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satsugakushinri
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今回の講義を受けて、認知科学がどういったことを主に学んでいくかを理解しました。今まで無意識の領域を自覚したことがなかったが、今回の講義で話していた「人は歩いているときに目の前に障害物があると、無意識に回避行動に移る。」という話を聞き、衝撃を受け、とても共感しました。そこで、なぜ人間は無意識なのにそのような行動ができるのだろう。と考え、私はやはり魂が関係していると思いました。人間の脳にある松果体と魂がプネウマを通して人間の体に命令して自らが気づかぬうちに行動していることが無意識であると考えました。また、中世の頃は無意識が善、意識が悪とされていたのに、近代に変わってからは逆に無意識が悪、意識が善とされ、考え方が大きく変わった。中世まで人間は自らの欲望のために本能で争っていると感じたが、近代ではたとえ些細な事でも深く考えるようになり、人種差別や宗教などで人々の争いが増えたと考える。これも中世から近代にかけて考え方の違いに関係するのではないかと考え、より興味深く思った。
今回に限らず、この授業では歴史的観点を大切にしたいと思っています。人は時代に限定された概念を用いて思考するしかありませんが、その思考から出てきた結論は絶対的なものではなく、時代の流れの中で変わり得るものです。そのへんをわかって、実行していただければ。
5点差し上げます。
締め切り(金曜13時)を過ぎています。採点対象とするのは今回限りとさせてください。
今回の授業を通して、近世と中世での意識と無意識の認識の違いについて理解することが出来た。近世では、意識を善で無意識を悪だと考えられ中世では、無意識を善で意識を悪と大きく考えが改められた。無意識というのは人間などの動物に元々備わっている本能に近いものだと考えていて、その中でも無意識のうちにやってしまう悪いことを制御することが出来るのが意識だと思う。特に近世では、無意識を意思で制御できない人間が、事件や事故を起こしてしまうのではないかと考えた。法律などが、中世の頃よりはっきりしたことにより無意識が善という考え方から悪という考えが移っていったと考えた。時代の移り変わりによって考え方が大きく変わることがあることを理解することが出来た。
近世ではなく近代ね。近代と中世の違い自体のみならず、概念というのは時代により変わり得るものだということを知っていたたげれば何よりです。
3点差し上げます。
締め切り(金曜13時)を過ぎています。採点対象とするのは今回限りとさせてください。
今回の投稿は締め切りました。まだ次回、よろしくお願いします。
今回の講義で短期記憶と長期記憶が他の分野の記憶の意味や認識とどう異なるのか気になったので調べてみた。そうすると、記憶は感覚記憶や短期記憶、長期記憶、中期記憶、遠隔記憶など様々な分類法があるそうだが、認知科学における記憶は感覚記憶と短期記憶、長期記憶の3つに分けられることが分かった。また、その中の長期記憶は認知科学ならではの特色があることもわかった。それは、長期記憶は認知特性を持っていることだ。長期記憶はエピソード記憶と意味記憶、手続き記憶の3つに分けることができる。それぞれ、体験や物語に応じて定着する特性、そのものの意味と一緒に覚えていく特性、身体に落とし込まれて覚えていく特性を持っている。この記憶のしやすさの特性が認知特性ということもわかった。しかし、私が1番気になっていた記憶の流れは感覚記憶から短期記憶になりその一部が長期記憶として定着していくということで、他の分野でもほぼ同じ流れであることもわかった。以上のことから、記憶の流れは他の分野と同じだったが認知科学ならではの長期記憶と特性や記憶の分類があることが分かった。長期記憶に認知特性があるなら、感覚記憶や短期記憶にも認知特性があるのではと思ったので引き続き調べたいと思った。
よく勉強してくれました。貯蔵庫モデルは有名な学説ですが、これもまた歴史的産物です。特にコンピュータに人間をなぞらえる「コンピュータアナロジー」の産物です。こういう視点からも眺めてみてくださいね。
5点差し上げます。
