23認知科学概論

23年度「認知科学概論」

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satsugakushinri
作成: 2023/08/27 (日) 23:20:10
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F24081 2024/09/24 (火) 18:53:04 50c51@a35cc

 今年の夏ごろから、確実にそうであるとは限らないことや存在しないことを考慮して行動できなくなってしまう、他人と会話をする際自分の中で連想が進みすぎたり表現を決めるのに時間がかかりすぎたりして話題がずれてしまうなどの経験から、「考える」とはどのように起こっているのか、それを少しでも知ることでコントロールできるようにならないか、といったことを考えるようになりました。
 そのため、今回私の気になっていることに近いこと、取り入れることで疑問や悩みの解消に近づけそうなことについて学べそうだとわかり今後の学習へのモチベーションが上がりました。
 このように言いたいことをまとめるのが得意ではなく、自分のことに当てはめて考えることが多くなりがちですが、この場を通じて知識や理解を深めたり身近な疑問を解消したりしていきたいです。

11
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 22:54:49 >> 6

 言いたいことをまとめる技術はどこかで習得した方が得です。授業というある程度の強制力があるところだと、いやでもやらざるを得ないので、技術を磨くにはよい機会です。自分の体験をもとに考えることはありですが、それがどの程度一般性があるか、逆に特殊性が高いのであればそれはどうしてかを考えるとよいと思います。一緒に考えましょう。

3点差し上げます。

7
F24056 2024/09/24 (火) 19:46:35 fa4c9@efbae

初回の講義を通して、人間とモノや文化の進化について考えるきっかけができました。私は、時代の変わり目にはなぜ戦争と新技術の開発が起こるのかなと疑問に思いました。新技術や戦争によって、新たな文化が生まれたり、思想の変化が起こるという順序が正しいかもしれませんがここにどのような関係性があるのかなという問いです。人間は集団がいくつもできるとその集団どうしで領地や権利をめぐって争いが起きますが、そこに他の生物との共通点を感じました。しかし人間はその争いの中で発展していくのでそこが面白いなと感じましたし、人間の考える力や器用な身体を使うことで他の生物にはできない方法で発展していくのかなと考えました。このように考えていくと技術が発展するからといって戦争が起こるわけでなく、人間や動物の本能によって争いが起きるのだという結論に至りました。人間の「身を守る」「生き延びる」「安全の保障」などのためにはたらく考える力というのはすさまじい力があるなと考え、同時にその力によって人の命を奪うものだけでなくて人を生かす技術や商品も考えてみたいなと思いました。認知科学や心理学を研究していくことで人とは違う視点ですぐそばにいる人を幸せにできるアイデアを考えてみたいなと自分の考えを通して前向きな気持ちになりました。現実味の無いアイデアも考えるだけでわくわくするので、今から講義とアイデアの交流が楽しみです。

12
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 23:01:39 >> 7

 技術が人を変えるという考え方は「技術史観」と言って、間違いとされています。技術は影響するのですが、常に決定するわけではない。技術の変化と人間の変化は相互的なもののようです。ただ技術の変化は、人間の変化の基礎を提供する可能性はありますね。
 動物の個体の維持、種の維持と人間のそれは一致しないところがありそうです。人間は自死を選びますが、これはある意味で個体維持とも言える。精神の維持なのでしょう。死んだ方がマシ、という。動物にこういうことはあるかな。人間はその思考と言語(とコミュニケーション)によって、ありもしない「仮想現実」(まあ、妄想です)というを作り、そのなかで適応しようとします。だから動物と異なって変なことをする。自分(たち)で自分(たち)の身を滅ぼすことさえします。逆に、あなたが言うように、思考と言語の力が人間を幸せにしてきた面があることは否定できません。本質を掴んで、どう活用するかを考えるのが肝要のようです。一緒に考えていきましょう。

8点差し上げます。

8
Q24018 2024/09/26 (木) 11:49:50 460f1@6c4ad

子供のジュースの話がすごく印象に残りました。違うジュースの量を与えるとき、大きさの違うコップに入れたら飲まないけれど量は違えど高さがあったコップに飲み物を入れたら子供は飲むというのが面白いなと思いました。具体的には何故なのか気になります。
私も従兄弟に幼い子供がいて同じような経験があり、その時は氷でかさを増して同じ量に見せかけて渡すと飲んでくれました。
心理学の授業はすごく好きなので、認知科学と心理学を混ぜた授業はどのような授業なのかとても楽しみです。『この授業は取らないほうがいい…いや取ったほうがいいぞ』という言葉がすごくインパクトがあり印象に残っています。
少人数での授業になると思うので積極的に発言し理解を深め物事を認知科学、心理学の面で考えられるようになりたいです。

