シャルロットが万葉を称賛した理由についてフォンテーヌを考察する材料になるんじゃないかという考察。
まず現七神で悪政を敷いて民に反撃を食らったのは雷神のみであること。モンドはデカラビアを倒して風神が治めてから一環して信仰されている。璃月も信仰は薄れたがモラクスは往生堂が儀式を取り仕切って崇められている。スメールは前任を崇めているだけで代替わりを承服してなかっただけ。前任のマハーに対しては絶大な信仰がある。
では稲妻でさえ憚り、他国では神とは基本的に崇めるものであるのに神に対抗した万葉の行為をフォンテーヌ人のシャルロットが手放しに称賛したのは何故なのか?
まず稲妻も目狩り令自体は行われたけど雷電将軍に対する信仰は稲妻編開始から終了まで揺らいでなかったし、抵抗軍が抵抗してたのは目狩り令とは別に淵下宮から続く蟠りがあったという点でズレてる。
少なくとも神が下した鎖国令や目狩り令に対する違反は山ほどあったのに信仰が揺らいでないはおかしくない? スメールなら知恵を選られるアーカーシャは皆つけて、璃月なら契約を重んじていたし。モンドは神が自由を望んだから自由にしてるけど、稲妻に関してはかなり真っ向から民が抵抗してはた感ある。社奉行も荷担してるしな
ちゃんと稲妻編でNPCの会話聞いてたりした?基本民は雷電将軍に対しては抵抗もしてないし信仰心は持ってたよ。幕府に対してと雷電将軍という個に対しては別だぞ。
語弊生まれそうだから補足すると、稲妻の民とかはあくまでも「幕府」に対してレジスタンスしてたって認識だから、雷神が悪政を敷いてたというイメージでもないし雷神に対して不信感を抱いていたってわけじゃないってこと。
事実として最終盤で旅人を通じて将軍に目狩りと鎖国をやめてくれと直訴していたし、御前試合に万葉の友が出たのも目狩りに対する抵抗のため。宵宮に匿われて外に逃れた人もいた。あれを幕府に対する抵抗で将軍を揺るぎなく信仰していたとするのは無理があるな。
ああ、なんだ。結論ありきで連投してるだけの人だったか。
↑結論ありき とはこれ如何に?
フォンテーヌの神も単純に崇められる存在ではない可能性がある。評価として水神は幼いナヒーダよりも所業が良く見られていない。シャルロットは神の力が絶対的と知りながら神の悪政を正した万葉に英雄性を称賛したなら、自国の水神の治世にも良い印象は抱いていないのでは、と考えられる。自国の神を信仰しているなら、神に背いた行為を称賛するはずがないので
そもそもフォンテーヌは正義と審判の国だから、それを司る神に刃向かうのを普通は厭いそうなものだ。逆にフォンテーヌでは神ですら正義に反したら裁けるのかもしれないが
そもそも他の神は基本的に現代に観葉植物してないから過去の偉業に対する信仰が篤いけど、雷電将軍に関しては現代にも武力を示しているから信仰されてきた。統治者として力を振るっている唯一の神(ナヒーダは救出後に国政関与始めたが)なので現人神の形態をとっているから治世の良し悪しが信仰に響くのは当然じゃないか?
