
「検事は証人から特定の回答を引き出そうし質問するが、証人は選好しようとする」、この文の意味がわからないです。選好を発話内容に関わること捉えているように見えますが、それは誤解です。選好とは、どういう種別の発話行為が選ばれるのかに関係することです。カツアゲの事例は、第一成分と第二成分でどういう隣接対が構成されているのか、会話の参加者の間で一義的に決まるものではなく、互いの解釈に依存するということをいうために示しました。検事は第二成分である被疑者の発話を「謝罪」とみなしましたが、被疑者からすると「要求」だったのです。しかし「謝罪」と解釈することも可能なので、コミュニケーションがズレているにも関わらず、ズレを隠しながら進行するコミュニケーションが実現していたということです。 5点差し上げます。
採点対象となる投稿は締め切りました。ありがとうございました。
続いて「最終レポート」のお知らせをします。
「最終レポート」の課題と解答を投稿する際の注意
・いつものweb掲示板に投稿すること。https://zawazawa.jp/CognitiveScience23/topic/1 ・1回の投稿では1課題のみに解答すること(「課題ごとに投稿を分けなさい」という意味です)。1回の投稿で複数課題を解答した場合は、最初の解答のみを採点します。 ・冒頭に課題番号をつけて、どの課題への解答であるかかがわかるようにすること。 ・課題ごとに締切が異なるので注意すること。 ・これまでの平常点で30点以上獲得している人のみに投稿する資格があります。 ・採点はこの掲示板上で行ないます。ただしコメントはつきません。
2/4(火)23:59まで [課題1] 認知科学の歴史において、「ある考え(学説、人間観)から別の考え(学説、人間観)に変わった」事例を挙げ、その変化がどういう歴史的意義を持っているのかを述べなさい。 (25点)
2/5(水)23:59まで [課題2] ヒト対モノ、あるいはヒト対ヒトにかかわる現象を一つ挙げ、生態心理学的に解説しなさい。極力生態心理学の概念を用いること。また生態心理学の考え方と相入れない概念は使用しないこと。例えば「心(脳)が情報処理する」とか。(25点)
2/6(木)23:59まで [課題3] 環境内のある対象を見て(聞いて、触って、味わって、などでもよい)、「・・・であるとわかる」のはどうしてか。あるいは、やはり環境内のある対象に対して「・・・することができる」と思えるのはどうしてか。対象を特定する情報や、対象が有する行為の可能性(アフォーダンス)がどういうものかが明確になるように、「環境内の対象」と、対象を特定する「情報」あるいは対象から知覚されるアフォーダンスを記述しなさい。なお情報やアフォーダンスはあなたの属性と関連しているはずである。あなた側の属性とそのあり方についても触れること。自分で体験してみた結果を書くのもよい。 例) ある幅を持つスペース(隙間)が肩を旋回させずに通り抜けられる幅であるかどうかの知覚は、「そのスペースの幅」と「私の身体の横幅が最大であるところ(肩幅)」との関係で生じるようだ。自分で試したところ、肩幅の1.3倍を境に旋回運動が起こるようであることがわかった。 (30点)
課題1 講義でやったかは忘れたのですが自分なりに調べて書いてみました。20世紀前半の心理学は、行動主義が主流でした。この学説はスキナーやパブロフが提唱し、観察可能な行動のみを研究対象とし、人間の心の働きについては直接観察できないものとして無視しました。行動主義では、刺激とそれに対する反応の関係を重要視し、学習や適応のメカニズムを解明しようとしました。たとえば、条件反射や報酬による行動の変化などが主な研究対象です。しかし、1950年代から1960年代にかけて、行動主義では説明できない問題が明らかになり始めました。例えば、人間が記憶や言語をどのように処理しているのか、刺激と反応の関係では十分に説明できませんでした。このような状況を変える新しい学問が認知科学です。認知科学では、人間の心を情報処理システムとして捉え、記憶、思考、判断、言語理解といった内部のプロセスを研究対象としました。パソコンの動作を人間の心の働きに重ね合わせ、心は情報を処理するものとする動きが広がりました。この動きの歴史的意義は3つあります。1つ目は、心理学の研究対象が広がり、今までの行動だけではなく、記憶や思考などの目に見えない心の働きについても研究できるようになりました。2つ目は、心理学が計算機科学や神経科学、言語学などの学問分野と結びつくことによる融合が進みました。3つ目は、これらの研究は人工知能の基礎になって、現在の情報技術や人工知能研究にも大きな影響を与えています。このように、行動主義から認知科学への転換は、心の働きを理解する方法を変えて人間についての新しい視点を生み出した点で歴史的な意義があると思いました。
20点差し上げます。
課題2 コミュニケーションにおけるIRE連鎖を生態心理学的説明します。IRE連鎖とは発問と応答と評価とで構成され、教育や対話場面においてよく見られるやり取りのことです。生態心理学は、人間の行動や知覚を環境との相互作用の中で理解しようとします。この視点でIRE連鎖は環境と行動の適応的調整によって対話を試みたとされます。まず、発問は発問者が環境に働きかける行動です。この働きかけは生徒や会話の相手などの応答者にとっての行動を誘発する環境的手がかりであるアフォーダンスになります。発問の内容や状況は応答者がどのように行動するかに影響を与える要素になります。次に、応答では環境対して取る行動を見ることができます。この応答はただ知識を表現する行為ではなく、発問者との相互作用によって環境に適応する試みです。最後に、評価は応答者に対するフィードバックとなります。このフィードバックは新たな行動を生み出す手がかりとなり、環境とのさらなるやり取りを誘発します。例えば、ポジティブな評価は次の応答への動機付けを高め、ネガティブな評価は環境に対する別の適応行動を促します。このように、IRE連鎖は、生態心理学の視点から、個人と環境が相互に影響し合いながら適応的な行動を繰り返すものとして説明されます。学びやコミュニケーションはこの相互作用を通じて成立しています。
18点差し上げます。