13
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 23:04:01 >> 8

 「量の保存課題」というピアジェの有名な実験です。正しく理解するためには、心理学の本を読んでみてください。「飲まない」のではなく、「高さが変わることで量が増えた」と認知するのです。
 疑問があれば口を開ける時間を作りたいと思います。たくさん話してください。

4点差し上げます。

9
Q240571 2024/09/27 (金) 09:30:08 0c495@a315b

人や動物は、周りの世界といろいろなやりとりをして情報を得て、また情報を発信して、自分や周囲の人にとって都合のいい振る舞いをしようとする営みがどんなときにどうなるのかというのが認知科学だと知りました。
ガイダンスの概要を説明する時の文言がとても面白いというか、他の授業と違うよな感じで新鮮でした。認知科学というのもとても興味深いですし、これから学ぶのが楽しみです。

14
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 23:10:09 >> 9

 そういう面も認知科学に含まれるでしょう。「都合のいい振る舞い」というより「適応的な行動や認知」と言った方がいいと思います。
 期待に添えるように心がけます。授業中に発言するなど大いに参加してください。知ることの楽しさ、考えられるようになることの嬉しさを得ていただきたいと思います。

3点差し上げます。

10
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 13:43:30

今回の投稿は締め切りました。まだ次回、よろしくお願いします。

15
Q24018 2024/10/02 (水) 11:55:26 460f1@1aeca

"自我"や"欲望"など人間の本質についての授業で聞いていて自分と重なる部分もあり、とても面白かったです。欲望は人間的な、心に秘めているような邪悪なものであることは理解できましたが、欲求との具体的な差はなんでしょうか?例えば、"ご飯を食べたい" などが欲求というのはわかりますが、"あれが欲しい" "これが欲しい" というのは欲望に分類されるのでしょうか?気になったのでネットで調べたところ、欲求は必要なもので欲望は不必要なものと曖昧な答えしか出てこなく、納得いきません。教えていただきたいです。

16

授業で言っていたフロイトの研究のがとても面白いと思った。人間は自分で認識している「意識」のほかに、自分では認識できていない「無意識」があると唱えたとあるが、まずどのように研究したらこの答えにたどり着いたのかな??って言うのが一番知りたくなった、どのような仮説が立てられてその答えにたどり着いたのかとても気になった。ぜひ知りたい。
この研究には自分も当てはまることが多々あった、自分では認識できていない無意識が何かなと思い友人に聞いてみたところ、会話の時無意識に顎を触ってしまっているらしい自分で気づくことができなかった事だ。このような事をフロイトは言っていたんだなと思った。

28
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 09:54:18 >> 16

Q24078さんへ
 知りたいと思える機会が得られたのはとても貴重な体験です。大切にしてください。で、そこから自分で探すのです。ヒントを言いましょう。フロイト的な意味での無意識は近代の産物であることは授業で述べましたが、このような「無意識」はフロイトの発見ではありません。時代の産物のようです。「エスの系譜」という本があります。
3点差し上げます。

27
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 09:53:32 >> 15

Q24018さんへ
 社会文化的に許容されるものが欲求で、そうではないものを欲望と考えてはどうですか。ちなみにこれは「欲求」「欲望」の一般的定義ではなく、この授業回での用法と考えてください。
 3点差し上げます。

17
Q24142 2024/10/02 (水) 23:14:21 95753@16d35

今回の講義を受講して認知科学の歴史や発展について学ぶことがてきました。前回のガイダンスで「神の存在しない学問」として紹介されていてどのような講義になるのかと思いを膨らませていたのですが、やはり、生態心理学や人間の行動パターンなどの研究が積み重なってできており、自分が意識せずに起こす行動や癖には思考のその先の潜在的な「なにか」すなわちitがあるのではないかと講義の中で自分の中で考えました。