スネージナヤの女皇やフォンテーヌの水神も同じ現人神の統治形態で絶対的に信仰されてる女皇パターンか側近からさえ悪態つかれてる水神パターンにわかれている。雷電は臣下から悪態はつかれないけど、女皇やマハーに対するような絶対的な信仰でもないよね
整理すると1「神の目を持たない鳴神島の民」2「神の目を持つ鳴神島の民」3「土着の神を崇めてきたその他の島の民」に分類できる。そして、雷神信仰に対する鎖国令や目狩り令による影響について1はほぼ影響なく、2は大きく影響を受け、3はそもそも信仰していないので影響しないとなる。万葉は自身も友も神の目所持者であり、友を御前試合で失って神の目を守るために亡命した。つまり、彼は2であり抵抗を選択した稲妻の民である。他にも亡命事例はあるから2であり抵抗側に回った稲妻の民は一定数存在する。そもそも万葉がなぜ称賛されたのか、については雷電の武力の象徴である一太刀を受け止めたからだが、その一太刀は御前試合でも示されるから2の人々にとっては偉業である。また3にとっても将軍の武力は脅威なので偉業である。よって伝聞によってフォンテーヌに伝わったならば2または3からの流布によるものである(1にとって雷神信仰の最たる理由は神の武力なのでこの逸話は称賛に値しない)。そして、旅人の偉業については評価されていないので、旅人を知る事件関係者とは近くない人物による流布である。雷神が武神であることは対外的に知られている間違いないので、フォンテーヌ人なら雷電=強者であり、強者の一撃を受け止めたことは驚くだろう。このことからシャルロットが万葉を称賛した理由と考えられるのは単に武神としての雷神しか知らず、その武力を止めた万葉の武力を褒め称えた(それが稲妻に与えた影響は加味しない)。次いで考えられるのは雷神の行いを知っており、その行いを止めるために万葉が行動し、結果として一太刀を止めたことに対する称賛。前者であるなら伝聞のみに頼った人物判断なので記者として問題があり、敏腕という肩書に疑いがある。後者なら開国間もない稲妻の直近情勢を伝聞を介して把握し、その中で担った万葉の役割を評価していることになる。その場合、彼女は神の所業を是正できるという思考を持つことになるのでスネージナヤやスメール、モンド、璃月で一般的な神の所業が国を繁盛させたと考える価値観とは相いれないものになる。フォンテーヌは神が司法を執っている以上、神の所業を是正できるという価値観は異端になるのでは? という推測になる。スメール人が草神(改変前はマハーであり改変後はナヒーダ)がもたらす知識が間違っている可能性を疑うくらい異端。
深くその辺は設定されず前者の立場から万葉を評価したんだろうなって思うと残念なんだけど
「雷神信仰に対する鎖国令や目狩り令による影響について1はほぼ影響なく」って時点で間違ってる気がする。目狩り令は確かに神の目を持たない人間にはあんまり関係なかったんだけど鎖国令は神の目を持たない稲妻人も困ってたので。
鎖国令と目狩り令は両方合わさって神の目供出のための凶悪な効果を発揮するから鎖国令のみ影響する1側が幕府を打倒しようという流れにまでは至らないんじゃないかな
これにはあんまり関係ないけど一太刀防いだ案件って広めてよかったんかなって思うよね。雷電の武力が他の神すら切り伏せる絶対的なのは確かな話だからそれを防がれたって伝わったら悪影響しかなさそう
そもそも水神すらも法の下にあるってのは言われてなかったか?それをそこらへんの人が知ってるかは別として
後者の考えだとしても「水神と雷神は違う」の一言で片付きそうな気がするが
>> 69むしろ雷神を信仰しているからこそ雷神の強さをよく知っているはず。だからこそ万葉の件がいかに凄いかを理解しているはずだし、九条鎌治とかの幕府の人間もそれを凄いものとして捉えている。
あとシャルロットは別にそこまで考えてないと思う。特に深い意味はなく、単に最強と謳われる刀を打ち返した事に対する称賛。 ソースについても天領奉行が動いてる事実がある。一流のメディアなら幕府内部の動きもある程度は把握してるはず。
むしろツッコむべきは万葉への賞賛じゃなくて、雷電将軍の姿を知らなかった事だと思う。それも雷神がカードゲームなんかしてると思わなかった、の一言で片付くだろうけど...
幕府に対する感情と将軍に対する感情が別個ってとこは納得いかんわ。稲妻は雷電将軍の国だろうに
・シャルロットが旅人の肩書として「稲妻の鎖国令を改めさせた」と言ってた通り、鎖国令は問題のある政策だと国内外に広く認知されている ・魔神任務終了以降、雷電自身も鎖国令(というか「何も変化しない国」を目指す政策)を間違いだったと認めている(ボイス影を知る・4:「永遠」の追求は、一種の逃避にすぎません。私が最後に取った方法も、甲羅にうずくまる亀のようなものでした。しかし亀とはもともと長寿の象徴、永遠を追求すれば必然的にそのような形になるのかもしれませんね。) ・万葉は鎖国令改定に関与し、無想の一太刀を受け止めた豪傑でもある
シャルロットが万葉を称賛することについてなんか問題があるようには見えない
重箱の隅であるのは承知だけど、鎖国令の是非に関して国内の意見はともかくとして、国外からすりゃ稲妻との外交や貿易ができないのはそりゃ嬉しくないよね 璃月からですら遠いので現実的には日本に対するブラジルやチリ、アルゼンチン辺りを想定するとして、それらの国への個々人のイメージや好感度が異なるのはテイワットでも同様だろうけど、それでもチリワインやブラジルのコーヒーが自国に入ってこないことを歓迎する人間はそんなにいないだろうし
モチーフを鑑みれば信仰が(ほぼ)揺らいでいないってのは正しいと思うけどね、第二次大戦の戦後処理で多くの戦犯が裁かれたものの天皇の地位は君主としては変わらなかったんだし どっちかというと奸臣の唆しが原因だと一般には思われてんじゃないの
奸臣の教唆も何も普通に御前試合してるからなあ。それどころかあれが人形とは誰も知らんし
>> 78話の脈絡がよく分からないんだけどよかったら詳しく書いてくれるか?
