野球のこと、野球以外のこと。 私的なこと、公的なこと。 大切なこと、どーでもいいこと。 何でもありの、自由きままな雑記スレ。
それにしても、 晩御飯さん、記憶力すごくないですか?? めちゃくちゃ細かいところまで記憶されてるのがすごいですね
野球との関わり(6年生・草チーム編・最終回)
K君発案の3段方式 3.シャッフルしてみんなを楽しませる
小学3年から定着した放課後のクラス対抗草野球。 以降、慣習的にずっと「クラス対抗」という形式で続けてきたが、5~6年生のときだけ多少の無理が生じていた。 他クラスがちょっと引いてしまうくらい「我が5組」が強すぎたからだ。
勝っても負けても楽しいのが野球だが、さすがに一方的にやられ続けるのは面白くない。 そこでK君は、相手クラスのことも考えた。 陽の長い時期などはダブルヘッダーが当たり前だったので、 あまりに実力差が激しい場合は「2試合目はシャッフルしてしまおう」と。 これが非常に流行った!
例えば今日は3組vs5組(3組は学年で一番弱いチーム) 1試合目・・最初だけベストメンバーで試合を始め、打順ふた回り目からはさっさと「非所属組」に交代していく。 2試合目・・5組のエースK君と、4番打者H君がそれぞれキャプテンとなり、3組&5組の混成チームを2つ作って対戦する。
ちなみに、どうやってチームを分けるかというと、子供の考えることは時に残酷で、なんと「ドラフト制」w 両キャプテンが最初にジャンケンして、勝ったほうが先に「欲しい選手」を指名。 あとはひたすら交互に指名していき、最後の一人まで続ける(怖っw)
男の子社会ってのは露骨なまでに序列がハッキリしていて、 例えば頭のいい順、ケンカが強い順、野球が上手い順なんかを自然とみんなが共有してる。 各ジャンルの序列の中で、自分がどのあたりに位置しているのかも各々が把握してる。 しかし、必ずしも弱肉強食ではなく、集団の中で弱い者を守ろうとする意識も男の子社会では作用する。
ドラフト開始。 もちろん最初は野球の上手い子の取り合いとなる。 O君(右の大砲)や、T君(俊足・強肩の投手兼内野手)なんかは真っ先に消える。 しかし、途中から指名順が序列から外れていく。 弱い者(この場合、野球の下手な子)を辱しめないために。
ああいうのって、よくできてるな~と、大人になった今、子供時代の自分たちを振り返り感心する。 事前に両キャプテンが申し合わせをしてる訳でもなし。 あ・うんの呼吸。子供たち社会の暗黙の了解。
ドラフト終盤になると、モロに野球が下手な子たちの取り合いが始まる。 彼らが絶対に最後まで残らないように。 両キャプテンは「こいつは何気に足が速いから」とか、「こいつは当たると飛ぶんだよな」とか、 何やかんやと理屈をつけて、本来であれば最後まで残ってしまうであろう子たちを先に指名する。
で、結局最後の指名を受ける「残り者」は、非所属組の中では上手な子であったり、 僕のような軽薄なタイプであったり、W君(やる気なさげなクセ者)だったりする。 要は、突出して野球が上手いわけでもなく、かと言って下手なわけでもなく、 加えて一番重要な「残り者になっても1ミリも傷つかなさそう」な性格や技量の持ち主が「生け贄」となる仕組みw
ドラフトも盛り上がったし、普段は同じクラスの味方を敵に回す混成チーム同士の戦いも、めちゃめちゃ盛り上がった。 子供っていいな。 男の子っていいな。 草野球って楽しいな。
長々と小学校時代を振り返ってみて、つくづく感じたのはそういう類いのことだった。
>> 177 いえいえ、半分くらい完全に忘れかけてましたよ(汗 ただ、ひとつ思い出すと、まるで数珠つなぎのように、次々と記憶が蘇ってきました。
そんな中、最後の最後までなかなか思い出せなかったのがO君(右の大砲)の存在。 「5組には正規チーム所属のメンツだけで9人いたはずだ」という記憶だけはあるものの、 どうしても8人しか思い出せなくてw(O君ゴメン)
2年間同じクラス。4年間同じ少年野球チームにいたのに思い出せないって・・(汗 しかも彼は主軸w O君は性格がおとなしくて、普段は目立たないタイプだったんですよねー(なんか大山とかぶるw)
私はすっかりK君ファンです。 私もその5組で野球をしたかった。 ベストメンバーに入れなくてもいいです。 ドラフト最下位でも全然平気です。
以下妄想失礼します。 もし私が5組の一員だったら。 ダメ元でベストメンバー目指すとします。
私は外野手でした。 ライバルは3人ですね。
レフトのO君は確実性と飛距離を併せ持つスラッガー。 私では到底太刀打ちできません。 センターのW君はやる気なくても活躍してしまう野球脳の優れたタイプ? 私の野球脳の偏差値は40以下なので太刀打ちできません。
残るライトのS君。 当たれば飛ぶけど確率の悪いノッポさん? 親近感を感じます。 私の身長は平均より少し高いくらいですが 全体的にごつくて力だけはかなり強いほうでした。 当たれば飛ぶんですけどね。 何せ不器用で当たらない。
ベストメンバーの座をS君から奪えるように日々精進します。 どーでもいい妄想でした。
S君には楽勝でしょう。 なんせアダ名が「ウド」ですよ? もうその時点でお察しw
もちろん由来は「ウド鈴木に似てるから」とかではありません。 だってウド鈴木さんが芸人デビューするよりずっと昔の話ですから。
そもそも5組のウドの本職は一塁手でした。 ただ5組には常勝Vチームでも主軸を打つようなH君(左の飛ばし屋)がいたもんで。 ポジションがかぶるという理由からウドがライトに押し出される格好でした。
放置民さんの本職が外野手だったのならば楽勝ですねー。
せっかくredさんに記憶力を褒めてもらったのに、 正規チームのメンバーは半分も思いだせん(汗
やっぱり草チームのほうは、クラスメートだから覚えてるんやろなぁ。 僕が所蔵してたEチーム、メンバーの半分は他の小学校の連中だったし、 クラスの連中と比較したら、一緒に過ごした時間の長さや濃さが全然違う。
ただ、そんな中でも、隣地区の小学校に転校してきた彼のことだけは強烈に覚えてる。 彼・・。ものすごいインパクトある存在だった。 が、しかし、名前がどーしても思い出せん!
仕方ないのでX君としよう。
そう、あれは忘れもしない。 6年生に進級する直前の春休みの出来事。 見知らぬ少年X君が、我がEチームにやって来たのであった・・。
よし、次のどーでもいい話はこれでいこう。
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その1)
1コ上の先輩たちが小学校を卒業するとともに退団。 Eチームは僕やK君を最高学年とする新チームになった。
K君「俺たち、弱くね?w」 僕「うん、確実に弱いだろうねw」 戦力ダウンは明らかだった。
もともと僕が入団した頃のEチームは弱小だったが、1コ上の代だけ何故かいい選手が揃っていて、そこそこ強かった。 1コ上には左右合わせて3人の投手がいた。 そこに当時5年生だったK君も加わり投手4人制。 この4人が投打にわたってチームを牽引していた。 ところが学年が代替わりしたことで、投手をできるのがK君しかいない状態に陥った。
打つほうも頼れるのは、K君とO君(右の大砲)だけ。 脇を固めるのが僕やS君(ウド)ではあまりに心もとなかった。
仮に打つほうは何とかなったとしても、投手が一人しかいないというのは問題だった。 大会に出場すると、一日に2試合消化とかも当たり前にあった。 で、確か「連投は禁止」とかいうルールがあったんだと思う(おぼろげな記憶)。 だから投手は最低でも二人は必要だったはず。 ところが新チームには、K君以外に投手経験者はいなかった。 そう、X君がやってくるまでは・・。
(つづく)
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その2)
新チームになって、まず最初に変わるのが背番号。 僕ら新6年生は念願の(?)ひと桁の背番号をつけることが許された。
K君はチームの顔であり、当然のごとくエースナンバー「1」を背負うことになった。 O君(右の大砲)の「3」も、その風貌と相まってとてもよく似合っていた。 S君(ウド)は・・、何番だったか忘れたw
そして僕はというと、先述したとおり「大きい番号のほうがカッコイイ」という謎の美意識を持っていて、 5年生からつけていた「17」を、そのまま退団するまで背負うことが決まった。
さて、背番号の次はポジション決め。 とにかく投手がK君しかいないという、この大問題の解決が急がれた。
監督は、5・6年生の全員に「投手テスト」を受けさせた。 監督自らがキャッチャーとなり、一人ひとりにマウンドから10球ずつくらい投げさせるというもの。 僕の順番が回ってきた。
僕はEチームどころか、クラスの草チームですらピッチャーをやったことがなかった。 しかし、ストライクを投じる自信はあった。 というのも、小学校の低学年の頃から暇さえあれば兄を座らせ、遊びで投球練習をしていたから。 器用さだけが取り柄だった僕は、高学年になる頃にはすでに、 オーバースロー、スリークォーター、サイドスロー、アンダースローと、 どの投げ方でもストライクを投じることができるようになっていた。 別に投手になることを目指していたわけではなく、単純に「遊び」でやっていた。
