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satsugakushinri
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今回の講義で、壁と壁の幅によって通路か通路でないかを認識するという話が印象に残りました。人間は、肩幅の約1.3倍をきると通路と認知できなくなることから、肩幅に差がある大人と子供では通路と感じる場所に違いが生じるという話を聞きました。このこと以外にも大人と子供には認識の違いが多いと考えました。大人と子供では、身長や体重、人生の経験も違うため見えている世界が違い、認識も違います。例えば、50メートルは大人には短い距離に感じるのに対して子供には長い距離に感じます。これは、身長や経験の違いによって起こる認識の差だと考えました。
なかなかいいところを捉えていると思いました。「遠い/近い」という距離の認知が身体のサイズと相関しているというところです。まさに生態心理学的な思考です。「経験」はまた別に考える必要がありますけれど。
6点差し上げます。
今回の講義やこれまでにでてきた表象主義の話題の中で生まれた、なぜ人間はすべての情報を写し取らなくてもものの認知や判断ができるのかという問いの答えが得られたように感じた。例えば、ルンバは自分の身体(機体)と対象との距離を超音波などから測ることで「物にぶつからないで動く」という目的を果たしている。人間も、「物と物の隙間を通る」という行動において、部屋の詳細な情報をチェックしなくても、通り抜けるルートに置かれている物を見ることで通り抜けることが可能になる。この時、自分と通り抜けたい隙間がどのような位置関係にあるかという情報も重要で、身長や体形、地理的な傾きによって異なる物の捉え方をする。また、計算主義の外界の様々な情報を計算して人間の脳の中で意味を与えるという考えも、包囲光の発見・検出が人間の機能だという生態心理学の考えによって、コンピュータアナロジーの考え方から脱却することができたように感じる。このように見ると、AIブームによって人間の脳や記憶がコンピュータのように例えられたという時代背景があり、やがてその考え方を批判する形で別の学派が起こるという流れを理解できた。
今回の講義でゲシュタルト心理学を学び、認知心理学に通ずるものがあると思った。人間の知覚や認識の仕組みを解明する手助けするものだと思った。ゲシュタルト心理学は物事を分けて理解するのではなく、全体の関係性を重視すると感じた。また、人間の心理を理解することで、広告やマーケティングを利用し、とても効果的なコミュニケーションがとれるとおもった。
Q24126さんへ
ゲシュタルト心理学ですね。先に同じです。
3点差し上げます。
F24056 さんへ
表象主義と計算主義が生態心理学でどのように克服されているかを、ロボットの設計という工学アプローチで理解してくれました。歴史的観点への意識もよいと思います。現在は第三次AIブームと言われていますが、第二次ブームの1980年代と何が違っているのかは気になります。
8点差し上げます。
今回の講義で、まずはアフォーダンスはなんなのかわかりませんでしたが、ドアノブは「回す」というアフォーダンスを持っているとされ、ユーザーは見た目や形状から「回す」行為を予測したり、椅子は「座る」ためにデザインされているため、座るという行動を自然に促進するなど、製品デザインやインターフェースデザイン、構築の分野などで重要中田なのではないかと私は思いました。使う人が無意識にそのものをどのように使うかを考慮して設計するべきなのではないかとも私は思いました。
わかっていないと言いつつ、実例を挙げることができていますね。応用分野として製品デザインやインターフェースデザイン、建築が挙げられているのもその通りです。これをもっと拡張して「ユーザーエクスペリエンス(UX)」まで持っていけると、より大きなビジネスチャンスにつながるのではないかと感じるのですが、どう思いますか。
6点差し上げます。
今回の講義で私はゲシュタルト心理学に興味をもった。ゲシュタルト心理学は様々な点で活躍され、今の心理学にも大きな影響をあたえている。その中でもパソコンやリモコンなどの、入力、処理、出力に利用されており、今の世の中に必要な心理学であることがわかった。
ゲシュタルト心理学ですか。先に同じです。
2点差し上げます。
