イキりLINE民ですどうも。
palspalspals
パルス
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僕がどのような「思考」の定義を用いたのか、という部分までハッキリと示しています。
とりあえず理解できていなくて可哀想なので、イメージを与えようと思います。理論科学を物質の動き等以外にも拡張し、それら万物はすべてある論理(秩序 ここでの論理は最初に示した定義の②です)に基づいているとする考えだ、というイメージと捉えていただければ結構です。
さあ、この状態で、文章化が成された状態で、イメージができないのだ!だから具体例を出してくれ!という意味不明な要求に、果たして答える必要があるのでしょうか。
そもそもあなたが言っているのは、単にイメージができないというものであり、論理的な批判でもないため、「イメージができないんならできなくていい」と本来流されるところなんですがね😓
それに、僕が言っているのは、僕が既に示した僕の思考方式の上に成り立つものであり、演繹法的な論証が基本的な部分を占めるのですよ。
それに対して具体例を求めるというのは非常にナンセンスかとw
このあなたの行為についての具体的な例なら存在しますよ。
あなたがしているのは、ホーキング博士に対して、虚数時間の体現を要求していることと論理的には一致します。これは演繹法に対して帰納法的論理展開にとって構成されているとする詭弁です。いわゆる、日本の左翼による結果論的な政策実行前における政策の批判のようなものです。この行為自体が、論理的な破綻をきたしています。
何ヵ所かで論破したようです。
以上です。
>> 17
ここで脱字していましたね。
お話を思考するのはない
ではなく
お話を思考するのではない
でした
>> 30
帰納法的論理展開にとって
ではなく
帰納法的論理展開によって
でした
訂正失礼します。
パルス〜お久(^。^)
しゃいん結婚してるのね
>> 33
しゃいん結婚で草
大分前にしてなかったっけ
かわいいね。ぱるす
>> 23
僕が分からない部分のイメージが掴めない、とパルスさんは述べていますが、>> 19では「分からない」という抽象的な僕の主張を具体的にする為に『「〇〇」「〇〇」「〇〇」という部分のイメージが掴めない』という構造で「具体例を交えた説明」を僕はしていますよね?具体例をパルスさんが出すという行為の為に、これ以上何を僕は説明をすれば良いんですか?なぜ僕がイメージを掴めないのか、を説明すればいいんですか?それならばご要望通り、もっと説明しましょう。
パルスさんの説明のイメージが僕にはよく掴めません。何故なら、パルスさんの語彙は抽象的だからです。例えば、パルスさんが使用している語彙である「条件」や「結果論的」は、多くのニュアンスや定義で使用できるものであり、実際にどのような状況を指しているのかが明確ではないですよね。よって、未だに僕はイメージが掴めておりません。だからこそ、具体例を交えてパルスさんが説明することによって、より詳しいニュアンス等の情報を僕は頂きたいのです。
ここまで縷説しても分からない場合の為に、もっと別の例えにして見ましょう。例えば、「個別的事例を抽象化することで、一般的法則等を見つけ出そうとする推論のことを、帰納的推論という」という言説は、具体例ではなく抽象した定義ですよね?よって具体例が思い浮かばない人は、「個別的事例」「一般的法則」「帰納的推論」のイメージが掴めませんよね(少なくとも僕は掴めません)。そこで「例えば、人間が死ぬという命題は、今まで普遍的に人間が死んできた個別的事例から抽象したものであるものもあり、その一連のプロセスは帰納的推論である」と具体例を混じえながら説明をすることで「個別的事例」「一般的な法則」「帰納的推論」のニュアンスが伝わりますよね。それと同じことを僕はしてほしいのです。はい、満足ですか?
僕も具体例何個か出してますよ。笑わせないでください。
あなたの分からない部分に対する明確な具体例の提示ができないという風になるのはあなたの「分からない部分」というのが、示されておらず抽象的だからだと言ったはずです。
そこが示されないと具体例を示せないのは当然かと。
アホなんですかね。悪魔の証明じみたことをする上で質問をする際に、その質問内容が完全に詳細まで明らかにした絶対的なものでなければ、返ってきてしまうのですよ。そんなことも分からなかったんですか???
ちなみに、単語に存在する定義の集合において、文章上使用された定義がその集合に内包されるものであれば、文章上の正当性は確立されます。残念ながら、あなたは「自分は知識不足、レベルが低いので、いちいち単語の意味を具体例を使って説明してください」と言っているだけです。
それに、あなたが当初求めていたのは「イメージ」だったはず。イメージとして掴めないという意見だったのが、「ここまで縷説しても分からない場合の為に、」というまるで今まで言ってきたことと同じ事を噛み砕いて説明しているかのようにして、定義の明確化とそれを用いた具体例による認識とすり替えている。残念な方ですね。イメージとは大まかな認識のことです。むしろ単語自体に複数のニュアンスがあればそれはイメージです。
しかもさ、そんなもん自分で調べたらどうですか?定義の集合に内包する時点で僕自身に落ち度は特にないかと。笑わせないでください。
あなたのこれまでの言動を具体例を用いて表しますねw
僕が、「数学で、関数によって作られる面積の話」をしていたとします。そこであなたは「どういうことか?」と質問してきました。そこで僕は「積分を用いて出す」という話をします。ところがあなたは「イメージが掴めない、具体例を上げて縷説しろ」と言い始めます。
勝手に首突っ込んできて、おつむのレベルが追い付かず、そこでたとえ数学において最低レベルの公理が存在するとはいえ、それを絶対的正当事実とするユークリッド幾何学上での演繹法的な事実に対して、具体例を要求し、それをイメージだと言い出しているわけです。
まるで教師と生徒のようなのですが、あなたはそこまでして、自分の知能(笑)をアピールしたいのですか?