課題3 雪を触って冷たいと感じるのはなぜかを説明します。まず、雪が持つ情報を4つの観点から説明します。1つ目の視覚情報では、雪の白さや光の反射は周囲の環境を特定する手がかりとなります。また、積もった雪の量や地形から地表の状態を推測できます。2つ目の触覚情報では、 雪の冷たさや柔らかさ、さらさらした感触や湿った感触は雪の状態を見分ける情報になります。3つ目の聴覚情報では、雪を踏むときの音である「ぎゅっ」という音などから雪の密度や水分を推測できます。4つ目の温度や湿度情報では、雪の存在自体がその場所の気温や湿度に関する情報になります。次に、雪が有するアフォーダンスについて4つの観点から説明します。1つ目の滑るでは、雪の表面の状態によって人は意図的に滑ることであるそり遊びやスキーか無意図的に滑ることである転倒可能性を持ちます。2つ目の掴む、投げるでは、雪は手で圧縮すると形を保つ特性があるので雪玉を作って投げる行動を可能にします。3つ目の作るでは、雪だるまやかまくらを作るなどの構造物を形作るアフォーダンスを持ちます。4つ目の歩行、移動では、雪の状態によって足を高く上げたり滑りに注意して歩いたりといった調整が求められます。これにより、雪は移動の仕方に影響を与えるアフォーダンスを提供します。5つ目の冷却では、雪は熱を吸収するため、物体を冷やしたり、暑い体を冷やす手段として利用可能です。このことから、雪を触ると冷たいと感じるのは触覚情報から雪の冷たさを感じて冷却のアフォーダンスによるものだと考えられます。また、人間が触覚や温度を感じる機能や雪遊びをすると寒い、雪は冷たいから触る時は手袋を履くなどの能力と経験があるのも雪を触ると冷たいと感じる原因だと考えられる。
25点差し上げます。
課題3 私には使ったものを片付けずに適当な場所に置いてしまう癖がある。よって私にとってどのような場所が「ものを置く場所」というアフォーダンスを知覚させるのか考えてみた。 まず、よくものを置いてしまう場所を調べてみた。その結果、少なくとも普段置こうとする最大のもの(ノートパソコン)が安定して置ける面積があること、反りやがたつきのない概ね床と平行な面であること、床からの高さが0cm(床そのもの)、約75cm、約85cmの3種類に分けられることが分かった。 家の中での私の姿勢は大きく分けると立つ、椅子に座る、布団に寝そべるの3つになる。よくものを置く場所が床からの高さで3つに分けられることから、姿勢ごとにものを置くという行為をアフォードする場所の高さが違っていると考えた。確認してみると、立っているときによくものを置く場所は約85cm、椅子に座っているときに置く場所は約75cm、布団に寝そべっているときに置く場所は0cm(床そのもの)であった。約85cmは立った状態、約75cmは椅子に座った状態で手をついて肘の角度が直角に近くなる高さであることも分かった。 また、作業をしている場所からどの程度離れていればものを置く場所というアフォーダンスが知覚されなくなるのかも調べてみた。置いた後に別の行動を阻害するとして移動させたもの以外はその場から動かずに手を伸ばして届く範囲に収まっていた。 これらのことから、私の場合では環境内の ・作業を行う場所から動かずとも手の届く範囲にある ・(寝そべっているとき以外は)その姿勢のまま手をつくと肘の角度が直角に近くなる ・平らで床と概ね平行な面(もしくは床そのもの)である 場所が、「ものを置く場所である」というアフォーダンスを知覚させると言える。
30点差し上げます。
課題1 認知科学の歴史と宗教観の変遷は切っても切れない関係にある。近代の認知科学ではキリスト教の考えから人間をそれ以外の生物や物体と同様に扱うことができなかった。しかし、科学の発展に伴い人間も物体と同じように科学で説明がつくのではないかという考えが登場しはじめた。人間がそれ以外の生物や物体と異なる点である心を科学的に扱いさえしなければ良いという視点から知覚だけを科学の見方で扱うという動きもあったが、宗教観による研究の制限はなくなっていなかった。その後科学の更なる発展によりキリスト教の力は弱まっていった。それでも人間の振る舞いは物質だけで説明できるのかそうでないのかという問題は依然として存在した。そのような心を物質として扱うか否かという二元的な考え方から脱却するきっかけといえるのがゲシュタルト心理学である。ゲシュタルト心理学では人間はもの同士の組み合わせや関係に反応しているという考え方をするのだが、これは現在から見ると「物質を必要とするが、それが何であるかに左右されない」情報という新しい人間観の誕生であったともとれる。ゲシュタルト心理学ではこれらは物質である脳の働きとされているため、物質か否かという問題から完全に脱却したわけではないが、既存の考えで説明できなかった点を説明できるようにする考えの登場という点で科学史の中で意義のある変化だったといえる。
22点差し上げます。
課題2 横一列に並んだ椅子が10脚あり、それらに1〜10の番号が振られているとする。1、3、5、7に人が座っており、そこに人が1人来た場合、その人は9の椅子に座ると考えられる。これは既に座っている人達によって「奇数番目の椅子に座る」という規範が成立していたからである。この規範は最初に座った人が奇数番目の椅子に座っており、次に座った人も奇数番目の椅子に座ったから成立したと考えられる。このように互いの行為によって規範が成立されることを相互行為調整という。
15点差し上げます。
課題2 ヒト対ヒトの例としてエレベーターの順番待ちの例を挙げる。例えば、エレベーターが到着した際、最初に乗ろうとする人がボタンを押してから順番に乗るという行動が見られる。この場合、最初に乗った人がボタンを押すことで、次に乗ろうとする人たちはその行為に従い、自然とその順番で乗ることになる。最初に行った行為が後続の行動に影響を与え、順番待ちという規範が相互行為調整によって成立していく。生態心理学では、環境と行動が密接に関連していると考えられる。この場合、エレベーターという物理的環境の空間と、その中でのヒトの行動の乗り方が相互に作用している。エレベーターが到着するという環境的な状況は、誰が先に乗るか、または後から乗るかといった行動の可能性、アフォーダンスを提供する。最初にボタンを押して乗り始めた人は、その後に続く人々にとって「順番待ち」をするための手がかりを提供する。つまり、最初の行動が次の行動を促すという仕組みが働いている。これにより、エレベーター内での順番待ちという行為が、環境と個体の相互作用によって自然に規範として形成されていく。この場合も、人々は他者の行動に影響されながら、エレベーターに乗る順番を無意識のうちに調整している。
16点差し上げます。
