整理すると1「神の目を持たない鳴神島の民」2「神の目を持つ鳴神島の民」3「土着の神を崇めてきたその他の島の民」に分類できる。そして、雷神信仰に対する鎖国令や目狩り令による影響について1はほぼ影響なく、2は大きく影響を受け、3はそもそも信仰していないので影響しないとなる。万葉は自身も友も神の目所持者であり、友を御前試合で失って神の目を守るために亡命した。つまり、彼は2であり抵抗を選択した稲妻の民である。他にも亡命事例はあるから2であり抵抗側に回った稲妻の民は一定数存在する。そもそも万葉がなぜ称賛されたのか、については雷電の武力の象徴である一太刀を受け止めたからだが、その一太刀は御前試合でも示されるから2の人々にとっては偉業である。また3にとっても将軍の武力は脅威なので偉業である。よって伝聞によってフォンテーヌに伝わったならば2または3からの流布によるものである(1にとって雷神信仰の最たる理由は神の武力なのでこの逸話は称賛に値しない)。そして、旅人の偉業については評価されていないので、旅人を知る事件関係者とは近くない人物による流布である。雷神が武神であることは対外的に知られている間違いないので、フォンテーヌ人なら雷電=強者であり、強者の一撃を受け止めたことは驚くだろう。このことからシャルロットが万葉を称賛した理由と考えられるのは単に武神としての雷神しか知らず、その武力を止めた万葉の武力を褒め称えた(それが稲妻に与えた影響は加味しない)。次いで考えられるのは雷神の行いを知っており、その行いを止めるために万葉が行動し、結果として一太刀を止めたことに対する称賛。前者であるなら伝聞のみに頼った人物判断なので記者として問題があり、敏腕という肩書に疑いがある。後者なら開国間もない稲妻の直近情勢を伝聞を介して把握し、その中で担った万葉の役割を評価していることになる。その場合、彼女は神の所業を是正できるという思考を持つことになるのでスネージナヤやスメール、モンド、璃月で一般的な神の所業が国を繁盛させたと考える価値観とは相いれないものになる。フォンテーヌは神が司法を執っている以上、神の所業を是正できるという価値観は異端になるのでは? という推測になる。スメール人が草神(改変前はマハーであり改変後はナヒーダ)がもたらす知識が間違っている可能性を疑うくらい異端。
深くその辺は設定されず前者の立場から万葉を評価したんだろうなって思うと残念なんだけど
「雷神信仰に対する鎖国令や目狩り令による影響について1はほぼ影響なく」って時点で間違ってる気がする。目狩り令は確かに神の目を持たない人間にはあんまり関係なかったんだけど鎖国令は神の目を持たない稲妻人も困ってたので。
鎖国令と目狩り令は両方合わさって神の目供出のための凶悪な効果を発揮するから鎖国令のみ影響する1側が幕府を打倒しようという流れにまでは至らないんじゃないかな
これにはあんまり関係ないけど一太刀防いだ案件って広めてよかったんかなって思うよね。雷電の武力が他の神すら切り伏せる絶対的なのは確かな話だからそれを防がれたって伝わったら悪影響しかなさそう
そもそも水神すらも法の下にあるってのは言われてなかったか?それをそこらへんの人が知ってるかは別として
後者の考えだとしても「水神と雷神は違う」の一言で片付きそうな気がするが
>> 69むしろ雷神を信仰しているからこそ雷神の強さをよく知っているはず。だからこそ万葉の件がいかに凄いかを理解しているはずだし、九条鎌治とかの幕府の人間もそれを凄いものとして捉えている。
あとシャルロットは別にそこまで考えてないと思う。特に深い意味はなく、単に最強と謳われる刀を打ち返した事に対する称賛。
ソースについても天領奉行が動いてる事実がある。一流のメディアなら幕府内部の動きもある程度は把握してるはず。
むしろツッコむべきは万葉への賞賛じゃなくて、雷電将軍の姿を知らなかった事だと思う。それも雷神がカードゲームなんかしてると思わなかった、の一言で片付くだろうけど...