>> 25>> 29
あの…「推量」の下りを二回繰り返しているのは、レス数の水増しをする為ですか?仮に何か付け足したい情報があるのでしたら、>> 25の「推量」のくだりを訂正すればいいだけです。わざわざ>> 29によって同じ類の話を投稿する意味がわかりません。真意は知りませんが、とても見にくいですし、醜いです。育ちの悪さが伺えますね。
はい、それでは返していきたいと思います。便宜上、>> 29は>> 25に混ぜます(先述した通り同じ類の話である為)。よって、>> 25でのパルスさんの主張は
「パルスが行ったのは推量であるため早とちりではない。つまり分かっていない可能性を前提としている」
「対比表現等で代名詞の内実は読み取れる」
の2つですね。
まず一つ目の括弧から返していきます。最初に言っておきたいのは、パルスさんは言葉足らずの文章下手くそ男だということです。確かにパルスさんの言う「推量が偽である可能性を考慮している推量」の場合もあるでしょう。しかし客観的に言うと、推量というのは「他人の内情や状況を推し量ること」であり、その推量により確実性があれば「推量の結果が偽である可能性」を排斥する場合も現実にはあるでしょう。よって「推量ならば推量結果が偽である可能性を考慮している」というA→Bという構造の発言は、パルスさんの言葉足らずです。まぁそこは優しい僕が補いましょう。あくまでパルスさんは「推量が偽である可能性を考慮している方の推量」をしていたから早とちりをしていないと主張していることにしましょう。
さて、ここからが大切です。「早とちりではない」とパルスさんは主張し、恐らくそのパルスさんの発言が僕の発言の健全性を崩すものになると思っているのでしょうが(>> 29の"はいお疲れ様でした"という煽りチックな発言や>> 25の"早とちりなんでしょうかね笑"という反語による発言から客観的に"推量"しての結論であり、毒正義の発言の健全性を否定するスタンスに立っているのは否定出来ないだろう)、実際は僕の発言の健全性を何ら揺るがしません。何故ならば、早とちりではないと否定することでパルスさんが健全性を崩そうとした僕の発言は「早とちりをしないでくださいね、最強LINE民さん」というものであり、この発言は「パルスが早とちりをしている」という前提がないからです。先述した通り、推量というのは「推量が偽である」という可能性を排斥する場合もありますし、その逆もまた然りです。しかし、僕はパルスさんが実際にその可能性を排斥していたのかは分かりません。なので「早とちりをするな」と発言することによって、今後、結論が偽である推量を正しいと思い込まないように牽制をしていただけなのです。例えば、長時間走っている人、Aがいたとします。そのAがどのような気持ちで走っているのかBは分かりません。疲れて身体が限界なのに走っているのか、それともまだまだ行けるのか分からないのです。だからこそAに「身体が限界な状態で走るなよ!」とBが忠告をします。つまり、最悪な状態をピックアップすることによって、今後のAの行動をBが牽制をしているのです。その牽制に対して「Aは限界な状態で走っていないからBの発言の健全性は失われる」とAがBに主張しても、Bの発言は、そもそもAが確実に限界な状態で走っているという前提を置いた発言ではない為、なんらBの発言の健全性は失っていないのです。今回は、それと同じ状態です。よって、あくまで僕の発言は牽制であり、パルスさんが早とちりしているという前提はありませんので、僕の発言の健全性は崩れません。
さて、お次は二つ目の括弧についてです。代名詞のくだりです。予め言っておきますが、これも僕の発言の健全性を崩すものにはなり得ません。あくまで僕の主張は「代名詞が多いから分かりにくい」という趣旨であって、代名詞がどこを指しているのかが分かりにくいという趣旨の主張では無いからです。それなのにも関わらず何をとち狂ったのか、野矢茂樹の論理トレーニングの練習問題みたいな文章を書いて、その上でヒントまで出して、問題形式のようにパルスさんはしていますね。はてさて、パルスさんは何がしたいのでしょうか?会話を円滑に進めるために代名詞の内実を述べるのならば分かりますが、態々考えさせると?論理ゲームでもしたいんでしょうか?代名詞を使わなければ、対比表現等をいちいち探したり、そこからいちいち推量する必要はありません。当然、ある程度は代名詞を使うべきだとは思いますが、分かりにくい部分は内実を明記するべきでしょう。よって、さっさと代名詞の内実を記載して、今後は代名詞の内実を明記しなさい。ちなみに、パルスさんが引用している文章で、分からないと私が述べた代名詞の内実はありません…マジでパルスさんの引用文いらないです。ヒントとか出されても「え、だから何?」ってなります。しっかりしてください。
早とちりのくだりに関してですが、最初のレスをA→Bとすると、次のレスはB→Cという風になっています。
残念ですが、論理的な発展が起きています。あなたはそれすらも分からなかったようですが。。。
必死に逃げ道を模索したようですが、簡単な話でワンパンなので言わせてもらいますね。
推量というもの自体が確実性がある場合を排除したものであり、もし確実性がある(ここでは命題が真であることが分かっている)ときに推量表現を用いるのは、そもそも文法上の間違いです。文法上の間違いを仮定してその可能性を考慮すべき、とするのは、もしこれが思考内容における話であれば良いのですが、文章が何を表しているかという話題においては、単なる詭弁というか、ロジックにもなっていないことが分かると思います。
ところで、演繹法的論理に対する帰納法である前提を主張する言動に関する話については、論破されたら「イメージが掴めない」と言い出すスルースキル、こそがあなたの必殺技のよう(推量)ですね笑
それ、ゾンビって言います。
ところで、笑ってしまった表現がありましたので言わせてもらいます。
「客観的に推量した」んですね???