今回の講義で、偈頌タルト心理学について知ることができました。中学の頃の授業では錯覚として学んでいたことのしっかりとした名称とその現象とは何なのかについて学びました。中学で学んだゲジュタルトでは、別々の人がその色や形を一度認識したら金に見える服が青に見えたり、老婆が若い女性に見えたりするという認識のずれが起こることを指していました。実際自分には老婆は若い女性にしか見えなかったり服は金にしか見えなかったがクラスメイトは自分と逆の意見を言う人がいました。今回の講義で学んだのは、人は絵や写真に限らずメディアなどによって植え付けられたイメージで物事をみるとイメージで先行してしまいなかなか修正することができないがこれは自分が体験した中田と漫画のキャラで好きなキャラは自分にとってはとてもかっこよく映るが友人にとってはあまり刺さらなかったなどのイメージや買う尺の不一致にも起こっている現象なのではないかと思い、気づいていないだけでゲジュタルトは日常に潜んでいるのだなと知った。
またもやゲシュタルト心理学。先に同じです。
3点差し上げます。
今回の講義ではゲシュタルト心理学を中心に話されていた。それを元に感じたことを述べる。それに伴いまず、アフォーダンスについて調べた。その結果、アフォーダンスとは「周囲の環境が与える価値や意味などである。」そしてその具体例はドアノブの話が非常にわかりやすい。このように人は無意識下で合理的な行動を行う事があるがそれは主にゲシュタルト心理学とアフォーダンスの関係が主軸になっていることが分かった。また、コンピュータを用いるパソコン等の機械も情報を活かしていることから似たことが言えると感じられた。
「ゲシュタルト心理学を中心に」話したつもりはなく、生態心理学を中心に話したつもりです。アフォーダンスの話は概ねよいのですが、ゲシュタルト心理学との間にどういう関係を読み取っているのですか。コンピュータとはどう関係するのですか。同じ「情報」という言葉は使っていますが。
5点差し上げます。
今回の講義を受けて、大人がよく認識して座っている椅子が幼い子供には椅子として認識できないという話がとても印象に残りました。確かに、私は幼いころよくおしゃれな場所にあるカウンターチェアに座るのが怖くて泣いてしまったことを思い出しました。そこで、他にも大人と幼い子供で身体的認識の違いがあるのではないかと思い、考えてみたところ、例えば、大きな銭湯に行ったとするそこで、大人は銭湯を体を洗う場所だと認識できるが、幼い子供は背の高い大人の目線で見ることができないため、大人よりも銭湯が大きく認識するだろう。ならば、幼い子供はここは体を洗う場所だと認識しづらいのではないだろうか。このことから大人は椅子があれば座り、銭湯があれば体を洗うが、幼い子供は認識の違いからaffordできない部分があり、逆に大人が幼い子供用の椅子を椅子だと認識できないように、大人もaffordできないことがあると考える。
自身の体験に基づいて、生態心理学を体感的に説明してくれようとしています。面白いです。銭湯の例はもう少し説明がほしかった。どうして子供には「体を洗う場所」と認知しづらいのですか。私は子供の頃、湯船の「壁」がよじのぼることをアフォードしていたので(大人なら「またぎ越える」だと思います)、湯船は体を温めるところというより、決死の覚悟で行くなんかよくわからない場所でしたね。
7点差し上げます。
今回の講義を受けて、アフォーダンスについて深く学ぶことができた。
アフォーダンスにはいくつか種類があり、物理的アフォーダンス、知覚的アフォーダンスなどがあげられる。物理的アフォーダンスとは、物体が物理的に得られることである。例えば、椅子が「座れる」という性質を持つことなどを言う。知覚的アフォーダンスはあまりイメージが湧かなかったので、詳しく調べたところ、見た目から直感的に理解できるアフォーダンスであるそう。アフォーダンスとは単なる物体の特徴ではなく、行動を引き出す可能性や人と物との関係を表す概念として理解されているものである。
物理的、知覚的アフォーダンスという言葉は初めて聞いたのですが、どこに載っていたのか気になります。アフォーダンスは知覚されるものなのですべて知覚的であるし、アフォーダンスとは行為の可能性で、環境に物理的に存在しているので物理的といえば物理的です。
6点差し上げます。
今回講義を受けてみてゲジュタルト心理学について興味が湧いた。生活してる中でゲジュタルト崩壊が起こることはあるがなぜ起こるのか考えたことがなかった。認知能力が低下することによって起こり、頭や精神状態が異常をきたしているわけではないと分かった。同じものを何度も見ることによって視野が狭くなり細部が気になりがちだからである。一部分だけを見るのではなく、全体性や構造を意識することが大事だと学ぶことができた。