テストでは最もコントロールに自信のあるサイドスローで投げた。 監督は「お、さすがセカンド。横からか」と言った。 5球くらい投げたあと、監督が「上から投げてみろ」と言うので従った。 オーバースローで5~6球投げると、監督は「はい合格。お前、速いな」と言った。 監督の後ろに立って見ていたK君も「すげーじゃん。ビシビシ決まってたよ」と言ってくれた。
しかし、実際に僕がEチームでマウンドに上がることは、退団するまで一度もなかった。 ただ監督の中で「思ってたより肩が強いんだな」とイメージが変わったらしく、 僕はセカンドからショートにコンバートされることが決まった。
そうこうしてるうちに、段々と新チームの形も見え始めてきた。 3番ピッチャーK君と、4番レフトO君は最初からテッパンだったが、それ以外もぼちぼち決まってきた。 僕には「1番ショート」のレギュラーの座が約束された。 そう、X君がやってくるまでは・・。
(明日以降につづく)
新展開。 X君とは何者? 漫画「キャプテン」を読んでるみたいな気分になってきました。
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その3)
もうすぐ新6年生として一学期を迎えようとしていた春休み。 僕らEチームはいつものように、ランニング、キャッチボール、守備練習といったルーティンをこなしていた。 するとグラウンドに、見慣れない少年が父親とおぼしき人に連れられて姿を現した。
ちょっとダサめの私服を着た少年はグラウンドの隅に立って、僕らが練習する光景を長時間に渡って眺めていた。 「誰だろ」「見たことある?」「ない」「5年生くらい?」 僕らは練習の合間に少年の姿を盗み見て、コソコソと話していた。
Eチームは、隣接する3つの小学校に通う子供たちによって構成されていたが、 どの学校の連中に聞いても、その少年を知る者はいなかった。 それは下級生たちに聞いても同じだった。
練習が昼休憩に入る直前、監督は選手全員をホームベース付近に集合させると、 その少年に向かって手招きをし、近くに来るよう促した。 そして少年を僕らに紹介した。 「次の練習日から参加してくれることになった、新メンバーのX君。今度から6年生だ」 続けて監督は、X君に自己紹介するよう促した。
見るからに大人しそうなX君だったが、意外にもハキハキとした口調で、 「○○小学校に転校することになったXです。よろしくお願いします」と言って、ペコリと頭を下げた。 僕らもそれにつられて「よろしくお願いしまーす!」と声を合わせ、帽子をとってペコリと頭を下げた。
紹介が終わると昼休憩に入り、X君は帰っていった。 僕らはそれぞれが持参したおにぎりをかじりながら、X君についてあれこれ話した。 「6年生だって」「少し小さいね。5年かと思った」 「野球できるのかな」「スポーツやる感じには見えないね」 「なんか頭のテッペン、キューピーちゃんみたいだったぞ?」 「白衣着て実験室にいそうなタイプだよね」「図書室とか放送室にもいそう」
好き勝手なことを言いながら、僕らはX君のキャラクターイメージを膨らませていった。 「でも、いい奴っぽかったよね」「それは言える。挨拶とかもちゃんとしてたし」 総じて好印象を抱かせたX君ではあったが、かもし出す雰囲気が野球をプレーする姿と結びつかなかった。
「初心者かもしれないから、ちゃんと面倒見てあげようぜ」 そんな感じで会話を終え、僕らは午後の練習に入っていった。
そして次の練習日。 真新しいEチームのユニホームを身にまとったX君が、バットとグローブを手にグラウンドにやって来た。
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その4)
いつものように軽いランニングから練習が始まった。 途中加入で初練習のX君が緊張していたら可哀想だと思い、僕は彼と並走する格好で色々と話しかけた。
僕「○○小学校だって?Eチームは△△小学校の奴が多いんだよね。俺もそう」 X君「へぇー、そうなんだ」 僕「そっちの学区だったら、Fチームがあるんだけど知ってる?」 X君「あ、そうなの?全然知らなかった。そっちのほうが近かったのかなぁ」 僕「Fチームのエース、逆にこっちの学区で俺と同じクラスなんだー」 X君「へぇー」 僕「そいつとも放課後は一緒に野球やってるんだよー。クラスでチーム作って」 X君「へぇー、楽しそうだね!」
・・とまぁ、そんな感じの、どーでもいい会話をしたんだと思う。 X君は特別に緊張した様子もなく、ニコニコ笑顔で応じてくれた。
ランニングが終わり、キャッチボールを始めようとしたとき、監督がX君とキャプテンのK君を呼んだ。 そして僕らがキャッチボール終えるまで、監督・K君・X君の3人はずっと何やら話し込んでいた。
僕らが守備練習に入る頃、ようやく3人の会話は終わり、K君とX君は少し離れたところで軽いキャッチボールを始めた。 そして間もなく2人は、すでに始まっていた内野ノックの輪に入ってきた。 サードの位置に入るK君が、ショートの位置にいた僕に言った。 「お前、ショートじゃなくて、やっぱりセカンドかもよw」 X君は僕と同じショートの位置に入り、僕と交互にノックを受ける形となった。
え?マジか!ウソでしょ?うまっ!うますぎ!!
衝撃だった。 僕はX君ほど内野守備の上手な小学生を、それまで見たことがなかった。 常勝Vチームの内野陣にも、X君ほどの子はいなかった。 というより比べ物にならなかった。
どんな難しい打球も涼しい顔で華麗にさばき、ファーストへは糸を引くような強くて正確な送球。 「君はいったい何者なんだ!」 思わずそう叫びたくなるくらい、彼の守備力には感動させられた。
この日の昼休憩、僕はX君を質問攻めにしたのを覚えてる。 そこで僕は初めてX君の球歴を知ることとなった。
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その5)
昼休憩、僕はX君を質問攻めにした。
X君の父親はプロではなかったものの、かつては実業団か何かの選手だったらしい。 それでX君も幼少期から、父親からみっちりと野球を仕込まれて育った・・とのことだった。 そして小学3年頃からはチームに入り、本格的に始めたというのだが、 質問すればするほどに、僕らとはまったく違う環境で彼が野球をしてきたことを知らされることとなった。
X君は転校してくる直前まで、リトルリーグに所属していた。 「リトルリーガー!」 今でいうところの、まるで「メジャーリーガー」のような響きとして、当時の僕らの耳には聞こえた。
僕らの住んでる地域にリトルリーグのチームは無かった。 もちろん、親がクルマで送り迎えしてくれるほど熱心であれば、どこかのチームには入れたのかもしれない。 しかし僕らの地元は「ザ・下町」で、当時の親たちは子供たちなんて放ったらかし・・みたいな環境だった。 親がかりで野球に取り組むなんて想像もできなかったし、 たとえばEチームの親たちも、誰ひとり、たったの一度ですら試合の応援に来ることはなかった。
僕「すごいね!硬球でやってたんだ!リトルリーグなんて漫画でしか知らない世界だよ」 X君「前の家がたまたまチームに近かっただけだよw」 僕「練習とか、やっぱりキツいの?」 X君「キツかったよー。すごい厳しかった」 僕「じゃあさ、この前俺らの練習の見学に来てたけど、遊んでるようにしか見えなかったんじゃない?」 X君「いやいやww 普通に楽しそうでいいなー、って思ったよ」
僕が質問攻めにしてると、そこへキャプテンのK君も加わってきた。 K君「さっき監督に聞かされたんだけど、X君、5年生のときからショートのレギュラーだったんだぜー」 僕「マジか!リトルリーグで5年生からレギュラー?それハンパじゃないよ!」 K君「しかも、ピッチャーもキャッチャーもやってたらしいよ」 X君「いやいやw やってたは大げさ。ほんの少しだけやらされることもあった程度だから」 僕「スゴイな~。なんでEチームなんかに入ってきちゃったの?もったいないよ!せめてVチームに入れば良かったのに・・」
そんな感じの話をしていると、監督が僕らのところにやって来た。 監督「今日の午後の練習試合なんだけどさー、X君、どこのポジションで出る?」 X君「どこでも。空いてるところがあれば」 僕「いやいや、ショートで出なよ!本職でしょ?」 監督「じゃあお前、セカンドでいいの?」 僕「もちろん、もちろん!」 監督「じゃあX君は1番ショートな。あとリリーフで投げてもらうと思うから、軽く投球練習しといてね」
そんな訳で、この日の練習試合は1番ショートX君、2番セカンド僕という形で挑み、 以降も「1番ショート」の座を約束されていたはずの僕は、その席をそっくりそのままX君に譲る格好となった。
また、彼が上手いのは守備だけじゃなかった。 打っては鋭いライナー性の安打を量産し、投げては小気味よくキレッキレ! 本人は「ピッチャーはやらされたことがあった程度」と謙遜してたものの、僕らから見たら十分すぎる力量だった。
こうしてEチームは、K君のワンマンチームから、K君&X君の二大看板チームへと生まれ変わり、 いよいよ新チームとして始動することになるのであった。