大変なおつむをお持ちなことで…
>> 28>> 30
ふむふむ、つまりパルスさんの主張したい事というのは
「形而上学のようなものが思考上の話である」
「演繹法的な論証は具体例を出すことは出来ない為、論理破綻が生じている」
「イメージが出来ないという話は論理的な批判ではない為、本来は流される」
の3つにまとめられますね。それではひとつずつ返していきます。
まずは一つ目の括弧です。あの、ぶっちゃけた話していいですか?だから何?って感じです。>> 19で僕は言いましたよね、「形而上学的なものか、より独特なものか等、ある程度推し量ることは出来る」と。つまりその程度なら分かっております。そんなことをドヤ顔でパルスさんは復唱して、「簡単に説明してるんすけどね笑」とかだっせー煽りを付与して、あらあらまあまあ…といった感じです。改めて述べておきたいですが、ただイメージが僕は掴めないだけなんです。念の為に言っておきますが、僕のイメージではなく、パルスさん自身のイメージなんです。例えば、話自体が思考上に存在する、の具体例は「色と色の境目は何色なのか」等の話なのか、と考えることは出来ますが、本当にこの具体例がパルスさんの主張に沿っているのかは不明です。だからこそパルスさんに具体例を要求し、認識をすり合わせようとしているのです。よって、くだらない話している暇があるのでしたら、イメージの擦り合わせに励んでくださいね(笑)
さぁお次は二つ目の括弧ですね。演繹法云々のくだりです。予め言っておきますが、あくまで僕が使用している具体例の定義というのは「事実に則した例」です。当然、ホーキング博士の虚数時間を体現する、だなんてことは必要ないです。まぁそんなことを言ったって虚数時間の具体例を出すのは難しいでしょう。ですが、「虚数」と「時間」、単体で見るならばどうでしょうか?「"例えば十一次元空間のように"虚数はこの世に存在しない」と虚数を説明したり、「"例えば川の流れのように"時間は流れていく」と時間を説明したりすれば、虚数時間のニュアンスやイメージを掴みやすくなるのは明白でしょう。かの有名なデカルトさんも言っていましたね、「困難は分割せよ」と…。よって、具体例をまじえながら説明をすることは出来ます。
ちなみに「万物はある論理に基づいている」とパルスくんは考えているのですから、その万物の中の一つをピックアップし、そのピックアップしたモノが論理に基づいているかどうかを示せばいいのです。「万物」もあるのに、具体例が出せないわけないでしょう?(笑)よって「万物はある論理に基づいている」という言説の具体例は提示出来ます。まぁ、僕には「万物はある論理に基づいている」という部分が帰納的に見えますが…パルスさんの言説は特殊的な事例から抽象化したものでは無いのでしょうか?もし違うのであれば、演繹法で導き出したものであることを証明せよって感じです。
さて、最後に三つ目の括弧ですね。論理的ではないからイメージを持てなくても本来は流される云々のくだりです。まぁパルスさんが指している「本来」はなんなのか…なぜ論理的でないのかは、僕には分からないですが…。パルスさんが使用する語彙には様々なニュアンスに解釈できる抽象的部分があり(>> 36を参照)、その抽象的部分を具体例によって明晰化しようとすることに、もし何らかの論理的欠陥がおありでしたら、是非とも証明してくださいね。
ところで「何ヶ所かで論破したようだ」とパルスさんは述べていますが、どこを論破したのでしょうかねぇ。もしそれを提示できないのであれば、論破したという推量が偽になってしまいますねぇ。まぁ、「推量だから論破していない可能性を前提としてい」ますし、推量が偽でも恥ずかしくないのかもしれませんね!(笑)何はともあれ、是非とも頑張ってくださいね、最強LINE民さん(笑)
それをイメージって言うんですよ笑
追い詰められた結果の自己破綻ですか??
ちなみに僕のイメージを要求しているのだとすれば、イメージそのものが文章化された上記のものとなるのは当然かと。そりゃ僕の認識を示しているのですから。
最初に僕に対して、「(自分の中で)イメージが掴めない」というつもりで言っていたが、結局追い込まれて「自分が求めているのはあなたのイメージだ!」という逃げ道を発見したつもりになっていたのかもしれませんが、僕のイメージなら上記した基本的な文章すべてであることは当然のことです。そんなもん僕が「これがイメージだ!」と言わなくても当然だということぐらいは分かると思います。
そうなると、あなたは「僕の上記の文章」が「僕のイメージ」であることすら理解できていなかったのか、「僕の上記の文章がイメージであることは理解しており、尚且つそのイメージをひたすらに要求していた」というロジカルブレイクのどちらかに該当することになります。当然ですよね。お疲れ様です。
ちなみに僕のイメージ自体は他人に理解できずともイメージとして存在するので、僕なりの提示そのものがあなたの要求を満たすのも当然です。
必死に逃げ道模索するのも良いのですが、間違いを認めるのも大切だと思いますよ笑
ところで、演繹法による論理に対する帰納法の前提の要求についてですが、あなたのレスが反論にもなっていないことの自覚はおありでしょうか?
なんですかw「自分が要求している具体例とは事実に即したもののことだ」
「万物に存在するのに示すことができないのはおかしい」ってww
これ、完全に笑わせに来てますよね。
具体例なんだから事実に即したもののことなんて当然です。必要十分条件を、まるで十分条件かのようにドヤるのはやめてくださいww笑っちゃいますww
それに、万物に存在するのに示すことができない場合があるのは当然では???逆に必ず示すことができると考えているのならば知性が欠如しているのでしょう。
万物の1つをピックアップしても「万物はある論理に基づいている」という言説の具体例ならないこさえも分からずに批判してきているんですか???みっともない。
万物の1つをピックアップしてそれがある論理に基づいていることを示したところで、言説の具体例は言説の論理を満たすものです。すなわちそれは、万物に共通する論理の1つをピックアップとなります。あなたが言っているのは、単純に万物の具体例のことです。
おそらくあなたは、「万物の具体例の提示はすなわち万物がある論理に基づいていることとの具体例になりうる」と言いたいのでしょうが、そうなる場合、前提として「万物がある論理に基づいている」という言説の是認が確定します。イメージとして掴めないとかほざきつつ縷説を要求するも理解して認めているという自己矛盾に陥っているようですが、だいじょぶですか?笑笑
抽象部分の明晰化云々だけど、イメージ要求してたくせに明晰化とか言い出すのももう頭湧いてるし、どこに論理的欠陥があるのかなんて示しマシタww
それに単語の定義ってどんな状況下でも集合的特徴を持つから、コミュニケーション上で単語の定義の明晰を達成することなんて当然できないし、それ要求する時点でナンセンス。もし具体例を示すことで明晰状態を達成できりなら(背理法)、お前の質問に使われた単語の定義を明晰にしろって言ってんだよ。こんなことも分からんけ??示せ言うてんだから示せ。仮に完全な明晰状態にできねーんなら、そりゃお前さんの「具体例を示しゃ明晰化できる言説」は破綻するんやから、諦めりゃいい。そんなこと内心気付きつつも、「これ以上なにを具体化すればいいの?」なんてとんちんかんなこと言い出して、そこで明晰状態にし切れないことはお前自身がそのセリフで認めちゃってんだから、論破やんけ。
それと、他の部分の論破云々だけど、俺が「論破だね」みたいなこと書いてある、その俺のレスポンスの中で論理破綻を指摘してるから、文句あるんなら反論しろやカス。
反論できないのか理解できないのか、はたまた逃げられると思ったのかは知らねえけど、「どこですかぁ~?」のアホスルースキルかますぐらいなら、論理的なレスポンス考えるか、認めるか、どっちかにすりゃええやんけww正直キモキモゴープ君見苦しいです。
何ヶ所か誤字があったので訂正させて頂きました。内容は大して変わらないと思いますのでご安心を。
毒正義「マドラーでコーヒーを混ぜるのって、性行為をしているみたいですよね。」
ツイッターより。
天使さんこんばんは😡Twitter見てくれてありがとうございます。絡んでおいでくれやがれください。
>> 41
以前はどこで喧嘩してたんですか?
