私が思う神って色々な災害から守ってくれる、災害を止めてくれる者だと思うんです。そこで災害がなくなっているならいると思いますが、災害はなくなっていませんよね?
なので私は実在ないと思うんですがどう思いますか?
僧侶 77139298ca
迦唯
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神は人間に干渉しませんよ。救うなどしませんよ。救ってほしいと願う人間が救ってくれるであろう存在としてそのような神を作り上げただけですよ。何とか救ってもらおうと、あの手この手でお願いしてるだけですよ。
なるほど。なら、神はいないんですね!
実在する。
余りにも世界が神秘に溢れているから。
動物の身体が代表的。心臓はなぜ動き続けるか。「生」の始まりの1泊目はどうして始まるのだろう、とか。
数学も沢山の美しさや見えない者の意図を感じる。
その神秘を神が生み出したということですか?
まあ、名前に神とついてますもんね!
では、それが今も続いてるのは何故?
それも神のおかげ?
私はそれは人間のおかげだと思うんです。
人間が神が用意してくれたものを今も続けた結果、こうなったかなと。
となると、神は実在していたということ。
でも、していたということは今は実在しないのでは?
実在しないししなくていいですね
なぜそのように思うのですか?
>> 15
それはただの無知。既知になれば神は消える。そして全ては既知になりうる。よって神はいない。
簡単な例を出すと、世界は五十音の中しかないと縮小してみよう。あいうえおしか知らない人はあいうえお以外に神を感じる。しかしあからんまで知れば神を感じる事はないわけだ。未知なものに憧れを抱いているだけだろう。
ちなみに実在は実際に在るという意味なので、超自然的なものは存在するが正しい。
既知になるという前提が未知な件について。
そもそも世界の事象が知で解決するという保証がない。
人間が識別できる領域は限られている。
そういう超越的な存在を神と呼ぶのでは。
>> 18
そうですね。KANAMEさんが言ってることは正しいとはおもいます。
超越的な存在のことを神といいますね。
でも、人間が識別できる領域が限られてるからこその答えもあるかと。
まあ上で述べたこととは変わりますが、私は神は実在しないと思ってはいますが、でも存在するとも思っています。
それは私が2つの考えを持っているからです。
では2つ目を勝手に話しますね。
神って言葉、皆さん知ってますよね?
国語の授業で漢字習いますよね?
私はここで疑問に思ったことがあります。
なぜ神は存在しないのに童話や、言葉に表されているのでしょうか。
それはなぜか…。
私なりに考えて導かれた答えは神が私達に自分が実在するというのを伝えたいのではないか。
これだと思うんです。
私が思う識別が限られてる中での答えはこれです。
そもそも現実に対して超越的な存在を神としている以上、実在の概念を現実的な観点から捉えること自体がおかしいので、概ねカナメと迦唯に同意。
ただし、「実在」という概念は、あくまで現実的な側面においてしか成立しない、或いは超越的な部分で成立していても、宗教的妄想の中に収まってしまう、と俺は考える。
というのも、上記の「神は実在する」理論に則れば、現実では有り得ない存在でさえも、脳内で創作すれば、それらはすべて、どんなものであろうと実在するもの、となってしまう。
その点、俺の意見が皆さんと食い違ってるところ、かな。
つまりはパルスくんは神は実在するということかな?
まあ、そうだね。
脳内で創作をすれば実在と言う人もいると思う。
だけどさ、脳内ということは実際にはないわけで実在とは言えないと思うんだよね。
現実であることによってそれを初めて実在と言うと思う。
これはパルスくんも言っていたね。
じゃあ、やっぱり実在とは違うよね?神は想像上のみでつまりは存在はするかもしれないけど実在はしない。
まあ、神の話は上で話したから、ちょっと思ったことがあったからそれを話そうと思う。
パルスくんの文を読んで思ったんだけど、
結局何を言いたいのかがよくわかんない。
私の理解力がないだけかもしれないけどよくわかんないや。
「実在」という概念が存在するための条件となる、"客観性"が間主観によって定義されるか否かで場合分けをし、定義されない場合は「実在しない」、定義される場合は「実在を否定はできないが、宗教的妄想の一環である」という話なんだけど、逆に何が分からないのか聞きたい。
なるほどね。
「神とは災害から守ってくれるものである」とするなら
土砂崩れを防止する鋼鉄ネットや洪水を止めてくれる堤防、火を消してくれるスプリンクラーなんかも神なのか?
