野球のこと、野球以外のこと。 私的なこと、公的なこと。 大切なこと、どーでもいいこと。 何でもありの、自由きままな雑記スレ。
私は梅野派でも 坂本派でもないですが、 毎日毎日毎日の梅野批判、 本当にもううんざりです😢 ファンでなくとも嫌な気持ちになる。。
負けようと思って戦ってる選手なんていない。
もちろんペナトピでのことではないと思いますが。 他ではあまりに酷い状態が続いてるみたいですねー。 (僕も見たことあります)
少し前にどなたかも同じこと書かれてましたが、 僕もかれこれ長いこと掲示板に参加させてもらってて、 あそこまで一人の選手が執拗に、毎日毎日叩かれているのは初めて見ました。 悲しく思うのと同時に、ちょっと吐き気をもよおす次元ですよね。
ファンにもいろいろいますからねー。 特に匿名掲示板となると。
私みたいな性格の人間は 掲示板のようなコミュニティには 本当は来るべきではないかのもしれません。 でもここはみなさん大人な人ばかりなので なぜかたくさん話したくなる場所であり 来たくなっちゃいます。 運営の方々に感謝です😊
相手もプロなんだし、負けないように研究したり采配してる。 都合良くまわることばかりじゃない。 人間がやることだから、采配ミスも起きるだろう。 これまで何度も勝利に貢献して、喜ばせてくれたこともあったのに、 不振が続けば個人攻撃、采配ミスと簡単に言い切る。 結局自分の思い通りにならないのが不満なだけ。自分自身だって完璧な人間じゃない。 うまくいくこともあれば、失敗することもある。 ファンだから負けた日は腹も立つけど、少し時間を置いて冷静になって、 長いシーズンそういうこともあるよね。って思うようにしてます。
私も試合を見てて、イライラMAXになったり、 なんで打てないんや!三振するなよ!とかめっちゃ愚痴ったりするけど、 自分が放った言葉は必ず自分に跳ね返ってくる。 小さい頃に両親からそう言われてきました。 だから、存在を否定したり、中傷と 捉えられるような表現にならないよう、細心の注意を払っているつもりです。
いま、誹謗中傷や批判が集中してる選手は、負けずに頑張ってほしい。 いつか必ず報われる日が来ると思うので やるべきことをしっかりして復活してほしいと心から願ってます。
長々とすいません。 個人的な心のつぶやき。 吐き出さずにはいられませんでした。
もうこの話は終わり。
今日も精一杯応援するぞ! 頼むよ才木梅野コンビ。 絶対勝つぞっ💪
心中お察しします。 ただ私のような者から見ると Redさんは花形投稿者ですよ。
昨日の試合終了後、エスコンフィールドの大型ビジョンに、 以下のようなメッセージが表示された。
阪神タイガースファンのみなさまへ
この3日間、多くの皆様のご来場、誠にありがとうございました。 エスコンフィールドはお楽しみいただけましたでしょうか? 1924年開業の阪神甲子園球場は来年100周年を迎えますが、 わたしたちも偉大な先輩を見習い、1世紀経っても愛される球場づくりを目指して参ります。
「甲子園も良いけど、エスコンフィールドも良いよね」と皆様に言ってもらえるよう、 今後も真摯にエンターテイメントの追求とサービス改善に努めていきますので、 またのご来場、心よりお待ち申し上げます。
球場スタッフ一同
分かりました。 必ず行きます!
プロ野球から政治経済まで、ネットを通じて色んな方の意見を見聞きする機会が多くなった。 「それちゃうやろ」も多いなか、やっぱ人間なので自分と同じツボ(見方)だと嬉しくなり親近感がわく。
昨日の8回一死2塁遊ゴロで木浪が3塁へ送球し挟殺プレーでアウト。 「ナイス!木浪」はいいとして、タイガースフリークとしては拙いランダウンプレーを幾度と見せられてるので「ナイス!渡邉」と叫んでしまう。よって渡邉の追いかけの方に着目したコメを見ると「ほんとそれ〜ヒヤヒヤしたわ」と嬉しくなる。
試合終了後、新庄監督がベンチ前に残って、タイガース首脳に必死で手を上げ何やら挨拶をしていたように見えた。 馴れ合いは駄目と言う方もいるが、私は緊迫した試合を戦い終えた同士の称え合いは良い光景に思えた。これに触れたコメを見るとこれまた嬉しくなる。
長い前置き終了(えっ本題とちゃうんか!) 視点といえば、テレビ中継でバックネット裏に陣取る御仁のビール注文ペースが気になり正の字でチェックとかしてしまう。 透明カップをネットの縁に置いてるので予想も立てやすいw 「ペースはやっ、どんだけ飲むねん!逆転打や!また注文するぞ、見といてん」と、、、 「気持ちええ飲みっぷりや、よしこっちも負けんともう一本いっとこ、しかしトイレは一回も行ってなさそうやぞ?CM中に行くには時間短いし」と、どうでもええ事も気になる。 野球は楽しい。
どうでもいい話だけど、 昨日は私の誕生日でした。 今日は木浪くんのお誕生日。 勝手に親近感沸いてますw
今日は木浪くんが活躍してくれるでしょう😊
今日から4日間、甲子園通います😆 チーム全体が不調に陥ってるので 5月のようなわけにはいきませんが、 今日と土曜の大竹登板の日は勝ってほしいなぁ。 行く日は全部勝ってほしいけど、 さすがにそれは難しいやろうし、 まだまだ打線の調子もあげてもらわないと。 大竹の古巣への恩返し勝利。また泣かせたい(笑) 毎朝、トイレ掃除と神棚掃除して、挑みます!