LINEで活動をしていました。といっても、僕は観戦をするばかりで、喧嘩はあんまりしていませんでしたよ。ぶっちゃけ喧嘩もほぼほぼ初心者みたいなものですねw
へー、ライン民なんだ。
素朴な疑問なんだけど、ライン喧嘩ってそういうのを目的とするグループみたいなのがあるの?
てか初心者であり、ライン民であるのにすごい長文書けるね。
ライン喧嘩って短文の応酬のイメージだけど、実際は長文でやってるのかな?
そうですね…今はわかりませんが、以前は多く喧嘩用のグループがありました。恐らくTwitter等の喧嘩界隈よりも活発的にやられていたと思われますね。恐らくLINE界隈の盛り上げには、LINEの多機能性が関与してると思われます。長文喧嘩もチャット喧嘩も、何なら口頭喧嘩もできますから…でも、僕目線からみると、比較的に長文の喧嘩が多かったのかな?って感じです!
ライン界隈はすごいレベル低いって言われてるけどそこんとこどうなの?
ツイッターや掲示板と比較してどう思う?
LINEのレベルが低いのは拒めないですね…w恐らく相当低いです。LINE民の上位層が、よくてTwitterや掲示板での中の上レベルですね。あとはゴミクズばっかりです…ただ、LINEの外で活動しているLINE民は上位層が多いので、掲示板などでLINE民だと名乗っている人を見かけてもあまり油断しない方がいいですね。
やっぱりそうなんだ。
ライン民を自称する人はたまに見かけるけど、たいていレベルの低さを憂いてる。
まだまだ発展途上なんだね。
毒正義も久しぶりに喧嘩を始めたならしばらくここにいつくといいさ。
バルスからの返事もきっとくると思うし。😄
そうさせていただきます☺雑談に付き合ってくれてありがとうございました。
LINE民は相手にしちゃいかんぞ
ありゃヤバい。
現役LINE民でまともな頭してんの見たことないや。
結局はアドアンくんと同じタイプなのかな。
分かんなくなったり、ヤバいと思ったら、「わかんない」「縷説しろ(理解できないだけ)」「それどこに書いてあるんだ」「(同じ主張を繰り返す)」「は?論破?(ピキっちゃう)」「お前が言っていることはおかしい 大体なんでこうなんだ?(既に論理的に説明済みでもスルースキル発動からの無限ループ)」
ほんであとあれか、俺のその「万物はある論理に基づいている」とかいうやつが帰納法じゃね?的なやつ。
これぐらいだな、あんたさんのまともなレスポンス。
まず俺さ、「ある論理」って言い方したっけ。そこは覚えてないけど。
んでまあ、じゃあ本題入るとして、もし何かにランダム性が見受けられるのだとすれば、ランダムを発生させる論理が存在するというのは当然なわけよ。逆に、何かしら公理があるとして、その公理は何かしらの現象(現象と呼ぶのが妥当なのかわからないが)によって存在するわけ。そういったものを超人智的なものとして、扱ってしまったら建設的でないとする思考は存在するわけ。まあそうだとしても万物に論理があることを前提にはしてるんだけどね。
ほんじゃあこれ、3つのパターンに分けて考えよっか。こっからの3つにパターンで、世界の認識主体に論理が存在するか否か、と認識の対象に論理が存在するか否か、の2点について扱うね。それらが共に存在する、となれば、俺の言説は成り立つから。
まず1つ目のパターン。物質自体がそれとして存在して、俺らも物質で、物質の動作を機械的に俺らが認識しているのがこの世界であるとする場合。
この点、主体の論理の有無は、認識の対象の論理の有無と一致するよね。それじゃあ、認識の対象である物質に論理は存在するのか。これについては、本当はもっと高度な話(例えば認識主体・認識の対象、双方を構成物質というもの自体が仮想上に作られたものである可能性とか もしこの例だとしても、双方が物質である場合に当てはめても大丈夫だからわざわざ出しはしないけど)をしたいんだけど、特定の1つの論理の具体例を示せば、認識の対象における論理の存在は証明できるから、1つだけ具体例出すね。
「量子的もつれ」
ほい。
このとき、これはコンピューターにも代入できるんだけど、認識主体と認識の対象における論理の有無の合致より、認識主体が形成される論理があること(必要十分条件を満たした)も証明完了。
次、2つ目のパターン。認識主体は物質で、認識の対象は物質ではない仮想上のもののとき。これはつまり、脳があることを仮定したときに、脳が想像しているのではってやつだね。俗には水槽の脳とかいう言い方をする。
このとき、この脳が認識の対象を生み出すという、それ自体が法則であって、それ自体に論理が存在するよね。そうなると、認識の対象が論理に基づいていることはもう証明済みとなる。じゃあ認識主体はどうか。このとき、認識主体が物質であると仮定しているから、1つ目のパターンに従って、論理は存在するよね。
はい、証明完了。
3つ目のパターンね。
認識主体が物質ではない何かで、認識の対象が物質の場合。世界五分前仮説が1つ目や2つ目ののパターンの場合もあるけど、それは問題ない。問題となってくるのは世界五分前仮説がこのパターンとなる時。
実はこのパターンは、2つに細分化できる。
(1)認識主体は内部に存在するが、外部からの干渉を受けている場合。
(2)外部に認識主体が存在する場合。
ここでは認識の対象が物質であると仮定している。もちろんこれは、2つ目のパターン等の特殊な例を除き、当然我々が考えている通りのことだ。ここで、世界五分前仮説等、世界に対する過去の認識が予め外部からの干渉によって設定されたものであるとする。この時、(1)ならば、外部からの干渉によって認識主体と認識の対象が、それぞれ………、~~という状態となる、という論理が存在する為問題ない。
では、(2)のように、FPSのような、そういう場合を考えるとなるとどうだろうか。こうなると、まず認識の対象は認識主体によって存在するため、認識の対象における論理は存在すると言えそうだ。では、論理主体においてはどうなるか。ここで論理主体は、認識主体に対する認識を持っている。これの認識主体自体が認識されて存在するという論理に基づくため、論理は存在すると言える。これをイデアという概念で考えた哲学者もおれば、俺は小3のとき、これを、世間的にはクオリアと言われる概念で考えたこともある。
以上のように、万物はどのような体系をとっていても、何かしらの論理に基づいていることが演繹法として証明される。
証明終了。
はい、示しました。
反論あるならおなしゃす。
>> 59
物質自体がそれとして存在して
