王立陸軍
・サミュエル・ハードウェル・ノートン
利東方方面軍最高司令官。
1980年入隊。現在では「誇りある王立陸軍元帥」として知られ、第二次プルマー内戦では数々の上陸作戦に参加した。その後のクレタ戦争では、クレタ島の占領作戦と防衛を行い。少将にまで昇進。第二次台湾事変では、5万人の兵を用いての台北上陸作戦である「ヒノイリ作戦」を立案し、利軍の勝利に大きく貢献した。
モデルはボーンスティール3世くん
・ウィリアム・チェイフィー・ブランチャード
利西方方面軍最高司令官。
1982年入隊。トラスト侵攻においては「トラストの人口を減らせば自然と敵の兵士も減るのでは?」という理念の元、大規模爆撃作戦であるローリング・ストーン作戦などを行い、実力は確かだが白人史上主義的な側面や目的のためには手段を問わない考え方な為、政府内外からの評価はあまり良くない。
モデルはウェストモーランドくん
ドナルド・デービー・アバークロンビー
利陸軍作戦本部長
1985年入隊。第二次プルマー内戦のアラスカ戦線にて戦車兵として敵兵の包囲殲滅や敵戦車の撃破などをしアンカレジ陥落に貢献、陸軍としては異例のたったの10年程で中佐にまで登り詰めた。その後のガラパゴス紛争ではイサベラ島への大規模上陸作戦を立案し実行。最小限の兵力での占領に成功し、現在でも優秀な将軍として名高い。
モデルはアイゼンハワーくん
王立空軍
・ベンジャミン・デイヴィッド・スチーブンソン
利空軍作戦本部長
1979年入隊。第二次プルマー内戦でエース・パイロットとしての名声を得る。その後ガラパゴス紛争では隊を率いての制空戦闘などを行い陸軍の作戦行動に大きく貢献。その高い操縦技術とリーダーシップを買われ第一次台湾事変時には空軍初の元帥に。現在では、軍拡計画や連合王国だけではなく中華連邦の兵士育成などにも携わっている。
モデルは陳納徳くん
王立海軍
・アグニュー・カルブレイズ・チェスタートン
利海軍作戦部長
1984年入隊。クレタ戦争では急遽編成されたリベンジャーズ艦隊の旗艦である戦艦プルマーの艦長として指揮を行い、クレタ沖海戦で勝利を収めた。その後海軍作戦部長に就任しエイムズ政権時の大規模海軍増強計画に深く携わった「王立海軍の父」と呼ばれる人物である。
モデルはアーネスト・キングくん
・レジナルド・パーマー・ゴールドウォーター
利海軍大西洋方面艦隊司令官
1978年入隊。貴族であるゴールドウォーター家の出身で、駆逐艦の艦長としての頭角を表し、船団護衛や艦隊防空任務などで活躍。ガラパゴス紛争時に西太平洋艦隊の司令官となる。その後第二次台湾事変時には上陸部隊の砲撃支援や、空母アンドリュー・デイニスを用いて近接航空支援による命じた。
モデルはカニンガムくん
・ウォルター・パトリック・ハワード・ジュニア
利海軍太平洋方面艦隊司令官
1981年入隊。第二次プルマー内戦時にミサイル艇「ドンヴィル」の艦長として上陸支援や小型船撃沈などの戦果を上げ、クレタ戦争には戦艦アラスカの艦長としての活躍により第六艦隊の司令官に昇進。順調に出世を遂げる。しかし第一次台湾事変時に仁による傷害事件についてを聞き、本部の命令を無視して攻撃を開始した事により、軍法裁判にかけられる。結果は先制攻撃対する報復処置であったと判断され無罪となるが、それ以降アジア人に対する差別的発言や行動が目立つようになり、多くの将校は彼をよく思っていない。
モデルはジャップ嫌いのハルゼーくん