29
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 09:54:25 >> 17

 考えながら聴いてくれているようでうれしく思います。今後も思考を回しながら、受講してくださいね。そしてその産物を投稿に。
 5点差し上げます。

18
F24081 2024/10/03 (木) 07:17:11 e43ec@a35cc

 今回の内容の中で中世と近代で意識と無意識をどのように捉えるかが変わったという点に特に興味を持ちました。現在の心理学では近代のような、無意識下にある社会的に許されない欲求を受け入れられる形で意識下に出しているなどの無意識が悪で意識が善という形に近い考えが多いようですが、自らのコントロールが聞く意識の領域だからこそ様々なことを考慮してしまい無意識の領域に負担をかけてしまうということもあるのではないかと考えています。例えば、ある悩みがあったとして「こんなことで相談されて迷惑じゃないだろうか」「もしかしたら他の人はこんなことで悩んでいないかもしれない」などと考えてどこにも吐き出せないと、無意識下でストレスがたまり他のことに影響が出てしまう、ということがあればこれは無意識が悪いとは言えないかもしれません。
 物事そのものに善悪があるわけではないと思うので、どちらか一方が必ず善でもう一方が必ず悪ということはないのではないか、だからこのように考え方が変わることがあるのではないかと感じました。

30
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 09:54:47 >> 18

 近代的な意識、無意識の概念に立った議論ですね。その上で、意識の過剰すぎる働きの面を指摘してくれています。意識は困った存在でもあることがよくわかります。意識、無意識概念の変遷ほど大きなものではないのですが、時代によって心の問題の表現方法が変わっている可能性があります。境界性パーソナリティって20年前はよく聞いたのですが、最近はどうですか。歴史を学ぶことは、現在が絶対的な真実ではないということを知るために有益です。
6点差し上げます。

19
名前なし 2024/10/03 (木) 10:49:56 3da11@1aeca

今回の講義を通して興味深かったのが近世と中世の意識と無意識の話である。近世では意識を善、無意識を悪とし中世では意識を悪、無意識を善としていた。私はこの話を聞いて無意識って人間の本性と同じなのではと考えた。そうすると、この認知科学ができるよりずっと前にあった考え方である朱子学の性善説と性悪説に似ているなと思った。朱子学では人間の本性が善なのか悪なのか説いていたが、それが認知科学における無意識が善なのか悪なのかの話にそっくりだと感じた。ずっと前からあった考え方なのに近世、中世の全く違う分野の考え方に通ずる部分があることに関心した。しかし、今回の話だけでは意識と無意識の善悪の詳しい部分を知ることが出来なかった。なので、自分で調べて自分の認識が正しかったのか確かめたい。

21

すみません名前入れ忘れていたので再投稿します。

32
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 09:55:33 >> 21

了解です。

20
Q24028 2024/10/03 (木) 10:51:00 3da11@1aeca

今回の講義を通して興味深かったのが近世と中世の意識と無意識の話である。近世では意識を善、無意識を悪とし中世では意識を悪、無意識を善としていた。私はこの話を聞いて無意識って人間の本性と同じなのではと考えた。そうすると、この認知科学ができるよりずっと前にあった考え方である朱子学の性善説と性悪説に似ているなと思った。朱子学では人間の本性が善なのか悪なのか説いていたが、それが認知科学における無意識が善なのか悪なのかの話にそっくりだと感じた。ずっと前からあった考え方なのに近世、中世の全く違う分野の考え方に通ずる部分があることに関心した。しかし、今回の話だけでは意識と無意識の善悪の詳しい部分を知ることが出来なかった。なので、自分で調べて自分の認識が正しかったのか確かめたい。

31
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 09:55:18 >> 20

 「人の性は悪なり、善はその偽なり」という性悪説はフロイト的な近代概念かもしれないですね。自分で確かめようとする姿勢は、とても大学生的です。成果が出たら教えてください。
6点差し上げます。 

