「自覚の有無」と「恥の有無」がイコールで結べないってことは、それらはその認識に至るまでに別の工程を踏んでるんじゃないかと思うわけ。
たとえば俺が>> 5で自分に言われてると勘違いした過ちを自覚して恥を感じるかと言われれば、やってしまった感はあるよ。
しかしこの「やってしまった感」はどこからきてるのかといえば、「論理的な間違い」からきているわけだ。
つまり俺はそのミスをある種の「罪」と認識してるわけだけど、それって裏を返せば「論理的に間違ってはならない」という価値観に基づいてると思うわけ。
それってどこからやってきたのかな、というのが俺が解き明かしていきたいことだよ。
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