本日は1968年に第9次南極地域観測隊のうち越冬隊の
極点調査旅行隊が日本人として初めて南極点に到達した日であります。
また、その際に雪上車が使用されております。
・南極地域観測隊は、南極地域での気象や大気/雪氷/地質/宇宙物理/
生物/海洋などの観測を行うために日本が南極に派遣する調査隊の名称で、
通常は南極観測隊と呼ばれております。
・選考は業種別に様々であり、複数回参加する方もいらっしゃいます。
出発前には日本国内で雪中移動訓練や野外活動訓練が行われます。
隊員は国立極地研究所を始めとする政府機関の研究員や職員が多くを占め、
会社員が勤務先から派遣される場合は出向等により一時的に公務員となる事や、
大学院生の場合は任期付きで大学の教員扱いとなる事も多いとされております。
これらの方々は「隊員」と呼称され、その他のメンバーとしては
公開利用研究課題の実施等のために申請を行い、
申請が認められれば観測隊に同行できる「同行者」が存在します。
この場合、身分としては公務員ではなく一般人となり、
一般人が正式に許可を受けて南極に訪問できる唯一の手段となります。
現在では約80名で構成され、うち約50名が夏隊・約30名が越冬隊であり、
年によって隊の人数は変動します。
・観測隊は海上自衛隊の保有する砕氷艦(いわゆる「南極観測船」)に乗船され、
通常は日本(東京港)を11月14日頃に出発します。観測隊員は11月末に
飛行機でオーストラリアへ渡られ、現地で乗艦されて昭和基地へ向かわれます。
南極観測船の運航は海上自衛隊の担当となっております。
なお、従来は全員が船で南極へ渡られていましたが、
2009年以降は一部メンバーが先遣隊としてケープタウンを経由され、
11月中に一足先に早く空路にて南極基地へ到着される年もあります。
東オングル島沖には12月または1月頃に到着し、昭和基地到着後は、
前年の越冬隊と共同生活となり業務の引継ぎを1か月間にわたって行われます。
2月1日に前年の越冬隊と新年の越冬隊が交替し、越冬しない夏隊は
前年の越冬隊と共に南極観測船で日本へ帰還される事となります。
南極観測船の日本への帰還は例年3月中旬頃であり、
観測隊員はオーストラリアで下船され、飛行機で一足先に日本へ帰還されます。
越冬隊は出発の翌々年に帰還される事になります。
なお、南極への動物の持ち込みは、かつては移動の際に重用された
そり引き用の犬を含めて、現在は全て禁止となっております。
・雪上車は無限軌道を装着して雪上もしくは氷上を走行する自動車で、
積雪地における人員や物資の輸送に用いられます。
不整地の走行にも適しているため、多用途での使用が可能となっております。
積雪に沈下しない事が性能上の最重要課題となっており、
接地圧力を0.12kg/㎠以下にしなければ走行不能に陥るため、
スキー場用雪上車は履帯幅を非常に広くして接地圧を軽減しております。
それに加え、山岳地での登坂や旋回などの運動性も要求されるため、
材料は軽量/高強度/低温適応の部材が使用され、必然的に高価格となります。
雪上車には車輪方式と履帯方式があり、履帯方式は車輪の代わりに
無限軌道を取り付けたものであります。履帯方式は車輪方式に比べると
回転抵抗の増大/構造の複雑化/大きな騒音といった欠点がありますが、
雪上等の不整地では履帯方式のほうが圧倒的に機動力に優れており、
雪上車等の不整地通過車両には履帯方式が多く用いられております。
雪上車には専用車として製造される車両の他、市販の自動車などの駆動輪を
小型の無限軌道装置(クローラ)に履き替える形式のものもありますが、
後者は前者に比して雪上性能に劣ります。
なお、日本国内で使用される雪上車は車両のサイズや機能により、
大型特殊自動車/普通自動車/小型特殊自動車に分けられており、
それぞれに対応する運転免許が必要となります。
ジャパリパークにおいて雪上車で思い浮かぶのは、
アニメ一期の第九話に登場したジャパリバス用のクローラであります。
ゆきやまちほーを通常のタイヤのままで走行するのが困難であった事から、
ラッキービースト様が用意されたのが専用のクローラでありました。
通常の車輪の直下に設置する方式を採用している事から、
車輪の付け替えの手間を少なくしているのが大きな特徴であり、
前進/後退/旋回など車両の機動力を両立しているのも特徴となっております。
この寒い季節、特にいわゆる豪雪地域において車両の機動力が制限される中で、
雪上車はこの上ない力強さと安心感を提供してくれるはずであります。
その開発に携わられた方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。