私はこの部分を
- 編集差分ログを見ない人でも変更を察知して内容を検討できるようにするため
- コメントログの検索機能を利用して、後から内容が変更された時期を知るため
- 編集合戦を「未然に」防止するため(円滑というより円満、結果的には円滑と捉えることも?)
と解釈しています。
これらメリットと比較して、無言編集(コメント欄に記載しない)場合のメリットはどのようなものがありますでしょうか?
(追記:HN:木は消し忘れです。すみません。)
通報 ...
私はこの部分を
と解釈しています。
これらメリットと比較して、無言編集(コメント欄に記載しない)場合のメリットはどのようなものがありますでしょうか?
(追記:HN:木は消し忘れです。すみません。)
無言編集の容認には下記のメリットがあります。
1.単に否定する、消す方に議論を進める非建設的な閲覧者の意識が向きにくくなり、編集合戦を防止する
2.編集の手間が減り、心理的ハードルも下がるため、記事が充実しやすくなる
3.内容の是非ではなく、相手が編集ルールを知らなかった批判に論点をずらすことを防止する
4.編集議論に無関心な閲覧者にとって、他のコメントが流れにくくなる方が嬉しい場合がある
変更を察知して内容を検討したい方は編集差分ログを見れば済むこと、後から内容が変更された時期も編集差分ログで見れる(過去の編集を遡る用途は頻度も高くない)ことを加味して、無言編集を容認するメリットが上回るように思えます。
ありがとうございます。
(番号外1)内容を検討する人は多ければ多いほど記事のクオリティは上がりやすい(集合知)と考えられるので、一定のメリットはあると思います。編集は分からないけど、原神のことなら分かるという人が多少いるとは思いますし。
(番号外2)編集差分ログについては保存期間が90日であり、頻度自体は高くないものの、いつの間にか追加されていた記述の編集意図を知るためにはコメント欄での報告はかなり有用性があるものと考えています。