詳しく書くまでもなく御前試合で将軍自らが目狩りしているからでは
でもその御前試合って将軍からじゃないからなぁ…将軍はあくまで売られた喧嘩買ってるだけ。目狩りもNPCの会話聞く限り一般人は対岸の火事って感じだし御前試合も対岸の火事でしょ
万葉の友に関しては売られる原因は目狩り令にあったから買ってるだけってのはちょっと無理があるようなw 一般人ってか目があるなしで影響は変わるのは当然だし、モチーフでいうなら廃刀令で元から刀を持たない庶民は困らんけど武士はプライド奪われたってブチ切れたし
あと根本的には神の目を授かった人は神の眼差しを受けたという扱い(事実は違うとしても)だから、神の目を持たない人にとっても目の所持者は神様から恩寵を授かった特別な人に映るはずなので、それを上が奪い取るという行為をお触れしたのに対して一切信仰を揺るがせなかったってのはちょっとないかなっていうのもある。完全にキリシタン扱いだしね
>> 83あっそれかぁ!…だったらⅰ衆目の前でⅱ将軍自らⅲ能動的に手を下したトーマの件の方がいい例なような、これならツッコミも入らなかったのに ただ信仰が揺らいだか?って点だとやっぱり劇中では抵抗軍とそれに参加した民衆くらいで他はそうでもない(どちらかというと役人に対して怒りが向いている)と言わざるを得ないかな、神の目所有者も妬まれているって綾華は発言してるし 出てる情報から揺らいでもおかしくないとは思うけど実際には揺らいだ様子自体がほとんど見えないからやっぱり将軍信仰は揺らいではいないんだろう
別に深掘りしたいってわけじゃないんだけど、雷電将軍のモチーフは天皇じゃなくて豊臣秀吉だよね。目/刀狩りとか鎖国とか姉/弟を亡くしてからおかしくなったとか。秀吉の逸話に中国人の思う武士道とか武人のイメージを盛ったのが雷電将軍。天皇モチーフなのは幕府によって政治の中心を追われ貧乏生活しながら細々と祭祀を行っている海祇島の現人神さんのほうだよね。
天皇云々の話を出したのは自分だから一応答えるけど…「モチーフを~」云々の意味するところは日本が稲妻のモチーフで、そこから稲妻の民衆感情を日本の民衆から類推したのが自分のコメント、お上と民衆の関係だから一番なじみのある天皇と日本国民の話を出したわけ、確かに天皇=雷電将軍は含意されてはいるけれど…正直「モチーフは○○でなく××」という議論に意味はないと思う 刀狩とかは確かにそうだけどそれはあくまで「秀吉がモチーフの一つである」というところまでしか言えないでしょ、姉妹で鏡写しのように政務を分担してたのはどっちかというと足利尊氏・直義兄弟を連想したし、外国との交流の制限はあれど鎖国といえば徳川政権下の事柄 また現実の将軍と違って雷電将軍は誰かに将軍の官位を与えられたわけでもないし、自身がそもそも正真正銘の神なわけで、そこを切り離すのも意図的だし珊瑚宮にのみその性格を見出すのもまた意図的でしかない、珊瑚宮にも天皇的なエッセンスは入っていると思うが、モチーフを単一に定めるなら現実の幕府と朝廷が全くの異民族ということにになってしまうから、そこまで断言のような主張はできないよね
実在する数千年単位で生きられる存在が政治を行うってことで、個々人によってどういう信仰をイメージしてるか違ってて話が難しい気がするな。人間とは全く別の存在として偉いから偉いとか、武力や実績などが凄いから偉いとか、あるいはもう生活の一部としてとしてなんかの宗教信仰してるわけじゃないけどとりあえず宗教的活動やイベントをこなす感覚とか。超常的存在として信仰してるならやることがどんなことでも、たとえ自分にマイナスなことであっても信仰とは切り離されるだろうし、実績で信仰しているならやることが糞だと思えば信仰もなくなってくだろうし……。身も蓋もないことを言えば、ストーリーの必要性でキャラによってどの立場を取るかが決まっちゃってる気もしないでもない。
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まず現七神で悪政を敷いて民に反撃を食らったのは雷神のみであること。モンドはデカラビアを倒して風神が治めてから一環して信仰されている。璃月も信仰は薄れたがモラクスは往生堂が儀式を取り仕切って崇められている。スメールは前任を崇めているだけで代替わりを承服してなかっただけ。前任のマハーに対しては絶大な信仰がある。
では稲妻でさえ憚り、他国では神とは基本的に崇めるものであるのに神に対抗した万葉の行為をフォンテーヌ人のシャルロットが手放しに称賛したのは何故なのか?