また理解できないとあれだから言っとくけど、ここでの「それとして」って物質として、な。"が"って助詞からして伝わるとは思うけど。
双方を構成物質
って書いたけど
双方を構成する物質
だわ
脱字すまんの
途中飯食って時間空いたりしたけど、僕忙しいので、返せるときに返しますね。
パルスさんと毒正義さんの論争とても勉強になります。パルスさんには殲滅少年でお世話になってました。飛龍です。また来ます〜
雑魚パルスいきってんじゃんwwwwwwwwwwwwwwwwww
雑魚がなにいってんのざーこwwwwwwwwwww
はい、おれのかちいいいいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
パルスって俺から逃げた奴でしょ
こんなちんけなところで喚き散らかしてんのか
雑魚はここがお似合いだなw
レウ君が馬鹿で相手にする価値がないと判断出来るものがありパルス君は逃げたんじゃないの?その事柄を知らないが、そうとも考えられる。その視点にフォーカスすると、逃げた、雑魚だのと喚き散らかしてるのはレウ君なんじゃねえのかな?態々、こんなチンケな所に足を運んでパルス君追いかけてんのウケる
もし上記に該当する感じでパルス君が呆れちゃう位の馬鹿だったらマジでおもしれぇな。しかし、自分の身の丈を知らず図体を大きく見せるだけの文章ならガッカリだけどね。正直。
>> 63💩
>> 64
なんでお前なんかから逃げるようなことがあんのw
>> 50
パルスさんの発言をまとめますと
「パルスは具体例を出している」…①
「毒正義が分からないと主張している部分が示されておらず抽象的である」…②
「単語の定義に当てはまっていれば文章の正当性は担保される。よって知識不足、レベルが低い為に毒正義は具体例を要求している」…③
「大まかな認識という定義のイメージを毒正義は求めていた筈なのに、定義の明確化とそれを用いた具体例の話に、毒正義は入れ替えている」…④
「定義くらい自分で調べろ。定義の集合にパルスが使っている単語は内包されている為、パルスに落ち度はない」…⑤
となりますね。今回は便宜上、ラベリングをさせて頂きました。それでは一つずつ返していきたいと思います。
①
さぁまずは①からです。こりゃまた驚きですよ。だって、僕が求めていた「具体例」をパルスさんは既に提示しているといいますから。その具体例の在処を明記してくれないのは不親切ですが、まぁ大体
の部分かなと思います。もしこの部分を、具体例と呼んでいるのであれば、声を大にしていいますね。
全然ダメです(笑)
確かに「論理で全部構築する」という言説の具体例としては、上記の引用文は活躍しているでしょう。しかし、その引用文の具体例の中にも「条件と結果を連結するケース」や「論理を構築するケース」や「論理的整合性の崩壊を見つけて条件と結果の繋がりの誤りに気づくケース」等の具体例を述べられる抽象的な部分があります。そこの部分で「パルスさんがどのようなイメージを持っているのか」というイメージが僕には掴めない為、具体例を求めているのです。具体性が全く足りません。例えば「万物に対して条件と結果を連結する」と偏に言いましても、万物という単語ひとつを取り上げて見ても「万物とは普遍的なものを指しているのか、それとも人間が生きていく上で認識しているものの大体を指しているのか」等といった疑問が浮かび上がります。それらの疑問を、具体例を「まじえながら説明」することによって、ニュアンスまで明確化しようとしているのです。これは辞書には載っていません。パルスさんからしか聞き出せないのです。よって、パルスさんは確かに具体例を出していますが、僕が求めている具体例は何ら提示出来ていません。あらあら、ここまで来て「意味不明な要求」だなんて言えるのでしょうかねぇ(笑)
②
はい、何回も言いますが>> 19において括弧の中に僕は分からない部分を提示しています。引用するならば
の部分と
の部分です。その上で、僕に関してはパルスさんがどのように抽象的なのかを述べていますが、パルスさんに関してはただ「抽象的だ」とほざいているだけですよね。立場の違い、わかります?(笑)それに>> 36において、「これ以上何を説明すればいいかわからない」と僕は言っているのにも関わらず、馬鹿の一つ覚えみたいに抽象的の一点張り、やめて貰えません?よって、さっさと僕の抽象的な部分をパルスさんは縷説するべきです。もし縷説しているのでしたら、そこを引用してください。
③
これもまた期待外れな文章です…パルスさんは自身に落ち度があるかどうかばかり気にしていらっしゃるようで。別に誰も「最初のパルスの説明文には落ち度がある」だなんて言っていないのに…(笑)例え文章に論理的欠陥がなくとも、細部のニュアンスを①で述べたように知ろうとすることは、議論において齟齬を生じさせない為の当然な行為であり、それを怠ると議論が在らぬ方向に進んでしまう危険性を伴うのは当然の認識でしょう。そして、それらのニュアンスは辞書に載っていないことも①で述べましたよね。だからこそ「パルスさんから情報を引き出す」という形式を用いて、僕は「調べて」いるのですよ。この一連の行動は確かにパルスさんが言う通り「知識不足」であるかも知れませんが、その知識とやらはパルスさんに内在しているため、エスパーでもない限り聞くしかないんじゃないですか?もしかして僕にユリ・ゲラーを期待してます?よって、僕にユリ・ゲラーを期待しているのでしたら、確かにユリ・ゲラーになれない僕が悪いです。来世はエスパータイプに生まれることを願います(笑)
④
さてと、ここで僕のイメージを勝手にパルスさんがイメージして、間違った方向に進んでいるので正しておきましょう。確かにイメージを僕は掴めないと言いましたが、それはパルスさんの単語一つ一つのニュアンスが僕には分からないために、話の細かい部分においてのイメージが僕には掴めない、といった趣旨の話です。つまり、僕が掴もうとしているイメージの範囲は、パルスさんの文章の細部においてであり、今回の話全体のことではないのです。よって、単語の一つ一つに対して具体例を述べることにより、細部の「イメージ」を掴もうとしているのです。ここで注意して欲しいのが、あくまで僕が求めたのは「具体例をまじえた説明」であり、具体例単体ではないのです。よって、定義の明確化も僕が最初から求めていた部分に該当します。はい、僕の主張には一貫性がありますね?勝手に僕のイメージのニュアンスをイメージして、勝手に「ズレてるやんけ!」とか発狂するのやめてくださいね、LINE民さん(笑)こんな風に認識齟齬をパルスさんは起こしてしまうのに、ニュアンスを認識する為に僕が話を掘り下げようとすると「レベル低い!」とか言ってくるの、何かのギャグですか?(笑)パルスさんの発言に説得力皆無ですぅ〜(笑)(笑)