(つづく・・。次回、最後の救世主「落ちこぼれ君」現る)
X君 ギャップ萌え
まさに!すごいギャップでしたよー。 その後、僕はめちゃめちゃX君に野球を教えてもらいました。 それなのに、どーしても名前が思い出せない(汗
名前が思い出せないといえば、次回登場予定の「落ちこぼれ君」も、 顔やプレーは思い出せるんですが、名前が出てこない・・。 老化現象ですねー(汗 43年前の話なんで、仕方ないですけどねw
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その6)
X君の加入があまりにインパクト強すぎて、その影に隠れてしまったもう一人の新加入6年生がいた。 いや、単に僕個人の記憶がX君に偏っているだけなのかもしれない。 僕は先に決まっていたポジションも打順もX君に譲った立場だったし、 その後も彼とは二遊間コンビ、1・2番コンビを組んだ間柄だったから、より深く印象に刻まれていたとしても当然だ。
ただ、上記の要素を差し引いても「もう一人の彼」の印象は薄かった。 戦力としては、X君に負けず劣らずの技量の持ち主だったにも関わらずだ。 いや、X君の影に隠れていたというよりも、彼自身が「どこか影のある存在」だったんだと思う。
その「もう一人の彼」が新たに加わったのは、たぶんX君が加入した1~2週間後。 彼はもともと、常勝Vチームの有望選手だった。 だから、彼が初めてEチームの練習に来たときに「あれ?こいつ、どこかで見たことあるなぁ」と思った記憶がある。 彼曰く、5年生の秋までVチームに所属してたが辞めてしまい、半年ほど野球から離れていた・・とのことだった。 元Vチームの有望株ということで、名前は「V君」としておこう。
V君は体が大きく、声変わりも進んでいて(チ○毛なんかもしっかり生えていてw)パッと見はすでに中学生だった。 ただ性格は大人しいというか、控えめというか、あまり自分のことをペラペラ話すようなところがなかった。 だから彼がVチームを辞めた理由や、半年を経てEチームに「移籍」したいきさつも、僕らはしばらく知らずにいた。
ところがV君が移籍加入してから3ヶ月くらい経った頃だっただろうか。 ある日の昼休憩のときに、彼はまるで重い口を開くかのようなテンションで僕に対して語り始めたことがあった。
V君「Vチームの練習がキツいのは知ってるだろ?」 僕「うん。かなりスパルタらしいね」 V君「監督に怒鳴られるのは当たり前だし、殴られることもあるんだぜ」 僕「そうらしいね。俺たちEチームじゃ考えられないけど・・」 V君「俺がVチームをやめたのはね、その厳しい指導や練習についていけなくなったからなんだ」 僕「そうかぁ・・。もし俺もVチームに入ってたら、ついていけなかったかもな~」 V君「だから俺はきっと、Vチームから『落ちこぼれ』だと思われてるんだよ」 僕「落ちこぼれ?Eチームからしたら救世主だけどね。V君とX君が入って来なかったら、かなり俺たち弱かったぞw」 V君「でもね、本当は違うんだ・・」 僕「・・・・」 V君「ま、今となってはどーでもいい話だけどね」 僕「うん。Vチームほどは強くないけど、Eチームだって悪くないだろ?」 V君「悪くないね。むしろ最高でしょ。イジメもないし・・。何よりユニホームがカッコイイw」 僕「ww。どう見ても、阪急ブレーブスのビジター用のパクリだけどねw」
そこでこの会話は終わり、別の話題に移った記憶がある。
「本当は違う」と彼が言ったときに、もう僕は察していた。 だから会話の途中で「やめた本当の理由は?」と聞くこともなかったし、 ましてや「Vチームではイジメられてたの?」などと聞いて、この話題を続けようともしなかった。 何故なら子供ながらにV君の自尊心を傷つけてはいけないと思ったし、 うっかり傷口を広げてはいけないと思ったからだ。
V君にそういう背景があったことが関係していたのかは分からないが、 Eチームの中ではあまり目立たず、印象に残りづらいキャラクターだった。 ただそれは、あくまでプレー以外の部分での話。 さすがに常勝Vチームの有望株だっただけあって、野球はめちゃめちゃ上手かった!
(次回、正規チーム編も最終回)
野球との関わり(6年生・正規チーム編・最終回)
最上級生になったからといって、急に個々が上手くなるわけじゃなかったが、 X君(元リトルリーガー)の加入によって、チーム全体としては飛躍的に上達した。 彼はとにかくよく野球を知っていた。 内野の連携プレー、外野との中継プレー、ベースカバーやバックアップ。 いつ、誰が、どういうときに、どこへ動いて、何をしたらいいのか、僕らはX君から多くを学んだ。
僕個人はというと、もともと守備に苦手意識はなかったが、X君から学べることはあまりに多かった。 局面ごとの位置取り、打球への入り方、グラブの使い方、ベースへの入り方やタイミング。 聞けば何でも教えてくれたし、またその教え方も非常に上手だった。
打つほうが苦手だった僕は、やはりX君をお手本とした。
僕がK君(万能型キャプテン)や、O君(右の大砲)や、V君(常勝Vチームの元有望株)を真似ても意味なかった。 彼らは体格も良く、いかにもスラッガータイプ。 その点、X君は僕同様に比較的小柄で、鋭いライナー性の当たりを連発するヒットメーカー。 もし僕が目指すのであれば、それは明らかにX君タイプの打者だった。
僕がX君にアドバイスを求めると、「サードゴロが多すぎる」と指摘された。 「どうせ同じ内野ゴロなんだから、狙ってセカンドゴロを打て」と言われた。 当時の僕はその意味を理解できなかったが、とにかくX君の言うことなら何でもそのまま受け入れた。
ある日の練習試合、僕が痛烈な「ライトゴロ」を打ったことがあった。 ライトゴロ自体は、少年野球の中では「あるある」だったが、 そのときはあまりに打球が速すぎて、自分でも笑ってしまうほど余裕すぎるアウト。 (まだ1塁ベースまでの半分も走ってなかったんちゃうか?w) チームメートも思わず爆笑していたが、X君だけはすごく褒めてくれたのを覚えている。 そうこうしてるうちに、5年生までは打てなかった「綺麗なセンター返し」を打てるようになっていった。
またチームにとってはV君の加入も大きく、さすがは元Vチームの有望株。 サードの名手といった感じだったが、チーム事情で外野も兼任してくれた。 さらにはエースのK君、純エースのX君に次ぐ「第三の投手」の役割りもV君が担ってくれたため、 「結局あの全員が受けさせられた投手テストは何だったんだ?」という嬉しい誤算も。
新チーム発足当初は唯一の投手経験者だったK君に、新戦力のX君とV君が加わり投手3人制が確立。 打線も、X君(元リトルリーガー)&僕の1・2番コンビの後には、 K君(キャプテン)、O君(右の大砲)、V君(元Vチーム)のクリーンナップが完成。 さらにはS君(ウド)たち下位打線へと続く・・といった形で引退までの約一年間を戦った。
戦績は?? 結局フタを開けてみたら、1コ上の先輩方と同じ。 40チーム参加の地区大会では毎度ベスト4止まり。 「俺たち、まぁまぁ強いほうだったよね。めちゃめちゃ強くはなかったけどww」 といった感じで、次の代へとバトンタッチしましたとさ。
(おわり)
私的には素晴らしい読後感。 思わず一年生から通しで読み返してしまいました。 これで終わってしまうのが淋しいくらい。 続きを読みたくなりますが野球経験者ではないと以前書かれてた。 中学以降はやらなかったということでしょうか。
単なる野球体験談ではなく子供なりの社会とか人間関係があって それぞれの人物像や人間模様も伝わってきました。 途中小学三年の草野球が一番楽しかったとありましたが やはり高学年になるにつれ人間描写も濃くなっていきますね。 私はキャプテンさんや元リトルリーガーさんのような人に憧れます。 読む限り同じタイプでは無さそうですがそれぞれに魅力的ですね。 そしてウドさんやリタイアから復活された有望株さんにはそれぞれ自分と重なる部分も。 私もこういうの書きたいな。 でも頭には浮かんでも活字にする能力が
読んでて一番ハッとさせられたのが有望株さんが自分の過去について少し吐露する場面。 常勝チームでの苦い記憶が浄化されていくような。 私も中学高校での野球では苦い経験をしましたけど 大人になってから呼ばれた草野球で浄化されたかも。 野球に罪はありませんからね。
>> 194 そーーーなんです!(すみません、酔うてます汗)
「中学・高校は絶対野球部」と思ってたんですけどねー。 妙な事情で中学から野球を続けることができなくなってしまいました。
妙な事情? 「続・野球との関わり」としてそれも書こうかな。 関わりがなかったんで、一瞬で終わる話ですけどw
やっぱり「野球経験者」を名乗れるのは、野球部出身者じゃないと! 少なくとも中学・高校。 大学でも続けてたらなお良し? たかだか小学生時代にクラスメートと草野球やってたとか、地元の少年野球チームに入ってたくらいで、 「野球やってました」と言ったらヤバイですからねw
その意味で、放置民さんは僕から見たら立派な野球経験者です(羨
>> 196 「野球に罪はない」 いい言葉ですね~!