まず稲妻も目狩り令自体は行われたけど雷電将軍に対する信仰は稲妻編開始から終了まで揺らいでなかったし、抵抗軍が抵抗してたのは目狩り令とは別に淵下宮から続く蟠りがあったという点でズレてる。
少なくとも神が下した鎖国令や目狩り令に対する違反は山ほどあったのに信仰が揺らいでないはおかしくない? スメールなら知恵を選られるアーカーシャは皆つけて、璃月なら契約を重んじていたし。モンドは神が自由を望んだから自由にしてるけど、稲妻に関してはかなり真っ向から民が抵抗してはた感ある。社奉行も荷担してるしな
ちゃんと稲妻編でNPCの会話聞いてたりした?基本民は雷電将軍に対しては抵抗もしてないし信仰心は持ってたよ。幕府に対してと雷電将軍という個に対しては別だぞ。
語弊生まれそうだから補足すると、稲妻の民とかはあくまでも「幕府」に対してレジスタンスしてたって認識だから、雷神が悪政を敷いてたというイメージでもないし雷神に対して不信感を抱いていたってわけじゃないってこと。
事実として最終盤で旅人を通じて将軍に目狩りと鎖国をやめてくれと直訴していたし、御前試合に万葉の友が出たのも目狩りに対する抵抗のため。宵宮に匿われて外に逃れた人もいた。あれを幕府に対する抵抗で将軍を揺るぎなく信仰していたとするのは無理があるな。
ああ、なんだ。結論ありきで連投してるだけの人だったか。
↑結論ありき とはこれ如何に?
フォンテーヌの神も単純に崇められる存在ではない可能性がある。評価として水神は幼いナヒーダよりも所業が良く見られていない。シャルロットは神の力が絶対的と知りながら神の悪政を正した万葉に英雄性を称賛したなら、自国の水神の治世にも良い印象は抱いていないのでは、と考えられる。自国の神を信仰しているなら、神に背いた行為を称賛するはずがないので
そもそもフォンテーヌは正義と審判の国だから、それを司る神に刃向かうのを普通は厭いそうなものだ。逆にフォンテーヌでは神ですら正義に反したら裁けるのかもしれないが
そもそも他の神は基本的に現代に観葉植物してないから過去の偉業に対する信仰が篤いけど、雷電将軍に関しては現代にも武力を示しているから信仰されてきた。統治者として力を振るっている唯一の神(ナヒーダは救出後に国政関与始めたが)なので現人神の形態をとっているから治世の良し悪しが信仰に響くのは当然じゃないか?