22
F24056 2024/10/03 (木) 19:56:26 fa4c9@4ecf3

今回の講義で、心理学研究の広がりと時代背景の関わりについて理解することができた。今まで人の名前と年代が並べられたような資料でしか歴史を眺めたことがなかったのでどのような時代にどのような考え方が流行ったのかなど、想像しながら勉強することができた。このような方法で勉強(試験勉強や基礎知識の)すれば少し楽しめるかなと気づきを得ることができた。私は今回の講義で、その時代の宗教観が研究内容や考え方に影響を与えると知ったが、フェヒナーのように神による教えと自分自身の考えが一致しない研究者はどのように割り切っていたのかなと疑問に思った。キリスト教の教えに反する人が弾圧される時代で心理を身体から紐解いていこうとした研究者たちも、本心は違ったのかななど考えると、今まで研究内容にばかり目が行ってしまっていたけれど、研究する人たちについて知ることで研究内容を深く理解することができるようになるのかなと気づきを得ることができた。また、ユンクのように神秘的な体験から心理を紐解いていった学者もいることから、見えないものをどのように定義するかというのは自分自身の考える心によるとも考えた。心を考える際には、事実に基づいた根拠を用いて条件の揃ったグループ内で同じような結果がでる研究と、無意識・意識の話のように目に見えずデータで表せないものの研究があると整理することができた。認知科学を研究する際にはどちらの立場も必要であり、さらには心理学以外の立場も必要であることから、学際的研究とよばれる理由が歴史を眺めてみて理解することができた。

33
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 10:09:06 >> 22

 歴史は書かれる人によって変わります。試験でマルバツをつけるために編纂された歴史はとても退屈です。一つの考え方ではありますが。歴史の面白いところは、みんなクリアに割り切れず、もやもやしながら生きていたことなのではないかと思います。
 体験というのはとても強烈で、頭では割り切れなかったことが、確信を持ってこうだと体験から導かれることが多いです。ユンクはそういう「わかってしまった人」だったのかと思います。私の限界が世界の限界ではありますが、私の限界を絶対のものととらえず、それを絶えず更新していく態度が適切なのではないかと考えます。学問はルールとして、「みんながわかるようにする」というものが底流にあるので、自分の体験を出しすぎると「俺ルール」なやつだと周りから煙たがられます。とは言え、体験のないやつというのもつまらないし、これは個人的意見ですが、体験がない人は本当の意味で賢いとは言えない。
8点差し上げます。

23
Q24149 2024/10/04 (金) 12:23:23 82ca4@d2c37

今回の授業を通して、意識と無意識について興味を持った。意識とは頭在意識と言い、良し悪しを判断したり、不安になったり悩んだりすることも頭在意識という。無意識とは、過去の経験や知識が蓄積された意識のことで、潜在意識という。人間の行動や思考は95%が無意識であり、頭在意識はわずか5%であると調べて分かり、普段何も考えずに生活している中でこんなにも無意識で行動しているという事実に驚いた。無意識を意識することで自己認識と自己知識が向上するという。自分がどのような信念を持ち、それが日常の選択にどのような影響を与えているのかを理解することができる。また無意識のパターンを理解することで自分自身の強みや弱点、癖を認識することができると分かった。フロイトは、人のこころを「意識」「前意識」「無意識」の3領域に分けて考える局所論を提唱した。局所論についてもっと詳しく知りたいと考えた。

34
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 10:09:20 >> 23

 今回は歴史の話なので、概念というのは歴史に依存していて、歴史依存の概念を使って我々は議論をしているに過ぎない(するしかない)ということを知ってもらえたらよかったです。フロイトの考えがどのように生まれてきたかも、その時代の産物なのでしょう。詳しく知りたいと思った時が吉です。学びましょう。
4点差し上げます。

24
Q24049 2024/10/04 (金) 22:25:51 5a1c7@16ede

今回の講義を受けて、認知科学がどういったことを主に学んでいくかを理解しました。今まで無意識の領域を自覚したことがなかったが、今回の講義で話していた「人は歩いているときに目の前に障害物があると、無意識に回避行動に移る。」という話を聞き、衝撃を受け、とても共感しました。そこで、なぜ人間は無意識なのにそのような行動ができるのだろう。と考え、私はやはり魂が関係していると思いました。人間の脳にある松果体と魂がプネウマを通して人間の体に命令して自らが気づかぬうちに行動していることが無意識であると考えました。また、中世の頃は無意識が善、意識が悪とされていたのに、近代に変わってからは逆に無意識が悪、意識が善とされ、考え方が大きく変わった。中世まで人間は自らの欲望のために本能で争っていると感じたが、近代ではたとえ些細な事でも深く考えるようになり、人種差別や宗教などで人々の争いが増えたと考える。これも中世から近代にかけて考え方の違いに関係するのではないかと考え、より興味深く思った。

35
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 10:10:45 >> 24

 今回に限らず、この授業では歴史的観点を大切にしたいと思っています。人は時代に限定された概念を用いて思考するしかありませんが、その思考から出てきた結論は絶対的なものではなく、時代の流れの中で変わり得るものです。そのへんをわかって、実行していただければ。
5点差し上げます。