今春のWBCでも、準決勝で侍ジャパンに負けたメキシコの監督が、試合終了後の会見で言ってましたよね。 「今夜はベースボールが勝利した」と。
いずれの言葉も、どこかで通底する部分があるんじゃないでしょうか。
続・野球との関わり(中学生・その1)
小6の一学期も終わろうとしていた頃、親から突如として「中学受験しろ」と言われた。 当時、僕の地元では私立中学に進学するというのは非常に珍しいことだったし、 僕の兄も普通に地元の公立中学に通っていた。
その頃はちょうど「なめ猫」や「横浜銀蝿」なんかが流行るような、10代の「ヤンキー文化」が真っ盛りの時代。 連日メディアでも「校内暴力」なるワードが取り上げられ、かなりの社会問題になっていた記憶がある。 おそらく僕の地元の中学も、そこそこ荒れていたんだと思う。
物静かな兄と比べると、ヤンチャ要素を多めに含んでいた当時の僕。 小学生の段階で既に、親はたびたび学校から呼び出しを食らっていたようだし、先々が不安だったんでしょうねー。 今にして思えば、僕は単に活発なイタズラっ子だっただけ。 あのまま地元の中学高校に行っても、別にチンピラ風情にはならんかったと思うのだが・・w
さて、中学受験の入試問題は、学校で習うものとは完全に別モノらしいということで、 受験用テクニックを習得すべく、僕は小さな小さな塾の夏期講習に通うこととなった。 そこは「○○予備校」とか「○○ゼミナール」といったような大きな塾ではなく、 一学年につき、10人しかいないような、ホントに小さな私塾みたいなところだった。 正直、最初はナメていた。
ところが入ってみると、そこにいる連中は、やれカイセーだ、やれアザブだ、やれケーオーだといった、 超有名進学校に合格するような、少数精鋭の秀才集団だった。
僕は当初、とんでもない場違いなところにやって来てしまったと後悔し、 ただただ小さな教室の隅に座って、何をやっているかサッパリ意味不明な授業をボーっと眺めているだけだった。
そんなさなか、1980年・夏の全国高校野球・甲子園大会が始まった。 この大会で大旋風を巻き起こした1年生エース。 彼の存在が僕の心に火をつけた。 もしあの大フィーバーがなかったら、塾代はドブに捨てたも同然となり、 僕は普通に地元中学に入学し、普通に野球部に入部していたに違いない。
(まだ続くんか~い!)
続・野球との関わり(中学生・その2)
空前の大ちゃんフィーバー。 決勝ではあの愛甲と投げ合い、敗れはしたものの1年生にして甲子園の準優勝投手。 小6だった僕の目には、あまりに眩しい存在として映った。
夏の終わり、僕は塾長に言った。 僕「先生、俺、早稲田実業を受験したい」 塾長「そうか。目標を持つことはいいことだ。しかし今のお前では無理だ」 僕「落ちてもいい。受けるだけでも」 塾長「受けるからには合格しろよ。本当にその気なら特訓してやるけど、やるか?」 僕「うん、やる」
二学期から僕は、週3回の特訓(マンツーマンの個人授業)を受けた。 夕方から夜10時までの約6時間、徹底的にしごかれた。
子供のモチベーションってすごい。 「俺は早実の野球部に入るんだ」「もちろん高校3年の最後まで続けるぞ」 「俺ごときではレギュラーは無理だろう」「ベンチ入りさえ叶わないかも」 「それでもいい。俺は大ちゃん、いや、荒木先輩と同じユニホームを着る」 「そして甲子園のアルプススタンドから、精一杯の声を張り上げて応援するんだ」
ド下町のボンクラ小学生だった僕だが特訓の成果もあって、二学期が終わる頃には偏差値が30くらい跳ね上がり、 塾長からは「まぁ早実なら受かるよ。ミスしなきゃね」と言われるようになっていた。
ところが一方で親はというと、僕とはまったく違う進路を思い描いていた模様。 どこからか聞いたこともない妙な学校(?)を2つ見つけてきて、「この両方を受けて、合格したほうに行け」と言った。 どちらも遠く遠く離れた他県の学校で、もちろん実家からは通えないため、寮に入れというのだ。
親が言うにはこういう事だった。 「お前はバカなんだから、都内の進学校なんかに行く必要はない。それより田舎で伸び伸びと過ごすほうが向いてる」
僕は親が言うだけあってバカだったので、寮生活の厳しさなど知る由もなく、 「寮生活か~。それも悪くないな。なんか青春っぽくて」と思った。 同時に「野球はどこででも出来るし、それでもいいかな。無名校ならレギュラーを狙える利点もあるし」とも思った。
そんなこんなで僕は早実と、その「寮完備の妙な2校」の計3校を受験して、無事にいずれも合格した。
僕自身は早実にかなりの未練があったのを覚えてる。 しかし親からの「お前は都心のゴミゴミした所より、田舎で寮生活でもしてるほうが向いてる」という説得に遭った。 そして結局は僕が折れる格好に。 3校の中でダントツの田舎。 学校の周りには見事に「な~んにも無い」はじめ人間ギャートルズばりの環境下にある寮に入ることとなった。 (親の思惑としては、俺を更正施設にでも入れたつもりだったのだろうかw)
さて、いよいよ入寮当日、「俺もいよいよ中学生か」と心を弾ませ、 もちろんバットとグローブを持参し、意気揚々と寮に乗り込んでいった。 ・・が、その晩、僕は4人部屋で同室となった先輩から、驚愕の事実を知らされるのであった。
(つづく。次回、涙なくしては語れない中学生編の最終回)
続・野球との関わり(中学生・最終回)
僕が入った中学は、何かと特殊だった。 ごくごく凡庸な環境で育った僕から見たら、完全なる異世界。 まさにアナザーワールドの極みで、最初の頃は驚きの連続だった。 入寮した初日の晩にも、さっそく一発目のカルチャーショックを受けることとなった。
僕は4人部屋の同室となった3人の先輩方に挨拶を済ませると、それぞれから色々と聞かれた。 「どこから来たんだ?」と、まずは出身地を聞かれてそれに答える。 他にもあれこれ聞かれたはずだが、まだ緊張していたので、その内容はあまり覚えていない。
ただそんな中で、今でもキョーレツに覚えてるやり取りがひとつだけ。 先輩「お前、部活は何部に入るつもり?」 僕「野球部に入ります」 先輩「ウチに野球部は無いよ」 僕「・・・!!」
膝カック~ン!となりそうなくらい、その場でズッコケそうになった。 え、中学に野球部が無い?ウソでしょ?そんなことってある?? そもそも、この地上に「野球がない世界」なんてあったの?? 単に僕がバカだっただけだが、当時は本当ぉーーに驚いた!
まぁ確かに当時、野球部のない中学や高校というのは珍しいほうではあったと思う。 ただ「一部にはそういう学校だってある」という想像力を、まだ12歳の僕は1ミリも持ち合わせていなかった。 「事前に知ってたら、絶対に早実に行ってたわ!」と思ったが、それを言っても完全に後の祭り(涙
仕方なく、僕は「スイングするのは似たようなもんだろ」という安易は発想から、 バットをラケットに持ち替え、野球とはまったく違う競技に打ち込むことに・・。 結果、野球との関わりは完全に絶たれ、 中学の3年間はたったの一度もバットやグローブに触れることなく過ごしましたとさ。
(おしまい)
「おしまい」と書きつつ、さらに高校以降へと続いてしまったらゴメンなさい。
書くのは苦手 でも読むの大好きな私としては続行希望です。
それにしても早実の野球部に入る一歩いや半歩手前からの別競技への転向は驚きでした。 私は少し年下で小学生のときに桑田さんに憧れた世代です。 でもPL学園の野球部に入ろうなんて大胆な発想はなかったです。 ましてや12歳で親元離れて寮生活なんて。 いまだに地元しか知らない私は井の中の蛙だけど良い意味で触発されました。 私も東京や北海道や福岡そして海外の野球を見に行こう。
僕もredさんに触発されましてねー。 今年はまだ1回しか現地観戦してないんですが、来年は行きまくろうと今から計画を練っているところです。 まずは手始めに、まだ一度も行ったことのないマツダスタジアムへ。 (広島市民球場の時代なら行ったことあるんですがw)
あと、やっぱり北海道の新球場は外せない。 阪神戦じゃなくてもいいから必ず行こうと思ってます。
続・野球との関わり(高校生・その1)
ラケット競技は圧倒的に僕に向いていた。 逆にそのことで「よっぽど野球には向いてなかったんだな」と思い知らされることにw
高校2年の秋には「このまま怪我さえしなけりゃ、来年のインターハイは行けるだろ」と思っていたが、 向き不向きと、好き嫌いは、完全に別モノ。 野球は勝っても負けても楽しかったし、 自分が相対的にヘタクソだったとしても、そのことで面白味に欠けるなんてことは絶対になかった。 逆に、自分が得意な競技で好成績を収めたところで、 それイコール楽しいというわけでもなく、むしろ苦痛に感じることのほうが大半だった。
高校2年の二学期も終わりに近づいてきたある日の朝、ふと思った。 「飽きた!もう何もかも、飽き飽きしてきたぞ」
辞めることにした。 部活も、寮生活も、学校も。
調べてみると、地元の公立高校に4名の欠員が出たということで、希望者があれば編入試験を行うとのことだった。 僕は退学届けを出し、住み慣れた寮をあとにすると、すぐさま都立高校に願書を提出した。 そして冬休みの間にその編入試験を受け、合格した。
三学期の初日、教室の前に立たされ、自己紹介をさせられた。 僕にとっては初めての転校生体験。 「漫画やドラマでよくあるシーンだよなー」と思い、それを自分がやってることを愉快に感じた。
僕は人見知りをしない性格なので、すぐにクラスに馴染んだ。 四六時中つるんでる「ツレ」と呼べるような仲間ができるのにも、そう時間はかからなかった。 そのツレの一人が、野球部のキャプテン、マコっちゃんだった。
(もうエエって?いやいや放置民さん公認なんで続けまーすw)
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プレビュー
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それにしても、
晩御飯さん、記憶力すごくないですか??