課題3 梅干しを味わって、酸っぱいと感じるのはなぜかを説明する。梅干しは、「酸っぱい」という特性を持っている。これを特定するための情報やアフォーダンスは、梅干しの外見、香り、さらにはその食べたときの味に関する特徴である。まず、梅干しは赤色や小さな丸い形の外見や、酸味を伴う独特な匂いで認識できる。触ったときには、皮がしっかりとした弾力を持ちながらシワがあり、塩分が外側に感じられることから、梅干しだと判断できる。梅干しを見て「酸っぱい」と感じる理由は、梅干しの持つアフォーダンスが関係している。梅干しは、食べるという行為を促す「食べるアフォーダンス」を持っている。そして、梅干しを食べることで感じる酸味は、私の味覚に直接的に刺激を与え、「酸っぱい」という知覚を引き起こす。この酸味は、梅干しが自然に持っている特性であり、梅干しを食べたときに必ず感じる味の要素である。私の属性として、味覚や嗅覚が関与している。特に、酸味を感じる能力が高い私は、梅干しを食べると非常に強く酸っぱさを感じる。この感覚が私の個人的な知覚の仕方に影響を与え、「酸っぱい」という感覚が強調される。加えて、私は小さい頃から梅干しが「酸っぱくて強い味」という文化的な認識を持っており、その知識が私の予測や知覚にも影響を与える。
課題1 認知科学の歴史において、「機械論的心のモデル」から「生態的アプローチ」への転換を例として挙げ説明する。20世紀初頭、心は情報処理機械として捉えられ、外部の刺激を内部で処理して反応を生み出すと考えられた。しかし、1970年代にジェームズ・ギブソンらが提唱した生態的アプローチでは、心は環境との相互作用を通じて動的に働くとされ、知覚や行動が単なる情報処理ではなく、環境との関係によって決まると強調された。例えば、ギブソンの「アフォーダンス」理論は、物や環境がどのような行動を促すかという視点を提供し、これにより人間の知覚が環境との相互作用に基づいていることが明らかになった。この転換は、認知科学における環境との相互作用の重要性を再認識させ、心の理解をより実際的でダイナミックなものに進化させた。また、この新たな視点は、人工知能やロボティクスなどの分野にも影響を与え、認知科学が人間の行動や知覚をより広範囲に理解する道を開いた。この転換には、認知科学の枠組みを広げ、今後の多くの研究に影響を与えたという歴史的意義がある。
課題1 認知科学の歴史における考え方の変遷について、1950年代に始まった認知革命の動きを例に挙げて説明する。認知革命以前の心理学者たちは、人間の本質とは魂かモノかという問題にぶつかった。そこで人間の行動の着目することで合理的かつ客観的に心を捉える行動主義という考え方が主流になった。この行動主義の考えは30年ほど心理学における主流の考えとして学派を支配した。しかし、情報処理の理論やそれに伴うコンピュータ技術の開発によってコンピュータアナロジーの考えが徐々に確立してきた。このブームによって、人間の脳内部の動きをコンピュータによる情報処理の仕組みで説明することが可能になった。例えば、記憶について説明するときには入力と出力の間に処理過程があり、それを貯蔵庫モデルと説明づけることで脳は情報処理を行っていると記述することができた。このコンピュータアナロジーの考えは、時代を追うごとに訪れるAIブームとともに発展していく。この考えの変化は、時代の流行や情勢とともに研究方法や何を根拠に説明をするかということも変化していくことを意味している。
課題1 行動主義(20世紀前半) は、心理学を「観察可能な行動」に限定し、心の内部状態(思考、意識、記憶など)を科学の対象から排除しました。J.B.ワトソンやB.F.スキナーが代表的な学者で、特にスキナーは「人間の行動はすべて環境刺激とその結果の強化によって形成される」と考えました。しかし、1950年代になると、認知科学(認知革命) の考えが登場します。ノーム・チョムスキーはスキナーの「言語行動」の理論を批判し、人間の言語習得には生得的な「普遍文法」があると主張しました。また、ハーバート・サイモンやアラン・ニューウェルは「人間の思考を情報処理システムとしてモデル化できる」と考え、ジョージ・ミラーは「短期記憶の容量(マジックナンバー7±2)」を実験で示しました。これらの研究は、「心をブラックボックスとして扱うべきではない」という認知科学の台頭を後押しします。このように、行動主義から認知科学への変化は、人間の心の理解を深めるだけでなく、AIや教育など幅広い分野に影響を与えた歴史的に重要なパラダイムシフトでした。
投稿する資格がありません
課題2
生態心理学(ジェームズ・ギブソン)では、ヒトと環境の相互作用を理解する際に、「アフォーダンス(affordance)」という概念を用いる。アフォーダンスとは、環境がヒトに対して提供する行為の可能性 であり、ヒトと環境の関係性の中に存在する。例えば、ハサミは「握る」「切る」といったアフォーダンスを持つが、それは単にハサミの形状だけで決まるのではなく、ヒトの手の構造や運動能力との関係の中で成り立つ。左利きの人にとって、右利き用のハサミは適切なアフォーダンスを提供しない。つまり、アフォーダンスはヒトと環境の相互作用として動的に成立するものであり、モノの物理的特徴だけで決まるわけではない。また、ハサミを持ったときに、その使用の仕方を「知覚」することができる。生態心理学では、「知覚=行為の準備」であり、脳内で情報を処理するのではなく、ヒトは直接、環境のアフォーダンスを知覚する。例えば、持ち手が大きく柔らかいハサミは「握りやすさ」を知覚させ、高齢者や子供にとって適切なアフォーダンスを提供する。このように、「道具の使いやすさ」は、ヒトの身体的特徴(手の大きさ、握力など)と道具のアフォーダンスとの関係性によって生じる。設計者は、ヒトがどのようにアフォーダンスを知覚し、行為するかを考慮しながら、環境をデザインする必要がある。
課題3 階段の物理的特徴と、私の身体的・運動的特性が適合するため、「階段は登ることができる」というアフォーダンスが知覚される。例えば、階段の一段の高さが50cmを超えると、私にとって「登ることができる」アフォーダンスは減少し、逆に10cm程度であれば「つまずく可能性がある」と知覚される。また、階段の幅が狭すぎたり、傾斜が急すぎたりすると、アフォーダンスの知覚は変化する。たとえば、崖のような急斜面では「登る」よりも「落ちる」というアフォーダンスを強く知覚し、安全に対する警戒が生まれる。なので「階段は登れる」と思うのは、私の身体的・運動的特性と階段の物理的特性の関係性の中で、アフォーダンスが知覚されるから である。これは情報処理の結果ではなく、直接知覚として成立するものであり、生態心理学の立場から説明できる。
課題1 認知科学の歴史について述べる。諸説あるが1956年頃に「コンピュータ科学」という人間の知的活動を行う機械を作る試みが始められた。その中で異分野の研究者たちが積極的に交流を始め、人間の知的活動についての科学的な研究を統合していこうとする運動が徐々におこり、当時の実験心理学、神経科学、哲学、人類学、情報科学、言語学の分野の若き研究者たちが参加した「ダートマス会議」において認知革命として結実を見せた。これは今までの思考や記憶と行動などといった人間の当たり前とされていた知覚行為に説明付けさせる革新的なものであった。現在の人工知能では人間と会話することができるものや、複数の質問から新たな提案をしてくるものなどその進化には目覚ましいものがある。しかし、それらを実現することができたのは人間の思考を紐解き、言語化することに成功した功績があってこそである。今までの生体に対する刺激とその刺激に対する反応などの観察可能な事柄だけを頼りに知を捉え、刺激から反応を生じさせる生体内部の情報処理という外から観察が難しい事柄にあえて関心を向けなかったという「ブラックボックス化」から脱却し、そのヒトの思考や環境などを踏まえて知覚行動の透明化することに変化したのが比較的最近の認知科学だと考える。