10代最後の誕生日ですね? 知らんけど・・・
10代最後😁そういうことにしておきます🤭
湯浅くんのメンタルが心配。
確かに湯浅くんのメンタルが心配ですね。。 藤川球児氏も言ってましたが、 クローザーは3回やられると、メンタルもやられると。 ましてや、イトマサの勝ち星を2度消してしまい、 多大な責任を感じているはず。一番悔しくて情けないと思っているのは湯浅本人。
球児もクローザーとして芽が出るまで相当な時間がかかりました。 湯浅本人も思うように投げられていないとずっと感じてるみたいだし、 いまは、自分自身が自信を持って投球できるように、 クローザーという過酷なポジションで、重責を真正面から受け止められるようになるまで しっかりと調整することに集中してほしいです。 8月以降、もっと厳しい戦いも待ってると思うし、必ず湯浅の力が必要になってくるはず! 色んな壁を乗り越えて、経験して成長する。人間として大きくなる。 この経験は絶対に無駄にならないと思う。 頑張れ湯浅くん!
何かTikTokでめっちゃ面白いの流れてきた。 ワロたw
昨夜、野球の夢を見た。
まだ自分は小学3~4年生。 地元の少年野球チームに入ることになった。
初練習、内野ノックを受けたが、全然捕れない。 打球をグローブに当てることは出来るのだが、 どうしてもキャッチできずに弾いてしまう。
何かがおかしいと感じ、他の子のグローブを見せてもらった。 自分の物と比べ、とても革が分厚く、サイズも大きかった。 しっとりとした質感で、自分の物より重たく感じた。
その子に聞いてみた。 「ちょっとだけ、このグローブ借りてもいい?」
全然構わないと言うので、自分の物と交換する形で改めてノックを受けた。 捕れる!全部捕れる! グローブのポケットと呼ばれる位置に、 しっかりと球が収まる心地良い感覚を得ることができた。
一方、僕が持参したグローブを手にノックを受けた子はエラーを連発。 その子は僕の耳元で、小声で遠慮がちに囁いた。 「ダメだよコレ。幼児用のオモチャで、競技用じゃないから」
そうだったのか! どうりで変だと思った。
夕暮れ時の帰宅途中、両親の顔が浮かんだ。 「ちゃんとしたグローブを買って欲しい」と頼んだら、なんて言われるだろう。 はたして、値段は幾らくらいするものなのだろう。 子供の自分には見当もつかなかった。
母親の渋る顔が浮かび、少し暗い気持ちになった。 でも、何となくだけど、父親が快く買ってくれるような気もした。
父から新品のグローブの手入れの仕方を習う光景が浮かんできた。 暗い気持ちは薄れ、希望が湧いてきた・・。
(ていう夢。特にオチなしw)
私は中学高校と野球部でしたが 不思議と一度も野球の夢を見たことがありません。
>> 135 ドラマのような夢ですね。 夕焼け空の下、野球小僧がグラブをバットに差し土手を歩く、そんな光景が浮かんできました。
私事ですが野球の夢はよく見ます。状況は大体いつも同じ。何故か抜擢されてショートのポジション。でも左側の打球や送球に腕がうまく動かず全く捕れない。で、周囲に失望されて目が覚める。この夢の原因は40歳くらいから目も悪くなり打球(特にフライ)が捕れない、肩も上がらない、足が思ったより動かない等々の現実の劣化です。この歯がゆさが夢にまでw
晩御飯さんのはそんな種類ではなく、幼少の頃の実体験が夢に、、ですかね。
ちなみに私、 プロ野球選手になった夢を見たことがあります。(マジですw)内容は長ーいので省略。 それと、深酒で眠りの浅い時にはシャツの背中に蜂が入ってきて「うわっー」と叫んで目が覚めることもたまにあります。 どーでもええw
実体験が反映されてたのは、小学3年から少年野球チームに入ったことと、 グローブの手入れの仕方を父親に習ったことの2点だけでしたねー。
「オモチャのグローブ」は実存せず。 きっと野球を始めた頃の「思うように捕球できない」といった焦りとか、 歯がゆさみたいなものの象徴として、夢の中に登場したのかも??
ちなみに僕も、「自分が現役プロ野球選手」という設定の夢を、 軽く10回以上は見たことがありますww
中でも最も印象的だったのが、1996~1997年頃に見た、 「阪神から巨人にトレードで出されてしまう」という夢w 詳しく書くと、長ーく・・もならないけど、 あんまりいっぺんに書くと「どーでもいいネタ」が枯渇してしまうので、 また別の機会にでも。
実体験は2点でしたか。 ビニール製のオモチャのグローブw 愚息に買ってやったなぁー懐かしい。
にしてもプロ野球選手10回以上、年まで覚えてるのはすごいですね。ましてトレード話とは具体的で面白い設定ですね。またの機会を楽しみにしてます。そういや、阪神ファンになった経緯も道半ばですもんねw
あっそれで「阪神から巨人にトレード」 これは小林・江川の影響? いや、96年〜97年だと時代が離れすぎか、、、 まあ、それもお楽しみということで。
>> 121 阪神ファンになった経緯(3)
1973年の日本シリーズが終わり、プロ野球の全体像や年間スケジュールを大まかに理解した僕。 その翌年になると、幼稚園の年長組に上がるタイミングで「12球団の名前を覚えよう」と思い立つ。
1974年版の選手名鑑やら、子供向けの「プロ野球大百科」的な本を兄から見せてもらい、 まずは球団名を丸暗記するところから始めた。
当時の僕の理解は以下のとおり。
〔セ・リーグ〕 読売ジャイアンツ(通称:巨人。常勝の主役) 阪神タイガース 中日ドラゴンズ 広島東洋カープ 大洋ホエールズ ヤクルトスワローズ ※巨人以外はショッカー的な引き立て役
〔パ・リーグ〕 阪急ブレーブス 南海ホークス ロッテオリオンズ 近鉄バファローズ 太平洋クラブライオンズ 日本ハムファイターズ ※前後期→プレーオフ制のラスボス決定リーグ
で、秋には両リーグの優勝チーム同士による日本シリーズが行われ、 もちろん巨人がセを代表し、パの代表(ラスボス)と戦う。 日本シリーズも当然、巨人が勝って終わる・・という物語を楽しむエンタメ。 (あくまで当時の僕の理解)