めちゃくちゃ細かいところまで記憶されてるのがすごいですね
野球との関わり(6年生・草チーム編・最終回)
K君発案の3段方式
3.シャッフルしてみんなを楽しませる
小学3年から定着した放課後のクラス対抗草野球。
以降、慣習的にずっと「クラス対抗」という形式で続けてきたが、5~6年生のときだけ多少の無理が生じていた。
他クラスがちょっと引いてしまうくらい「我が5組」が強すぎたからだ。
勝っても負けても楽しいのが野球だが、さすがに一方的にやられ続けるのは面白くない。
そこでK君は、相手クラスのことも考えた。
陽の長い時期などはダブルヘッダーが当たり前だったので、
あまりに実力差が激しい場合は「2試合目はシャッフルしてしまおう」と。
これが非常に流行った!
例えば今日は3組vs5組(3組は学年で一番弱いチーム)
1試合目・・最初だけベストメンバーで試合を始め、打順ふた回り目からはさっさと「非所属組」に交代していく。
2試合目・・5組のエースK君と、4番打者H君がそれぞれキャプテンとなり、3組&5組の混成チームを2つ作って対戦する。
ちなみに、どうやってチームを分けるかというと、子供の考えることは時に残酷で、なんと「ドラフト制」w
両キャプテンが最初にジャンケンして、勝ったほうが先に「欲しい選手」を指名。
あとはひたすら交互に指名していき、最後の一人まで続ける(怖っw)
男の子社会ってのは露骨なまでに序列がハッキリしていて、
例えば頭のいい順、ケンカが強い順、野球が上手い順なんかを自然とみんなが共有してる。
各ジャンルの序列の中で、自分がどのあたりに位置しているのかも各々が把握してる。
しかし、必ずしも弱肉強食ではなく、集団の中で弱い者を守ろうとする意識も男の子社会では作用する。
ドラフト開始。
もちろん最初は野球の上手い子の取り合いとなる。
O君(右の大砲)や、T君(俊足・強肩の投手兼内野手)なんかは真っ先に消える。
しかし、途中から指名順が序列から外れていく。
弱い者(この場合、野球の下手な子)を辱しめないために。
ああいうのって、よくできてるな~と、大人になった今、子供時代の自分たちを振り返り感心する。
事前に両キャプテンが申し合わせをしてる訳でもなし。
あ・うんの呼吸。子供たち社会の暗黙の了解。
ドラフト終盤になると、モロに野球が下手な子たちの取り合いが始まる。
彼らが絶対に最後まで残らないように。
両キャプテンは「こいつは何気に足が速いから」とか、「こいつは当たると飛ぶんだよな」とか、
何やかんやと理屈をつけて、本来であれば最後まで残ってしまうであろう子たちを先に指名する。
で、結局最後の指名を受ける「残り者」は、非所属組の中では上手な子であったり、
僕のような軽薄なタイプであったり、W君(やる気なさげなクセ者)だったりする。
要は、突出して野球が上手いわけでもなく、かと言って下手なわけでもなく、
加えて一番重要な「残り者になっても1ミリも傷つかなさそう」な性格や技量の持ち主が「生け贄」となる仕組みw
ドラフトも盛り上がったし、普段は同じクラスの味方を敵に回す混成チーム同士の戦いも、めちゃめちゃ盛り上がった。
子供っていいな。
男の子っていいな。
草野球って楽しいな。
長々と小学校時代を振り返ってみて、つくづく感じたのはそういう類いのことだった。
>> 177
いえいえ、半分くらい完全に忘れかけてましたよ(汗
ただ、ひとつ思い出すと、まるで数珠つなぎのように、次々と記憶が蘇ってきました。
そんな中、最後の最後までなかなか思い出せなかったのがO君(右の大砲)の存在。
「5組には正規チーム所属のメンツだけで9人いたはずだ」という記憶だけはあるものの、
どうしても8人しか思い出せなくてw(O君ゴメン)
2年間同じクラス。4年間同じ少年野球チームにいたのに思い出せないって・・(汗
しかも彼は主軸w
O君は性格がおとなしくて、普段は目立たないタイプだったんですよねー(なんか大山とかぶるw)
私はすっかりK君ファンです。
私もその5組で野球をしたかった。
ベストメンバーに入れなくてもいいです。
ドラフト最下位でも全然平気です。
以下妄想失礼します。
もし私が5組の一員だったら。
ダメ元でベストメンバー目指すとします。
私は外野手でした。
ライバルは3人ですね。
レフトのO君は確実性と飛距離を併せ持つスラッガー。
私では到底太刀打ちできません。
センターのW君はやる気なくても活躍してしまう野球脳の優れたタイプ?
私の野球脳の偏差値は40以下なので太刀打ちできません。
残るライトのS君。
当たれば飛ぶけど確率の悪いノッポさん?
親近感を感じます。
私の身長は平均より少し高いくらいですが
全体的にごつくて力だけはかなり強いほうでした。
当たれば飛ぶんですけどね。
何せ不器用で当たらない。
ベストメンバーの座をS君から奪えるように日々精進します。
どーでもいい妄想でした。
S君には楽勝でしょう。
なんせアダ名が「ウド」ですよ?
もうその時点でお察しw
もちろん由来は「ウド鈴木に似てるから」とかではありません。
だってウド鈴木さんが芸人デビューするよりずっと昔の話ですから。
そもそも5組のウドの本職は一塁手でした。
ただ5組には常勝Vチームでも主軸を打つようなH君(左の飛ばし屋)がいたもんで。
ポジションがかぶるという理由からウドがライトに押し出される格好でした。
放置民さんの本職が外野手だったのならば楽勝ですねー。
せっかくredさんに記憶力を褒めてもらったのに、
正規チームのメンバーは半分も思いだせん(汗
やっぱり草チームのほうは、クラスメートだから覚えてるんやろなぁ。
僕が所蔵してたEチーム、メンバーの半分は他の小学校の連中だったし、
クラスの連中と比較したら、一緒に過ごした時間の長さや濃さが全然違う。
ただ、そんな中でも、隣地区の小学校に転校してきた彼のことだけは強烈に覚えてる。
彼・・。ものすごいインパクトある存在だった。
が、しかし、名前がどーしても思い出せん!
仕方ないのでX君としよう。
そう、あれは忘れもしない。
6年生に進級する直前の春休みの出来事。
見知らぬ少年X君が、我がEチームにやって来たのであった・・。
よし、次のどーでもいい話はこれでいこう。
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その1)
1コ上の先輩たちが小学校を卒業するとともに退団。
Eチームは僕やK君を最高学年とする新チームになった。
K君「俺たち、弱くね?w」
僕「うん、確実に弱いだろうねw」
戦力ダウンは明らかだった。
もともと僕が入団した頃のEチームは弱小だったが、1コ上の代だけ何故かいい選手が揃っていて、そこそこ強かった。
1コ上には左右合わせて3人の投手がいた。
そこに当時5年生だったK君も加わり投手4人制。
この4人が投打にわたってチームを牽引していた。
ところが学年が代替わりしたことで、投手をできるのがK君しかいない状態に陥った。
打つほうも頼れるのは、K君とO君(右の大砲)だけ。
脇を固めるのが僕やS君(ウド)ではあまりに心もとなかった。
仮に打つほうは何とかなったとしても、投手が一人しかいないというのは問題だった。
大会に出場すると、一日に2試合消化とかも当たり前にあった。
で、確か「連投は禁止」とかいうルールがあったんだと思う(おぼろげな記憶)。
だから投手は最低でも二人は必要だったはず。
ところが新チームには、K君以外に投手経験者はいなかった。
そう、X君がやってくるまでは・・。
(つづく)
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その2)
新チームになって、まず最初に変わるのが背番号。
僕ら新6年生は念願の(?)ひと桁の背番号をつけることが許された。
K君はチームの顔であり、当然のごとくエースナンバー「1」を背負うことになった。
O君(右の大砲)の「3」も、その風貌と相まってとてもよく似合っていた。
S君(ウド)は・・、何番だったか忘れたw
そして僕はというと、先述したとおり「大きい番号のほうがカッコイイ」という謎の美意識を持っていて、
5年生からつけていた「17」を、そのまま退団するまで背負うことが決まった。
さて、背番号の次はポジション決め。
とにかく投手がK君しかいないという、この大問題の解決が急がれた。
監督は、5・6年生の全員に「投手テスト」を受けさせた。
監督自らがキャッチャーとなり、一人ひとりにマウンドから10球ずつくらい投げさせるというもの。
僕の順番が回ってきた。
僕はEチームどころか、クラスの草チームですらピッチャーをやったことがなかった。
しかし、ストライクを投じる自信はあった。
というのも、小学校の低学年の頃から暇さえあれば兄を座らせ、遊びで投球練習をしていたから。
器用さだけが取り柄だった僕は、高学年になる頃にはすでに、
オーバースロー、スリークォーター、サイドスロー、アンダースローと、
どの投げ方でもストライクを投じることができるようになっていた。
別に投手になることを目指していたわけではなく、単純に「遊び」でやっていた。
テストでは最もコントロールに自信のあるサイドスローで投げた。
監督は「お、さすがセカンド。横からか」と言った。
5球くらい投げたあと、監督が「上から投げてみろ」と言うので従った。
オーバースローで5~6球投げると、監督は「はい合格。お前、速いな」と言った。
監督の後ろに立って見ていたK君も「すげーじゃん。ビシビシ決まってたよ」と言ってくれた。
しかし、実際に僕がEチームでマウンドに上がることは、退団するまで一度もなかった。
ただ監督の中で「思ってたより肩が強いんだな」とイメージが変わったらしく、
僕はセカンドからショートにコンバートされることが決まった。
そうこうしてるうちに、段々と新チームの形も見え始めてきた。
3番ピッチャーK君と、4番レフトO君は最初からテッパンだったが、それ以外もぼちぼち決まってきた。
僕には「1番ショート」のレギュラーの座が約束された。
そう、X君がやってくるまでは・・。
(明日以降につづく)
新展開。
X君とは何者?