課題1 20世紀前半、心理学の主流は行動主義だった。ジョン・ワトソンやB.F.スキナーらによって確立された行動主義は、「心の内面は科学的に観察できないため、外部から観察可能な行動だけを研究すべきだ」と主張した。特にスキナーのオペラント条件づけの研究は、学習を強化と報酬のメカニズムによって説明し、心的表象や意識の概念を排除した。しかし、1950年代になると、この考え方に対する批判が高まり、認知主義が登場した。ノーム・チョムスキーはスキナーの言語獲得理論を批判し、言語が単なる強化の結果ではなく、生得的な認知構造によって支えられていると主張した。また、ハーバート・サイモンらの研究により、人間の思考は情報処理の過程としてモデル化できるという考え方が広まった。こうした動きを受けて、心理学は「ブラックボックス」とされていた心の内部プロセスを研究対象とするようになった。行動主義が排除していた「記憶」「認識」「問題解決」などの内部過程を研究できるようになった。認知科学が心理学、神経科学、人工知能研究などと統合される契機となった。 人工知能研究の発展によって、人間の思考を情報処理として捉えることで、人工知能の基礎が築かれた。チューリングの計算理論とともに、現代の認知科学とコンピュータ科学の結びつきを強めた。
課題1 課題1の認知科学の歴史において、ある考えから別の考えに変わった事例について説明していく。私が考えるには、認知科学の歴史は行動主義から認知革命が起き、認知科学の考えが生まれたことから歴史的意義が生まれたと考えられる。 その事例について、説明していく。まず、行動主義とは、例えば、心の内面は観察することは勿論だが出来ない。このことから、スキナーは、報酬や嫌悪刺激に適応して、自発的な行動の変化を調べた。これが、スキナーのオペラント条件付けと言う。行動主義の時代は、思考や感情、記憶などはブラックボックスとして扱い無視していたから、スキナーはこのような実験をおこなって、どのように行動するかを検証していた。 次に、認知主義について説明していく。認知主義とは、記憶や感情、記憶などを科学的に存在することを可能する考えであった。簡単に言えば、認知主義の考えは、心の動きは、パソコンのようなに情報を処理するシステムとみなしていた。 結論として、行動主義は、心の中の思考や感情、記憶を無視していたことから、外からでしか見えない行動から心情を捉えていたと考えられる。一方で、認知主義は、心の中の心情はパソコンのように情報を処理して心情は確認していたと考えられる。認知革命がおこり認知科学の考えが生まれたことで記憶や感情、言語などの認知プロセスが実際に存在するということを証明した。
課題2 生態心理学について、人対人に関わる現象で説明していく。例えば、サッカーのプレイで説明していく。サッカーで点を決めるには、連携を取る必要がある。その連携をとるのに重要なのがボールをパスすることである。そのパスをするのには、相手と自分がお互いを知覚し合いパスを出すことで得点を決めることができたり、相手からボールを取らせないプレイに繋がる。生態心理学の考えは、環境が我々の行動をアフォード(可能にする)という考えである。サッカーのパスをする瞬間も、その時に環境が我々の行動をアフォードしているのではないかと考えた。 結論として、生態心理学の考えは環境をアフォードする考えであることから、サッカーのパス判断も、お互いが知覚し合うことで点を決めるという場面でパスを出すことができる。このことから環境が行為をアフォードすると言うことが言えるだろう。
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事態を記述しているだけになっているようです。生態心理学と関連づけるとどういうことになる事例なのでしょうか。そこを語らないとこの授業への投稿としては不足があります。
3点差し上げます。
今回の講義で甲山事件での話が印象的でした。甲山事件で取り上げられた反復質問は、何度も同じ質問を繰り返すことが、相手に「正解を答えなければならない」という印象を与える可能性があることに注目し、子どもや認知的に未成熟な人々に対しては、反復質問が記憶を改変したり、誤った供述を誘発したりするリスクがあることを学び、コミュニケーションは捜査において慎重であるべきだと考えました。反復質問が持つ冤罪を引き起こした可能性について考えると、捜査や裁判の場では、事実に基づいた客観的な証拠が必要である一方で、証言者の心理的な影響も考慮する必要があります。司法制度における人間心理への理解を深め、真実の追求においてどのような配慮が求められるのかを考えるきっかけとなりました。
司法にかかわる心理学の授業ではなく生態心理学の授業ですので、その観点からの考察があるとよかったですね。
3点差し上げます。
今回の講義では、甲山事件の冤罪について印象に残った。その事件の取り調べの際、容疑者は最初は自分はやっていないと否定していたが、検察は容疑者へ何度も高圧的に同じ質問をすることで、容疑者はこの状況を一刻も早く抜け出したいという心理状態になってしまい、噓の自白をし逮捕、冤罪が成立してしまった。これは、連日の長時間による取り調べが肉体的にも精神的にも容疑者を疲弊させ、さらに検察による反復質問による圧が重なりこのような冤罪が起こってしまった。このように、心理状態や相手の圧などの条件が重なれば、事実とは異なる発言をしてしまうことは恐ろしいと感じた。相手に事実を聞き出したい際は、反復質問を繰り返すと間違った答えに誘導してしまう可能性があるため、同じ質問を繰り返さず冷静に聞き出す必要があることが分かった。
司法にかかわる心理学の授業ではなく生態心理学の授業ですので、その観点からの考察があるとよかったですね。
3点差し上げます。
今回の授業で反復質問に興味を持ち調べてみると、同じ質問を繰り返し受けることで答えを思いつくために必要な認知的な努力が増加する。このような認知的負荷の増加が、最終的に精神的なストレスや混乱を引き起こす可能性がある。同じ質問を繰り返し聞かれることにより、答えを考える過程で自己分析や再評価が促進されることがあり、質問者の意図が明確でない場合、答え手は無意識的に自分の考えを強化するか、疑問に思い始めることがあり、これが認知的不協和を生み出すこともあるそうだ。反復質問は相手にストレスを与えるため、真実に導いてくれるときもあれば間違った答えに導くときもあるため注意するべきだと感じた。