今回の講義を受け、現代までに認知科学がどのような議論や歴史を積み重ねて発展してきたのかがわかりました。最初に刺激から直接反応が起き、思考は行動に関係は無いと論じたワトソンが居たが、そのワトソンの行動主義を否定する様な、上書きするような形で数々の新行動主義者が登場し、認知革命に繋がるという歴史が研究成果の結晶として面白いと感じました。また、人間が無意識にしてしまう目の瞳孔や鳥肌、発汗などの行動は、反射反応であり、自分の認識外の咄嗟の行動なのだと改めて感じました。中学の時に学んだ「感覚細胞の反射」がまさかこのような形で僕の前に現れるとは思ってもいませんでした。やはり意識して行動したり反応するのと無意識のうちに起こす反射では脳を介すか介さないかという決定的な違いがあり、昔の心理学者はここまでの発見や研究を行ったのは当時の人々からしても認知科学を学んでいる私からしても革命的な発見だったと思います。時代と共に思考や社会の仕組みが変化する中で、認知科学の歴史を学びながら当時の時代背景や宗教の社会的立ち位置についても学ぶことができてとても教養を深めることができました。
いろいろ考えてくれました。どこが革命的に感じたのか、その理由は何だったのかを知りたいと思いました。
5点差し上げます。
今回の講義を受けて人間の記憶について学び、記憶にはいくつかの種類があり。感覚記憶。これは、視覚や聴覚といった外部の刺激をほんの一瞬だけ保存するもので、例えば、目の前を通り過ぎる車を一瞬で捉て、その後すぐに忘れるような感じです。
次に短期記憶は、情報を数秒から数分間だけ保持する記憶のことで、例えば、電話番号を聞いてから覚えようとするけど、しばらくしたら忘れてしまうようなものです。短期記憶は容量が限られていて、大体7つくらいの情報しか同時に覚えられません。
次に、もっと長期間保存されるのが長期記憶です。これには、意識的に思い出せる宣言的記憶と、体が覚えている非宣言的記憶が会って、例えば、友達と過ごした特別な日の記憶は宣言的記憶で、自転車の乗り方を無意識に覚えているのは非宣言的記憶です。
調べてみると、記憶って単純なものじゃなくて、かなり奥深い仕組みがあるんだなって思った。
よく勉強してくれました。この学説もまた歴史的産物であります。直近の方のコメントにも書きました。参考にしてください。
4点差し上げます。
今回の講義を受けて、記憶について幾つか種類があることを学びました。1つ目は短い記憶を覚えておく短期記憶です。例えば、電話番を覚えておく時などに使う記憶のことです。一方で、長期記憶はもっと長い情報を覚えておくためのもので、知識や経験などが含まれる。長期記憶は保持できる時間も長く、数日から一生続くこともあるということを学んだ。
幼い頃経験した長期記憶が大人になってから活きることもあるのかと思い、これこそ「身体で覚える」ということなのだと思いました。
よく勉強してくれました。直近の方の投稿とそれらへのコメントも参照してください。
3点差し上げます。
今回の講義を通してより、心とは何か少し理解することができました。前回の講義で、なぜ自我はできるのかに対して、スキナーは他人がいるから私ができるという考えてをしていることを学びました。今回の講義で、スキナーの考えはギブソンの考えに似ている点があるなと私は思いました。ギブソンの考えは、心があるのは、人間には言語があるから心は生まれるという考えでした。その考えに、心とはやはり対人関係で生まれるのではないかと観点に繋がりました。 私もその考えに少し共感する部分がありました。何をしていても、自分以外の人がいないと喜怒哀楽を痛感する事はできないと考えてたからです。やはり、他人や言語があるからこそ心は生まれるのではないかと思いました。今回の講義で普段は全く考えることのないことを考えるきっかけとなりました。
認知科学の歴史の背景、前回までは宗教的な考えなどが混じっていたが、今回の講義では、
トールマンの新行動主義やヴントが実験という方法で心理学を提案していたことを学んだ。前回までは少し理解ができない部分などもあったが、多く偉人の歴史があって認知科学というものは出来ているのだと深く理解ができました。
自分の体験と結びつけて考えようとす態度は大切です。ただしあなたの日常体験と響くところがあると思っても、勘違いということがあります。断片的に知識らしきものをつまみ食いするにとどまらず、深掘りして考えると楽しいですよ。結論だけを知っても、どうしてそう言えるのかを説明できると、本当の意味で学んでことになります。スキナーの主張は意外だと思いませんか。「心があるのは、人間には言語があるから」というのはスキナーの主張ではなかったかと思います。「行動理論への招待」を読みましょう。
5点差し上げます。