話の流れでいつの間にか「超常的である」という条件が付け加えられているけど
実在するか否かを問う前にまずは定義をしっかりさせるべきかと。
前提条件に「超常的である」を加えるなら、そりゃ実在するわけねーよなって話です。
というわけで、「実在」についてだけど
そもそも実在しているとはどういうことなのかと。
さっき言った堤防なんてのも、水際ではない場所に設置されてりゃそれはただの盛り土になるわけで。
堤防という名の物質が存在しているわけではなくて
「水の流れを制御する機能が備わった構造物」という概念に対して堤防という名前が付けられているわけだ。
スプリンクラーの機器だけがコロッと置かれていても、ただのガラクタなわけで。
スプリンクラーという名の物質が存在しているわけではなくて
「水道管と接続されており、散水する機能を持った装置」という概念に対してスプリンクラーという名前が付けられているわけだ。
この論調でいくと、神も実在可能だぞ。
神という名の物質が存在してる必要なんてないのだから。
見えないし触れないようなものでも「実在している」と扱うことは可能だ。
>> 26
そうですね。超越的というのを忘れていました。
実在とは目に見えるものとしてあるもののことを言うのでは?
見えなくて扱えないものを実在として扱うことは流石に無理があるかと。
そういうものは存在というのでは?
「見えなくて触れないものであっても実在していると見なすことは可能です」ってことを
堤防とかの例を用いて>> 26で説明したんだけどな。
無理があるというのであれば説明の部分に指摘してくれなきゃ話進まないぞ?
堤防は見えるし触れるものですよ。堤防を例にして「見えないし触れないようなものでも「実在している」と扱うことは可能だ。」?はいー?
いやだから否定するのであれば説明の部分に指摘してくれ?
その堤防と「素粒子レベルで物理的に全く同じ構造の物体」が水際ではない場所にあったとしても、それは堤防ではなくただの盛り土ってことになるだろ?
水辺に配置された盛り土は堤防と呼べるが、山の中に配置されていた場合それは堤防じゃねーだろ。
つまり、堤防ってのは「水際にある・水流を制御する」等々の性質を内包する概念に対して付けられた名称ってわけだ。
それともお前は「水際にあるという性質」に触れることができるのか?
堤防ってのは「水際にある」などの非物理的な性質(あるいは条件ともいう)を含む概念に対して付けられた名称なのだから、「堤防は実在する」とするのであれば、同様の理屈で神の実在も肯定することができる。
逆に「神は実在しない、なぜなら目視できないし触れないから」と言うのであれば
同様の理屈で「堤防もその実態は物質ではなく概念に過ぎず、実在しているわけではない」と認める必要が出てくる。
お前は神を「見えないし触れない」とした上で実在と扱えるとしてるんだろ。神=見えない触れないとしてるのに堤防という見える触れるものを例にしてるのがそもそも頓珍漢なの。堤防じゃない盛り土だとしても見えるし触れるだろ。
堤防~は「神とは災害から守ってくれるものである」という前提から始まったんだろ。つまり「堤防は水際じゃなければ盛り土」の理屈では「神は災害がなければ神ではない何か」って事になる。「神ではない何か」だとしても見えないし触れないのには変わらない。よって堤防を例示するのは不適当ですね。はいバカ確。
>> 31さんがわたしが言いたいこと言ってくださった。
「水際にあるという性質」は見ることも触ることも出来ないだろ・・・
水際に設置されており、水流を制御して洪水から守ってくれるという性質を持った概念の名称が堤防なのであって、設置場所が水際ではなかったり水流を制御する機能が備わっていなかったりしたら、それは堤防ではなくなるだろう。
これを否定するのであれば
「水際にあるという性質」を目視可能かつ触ることができる状態で個別に抽出してみろって話だ。
堤防は名称ではなく物体でしょ。あと水際になかったら盛り土という名称に変化する物体でしょ。神の例にすれば水際は災害に相当するでしょ。はいろんぱ
>> 29
言葉が足りませんでしたね。
神というものはその例えとは繋がらないかと。
堤防とかに関しては見えてますし。
そのものに名前をつけたということでしょうかね。
でも、それは結局は実際にそのような機能があるものがあるからこそ実在するというのでは?