⑤
さぁお待たせしましたラストでございます。まぁ正直、このラベルに関する返事は、①〜④への返事で事足りますが…つーかパルスくん、自身の落ち度がないことを証明するのに必死すぎですね(笑)③でも言いましたが、別にパルスくんに落ち度があると思って具体例を要求している訳では無いのですが…(笑)何に怯えているのでしょうね(笑)改めて述べさせてもらいますが、単語一つ一つに内在するニュアンスは、パルスくん本人から聞き出さないと分からないです。だからこそパルスくんから情報を抜き出そうとしているのです。パルスくんが言う「調べろ」のプロセスを、まさに今踏んでいるのです。よって、言われるまでもなく調べるという行為を僕はしていますし、別にパルスくんに落ち度があるかどうかなんてどうでもいいです。まじ、パルスくんしっかり〜!って感じです。
>> 51>> 52>> 53
所詮パルスはLINE民
はいどうも、多忙なので長文のやり取りに胃がもたれてきた毒正義です。リアルに支障をきたしています。でも喧嘩やめられないんだけど!でも喧嘩やめられないんだけど!もう何かの病気かなと自分を疑っちゃいます。でも仕方ないですよね、「あれ、こいつ僕の文章の解釈ミスってね?」って思ったら正しちゃいますよね。それに、僕の文意を勝手に馬鹿な第三者に勘違いして欲しくないですし。さて、御託はここまでにして、そろそろ返事をしましょうか。まずはパルスさんの発言をまとめましょう。今回もラベリングをさせていただきます。
「次のレスはB→Cとなっている為、論理的発展が起きている」…①
「推量とは確実性を排除したものであるため、確実性がある場合に推量表現を使用するのは誤りである。」…②
「文法上の間違いを仮定してその可能性を考慮すべきという言説は、詭弁でありロジックにもならない」…③
「論破されたらイメージが掴めないと言い出すのはスルーでありゾンビである」…④
「毒正義の"客観的に推量した"という表現は誤りである」…⑤
「形而上学的なものだということや、より独特なものだということをイメージと呼ぶ。よって毒正義は自己破綻をしている」…⑥
うん、改めて見ますと、ツッコミどころ満載の主張ですね。よくそんなんで偉そうな態度を取って人を煽れたものです…(笑)それでは①から返していきましょう。
①
どの部分がパルスさんの指しているB→Cになっているのかが不明です。パルスさんの使用している「次のレス」がどの部分を指しているのかも分かりませんし、本当に不親切な方ですね。あくまで文章の仕組みを論理式によって僕は表しているからこそ、A→Bがどこに当たるのかを
といったように僕は明記しています。それなのにパルスさんはただB→Cという論理展開をしている!としか言っていませんね。文章を人に読まそうという気概が全く感じられません。そんな状態で喧嘩して、いざパルスさんの相手が理解できなかったら「お前がアホなだけ!」とか言わないでくださいね。アホなのはパルスさんですから(笑)よってB→Cという論理式が成立しているということを、パルスさんは懇切丁寧に説明するべきです。
②
はい、これめちゃくちゃパルスさんアホですよね。だって「100パーセント命題が真であると分かっていないと確実性というものが存在しない」という前提がない限り、パルスさんの主張している内容はまかり通りませんもん。恐らく「可能性を排斥する」の部分を、可能性の「全て」を排斥するという文意だと捉えているのでしょう。つまり僕の使用した排斥という単語のニュアンスを掴めていない可能性があります。もしそうであるならば、ニュアンスのすり合わせをしようとした人を馬鹿にしていた人のやることなのか疑っちゃいますね。アホだと思っちゃいます。レベルが低いのはどっちなのかと笑っちゃいますね。
さて、本題に入りましょうか。本題というのは、命題が真であると確信している状態で、推量内容を推量の形で明文化したものは、文法的な間違いになっているのかどうか、という話です。
まず「確実性がある」という状態を「命題が真だと100パーセント分かる状態」というニュアンスでパルスさんは使っているようですね(そうでなければパルスさんの理論がまかり通らない為、好意的な推量をします)。しかし命題が真である可能性が100パーセントではない場合だって、確実性があると人によっては思う場合もあるでしょう?例えば、顔を真っ赤にして暴れ回っている人を見て、論理的には怒っていない可能性があると認識しても、推量によって怒っているという可能性が高いと認識し、怒っていない可能性を「信じない(可能性を排斥する)」場合があるでしょう。よって、推量をするにあたって「確率的には命題が偽である確率も否定は出来ないが、命題が真である確率が圧倒的に高い。よって命題が偽であることを信じない」といった状況は現実にあります。何故ならば、推量というのは「推し量ること」ですから。つまり数ある命題の選択肢の内、一つを選び、その一つの可能性が高いと考えることですから。その一つの選択肢が事実である可能性が高ければ高いほど、確実性があると人は認識するのですから。
また、そのように「自分が選択した命題が偽である可能性を信じない状態(偽である可能性を排斥している状態)」だとしても、文章上では推量形にするという行動は整合性が取れます。何故ならば、先述した通り、可能性があると認識するかしないかと、その認識した可能性を信じるかどうかは、全くものが違うからです。何が言いたいかというと、可能性があると認識することと、その認識した可能性を信じないことは両立するということです。その場合、パルスさんのイメージしている推量の条件である、命題が真か偽かを100パーセントは分からない、という条件を満たしつつ、可能性を排斥することが出来ます。よって可能性を信じなくても、可能性を認識したということを根拠に、推量の形にするという行動の整合性は取れます。
よって「命題が偽である可能性を認識しているから、文章では推量の形式にするが、しかし自身の選択(解釈)した命題に確実性があると認識するため、脳みそでは選択した命題が偽であることを信じない(これを可能性を排斥すると呼ぶ)」というケースは現実にはありますし、この状態で推量内容を文章を推量の形にするのはなんらおかしい部分はございません。つまり、僕の論の健全性をパルスさんの反論は何ら崩せてません。藁人形論法です。アホ?アホ?アホ?アホ?アホ?やる気あります〜?