ちなみにこの前年まで、 ヤクルトは「アトムズ」だったし、 日ハムは「日拓ホームフライヤーズ」だった。
しかし、そのことを僕は記憶していない。 つまり前年までは、僕の中ではあくまで「巨人とその他」であり、 阪神や中日、阪急や南海といった辺りの、多少は目立つ球団を除いては、 「名も無き斬られ役」でしかなかったというわけだ。
ところがこの年(1974年)の開幕時には、 「脇役も全部覚えて楽しむぞ!」と言わんばかりにプロ野球にハマり出していた。 全球団名を覚えるだけでは飽き足らず、 12球団すべての帽子のマークや、球団旗などをチラシの裏にクレヨンで描くようになっていた。
そうこうしてる間に半年が経過し、このシーズンは衝撃の結末を迎えることになる。 少なくとも当時の僕にとっては、天地が逆転するほどの革命的な出来事に感じた。 その革命的な出来事とは、そう、中日ドラゴンズの優勝である。
つづく・・ (次回、いよいよ阪神ファンになる決意を固める)
>> 140 阪神から巨人にトレードに出された夢と、小林・江川の件は、 おっしゃる通り時代が離れていてリンクしていません。
また、先に書いてしまうと、僕は1975年シーズン(小1)から阪神ファンになりました。 つまり小林・江川の一件は、僕が阪神ファンになってから4年後(小5)の事であり、 そのこと自体が僕自身に大きな変化をもたらした訳ではないのですが・・。
でも今にして思えば(いやいや、当時も自覚あったけど)、 あれは僕にとっても、とてつもなく大きな出来事でした! きっと、あれで僕は「完成形」になったんだと今でも思ってます(何の?w)
我ながら、つくづく、どーでもええ話w
いやいや、スレ主旨にピッタリの王道ですよ。 いつものデータを駆使されての投稿、 片やどーでもええ話。 そのギャップでええ味が出てるのかと、、w
スレ主旨にピッタリと言えば「市さん」。 マクドやスタバ話は面白かったのに、どうされたのでしょう?是非またホッコリと笑かして下さいね!
福山さんの中では晩御飯さんの人物像は 年齢30~35歳、メゾン一刻の五代君を想像してました。 奥方は音無響子???
「片やどーでもええ話」 ↑ おっと、次回を楽しみにしてる私は「どーでもええ話」とは思ってないですよ、ホント(笑) 他の人は知りませんが、、、
>> 145 既にこのスレにも書きましたが、僕は1968年生まれ。 金本、矢野、下柳と同学年にあたる、現在50台半ばのおっさんです。
実際の人物像を「めぞん一刻」の登場人物の中から選ぶなら、 五代くんというより、その悪友の坂本くん系ですね。 スチャラカ野郎です。
嫁は五代くんのガールフレンド、七尾こずえちゃん風だと思って結婚したはずが、 このところ一ノ瀬のおばさん化が止まりませんww
福山さんは、僕の中ではさしずめ、四谷さんといったところでしょうか・・。
福山さんは顔は三鷹さん(自称) 性格は一の瀬のオバチャンです。 それにしても映画で清楚な音無響子さん役が石原真理子って 違うやろ
>> 144 僕も市さんの再登場を密かに心待ちにしている一人です。 市さんスタイルの投稿こそ、スレ趣旨のど真ん中かと!
「どーでもええ話」は自虐? でも人に対して言う分にはむしろ「期待どおり」 ここではある意味褒め言葉ですね。
福山さんのイメージは社長! 勝手な想像です ご免なさい。
私も市さんの癒し系コメントを心待にしてるひとりです。
そうでした、そうでした。 バリバリの褒め言葉ですね。 放置民さんのタイトル文言 「どーでもいいこと。何でもありの、自由きままな雑記スレ」 これに引き寄せられたんですから(笑)
調子に乗って、とことんどーでもいい話。
「五代くんって、いま何歳?」と朝っぱらから嫁に聞いて、 何やかんやと調べてみると・・。
たぶんですが、五代くんは今年62歳。 響子さんは64歳です😱
全然話についていけない😂
若かりし岡田彰布がルーキーだった頃に連載が始まったラブコメ漫画のヒロインが、 いつの間にやら同じように歳を取って、気づけば60台半ばになっていた・・ていう話かとw
ファン感謝デー的なイベント。 紅白戦のように2チームに分かれた。
バッターボックスに立ち、斜め前から軽くトスしてもらった球をしばいてスタンドインさせることが出来たら1得点。 いわゆるロングティー対決で、ひとりにつき、たった一球勝負。 両チームの全員が一球ずつ挑戦し、合計点を競い合うゲーム。
俺の打席が回ってきた。 トスを上げてくれるのは、俺サイドのチームキャプテン、梅ちゃん。
俺は最初から半ば諦めていた。 ほとんどホームランなんて打ったことのない選手。 それを察しているチームのメンバーからも、冷やかしのようなヤジが飛ぶ。 それでも梅ちゃんは「いける、いける!」と励ましの声をかけてくれた。
俺は一応「この辺に投げて」と梅ちゃんにジェスチャーで伝えると、構えに入った。
要求どおりの球を梅ちゃんがそっと放ってくれたが、俺は瞬時に「しまった!」と思った。 何せ一球勝負。タイミングがわずかに合わなかった。
俺は非力な打者なので、レフトポール際への最短距離を狙っていた。 しかし、トップの位置に入ったときには「差し込まれたー!」と悟った。
おもいっきり前で捌くつもりだったのだが、もう間に合わない。 仕方なく、身体の近くにまでポイントを引きつけ、できる限りバットを内側から出した。 ヘッドスピードが上がる感覚はあまり無かったが、 身体の軸というか、芯の部分の力を最大限ボールに伝えることはできそうな気がした。
振り抜いた。 というより腰に乗せて押し込んだ。 当たった?? バットとボールが衝突した感触が、ほとんど手に残らなかった。
「これ、いったんじゃない?」と梅ちゃんが言った。
打席に入る前にイメージしていた方向とはまったく違う、 センターからやや左方向に打球はグングン伸びた。 どうだ?入るか?届かないか??