私の言葉が足らない面が多々あったためにこのようなことになってしまったのですが、神は超越的な存在であり、超常的であると思うんです。
超越的な存在であるからこそ災害とかから守ることができると思われたりしているかなと。
この条件でなら神は実在するわけないんですよね?
まあ、そりゃそうか。
だって、神は超常的であり、超越的な存在なら
堤防とかとは違うからね。
ここの続きを話すね。
先程、上で私は私が思う神についてを話したんだけど私の思う神が存在すると思う神というていで話すね?
と、いうのが私の思う神ね?
で、神は目に見えない存在であると思うんだけど、目に見えない存在である時点でそれに繋がるものなどもないと思うんだよね。
実際見たことある?
私の思う神と重なる存在。
まあ、私は当然見たことないんだけどさ笑
まあ、つまり何が言いたいかというと私が思う神の役目を果たせる存在は見たこともないし聞いたこともない。
だから実在はしないかなーって。
無理があるという部分、ここで説明できてると思うんだけどなー。
まあ、もっかい説明するね!
実在とは目に見えるもの、あるもののことを言うと思うんだけど、神は見えなくて扱えないものだよね?だから実在とは言えなく、存在と言うと思うんだよね。
>> 28もだわ
いや、だから、それに関して>> 26で
「我々は堤防そのものを目視しているわけではない」と説明してるんスけど・・・
堤防の例ではイメージが沸かないようなので、別の例を持ってきます。
「温かいミルク」とは、温かい状態のミルクだ。
さて、「温かいミルク」は実在すると思いますか?
「目で見て触れることができるものは実在している」
「見えないし触れないものは実在していると言えない」
・・・と言うのであれば「温かいという状態」は実在しないことになってしまうわけだ。
逆に「温かいミルクは実在する!」と言うのであれば
温かいミルクと同じように、災害から守ってくれる存在が目に見えなくて触れることができなかったとしても
その実在を否定することはできなくね?という話です。
>> 36
温かいというのは触ったことによってわかりますよね?
温かいというのは間接的ではありますが、触れることは可能かと。
ですが、災害から守ってくれるというのはふれることはできませんし、目でもわかりません。
なので、実在は否定できるかと。
読んでて思ったんですが、例えが神とどうつながるのかよくわからないのですが…
「分かる」から何なのか。
ミルクに触れることでそのミルクが温かいという状態にあることを間接的に認識できるというだけであり、「温かい状態」という物理的な存在に触れてるわけじゃねーぞ?
「温かい」に触れることが可能であるとするならば
顕微鏡とかでミルクを極限まで拡大したときに「温かい」という物質を確認できる必要があるわけだ。
でも、いくら拡大したところでそんな物質は見つかんねーよな。
あるいは
「直接触れることが出来なくても間接的に認識できるのであれば実在していると言える」
と言うのであれば
目に見えず触れることも出来ない神であったとしても、間接的に認識できるのであれば実在してることになるよな?
神というより「実在するとはどういうことなのか」って方向から意見してます。
その定義によって神が実在すると言えるかどうかの結論も変わってくるからな。
そして、「実在とは見たり触れたりできる物理的な存在を指す」と定義するのであれば
神は実在しないってことになるけど、「堤防」や「温かいミルク」なども実在しないってことになっちまうぞ、ってことを俺は言ってます。
間接的に認識できると思わないから実在はしないと言ってるんです。
堤防は見ることは可能だと思う。温かいミルクも間接的に触れることができるから可能。
間接的にでも認識できるからこそ温かいミルクと堤防は実在すると言える。
だが、神は認識できるとは思えない。だから実在しないと思う。
認識できると言うなら詳しく教えろよ。
まずは確認を済ませてほしいんだけど
「温かい状態」ってのは物質なのか?違うよな?
そのうえで「状態Aのミルク」を確固たる物理的な実体として扱うのであれば
神を間接的に認識することなんて余裕だろうが。
「災害から守ってくれる超常的なもの」の名称を神としたうえで
何らかの方法で間接的に認識できるのであれば物理的な実体を持っていなくても構わない、とするのであれば
例えば「磁力」なんてどうだ?