③
②で、確信している状態で文章を推量の形にするのは文法的におかしくないことを証明したため、③のくだりの前提(文法の間違いを仮定するという前提)が崩れ、僕の文章の健全性を崩す言説にはなり得ないことが証明出来ますね。あくまでパルスさんが選んだ命題が事実であると確信をしている(命題が真だと分かっている訳では無い)可能性を見越して、僕は忠告をしたまでです。そしてその忠告はパルスさんが早とちりをしている、という前提がないため、パルスさんの反論は何一つ有効打になり得ません。よって、僕の文章もとい忠告は健全性が保たれていますね。どこまでいっても文のニュアンスを正確に解釈できないパルスさん、お疲れ様です。
④
あれ?どこでパルスくんの主張が帰納的なものであると僕は主張しましたか?確かに「帰納的に見える」と僕は言いましたが、実際にパルスくんの主張は演繹的なものでは無い、だなんて話もしていませんし、だからこそ敢えて「見える」と表現し、実際はどんなふうなのかを質問していただけですが?それでパルスさんが演繹的であると証明できたところで、僕の発言を論破したことにはなりませんよね?よって僕は論破されていないと思います。
それとイメージが掴めないと言う発言はスルースキルである、と述べていますが、本当にこれはスルーをしていることになりますか?イメージを掴むことによって、よりパルスくんの主張を理解しようとしており、寧ろ掘り下げようとしている状況だと思うんですけど。よってスルーしていることにはならないと思います。
⑤
どうして笑うんだい?俺の言説は上手じゃないか。客観的に見て、「こうやって推し量るべきだな」というものは存在するし、実際に客観的な推量は出来ると思うんですけど、どうして客観的な推量という表現がおかしいんですか?例えば、顔を真っ赤にして暴れ回って怒鳴り散らしている人は、客観的に「怒っている」と推量するべきですよね。何故ならば、怒っていると推量した根拠が、客観的にみて「怒っているという推量への影響力のある要素の1つ」ですから。よって客観的な推量というのは出来ると思いますし、なんら表現はおかしくないと思います。
⑥
あらあら…また「ニュアンスを掘り下げようとすることを馬鹿にするくせに、パルスくん自身は相手の発言のニュアンスを汲み取れない」という病気が炸裂していますね。あの、確かに形而上学的である、というのは「話全体」という範囲においての、大まかなイメージですよね。ですが、イメージが掴めないという僕の発言においてのイメージの範囲というものは、話の細部においてのイメージでなんですよ。その細部のイメージは、例え話全体のイメージが掴めたとしても、分からないですよね?よって、毒正義は自己破綻をしていませんし、形而上学的である、等のイメージは、僕が最初から求めている範囲のイメージではないです。
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さて、またパルスさんの発言にラベリングしていきますね。
「既にパルスのイメージそのものが明文化されている為、パルスの文章を毒正義が理解出来なかったのか、理解した上でイメージを毒正義が要求して論理破綻しているかの二択である」…①
「他人が理解しなくても独立してイメージがあるため、毒正義の要求をパルスなりの提示方法でパルスは満たしている」…②
「演繹法に対する帰納法云々は反論になっていない」…③
「万物の中の一つを示すことが出来ない場合があるのは当然である」…④
「万物の内の一つを具体例として提示しても"万物はある論理に基づいている"という言説の具体例にはならない毒正義が求めているものは万物の具体例だ」…⑤
「イメージを求めつつ縷説を求めているのは自己矛盾である」…⑥
「単語の定義を明晰にすることは出来ない為、要求がナンセンスである。もし出来るなら背理法で毒正義の質問を明晰にするべきである」…⑦
「パルスの文章は演繹的な論理である」…⑧
はい、まとめ終わりました。無駄にレスの数が多いですねこの野郎。それではパルスもとい障害者に返事をしたいと思います。
①
何回でも言わせてもらいますが、この件もパルスさんの話の「全体像」がある程度掴めただけであり、パルスさんのイメージの細部まで理解した訳では無いです。それに、例えイメージを明文化しようとしているとしても、実際に明文化された内容を必ずしも細部まで理解出来る訳では無いでしょう。例えば空の色を伝える為に「薄い青」という単語を使った場合、確かにその単語は伝える側のイメージを明記したものですが、その細部までは、読み手は理解出来ないでしょう。よって、パルスさんの文章は抽象度が高い為、僕が求めているイメージを明記したことにはなり得ません。本当に話の流れが掴めていないようで、あらあらまあまあといった感じです。
②
え?僕の要求は「パルスさんの主張の細部の、パルスさん自身のイメージを理解したい」というものであり、例えそのイメージが独立してあったとして、そしてその独立したイメージをパルスさんなりの提示方法で僕にプレゼンしたところで、僕が理解出来なければ僕の要求は満たされませんよ?よって、さっさと主張の詳細をパルスさんは明記するべきです。
③
えっと、パルスさんが「反論になっていない」と述べている言説の部分、反論であるだなんて僕言いました?それに、当たり前かのように「帰納法の前提要求」とか言ってやがりますけど、僕が求めているのはあくまで「具体例を混じえた説明」であり、それはつまり抽象度が高い単語への解説なんです。より単語を具体的にし、細部までのイメージを掴む、それこそが僕の目的なのです。その事を簡単に説明し、パルスさんの誤解を解こうとしたつもりでしたが、またまた誤読が入っているようですね。よって、反論だと僕は主張していないため、僕の論を打破する主張にパルスさんの主張はなり得ていませんし、そもそもの話前提が間違っています。