司法にかかわる心理学の授業ではなく生態心理学の授業ですので、その観点からの考察があるとよかったですね。
3点差し上げます。
今回の講義では、前回学んだ相手の行為が後で決まることであれば、決まらないことについてより前回の講義より深く理解することができた。今回の講義でも出た、先生と生徒との会話の中で、先生が「 今日の講義は人が多くて嬉しい 」と皮肉で行ったにも関わらず、生徒は皮肉とは捉えず、「先生の講義は面白いですからね 」と先生が言った言葉を皮肉とは捉えず、本心で捉えて返答した。この話で理解が深まった点は、会話は相手に自分の言っていることを知覚させているのだと言うことが改めて理解できた。これは、前回までの講義で学んだ、生態心理学の環境が行為をアフォードしてくれるとことに繋がると言うことに気づきました。相手がいるという環境がで会話という行為をアフォード、すなわち自分の言っていることを相手に理解させるということを可能にしているということが理解が深まりました。
「会話は相手に自分の言っていることを知覚させているのだ」で終わるのでなく、他者の知覚の知覚は難しいこと」や、その理由は「他者の知覚は他者の行為を通じてしか伺えないこと」などにまで考えが及ぶとよかったです。また「理解」を積極的に達成されるものと考えている節がありますが、そうではないというのが授業の結論だったように思います。もっとも、この先の議論もあるのですが。そこまで考えて書いてくれているかどうか、この文章では判断がつきません。対モノと違う対ヒトの知覚と、相互行為調整に着目できた点はよかったと思います。
6点差し上げます。
今回の講義では隣接対と選好について学んだ。隣接対は質問に対してその質問に適した返答がされるとこで、検事と証人のやり取りで検事は証人から特定の回答を引き出そうし質問するが、証人は選好しようとする。その回答次第で検事の質問と噛み合わないことが起き、コミュニケーションとして成り立たないことがあると分かった。この例として先生が言ったカツアゲの話が印象的だった。カツアゲする側がされる側に「ごめんなさい」と言われると向こうはなぜ謝っているのかと困惑するという。このズレが検事との取り調べ中にも起こったのだと思った
「検事は証人から特定の回答を引き出そうし質問するが、証人は選好しようとする」、この文の意味がわからないです。選好を発話内容に関わること捉えているように見えますが、それは誤解です。選好とは、どういう種別の発話行為が選ばれるのかに関係することです。カツアゲの事例は、第一成分と第二成分でどういう隣接対が構成されているのか、会話の参加者の間で一義的に決まるものではなく、互いの解釈に依存するということをいうために示しました。検事は第二成分である被疑者の発話を「謝罪」とみなしましたが、被疑者からすると「要求」だったのです。しかし「謝罪」と解釈することも可能なので、コミュニケーションがズレているにも関わらず、ズレを隠しながら進行するコミュニケーションが実現していたということです。
5点差し上げます。
採点対象となる投稿は締め切りました。ありがとうございました。
続いて「最終レポート」のお知らせをします。
「最終レポート」の課題と解答を投稿する際の注意
・いつものweb掲示板に投稿すること。https://zawazawa.jp/CognitiveScience23/topic/1
・1回の投稿では1課題のみに解答すること(「課題ごとに投稿を分けなさい」という意味です)。1回の投稿で複数課題を解答した場合は、最初の解答のみを採点します。
・冒頭に課題番号をつけて、どの課題への解答であるかかがわかるようにすること。
・課題ごとに締切が異なるので注意すること。
・これまでの平常点で30点以上獲得している人のみに投稿する資格があります。
・採点はこの掲示板上で行ないます。ただしコメントはつきません。
2/4(火)23:59まで
[課題1] 認知科学の歴史において、「ある考え(学説、人間観)から別の考え(学説、人間観)に変わった」事例を挙げ、その変化がどういう歴史的意義を持っているのかを述べなさい。 (25点)
2/5(水)23:59まで
[課題2] ヒト対モノ、あるいはヒト対ヒトにかかわる現象を一つ挙げ、生態心理学的に解説しなさい。極力生態心理学の概念を用いること。また生態心理学の考え方と相入れない概念は使用しないこと。例えば「心(脳)が情報処理する」とか。(25点)
2/6(木)23:59まで
[課題3] 環境内のある対象を見て(聞いて、触って、味わって、などでもよい)、「・・・であるとわかる」のはどうしてか。あるいは、やはり環境内のある対象に対して「・・・することができる」と思えるのはどうしてか。対象を特定する情報や、対象が有する行為の可能性(アフォーダンス)がどういうものかが明確になるように、「環境内の対象」と、対象を特定する「情報」あるいは対象から知覚されるアフォーダンスを記述しなさい。なお情報やアフォーダンスはあなたの属性と関連しているはずである。あなた側の属性とそのあり方についても触れること。自分で体験してみた結果を書くのもよい。
例) ある幅を持つスペース(隙間)が肩を旋回させずに通り抜けられる幅であるかどうかの知覚は、「そのスペースの幅」と「私の身体の横幅が最大であるところ(肩幅)」との関係で生じるようだ。自分で試したところ、肩幅の1.3倍を境に旋回運動が起こるようであることがわかった。 (30点)
課題1
講義でやったかは忘れたのですが自分なりに調べて書いてみました。20世紀前半の心理学は、行動主義が主流でした。この学説はスキナーやパブロフが提唱し、観察可能な行動のみを研究対象とし、人間の心の働きについては直接観察できないものとして無視しました。行動主義では、刺激とそれに対する反応の関係を重要視し、学習や適応のメカニズムを解明しようとしました。たとえば、条件反射や報酬による行動の変化などが主な研究対象です。しかし、1950年代から1960年代にかけて、行動主義では説明できない問題が明らかになり始めました。例えば、人間が記憶や言語をどのように処理しているのか、刺激と反応の関係では十分に説明できませんでした。このような状況を変える新しい学問が認知科学です。認知科学では、人間の心を情報処理システムとして捉え、記憶、思考、判断、言語理解といった内部のプロセスを研究対象としました。パソコンの動作を人間の心の働きに重ね合わせ、心は情報を処理するものとする動きが広がりました。この動きの歴史的意義は3つあります。1つ目は、心理学の研究対象が広がり、今までの行動だけではなく、記憶や思考などの目に見えない心の働きについても研究できるようになりました。2つ目は、心理学が計算機科学や神経科学、言語学などの学問分野と結びつくことによる融合が進みました。3つ目は、これらの研究は人工知能の基礎になって、現在の情報技術や人工知能研究にも大きな影響を与えています。このように、行動主義から認知科学への転換は、心の働きを理解する方法を変えて人間についての新しい視点を生み出した点で歴史的な意義があると思いました。