今回の講義を受けてゲシュタルト心理学について知ることができました。物事を「部分」ではなく「全体」として見る脳の働きについて学び、バラバラの点が集まると「形」が見えてくるとか、見え方がまとまりやすいルールがあると思いました。「近くにあるものをひとまとまりと見なす」ような人の感じ方の特徴を学べて、普段何気なく見ているものも少し違った視点で見られるようになりました。
Q24143さんへ
ゲシュタルト心理学ですね。先に同じです。
3点差し上げます。
Q24149さんへ
ゲシュタルト心理学ですね。先に同じです。ゲシュタルト崩壊は授業で出て来なかったので言及しておきますが(なんでこれについて語ろうと思ったのですか?)、同じ対象にさらされているとゲシュタルト的な知覚ができなくなるという現象です。
3点差し上げます。
今回の講義でゲシュタルト心理学を学び、認知心理学に通ずるものがあると思った。人間の知覚や認識の仕組みを解明する手助けするものだと思った。ゲシュタルト心理学は物事を分けて理解するのではなく、全体の関係性を重視すると感じた。また、人間の心理を理解することで、広告やマーケティングでの効果的なコミュニケーションがとれると思った。
ゲシュタルト心理学ですか。先に同じです。また「認知心理学に通ずるものがある」というのは個人的な感想としてはありですが、そのことに言及することにどういう意義があると思いますか。生態心理学の話を中心にしていたつもりなので、この感覚に違和感を覚えました。また、「広告やマーケティングでの効果的なコミュニケーション」とどうして関連づけられるのだろうとも思いました。
>> 153 と同じ投稿内容でした。
今回の講義でゲシュタルト心理学について理解が深まった。自分で調べた日常的な例についてパラパラ漫画が挙げられた。パラパラ漫画は一枚一枚は動かない絵(部分)が、連続してみると(全体)動いて見えるということである。これがゲシュタルト心理学の中にでてくる「仮現運動」と呼ばれるものの一つということが分かり、この「仮現運動」は初めて聞く言葉でそこからさらに様々なキーワードと関連付けられてることもわかった。ゲシュタルト心理学はこれまでの心理学史には欠かすことのできないものなので、機会があれば授業で話されなかったところも調べてみたいと思った。そしてアフォーダンスという言葉も自分の中では印象的な言葉だった。アフォーダンスとは周囲の環境が我々に提供する意味や価値といった情報を指しており、モノが人間に使い方を提供するという関係は普段の生活の中でありふれていることがわかった。
ゲシュタルト心理学については先に同じです。生態心理学はこのゲシュタルト心理学を先祖の一つとして持っていると言えますが、そこには気づきましたか。そしてどうして先祖と言えるのかについても。アフォーダンスが別個の話として持ち出されているようなので、このへんが気になりました。
4点差し上げます。
今回の講義では、ゲシュタルト心理学や人間の物に対する認知についてなど学んだ。ゲシュタルト心理学とは、人の精神はある一部分や要素から成り立つものでないため、全体性や構造を重視するべきという考え方の心理学である。一般的には、ゲシュタルトの法則けゲシュタルト崩壊などが日常生活では聞き覚えがあるだろう。現在、ゲシュタルト心理学の原則は日常のさまざまな場面で活用されており、パラパラ漫画やグラフィックデザイン、テレビのリモコンなどで使われてることを調べで見て知った。人間の物の認知に対する認知については、形や大きやへの認識によって行われていることを知った。講義中はルンバなどの例を用いて説明されていた。人間が何かを認知するのには、能動的に動かす必要があり、そうすることによって人は自分の体の一部とし、物の長さや大きさ、重さや形状を知覚することができるのだと学んだ。
ゲシュタルト心理学については先に同じです。ルンバの例は生態心理学の応用例として出したつもりです。ゲシュタルト心理学は生態心理学の先祖の一つですが、ルンバにゲシュタルト心理学の何が見えますか。アクティブタッチについては生態心理学の事例ですあって、これはゲシュタルト心理学では出てこないと思います。「能動性」は生態心理学のキーワードの一つで、アクティブタッチはその好例ですが、ゲシュタルト心理学で「能動性」を強調した学説はありましたっけ?