 締め切り(金曜13時)を過ぎています。採点対象とするのは今回限りとさせてください。

25
Q24040 2024/10/04 (金) 23:21:06 72aee@17e0d

今回の授業を通して、近世と中世での意識と無意識の認識の違いについて理解することが出来た。近世では、意識を善で無意識を悪だと考えられ中世では、無意識を善で意識を悪と大きく考えが改められた。無意識というのは人間などの動物に元々備わっている本能に近いものだと考えていて、その中でも無意識のうちにやってしまう悪いことを制御することが出来るのが意識だと思う。特に近世では、無意識を意思で制御できない人間が、事件や事故を起こしてしまうのではないかと考えた。法律などが、中世の頃よりはっきりしたことにより無意識が善という考え方から悪という考えが移っていったと考えた。時代の移り変わりによって考え方が大きく変わることがあることを理解することが出来た。

36
satsugakushinri 2024/10/07 (月) 10:10:58 >> 25

 近世ではなく近代ね。近代と中世の違い自体のみならず、概念というのは時代により変わり得るものだということを知っていたたげれば何よりです。
3点差し上げます。
 締め切り(金曜13時)を過ぎています。採点対象とするのは今回限りとさせてください。

26
satsugakushinri 2024/10/05 (土) 07:19:40

今回の投稿は締め切りました。まだ次回、よろしくお願いします。

37
Q24028 2024/10/08 (火) 17:21:48 3da11@1aeca

今回の講義で短期記憶と長期記憶が他の分野の記憶の意味や認識とどう異なるのか気になったので調べてみた。そうすると、記憶は感覚記憶や短期記憶、長期記憶、中期記憶、遠隔記憶など様々な分類法があるそうだが、認知科学における記憶は感覚記憶と短期記憶、長期記憶の3つに分けられることが分かった。また、その中の長期記憶は認知科学ならではの特色があることもわかった。それは、長期記憶は認知特性を持っていることだ。長期記憶はエピソード記憶と意味記憶、手続き記憶の3つに分けることができる。それぞれ、体験や物語に応じて定着する特性、そのものの意味と一緒に覚えていく特性、身体に落とし込まれて覚えていく特性を持っている。この記憶のしやすさの特性が認知特性ということもわかった。しかし、私が1番気になっていた記憶の流れは感覚記憶から短期記憶になりその一部が長期記憶として定着していくということで、他の分野でもほぼ同じ流れであることもわかった。以上のことから、記憶の流れは他の分野と同じだったが認知科学ならではの長期記憶と特性や記憶の分類があることが分かった。長期記憶に認知特性があるなら、感覚記憶や短期記憶にも認知特性があるのではと思ったので引き続き調べたいと思った。

53
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:11:54 >> 37

 よく勉強してくれました。貯蔵庫モデルは有名な学説ですが、これもまた歴史的産物です。特にコンピュータに人間をなぞらえる「コンピュータアナロジー」の産物です。こういう視点からも眺めてみてくださいね。
5点差し上げます。

38
Q24142 2024/10/09 (水) 12:55:56 95753@7af44

今回の講義を受け、現代までに認知科学がどのような議論や歴史を積み重ねて発展してきたのかがわかりました。最初に刺激から直接反応が起き、思考は行動に関係は無いと論じたワトソンが居たが、そのワトソンの行動主義を否定する様な、上書きするような形で数々の新行動主義者が登場し、認知革命に繋がるという歴史が研究成果の結晶として面白いと感じました。また、人間が無意識にしてしまう目の瞳孔や鳥肌、発汗などの行動は、反射反応であり、自分の認識外の咄嗟の行動なのだと改めて感じました。中学の時に学んだ「感覚細胞の反射」がまさかこのような形で僕の前に現れるとは思ってもいませんでした。やはり意識して行動したり反応するのと無意識のうちに起こす反射では脳を介すか介さないかという決定的な違いがあり、昔の心理学者はここまでの発見や研究を行ったのは当時の人々からしても認知科学を学んでいる私からしても革命的な発見だったと思います。時代と共に思考や社会の仕組みが変化する中で、認知科学の歴史を学びながら当時の時代背景や宗教の社会的立ち位置についても学ぶことができてとても教養を深めることができました。