20点差し上げます。
課題2
コミュニケーションにおけるIRE連鎖を生態心理学的説明します。IRE連鎖とは発問と応答と評価とで構成され、教育や対話場面においてよく見られるやり取りのことです。生態心理学は、人間の行動や知覚を環境との相互作用の中で理解しようとします。この視点でIRE連鎖は環境と行動の適応的調整によって対話を試みたとされます。まず、発問は発問者が環境に働きかける行動です。この働きかけは生徒や会話の相手などの応答者にとっての行動を誘発する環境的手がかりであるアフォーダンスになります。発問の内容や状況は応答者がどのように行動するかに影響を与える要素になります。次に、応答では環境対して取る行動を見ることができます。この応答はただ知識を表現する行為ではなく、発問者との相互作用によって環境に適応する試みです。最後に、評価は応答者に対するフィードバックとなります。このフィードバックは新たな行動を生み出す手がかりとなり、環境とのさらなるやり取りを誘発します。例えば、ポジティブな評価は次の応答への動機付けを高め、ネガティブな評価は環境に対する別の適応行動を促します。このように、IRE連鎖は、生態心理学の視点から、個人と環境が相互に影響し合いながら適応的な行動を繰り返すものとして説明されます。学びやコミュニケーションはこの相互作用を通じて成立しています。
18点差し上げます。
課題3
雪を触って冷たいと感じるのはなぜかを説明します。まず、雪が持つ情報を4つの観点から説明します。1つ目の視覚情報では、雪の白さや光の反射は周囲の環境を特定する手がかりとなります。また、積もった雪の量や地形から地表の状態を推測できます。2つ目の触覚情報では、 雪の冷たさや柔らかさ、さらさらした感触や湿った感触は雪の状態を見分ける情報になります。3つ目の聴覚情報では、雪を踏むときの音である「ぎゅっ」という音などから雪の密度や水分を推測できます。4つ目の温度や湿度情報では、雪の存在自体がその場所の気温や湿度に関する情報になります。次に、雪が有するアフォーダンスについて4つの観点から説明します。1つ目の滑るでは、雪の表面の状態によって人は意図的に滑ることであるそり遊びやスキーか無意図的に滑ることである転倒可能性を持ちます。2つ目の掴む、投げるでは、雪は手で圧縮すると形を保つ特性があるので雪玉を作って投げる行動を可能にします。3つ目の作るでは、雪だるまやかまくらを作るなどの構造物を形作るアフォーダンスを持ちます。4つ目の歩行、移動では、雪の状態によって足を高く上げたり滑りに注意して歩いたりといった調整が求められます。これにより、雪は移動の仕方に影響を与えるアフォーダンスを提供します。5つ目の冷却では、雪は熱を吸収するため、物体を冷やしたり、暑い体を冷やす手段として利用可能です。このことから、雪を触ると冷たいと感じるのは触覚情報から雪の冷たさを感じて冷却のアフォーダンスによるものだと考えられます。また、人間が触覚や温度を感じる機能や雪遊びをすると寒い、雪は冷たいから触る時は手袋を履くなどの能力と経験があるのも雪を触ると冷たいと感じる原因だと考えられる。
25点差し上げます。
課題3
私には使ったものを片付けずに適当な場所に置いてしまう癖がある。よって私にとってどのような場所が「ものを置く場所」というアフォーダンスを知覚させるのか考えてみた。
まず、よくものを置いてしまう場所を調べてみた。その結果、少なくとも普段置こうとする最大のもの(ノートパソコン)が安定して置ける面積があること、反りやがたつきのない概ね床と平行な面であること、床からの高さが0cm(床そのもの)、約75cm、約85cmの3種類に分けられることが分かった。
家の中での私の姿勢は大きく分けると立つ、椅子に座る、布団に寝そべるの3つになる。よくものを置く場所が床からの高さで3つに分けられることから、姿勢ごとにものを置くという行為をアフォードする場所の高さが違っていると考えた。確認してみると、立っているときによくものを置く場所は約85cm、椅子に座っているときに置く場所は約75cm、布団に寝そべっているときに置く場所は0cm(床そのもの)であった。約85cmは立った状態、約75cmは椅子に座った状態で手をついて肘の角度が直角に近くなる高さであることも分かった。
また、作業をしている場所からどの程度離れていればものを置く場所というアフォーダンスが知覚されなくなるのかも調べてみた。置いた後に別の行動を阻害するとして移動させたもの以外はその場から動かずに手を伸ばして届く範囲に収まっていた。
これらのことから、私の場合では環境内の
・作業を行う場所から動かずとも手の届く範囲にある
・(寝そべっているとき以外は)その姿勢のまま手をつくと肘の角度が直角に近くなる
・平らで床と概ね平行な面(もしくは床そのもの)である
場所が、「ものを置く場所である」というアフォーダンスを知覚させると言える。
30点差し上げます。
課題1
認知科学の歴史と宗教観の変遷は切っても切れない関係にある。近代の認知科学ではキリスト教の考えから人間をそれ以外の生物や物体と同様に扱うことができなかった。しかし、科学の発展に伴い人間も物体と同じように科学で説明がつくのではないかという考えが登場しはじめた。人間がそれ以外の生物や物体と異なる点である心を科学的に扱いさえしなければ良いという視点から知覚だけを科学の見方で扱うという動きもあったが、宗教観による研究の制限はなくなっていなかった。その後科学の更なる発展によりキリスト教の力は弱まっていった。それでも人間の振る舞いは物質だけで説明できるのかそうでないのかという問題は依然として存在した。そのような心を物質として扱うか否かという二元的な考え方から脱却するきっかけといえるのがゲシュタルト心理学である。ゲシュタルト心理学では人間はもの同士の組み合わせや関係に反応しているという考え方をするのだが、これは現在から見ると「物質を必要とするが、それが何であるかに左右されない」情報という新しい人間観の誕生であったともとれる。ゲシュタルト心理学ではこれらは物質である脳の働きとされているため、物質か否かという問題から完全に脱却したわけではないが、既存の考えで説明できなかった点を説明できるようにする考えの登場という点で科学史の中で意義のある変化だったといえる。
22点差し上げます。