4点差し上げます。
採点対象となる投稿を締め切りました。今回もありがとうございます。
ゲシュタルト心理学とは、人の精神はある一部分や要素から成り立つものではないため、全体性や構造を重視するべきということを知りました。
ゲシュタルト心理学については先のコメントを参照してください。
次回は締め切りに間に合いますように。
今回の講義では、認知科学と生態心理学の考えの違いを深く理解することができました。認知科学の考えは、主に脳で情報を入力をし、それを処理し、出力することで情報を処理できます。いわゆるコンピューターみたいなものでたり、脳があれば、身体は必要ない「身体の不在」という考えがあります。一方で生体心理学では、「環境を探索して何かを発見する」ということが重要なキーワードだと思います。環境は意味や価値 を私にとって何であるか、私たちにどういうことをしてくれるのかを可能にしてくれます。生態心理学では、環境が私たちの行為を可能性を知覚してくれると考えです。 生体心理学に対して、行動の可能性をアフォードするということが生体心理学の鍵であると私は思います。講義では、教授がおっしゃっていた、自分にとって他の人は環境であるという話がとても興味深いと感じました。最初(初対面)はその人について何もわからないけど、探索(コミュニケーション)を通して、他人という環境を理解することができるということは、今まで当たり前のようにやってきましたが、生態心理学を学び、当たり前のように環境を探索していたことに気づくことが出来ました。
今回の講義を通して、前回まで少し理解が出来なかった認知科学と生体心理の違いについて、今回の講義で理解が深まったし、より今後の講義の興味が湧きました。
生態心理学も認知科学に含まれるので、正しくは「1950から80年代の主流派認知科学」です。授業内容をよく理解してくれていると思いました。
7点差し上げます。
今回の講義でアフォーダンスというものが気になった。話の中で日常生活によく関わってるものだと分かったので自分の理解を日常生活に関連付けて説明しようと思う。
アフォーダンスとは、物体や環境が人間に対して行動の可能性を自然に示す特性である。この概念はアメリカの心理学者J・J・ギブソンにより提唱され、物や環境がその形状や性質を通して「どう使うべきか」を直感的に伝える点に注目している。認知科学の観点から言えば、アフォーダンスは知覚が単なる情報受け取りにとどまらず、行動を導く積極的な要素であることを示している。
アフォーダンスの典型的な例として、ドアノブや椅子、階段などがある。ドアノブは「回して開く」、椅子は「座る」、階段は「上り下りする」という行動を自然に促す。人はこれらの物体を視覚的に捉えるだけで、それらの使い方を無意識に理解し、意識的な思考を介さずに行動できる。これは、知覚と行動が密接に結びついていることを示しており、視覚によって物体の特徴を即座に把握し、それを基に適切な行動を選ぶためである。
このアフォーダンスの効果は、デザインやインターフェース設計にも広く応用されている。たとえば、スマートフォンのスクロール機能は、画面上で指を上下に動かせば内容が移動するというアフォーダンスを視覚的に示しており、ユーザーは自然と操作方法を理解する。良いデザインは、このアフォーダンスを活かして、利用者が直感的に使い方を把握できるよう工夫されている。
アフォーダンスは、人間が環境に適応し、円滑に行動できる知覚の仕組みを解明する重要な概念である。知覚と行動の相互作用を通して、我々は日々の生活で物体と自然な形で関わり、効率的に行動しているのである。
どういう資料を参考にしましたか。どこまで資料の言説で、どこまであなたの表現ですか。
3点差し上げます。
今回の講義で、人間を含めた動物は環境そのものを変えて新たな発見を知覚すると知った。動物は環境を探索して何かを発見するという心理に帰着するが、発見や知覚をするために環境を改変すると学んだ。
環境破壊のように意図して改変してしまい、知覚したくなかったことを知覚してしまうこともあると知った。
メモを取るなど、自分自身で言われたことをまとめるといった環境づくりをして、復讐として知覚するなど、身の回りで環境の改変と知覚が行われていると知った。
授業内容を理解してもらえてよかったと思いました。
4点差し上げます。