④
え?今回の話は「万物」のうちの一つを取り出し、それがしっかりと理論に当てはまっているのかを検証することが出来ないのですか?どのような仕組みで不可能だという結論が導き出されるのですか?例えば演繹的に求められているという証明をパルスさんはしていますが、その中での「水槽の脳」の話だって、「例えば今スマホがあると認識しているが、その認識すること自体が法則である」というように具体例(あくまで水槽の脳の具体例は僕が推し量って提示した具体例であり、実際はパルスさんのイメージと誤差があるかもしれませんが)を出せるのではないですか?これだって万物のうちの一つ、ですよね?つまり、必ずしも万物のうちの一つを示すことができない場合がない、と僕は主張しているのではなく、今回のケースにおいては万物のうちの一つを提示できるのではないか、という主張です。よって、パルスさんの発言は的外れです。
⑤
これはこれは…とても大きなメタコミュニケーションの不成立がありますね。どうやら「提喩(シネクドキ)」というものをパルスさんはご存知でないようで…。例えば花見、という単語は桜を見に行くことを意味します。これは桜を花という上位互換に言い換えているのです。それと同じように、「万物がある論理に基づいているという言説の具体例」と僕が記載したのは、具体的にいえば「万物はある論理に基づいているという言説の、実際に論理に当てはまっている万物のうちの一つ」というものになります。つまり「論理に基づく万物」に「論理に基づく万物のうちの一つ」を言い換えたのです。よって「万物はある論理に基づいているという言説の具体例ではなく万物の具体例だ」というAではなくてBというパルスさんの指摘は、実際はA=Bであり、実際にパルスさんが読み取れている通り、文脈的にも意図が明らかになっています。つまり、提喩は成功です。パルスさんが今していることは「花見」という単語を見て「花じゃなくて桜を見に行くんだろ!」と指摘しているようなものです。つまり同じ意味合いなのです。つまりパルスさんの指摘は尽く的外れです。建設的な議論、しませんか?(笑)
⑥
これも僕が求めている「イメージ」の範囲を理解していないから起こってしまう悪論理の主張ですね。何かの論理に万物が基づく、と言っているからこそ、僕は「どのような論理がどのように万物に当てはまっている、とパルスはイメージしているのか」という、「細部のイメージ」を知るために具体例を求めているのです。よって、例え全体的なイメージが掴めても、細部のイメージが掴めていないため、僕が要求している細部のイメージを説明するために、パルスさんの話の全体的なイメージを「縷説」しなければいけませんね?イメージを縷説することにより、イメージを得るのです。よって、イメージを得るために縷説を求めるのは何らおかしいことではありません。
また、例え具体例を僕が要求していたとしても、その行動が「万物がある論理に基づいている」という言説を是認することを意味しません。本当に万物がある論理に基づいているのかどうか、ということを確かめる為にも、具体例の要求は出来ます。よって、僕が具体例を要求したという根拠だけで、万物はある論理に基づいているという言説を是認するという結論は導き出せません。確かにパルスさんは論理で構築されているようですね。悪論理という論理で(笑)
⑦
あの、めちゃくちゃパルスさんは馬鹿ですね。僕、一度でも「100パーセントの明晰化をしろ」だなんて言いました?確かにその性質上、語義というのは「完全」に明晰化することは出来ません。しかし、ある程度の明晰化は出来ますよね?例えば、どのように僕が分からないのかを縷説した>> 36では、具体例をまじえて説明することによって、より僕自身の「分からない」という単語のイメージを具体的にしました。これは一種の明晰化です。つまり無限遡行をしろと僕は言っているのではないのです。ただ、ある程度の明晰化はできると僕は述べているのです。よって、既に質問の明晰化に僕は成功しており、パルスさんの指摘は藁人形論法です。この⑦の件だって、パルスさんが「細部のイメージを確認すること」を怠っているからこそ起こった齟齬じゃないですか。本当にいい加減やめません?アホすぎて鳥肌が立ってますから今。
⑧
あの、めちゃくちゃどうでもいい所でそんな長文書かれても…😅百歩譲って長文書くとして、ただ「量子的もつれ」とか言われましても、ぶっちゃけほにゃほにゃって感じです。死ねって感じです。これ、読んでる人のうち、どれだけが理解出来てると思いますか。まじでオナニーやめてください。
まぁそんなこと言ってもしょうがないので、じゃあ仮に演繹的に求められたものだとしましょう。実際は「水槽の脳」のくだり一つをとっても、認識の対象を生み出しているという経験を積み重ねたことにより導き出した「法則」なのではないか、それは帰納的に導き出された法則なのではないか、といったような疑問もありますし、そこでまた先述の文章の二倍くらいの議論ができるですけど、今回はストップしましょう。何故ならば、意味が無いからです。例えパルスさんの主張が演繹的に求められているとしても、僕が求めている具体例と説明は提示できることは既に示してありますから。流石に枝葉の議論で文章の大半を占めるのは重すぎますし…。よって、疑問はあるが保留する、といった結論になりますね。
何十ヵ所かで論破したようです。以上です。