課題2
横一列に並んだ椅子が10脚あり、それらに1〜10の番号が振られているとする。1、3、5、7に人が座っており、そこに人が1人来た場合、その人は9の椅子に座ると考えられる。これは既に座っている人達によって「奇数番目の椅子に座る」という規範が成立していたからである。この規範は最初に座った人が奇数番目の椅子に座っており、次に座った人も奇数番目の椅子に座ったから成立したと考えられる。このように互いの行為によって規範が成立されることを相互行為調整という。
15点差し上げます。
課題2
ヒト対ヒトの例としてエレベーターの順番待ちの例を挙げる。例えば、エレベーターが到着した際、最初に乗ろうとする人がボタンを押してから順番に乗るという行動が見られる。この場合、最初に乗った人がボタンを押すことで、次に乗ろうとする人たちはその行為に従い、自然とその順番で乗ることになる。最初に行った行為が後続の行動に影響を与え、順番待ちという規範が相互行為調整によって成立していく。生態心理学では、環境と行動が密接に関連していると考えられる。この場合、エレベーターという物理的環境の空間と、その中でのヒトの行動の乗り方が相互に作用している。エレベーターが到着するという環境的な状況は、誰が先に乗るか、または後から乗るかといった行動の可能性、アフォーダンスを提供する。最初にボタンを押して乗り始めた人は、その後に続く人々にとって「順番待ち」をするための手がかりを提供する。つまり、最初の行動が次の行動を促すという仕組みが働いている。これにより、エレベーター内での順番待ちという行為が、環境と個体の相互作用によって自然に規範として形成されていく。この場合も、人々は他者の行動に影響されながら、エレベーターに乗る順番を無意識のうちに調整している。
16点差し上げます。
課題3
梅干しを味わって、酸っぱいと感じるのはなぜかを説明する。梅干しは、「酸っぱい」という特性を持っている。これを特定するための情報やアフォーダンスは、梅干しの外見、香り、さらにはその食べたときの味に関する特徴である。まず、梅干しは赤色や小さな丸い形の外見や、酸味を伴う独特な匂いで認識できる。触ったときには、皮がしっかりとした弾力を持ちながらシワがあり、塩分が外側に感じられることから、梅干しだと判断できる。梅干しを見て「酸っぱい」と感じる理由は、梅干しの持つアフォーダンスが関係している。梅干しは、食べるという行為を促す「食べるアフォーダンス」を持っている。そして、梅干しを食べることで感じる酸味は、私の味覚に直接的に刺激を与え、「酸っぱい」という知覚を引き起こす。この酸味は、梅干しが自然に持っている特性であり、梅干しを食べたときに必ず感じる味の要素である。私の属性として、味覚や嗅覚が関与している。特に、酸味を感じる能力が高い私は、梅干しを食べると非常に強く酸っぱさを感じる。この感覚が私の個人的な知覚の仕方に影響を与え、「酸っぱい」という感覚が強調される。加えて、私は小さい頃から梅干しが「酸っぱくて強い味」という文化的な認識を持っており、その知識が私の予測や知覚にも影響を与える。
20点差し上げます。
課題1
認知科学の歴史において、「機械論的心のモデル」から「生態的アプローチ」への転換を例として挙げ説明する。20世紀初頭、心は情報処理機械として捉えられ、外部の刺激を内部で処理して反応を生み出すと考えられた。しかし、1970年代にジェームズ・ギブソンらが提唱した生態的アプローチでは、心は環境との相互作用を通じて動的に働くとされ、知覚や行動が単なる情報処理ではなく、環境との関係によって決まると強調された。例えば、ギブソンの「アフォーダンス」理論は、物や環境がどのような行動を促すかという視点を提供し、これにより人間の知覚が環境との相互作用に基づいていることが明らかになった。この転換は、認知科学における環境との相互作用の重要性を再認識させ、心の理解をより実際的でダイナミックなものに進化させた。また、この新たな視点は、人工知能やロボティクスなどの分野にも影響を与え、認知科学が人間の行動や知覚をより広範囲に理解する道を開いた。この転換には、認知科学の枠組みを広げ、今後の多くの研究に影響を与えたという歴史的意義がある。
20点差し上げます。
課題1
認知科学の歴史における考え方の変遷について、1950年代に始まった認知革命の動きを例に挙げて説明する。認知革命以前の心理学者たちは、人間の本質とは魂かモノかという問題にぶつかった。そこで人間の行動の着目することで合理的かつ客観的に心を捉える行動主義という考え方が主流になった。この行動主義の考えは30年ほど心理学における主流の考えとして学派を支配した。しかし、情報処理の理論やそれに伴うコンピュータ技術の開発によってコンピュータアナロジーの考えが徐々に確立してきた。このブームによって、人間の脳内部の動きをコンピュータによる情報処理の仕組みで説明することが可能になった。例えば、記憶について説明するときには入力と出力の間に処理過程があり、それを貯蔵庫モデルと説明づけることで脳は情報処理を行っていると記述することができた。このコンピュータアナロジーの考えは、時代を追うごとに訪れるAIブームとともに発展していく。この考えの変化は、時代の流行や情勢とともに研究方法や何を根拠に説明をするかということも変化していくことを意味している。
18点差し上げます。
課題1
行動主義(20世紀前半) は、心理学を「観察可能な行動」に限定し、心の内部状態(思考、意識、記憶など)を科学の対象から排除しました。J.B.ワトソンやB.F.スキナーが代表的な学者で、特にスキナーは「人間の行動はすべて環境刺激とその結果の強化によって形成される」と考えました。しかし、1950年代になると、認知科学(認知革命) の考えが登場します。ノーム・チョムスキーはスキナーの「言語行動」の理論を批判し、人間の言語習得には生得的な「普遍文法」があると主張しました。また、ハーバート・サイモンやアラン・ニューウェルは「人間の思考を情報処理システムとしてモデル化できる」と考え、ジョージ・ミラーは「短期記憶の容量(マジックナンバー7±2)」を実験で示しました。これらの研究は、「心をブラックボックスとして扱うべきではない」という認知科学の台頭を後押しします。このように、行動主義から認知科学への変化は、人間の心の理解を深めるだけでなく、AIや教育など幅広い分野に影響を与えた歴史的に重要なパラダイムシフトでした。
投稿する資格がありません
課題2