漫画「キャプテン」を読んでるみたいな気分になってきました。
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その3)
もうすぐ新6年生として一学期を迎えようとしていた春休み。
僕らEチームはいつものように、ランニング、キャッチボール、守備練習といったルーティンをこなしていた。
するとグラウンドに、見慣れない少年が父親とおぼしき人に連れられて姿を現した。
ちょっとダサめの私服を着た少年はグラウンドの隅に立って、僕らが練習する光景を長時間に渡って眺めていた。
「誰だろ」「見たことある?」「ない」「5年生くらい?」
僕らは練習の合間に少年の姿を盗み見て、コソコソと話していた。
Eチームは、隣接する3つの小学校に通う子供たちによって構成されていたが、
どの学校の連中に聞いても、その少年を知る者はいなかった。
それは下級生たちに聞いても同じだった。
練習が昼休憩に入る直前、監督は選手全員をホームベース付近に集合させると、
その少年に向かって手招きをし、近くに来るよう促した。
そして少年を僕らに紹介した。
「次の練習日から参加してくれることになった、新メンバーのX君。今度から6年生だ」
続けて監督は、X君に自己紹介するよう促した。
見るからに大人しそうなX君だったが、意外にもハキハキとした口調で、
「○○小学校に転校することになったXです。よろしくお願いします」と言って、ペコリと頭を下げた。
僕らもそれにつられて「よろしくお願いしまーす!」と声を合わせ、帽子をとってペコリと頭を下げた。
紹介が終わると昼休憩に入り、X君は帰っていった。
僕らはそれぞれが持参したおにぎりをかじりながら、X君についてあれこれ話した。
「6年生だって」「少し小さいね。5年かと思った」
「野球できるのかな」「スポーツやる感じには見えないね」
「なんか頭のテッペン、キューピーちゃんみたいだったぞ?」
「白衣着て実験室にいそうなタイプだよね」「図書室とか放送室にもいそう」
好き勝手なことを言いながら、僕らはX君のキャラクターイメージを膨らませていった。
「でも、いい奴っぽかったよね」「それは言える。挨拶とかもちゃんとしてたし」
総じて好印象を抱かせたX君ではあったが、かもし出す雰囲気が野球をプレーする姿と結びつかなかった。
「初心者かもしれないから、ちゃんと面倒見てあげようぜ」
そんな感じで会話を終え、僕らは午後の練習に入っていった。
そして次の練習日。
真新しいEチームのユニホームを身にまとったX君が、バットとグローブを手にグラウンドにやって来た。
(つづく)
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その4)
いつものように軽いランニングから練習が始まった。
途中加入で初練習のX君が緊張していたら可哀想だと思い、僕は彼と並走する格好で色々と話しかけた。
僕「○○小学校だって?Eチームは△△小学校の奴が多いんだよね。俺もそう」
X君「へぇー、そうなんだ」
僕「そっちの学区だったら、Fチームがあるんだけど知ってる?」
X君「あ、そうなの?全然知らなかった。そっちのほうが近かったのかなぁ」
僕「Fチームのエース、逆にこっちの学区で俺と同じクラスなんだー」
X君「へぇー」
僕「そいつとも放課後は一緒に野球やってるんだよー。クラスでチーム作って」
X君「へぇー、楽しそうだね!」
・・とまぁ、そんな感じの、どーでもいい会話をしたんだと思う。
X君は特別に緊張した様子もなく、ニコニコ笑顔で応じてくれた。
ランニングが終わり、キャッチボールを始めようとしたとき、監督がX君とキャプテンのK君を呼んだ。
そして僕らがキャッチボール終えるまで、監督・K君・X君の3人はずっと何やら話し込んでいた。
僕らが守備練習に入る頃、ようやく3人の会話は終わり、K君とX君は少し離れたところで軽いキャッチボールを始めた。
そして間もなく2人は、すでに始まっていた内野ノックの輪に入ってきた。
サードの位置に入るK君が、ショートの位置にいた僕に言った。
「お前、ショートじゃなくて、やっぱりセカンドかもよw」
X君は僕と同じショートの位置に入り、僕と交互にノックを受ける形となった。
え?マジか!ウソでしょ?うまっ!うますぎ!!
衝撃だった。
僕はX君ほど内野守備の上手な小学生を、それまで見たことがなかった。
常勝Vチームの内野陣にも、X君ほどの子はいなかった。
というより比べ物にならなかった。
どんな難しい打球も涼しい顔で華麗にさばき、ファーストへは糸を引くような強くて正確な送球。
「君はいったい何者なんだ!」
思わずそう叫びたくなるくらい、彼の守備力には感動させられた。
この日の昼休憩、僕はX君を質問攻めにしたのを覚えてる。
そこで僕は初めてX君の球歴を知ることとなった。
(つづく)
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その5)
昼休憩、僕はX君を質問攻めにした。
X君の父親はプロではなかったものの、かつては実業団か何かの選手だったらしい。
それでX君も幼少期から、父親からみっちりと野球を仕込まれて育った・・とのことだった。
そして小学3年頃からはチームに入り、本格的に始めたというのだが、
質問すればするほどに、僕らとはまったく違う環境で彼が野球をしてきたことを知らされることとなった。
X君は転校してくる直前まで、リトルリーグに所属していた。
「リトルリーガー!」
今でいうところの、まるで「メジャーリーガー」のような響きとして、当時の僕らの耳には聞こえた。
僕らの住んでる地域にリトルリーグのチームは無かった。
もちろん、親がクルマで送り迎えしてくれるほど熱心であれば、どこかのチームには入れたのかもしれない。
しかし僕らの地元は「ザ・下町」で、当時の親たちは子供たちなんて放ったらかし・・みたいな環境だった。
親がかりで野球に取り組むなんて想像もできなかったし、
たとえばEチームの親たちも、誰ひとり、たったの一度ですら試合の応援に来ることはなかった。
僕「すごいね!硬球でやってたんだ!リトルリーグなんて漫画でしか知らない世界だよ」
X君「前の家がたまたまチームに近かっただけだよw」
僕「練習とか、やっぱりキツいの?」
X君「キツかったよー。すごい厳しかった」
僕「じゃあさ、この前俺らの練習の見学に来てたけど、遊んでるようにしか見えなかったんじゃない?」
X君「いやいやww 普通に楽しそうでいいなー、って思ったよ」
僕が質問攻めにしてると、そこへキャプテンのK君も加わってきた。
K君「さっき監督に聞かされたんだけど、X君、5年生のときからショートのレギュラーだったんだぜー」
僕「マジか!リトルリーグで5年生からレギュラー?それハンパじゃないよ!」
K君「しかも、ピッチャーもキャッチャーもやってたらしいよ」
X君「いやいやw やってたは大げさ。ほんの少しだけやらされることもあった程度だから」
僕「スゴイな~。なんでEチームなんかに入ってきちゃったの?もったいないよ!せめてVチームに入れば良かったのに・・」
そんな感じの話をしていると、監督が僕らのところにやって来た。
監督「今日の午後の練習試合なんだけどさー、X君、どこのポジションで出る?」
X君「どこでも。空いてるところがあれば」
僕「いやいや、ショートで出なよ!本職でしょ?」
監督「じゃあお前、セカンドでいいの?」
僕「もちろん、もちろん!」
監督「じゃあX君は1番ショートな。あとリリーフで投げてもらうと思うから、軽く投球練習しといてね」
そんな訳で、この日の練習試合は1番ショートX君、2番セカンド僕という形で挑み、
以降も「1番ショート」の座を約束されていたはずの僕は、その席をそっくりそのままX君に譲る格好となった。
また、彼が上手いのは守備だけじゃなかった。
打っては鋭いライナー性の安打を量産し、投げては小気味よくキレッキレ!