磁石はどこで切っても、どのような形に切っても、必ずS極とN極を持つ。
そしてS極とN極は磁力線でつながる。
なぜそうなるのかは解明されていないので、超常的と言えるだろう。
地球が作り出す「磁場」は有害な宇宙船や紫外線を低減しているので
災害から守っていると見なすことも可能だろう。
「磁力は、我々を災害から守ってくれている。まだ解明されておらず超常的である。」
「見ることも触れることも出来ないが、間接的に認識することができる」
磁力は神であると認めますか?
なるほど。
ミルクは実在しますよ。ミルクに付随した状態なのだから温かいミルクも実在しますよ。
①温かい②ミルク
を例にするなら
③災害から守る④神
ですね。このうち実在すると言えるのは②だけですね。
いやだからその「水際にあるという状態」って物体じゃねーだろ・・・
さらに言うなら「盛り土」も同じだっつーの。
「盛られている状態」の土なわけだ。
「盛られている状態」ってのは見て触ることができる物質じゃねーだろ・・・
結局、実在すると言えるのは「ミルク」であり「温かいミルク」は実在しないってことだろ?
だったら「①水際に②盛られている③水流を制御する機能が備わった④ケイ素や鉄などの混合物」
このうち、実在するのはどれだよw
「水際にあるという状態」に対応するのは「災害」であり災害は物体じゃないですね。堤防盛り土は物体ですね。堤防盛り土に対応するのは神ですね。堤防と神は全く違いますね。これとっくに説明済みですんで。新しい反論してくださいね。無理でしょうけど。ぷ。
温かいミルクは実在しますよ。このうち実在?分解する意味がわかりましぇーn
・・・対応って何?
もし例示との比較要素について言っているのであれば
「水際にある」に対応するのは「災害から守る」だと思うんだが。
で、堤防や盛り土が物体であるとする根拠は?
「分解する意味がわかりましぇーn」とか言ってるけど、分解することにより堤防や盛り土も物理的存在とは言えないということを俺は主張してるわけだが。
「水際にある盛られた土」を堤防と定義したうえで「堤防は物体である」と主張するのであれば
「水際にある」「盛られている」「土」の全てが物理的な存在でなければならないことは理解できてるのか?
ええ語るに落ちましたね。どちらも実在するものではありませんね。
堤防を分解すると堤と防でしょ?水際なんて周囲の話でしょ。盛り土を分解すると盛りと土でしょ。堤も土も物理的存在ですけど?すべてがぶつりてきそんざいでなければならない?はいー?
何言ってんだお前・・・
そもそも堤って何なのか考えてみろ?それ何で出来てんだよ?
堤ってのも結局のところ「ケイ素や鉄などの混合物が積み重なっている状態」に対して付けられた名称にすぎず、その「状態」ってのは物理的な実体を持つものじゃねーだろって言ってんだよ。
その説明に全く触れず「はいー?堤は物理的存在ですけど?」とだけ言われたところで、まったく反論になってねーんだが。
防にしても同じだっつーの。
いや・・・「水際にある」ってのは堤防という概念に内包されてるだろ・・・
>ケイ素や鉄などの混合物
物じゃんw
>いや・・・「水際にある」ってのは堤防という概念に内包されてるだろ・・・
堤防(物)に内包されている=実在に支配されてる じゃんw
>> 22
たとえば雷の仕組みについて
と科学的に証明できる現代では、その現象を雷と暫定的に呼んでいる。
しかし科学が発達していない人類ではどのように捉えているだろうか。
現代でも山奥に住んでいて鎖国状態の民族みたいな奴らからすれば、神の御業と思ってる人もいるんじゃないかなってくらいだ。
もちろん俺たちの近代文明すら、広い宇宙からすれば遅れている文化と思われてる可能性もある。
何を以て神と呼ぶのか、あえて定義付けるならそれが超越的かどうかじゃないか?
つまり今の科学でもまったくわからない、解明できていない不思議なことはすべて神としか形容できないんだよ。
そういうシンボルとして機能している。
ところで、遠藤周作の「沈黙」を読んでみてほしい。
それから、君の発想に近いものとしては小林泰三の「C市」を読んでみてほしい。(※「脳髄工場」に収録されている短編小説)
あとアニメなら「サイコパス」とか神に言及してる描写があるよ。
神の存在を題材にした作品は多い。
なるほど。
今度時間があったら読んでみますね。
電子レンジは温かいミルクを作ってる訳ではなく設定温度が50度のミルクを作ってるだけだ
温かいミルクは人間の感覚
感覚であるが故に一人一人温かさは違ってもいい
だからいまだに神を巡って人と人が殺し合うんじゃない?