生態心理学(ジェームズ・ギブソン)では、ヒトと環境の相互作用を理解する際に、「アフォーダンス(affordance)」という概念を用いる。アフォーダンスとは、環境がヒトに対して提供する行為の可能性 であり、ヒトと環境の関係性の中に存在する。例えば、ハサミは「握る」「切る」といったアフォーダンスを持つが、それは単にハサミの形状だけで決まるのではなく、ヒトの手の構造や運動能力との関係の中で成り立つ。左利きの人にとって、右利き用のハサミは適切なアフォーダンスを提供しない。つまり、アフォーダンスはヒトと環境の相互作用として動的に成立するものであり、モノの物理的特徴だけで決まるわけではない。また、ハサミを持ったときに、その使用の仕方を「知覚」することができる。生態心理学では、「知覚=行為の準備」であり、脳内で情報を処理するのではなく、ヒトは直接、環境のアフォーダンスを知覚する。例えば、持ち手が大きく柔らかいハサミは「握りやすさ」を知覚させ、高齢者や子供にとって適切なアフォーダンスを提供する。このように、「道具の使いやすさ」は、ヒトの身体的特徴(手の大きさ、握力など)と道具のアフォーダンスとの関係性によって生じる。設計者は、ヒトがどのようにアフォーダンスを知覚し、行為するかを考慮しながら、環境をデザインする必要がある。
投稿する資格がありません
課題3
階段の物理的特徴と、私の身体的・運動的特性が適合するため、「階段は登ることができる」というアフォーダンスが知覚される。例えば、階段の一段の高さが50cmを超えると、私にとって「登ることができる」アフォーダンスは減少し、逆に10cm程度であれば「つまずく可能性がある」と知覚される。また、階段の幅が狭すぎたり、傾斜が急すぎたりすると、アフォーダンスの知覚は変化する。たとえば、崖のような急斜面では「登る」よりも「落ちる」というアフォーダンスを強く知覚し、安全に対する警戒が生まれる。なので「階段は登れる」と思うのは、私の身体的・運動的特性と階段の物理的特性の関係性の中で、アフォーダンスが知覚されるから である。これは情報処理の結果ではなく、直接知覚として成立するものであり、生態心理学の立場から説明できる。
投稿する資格がありません
課題1
認知科学の歴史について述べる。諸説あるが1956年頃に「コンピュータ科学」という人間の知的活動を行う機械を作る試みが始められた。その中で異分野の研究者たちが積極的に交流を始め、人間の知的活動についての科学的な研究を統合していこうとする運動が徐々におこり、当時の実験心理学、神経科学、哲学、人類学、情報科学、言語学の分野の若き研究者たちが参加した「ダートマス会議」において認知革命として結実を見せた。これは今までの思考や記憶と行動などといった人間の当たり前とされていた知覚行為に説明付けさせる革新的なものであった。現在の人工知能では人間と会話することができるものや、複数の質問から新たな提案をしてくるものなどその進化には目覚ましいものがある。しかし、それらを実現することができたのは人間の思考を紐解き、言語化することに成功した功績があってこそである。今までの生体に対する刺激とその刺激に対する反応などの観察可能な事柄だけを頼りに知を捉え、刺激から反応を生じさせる生体内部の情報処理という外から観察が難しい事柄にあえて関心を向けなかったという「ブラックボックス化」から脱却し、そのヒトの思考や環境などを踏まえて知覚行動の透明化することに変化したのが比較的最近の認知科学だと考える。
18点差し上げます。
課題1
20世紀前半、心理学の主流は行動主義だった。ジョン・ワトソンやB.F.スキナーらによって確立された行動主義は、「心の内面は科学的に観察できないため、外部から観察可能な行動だけを研究すべきだ」と主張した。特にスキナーのオペラント条件づけの研究は、学習を強化と報酬のメカニズムによって説明し、心的表象や意識の概念を排除した。しかし、1950年代になると、この考え方に対する批判が高まり、認知主義が登場した。ノーム・チョムスキーはスキナーの言語獲得理論を批判し、言語が単なる強化の結果ではなく、生得的な認知構造によって支えられていると主張した。また、ハーバート・サイモンらの研究により、人間の思考は情報処理の過程としてモデル化できるという考え方が広まった。こうした動きを受けて、心理学は「ブラックボックス」とされていた心の内部プロセスを研究対象とするようになった。行動主義が排除していた「記憶」「認識」「問題解決」などの内部過程を研究できるようになった。認知科学が心理学、神経科学、人工知能研究などと統合される契機となった。
人工知能研究の発展によって、人間の思考を情報処理として捉えることで、人工知能の基礎が築かれた。チューリングの計算理論とともに、現代の認知科学とコンピュータ科学の結びつきを強めた。
18点差し上げます。
課題1
課題1の認知科学の歴史において、ある考えから別の考えに変わった事例について説明していく。私が考えるには、認知科学の歴史は行動主義から認知革命が起き、認知科学の考えが生まれたことから歴史的意義が生まれたと考えられる。
その事例について、説明していく。まず、行動主義とは、例えば、心の内面は観察することは勿論だが出来ない。このことから、スキナーは、報酬や嫌悪刺激に適応して、自発的な行動の変化を調べた。これが、スキナーのオペラント条件付けと言う。行動主義の時代は、思考や感情、記憶などはブラックボックスとして扱い無視していたから、スキナーはこのような実験をおこなって、どのように行動するかを検証していた。
次に、認知主義について説明していく。認知主義とは、記憶や感情、記憶などを科学的に存在することを可能する考えであった。簡単に言えば、認知主義の考えは、心の動きは、パソコンのようなに情報を処理するシステムとみなしていた。
結論として、行動主義は、心の中の思考や感情、記憶を無視していたことから、外からでしか見えない行動から心情を捉えていたと考えられる。一方で、認知主義は、心の中の心情はパソコンのように情報を処理して心情は確認していたと考えられる。認知革命がおこり認知科学の考えが生まれたことで記憶や感情、言語などの認知プロセスが実際に存在するということを証明した。
16点差し上げます。
課題2
生態心理学について、人対人に関わる現象で説明していく。例えば、サッカーのプレイで説明していく。サッカーで点を決めるには、連携を取る必要がある。その連携をとるのに重要なのがボールをパスすることである。そのパスをするのには、相手と自分がお互いを知覚し合いパスを出すことで得点を決めることができたり、相手からボールを取らせないプレイに繋がる。生態心理学の考えは、環境が我々の行動をアフォード(可能にする)という考えである。サッカーのパスをする瞬間も、その時に環境が我々の行動をアフォードしているのではないかと考えた。
結論として、生態心理学の考えは環境をアフォードする考えであることから、サッカーのパス判断も、お互いが知覚し合うことで点を決めるという場面でパスを出すことができる。このことから環境が行為をアフォードすると言うことが言えるだろう。
15点差し上げます。