本人は「ピッチャーはやらされたことがあった程度」と謙遜してたものの、僕らから見たら十分すぎる力量だった。
こうしてEチームは、K君のワンマンチームから、K君&X君の二大看板チームへと生まれ変わり、
いよいよ新チームとして始動することになるのであった。
(つづく・・。次回、最後の救世主「落ちこぼれ君」現る)
X君
ギャップ萌え
まさに!すごいギャップでしたよー。
その後、僕はめちゃめちゃX君に野球を教えてもらいました。
それなのに、どーしても名前が思い出せない(汗
名前が思い出せないといえば、次回登場予定の「落ちこぼれ君」も、
顔やプレーは思い出せるんですが、名前が出てこない・・。
老化現象ですねー(汗
43年前の話なんで、仕方ないですけどねw
野球との関わり(6年生・正規チーム編・その6)
X君の加入があまりにインパクト強すぎて、その影に隠れてしまったもう一人の新加入6年生がいた。
いや、単に僕個人の記憶がX君に偏っているだけなのかもしれない。
僕は先に決まっていたポジションも打順もX君に譲った立場だったし、
その後も彼とは二遊間コンビ、1・2番コンビを組んだ間柄だったから、より深く印象に刻まれていたとしても当然だ。
ただ、上記の要素を差し引いても「もう一人の彼」の印象は薄かった。
戦力としては、X君に負けず劣らずの技量の持ち主だったにも関わらずだ。
いや、X君の影に隠れていたというよりも、彼自身が「どこか影のある存在」だったんだと思う。
その「もう一人の彼」が新たに加わったのは、たぶんX君が加入した1~2週間後。
彼はもともと、常勝Vチームの有望選手だった。
だから、彼が初めてEチームの練習に来たときに「あれ?こいつ、どこかで見たことあるなぁ」と思った記憶がある。
彼曰く、5年生の秋までVチームに所属してたが辞めてしまい、半年ほど野球から離れていた・・とのことだった。
元Vチームの有望株ということで、名前は「V君」としておこう。
V君は体が大きく、声変わりも進んでいて(チ○毛なんかもしっかり生えていてw)パッと見はすでに中学生だった。
ただ性格は大人しいというか、控えめというか、あまり自分のことをペラペラ話すようなところがなかった。
だから彼がVチームを辞めた理由や、半年を経てEチームに「移籍」したいきさつも、僕らはしばらく知らずにいた。
ところがV君が移籍加入してから3ヶ月くらい経った頃だっただろうか。
ある日の昼休憩のときに、彼はまるで重い口を開くかのようなテンションで僕に対して語り始めたことがあった。
V君「Vチームの練習がキツいのは知ってるだろ?」
僕「うん。かなりスパルタらしいね」
V君「監督に怒鳴られるのは当たり前だし、殴られることもあるんだぜ」
僕「そうらしいね。俺たちEチームじゃ考えられないけど・・」
V君「俺がVチームをやめたのはね、その厳しい指導や練習についていけなくなったからなんだ」
僕「そうかぁ・・。もし俺もVチームに入ってたら、ついていけなかったかもな~」
V君「だから俺はきっと、Vチームから『落ちこぼれ』だと思われてるんだよ」
僕「落ちこぼれ?Eチームからしたら救世主だけどね。V君とX君が入って来なかったら、かなり俺たち弱かったぞw」
V君「でもね、本当は違うんだ・・」
僕「・・・・」
V君「ま、今となってはどーでもいい話だけどね」
僕「うん。Vチームほどは強くないけど、Eチームだって悪くないだろ?」
V君「悪くないね。むしろ最高でしょ。イジメもないし・・。何よりユニホームがカッコイイw」
僕「ww。どう見ても、阪急ブレーブスのビジター用のパクリだけどねw」
そこでこの会話は終わり、別の話題に移った記憶がある。
「本当は違う」と彼が言ったときに、もう僕は察していた。
だから会話の途中で「やめた本当の理由は?」と聞くこともなかったし、
ましてや「Vチームではイジメられてたの?」などと聞いて、この話題を続けようともしなかった。
何故なら子供ながらにV君の自尊心を傷つけてはいけないと思ったし、
うっかり傷口を広げてはいけないと思ったからだ。
V君にそういう背景があったことが関係していたのかは分からないが、
Eチームの中ではあまり目立たず、印象に残りづらいキャラクターだった。
ただそれは、あくまでプレー以外の部分での話。
さすがに常勝Vチームの有望株だっただけあって、野球はめちゃめちゃ上手かった!
(次回、正規チーム編も最終回)
野球との関わり(6年生・正規チーム編・最終回)
最上級生になったからといって、急に個々が上手くなるわけじゃなかったが、
X君(元リトルリーガー)の加入によって、チーム全体としては飛躍的に上達した。
彼はとにかくよく野球を知っていた。
内野の連携プレー、外野との中継プレー、ベースカバーやバックアップ。
いつ、誰が、どういうときに、どこへ動いて、何をしたらいいのか、僕らはX君から多くを学んだ。
僕個人はというと、もともと守備に苦手意識はなかったが、X君から学べることはあまりに多かった。
局面ごとの位置取り、打球への入り方、グラブの使い方、ベースへの入り方やタイミング。
聞けば何でも教えてくれたし、またその教え方も非常に上手だった。
打つほうが苦手だった僕は、やはりX君をお手本とした。
僕がK君(万能型キャプテン)や、O君(右の大砲)や、V君(常勝Vチームの元有望株)を真似ても意味なかった。
彼らは体格も良く、いかにもスラッガータイプ。
その点、X君は僕同様に比較的小柄で、鋭いライナー性の当たりを連発するヒットメーカー。
もし僕が目指すのであれば、それは明らかにX君タイプの打者だった。
僕がX君にアドバイスを求めると、「サードゴロが多すぎる」と指摘された。
「どうせ同じ内野ゴロなんだから、狙ってセカンドゴロを打て」と言われた。
当時の僕はその意味を理解できなかったが、とにかくX君の言うことなら何でもそのまま受け入れた。
ある日の練習試合、僕が痛烈な「ライトゴロ」を打ったことがあった。
ライトゴロ自体は、少年野球の中では「あるある」だったが、
そのときはあまりに打球が速すぎて、自分でも笑ってしまうほど余裕すぎるアウト。
(まだ1塁ベースまでの半分も走ってなかったんちゃうか?w)
チームメートも思わず爆笑していたが、X君だけはすごく褒めてくれたのを覚えている。
そうこうしてるうちに、5年生までは打てなかった「綺麗なセンター返し」を打てるようになっていった。
またチームにとってはV君の加入も大きく、さすがは元Vチームの有望株。
サードの名手といった感じだったが、チーム事情で外野も兼任してくれた。
さらにはエースのK君、純エースのX君に次ぐ「第三の投手」の役割りもV君が担ってくれたため、
「結局あの全員が受けさせられた投手テストは何だったんだ?」という嬉しい誤算も。
新チーム発足当初は唯一の投手経験者だったK君に、新戦力のX君とV君が加わり投手3人制が確立。
打線も、X君(元リトルリーガー)&僕の1・2番コンビの後には、
K君(キャプテン)、O君(右の大砲)、V君(元Vチーム)のクリーンナップが完成。
さらにはS君(ウド)たち下位打線へと続く・・といった形で引退までの約一年間を戦った。
戦績は??
結局フタを開けてみたら、1コ上の先輩方と同じ。
40チーム参加の地区大会では毎度ベスト4止まり。
「俺たち、まぁまぁ強いほうだったよね。めちゃめちゃ強くはなかったけどww」
といった感じで、次の代へとバトンタッチしましたとさ。
(おわり)
私的には素晴らしい読後感。
思わず一年生から通しで読み返してしまいました。
これで終わってしまうのが淋しいくらい。
続きを読みたくなりますが野球経験者ではないと以前書かれてた。
中学以降はやらなかったということでしょうか。
単なる野球体験談ではなく子供なりの社会とか人間関係があって
それぞれの人物像や人間模様も伝わってきました。
途中小学三年の草野球が一番楽しかったとありましたが
やはり高学年になるにつれ人間描写も濃くなっていきますね。
私はキャプテンさんや元リトルリーガーさんのような人に憧れます。
読む限り同じタイプでは無さそうですがそれぞれに魅力的ですね。
そしてウドさんやリタイアから復活された有望株さんにはそれぞれ自分と重なる部分も。
私もこういうの書きたいな。
でも頭には浮かんでも活字にする能力が
読んでて一番ハッとさせられたのが有望株さんが自分の過去について少し吐露する場面。
常勝チームでの苦い記憶が浄化されていくような。
私も中学高校での野球では苦い経験をしましたけど
大人になってから呼ばれた草野球で浄化されたかも。
野球に罪はありませんからね。
>> 194
そーーーなんです!(すみません、酔うてます汗)
「中学・高校は絶対野球部」と思ってたんですけどねー。
妙な事情で中学から野球を続けることができなくなってしまいました。
妙な事情?
「続・野球との関わり」としてそれも書こうかな。
関わりがなかったんで、一瞬で終わる話ですけどw
やっぱり「野球経験者」を名乗れるのは、野球部出身者じゃないと!
少なくとも中学・高校。
大学でも続けてたらなお良し?
たかだか小学生時代にクラスメートと草野球やってたとか、地元の少年野球チームに入ってたくらいで、
「野球やってました」と言ったらヤバイですからねw
その意味で、放置民さんは僕から見たら立派な野球経験者です(羨
>> 196
「野球に罪はない」
いい言葉ですね~!
