ペナトピ・Deracine版

雑記帳 / 199

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晩御飯 2023/07/12 (水) 13:12:01

続・野球との関わり(中学生・その1)

小6の一学期も終わろうとしていた頃、親から突如として「中学受験しろ」と言われた。
当時、僕の地元では私立中学に進学するというのは非常に珍しいことだったし、
僕の兄も普通に地元の公立中学に通っていた。

その頃はちょうど「なめ猫」や「横浜銀蝿」なんかが流行るような、10代の「ヤンキー文化」が真っ盛りの時代。
連日メディアでも「校内暴力」なるワードが取り上げられ、かなりの社会問題になっていた記憶がある。
おそらく僕の地元の中学も、そこそこ荒れていたんだと思う。

物静かな兄と比べると、ヤンチャ要素を多めに含んでいた当時の僕。
小学生の段階で既に、親はたびたび学校から呼び出しを食らっていたようだし、先々が不安だったんでしょうねー。
今にして思えば、僕は単に活発なイタズラっ子だっただけ。
あのまま地元の中学高校に行っても、別にチンピラ風情にはならんかったと思うのだが・・w

さて、中学受験の入試問題は、学校で習うものとは完全に別モノらしいということで、
受験用テクニックを習得すべく、僕は小さな小さな塾の夏期講習に通うこととなった。
そこは「○○予備校」とか「○○ゼミナール」といったような大きな塾ではなく、
一学年につき、10人しかいないような、ホントに小さな私塾みたいなところだった。
正直、最初はナメていた。

ところが入ってみると、そこにいる連中は、やれカイセーだ、やれアザブだ、やれケーオーだといった、
超有名進学校に合格するような、少数精鋭の秀才集団だった。

僕は当初、とんでもない場違いなところにやって来てしまったと後悔し、
ただただ小さな教室の隅に座って、何をやっているかサッパリ意味不明な授業をボーっと眺めているだけだった。

そんなさなか、1980年・夏の全国高校野球・甲子園大会が始まった。
この大会で大旋風を巻き起こした1年生エース。
彼の存在が僕の心に火をつけた。
もしあの大フィーバーがなかったら、塾代はドブに捨てたも同然となり、
僕は普通に地元中学に入学し、普通に野球部に入部していたに違いない。

(まだ続くんか~い!)

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