アフォーダンスの話でドアの取っ手が開けるという行動を促しており、自分たちはそれを日常生活で直感的にやってるんだと知り、興味を持った。スマホのタップやパソコンのクリックにも同じことが言えて、アフォーダンスは様々なとこで形で見ることができ、知覚と行動で人間は無意識に効率化して過ごしていると思った。
関心を抱いてくれてありがとうございます。
3点差し上げます。
今回の講義では、アフォーダンスという単語が出てきてとても興味深いと思いました。個人的に調べてみたのですが、やはり「情報は環境に存在し、人や動物はそこから意味や価値を見いだすというような概念であり、アフォーダンスは英語の「アフォード(afford)」が、「与える」や「提供する」という意味から、ギブソン新たに作った造語です。この認知科学の講義の一番最初に「アフォードする」と耳にした際には、そういう英動詞があるものだと思い込みましたが、正しくは認知科学を解き明かすために作られた造語であると知って驚愕しました。また、「情報は環境に存在し、人や動物はそこから意味や価値を見いだす」と聞いて私はビーバーの習性と少し似ている箇所があると感じました。相違はあるとは思いますが、河川に生息し流木や水草などの環境にある「情報」を読み取り大きなダムを生成する。それらの小枝や流木にダムの材料という「意味や価値」をビーバーは見出しているのではないかと考えました。無論野生動物の本能と言えば終わる話なのですが、地球上で初めてダムを造ったビーバーには少なくともそれは言えるのではないかと感じました。認知科学を学んでいく中で自分の中にある知識や雑学と講義の中で出てきた単語と何かが関連があるのかと想像しながら考察するのがとても面白いです。今回の講義は特に教養が深められました。
「小枝や流木にダムの材料という「意味や価値」をビーバーは見出して」いるのですが、それは探索的活動です。授業でビーバーを例に挙げた意図は、改変後の環境がビーバーにとって何か(棲息環境としての)をアフォードするように環境を作り替える遂行的行動であることにあります。
「アフォードする」という単語自体はあります。「アフォーダンス」が造語です。
読みやすい文章でした。
5点差し上げます。
今回の講義でアフォーダンスという単語に興味を持ちました。アフォーダンスとは身近な例でいうとドアノブに引き手がついていると引く、平らな金属がついていれば押すといったように目で見た情報から行動に移すという特性であるということをギブソンが提唱して作られた造語だということがわかりました。普段の生活でも椅子は座る、閉じることができるものは挟むというようにして当たり前のように過ごしてきたが、自分に一番近い例では、ゲームの操作方法が当てはまるのではないのかと思いました。初めてプレイするはずのゲームでも今までゲームをしてきた感覚からこれは移動これは決定ボタンであるということを前提に動いているため、無意識的に理解し動かしているためアフォーダンスに関連付けられるのではないかと思いました。
あなたが挙げているドアノブの例は、ギブソンというよりノーマンの説のように聞こえます。またゲームボタンは「押す」ことをアフォードするとは思いますが、「決定ボタンとして知覚される」(「決定」という行為をアフォードする)という主張には説明(根拠)がほしかったです。
4点差し上げます。
今回の講義で、アフォーダンスの話が印象に残った。アフォーダンスとは、周囲の環境が我々に提供する意味や価値といった情報のことであり、アメリカの知覚心理学者J.J.ギブソンによって提唱された。例として、私たちが自然としていた、椅子に座るという行動では、椅子は座るという行動を自然に促しているということが挙げられる。ほとんどのモノには、存在する意味があり、それに対して自然と行動することで人間などの動物は無意識のうちに環境に適応している。この講義を受けていて、無意識のうちの行動という点で、前の講義で学んだレスポンデント行動と少し共通点があると思った。
無意識という点が共通しているかもしれませんが、あまり関連づけても意味は薄いと思います。むしろ差異をつかんでもらうことが重要だと思いました。「行動を惹起する刺激」か「行動の可能性が提示するもの」かという違いです。前者には「能動性」がありません。
4点差し上げます。