ギリっギリでバックスクリーン左脇、スタンドの最前列に飛び込んだ。
俺は照れ隠しをしながらダイヤモンドを一周。 そしてベンチ前に出迎えてくれたチームメートや、 ベンチ横に設けられた特別観覧席の最前列のファンの人たちとハイタッチを交わした。
ていう夢を、今さっき、うたた寝してる間に見たw
「ていう夢を見た」と、 実際のスイングの形を全身で再現しながら嫁に話したら・・、
鼻で笑われた。
設定がリアル過ぎますな。 ロングティー〜近いポイント〜腰に乗せて(笑) 深酒で眠りが浅いので鮮明に覚えてらっしゃるのかなw てか真夜中ですよね、寝ぼけて奥様にハイタッチして二人とも目が覚めた?違うか(笑) いや、お二人で仲良く夜中まで談笑してて、晩御飯さんがソファでうたた寝、奥様が洗い物片付け中?ホンマにどーでもええ、ほっとけw
夜更かし族なもんで。
うたた寝してたのは、たぶん23時ごろ。 投稿したのは日付をまたいで深夜2時ですから、 「今さっき」は言いすぎだったかもしれませんねw
鼻で笑った嫁が「洗い物の片付け中」だったのは、まさに!
ちなみに、実際はもっと長い(細かい?)夢で、 僕が梅ちゃんのバット(真ん中あたりから先のほうが黒いやつ)を借りた場面とか、 本当にスタンドインしたのか信じられなくて、 あとでボールを捜しにいったりするシーンもあったのですが、 どーでもいいんで省略しましたw
「トップの位置」「前で捌く」 「差し込まれた」「バットを内側から」 「身体の近くにポイント」「腰に乗せて」
↑このように書くと、まるで僕が野球経験者であるかのよう・・。 実際は全然違いますww
「どれだけ野球という競技に関わりがあったか(または無かったか)」
これについて、先に書いておくべきだったと少々後悔。 そうしておいたほうが、僕の夢がいかに妄想に満ちたものなのか。 その荒唐無稽さ、滑稽さを、より際立たせることが出来たはずなのに・・。
話の順序、構成を間違えた! ていう、どーでもいい後悔w
面白すぎです。 トレードの夢もお願いします。 いつでも良いので。
野球との関わり(小学1年)
幼稚園児の延長。 見よう見まねで、ゴムボールをプラスチックバットで打ったりしていた程度。
野球との関わり(小学2年)
初めて父親にグローブとバットを買ってもらった。 なぜか今でも実家に保管してある。 オモチャではなかったけど、いま見るとバットはとても短く、グローブも非常に小さい。
グローブは数年前、専門のショップに頼んで再生。 数十年の時を経て、カピカピに乾いて固まった状態から見事に蘇った。 いつでも使える状態にあるが、誰が使うねんw
2年生当時は、まだチームの一員としてゲームに参加するような経験はなく、 父親とキャッチボールをしたり、兄と交互にノックを打ち合って遊んでいた程度。
(とりあえず6年生まで連投しますw 続きはまた明日以降)
追記。 バットは木製で、黄色い塗料が塗ってあった(今となってはほぼ色落ち)。 おぼろげな記憶だが「川上哲治の赤バット」を意識して、タイガースカラーを選んだんだと思う。 もちろん川上の現役時代など知らなかったが、すでにジャイアンツへの対抗心だけは芽生えていたw
野球との関わり(小学3年)
少年野球チーム(軟式)に入団。 いきなり背番号「32」をもらって、めちゃめちゃ嬉しかったのを覚えてる。
3~6年生の各学年に10人程度しか所属してないチームだったので、 6年、1~10番 5年、11~20番 4年、21~30番 3年、31~40番 といった具合に割り振られていた記憶がある。
最初の頃こそ「いつか上級生になったら、かっこいい背番号ひと桁をつけたい」と思っていた。 当時は「1」「3」「7」あたりが人気の番号だったような気がする。
でも「32」を背負ってるうちに、段々と「むしろ大きい番号のほうがイケてる」と感じるようになっていった。 おそらくこれは、掛布の影響かとw
正規のチームに入ったのと同時に、クラスメートだけの草野球チームが自然発生的に結成された。 というのも、3年に進級したタイミングで、学区付近にあった4つの少年野球のチームに数名ずつが加入。 クラスの男子の約半数が、4つのチームいずれかに入ったことで、 野球が完全に「遊びの王道」の地位を占めることになり、それは飽きることなく小学校を卒業するまで続いた。
平日の放課後は誰かが場所取りに走りグラウンド、 または子供が野球をするのにちょうどいいサイズの広場をキープ。 昼休みの間に他のクラスのリーダーと交渉し、「今日は3組と対戦だ」「今日は5組とだ」と、 雨が降らない限り、ほぼ毎日のように日が暮れるまで野球をしていた。
小学3年と言えども、今にして思えば結構ちゃんと野球をしていたように思う。 道具は3年前に高校野球でも解禁になった金属バットやら、 ファーストミット、左利き用グローブ、キャッチャーミットにキャッチャーマスクまで、 みんなで持ち寄れば何でも揃った。
もちろん正規のチームに入ってる子ばかりではない。 野球がやりたければ誰でも歓迎。 決して運動が得意とは言えないような子も参加してた。 みんな野球が大好きだった。
正規のチームに入ってたり、その中でも特に上手な子ばかりが出しゃばるような事もなかった。 守備位置に関しては、さすがに適材適所に配置せざるを得なかったが、 少なくとも打つほうに関しては、みんなに平等に出場機会を設けた。 一番ヘタクソだった奴がヒットでも打とうものなら、全員で飛び跳ねて歓んだ。
いま振り返ってみると、あの小学3年の放課後の野球が一番楽しかったように思う。
週末になると一転、それぞれ所属の野球チームで基礎的な練習、または先輩たちの試合の応援。 まだ小3にて公式試合に出るようなことはなく、これといった思い出はない。
クラスでは主にファーストを守っていたけど、 正規のチームではまだ決まったポジションは指定されていなかったように思う。 日曜は早朝6時から練習。僕はそこでいったい何してたんやろ・・。球拾いかな?w それでも休むことなく通った。とにかく野球が大好きだった。