今回の講義を通して、短期記憶・長期記憶が一番気になり調べてみたくなった。調べたところ短期記憶はより長く、数十秒間覚えていられる記憶。 短期記憶の容量は7±2(5~9)とされており、一度に8個以上のことを記憶するのは困難とされていて、長期記憶はさらに長く、何十年も記憶することができまた大容量の情報を記憶できると書いてあった。私は短期記憶よりも長期記憶が苦手で今まで勉強などで苦労してきた。認知科学の観点から記憶のメカニズムを知ることで、より効率よく記憶ができるのではないかと考えました。
よく勉強できました。この学説もまた歴史的産物で、「とりあえずの真」であることはこれまでの方の投稿とそれへのコメントに現れています。参考にしてください。
3点差し上げます。
今回の講義を受けて、人間の記憶について学んだ。人間の記憶には大まかに感覚記憶、短期記憶、長期記憶の三つがあると知った。気になって調べてみると感覚記憶は、教科書を開いて文字を目に入れているものの、内容を理解しているわけではないという状態であり、短期記憶は、授業の小テストの前には集中して英単語を覚えるが、その日の終わりにはすっかり忘れているという状態、長期記憶は、昔流行っていた音楽を聴くと当時のことがよみがえってくるように、忘却してしまった情報をあるきっかけで思い出すこともあるという記憶だと知りました。記憶という人間の脳の働きをとってもこれほどまで複雑な働きがあると知ってとても興味を持ちました。
勉強してくださってありがとうございます。ここまでの投稿とそれらへのコメントも参考にしてください。ある学説を盲信してはいけません。私たちの経験とずれるところを発見できると、学説の弱点がわかります。そういう思考のトレーニングもするといいですよ。
3点差し上げます。
今回の講義を受けて、記憶には短期記憶、感覚記憶、長期記憶などの種類があることを学んだ。短期記憶は、数分の短い時間に情報を一時的に記憶する能力であり、瞬間的に見たことや聞いたことを、その情報を必要とする間だけ覚えておくような記憶である。感覚記憶は、感覚器官において1秒ほどの映像や音などを覚える記憶で、短期記憶はより長く、数十秒間も覚えていられる記憶である。長期記憶は、数分から一生にわたって長期間保持される記憶であり、保持できる情報量に限度は無い。勉強をする時はどのように長期記憶に落とし込むかが重要だと考えた。記憶には種類があり、意識をしていなくても記憶の種類を使い分けている事に興味を持ちました。
勉強して知識を得ましたね。いいことです。しかしそれは「とりあえずの真」であり、説明できないことも多々あると思います。批判的(建設的)に学説を吟味することにも挑戦してみてください。
3点差し上げます。
今回の講義は人の記憶について学んだ。それにより、記憶の種類や意味について調べてみた。その結果、短期記憶と長期記憶、感覚記憶の3つに大きく分けられることを知った。また、中期記憶など他の記憶が存在することも知れた。短期記憶や長期記憶はざっくり言うと記憶の保存期間が短いか長いかである。それらに対し感覚記憶は視覚などの感覚を保存する役割がある。このように、記憶には保存期間に長短があり、それらを無意識下で利用していることが分かった。さらに、記憶は様々な要因が複雑に絡むため自分なりに保管する事が必要であり大切なことだと思った。
記憶の学説を紹介しましたが、それは歴史的な流れと特定の背景において、有力な学説であるという見方ができるとなおいいと思いました。
3点差し上げます。
今回の講義を受けて、私は人間の記憶には短期記憶と長期、感覚記憶に分けられることを知りました。短期記憶はテスト前に一夜漬けをしてテストが終わったら覚えていないというような記憶で長期記憶は子供の頃の記憶などから蓄積された頭のデータがふとしたきっかけでキーワードがヒットしたように算出されるもので、感覚記憶は文章を流し見した時に目には写っているが頭には入っていないと言ったようにあまり保存時間が長くないことが特徴の記憶であるということを知り、記憶の概念についての理解が深まった。
その学説はある歴史的背景で有効なものかもしれません。自分の体験とずれているところを探して、学説の弱点を見つけることも楽しいですよ。
3点差しけあげます。
紹介した学説は特定の歴史的背景で有力になったものなので、普遍的な真実とは思わないでくださいね。どういうところに弱点があるかを考えてみるといいと思いました。
3点差し上げます。