彼らは温かさの定義を教典で示しているから
50度のミルクじゃなく49度じゃなければそれは温かいミルクでは無いみたいにして
神を巡る争いなんて文字で現すとこんな感じなのかもしれないなって思った
何かいい事があった→神様のおかげ
何か不幸が起きた→信仰が足りない。試練を与えてくださった
このように神に至っては全く死角の無い論理になっています
あと聖書の中で神は人間を200万人以上殺しています悪魔はたったの10人しか人を殺していません
私個人は神様は信じていた方が感覚麻痺して人生ハッピーになれる合法麻薬みたいな存在じゃないかなと思ってます
どうしても気になったので書き込みさせてもらいます。
詠み人知らずくんが神を「実在している」ではなく「実在可能」と表現しているのは、
であるのと同様に
であり、神が実在しているかどうかは物体(物質)Xが何かによって変わってくるから。
ということで合ってますか?
>> 51
だいたいあってるけど
厳密に言うなら少しだけ補足が必要です。
俺の意見の軸はこれです。
そちらの表記に倣って書くのであれば
『物質 = X + 状態A』
つまり、Xを含むあらゆる物質は結局のところ何らかの状態を指す名称にすぎないのでは?
・・・という考え方が俺の意見の根底にあります。
「ケイ素や鉄は物じゃんw」とか言ってる思考停止のアホがいますが
鉄原子(Fe)というのも結局は「原子核と電子の状態がAであるときの名称」に過ぎないわけです。
そして、鉄の原子をいくら顕微鏡で拡大しても「状態Aという物理的実体だけを取り出すこと」はできないので
この場合の「状態A」は目で見て触ることができる実体を持っていないことになります。
目で見て触ることができるかどうか を基準に実在の有無を判断するのであれば
神のみならず、「堤防」や「温かいミルク」なども実在しないことになる、というのが俺の意見です。
それを大きなくくりで物質としてるんでしょw
そんな事言ったら全て実態を持ってないって事になるじゃんw温かいがあってもなくてもミルクは実在しないじゃんw
ミルク実在するって言っちゃってんだけどwぷぷw
神は実在しないと判断する理由が「見れないし触れない」という理由ならば、理論上では堤防もミルクも鉄も実在しないことになってしまう・・・というのが俺の主張なので
「全て実体を持ってないことになっちゃうじゃん!」という指摘の矛先は
俺ではなく「見れないし触れないことを実在しないことの理由にしている人」に向けてくれませんかね。
原子核とか陽子とか中性子とかいうレベルまで掘り下げたら
「超越的・超常的である」という条件も満たせるのでは、という配慮も含まれてるのでヨロシク。
堤防もミルクも見れるし触れますからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwなにこのごみwwwwwwwwwwwwwwwwwww
じゃー神が原子核陽子で構成されてるってしょーめーしてねwwwwwwwwどーせできないからおまえのまけなwwwwwwwwwww
詠み人の言ってること↓
「堤防もミルクも!原子核レベルまで分解すれば!見えない!触れない!神!堤防神!ミルク神!」
はははは
「そんな事言ったら全て実体を持ってないって事になる」っていう理屈は認めたんじゃなかったのかよ?
そのうえで堤防やミルクには実体があるというのであれば
「そんな事」の内容を論理的に否定しろ?でなきゃ反論になってねーぞ?
は?なんで?
原子核や電子で構成された神という名称の物質が実在する・・・とか俺は一言たりとも言ってないんだが。
むしろ逆に、原子核や電子で構成された神は実在しないことを証明してみろよw
「原子核と電子が状態Aにある様子」の名称が「鉄」なわけだが
俺が「見えないし触れない」としているのは「状態Aにある様子」のほうだぞ?
それと、お前は知らないのかもしれないけど、原子核もさらに中性子と陽子に分解することができるし
陽子もクォークとかいうのに分解可能なわけで。
実在しないことの根拠が「見えないし触れない」という理由からくるのであれば
同じ理屈で、堤防もミルクも、鉄も原子核も陽子も
それらは全て「ある特定の状態に対して付けられた名称」にすぎず、実体があるとは言えないのでは?