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NPB DRAFT 2024 2024年度 新人選手選択会議 阪神タイガース指名選手 1位 井原陵人 4位 町田隼乙 2位 今朝丸裕喜 5位 佐野太陽 3位 木下里都 育成 1位 工藤泰成 3位 早川太貴 2位 嶋村麟士 4位 川崎俊哲
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私は梅野派でも
坂本派でもないですが、
毎日毎日毎日の梅野批判、
本当にもううんざりです😢
ファンでなくとも嫌な気持ちになる。。
負けようと思って戦ってる選手なんていない。
もちろんペナトピでのことではないと思いますが。
他ではあまりに酷い状態が続いてるみたいですねー。
(僕も見たことあります)
少し前にどなたかも同じこと書かれてましたが、
僕もかれこれ長いこと掲示板に参加させてもらってて、
あそこまで一人の選手が執拗に、毎日毎日叩かれているのは初めて見ました。
悲しく思うのと同時に、ちょっと吐き気をもよおす次元ですよね。
ファンにもいろいろいますからねー。
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私みたいな性格の人間は
掲示板のようなコミュニティには
本当は来るべきではないかのもしれません。
でもここはみなさん大人な人ばかりなので
なぜかたくさん話したくなる場所であり
来たくなっちゃいます。
運営の方々に感謝です😊
相手もプロなんだし、負けないように研究したり采配してる。
都合良くまわることばかりじゃない。
人間がやることだから、采配ミスも起きるだろう。
これまで何度も勝利に貢献して、喜ばせてくれたこともあったのに、
不振が続けば個人攻撃、采配ミスと簡単に言い切る。
結局自分の思い通りにならないのが不満なだけ。自分自身だって完璧な人間じゃない。
うまくいくこともあれば、失敗することもある。
ファンだから負けた日は腹も立つけど、少し時間を置いて冷静になって、
長いシーズンそういうこともあるよね。って思うようにしてます。
私も試合を見てて、イライラMAXになったり、
なんで打てないんや!三振するなよ!とかめっちゃ愚痴ったりするけど、
自分が放った言葉は必ず自分に跳ね返ってくる。
小さい頃に両親からそう言われてきました。
だから、存在を否定したり、中傷と
捉えられるような表現にならないよう、細心の注意を払っているつもりです。
いま、誹謗中傷や批判が集中してる選手は、負けずに頑張ってほしい。
いつか必ず報われる日が来ると思うので
やるべきことをしっかりして復活してほしいと心から願ってます。
長々とすいません。
個人的な心のつぶやき。
吐き出さずにはいられませんでした。
もうこの話は終わり。
今日も精一杯応援するぞ!
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絶対勝つぞっ💪
心中お察しします。
ただ私のような者から見ると
Redさんは花形投稿者ですよ。
昨日の試合終了後、エスコンフィールドの大型ビジョンに、
以下のようなメッセージが表示された。
阪神タイガースファンのみなさまへ
この3日間、多くの皆様のご来場、誠にありがとうございました。
エスコンフィールドはお楽しみいただけましたでしょうか?
1924年開業の阪神甲子園球場は来年100周年を迎えますが、
わたしたちも偉大な先輩を見習い、1世紀経っても愛される球場づくりを目指して参ります。
「甲子園も良いけど、エスコンフィールドも良いよね」と皆様に言ってもらえるよう、
今後も真摯にエンターテイメントの追求とサービス改善に努めていきますので、
またのご来場、心よりお待ち申し上げます。
球場スタッフ一同
分かりました。
必ず行きます!
プロ野球から政治経済まで、ネットを通じて色んな方の意見を見聞きする機会が多くなった。
「それちゃうやろ」も多いなか、やっぱ人間なので自分と同じツボ(見方)だと嬉しくなり親近感がわく。
昨日の8回一死2塁遊ゴロで木浪が3塁へ送球し挟殺プレーでアウト。
「ナイス!木浪」はいいとして、タイガースフリークとしては拙いランダウンプレーを幾度と見せられてるので「ナイス!渡邉」と叫んでしまう。よって渡邉の追いかけの方に着目したコメを見ると「ほんとそれ〜ヒヤヒヤしたわ」と嬉しくなる。
試合終了後、新庄監督がベンチ前に残って、タイガース首脳に必死で手を上げ何やら挨拶をしていたように見えた。
馴れ合いは駄目と言う方もいるが、私は緊迫した試合を戦い終えた同士の称え合いは良い光景に思えた。これに触れたコメを見るとこれまた嬉しくなる。
長い前置き終了(えっ本題とちゃうんか!)
視点といえば、テレビ中継でバックネット裏に陣取る御仁のビール注文ペースが気になり正の字でチェックとかしてしまう。
透明カップをネットの縁に置いてるので予想も立てやすいw
「ペースはやっ、どんだけ飲むねん!逆転打や!また注文するぞ、見といてん」と、、、
「気持ちええ飲みっぷりや、よしこっちも負けんともう一本いっとこ、しかしトイレは一回も行ってなさそうやぞ?CM中に行くには時間短いし」と、どうでもええ事も気になる。
野球は楽しい。
どうでもいい話だけど、
昨日は私の誕生日でした。
今日は木浪くんのお誕生日。
勝手に親近感沸いてますw
今日は木浪くんが活躍してくれるでしょう😊
今日から4日間、甲子園通います😆
チーム全体が不調に陥ってるので
5月のようなわけにはいきませんが、
今日と土曜の大竹登板の日は勝ってほしいなぁ。
行く日は全部勝ってほしいけど、
さすがにそれは難しいやろうし、
まだまだ打線の調子もあげてもらわないと。
大竹の古巣への恩返し勝利。また泣かせたい(笑)
毎朝、トイレ掃除と神棚掃除して、挑みます!
10代最後の誕生日ですね?