前回の講義の時に思った、「人とモノの違い」についてのモヤモヤが今回の講義で少しすっきりしました。物理学の研究の勢いが強まった影響で行動や脳を研究する心理学者が増えた時代背景があり、そこで出てきた心をプログラムやメカニズムとして扱うという考え方がしっくりきました。人間は物理の世界の上にある情報の世界で生きているという考え方ももっと知りたいと思いました。外からの情報(刺激)を起点としてプログラムが始まり結果として反応が出るが、ここでいう情報とは人間の見ているもの(自分の意思を通したり、経験に基づく認知などが対象)なのか、環境からの刺激やアフォーダンス(椅子は座るものだと一目でわかるような認識)なのかなどさらに疑問が出てきました。心理学について勉強するたびに、人間は環境から刺激を受けることで何かを思ったり、悩んだり、想像したりすることができるのだということがわかるので、ますます認知科学を勉強することが自分の心理学の探求に必須だなと思いました。また、フォン・ノイマンの「ノイマン型コンピュータ」という発明や、コンピュータと脳を比較する試みなどが認知科学と繋がっており非常に興味が湧きました。数学者の彼(天才)が、コンピュータと人間の頭脳を比較したというのも、時代の影響なのか、本人の天才さ加減なのか、調べたいと思いました。
「環境から刺激を受ける」という考え方は、生態心理学的にみた場合、間違いです。それはワトソン流の行動主義の考え方で、人間は受動機械である見解です。人間をコンピュータになぞらえる認知科学の一派の思想も基本的にこれです。スキナーやギブソンは能動的な生体というのを根本に置いています。生体は刺激を選択しているのであって、受動しているわけではないという考え方です。また「刺激」というと物質とエネルギーによる作用を連想するので、ギブソンは使用しません。「情報」を使います。このへんについては、今のところ微妙な差異しか感じられないかもしれませんが、まったく違います。引き続き学習を継続してくださいね。世界の見方が変わりますよ。
どんな天才でも、時代や歴史から独立には存在できないようです。よってどんな天才の発想も、いずれは古くなります。天才たちの業績のどういうところが時代の産物なのかを考えてみても面白そうですね。
8点差し上げます。
前回の授業では"自我"について学び、今回の授業では記憶について学んだ。すごく身近なことなので興味深かった。特に長期記憶、短期記憶についてはもともと知っていて高校や中学の授業の時、先生に『長期記憶して、テストの時勉強しなくていいようにしてね』と何度も言われていたのでその記憶が蘇ったようで懐かしくなった。今回の授業でとても興味をもったのは感覚記憶についてだ。はじめて感覚記憶というものを聞いて、どんな例があるのか気になって調べてみると教科書を開いて文字を目に入れているが、内容を理解していない状態や通学や通勤中に目に入ってくる人や車、建物など意識されないものが感覚記憶になると見て普段何気なく通りすがる車を見たり、ぼーっとして何か読んで頭に入らない状況は興味がなく感覚記憶に分類されているからなのかと思った。長期記憶は覚えようとして覚えること(毎日コツコツ勉強して知識を長期記憶するとか)が長期記憶になることは理解できるが、私の経験で、かなり昔のことだがすごく面白いことがあり友達と爆笑した。一瞬のことだったのにそのことを今でも覚えている。覚えようとしたわけでもないのになぜ長期記憶になって今も覚えているのだろうか。気になります。
特定の学説を解説しているようですが、それが歴史的な背景を持って成立しているのだということをいることが最も知ってほしいことです。学説を鵜呑みにするのでなく、どういうところが私たちの経験と食い違っているのかという視点で吟味しても面白いですよ。
4点差し上げます。
今回の授業で、短期記憶、長期記憶、感覚記憶について、印象深かった。短期記憶に障害が生じると、数秒〜数時間前に行っていたことを思い出せないため日常生活に大きな影響が現れるとわかった。なので短期記憶は長期記憶よりも先に障害が生じる場合が多い。長期記憶は短期記憶とは異なり、容量の大きさに制限はないことが特徴とされる。 感覚記憶は感覚器官において、1秒ほど映像や音などを保持する記憶、などと詳しく知ることができた。また、アフォーダンスについて興味が沸いた。椅子のような形状をしたものは、椅子であって、それは人間が座ってよいものだと記憶しているから無意識に人間は座る。などといったことがアフォーダンス理論という名前がついているものだと思っていなかったため知らない分野について詳しく知ることができてよかった。また似たような、シグニファイアについてや、偽のアフォーダンスなどについても詳しく知りたいと思った。