スネージナヤの女皇やフォンテーヌの水神も同じ現人神の統治形態で絶対的に信仰されてる女皇パターンか側近からさえ悪態つかれてる水神パターンにわかれている。雷電は臣下から悪態はつかれないけど、女皇やマハーに対するような絶対的な信仰でもないよね
整理すると1「神の目を持たない鳴神島の民」2「神の目を持つ鳴神島の民」3「土着の神を崇めてきたその他の島の民」に分類できる。そして、雷神信仰に対する鎖国令や目狩り令による影響について1はほぼ影響なく、2は大きく影響を受け、3はそもそも信仰していないので影響しないとなる。万葉は自身も友も神の目所持者であり、友を御前試合で失って神の目を守るために亡命した。つまり、彼は2であり抵抗を選択した稲妻の民である。他にも亡命事例はあるから2であり抵抗側に回った稲妻の民は一定数存在する。そもそも万葉がなぜ称賛されたのか、については雷電の武力の象徴である一太刀を受け止めたからだが、その一太刀は御前試合でも示されるから2の人々にとっては偉業である。また3にとっても将軍の武力は脅威なので偉業である。よって伝聞によってフォンテーヌに伝わったならば2または3からの流布によるものである(1にとって雷神信仰の最たる理由は神の武力なのでこの逸話は称賛に値しない)。そして、旅人の偉業については評価されていないので、旅人を知る事件関係者とは近くない人物による流布である。雷神が武神であることは対外的に知られている間違いないので、フォンテーヌ人なら雷電=強者であり、強者の一撃を受け止めたことは驚くだろう。このことからシャルロットが万葉を称賛した理由と考えられるのは単に武神としての雷神しか知らず、その武力を止めた万葉の武力を褒め称えた(それが稲妻に与えた影響は加味しない)。次いで考えられるのは雷神の行いを知っており、その行いを止めるために万葉が行動し、結果として一太刀を止めたことに対する称賛。前者であるなら伝聞のみに頼った人物判断なので記者として問題があり、敏腕という肩書に疑いがある。後者なら開国間もない稲妻の直近情勢を伝聞を介して把握し、その中で担った万葉の役割を評価していることになる。その場合、彼女は神の所業を是正できるという思考を持つことになるのでスネージナヤやスメール、モンド、璃月で一般的な神の所業が国を繁盛させたと考える価値観とは相いれないものになる。フォンテーヌは神が司法を執っている以上、神の所業を是正できるという価値観は異端になるのでは? という推測になる。スメール人が草神(改変前はマハーであり改変後はナヒーダ)がもたらす知識が間違っている可能性を疑うくらい異端。
深くその辺は設定されず前者の立場から万葉を評価したんだろうなって思うと残念なんだけど
「雷神信仰に対する鎖国令や目狩り令による影響について1はほぼ影響なく」って時点で間違ってる気がする。目狩り令は確かに神の目を持たない人間にはあんまり関係なかったんだけど鎖国令は神の目を持たない稲妻人も困ってたので。
鎖国令と目狩り令は両方合わさって神の目供出のための凶悪な効果を発揮するから鎖国令のみ影響する1側が幕府を打倒しようという流れにまでは至らないんじゃないかな
これにはあんまり関係ないけど一太刀防いだ案件って広めてよかったんかなって思うよね。雷電の武力が他の神すら切り伏せる絶対的なのは確かな話だからそれを防がれたって伝わったら悪影響しかなさそう
そもそも水神すらも法の下にあるってのは言われてなかったか?それをそこらへんの人が知ってるかは別として
後者の考えだとしても「水神と雷神は違う」の一言で片付きそうな気がするが
>> 69むしろ雷神を信仰しているからこそ雷神の強さをよく知っているはず。だからこそ万葉の件がいかに凄いかを理解しているはずだし、九条鎌治とかの幕府の人間もそれを凄いものとして捉えている。
あとシャルロットは別にそこまで考えてないと思う。特に深い意味はなく、単に最強と謳われる刀を打ち返した事に対する称賛。
ソースについても天領奉行が動いてる事実がある。一流のメディアなら幕府内部の動きもある程度は把握してるはず。
むしろツッコむべきは万葉への賞賛じゃなくて、雷電将軍の姿を知らなかった事だと思う。それも雷神がカードゲームなんかしてると思わなかった、の一言で片付くだろうけど...
幕府に対する感情と将軍に対する感情が別個ってとこは納得いかんわ。稲妻は雷電将軍の国だろうに
・シャルロットが旅人の肩書として「稲妻の鎖国令を改めさせた」と言ってた通り、鎖国令は問題のある政策だと国内外に広く認知されている
・魔神任務終了以降、雷電自身も鎖国令(というか「何も変化しない国」を目指す政策)を間違いだったと認めている(ボイス影を知る・4:「永遠」の追求は、一種の逃避にすぎません。私が最後に取った方法も、甲羅にうずくまる亀のようなものでした。しかし亀とはもともと長寿の象徴、永遠を追求すれば必然的にそのような形になるのかもしれませんね。)
・万葉は鎖国令改定に関与し、無想の一太刀を受け止めた豪傑でもある
シャルロットが万葉を称賛することについてなんか問題があるようには見えない
重箱の隅であるのは承知だけど、鎖国令の是非に関して国内の意見はともかくとして、国外からすりゃ稲妻との外交や貿易ができないのはそりゃ嬉しくないよね
璃月からですら遠いので現実的には日本に対するブラジルやチリ、アルゼンチン辺りを想定するとして、それらの国への個々人のイメージや好感度が異なるのはテイワットでも同様だろうけど、それでもチリワインやブラジルのコーヒーが自国に入ってこないことを歓迎する人間はそんなにいないだろうし
モチーフを鑑みれば信仰が(ほぼ)揺らいでいないってのは正しいと思うけどね、第二次大戦の戦後処理で多くの戦犯が裁かれたものの天皇の地位は君主としては変わらなかったんだし
どっちかというと奸臣の唆しが原因だと一般には思われてんじゃないの
奸臣の教唆も何も普通に御前試合してるからなあ。それどころかあれが人形とは誰も知らんし
>> 78話の脈絡がよく分からないんだけどよかったら詳しく書いてくれるか?