知らんけど・・・
10代最後😁そういうことにしておきます🤭
湯浅くんのメンタルが心配。
確かに湯浅くんのメンタルが心配ですね。。
藤川球児氏も言ってましたが、
クローザーは3回やられると、メンタルもやられると。
ましてや、イトマサの勝ち星を2度消してしまい、
多大な責任を感じているはず。一番悔しくて情けないと思っているのは湯浅本人。
球児もクローザーとして芽が出るまで相当な時間がかかりました。
湯浅本人も思うように投げられていないとずっと感じてるみたいだし、
いまは、自分自身が自信を持って投球できるように、
クローザーという過酷なポジションで、重責を真正面から受け止められるようになるまで
しっかりと調整することに集中してほしいです。
8月以降、もっと厳しい戦いも待ってると思うし、必ず湯浅の力が必要になってくるはず!
色んな壁を乗り越えて、経験して成長する。人間として大きくなる。
この経験は絶対に無駄にならないと思う。
頑張れ湯浅くん!
何かTikTokでめっちゃ面白いの流れてきた。
ワロたw
昨夜、野球の夢を見た。
まだ自分は小学3~4年生。
地元の少年野球チームに入ることになった。
初練習、内野ノックを受けたが、全然捕れない。
打球をグローブに当てることは出来るのだが、
どうしてもキャッチできずに弾いてしまう。
何かがおかしいと感じ、他の子のグローブを見せてもらった。
自分の物と比べ、とても革が分厚く、サイズも大きかった。
しっとりとした質感で、自分の物より重たく感じた。
その子に聞いてみた。
「ちょっとだけ、このグローブ借りてもいい?」
全然構わないと言うので、自分の物と交換する形で改めてノックを受けた。
捕れる!全部捕れる!
グローブのポケットと呼ばれる位置に、
しっかりと球が収まる心地良い感覚を得ることができた。
一方、僕が持参したグローブを手にノックを受けた子はエラーを連発。
その子は僕の耳元で、小声で遠慮がちに囁いた。
「ダメだよコレ。幼児用のオモチャで、競技用じゃないから」
そうだったのか!
どうりで変だと思った。
夕暮れ時の帰宅途中、両親の顔が浮かんだ。
「ちゃんとしたグローブを買って欲しい」と頼んだら、なんて言われるだろう。
はたして、値段は幾らくらいするものなのだろう。
子供の自分には見当もつかなかった。
母親の渋る顔が浮かび、少し暗い気持ちになった。
でも、何となくだけど、父親が快く買ってくれるような気もした。
父から新品のグローブの手入れの仕方を習う光景が浮かんできた。
暗い気持ちは薄れ、希望が湧いてきた・・。
(ていう夢。特にオチなしw)
私は中学高校と野球部でしたが
不思議と一度も野球の夢を見たことがありません。
>> 135
ドラマのような夢ですね。
夕焼け空の下、野球小僧がグラブをバットに差し土手を歩く、そんな光景が浮かんできました。
私事ですが野球の夢はよく見ます。状況は大体いつも同じ。何故か抜擢されてショートのポジション。でも左側の打球や送球に腕がうまく動かず全く捕れない。で、周囲に失望されて目が覚める。この夢の原因は40歳くらいから目も悪くなり打球(特にフライ)が捕れない、肩も上がらない、足が思ったより動かない等々の現実の劣化です。この歯がゆさが夢にまでw
晩御飯さんのはそんな種類ではなく、幼少の頃の実体験が夢に、、ですかね。
ちなみに私、
プロ野球選手になった夢を見たことがあります。(マジですw)内容は長ーいので省略。
それと、深酒で眠りの浅い時にはシャツの背中に蜂が入ってきて「うわっー」と叫んで目が覚めることもたまにあります。
どーでもええw
実体験が反映されてたのは、小学3年から少年野球チームに入ったことと、
グローブの手入れの仕方を父親に習ったことの2点だけでしたねー。
「オモチャのグローブ」は実存せず。
きっと野球を始めた頃の「思うように捕球できない」といった焦りとか、
歯がゆさみたいなものの象徴として、夢の中に登場したのかも??
ちなみに僕も、「自分が現役プロ野球選手」という設定の夢を、
軽く10回以上は見たことがありますww
中でも最も印象的だったのが、1996~1997年頃に見た、
「阪神から巨人にトレードで出されてしまう」という夢w
詳しく書くと、長ーく・・もならないけど、
あんまりいっぺんに書くと「どーでもいいネタ」が枯渇してしまうので、
また別の機会にでも。
実体験は2点でしたか。
ビニール製のオモチャのグローブw
愚息に買ってやったなぁー懐かしい。
にしてもプロ野球選手10回以上、年まで覚えてるのはすごいですね。ましてトレード話とは具体的で面白い設定ですね。またの機会を楽しみにしてます。そういや、阪神ファンになった経緯も道半ばですもんねw
あっそれで「阪神から巨人にトレード」
これは小林・江川の影響?
いや、96年〜97年だと時代が離れすぎか、、、
まあ、それもお楽しみということで。
>> 121
阪神ファンになった経緯(3)
1973年の日本シリーズが終わり、プロ野球の全体像や年間スケジュールを大まかに理解した僕。
その翌年になると、幼稚園の年長組に上がるタイミングで「12球団の名前を覚えよう」と思い立つ。
1974年版の選手名鑑やら、子供向けの「プロ野球大百科」的な本を兄から見せてもらい、
まずは球団名を丸暗記するところから始めた。
当時の僕の理解は以下のとおり。
〔セ・リーグ〕
読売ジャイアンツ(通称:巨人。常勝の主役)
阪神タイガース
中日ドラゴンズ
広島東洋カープ
大洋ホエールズ
ヤクルトスワローズ
※巨人以外はショッカー的な引き立て役
〔パ・リーグ〕
阪急ブレーブス
南海ホークス
ロッテオリオンズ
近鉄バファローズ
太平洋クラブライオンズ
日本ハムファイターズ
※前後期→プレーオフ制のラスボス決定リーグ
で、秋には両リーグの優勝チーム同士による日本シリーズが行われ、
もちろん巨人がセを代表し、パの代表(ラスボス)と戦う。
日本シリーズも当然、巨人が勝って終わる・・という物語を楽しむエンタメ。
(あくまで当時の僕の理解)
ちなみにこの前年まで、
ヤクルトは「アトムズ」だったし、
日ハムは「日拓ホームフライヤーズ」だった。
しかし、そのことを僕は記憶していない。
つまり前年までは、僕の中ではあくまで「巨人とその他」であり、
阪神や中日、阪急や南海といった辺りの、多少は目立つ球団を除いては、
「名も無き斬られ役」でしかなかったというわけだ。
ところがこの年(1974年)の開幕時には、
「脇役も全部覚えて楽しむぞ!」と言わんばかりにプロ野球にハマり出していた。
全球団名を覚えるだけでは飽き足らず、
12球団すべての帽子のマークや、球団旗などをチラシの裏にクレヨンで描くようになっていた。
そうこうしてる間に半年が経過し、このシーズンは衝撃の結末を迎えることになる。
少なくとも当時の僕にとっては、天地が逆転するほどの革命的な出来事に感じた。
その革命的な出来事とは、そう、中日ドラゴンズの優勝である。
つづく・・
(次回、いよいよ阪神ファンになる決意を固める)
>> 140
阪神から巨人にトレードに出された夢と、小林・江川の件は、
おっしゃる通り時代が離れていてリンクしていません。
また、先に書いてしまうと、僕は1975年シーズン(小1)から阪神ファンになりました。
つまり小林・江川の一件は、僕が阪神ファンになってから4年後(小5)の事であり、
そのこと自体が僕自身に大きな変化をもたらした訳ではないのですが・・。
でも今にして思えば(いやいや、当時も自覚あったけど)、
あれは僕にとっても、とてつもなく大きな出来事でした!