逆に言えば、「原子核と電子が状態Aにある様子」は物質だ!鉄は実在する!と言うのであれば
見えないし触れないという理由で神の実在を否定することも出来ねーよな、って話だよ。
>> 30でも言ったが、「素粒子(クォークよりさらに細かい)レベルで物理的に全く同じ構造の物体」であったとしても
堤防だったり盛り土だったり、温かいミルクだったり冷めたミルクだったり、名称が変わるわけだろ?
物理的には全く同じ構造なのに、別の物になるわけだろ?
じゃあ「実体」って一体何なんだよ。
「堤防もミルクも見れるし触れます!」だけでは何の反論にもなってないので、出直してこい。
?w
「原子核と電子が見えないし触れない(=状態Aにある様子を置換)」の名称が鉄?w
鉄は見えるし触れるんだけどwちょっとこいつぶっ飛びすぎてねw
原子核をそこまで分解したらもはや鉄でもないんだけどw鉄分子ないよねw
結局お前wとことん分解したら見えない!触れない!神!神!って言ってるだけじゃんwぶっふふww
こうすれば!実体がないよ!だから神だよ!なんてたられば論法なんてどーでもいいっすからwwwww、もっとまともな事言えよくーずwwwwwwww
え、そう言ってるんだけど、何?
「鉄原子がある(それは鉄原子である)」ってのはつまり「原子核と電子がAの状態にある」ってことだろ?
で、その状態Aってのは見たり触ったりできる実体を伴う物質ではないだろ?
「鉄は見えるし触れるんだけどw」とか言ってるけど
だったら、鉄を分解したとき「原子核/電子/状態A」の3つの実体を検出できるわけ?
できねーよな、状態Aは物質じゃねーんだから。
どんだけアホなの。
『何かしらのパーツ + 見えないし触れない概念的なパーツ = 何らかの名称』
まず、この式に異論あんの?
「見えないし触れない概念的なパーツ」によって成立するものを「1つの物理的な実体」として扱うのかどうか、って話を俺はしてるんだぞ?
扱うのであれば神も実在可能。
扱わないのであれば、堤防やミルクや鉄も「1つの物理的な実体ではない」ということになる。
これについてはお前も「そんな事言ったら全て実体を持ってないって事になる」と認めていたはずだが?
その理屈を論理的に否定できるならやってみろよ。
「たられば論法なんてどーでもいい」ってのは結局のところ「詠み人知らずの言い分は正しいかもしれないがどーでもいい」って意味になるぞ?
原子に分解以前に「温かいミルクは実在しないモーン!温かい+ミルクだモーン!」と言ってたじゃんw言ってる事ブレブレじゃんw
鉄原子は物質ですよw
あとおれが指摘してるのは「それと、お前は知らないのかもしれないけど、原子核もさらに中性子と陽子に分解することができるし」の所ですよw鉄原子をさらに分解し中性子陽子にしたというもので原子核で電子がAの状態~は的外れですよwこれお前のミスだからお前の負けなw
意味不明すぎんだけどw名称だけで言ったら空とか夢とか無形のものも含まれるでしょwお前さっきからいみふめーすぎwださw
もーこいつ自分でも何言ってるか分かってないんだろうなw中性子陽子も分かってないみたいだしなwまじおもれーw
じゃあ聞くけど、鉄原子って何?