詳しく書くまでもなく御前試合で将軍自らが目狩りしているからでは
でもその御前試合って将軍からじゃないからなぁ…将軍はあくまで売られた喧嘩買ってるだけ。目狩りもNPCの会話聞く限り一般人は対岸の火事って感じだし御前試合も対岸の火事でしょ
万葉の友に関しては売られる原因は目狩り令にあったから買ってるだけってのはちょっと無理があるようなw 一般人ってか目があるなしで影響は変わるのは当然だし、モチーフでいうなら廃刀令で元から刀を持たない庶民は困らんけど武士はプライド奪われたってブチ切れたし
あと根本的には神の目を授かった人は神の眼差しを受けたという扱い(事実は違うとしても)だから、神の目を持たない人にとっても目の所持者は神様から恩寵を授かった特別な人に映るはずなので、それを上が奪い取るという行為をお触れしたのに対して一切信仰を揺るがせなかったってのはちょっとないかなっていうのもある。完全にキリシタン扱いだしね
>> 83あっそれかぁ!…だったらⅰ衆目の前でⅱ将軍自らⅲ能動的に手を下したトーマの件の方がいい例なような、これならツッコミも入らなかったのに
ただ信仰が揺らいだか?って点だとやっぱり劇中では抵抗軍とそれに参加した民衆くらいで他はそうでもない(どちらかというと役人に対して怒りが向いている)と言わざるを得ないかな、神の目所有者も妬まれているって綾華は発言してるし
出てる情報から揺らいでもおかしくないとは思うけど実際には揺らいだ様子自体がほとんど見えないからやっぱり将軍信仰は揺らいではいないんだろう
別に深掘りしたいってわけじゃないんだけど、雷電将軍のモチーフは天皇じゃなくて豊臣秀吉だよね。目/刀狩りとか鎖国とか姉/弟を亡くしてからおかしくなったとか。秀吉の逸話に中国人の思う武士道とか武人のイメージを盛ったのが雷電将軍。天皇モチーフなのは幕府によって政治の中心を追われ貧乏生活しながら細々と祭祀を行っている海祇島の現人神さんのほうだよね。
天皇云々の話を出したのは自分だから一応答えるけど…「モチーフを~」云々の意味するところは日本が稲妻のモチーフで、そこから稲妻の民衆感情を日本の民衆から類推したのが自分のコメント、お上と民衆の関係だから一番なじみのある天皇と日本国民の話を出したわけ、確かに天皇=雷電将軍は含意されてはいるけれど…正直「モチーフは○○でなく××」という議論に意味はないと思う
刀狩とかは確かにそうだけどそれはあくまで「秀吉がモチーフの一つである」というところまでしか言えないでしょ、姉妹で鏡写しのように政務を分担してたのはどっちかというと足利尊氏・直義兄弟を連想したし、外国との交流の制限はあれど鎖国といえば徳川政権下の事柄
また現実の将軍と違って雷電将軍は誰かに将軍の官位を与えられたわけでもないし、自身がそもそも正真正銘の神なわけで、そこを切り離すのも意図的だし珊瑚宮にのみその性格を見出すのもまた意図的でしかない、珊瑚宮にも天皇的なエッセンスは入っていると思うが、モチーフを単一に定めるなら現実の幕府と朝廷が全くの異民族ということにになってしまうから、そこまで断言のような主張はできないよね
実在する数千年単位で生きられる存在が政治を行うってことで、個々人によってどういう信仰をイメージしてるか違ってて話が難しい気がするな。人間とは全く別の存在として偉いから偉いとか、武力や実績などが凄いから偉いとか、あるいはもう生活の一部としてとしてなんかの宗教信仰してるわけじゃないけどとりあえず宗教的活動やイベントをこなす感覚とか。超常的存在として信仰してるならやることがどんなことでも、たとえ自分にマイナスなことであっても信仰とは切り離されるだろうし、実績で信仰しているならやることが糞だと思えば信仰もなくなってくだろうし……。身も蓋もないことを言えば、ストーリーの必要性でキャラによってどの立場を取るかが決まっちゃってる気もしないでもない。