今回の講義で初めてアフォーダンスという言葉を知りました。直訳すると「〜を提供する」となり、「周囲の環境が我々に提供する意味や価値といった情報」を意味し、環境の様々な要素が動物に影響を与え、動物はその環境に適合した行動をとるということを理解しました。文字を書くという行為も、知覚できたことをより鮮明に的確に知覚するために環境を変えるためにしているというお話を聞いて、自分は学校の先生から「文字を書くという動作をすることで記憶に残りやすい」という情報を聞いてからノートに板書するようになり、これはノートやペンが「覚えやすい」という情報を発信しているわけではなく、このような自分の記憶による行為でもあると思っているのですが、これもアフォーダンスに当てはまるのか疑問に思いました。自分では無意識だったと思うような行為も何か意味・価値があると思っていてやっていると知り、本当の意味で無意識という言葉は何か分からなくなりました。
「覚えやすい」とは、実は環境改変による「知覚しやすさ」の増強であるととってくれると大きな発見だったと思いますが、惜しかったですね。私の研究について話す回では、「記憶」という概念を消します。
6点差し上げます。
今回の講義でアフォーダンスと逆さメガネの話が印象に残りした。アフォーダンスは、周囲の環境が我々に提供する意味や価値といった情報を指すことを知りました。逆さメガネの話では、外界から目に入ってくる光を屈折させることで、視界が上下逆さに見えたり、左右さかさに見えたりし、それをかけ続けると人間は慣れると言うことが面白いと思いました。ソーラーパネルを設置した場所の土地の植物が変わると言うことを初めてし知りました。
関心を持つことができてよかったと思います。ソーラーパネルについては授業の本筋とは関係しませんが、人が言っていることを鵜呑みにするとまずい事例だと知ってもらえれば幸いです。
3点差し上げます。
先週に引き続き、アフォーダンスという概念について更に深く学ぶことができた。
物の見え方は人の認知によって異なり、例えば、草むらにホースが落ちているとそれを蛇だと思ってしまうという人間の認知によるものだということである。
それをホースと認知するのにはホースらしいさが必要である。
先週も例にあげた椅子が「座れる」という性質を持つということに似ているものがあり、これも椅子に椅子らしさがないと人間は椅子と認知しないからである。
「物の見え方は人の認知によって異なり」の「認知」は、「抽出される情報(のレベル)」と言った方がよいと思います。「ホースらしさ」と「ヘビらしさ」はあるレベルでは共通しているのです。
2点差し上げます。
今回の講義ではアフォーダンスについての話が印象的であった。ジェームズ・ギブソンによって提唱されアフォーダンスは、物体の形状や機能がどのような行動を可能にするか、または誘発するかを示すものであるということを理解した。マグカップに付いている「取手」は人間が「火傷せずにマグカップを持ち上げる」という行動を呼び起こすアフォーダンスであるなどということが例としてあるとわかった。また他にも人のアフォーダンスとして、ひいきをする上司がいたとして、贔屓されている部下にとっては、その上司は頼み事を優先的に叶えることをアフォードする。 しかし、そうでない部下にとっては、頼み事を優先的に叶えることをアフォードしなく、むしろその態度から不快感をアフォードする、という具合に考えることができると調べてわかった。無意識に普段行動していたものがアフォーダンスに関係してると学ぶことができた。また環境は構成されるものだとわかった。
「行為を誘発する」という発想を生態心理学はとりません。生物の能動性を強調するからです。行為選択のきっかけを与えるだけです。
アフォーダンスはすごく適当に使用されることがあり、あなたが引き合いに出した対人関係における現象(ヒトから知覚されるアフォーダンス)ではその傾向が高いです。ある結果が生じた時、「アフォードされたからだ」と言えばすんでしまう。説明にもなっていません。「不快感をアフォードする情報は何か」と考えないと、適当な概念使用に行きますので気をつけてください。発想はそれでよいのですが。
環境は構成されません。遂行的活動のことを言おうとしているのなら、「環境は改変される(作り変えられる)」と言うべきです。「構成される」という表現は、「頭の中で」という発想と結びつく物言いです。
4点差し上げます。