俺は「鉄原子とは原子核と電子がAの状態にある様子(概念)を指す名称にすぎない」と主張しているわけだが。
その段階から否定するのであれば、お前にとって鉄原子って何なのか聞かせろよ。
原子レベルまで拡大できる顕微鏡で「鉄の粒」を覗いたとしたら
レンズ越しに観測されるのは「鉄の原子」ってことになるけど
原子核レベルまで拡大できる顕微鏡で覗いた場合に観測されるのは
プレパラートの上にある「原子核と電子」だけだろw
原子核と電子がある。
それを類別して固有の名称を与えたものが「鉄と呼ばれるものの実体」だろーがw
もちろん、原子核を更にもっと拡大して見ることができる顕微鏡を使えば
観測されるのは「中性子と陽子」になるわけだ。
なぁ、お前にとっての「鉄」って何なの?w
「鉄は物質です!」とただ大きな声で叫ぶだけじゃなくて、説明しろよw
悪魔の証明を要求して、自らの立証を放棄する。残念ながら、存在否定を主張する場合の論理的妥当性は、存在することの立証の論理的妥当性を崩すことによって生じる。
つまり、わざわざ存在否定を証明しようとしなくても、既に りおし による「神が原子核や電子で構成されていないこと」の論理的妥当性は生じている。
ただ、「神が原子核や電子で構成されていないこと」の論理的妥当性が生じたところで、詠み人知らず には無傷であるのもまた事実だが。
悪魔の証明って言うけど
「実在する余地がある」という積極的事実の主張および説明を俺は既に済ませてる点にぜひ留意してもらいたいね。
>> 53
回答どうも。
面白い話題だなと思って見てたけど、その会話がこじれているようだったからそこをはっきりさせたら決着が着くかなと思って聞いてみたけどダメでした。
なので両者の言い分を踏まえた上で個人的な意見を述べさせてもらいます。
これを是とするならば、鉄だろうが堤防だろうが神だろうが同列に語ることはできるよ。
何かしらの成分の集合によって存在が成り立つということは、言い換えるとその存在というのは構成単位(成分)同士の組み合わせによって生じる性質であるのと同義だからだね。
つまり我々が目で見て触れられていると思っているものは、実は物体ではなくその物体を物体たらしめる科学的現象にすぎないんだよ。我々はその科学的現象や性質のことを物体とか物質とか言っているのであって、確固たる存在がそこにある(と断言できる)わけではないんだな。
したがって、実在(がそもそも何なのか明確にされてないけど)するかしないかの定義がどうあれ、堤防も鉄もミルクも神も同列なものだから、堤防についての認識の仕方やその理屈は神についてもあてはめなければならないわけだ。
これを踏まえて>> 26以降で生じた疑問に答えるとするなら、
神が実在してるかどうかは知らねーけど、神についても堤防とか鉄とか身近にあるものになぞらえて同列に語らなきゃいけなくなるので、「目で見て触れられるかどうか」を実在の有無の基準にした結果はじき出された「神も実在可能(あくまでも可能性があるというだけで実在していると断言しているわけじゃない)」)結論に文句があるなら、それは「目で見て触れられるかどうか」とかいうガバガバな基準を設けた人が悪い
になるね。
そこまで理解してもらえたなら、俺から補足すべきことはもう無いです。
というわけで、余談でも置いときます。
神の存在については中世の頃から今に至るまでさんざん議論され続けていて
「とある性質や概念に神という名称がつけられているに過ぎず、神という普遍的な存在があるのではない」という考え方は現代においてバチバチに主流のはずなのに
「鉄も固有の実体ではない」みたいな身近なモノの話になるやいなや、理屈は同じなのに一気に疑いの目が向けられるんだよな。
観測できるかどうかと実在しているかどうかをイコールにしてる人いるけど、それめちゃくちゃおかしいよ。
実在してないから観測できないのか、それとも実在しているけどまだ観測できていないだけなのか、そこがはっきりしてないからね。
観測至上主義なんて言葉があるけど観測できてないものについて
って言ってるだけで本当は実在している可能性についてはちゃんと認めてるんだよ。
観測できてなかったものが技術や理論の進歩によって初めて観測された例なんてゴマンとあるじゃん。
例えば相対論で存在が予測されていたブラックホールなんてつい最近存在が証明されたばっかりじゃん。100年前は理論上の存在どころか著名な物理学者たちからも存在を否定されまくってたのにだよ?
これを鑑みると>> 68は抜きにしても、神だって今後理論化によって存在が予測され、果ては観測の成功に至る可能性すらある。
結論として我々が認識・観測できないことを理由に実在しないと断言することは全くもっておかしいということになる。
なんか文句ある?
ブラックホールは観測から推測できたものでしょ。実在するという蓋然性は高いものでしょ。一方、神は観測から推測できたものではないですね。想念上のものですよね。存在が予測されるに耐えるほどの理論ができる可能性なんて考えられませんね。元々の観測すらないのだから。はい文句。
>> 72
科学は観測されたから理論の方をいじくり回したものと、理論上の提唱によって観測を目指したものの2パターンあるよ。
ブラックホールは思いっきり後者なので「観測→理論化」だけが科学だっていう価値観は捨ててね。
じゃーそれを神に当てはめて可能性があるってろんしょーしてね