54
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:12:14 >> 38

 いろいろ考えてくれました。どこが革命的に感じたのか、その理由は何だったのかを知りたいと思いました。
5点差し上げます。

39
Q241437 2024/10/09 (水) 13:05:57 5f0dd@1aeca

今回の講義を受けて人間の記憶について学び、記憶にはいくつかの種類があり。感覚記憶。これは、視覚や聴覚といった外部の刺激をほんの一瞬だけ保存するもので、例えば、目の前を通り過ぎる車を一瞬で捉て、その後すぐに忘れるような感じです。
次に短期記憶は、情報を数秒から数分間だけ保持する記憶のことで、例えば、電話番号を聞いてから覚えようとするけど、しばらくしたら忘れてしまうようなものです。短期記憶は容量が限られていて、大体7つくらいの情報しか同時に覚えられません。
次に、もっと長期間保存されるのが長期記憶です。これには、意識的に思い出せる宣言的記憶と、体が覚えている非宣言的記憶が会って、例えば、友達と過ごした特別な日の記憶は宣言的記憶で、自転車の乗り方を無意識に覚えているのは非宣言的記憶です。
調べてみると、記憶って単純なものじゃなくて、かなり奥深い仕組みがあるんだなって思った。

55
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:12:37 >> 39

 よく勉強してくれました。この学説もまた歴史的産物であります。直近の方のコメントにも書きました。参考にしてください。
4点差し上げます。

40
Q240325 2024/10/09 (水) 13:30:40 6ce7d@d2c37

今回の講義を受けて、記憶について幾つか種類があることを学びました。1つ目は短い記憶を覚えておく短期記憶です。例えば、電話番を覚えておく時などに使う記憶のことです。一方で、長期記憶はもっと長い情報を覚えておくためのもので、知識や経験などが含まれる。長期記憶は保持できる時間も長く、数日から一生続くこともあるということを学んだ。
幼い頃経験した長期記憶が大人になってから活きることもあるのかと思い、これこそ「身体で覚える」ということなのだと思いました。

56
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:12:57 >> 40

 よく勉強してくれました。直近の方の投稿とそれらへのコメントも参照してください。
3点差し上げます。

41
Q240236 2024/10/09 (水) 16:26:49 b2f51@2f696

 今回の講義を通してより、心とは何か少し理解することができました。前回の講義で、なぜ自我はできるのかに対して、スキナーは他人がいるから私ができるという考えてをしていることを学びました。今回の講義で、スキナーの考えはギブソンの考えに似ている点があるなと私は思いました。ギブソンの考えは、心があるのは、人間には言語があるから心は生まれるという考えでした。その考えに、心とはやはり対人関係で生まれるのではないかと観点に繋がりました。 私もその考えに少し共感する部分がありました。何をしていても、自分以外の人がいないと喜怒哀楽を痛感する事はできないと考えてたからです。やはり、他人や言語があるからこそ心は生まれるのではないかと思いました。今回の講義で普段は全く考えることのないことを考えるきっかけとなりました。
 認知科学の歴史の背景、前回までは宗教的な考えなどが混じっていたが、今回の講義では、
トールマンの新行動主義やヴントが実験という方法で心理学を提案していたことを学んだ。前回までは少し理解ができない部分などもあったが、多く偉人の歴史があって認知科学というものは出来ているのだと深く理解ができました。

57
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:13:19 >> 41

 自分の体験と結びつけて考えようとす態度は大切です。ただしあなたの日常体験と響くところがあると思っても、勘違いということがあります。断片的に知識らしきものをつまみ食いするにとどまらず、深掘りして考えると楽しいですよ。結論だけを知っても、どうしてそう言えるのかを説明できると、本当の意味で学んでことになります。スキナーの主張は意外だと思いませんか。「心があるのは、人間には言語があるから」というのはスキナーの主張ではなかったかと思います。「行動理論への招待」を読みましょう。
5点差し上げます。

42
Q24078 2024/10/10 (木) 09:42:40 修正 76abf@333a1

今回の講義を通して、短期記憶・長期記憶が一番気になり調べてみたくなった。調べたところ短期記憶はより長く、数十秒間覚えていられる記憶。 短期記憶の容量は7±2(5~9)とされており、一度に8個以上のことを記憶するのは困難とされていて、長期記憶はさらに長く、何十年も記憶することができまた大容量の情報を記憶できると書いてあった。私は短期記憶よりも長期記憶が苦手で今まで勉強などで苦労してきた。認知科学の観点から記憶のメカニズムを知ることで、より効率よく記憶ができるのではないかと考えました。

