名無しの旅人
2024/06/30 (日) 15:23:39
edab0@33dee
投稿・編集ガイドラインで「編集した内容は、コメント欄に記載し報告すること」「変更点を共有することで、ページに関わる編集者全員の作業を円滑に行うことができます。」という記載がありますが、目的が「編集者全員の作業を円滑に」であれば逆効果ではありませんか? 無言編集でもトラブルになるものは稀で、無言編集OK、対立した時点でコメントする方が平均的には円滑です。「編集の円滑さより、利用者の感情・内容の無難さを本wikiでは重視するため」であれば今のルールでも理解できます。
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私はこの部分を
と解釈しています。
これらメリットと比較して、無言編集(コメント欄に記載しない)場合のメリットはどのようなものがありますでしょうか?
(追記:HN:木は消し忘れです。すみません。)
無言編集の容認には下記のメリットがあります。
1.単に否定する、消す方に議論を進める非建設的な閲覧者の意識が向きにくくなり、編集合戦を防止する
2.編集の手間が減り、心理的ハードルも下がるため、記事が充実しやすくなる
3.内容の是非ではなく、相手が編集ルールを知らなかった批判に論点をずらすことを防止する
4.編集議論に無関心な閲覧者にとって、他のコメントが流れにくくなる方が嬉しい場合がある
変更を察知して内容を検討したい方は編集差分ログを見れば済むこと、後から内容が変更された時期も編集差分ログで見れる(過去の編集を遡る用途は頻度も高くない)ことを加味して、無言編集を容認するメリットが上回るように思えます。
ありがとうございます。
(番号外1)内容を検討する人は多ければ多いほど記事のクオリティは上がりやすい(集合知)と考えられるので、一定のメリットはあると思います。編集は分からないけど、原神のことなら分かるという人が多少いるとは思いますし。
(番号外2)編集差分ログについては保存期間が90日であり、頻度自体は高くないものの、いつの間にか追加されていた記述の編集意図を知るためにはコメント欄での報告はかなり有用性があるものと考えています。
私も編集報告は必要と考えます。枝1さん(>> 4978)の意見にも賛成です。編集報告がないと、内容不備や異議があった時に編集に対する印象が悪く、差し戻しすべきの論調に向きやすく、内容に関する議論に繋がりにくいと感じています(少なくとも私は)。また、編集時にはその理由を報告するのは必要なマナーだと思っています(これは私がプログラミング系に触れている為、ソース管理ツールgitのcommitログやマージリクエストのような物に慣れているためにな特に感じるのかもしれませんが)。
自分も編集報告は必要だと思います。
そもそもwikiは特定の編集者から提供される者ではなく、閲覧者全員が編集者と成り得ますし、その場合、編集状態は編集者全員に共有・記録されるべきと思います(差分ログは消える以上完全なものではありません)。同時に編集者全員が善意を持っているとは限らず、その監視の意図もあると思います。殆どのユーザはページ全体を暗記しているとは考えにくく、差分に気付くきっかけも必要です。
そしてそれが足枷になる、または都合が悪いのだとしたらそこまでして気軽な編集をするべきでもないと考えます。
俺は比較的木主寄りな意見ではあるんだけど、編集報告自体をなくすのはやり過ぎでは?って気がする。
まず編集コストが大きくなる要因としては砂場を通して承認のプロセスを経る過程で、編集者でもなく、ただ思いつき(意見と呼べるほど理論的構築がされたものではないものを指す)を述べるだけの反対意見・付加意見の内容を反映させたり議論するところであると思うんですよね。
なのでまず最初に議論すべき箇所は「無言編集を容認するべきかどうか」ではなく、「事前相談なしの編集をどこまで認めるべきか」の敷居を下げるところからスタートすべきでは?と思います。