学説を自分の体験に当てはめたり、学説によって自分の体験を説明してみたりすることはよい訓練になります。また興味が湧いた場合は、どうしてそれを面白いとか不思議に思うのかを併せて考えるといいですよ。
4点差し上げます。
今回の講義を受けて、記憶には種類があり、それぞれ役割があるとわかった。まず、視覚や聴覚といったそれぞれの感覚器官から入力された情報を保存する感覚記憶。次に一時的に数個程度の情報を保存する短期記憶。そして半永久的に大量の情報を保存する長期記憶の3つが主にあるとわかった。それぞれさらに調べてみると感覚記憶は例として教科書を開いて文字を目に入れてはいるものの、内容を理解しているわけではないという状態が挙げられ自分もこのような状態になることもよくあったのでとても共感した。そして感覚記憶のうち、覚えようと意図された情報が、短期記憶に入り、例えば授業の小テストの前に集中して英単語を覚えて、その日の終わりにはすっかり忘れているといった事例は短期記憶に該当しているとわかった。また長期記憶は長期にわたって情報を保持することができ、容量も大きい点が特徴であるとわかった。個人的に気になったのは感覚記憶から短期記憶に移り変わることができるのか、そしてそのメカニズムはどうなっているのか気になった。その他にもかなり昔の記憶で自分にとってはどうでもいいような会話を今でも覚えてることがあり、これはどういった仕組みで起こっていることだろうと気になった。
学説を体験に当てはめてみることは、学説の理解に繋がりとてもいいことだと思います。その一方で、体験に当てはまらない部分はありまんせんか。そこに学説の不十分さがあり、学説が発展する余地があります。またあらゆる学説は歴史的産物なので、ある学説の発想がどういう時代の産物なのかを考えてみるのも面白いですね。
4点差し上げます。
採点対象となる投稿は締め切りました。
今回の講義で気になったことがあった。それはどの言語を母国語にするかによって見方が変わるという話である。確かに、教授が説明してくれた通り、各言語圏で虹の見え方が変わるなどの認識の違いがあるだろう。しかし、それは本当に母国語によるものだろうか。私は生まれた場所の文化や考え方によって見方が変わるのだと思う。調べていくと、文化と言語は密接な関係にあり、文化があるから言語があってその逆も然りということだった。また、虹の見え方が異なる理由は色を表現する言語が違うためで、同じものは見えているが捉え方に言語での表し方に差が出るためであった。例えば、アメリカやイギリスは6色、ドイツやフランスは5色、ロシアは4色である。このことから、母国語と文化によって物事の捉え方が変わるということが分かった。もしかしたら、認知科学が主にヨーロッパで発展していったのは物事を表現する言語のレパートリーが少なかったがゆえにみんな捉え方が同じでそれに違和感を覚えた天才が多かったからなのかなと思った。
「母国語によるものだろうか」と疑問を呈し、「生まれた場所の文化や考え方によって見方が変わるのだと思う」と主張しています。しかし後者の根拠がない。ただ地域で違うと言っているだけ。どうして違うのでしょうね。また、母国語と文化が区別可能なものかという考察もないです。問題提起はよかったです。また頑張ってみてください。
5点差し上げます。
今回の講義の内容を振り返ってみて、『アイの物語』という小説を思い出した。
この作品には自分で考えて行動できるAIロボット達が登場するのだが、彼らは日本語でこそあるが私達には理解できない言葉で会話をしている。これについて、作中であるAIが「自身のコピーが虐待を受けた上で削除されたことに対する感情を表現したいが、人間はもう一人の自分が殺される経験などしたことがないので、適切な表現がない」として新たな言い回しを作る場面がある。これは認知科学について扱ったものではないし、フィクションなので実際にそうであるとは言えないが、身体によって思考が左右されるということは上記の場面に近いところがあるのではないかと考えた。このAI達は自身の感情の程度を表す指標を使って正確な意思疎通を実現している。現実の人間にもそのようなことができたら、その人の考え方というものはどこから来るのかなど、意識や思考についての理解が進むかもしれない。
「コピー」という身体のあり方は私たち人間にはないので、その独自の身体性に基づいたAIの「体感」は伺い知れないですね。いや、自分が大切にしているもの、たとえば洋服とかが損傷されるときの感情に近いのかとも考えました。いずれにせよ、身体性由来の認知、感情を考えると、種による差異、あるいは人間と非人間の差異に想像を巡らせるのは楽しそうです。