58
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:13:33 >> 42

 よく勉強できました。この学説もまた歴史的産物で、「とりあえずの真」であることはこれまでの方の投稿とそれへのコメントに現れています。参考にしてください。
3点差し上げます。

43
G240990 2024/10/10 (木) 11:10:36 396f1@1aeca

今回の講義を受けて、人間の記憶について学んだ。人間の記憶には大まかに感覚記憶、短期記憶、長期記憶の三つがあると知った。気になって調べてみると感覚記憶は、教科書を開いて文字を目に入れているものの、内容を理解しているわけではないという状態であり、短期記憶は、授業の小テストの前には集中して英単語を覚えるが、その日の終わりにはすっかり忘れているという状態、長期記憶は、昔流行っていた音楽を聴くと当時のことがよみがえってくるように、忘却してしまった情報をあるきっかけで思い出すこともあるという記憶だと知りました。記憶という人間の脳の働きをとってもこれほどまで複雑な働きがあると知ってとても興味を持ちました。

59
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:13:51 >> 43

 勉強してくださってありがとうございます。ここまでの投稿とそれらへのコメントも参考にしてください。ある学説を盲信してはいけません。私たちの経験とずれるところを発見できると、学説の弱点がわかります。そういう思考のトレーニングもするといいですよ。
3点差し上げます。

44
Q24040 2024/10/10 (木) 11:35:57 72aee@1aeca

今回の講義を受けて、記憶には短期記憶、感覚記憶、長期記憶などの種類があることを学んだ。短期記憶は、数分の短い時間に情報を一時的に記憶する能力であり、瞬間的に見たことや聞いたことを、その情報を必要とする間だけ覚えておくような記憶である。感覚記憶は、感覚器官において1秒ほどの映像や音などを覚える記憶で、短期記憶はより長く、数十秒間も覚えていられる記憶である。長期記憶は、数分から一生にわたって長期間保持される記憶であり、保持できる情報量に限度は無い。勉強をする時はどのように長期記憶に落とし込むかが重要だと考えた。記憶には種類があり、意識をしていなくても記憶の種類を使い分けている事に興味を持ちました。

60
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:14:06 >> 44

 勉強して知識を得ましたね。いいことです。しかしそれは「とりあえずの真」であり、説明できないことも多々あると思います。批判的(建設的)に学説を吟味することにも挑戦してみてください。
3点差し上げます。

45
G24045 2024/10/10 (木) 11:41:09 9ff27@1aeca

今回の講義は人の記憶について学んだ。それにより、記憶の種類や意味について調べてみた。その結果、短期記憶と長期記憶、感覚記憶の3つに大きく分けられることを知った。また、中期記憶など他の記憶が存在することも知れた。短期記憶や長期記憶はざっくり言うと記憶の保存期間が短いか長いかである。それらに対し感覚記憶は視覚などの感覚を保存する役割がある。このように、記憶には保存期間に長短があり、それらを無意識下で利用していることが分かった。さらに、記憶は様々な要因が複雑に絡むため自分なりに保管する事が必要であり大切なことだと思った。

61
satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:14:23 >> 45

 記憶の学説を紹介しましたが、それは歴史的な流れと特定の背景において、有力な学説であるという見方ができるとなおいいと思いました。
3点差し上げます。

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Q24030 2024/10/10 (木) 12:33:55 9f13b@f2993

今回の講義を受けて、私は人間の記憶には短期記憶と長期、感覚記憶に分けられることを知りました。短期記憶はテスト前に一夜漬けをしてテストが終わったら覚えていないというような記憶で長期記憶は子供の頃の記憶などから蓄積された頭のデータがふとしたきっかけでキーワードがヒットしたように算出されるもので、感覚記憶は文章を流し見した時に目には写っているが頭には入っていないと言ったようにあまり保存時間が長くないことが特徴の記憶であるということを知り、記憶の概念についての理解が深まった。

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satsugakushinri 2024/10/14 (月) 11:14:40 >> 46

 その学説はある歴史的背景で有効なものかもしれません。自分の体験とずれているところを探して、学説の弱点を見つけることも楽しいですよ。
3点差しけあげます。