きっと、あれで僕は「完成形」になったんだと今でも思ってます(何の?w)
我ながら、つくづく、どーでもええ話w
いやいや、スレ主旨にピッタリの王道ですよ。
いつものデータを駆使されての投稿、
片やどーでもええ話。
そのギャップでええ味が出てるのかと、、w
スレ主旨にピッタリと言えば「市さん」。
マクドやスタバ話は面白かったのに、どうされたのでしょう?是非またホッコリと笑かして下さいね!
福山さんの中では晩御飯さんの人物像は
年齢30~35歳、メゾン一刻の五代君を想像してました。
奥方は音無響子???
「片やどーでもええ話」
↑
おっと、次回を楽しみにしてる私は「どーでもええ話」とは思ってないですよ、ホント(笑)
他の人は知りませんが、、、
>> 145
既にこのスレにも書きましたが、僕は1968年生まれ。
金本、矢野、下柳と同学年にあたる、現在50台半ばのおっさんです。
実際の人物像を「めぞん一刻」の登場人物の中から選ぶなら、
五代くんというより、その悪友の坂本くん系ですね。
スチャラカ野郎です。
嫁は五代くんのガールフレンド、七尾こずえちゃん風だと思って結婚したはずが、
このところ一ノ瀬のおばさん化が止まりませんww
福山さんは、僕の中ではさしずめ、四谷さんといったところでしょうか・・。
福山さんは顔は三鷹さん(自称)
性格は一の瀬のオバチャンです。
それにしても映画で清楚な音無響子さん役が石原真理子って
違うやろ
>> 144
僕も市さんの再登場を密かに心待ちにしている一人です。
市さんスタイルの投稿こそ、スレ趣旨のど真ん中かと!
「どーでもええ話」は自虐?
でも人に対して言う分にはむしろ「期待どおり」
ここではある意味褒め言葉ですね。
福山さんのイメージは社長!
勝手な想像です
ご免なさい。
私も市さんの癒し系コメントを心待にしてるひとりです。
そうでした、そうでした。
バリバリの褒め言葉ですね。
放置民さんのタイトル文言
「どーでもいいこと。何でもありの、自由きままな雑記スレ」
これに引き寄せられたんですから(笑)
調子に乗って、とことんどーでもいい話。
「五代くんって、いま何歳?」と朝っぱらから嫁に聞いて、
何やかんやと調べてみると・・。
たぶんですが、五代くんは今年62歳。
響子さんは64歳です😱
全然話についていけない😂
若かりし岡田彰布がルーキーだった頃に連載が始まったラブコメ漫画のヒロインが、
いつの間にやら同じように歳を取って、気づけば60台半ばになっていた・・ていう話かとw
ファン感謝デー的なイベント。
紅白戦のように2チームに分かれた。
バッターボックスに立ち、斜め前から軽くトスしてもらった球をしばいてスタンドインさせることが出来たら1得点。
いわゆるロングティー対決で、ひとりにつき、たった一球勝負。
両チームの全員が一球ずつ挑戦し、合計点を競い合うゲーム。
俺の打席が回ってきた。
トスを上げてくれるのは、俺サイドのチームキャプテン、梅ちゃん。
俺は最初から半ば諦めていた。
ほとんどホームランなんて打ったことのない選手。
それを察しているチームのメンバーからも、冷やかしのようなヤジが飛ぶ。
それでも梅ちゃんは「いける、いける!」と励ましの声をかけてくれた。
俺は一応「この辺に投げて」と梅ちゃんにジェスチャーで伝えると、構えに入った。
要求どおりの球を梅ちゃんがそっと放ってくれたが、俺は瞬時に「しまった!」と思った。
何せ一球勝負。タイミングがわずかに合わなかった。
俺は非力な打者なので、レフトポール際への最短距離を狙っていた。
しかし、トップの位置に入ったときには「差し込まれたー!」と悟った。
おもいっきり前で捌くつもりだったのだが、もう間に合わない。
仕方なく、身体の近くにまでポイントを引きつけ、できる限りバットを内側から出した。
ヘッドスピードが上がる感覚はあまり無かったが、
身体の軸というか、芯の部分の力を最大限ボールに伝えることはできそうな気がした。
振り抜いた。
というより腰に乗せて押し込んだ。
当たった??
バットとボールが衝突した感触が、ほとんど手に残らなかった。
「これ、いったんじゃない?」と梅ちゃんが言った。
打席に入る前にイメージしていた方向とはまったく違う、
センターからやや左方向に打球はグングン伸びた。
どうだ?入るか?届かないか??