今春のWBCでも、準決勝で侍ジャパンに負けたメキシコの監督が、試合終了後の会見で言ってましたよね。
「今夜はベースボールが勝利した」と。
いずれの言葉も、どこかで通底する部分があるんじゃないでしょうか。
続・野球との関わり(中学生・その1)
小6の一学期も終わろうとしていた頃、親から突如として「中学受験しろ」と言われた。
当時、僕の地元では私立中学に進学するというのは非常に珍しいことだったし、
僕の兄も普通に地元の公立中学に通っていた。
その頃はちょうど「なめ猫」や「横浜銀蝿」なんかが流行るような、10代の「ヤンキー文化」が真っ盛りの時代。
連日メディアでも「校内暴力」なるワードが取り上げられ、かなりの社会問題になっていた記憶がある。
おそらく僕の地元の中学も、そこそこ荒れていたんだと思う。
物静かな兄と比べると、ヤンチャ要素を多めに含んでいた当時の僕。
小学生の段階で既に、親はたびたび学校から呼び出しを食らっていたようだし、先々が不安だったんでしょうねー。
今にして思えば、僕は単に活発なイタズラっ子だっただけ。
あのまま地元の中学高校に行っても、別にチンピラ風情にはならんかったと思うのだが・・w
さて、中学受験の入試問題は、学校で習うものとは完全に別モノらしいということで、
受験用テクニックを習得すべく、僕は小さな小さな塾の夏期講習に通うこととなった。
そこは「○○予備校」とか「○○ゼミナール」といったような大きな塾ではなく、
一学年につき、10人しかいないような、ホントに小さな私塾みたいなところだった。
正直、最初はナメていた。
ところが入ってみると、そこにいる連中は、やれカイセーだ、やれアザブだ、やれケーオーだといった、
超有名進学校に合格するような、少数精鋭の秀才集団だった。
僕は当初、とんでもない場違いなところにやって来てしまったと後悔し、
ただただ小さな教室の隅に座って、何をやっているかサッパリ意味不明な授業をボーっと眺めているだけだった。
そんなさなか、1980年・夏の全国高校野球・甲子園大会が始まった。
この大会で大旋風を巻き起こした1年生エース。
彼の存在が僕の心に火をつけた。
もしあの大フィーバーがなかったら、塾代はドブに捨てたも同然となり、
僕は普通に地元中学に入学し、普通に野球部に入部していたに違いない。
(まだ続くんか~い!)
続・野球との関わり(中学生・その2)
空前の大ちゃんフィーバー。
決勝ではあの愛甲と投げ合い、敗れはしたものの1年生にして甲子園の準優勝投手。
小6だった僕の目には、あまりに眩しい存在として映った。
夏の終わり、僕は塾長に言った。
僕「先生、俺、早稲田実業を受験したい」
塾長「そうか。目標を持つことはいいことだ。しかし今のお前では無理だ」
僕「落ちてもいい。受けるだけでも」
塾長「受けるからには合格しろよ。本当にその気なら特訓してやるけど、やるか?」
僕「うん、やる」
二学期から僕は、週3回の特訓(マンツーマンの個人授業)を受けた。
夕方から夜10時までの約6時間、徹底的にしごかれた。
子供のモチベーションってすごい。
「俺は早実の野球部に入るんだ」「もちろん高校3年の最後まで続けるぞ」
「俺ごときではレギュラーは無理だろう」「ベンチ入りさえ叶わないかも」
「それでもいい。俺は大ちゃん、いや、荒木先輩と同じユニホームを着る」
「そして甲子園のアルプススタンドから、精一杯の声を張り上げて応援するんだ」
ド下町のボンクラ小学生だった僕だが特訓の成果もあって、二学期が終わる頃には偏差値が30くらい跳ね上がり、
塾長からは「まぁ早実なら受かるよ。ミスしなきゃね」と言われるようになっていた。
ところが一方で親はというと、僕とはまったく違う進路を思い描いていた模様。
どこからか聞いたこともない妙な学校(?)を2つ見つけてきて、「この両方を受けて、合格したほうに行け」と言った。
どちらも遠く遠く離れた他県の学校で、もちろん実家からは通えないため、寮に入れというのだ。
親が言うにはこういう事だった。
「お前はバカなんだから、都内の進学校なんかに行く必要はない。それより田舎で伸び伸びと過ごすほうが向いてる」
僕は親が言うだけあってバカだったので、寮生活の厳しさなど知る由もなく、
「寮生活か~。それも悪くないな。なんか青春っぽくて」と思った。
同時に「野球はどこででも出来るし、それでもいいかな。無名校ならレギュラーを狙える利点もあるし」とも思った。
そんなこんなで僕は早実と、その「寮完備の妙な2校」の計3校を受験して、無事にいずれも合格した。
僕自身は早実にかなりの未練があったのを覚えてる。
しかし親からの「お前は都心のゴミゴミした所より、田舎で寮生活でもしてるほうが向いてる」という説得に遭った。
そして結局は僕が折れる格好に。
3校の中でダントツの田舎。
学校の周りには見事に「な~んにも無い」はじめ人間ギャートルズばりの環境下にある寮に入ることとなった。
(親の思惑としては、俺を更正施設にでも入れたつもりだったのだろうかw)
さて、いよいよ入寮当日、「俺もいよいよ中学生か」と心を弾ませ、
もちろんバットとグローブを持参し、意気揚々と寮に乗り込んでいった。
・・が、その晩、僕は4人部屋で同室となった先輩から、驚愕の事実を知らされるのであった。
(つづく。次回、涙なくしては語れない中学生編の最終回)
続・野球との関わり(中学生・最終回)
僕が入った中学は、何かと特殊だった。
ごくごく凡庸な環境で育った僕から見たら、完全なる異世界。
まさにアナザーワールドの極みで、最初の頃は驚きの連続だった。
入寮した初日の晩にも、さっそく一発目のカルチャーショックを受けることとなった。
僕は4人部屋の同室となった3人の先輩方に挨拶を済ませると、それぞれから色々と聞かれた。
「どこから来たんだ?」と、まずは出身地を聞かれてそれに答える。
他にもあれこれ聞かれたはずだが、まだ緊張していたので、その内容はあまり覚えていない。
ただそんな中で、今でもキョーレツに覚えてるやり取りがひとつだけ。
先輩「お前、部活は何部に入るつもり?」
僕「野球部に入ります」
先輩「ウチに野球部は無いよ」
僕「・・・!!」
膝カック~ン!となりそうなくらい、その場でズッコケそうになった。
え、中学に野球部が無い?ウソでしょ?そんなことってある??
そもそも、この地上に「野球がない世界」なんてあったの??
単に僕がバカだっただけだが、当時は本当ぉーーに驚いた!
まぁ確かに当時、野球部のない中学や高校というのは珍しいほうではあったと思う。
ただ「一部にはそういう学校だってある」という想像力を、まだ12歳の僕は1ミリも持ち合わせていなかった。
「事前に知ってたら、絶対に早実に行ってたわ!」と思ったが、それを言っても完全に後の祭り(涙
仕方なく、僕は「スイングするのは似たようなもんだろ」という安易は発想から、
バットをラケットに持ち替え、野球とはまったく違う競技に打ち込むことに・・。
結果、野球との関わりは完全に絶たれ、
中学の3年間はたったの一度もバットやグローブに触れることなく過ごしましたとさ。
(おしまい)
「おしまい」と書きつつ、さらに高校以降へと続いてしまったらゴメンなさい。
書くのは苦手
でも読むの大好きな私としては続行希望です。
それにしても早実の野球部に入る一歩いや半歩手前からの別競技への転向は驚きでした。
私は少し年下で小学生のときに桑田さんに憧れた世代です。
でもPL学園の野球部に入ろうなんて大胆な発想はなかったです。
ましてや12歳で親元離れて寮生活なんて。
いまだに地元しか知らない私は井の中の蛙だけど良い意味で触発されました。
私も東京や北海道や福岡そして海外の野球を見に行こう。
僕もredさんに触発されましてねー。
今年はまだ1回しか現地観戦してないんですが、来年は行きまくろうと今から計画を練っているところです。
まずは手始めに、まだ一度も行ったことのないマツダスタジアムへ。
(広島市民球場の時代なら行ったことあるんですがw)
あと、やっぱり北海道の新球場は外せない。
阪神戦じゃなくてもいいから必ず行こうと思ってます。
続・野球との関わり(高校生・その1)
ラケット競技は圧倒的に僕に向いていた。
逆にそのことで「よっぽど野球には向いてなかったんだな」と思い知らされることにw
高校2年の秋には「このまま怪我さえしなけりゃ、来年のインターハイは行けるだろ」と思っていたが、
向き不向きと、好き嫌いは、完全に別モノ。
野球は勝っても負けても楽しかったし、
自分が相対的にヘタクソだったとしても、そのことで面白味に欠けるなんてことは絶対になかった。
逆に、自分が得意な競技で好成績を収めたところで、
それイコール楽しいというわけでもなく、むしろ苦痛に感じることのほうが大半だった。
高校2年の二学期も終わりに近づいてきたある日の朝、ふと思った。
「飽きた!もう何もかも、飽き飽きしてきたぞ」
辞めることにした。
部活も、寮生活も、学校も。
調べてみると、地元の公立高校に4名の欠員が出たということで、希望者があれば編入試験を行うとのことだった。
僕は退学届けを出し、住み慣れた寮をあとにすると、すぐさま都立高校に願書を提出した。
そして冬休みの間にその編入試験を受け、合格した。
三学期の初日、教室の前に立たされ、自己紹介をさせられた。
僕にとっては初めての転校生体験。
「漫画やドラマでよくあるシーンだよなー」と思い、それを自分がやってることを愉快に感じた。
僕は人見知りをしない性格なので、すぐにクラスに馴染んだ。
四六時中つるんでる「ツレ」と呼べるような仲間ができるのにも、そう時間はかからなかった。
そのツレの一人が、野球部のキャプテン、マコっちゃんだった。
(もうエエって?いやいや放置民さん公認なんで続けまーすw)