10点差し上げます。
>> 68
この投稿を見て、そういえば蝶と蛾を区別しない言語があると聞いたことがあったなと思い少し調べてみたところ「サピア=ウォーフの仮説」というものが見つかった。
これは言語がそれを母語とする人の思考に影響を与えるという考えで、虹の色の話が取り上げられている説明も複数あった。
この仮説には、その言語で言語化できないものは思考もできないという「強い仮説」とその言語で言語化できないものも思考できるが言語の思考への影響は存在するという「弱い仮説」の2種類があるということだが、強い仮説の方は否定材料が見つかっており正しくないとされていることもあるようだ。
何かを指す語彙がないのは今までそれを別の何かと区別したり指し示したりする必要がなかったから、という言語が思考に影響するだけではない面もあるだろう。
他の方の投稿から触発されたことを嬉しく思います。
おっしゃる通りで、認知できないから(区別する必要がないから)表現がないという考えもできるわけです。
5点差し上げます。
今回の授業ではギブソンの生体心理学と表象主義について興味を持った。人間の知覚は環境との相互作用によって形成されるとギブソンは言っており、環境と体、頭の関係が重要なんだなとわかった。授業の例えでいっていた椅子の例がすごいわかりやすかった。「座れる」と言うのは身体のサイズや高さに関係していると言うことだ。
レスポンデント行動を聞いた時一番初めにパブロフの犬を思い出した。
元々何かでパブロフの犬を知っていたので理解しやすかった。オペラント行動はどのような例があるのか調べたらスキナーの箱が出てきた。二つの実験を比べてみると自動的にしているレスポンデント行動と自発的にしているのがオペラント行動だった。実験や例を通してみると非常にわかりやすかった。
学べたことが多くてよかったです。
4点差し上げます。
今回の授業でレスポンデント行動について興味を持った。レスポンデント行動とは反射とも呼ばれ、特定の誘発刺激によって引き起こされる受動的な行動ということがわかった。レスポンス行動について調べてみると普段コーヒーを愛飲している人に、カフェインレスのコーヒーを飲んでパソコンゲームをしてもらうと、カフェインを摂取していないのに、水を飲んだ場合よりもゲームの効率がアップし、カフェインの覚醒作用が現れた。また反対にアルコールを日常的に飲む人に、ノンアルコールビールを飲んでゲームをしてもらうと間違いが多くなった。これはコーヒーやビールに近い匂いや色、味などが引き金となって、条件反応が起こるため。レスポンデント行動はこのように経験から物が違っても効果があることにびっくりした。レスポンデント行動をしない、抑制する方法はあるのか気になる。
学べたことが多くてよかったです。
3点差し上げます。
今回の講義を受けて、人間の脳の仕組みや働きを紐解くのに多くの時間や研究があったのだと改めて感じました。昔の人は現代のような技術も前例もない中で、人間の行動や思考の同一性や個人差などの要素を、主観と隔てて考え「説」を提唱した科学者たちは偉大な功績を残したのだと思いました。実際、昔に提唱されていた説や論文もテクノロジーの進歩の中でコンピューターアナロジーが確立し、掘り返されるかのような形で、時を経て脚光を浴びるケースがあり、コンピューターアナロジー以前の時代に行動や記憶の関連性を難しいプログラムのように紐解いたという事例には敬意を表するべきだと考えました。また、認知科学は脳の学問であり、レスポンデント、オペラントのように国や言語が異なっても、全世界共通で起こす行動、所作があるという話を受け、認知科学らしさ、脳の科学らしさを感じました。人間とAIとの決定的な違いとして、講義の中にあった「英語と中国語の翻訳の例」や「爆弾処理の例」でも挙げられたように、人間は当たり前のようにできるような事象でも、ロボットやAIは処理に追われ、その場で立ち尽くしてしまうというものです。AIで人間の脳を再現することができないように、認知科学の下で言葉や図を使用して人間の行動や思考を図解するのはとても難しいように感じました。
脳が考えるという発想がまずいというメッセージを送ったつもりです。人間の脳の理解が難しいのではなく、脳の活動として認知を理解しようとする発想に問題があります。そういう問題ある発想に依拠しているのが、1950年代から起こった認知科学だという話でした。
4点差し上げます。