ギリっギリでバックスクリーン左脇、スタンドの最前列に飛び込んだ。
俺は照れ隠しをしながらダイヤモンドを一周。
そしてベンチ前に出迎えてくれたチームメートや、
ベンチ横に設けられた特別観覧席の最前列のファンの人たちとハイタッチを交わした。
ていう夢を、今さっき、うたた寝してる間に見たw
「ていう夢を見た」と、
実際のスイングの形を全身で再現しながら嫁に話したら・・、
鼻で笑われた。
設定がリアル過ぎますな。
ロングティー〜近いポイント〜腰に乗せて(笑)
深酒で眠りが浅いので鮮明に覚えてらっしゃるのかなw
てか真夜中ですよね、寝ぼけて奥様にハイタッチして二人とも目が覚めた?違うか(笑)
いや、お二人で仲良く夜中まで談笑してて、晩御飯さんがソファでうたた寝、奥様が洗い物片付け中?ホンマにどーでもええ、ほっとけw
夜更かし族なもんで。
うたた寝してたのは、たぶん23時ごろ。
投稿したのは日付をまたいで深夜2時ですから、
「今さっき」は言いすぎだったかもしれませんねw
鼻で笑った嫁が「洗い物の片付け中」だったのは、まさに!
ちなみに、実際はもっと長い(細かい?)夢で、
僕が梅ちゃんのバット(真ん中あたりから先のほうが黒いやつ)を借りた場面とか、
本当にスタンドインしたのか信じられなくて、
あとでボールを捜しにいったりするシーンもあったのですが、
どーでもいいんで省略しましたw
「トップの位置」「前で捌く」
「差し込まれた」「バットを内側から」
「身体の近くにポイント」「腰に乗せて」
↑このように書くと、まるで僕が野球経験者であるかのよう・・。
実際は全然違いますww
「どれだけ野球という競技に関わりがあったか(または無かったか)」
これについて、先に書いておくべきだったと少々後悔。
そうしておいたほうが、僕の夢がいかに妄想に満ちたものなのか。
その荒唐無稽さ、滑稽さを、より際立たせることが出来たはずなのに・・。
話の順序、構成を間違えた!
ていう、どーでもいい後悔w
面白すぎです。
トレードの夢もお願いします。
いつでも良いので。
野球との関わり(小学1年)
幼稚園児の延長。
見よう見まねで、ゴムボールをプラスチックバットで打ったりしていた程度。
野球との関わり(小学2年)
初めて父親にグローブとバットを買ってもらった。
なぜか今でも実家に保管してある。
オモチャではなかったけど、いま見るとバットはとても短く、グローブも非常に小さい。
グローブは数年前、専門のショップに頼んで再生。
数十年の時を経て、カピカピに乾いて固まった状態から見事に蘇った。
いつでも使える状態にあるが、誰が使うねんw
2年生当時は、まだチームの一員としてゲームに参加するような経験はなく、
父親とキャッチボールをしたり、兄と交互にノックを打ち合って遊んでいた程度。
(とりあえず6年生まで連投しますw 続きはまた明日以降)
追記。
バットは木製で、黄色い塗料が塗ってあった(今となってはほぼ色落ち)。
おぼろげな記憶だが「川上哲治の赤バット」を意識して、タイガースカラーを選んだんだと思う。
もちろん川上の現役時代など知らなかったが、すでにジャイアンツへの対抗心だけは芽生えていたw
野球との関わり(小学3年)
少年野球チーム(軟式)に入団。
いきなり背番号「32」をもらって、めちゃめちゃ嬉しかったのを覚えてる。
3~6年生の各学年に10人程度しか所属してないチームだったので、
6年、1~10番
5年、11~20番
4年、21~30番
3年、31~40番
といった具合に割り振られていた記憶がある。
最初の頃こそ「いつか上級生になったら、かっこいい背番号ひと桁をつけたい」と思っていた。
当時は「1」「3」「7」あたりが人気の番号だったような気がする。
でも「32」を背負ってるうちに、段々と「むしろ大きい番号のほうがイケてる」と感じるようになっていった。
おそらくこれは、掛布の影響かとw
正規のチームに入ったのと同時に、クラスメートだけの草野球チームが自然発生的に結成された。
というのも、3年に進級したタイミングで、学区付近にあった4つの少年野球のチームに数名ずつが加入。
クラスの男子の約半数が、4つのチームいずれかに入ったことで、
野球が完全に「遊びの王道」の地位を占めることになり、それは飽きることなく小学校を卒業するまで続いた。
平日の放課後は誰かが場所取りに走りグラウンド、
または子供が野球をするのにちょうどいいサイズの広場をキープ。
昼休みの間に他のクラスのリーダーと交渉し、「今日は3組と対戦だ」「今日は5組とだ」と、
雨が降らない限り、ほぼ毎日のように日が暮れるまで野球をしていた。
小学3年と言えども、今にして思えば結構ちゃんと野球をしていたように思う。
道具は3年前に高校野球でも解禁になった金属バットやら、
ファーストミット、左利き用グローブ、キャッチャーミットにキャッチャーマスクまで、
みんなで持ち寄れば何でも揃った。
もちろん正規のチームに入ってる子ばかりではない。
野球がやりたければ誰でも歓迎。
決して運動が得意とは言えないような子も参加してた。
みんな野球が大好きだった。
正規のチームに入ってたり、その中でも特に上手な子ばかりが出しゃばるような事もなかった。
守備位置に関しては、さすがに適材適所に配置せざるを得なかったが、
少なくとも打つほうに関しては、みんなに平等に出場機会を設けた。
一番ヘタクソだった奴がヒットでも打とうものなら、全員で飛び跳ねて歓んだ。
いま振り返ってみると、あの小学3年の放課後の野球が一番楽しかったように思う。
週末になると一転、それぞれ所属の野球チームで基礎的な練習、または先輩たちの試合の応援。
まだ小3にて公式試合に出るようなことはなく、これといった思い出はない。
クラスでは主にファーストを守っていたけど、
正規のチームではまだ決まったポジションは指定されていなかったように思う。
日曜は早朝6時から練習。僕はそこでいったい何してたんやろ・・。球拾いかな?w
それでも休むことなく通った。とにかく野球が大好きだった。